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「ホンモノの豊かさ・ニセモノの豊かさ  消費の時流は“シック・シンプル”」



<第1部>

ただいまご紹介に預かりました吉田でございます。とにかく日本の大学の先生というのは、簡単なことをむずかしく話す人が多いんですが、外国ではむずかしいことをいかにやさしい言葉で、誰にでもわかりやすく話せるかが学者の力量とされています。
私はウイ-ンに16年間いまして、日本の学校には行ったことがありません。「女性を寝かせない講演」で有名な私が、これからむずかしいといわれる経済のお話を、会場の人が居眠りすることがないようにお話したいと思います。
最初の15分ぐらいは少しむずかしい話をするかと思いますが、我々が「豊かになりたい」とか「神戸の街の力強い復興」ということを考えていくときに、その分析がどうも偏っているように感じます。それを斜めに鋭く切り込んでいき、頭を整理するために必要な部分ですので我慢して聞いてください。

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アメリカ型大量生産・大量消費

私たち日本人の豊かさというのは、戦後50年間アメリカ型大量生産・大量消費の上に成り立っています。
いまヨ-ロッパでは失業問題が非常に大きな問題になっていますが、世界的なコスト競争の中で、コスト削減のためには終身雇用が崩れ、日本でもリストラで働く場所が危なくなってきたのではないかという危機感があり、大学の新卒者の就職がないという現象が出てきています。これから日本でも失業問題が非常に大きな問題になってくるだろうと予測できます。
いま、世界的に見て、ヨ-ロッパなどではいままでのアメリカ型大量生産・大量消費を越えたところに豊かさを求めていかなければならないという模索が始まっているのですが、まだ日本というのは大量生産・大量消費の中で豊かさを守り抜こう、いや、もっと豊かになれるはずだという幻想を持っている。まず、こういう考え方を排除しなければ、本当の豊かさは見えてこないと思います。
大量生産・大量消費の最初のモデルというのは、今世紀の初めに流れ作業によって自動車を大量生産するシステムを考え出したヘンリー・フォ-ドなんです。ヨ-ロッパや日本はアメリカの倍のスピ-ドでまねしてきたんですね。経済学の教科書には「フォード主義というのはいままでの手作業を流れ作業にして、貴族の乗りものであった自動車をみんなが乗れるシステムに変えた人である」と書いてあるんですが、ここでひとつ大きな視点が欠落しています。
佐伯 敬思さんという京大の先生が『アメリカニズムの終焉』という本の中で「フォードは、前世紀労働者といわれたカテゴリーの人たちを、消費者というカテゴリーに変えた人である」と明確にフォーディズムの原点をひもといています。
どういうことかといいますと、フォードは「私の会社に来る人には来週から給料を2倍出しましょう」と、労働組合の人でさえ信用しなかったことを実現したんです。流れ作業をすることによって、大量生産した自動車を(貴族しか乗れない、労働者が絶対買うことはできないと思っていた自動車というもの)価格破壊していきました。
価格破壊するだけではものは売れない。安くなったものを買うことのできるシステムを作らなくてはいけない。それが所得なんですが、その所得を彼は確約したんです。自分の所得で買うことができるということが現実になる。手が届くことはないだろうと思っていた夢の対象であり、豊かさの象徴である自動車が現実の対象となった。どんどん自動車を造る。労働者を増員する。また自動車を買う。賃金が上がる、という循環ができていきました。このパターンが全世界に大量生産・大量消費社会として広がっていきました。

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もうひとつ、アメリカ型大量生産・大量消費経済で大事なことはマーケティングということなんです。
マーケティングというのは教科書には「お客さまのニーズ(欲求、欲望、したいこと)を企業が調査して探りだし、そのニーズに答えるように企業がサービスすること」であると定義されています。私はいま大学で学生を教えていますが、講義の第1時間目に学生たちに「みなさんの持っている教科書の1ペ-ジ目と2ペ-ジ目を破り捨ててください」と言うんです。こういう定義はうそだと思っています。マーケティングの真髄、本当の手口というのは「お客さまを欲求不満にさせる技」であると言えるんですね。お客さまをまず欲求不満にさせておいて、その不満を解消させる商品やサ-ビスを目の前に出してくると黙っていてもその商品は売れていく。これが本当のマーケティングのやり方なんです。これをマクロマーケティングといって私が研究している分野なんですね。
大量生産(ものを安くつくる)ということだけでは経済は回っていきません。所得という手当があり、なおかつその商品が消費者にとって欲望の対象でなければ経済は回っていかないのです。商品を消費者の欲望の対象に持っていく技術、テクノロジーがマーケティングであると言えるのです。

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「みんなで一緒に貧しくなる日本の経済構造……」

日本の経済というのは、アメリカ型大量生産・大量消費をモデルにして、50年というアメリカの倍の早さで豊かになってきたといえます。
日本はつい最近まで世界でいちばんというところまでにのしあがってきました。それは、マーケティングがよかったこと、アメリカ型の大量生産・大量消費をまねしたことだけではなくて、私の考えでは「日本というのは世界一素晴らしい共産主義の国である」と言えると思います。共産主義というのは、別の言葉でいうとコマンドエコノミー、指令経済、計画経済であるといえます。計画経済というのは、中央政府が生産量の計画を立てます。生産量と消費量のミスマッチが徐々に大きくなって崩壊したのが、東欧の社会主義なんですね。
しかし日本型の社会主義、共産主義というのは、政府なのか官僚というのか、それと手を組んでいるビッグビジネスなのかはわかりませんが、日本の中枢といわれるところで日本の経済をコントロールしようとしたときに、生産の方だけではなく、消費の方までうまくコントロ-ルしてきたので、生産と消費がマッチングしてこれだけの経済大国になれたと言えるんです。
我々消費者は、我々の消費生活・消費欲求がどこかからコントロールされているということなど、いままで誰も考えたこともないし、気づくこともなかったといえます。
私たちが豊かになりたい、なりたいと思いながら、なれないのは、「自分たちの意思で自分たちの欲望の対象を見つけてこなかった」ことにあると思います。
戦後50年間、我々の消費欲求をどのように操作してきたかという時に、マズローの5段階説を当てはめると見事に説明できるんですね。

自己実現欲求
評価欲求
社会的・帰属欲求
安全欲求
生理的欲求

ピラミッドのいちばん下の段階というのは「生理的欲求」。眠いとかおなかが空いたというものです。昭和20年段階です。この時代というのは、まさしく飢えの時代です。甘いものが食べたいがない。その代用品のサッカリンを闇市に流す。着るものがない。服を並べる。黙っていてもみなが持っていってくれる。
そして昭和30年代です。経済復興するために、企業がどんどん設備投資をして、世界経済に追いつこうとしたんだけれど、その途中でイタイイタイ病とか水俣病の公害とか、欠陥商品が出てきて、全国の主婦連が立ち上がったんです。「安全欲求」の時代です。
昭和39年~40年代にかけてオリンピックがあったんですね。そのころからテレビというものが各家庭に入りだしました。この時の首相が池田 勇人で経済政策は「所得倍増論」です。ここで初めにお話をしたフォード主義と同じ現象が起きてくるんです。3C(カー・クーラー・カラーテレビ)が買えることができるようになったのです。この時にテレビというメディアを使って広告会社が欲望開発というか欲望誘導ということをマーケティングを使ってやっていくんですね。そのキーワードとして利用されたのが「社会的欲求・帰属欲求」です。「皆と一緒でありたい」という欲求です。テレビコマーシャルで「隣の車が大きく見える」「隣のテレビは色がある」と流れ、NHKも右端に「カラー」と書いて欲求不満状態にしていくんですが、所得も上がっているんで、買おうと思えば買うことができる。欲求不満を解消することができるという現象が目の前に出てきて、昭和40年代というのは皆と一緒になれた。「中流だと思います」という人が70%も出てきて、社会的欲求・帰属欲求は満たされるようになった。

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満たされてしまうと経済は動かない。ここが日本のマーケティングの素晴らしいところで、また次の欲求不満を開発するわけです。これを人は「評価欲求」というんですが、言い換えると「多様化欲求」「差別化の欲求」ですね。「人と違うことをしたい」ということですね。コンピューター技術と生産を組み合わせてメカトロニクスという、ロボット生産(他品種、少量生産)をして、いろいろな商品を少量のいろいろなロットを使って編み出して、オイルショックにも負けないで世界の経済大国にのし上がっていったんですね。
これが昭和50年代の個性化・多様化なんです。しかしこれも「ものレベル」での色違い形違いということなんだという欲求不満が出てきて「ワンランク上の消費」という言葉が出てきたりしたんですね。所得による差別化ということなんですがバブルが弾けてそれもなくなってしまった。
そして残されたものは何かということになると「自己実現欲求」なんです。いま企業が何を言ってきたかというと「ゆとり・豊かさ」なんですね。
ここで、日本の中枢が、いままでのフォード主義では日本の物価が上がりすぎて国際競争についていけないので、給料を上げないでGNPを上げていく方法として、ものづくりは止めて、給料はこのままで余暇を楽しみましょうということをしたんですね。そのいい例がスペースワ-ルドで、新日鉄の工場の人の首を切らずにレジャーランドにして雇い続け、余暇を増やしてレジャ-という消費を増やしていくというようにしてきたんですね。これが昭和60年代の政策なんですが、リゾート法などができて、東はスキー場、西はマリン開発、真ん中はゴルフ場というように田舎の町長さんまでが悪乗りして、バブルが弾けてどうしようと言っているのがいまなんですね。これが「自己実現」「ゆとり・豊かさ」ということではないと気づきだしているんですね。というには、ここにも、大量生産がベースになっていて「生活の標準規格化・画一化」という企業にとって都合のいいやり方でサービスを提供してきたんですが、消費者の方が成熟してきていますから規格・画一化されたものとかサービスという企業人として生産している商品を、一個人の消費者という立場になったときに買おうとは思わないという消費ジレンマが今日の消費の停滞を招いているんです。消費者の成熟を企業がリサーチできていないんですね。

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「文化価値はブランドやイメージの問題ではない」

では、「どうすれば豊かになれるのか」ということを、これからお話していこうと思います。いきなり結論を言いますと、私たちが本当に「ゆとり・豊かさ」を求める時に、買いたいもの、サービスというのは次に示されるものなんです

 商品
 スタイリング (財・サービス) イメージ
 ファッション

 商品文化

 生活様式(テクノロジー)
 生活価値(CI・企業理念)

 ライフ・デザイニング

我々はいままで、ものとかサ-ビスだけを求めて豊かになろうとしていたんですが、そうじゃないんですね。いつ、誰が、どのように使う、という生活様式を意識して買うようになったんです。5W1H、TPOを考えながらものを買っていたんですが、もっと考えていくとその人の生活様式というのはその人の生活価値観から出てくるんですね。この3つの重なり合ったところの商品文化を買いたいと思っているんですね。ところがそこまで考えがいかないでものばかりを追いかけているから買い物をして失敗するんです。
企業側からこの図を書き換えると(   )になるんです。生活様式というのは(テクノロジー)のことなんです。生産様式ということですね。生活価値というのは(CIとか企業理念)ということなんです。人・もの・金・情報というのはどの企業も同じなんですが、企業理念が違ってきますとその組み合わせ方が違ってくる。だからその企業の商品文化が違ってくるというのが私の言いたいことなんです。そういう商品を、消費者が市場で「あそこの企業の商品がいい」と選択していくのですが、ここのところが現在の企業にできていないところなんです。
いまの企業のやっているマーケティングというのは企業理念というところがないんですね。どちらかといえば、商品と生活様式の中だけでマーケティングをしている。それを生活提案型のマーケティング、代表的なものがダイエーのオレンジぺージです。収納のHOW TOを写真で示して、さりげなくそのカタログと値段を示すというやり方でライフスタイルを提案していく。4WDでのアウトドアレジャーなんかもそれですね。

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しかし、企業は生活価値というところまでちゃんとマーケティングして、消費者の方も自分たちの生活価値が何かということがわかってくると自分たちの買いものの対象がハッキリ見えてくるんですが、まだいまの段階ではそこまでいっていないので、本物の豊かさがつかめない。商品とイメージがドッキングしてイメージにお金を払っていたことがつい最近まであったじゃないですか。しかし、ブランド品だけを追いかけていてはだめなんで、それに見合う生活価値観、生活様式があって初めてその商品が生きてきます。ヨーロッパ貴族が船旅に持って行く大きな箱のようなスーツケースを作るのが商品文化である会社があるから、いまでも大金持ちの夫妻が「200万円ヨーロッパの旅」「オリエント急行グルメの旅」などに出かけるときに、箱のようなスーツケースを2~3個運転手が列車に運び入れて「お気をつけて行ってらっしゃいませ」と言って、お帽子をかぶった奥さまが手に持っているのが様になる。商品文化とは、何も高級指向ということではなくて、我々が磨くべきものは、生活価値であるということ、消費生活の文化性が問われているということなんですね。
生活価値観がどれだけ洗練されているのか、どれだけ磨ききれているんだろうかというところに、われわれ自身がどれだけ頭を割いてきただろうかということが問題であると言えるのですが、そこにはいかずにどれだけ高いブランド品を買ったか、持っているかというところにいっているのがおかしいと言いたいんです。
確かに美術、芸術、音楽は大事で心を豊かにするものなんですがそれのベースになる生活の価値観を磨きながら美術・芸術・音楽を取り入れていけば、本物の豊かさになるんですが、それが欠けていると思うんです。
消費価値の文化性、消費価値意識の洗練度が問われているのが、いまではないかと私は思います。

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「ゆとり・豊かさの方程式」

W=社会的経済的選択の幅×時間的空間的ゆとり×生活価値観の洗練度

Wというのは私の考えるゆとり豊かさなんですが、Well-being of Individuals ということなんですが、上の式で示されると言えるんです。答えを大きくするためには、どこでもひとつを大きくすればいいというのではなくて、条件があって、このみっつが同じぐらいでないとバランスの取れた豊かさとは言えない。仮にひとつ吐き出した一辺があったとしても「本当の豊かさ」というのはいちばん小さい一辺の立方体である。「立方体である」ということが要求されるんですね。
日本人はというと、社会的経済的選択の幅というのがやたら大きくて、時間的空間的ゆとりというのがない。生活価値観の洗練度というのになるとわかっていないぐらい小さいんですね。
年収でいえばヨ-ロッパのトップクラスぐらいの年収があるのに彼らほどの豊かさがあるのかといえばありません。ものの選択にしても消しゴムひとつ選ぶにも何種類もある(それが本当の豊かさだといえるかというと疑問ですが)。選択の幅はある。しかし空間的ゆとりと洗練度は小さい。バランスが取れていないので本当の豊かさ、ゆとりを感じることができません。
ヨ-ロッパの官僚ならS型ベンツに乗って、車寄せのある家に住むぐらいの空間的ゆとりがあるのに、日本ではそんな家はどこにあるでしょう。皇居ぐらいです。それぐらいに日本は空間的ゆとりがありません。家が狭すぎます。
オ-ストリアの高等学校の先生というのは、年収約300万ぐらいですがプ-ルまではなくても庭付きの200㎡ぐらいの家に住んでいるんです。
私の奥さんはオーストリア人ですが3LDK、85㎡、6帖の和室にこどもを挟んで川の字になって寝るという生活には耐えられなくて、離婚寸前までいきました。その時に考え出したのが下の式です。

「ゆとり・豊かさを実感できる住居の広さ」

同居する家族の年齢×√家族の人数=理想的な延床面

何とかしようと思えばできるのにと思いながら私はこの広さを言い続けています。50歳が限界、おじいちゃんおばあちゃん、独身のパラサイトシングルであっても25歳と考える。

わが家の場合 44+39+12+9×√ 4 =208(㎡)約60坪

日本が先進国であるというのならば、これくらいあってもいいと思います。しかし行政も国もなにも考えようとしない。ますます狭い所に押しやっていこうとしている。人工密度からいうとヨーロッパよりゆっくりした国のはずなんです。けれど田舎には住まないで、都市の狭い所で土地代を高くして、もっとたくさん住もうとしているので、豊かさが出てこないのです。アジアでいえば淡路島ぐらいの面積しかないシンガポールでさえ公営住宅の平均面積は135㎡あるんです。
しかし日本人というのはヨーロッパの貴族がやるようなことをするんですね。ゴルフバッグの収納スペースもない家に住みながら、貴族がするゴルフをする。あれは貴族のするものであって、それをするだけのステータス、バランスの取れた豊かさを持った人がするものであると思っていますので、私はしません。

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時流は「シック・シンプル」

ではどういうふうにすれば私たちが本物の豊かさを見つけることができるかというと、われわれはスタイルを追いかけすぎる、物を追いかけすぎるから、本物の豊かさが見えないんですね。本当の豊かさというのは、バリュ-&スタイルなんですね。バリュ-(価値)の部分をもう一度問い直してみると、豊かさの本質が見えてくると思うんです。
企業のマ-ケティングでいうとライフスタイル提案型から生活価値の想像へ、HOW TO型ではもうだめなんですね。KNOW WHYを消費者が求めている。
HOW TOとかブランドとかを越えたところまで女性たちの感性、本当の消費生活は行っているんだけれども、企業でマ-ケティングしなければいけない男性が洗練された消費意識を欠落させてしまっている。
ニュ-ヨ-クのスト-ンとグロスという男性と女性のふたりが、パッケ-ジとかシャツとかスカ-フとかをシリ-ズで出している『シック・シンプル』という写真集、どうしたら粋に消費できるかということを写真とエッセイで書いてある雑誌があるんですが、アメリカでは5~6年前に出ているんですが、ヤッピ-という上昇気流に乗って高いものを買いたいという人たちがだめになって、それを乗り越えた人たちの求めたものなんです。

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アメリカにシック・シンプルが入ってきたのは5~6年前ですが、ヨ-ロッパでは60年代の終わりから70年代ずっとそういう波がありまして、ヨ-ロッパの中の上の階層の人たち、我々と同じぐらいの収入と学歴のある人たち、常に自分の考え方を磨いていこうとしている人たちの生活を言いますと「いいものを吟味して長く使い込む」というのが粋なんですね。
この消費生活がわかるかわからないかが、次の消費生活を粋にできるかできないかのかぎだといえます。少しキザに聞こえるかもしれませんが私が実際に行っている「消費美学」について言いますと、私はウイ-ンにいた時にドクタ-の資格を取ったときからワイシャツを別誂えしています。値段は1400シリング、14000円です。 生地はスイスの高級綿100%使用です。親父の形見の時計の厚みの分だけ左側の袖口は1センチ長く作ってあるんです。ボタンは真ん中がへこんでいてアイロン当てても当たらないとか、表に刺しゅう糸を使っていて弛み具合いが違うので洗濯しても弛まないとかいろいろな工夫がしてあるんですが、何よりも大切なポイントは残り布が付いてくるんです。何年かすると袖口とか衿がささくれだってきますね。そうしたら3000円出すと衿と袖口を取り替えてくれるんです。もう何年か着ます。またささくれだってきます。その時どうするかというと、白の衿と白の袖口を付けてくれるんです。
外国のVIPがテレビに映った時に白の衿と袖口のワイシャツを着ているのが映ることがあるんですが、あれはおしゃれなんではなくて「私はいいワイシャツを大切に長く使いこなしているんですよ」という生き方のメッセ-ジであるといえるんです。ところが日本では、デパ-トに行くと初めから白い衿と白い袖口のワイシャツが売っているんですが、少し意味が違うんですね。
ここで計算してみたいんですが、14000円と3000円×2=6000円、合計20000円をぜいたくで高いというのか、大量生産されたポリエステル混合の6800円のワイシャツ3着20400円を使い捨てることを高いと言うのかということなんです。
日本の経済というのは大量生産・大量消費をベ-スにして伸びてきたものですから、いい汗かいて、いいものを作るという職人さんという生産技術を全部押っ払ってきたんです。効率生産で、いかに安く作るか、それをいかに安く流通に乗せるかで生活してきて、ものを買って豊かになってきたように思っていたんですね。
いま、少し高くてもいい、本当に納得できるいいものを、大切に使うという生産システムすら取っていないんですね。価格競争だけしているものですから、中国からもっと安いものが入ってくるようになって、ワイシャツ作りに命を賭けていた会社の労働者はどうなるでしょうか。もう行くところはありません。長年構築してきた技術、文化というものを、今日明日に構築できるのかというとできません。
ここが、今日の経済の大きな問題点だと思います。消費のトレンドというのは豊かになってくると金ぴかの消費から目立たない消費のほうへ向かっていくものだといえるのです。

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『神戸の街づくりについて』

神戸の街づくりについて言うと、日経新聞の論説委員で、井尻 千男さんという方が「街は、文化都市はベットとショップだけでは成立しない」と言われていますが、全くそのとおりだと思うんです。
ベッドタウンとショッピングセンタ-だけつくれば街は文化的になるなんてとんでもない話なんです。生活の価値観の洗練された人たちが集まっていて、この人たちが「人が人を呼んでくる」というしかけをつくらないといけないと思うんですね。神戸の復興については、そういうことについて何も考えられていないのではないかと思います。
街づくりにとって大切なのは、まず「箱づくり」なんですね。土木家に100万円支払う代わりに建築家に100万円支払っていいデザインいい設計の建物をつくってください。30年でつぶしたくなるような行政の建て物なんかがいっぱいできてしまうと、神戸という街は全然魅力のない一地方都市に成り下がってしまいます。
建築家を起用して、いま日本一活気のある街というのは、福岡なんですね。福岡は行政が出て来る前に福岡地所の榎本 一彦さんという社長さんがディベロッパ-の中心にいて、建築家にいろいろな面白い建物を建てさせたんですね。これが街の魅力になって面白い建て物だから、おもしろい業界人が集まって来て、研究家が集まって来て、文化人が集まって来て、これが核になって、また福岡が面白くなっていく。
こういうしかけをなぜ今神戸がしないんだろうというのが、ヨ-ロッパから帰ってきた人間の切実に訴えたいところなんです。職住一体型の街づくりもそうなんですね。長田にしても、靴作りの職人さんなど、あれだけ情熱を持った人たちがいるんだから、もっと粋な、もっと素晴らしいマ-ケティングができるのではないかと思うんですができていない。
そんなこんなしているうちに最初に言った、大量生産・大量消費に流れていってしまって、最後は価格競争しか残らないということになってしまいますと「我々が本当に生き残っていけるのか」と思ってしまいます。
おもしろい人間がおもしろい人間を誘い込むような街づくりがかぎだと思います。そのために、頭を少し先に持って行って、過去を、現状を復帰するんではなくて、復興に関してはバック・トゥー・ザ・フューチャーだとあの日から言い続けているんですが、そっちの方向に持っていきたいなと思います。

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長田に「川島酒店」という最高におしゃれなお店があるんです。震災前は酒屋さんだったんですが、震災後酒屋だけではやっていけないんで、ワインを仕入れながら、奥さんが値段は安いけれど味だけは最高という手料理を作ってされています。本当の仮設で、テ-ブルクロスもないテーブルの上にステンレスのナイフとフォ-クが置いてある。そこに、写真家とか、粋な人たちが夜な夜な集まりだしまして、ハ-ドでも何でもない、そこのご主人の意気込みと感性にあった人たちが集まってワインを楽しもうというスポット「長田のビストロ」ですね。
こんなものが街のイメ-ジとしては文化であって、オシャレであって、シック・シンプルであって、ケバケバしていなくてもおもしろい粋なスポットができるよ、本物の豊かさとは何かといういい事例だといえると思います。

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『ホンモノの豊かさを実現するために』

最初に文化の話をして、ライフスタイル、生活価値ということを話してきましたが「ホンモノの豊かさ」を実現するためには、我々の生活価値観が洗練されてくることが大切です。誰が考えてもこれだけは必要かなというキ-ワ-ドを整理すると、新しい生活価値創造のゴ-ルデンル-ルというのは[W・A・V・E・S]になります。
これは、私がすでに提案して、兵庫県の生活審議会の方で採用になっています。

Well-being of Individuals(個人的豊かさの実現)
資本主義の豊かさというのはWealth(富) という言葉で表されるんですが、これではだめだということで厚生経済学でWealth(富)からWelfare(福祉)へということを盛んに言い出してくるんです。
ところが福祉ばかり片寄ってやっていきますと、スウェーデンのように、税金ばかり多くなって、年金制度も回らなくなってしまいます。経済活動の富と福祉のバランスを取るということが大切になってくるんです。日本の場合は、みんな一緒に貧しくなったのが戦後だとすると、いままでは集団で豊かになろうとしてきたんですね。
個人とか、家庭の豊かさといっても、エゴイステックというだけではなく、ゆとりが出てきたときに、社会に対して私はどう貢献していくんだという市民像が出てくるんです。
これがActiv Citizenship(主体的能動的社会参加)です。社会とか地域のボランティアとか共生とかという言葉があまりにも多く使われていますが、ちゃんと理解して言っている人が少ないように思います。PTAの廃品回収運動も、実際はノルマみたいになってしまっている。「私は余裕として社会に何ができるのか」ということが大切なんですね。

Value in Culture(文化的価値の洗練)
文化というのは守るべきものだと思うものではなしに「まだまだだ、もっとよくなっていくんだ」とみんなで磨いていくことで世の中の文化が洗練されていく。文化を磨いていくということ。そして、非常に大切なことで日本人に徹底して欠落しているのが次の環境への配慮です。

Earth Consciousness(地球意識の情勢)
エコノミ-に対してのエコロジ-を対立構造に持っていくというのはあまり得策ではないと思います。消費者だけでなく企業に対しても地球を意識して生産しましょう消費しましょう、と両方にわかってもらうためにエコロジ-という言葉ではなくア-ス・コンシャスネスという言葉に表現を変えています。

Safe & Security(安全・安心への配慮)
我々地震を体験しています。いろいろな問題が見えてきました。我々が育むべき問題であるといえます。

私たちがいままで思い込みすぎている「物のあることが豊かさ」とか「豊かであるということはお金だ」とか思っている人もいらっしゃるのですが、本当の豊かさというのは我々自身の価値観の部分から変えていく、洗練させていくということが、本当の豊かさに繋がっていくのではないかということで私の話を終わります。

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Profile

吉田 順一(よしだ じゅんいち)さん<社会・経済学博士>

吉田 順一(よしだ じゅんいち)さん
<社会・経済学博士>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1953年大阪市生まれ。オ-ストリア国立ウイ-ン経済大学博士課程修了。社会・経済科学博士。流通科学大学助教授を経て、95年4月から神戸大学経営学部教授。開拓分野は消費文化分析(マクロ・マ-ケティング)。76年から16年間、オ-ストリアに在留し、ヨ-ロッパ文化に精通した異才の国際派研究者として、講演、新聞、雑誌記事の執筆、テレビ出演などを含め、多角的に活躍中。著書にはウイ-ンで出版された“productinnovation in Japan ”(日本商業学会奨励賞受賞)『マ-ケティング理論への挑戦』(共訳 東洋経済新報社)などがある。

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