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「食べる情熱は生きる情熱」



<第1部>

みなさまこんにちは。ようこそいらっしゃいました。本当に暑いですね。東京もまだまだ暑いんですけど、関西の方がまだ暑いように感じますが、こんなにたくさんの方が来てくださるとは思っていませんでした。これからちょっと長い時間なんですが、東京から来たんですから、一所懸命おしゃべりしようかと思ってます。
私は「料理評論家」という肩書きなんですが、簡単に言いますと「毎日外で食べていると食っていける」という非常に楽な商売なんですね。そういう肩書きを持って仕事をされている方は、私以外どう見てもいませんね。日本中でたったひとりの商売かな、そんなふうに思っているんです。
これから「プロの料理人の料理を食べる」というのはどういうことなのか、街の飲食店の人たちがどのような考えでお料理を作られているのか、単にお金を出して丼物を一杯食べるというんじゃなくて「音楽家が何か音楽を演奏する」そういうものと、料理人さんが表現するものは同じではなかろうか、というようなお話をさせていただこうと思います。

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私の生い立ち

自己紹介しますと、1948年昭和23年、ちょうどベビーブームのときに東京の下町の典型、浅草で生まれ育ちました。寺町で、寺のたくさんあるその境内で、大道芸の人たちや、寄席の浪花節の人たちや、曲芸の人たちがけいこしている光景を小さいときに見た記憶があります。
ですから、どんなものを食べて育ったかといいますと、お寿司に、おそば、天ぷら、うなぎ、トンカツ、ラーメン。この6つは東京がふるさとの料理。ご飯とお魚、ご飯とお肉を、おかずと一緒にして食べてしまうという発想が天丼とか、うな丼とか、カツ丼なんかにあるんですが、簡単にいうと「丼もの」ですね。そういう雑白な料理を少年時代いただいてきたんで、いまだにトンカツとかカツ丼というのは大好きです。
自分がお料理の勉強をしようと思ったわけでありますが、お寿司に、おそば、天ぷら、うなぎ、トンカツ、ラーメンばかり食べていてはいけないわけですよね。そのものについては、小さいころから細かいものさしで、人よりは長めのものさしを持っていたかとは思うんですけども、日本料理、会席料理、そのたぐいの料理について、その味覚については正直言って20代まではゼロに等しかったと思います。
私の卒業論文が一冊になったものが、朝日新聞の学芸部の記者の目に留まりまして、夕刊の学芸欄に4年半ぐらい書かせていただいていましたら『てなもんや三度笠』とか『スチャラカ社員』とかの番組を作っておられた沢田 隆治さんという方が、自分のやる番組を手伝ってくれないかということで、花王名人劇場というところにつながっていくことになるんです。
NHKの『今日の料理』の中で「男の料理」というコ-ナ-がありまして、パーソナリティーみたいなことをさせていただいて、毎月テ-マを変えて料理のことを紹介することになり、京都の精進料理の特集をすることになりました。NHKのスタッフと取材に行くことがあって、取材が終わって、ディレクターさんが「今晩は山本さんが行きたい所に行きましょうよ」と言ってくださったんで『千花』さんへ初めて出かけて行きました。今から14、5年前、私が日本や京料理に興味を持ちだしたころに、すでに東京にも名前が轟いていました。とても素材を大事にして、とてもシンプルだけれど材料を生かす料理と言ったら天下一品だという評判が相当あるとすると、それと同じぐらいに、なんであんなもので、あんな値段を取るのかという、そういう毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい評価がありました。場所はどこかと言いますと、鴨川から八坂神社を正面に見た四条通り、南座がありますね。右側を歩いて行きますと、大通りを越えた所の右側。本当に人と人が擦れ違うぐらいに狭い路地の突き当たりに、真っ赤な提灯に黒々と『千花』と書かれてあるお店が『千花』さんでありました。

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『千花』のご主人との出会い

出てきた料理を僕は「一所懸命ひとつも逃さないでいただくぞ」といただいていたんですが、どうもご主人の気合いが途中から抜けているなということが何となくこちらに伝わってきたんです。それはなぜかというとNHKのディレクターの人がたばこをぷかぷか吸いながら食事をしていたんです。作る方としてはこれでは匙を投げてしまいますよね。ひとりが一所懸命食べていたとしてもひとりのお客さまのたばこがそこの空気を乱すということをご主人がきっと嫌っていらしたんでしょうね。「ああこれは失敗してしまったな。もう一度改めて来ないといけないな」と思って引き上げました。
いただいた料理は素晴らしいものでした。こういう料理は自分にとってはいちばん気に入ったなと感じたもんで、年が明けた1月の半ばごろだったと思いますが、東京から電話を入れました。
『千花』のご主人が「少々お待ちくださいませ」と言った後どうなるかと思っていましたら、すぐに「ありがとうございます。お受けいたします。それではお名前を」という普通のやり取りが返ってきたんですね。「山本と申します」こんなこといままで京都の料理店に電話したときに聞かれたことがなかったんですが「どちらの山本さんでいらっしゃいますか?」と聞いてきたんです。
会社勤めをしたことがない私は「どちらの山本さんでしょうか」と聞かれて、とっさに「どちらでもない山本なんですが……」と言ったんです。これは落語とかを聞いていたからできた返事なんでしょうが、向こうがとても驚いているのがわかるんですね。
僕は「どちらでもない山本」と言ったら、どういう山本なんだろうと興味を持ってくれるだろうという心づもりがほんの少しありましてそう言ったんですね。
決められた時間ピッタリに行きました。別に余計なおしゃべりをすることもなく、料理を簡単に説明してくださって「どうぞ」と言われて、出てくるものを一所懸命食べてはすぐお返しする。ご主人の視界の端のほうに、私の食べている姿が絶対写っているという感じでですね。私も出てきたものを一所懸命食べている。最後が赤貝の酢の物なんだということがわかっていたんですね。

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その時のことなんですね。自分のところで、ご主人がしゃがみこんで、ステンレスのバットの中に置いてある赤貝を選び出したんですよね。その姿を見て「シメタ!」と思いました。何でシメタと思ったかと言いますと、いちばん安いお客には選ぶことなんかないじゃありませんか。普通は「これでいいや!」てなもんですよね。それがいままで食べている様子を見て、前に来たことのあるお客さんかな? いやいやあの電話の様子じゃそんなことはない、とご主人の頭の中で一所懸命駆け巡ったと思うんですね。「どちらでもない山本」って? 料理人のようでもあり、手を見ると水をいつも扱っているようでもない。さあこれは一体何者なんだ。食べっぷりを見ていて『千花』の料理はこれくらいのものか、とこれきり来ないで、これだけで『千花』の料理は……と言われるのもしゃくだ。
その当時は物をたくさん書いているわけではないんですから、私の正体なんか全くわかっていないんですよ。で「ここいちばん、ようっし、損してもいいから、ちょっと張り込んだ赤貝を出してやろうか」そう思って選んでいるのではないかと勝手に解釈していたんですね。
ご主人が出してくださった赤貝の酢の物がどうなっていたかと申しますと、キウイを下ろしたところに赤貝を合わせてある。色の鮮やかなこともありますが、キウイの持つ酸味と、赤貝の甘味旨味とがハーモニーを生んでいて、それは見事な物でしたね。
京都のお料理屋さんと言うのはきちんと最後見送りに出てくださるんですね。常連のお客さまには女将まで出て来てくださるというほど、もてなしが最後まできちんとしている。食べ終わって帰る者にとってはとてもうれしいものであります。裏の木戸から出て来て豆絞りの鉢巻きを取り「今日は東京からわざわざおいでくださいまして、ありがとうございました」と丁重にあいさつしていただきました。
私は「本当に目の覚めるようなお料理をいただきまして、ありがとうございました」とそれだけにしとけばいいものを「でもふたつほど気になることがあるんですが……」生意気に、言わなきゃいいのにと思いながら言ってしまったんですね。
「何でしょうか?」
「実は…… ひとつは、今日いただいた鯛なんですが、あまりにもいかりすぎている。鮮度がよすぎて充分に魚の旨味が出きらないうちにいただいてしまったんじゃないかと感じたんですが……」
ご主人は「うちでは淡路の岩屋で一本釣りをしている鯛をお出ししているんですが、ただ季節でいうとちょっと早いかな。京都でいただく岩屋の鯛は“桜鯛”といって八坂神社の桜が散り始めたころ、それを召し上がっていただいてどうおっしゃっていただけるか、今日の段階では私どももお答えしかねるところなんですが……」そういう答えなんですね。一流といわれている京都の料理屋のご主人が、東京からやって来た30代半ばの、どこのなんだかわからないやつに、きちんと応対してくださったというのがうれしかったんです。
「もうひとつはなんでしようか」と聞かれたので「お酒なんですが、とてもおいしいとは思ったんですが、どうも千花さんのお料理には甘過ぎるんじゃないかと思うんですが……。お酒というのは料理と一緒にいただく時に力を発揮するものだと思うんですが、料理を壊してしまうほど甘味がきつすぎると思ったんですが……」
「私がこの店を開店する時に『松竹梅』さんに大変お世話になりまして、以来ずっとそこのお酒一本で通して参りました。ただ最近ちょっと甘くて、これはおかしいぞと思いつつもお客さまから言われないことをいいことにずっとそのままにしておりました。これからの千花の課題とさせていただきます」とおっしゃったんですね。 いや~、すごく謙虚だなと思うと同時に、僕がとてつもないすごいことを言ってしまったものだ、言った言葉に責任を取らないといけないぞと思いつつ、ご主人がおっしゃった言葉がこちらの心に響き渡りまして「何としても桜鯛の時には来ないといけないぞ」と思いながらお店を後にして東京に帰ってまいりました。
でも4月まで待てないんですね。3月になるとそわそわしだしまして、3月の半ばにまた東京から電話を入れたんです。
「今日は楽しみにしておりました。あの山本さんじゃなかろうかと電話の時から承ってまいりまして、以来あのときから引っ掛かっていましたふたつのうちのひとつお酒のことをもう一度勉強させていただきました。新潟まで蔵を訪ねて、私どもの料理に合うお酒は一体どれだろうかと、たくさんのものを飲ませていただいて、最終的に2本のものまでいったんですが、さあこのどちらがいいかと言うことが私で判定しかねているんです。それで、どちらが私どもの料理に合うお酒かを山本さんにお決めいただこうかと思って、今日は心待ちにいたしておりました。このふたつ、お料理を出す前なんですが試しに飲んでいただけませんでしょうか」私はそんなこと全然予想だにしないで行きましたし、お酒は飲みますが、お酒のことを勉強しているわけではありませんですから、「困ったな」と思いながら、出されたものには自分は一所懸命試食しようと思いました。
「ご主人、両方のお酒は甲乙がつけがたく、タイプが違うと思うんです。最初のお酒はさらりとしていて料理を邪魔しない。これぞ、料理に合うお酒と思うんですが、ふたつ目も捨てがたい。だから、お料理の途中でちょこっと間の開いたときに出される珍味や、油の乗った料理を出されるときにワンポイントリリーフとして出されるのはどうでしょうか」「それはいいことをうかがいました」と手をたたいて喜んでくださって「これからはそんなふうにお出しすることにいたしましょう」と言ってくださるんです。 もうひとつ残った桜鯛です。次の予約は電話することなしにその場で決まりました。決められた6時ピッタリに「こんにちは」と入ったんです。「山本さんごめんなさい」いきなりそんなあいさつなんです。「まことに申し訳ないんですが、今日は桜鯛をお出しすることができないんです。今日桜鯛ははいっているんですが納得できない。山本さんにはこれはお出しできない。申し訳ありませんが桜鯛は来年の4月になるまでお出しできないんです。そのかわりと言ってはなんですが、今日は若狭からグジのいいのが届いていますので一塩してお出しいたします」とそのようにしてお料理が始まりました。
「いやっ、これは素晴らしいグジだ! 桜鯛はいただけなかったけれどこんなに素晴らしいグジがいただけたんだから今日はよかったな」と思ったところで、お椀の用意をご主人が始めたんです。私は何でも出されたらすぐに食べますんで、パカッと開けましたらアレアレッと思うぐらい湯気が熱いんですね。「熱いな」、お椀のおだしの加減を見る以上に熱いなと言う感じがするんです。 「大変おいしいお椀だったんですが。ちょっと疑問なところがあるんですが……」ご主人は鉢巻とって「何ですか、山本さん」とカウンターから身を乗り出して聞かれたんですね。またここで私は生意気なことを言ったんですね。するとご主人は「先に出したグジの塩を控えて当てたつもりなんですが、それでもお口の中にかなりの塩加減が残っている。その塩を一気に消し去るためにはあの熱さが必要だと思ってお出ししたんです。歌舞伎でも次に出てくる役者というのは前をスパッと断ち切って出てこないといけない。料理に関してもそうなんです。お椀のおだしの加減も、最初の一口は前の料理を断ち切るための温度でよろしいかと思います。お椀だねをいただいて、その後に残った三分の一が勝負のところであります。その時どれだけの鰹節とどれだけのコンブをぜいたくに調合をうまくして、ひとつのきれいに角の取れた旨味のあるおだしにできるかが、お椀の極意だと理解していまして、まさしく今山本さんが、そのように召し上がってくださった。途中にお酒を飲むんじゃない、間を置くんじゃない、一気に召し上がっていただく中で、そのお椀のおいしさを味わっていただけたと思ったんですが……」とおっしゃるんです。
私は『千花』さんの料理をいただく以上に、ご主人の長田さんという方をもっともっと知りたいと思うようになって来たんですね。
そういうふうに料理を作り、献立を考えるのか、私はそういうことに初めて出会ったという思いで、その年その後2回ほど来させていただきまして、12月の暮れにも行くチャンスがございました。

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『千花』その日その日

見送りに出ていただいたときに、私は本当に感謝して「私はこの一年間に何回食事したかわかりません。全部メモを取っていますが、上からおいしいものの順番を上げるとしたら、千花、千花、千花、千花と並ぶぐらいに素晴らしいものをいただきました。でもいつも私の勝手で来させていただきました。お魚や、野菜の都合や、ご主人の都合をうかがうことなしに、この日に来たいとこちらが勝手にお願いしているだけです。それでは本当のことはわからないんではなかろうかと思いました。
東京で、丼ものしか食べて来なかった人間が、こちらでお料理をいただいて、本当にものの味を生かすということがどういうことなのかを知って、目が覚めました。一から勉強させていただくというつもりで、一年間、ご主人が決めてくださった日と時間に、東京から出てまいります。毎月毎月こちらの料理をいただくことはできませんでしょうか。」とお願いしたんです。

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「『千花』の料理というのは、できるだけ手を掛けないで素材を生かすという形で召し上がっていただくというのがモットーでございまして『千花』その日その日でよろしければ……」ということで、1月から毎月東京から通うことができるようになりました。
1月の郡上葱は、塩をふって焼いただけなんですが、ゼリ-のように甘くて柔らかくて、かぐわしい香りがするんです。情けないですよね。30代半ばになって初めて葱のおいしさがわかるようになるなんて。素材の持ち味を知るということはこういうことなのかと思いました。2月は男爵いも。土の味がするんです。4月は竹の子。素晴らしい桜鯛にも出会いました。茄子の塩焼をいただいた時に「それを作ってくれたお百姓さんが素晴らしいんです。感謝しなければいけませんね」とご主人が言われました。野菜のもともとの味を毎月教えられたような気がしたんですね。
7月は、何と、きな粉にまぶしたスズキのお造りが出てきたんですね。何で、きな粉なんか使ったんだろう、あっ、大豆だな。お醤油も大豆じゃないか。そういうところの発想できな粉にしたのかなと思って、うかがうと「そうです」と言われるんですね。
「そうすると、塩をした時間が大事なんでしょうね」
「その通りですよ。タイミングの勝負でございまして、このスズキは4時40分から45分の間にお出ししようと思って塩を当てていたんです」時計を見れば4時45分なんです。
「季節に一回だけのお客さまだったら、直球をど真ん中に投げればストライク、おいしいと言っていただくことはできるけれど、三打席連続で来るとなると、三球三振を取るために三球目は魔球を投げなければいけない。それできな粉をまぶすなんていうことを思い付いたんです」と言われるんです。
12月はなかなか日にちが決まらなくて、たしか12月の25日だったと思います。急に決まったものですから、友だちとクリスマスのパーティーをするつもりだったのをキャンセルして、新幹線で日帰りで京都までやって来ました。
出てきた料理は素晴らしいものでした。終わった後ご主人が「12回これで無事終了いたしました。本当に12回来てくださるのか初めは半信半疑でしたが、見事に皆勤してくださいました。本当にうれしゅうございます。私もどんな料理を差し上げようかと前の日から楽しみでした。が、どんな魚が入るかはその日の朝になってみなければわからない。漁師には、どの店にも負けない最高のものを持って来いと言いましたが、相手は自然ですから、最高のものが12回全部すべからくそろったとは言えません。3回ぐらいは、最高のものではないんだけれど…… と悔しい思いをしながらお出ししたものもございます。ですけれど、気持ちといたしましては、全力投球いたしました。山本さまは遠い所から来られるお忙しい方なんでしょう。3回ぐらいこちらからお見受けしてベストコンディションじゃないなと思われる時がございましたので、これは五分の勝負といたしましょうか」そんなふうにおっしゃった後……「実は、料理というのは、料理人から料理人に伝える技ともうひとつ、料理人が食べてくださる方に伝える技とふたつあるように思います。私がこのお店を始めた30何年か前にはたくさんのお客さまからいろいろなことを教わりました。
それがいつからか、お客さまから何もおっしゃっていただけなくなり、みなさまが「おいしい」というだけでお帰りになるんです。これでいいのかな? もっと上があるんじゃないかと思いつつ、そういうことで料理人というのは慢心してしまうことがあるんですね。
そこへ、現れたのが東京からお見えになった山本さまです。私の料理人人生の最後に現れた人だと思って、もう一度一から勉強させていただきました。私の持っているものすべてをこの1年間に包み隠さずお出ししたつもりでございます。料理人は作り手から作り手へ、それもすべての料理人に伝えることができるわけではありません。私にはたまたまふたりの息子がございまして、一子総連と申しますか、親子でしか伝えられないものもございます。お客さまに対してもそうです。みなさまに同じものをお出ししようと思ってもそのまますべてのお客さまが受け取ってくださるとは限りません。これはと思ったお客さまでもその方が受け取ってくださらない場合もあります。ですが山本さまには、こんなふうにして来てくださった中で全部お出ししたつもりでございます。ですからたったひとつお願いがございます。山本さまが私のような、60、70の年齢になった時、これは、という料理人がこの世に出てくると思います。そのときに私が山本さまにお伝えした内容を、できるだけもらさずその料理人さんに伝えてやってもらいたい。それが私の唯一のお願いでございます」とおっしゃるんです。
料理を食べて「おいしい」と言うだけではなくて、ご主人の持っている教養ですとか、経験ですとか、感性ですとか、生活信条みたいなものまで料理と一緒に分けていただいた。「料理人の財産を分けていただいた」という気持ちになりました。
食べるという行為で、作った人の財産まで分けていただけるということがこんなに素晴らしいことなのかなということを、私は『千花』さんから教わったような気がいたしました。

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「美食」について

本当においしいものはからだにいいんですが、私たちは本当においしいものが何かというほど五感が研ぎ澄まされていないんで、世の中がおいしいというものを鵜呑みにして、誰かがおいしいと言っているからおいしい、高いからおいしい、老舗だからおいしい、と言って食べていてからだを悪くしていることがあるように思います。
私の飼っている猫が、餌をやる時にすぐには食べないで全神経を鼻先に集中して「これは食べてもいいものかな」というふうにするんです。自分を飼っている信頼できる主人が出した餌でさえそうするんですね。それを見た時、私たちがいちばん忘れてしまっているのはこの野生の感覚ではないかと思いました。頭で考えているんじゃなくて、本能的に食べる瞬間に目の前にあるものを大丈夫か大丈夫でないかを全神経を集中して判断して食べる。
そのことがとても大切なことなのに私たちは忘れてしまっている。頭で考えながら、そして人の情報を鵜呑みにして平気で食べている。それは「美食」とも何とも思わないですね。
「本当に研ぎ澄まされた素材で、研ぎ澄まされた感性でもって食べていれば世の中の誰よりも元気であるはずだ」というのが私の持論であります。
「おいしい」ということを感じる研ぎ澄まされた感性みたいなものを養うためには、最高のものに出会うということ、人から教わるということが大事ですよね。感覚によって学ぶものというのは、本を読んだりしただけで学べるものではないと思います。
味覚というのは、親が第1の教育者だと思います。親離れできないと、果てしなく地平線が広いのに、自分の知っている土俵だけのところで終わってしまう。第2の教育者に出会わなければならない。そうすれば全く違ったところを知ることができる。たくさんいろいろなものにふれるということが大切ですね。そうすれば自分のものさしが、目盛りも細かく長さも長くなって、その中で最高のものに出会うと座標軸がいっぺんにできるんですね。
最高のものを知るためには、信頼できる人が行っている所にとにかく行ってみる。いろいろな所にチャレンジして行くと全く違った地平線が見えてくるんですよね。自分の舌を磨いて洗練されたものに持っていくのは並大抵のことではなくて、まずひとつは「数」ですね。それから「質」のいいのを知るには誰かに聞く、誰かに教えてもらう、連れて行ってもらう、このことがなければ最高のものを知ることはできない。
たくさん地平線を広げられるだけ広げて、その中から最高と思われるものを知っていく。感覚に根ざしているものは、衣服でも食べることでも音楽を聴くことでも絵でもみんな全く同じことだといえると思います。

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私とフランス料理

私がフランス料理に出会ったきっかけというのは、大阪の阿倍野でフランス料理に限らず、調理師を育てる学校の校長先生をやっていらした辻 静雄さんが出された本がきっかけでした。その本には「フランス料理を学びたいと思うのであれば、やっぱりフランスに行くのがいちばんの早道です。今フランスで最高といわれるレストランというのはパリにはなく、リオンから南40キロぐらいのところにあるビエンヌという小さな街に、レストラン『デュラ・ピラミッド』という料亭がある。そこでいただく料理こそ世界最高のフランス料理である」と書かれています。
フランス料理を勉強したいと思ったらそこまで行きたいと思いますよね。日本でいちばんフランス料理のことをご存じの方がそこまで言っているんですから間違いなかろう。25歳の時1年間アルバイトで貯めたお金で食べに行って、さすが、なるほど世界最高のフランス料理というのはどんなものか、ということを知って、最高のものを知るということは、どれだけ大事なことかということに思い至ったわけであります。
辻 静雄さんによると「フランスでは牛肉よりも小羊の肉のほうが値打ちが上らしい。フランス人は子羊のほうを評価しておいしいおいしいと言って食べている」と書いてあるんです。レストランで子羊のロ-ズタイム風味というのを食べてみてもちっともおいしくない。神戸の牛肉のほうがよっぽどおいしいと思う。東京中あちこち食べてもおいしいと感じない。フランスへ行って食べてみてもわからない。メニューに「骨付子羊のロ-ズタイム風味」というのがあったら何を置いても食べる。それを80回ぐらい食べました。フランスの『アルベール』という店で食べた瞬間に理解することができたんですね。
ハンバーグは小さい時からずっと食べていますから、あちこち食べていますと、あそこはソースがいい、あそこは肉の味がしない、つなぎが多いとかいろいろなことがわかってきます。
だから、同じものを何回もいろいろな所で食べるということも大切なことなんです。
初めの千回ぐらいは自分の食べたいと思ったものを選んでいました。1000回越えたぐらいからは、前菜一品、主菜一品、二品を取れば今日シェフの考えていることにいちばん近付くことができる。昨日までの様子と、これからの様子を今日1回だけで最大限計ることができるメニュ-を取って行くわけです。
非常に魅入られて食べた回数で言えば、フランス料理がいちばん多いかなと言うぐらいになってしまったんですが、なんとフランス料理というのを食べ始めたのは私が20歳になってからで、食べた回数が去年で3120回、今年になって90回ぐらいは食べたと思うんで3200回を越えていると思うんですが、そんなに一所懸命食べてきたけれども、小さい時から食べてきたお料理というのは懐かしいなと思いますね。

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フランスに行ってフランス料理を食べたけどおいしくなかったという人がいるんですけれど、観光客として行く料理店ではなく本当においしいフランス料理を食べたいと思ったら、80人から60人ぐらいのレストランの中で10番以内のお客さんに入らないと、ちゃんとした料理は出てこない。そのために私は25年間フランスに行き続けて、10年かけてフランスを廻りました。そしてこれはと思った4軒のお店に、『千花』さんと同じく必ず行きました。
パリでロブションのお店で食べる。TGVでリオンまで行って、近郊のミオネというところの『アラン・シャペル』の本店で食べます。 翌日、今度は特急に乗り換えて、ジュネーブ経由でローザンヌという所に行きます。ローザンヌから5キロ離れたクリィシェという小さな村の、世界でいちばん予約が取りにくいというジュラルデの店で食べます。またパリまで4時間半かけて帰ってきて翌日パリのランブロージュで食べて、日本に帰ってくるという最高の4ヵ所。僕にとってはフランス料理のグランドスラムですよね。
初めにランブロージュをスタートすると最後はパリのロブションで食べる。
ロブションという人は、スポーツでいえばカール ルイスみたいな人で、100mをどれだけ早く走れるか世界記録を出すことを毎日やっているような人でありまして、お店は45席。料理人が25人いてサービスする人が20人いる。お客さまと同数だけ料理とサービスをする人が控えている。たくさんの素材をお皿の中に入れながら、ほんとアクロバットではないかと思いました。スイスの精密な高級時計の裏蓋を開けたような、そんな料理を作る人だったんですけど、シャペルを食べてジュラルデで食べてパリに戻ってくるというと、ものすごい押しの強い料理を出してくるんですね。この後僕がどんな料理を食べようがロブションの料理がいちばん印象が残ったというそんな料理を出してくるんです。帰ってきていちばん最後にロブションを食べるのだというとジュラルデは何を出した、シャペルは何を出した、と聞くんです。そしたら引き技の料理なんです。全然アクセントが強くないんです。最高のものを3軒食べた後でも僕の料理は食べられるでしょうというふうに出してくれるんです。
お客さまとして普通に食べに行っているんだったらそんな料理は出してくれません。毎回、用事もないのに朝から行って「こんにちは」とか言ってジュースかなんか飲んで「これは世界一のオレンジジュース」とかなんとか言って……。
シャペルは「また来たね。今日は僕に料理を任して食べなさい。ほんとはね、僕の料理は1日食べたぐらいではだめなんだよ。1日は僕と釣りに行く。1日は僕と野原にウサギでも捕まえに行く。3日間いないと僕の料理はわからないんだよ」と言いながら作ってくれる料理はしみじみとおいしい。お皿の上に大地の風が吹き抜けるような、4人が4人とって同じ盛り付けがひとつもない。お客さまを緊張させない。そして食べてみると、どこか物足りないような気がする。
完成度でいうとロブションのほうが完成しているんだけれど、シャペルのほうは食べた後すぐまた食べたくなる。ロブションの料理というのは食べたら1年ぐらいいいやというぐらい満足感があるんですね。世界記録達成というふうなんですが、シャペルはそういうふうではないんです。食べてジュラルデに行く電車の中で「もう一度食べたいな」と思うぐらい懐の深い料理人なんです。
僕が50点の客であれば55点の料理を出す。そうすると僕にとっては100点に見える。だけどまだ満足しないからまた食べたいと思う。今度は60点の料理が出る。また100点に見える。でもまだ40点ある。そういう料理を作ってくれるんですね。
その後ジュラルデに行く。「またシャペルで食べたの」「はい、食べました」「そうか今日は僕に任して」というんです。
彼は僕が食べた料理を逐一コンピューターに入れているんです。 どんな料理を作ることで有名になったかというと、朝入った材料で考えるんです。今日はこの材料とこの材料をこんなふうにしよう、お魚料理のシェフにはこういう感じのイメ-ジで作れ、お肉のシェフにはこのイメージで作れと言う。入って来た材料を見て、シェフたちは2時間考えて、ジュラルデならどのように調理するかなと考えたものを12時前に出すんですね。それをチェックして、ここをこういうふうに直しなさいといったものがお昼と夜に出て終わる。冷蔵庫のいらないレストランと言われているんです。
メニューのリセットもないんです。だから、作り方ばっかりを学びにいこうと思った人には無意味なレストランです。ジュラルデという人はふだん何を考え、どういう生活をして、どんなふうに感じる人なのかということがわからないとその人の料理ができない。だから、全く即興の料理といえます。
何回も行くうちに一所懸命に僕のことを気にして作ってくれるようになる。そのきっかけは、世界一予約が取れないというように続けて席が取れるというようなことは不可能に近い。日本から予約を入れても3ヵ月してやっと予約が取れたというぐらいなんです。
何回食べに行っても「ああ、おいしかった」だけで終わってしまうのが悔しい。ジュラルデというのは続けて食べないといけない。 素材が同じなんですよね。それをこういうふうに出しているということは、明日も食べたら昨日と同じものが出るんじゃないか、なんて思って、ロブションがジュラルデととても仲がいいので、その時だけロブションにお願いしてジュラルデに3回続けて食事ができるように予約を入れてもらったんです。昼夜昼と3回続けてジュラルデだけで3回です。
ジュラルデを食べに世界中から来るんですけれども、1回食べに来れば次の三つ星に行ってしまうというお客さまばかりで、僕みたいに「昼夜昼」と来たお客さまは初めてですから「お昼は3つ出しましたが、今晩はメイン4つ。明日のお昼は5つ出しますからね」とそんなふうに言ったんです。
夕方僕が食べに行き、その前に調理場に行って、あいさつしようかなと思ったら、ちょうどそこに河野さんという日本人のシェフが働いていて「山本さん、調理場には入らないほうがいいよ。今ジュラルデ機嫌悪いから」。しめたなと思いましたね。全く違う料理が夜出てきました。3日間ひとつも同じ料理は出なかった。 毎回違うものをコンピューターに入れながら僕が来ると言うと1週間ぐらい前からかりかりしていると聞かされて、申し訳ないようなすごくうれしいような、スイスの世界最高の料理人という人が東京からやって来るだれだかわかんないやつに、メニューを考える。去年引退する寸前に2回僕は食べに行けたんですけれども、作り手がそこまでしてくださるというのは食べ手の冥利に尽きますよね。
パリに帰ってきてパコーさんの料理を食べますと、パコーさんはジュラルデで食べてこようが、シャペルで食べてこようが、わが道を行くというような人で、ジュラルデさんがサッカーが好きで自分は作らないで調理場をあちこち動いて、ペレみたいな人なんですがパコーさんは42.195キロ走った時のトップでいればいいというふうなマラソンランナーみたいな人です。
この4人の料理で、最高の料理をいただけるコツというのはですね、行った先々でシェフに「あんたが世界一」と言うんです。これにつきますね。
食べた後「いやあ、おいしかった。世界一のデザ-トだ」とか「あなたはやっぱり世界一の料理人だ」と言うんです。するとロブションは本当に喜ぶし、ジュラルデさんは「パリにおまえの友だちがいるじゃないか」なんて言いながら、やっぱり料理人というのはうれしいんですよね。
ジュラルデの所もいろいろな人が来るんですが、昨日シャペルを食べてその前ロブション食べたやつが来たら負けられない。
今ロブションも東京の恵比寿で彼の料理は食べられますがパリのお店は閉めてしまった。
「料理人は最高の時で止めたい。落ちぶれた時に、料理がひどくなったといわれてから止めるというのはたくさん見ている。ああいうのにはなりたくない」というので51才で閉めました。僕は最後の食事に呼ばれましたので行きました。一計を立てまして、前の日お昼をジュラルデに食べに行ったんです。顔を出すなり「やあスイスの料理はどうだったか」と言うんですね。「どの料理も素晴らしくおいしかった」と言うと「そうだろう。ジュラルデは世界一の料理人だ」と言うんですね。

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家庭料理について

僕がずっと言ってきたのは作り手と食べ手のコミュニケーションですよね。それのないところにおいしいものはない。家で食べる料理というのがいちばんおいしい料理だと思うんです。
ロブションの料理が世界最高だといっても年に1回か2回食べるぐらいで、家庭の料理というのは、顔を見ただけで今日は体調がいいのか悪いのか、それについてこういう料理を出してあげようとかコミュニケーションがいちばんあるんですね。
「だれだれちゃんの好きなものが売ってる」といって買ってきてあげる。それがいちばんおいしさの伝わるものなんですよね。「お父さんは休みになればゴルフに行くんだから……」といいつつ「帰ってきたらおいしいものを作ってあげようかな。ゴルフで疲れているから少し塩気を足してあげようかな」というような心遣い、思いやり、それがいちばん味に影響する。
世界で最高の料理人だといわれているロブションもジュラルデもパコーもみな「親がこどもに与えるものと同じものを持って毎日料理を作られたら、こんなに素晴らしいことはない。だから、そこの基本を忘れてしまってはだめなんです」と言っています。
「仲間という意味の言葉をフランス語でコパンというんですけれども『パンを分け与える』というところから『仲間』という言葉ができたんだ。だから自分の店に来た方には自分の店で焼いたパンを持って帰ってもらう。『パンを分かち合える仲間』というのがいちばんの食事の友なんです。長い時間が経った後本当においしい料理を思い出す。自分の料理がそうであったらいいなと思います。でもその人の基本にあるのは家庭の料理なんです」とロブションが教えてくれました。
だから家庭の料理でいちばん大事なことは、料理のテクニックなんかじゃなくて、できるだけいい素材を選ぶようにすることです。

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僕は奥さんが作ってくれた料理に対して、文句を言ったことは1回もないですよ。言ったら蹴飛ばされるからですが……。料理人さんは蹴飛ばさないけど、うちの奥さんは蹴飛ばしますからね。最高の素材を与えられないので仕方がないですよね。 フランスのスーパーでは山積みにされていて、買う時に香を嗅いで「これはいい」とか言えるんです。人間の五感の中の「野生」を本能としてまだ持っている。おいしいものを選ぶと言うのは「これは熟しているからおいしい。からだにいい。未熟なものだからからだに悪い」人間のそんな本能がスーパーマーケットに買いに行くところからまだヨ-ロッパにはあるというのはうらやましいですね。
日本の場合は全部ラップで包んであるものから選んで判断しなければならないから、色のきれいなもの、形のきれいなものをよしとするしかない。本当はそうじゃない。
虫が食っていると言うことは第1次試験にパスしているということなんですね。虫も食わないキャベツを平気で食べているというのは恐ろしいことだと思ったりするんですけど……。虫が居心地がいいということは人間が食べてもからだに害がないということではないかという発想を持たないといけない。消毒されすぎているものというのはからだによくないと思うんですが、なかなかみなそういうところにいかずに、真っ赤なところに緑のへたがある形と色だけ見てトマトだと認識して、味で認識しないんじゃないですかと言いたいんです。
おうちで食べるにもお母さんは、素材を選ぶという努力をしないといけないし、それに対して食べるほうも「おいしかった」という気持ちがないといけないなと思います。食べ方のパフォーマンスが下手ですよね。ただ黙々と食べている人に対しては、プロの料理人だって反応がないなと思うだろうし「やあ、おいしいな」と言う人に対してはもっとおいしいものを作ってやろうと腕によりをかけてくれると思います。

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Profile

山本 益博(やまもと ますひろ)さん<料理評論家>

山本 益博(やまもと ますひろ)さん
<料理評論家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1948年東京浅草生れ。早稲田大学演劇科卒論として書いた「桂文楽の世界」が『さよなら、名人芸 桂文楽の世界』として出版され、注目される。1979年からテレビの『花王名人劇場』のプロデュ-サ-。また日本で初めての「料理評論家」として雑誌、テレビで活躍。食関係のコンサルタントも務める。著書に『考えるほど情熱的胃袋』、『東京・味のグランプリ』、『ガストン』、『ダイブル』、『普通の食事』など。

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