神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「ルミナリエ ~光の祝祭芸術~」



<第1部>

皆さんこんにちは。
「黄昏や鳥は夜明けを告げる」
「太陽は真夜中に再び輝く」

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これらは、どんな言葉や長いスピーチよりも私の心を端的に表している日本の詩です。
昨夜、神戸にルミナリエの灯が点きました。私は20年来、全世界で祝祭を司る仕事をしています。ルミナリエは中世都市ボローニャから始まり、ヨーロッパから神戸にたどり着きました。1995年、1996年、そして今年で3年目になりますが、神戸でルミナリエを点灯する時ほどの感動は、ほかのどんな街にもなかったように思います。
今回、私は祝祭芸術についてお話をするために招かれました。私にとってルミナリエとは何か、歴史の中でのルミナリエの変遷、特に祝祭の「光」についてお話したいと思います。

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光の祝祭芸術・発生と歴史

ルネッサンス時代に、イタリアでは宮殿で祝祭芸術が生まれました。光と火が、この芸術の素材であり、伝達手段でありました。この時代は3日に1度は祭りで、(宗教的な意味での)祭りがあると、人々は広場や宮廷に集まり、独特の記念式典や出し物が行われ、素晴らしいイベントや大掛かりな装置で、見たこともないような幻覚を見せていました。それは決して遊びでやっていたのではなく、光や火を使って、もうひとつの世界を試していたのです。
神戸ルミナリエの光は、震災の後での「希望の光」「未来への光」「喜びの光」となりました。神戸こそ「再生したい」と人々が願って止まない都市なのです。死の後の生命、破壊の後の構築のように……。
では、どうしてルネッサンスから話し始めるのかと言えば、ダヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどの芸術の中から、人は感じ取り、見つめ、自分を表現しています。ルネッサンス時代からインスピレーションが与えられるからなのです。

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ルネッサンス時代は「人々が自然や時間に恐怖を持たなくなった時代・人工的にものを作ることができると確信した時代」と言われています。模造・人工的というのは人間の技そのもので、自然を模造する光や火を祝祭芸術の中で再生するのです。
祝祭芸術家であるダヴィンチ、フルネレスキ、ベルニーニなどは驚きに満ちた模造の世界を作りました。ダヴィンチは光・火・水・人工的な自然を使った自然の再構築をし、人々はそれに魅せられました。ベルニーニは祝祭芸術の最前線に立って、葬式の柩のプロジェクトに、600以上の光を使って表現しました。1687年にはローマで、フランスのルイ14世の健康回復を祈り、ピンチョの公園に数万個以上のレモンやオレンジを飾り、その間に光のオーナメントを組み合わせました。
バロック時代は祝祭芸術の時代でした。都市の空間に、終わりなき幻想を演出していました。その当時、アーティストと大衆の間に溝はありませんでした。現代ファッション界の、デザイナーと消費者の関係に似ていたと言えます。
17世紀には天文学の研究が盛んでした。この時代は、宇宙という概念が高まり、人々の目は遠くへ向くようになりました。人々は観察し、知識の限界を打ち破り、精神世界やイリュージョン、マジック、バーチャルな世界という概念が広がりました。中国で生まれた花火がヨーロッパに伝えられ、バロック時代には、花火が祝祭芸術の中で利用されるようになりました。祭りの当日の夜明けに熱狂的に花火を打ち上げ、祭りの終わりに「さようなら、また来年お会いしましょう」と打ち上げるのです。武器となるものが、喜びをもたらすものに変身し、花火は“喜びの火”と呼ばれていました。
花火は南イタリアでは“爆発音”と呼ばれています。スペインでは昼間に打ち上げられます。これらは花火の音だけを利用したものです。
南イタリアの祭りの中で、祝祭記念日にルミナリエを点灯し、中心広場に作られたカサアルモニカで音楽が演奏されます。最終日、花火とともに祭りが終了します。 花火がなぜ祝祭芸術に取り入れられたかというと、花火は地上から打ち上げて爆発音で人々を驚かせ、夜空を彩ることができるからです。仕掛け花火が盛んになるにつれ、花火の仕掛けはより複雑になっていきました。
17世紀にはボローニャ、ベネチア、フィレンツェなどの街の花火の芸術家たちが、パリやロンドンに招かれました。バロック時代は、異なった言語が出会い、交錯された実験の世紀でした。
1749年に初めて、ヘンデルが王宮の花火に合わせて音楽を演奏しました。色彩と音楽をともなう花火が、初めて打ち上げられたのです。

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19世紀は花火の栄光の時代でした。ドイツ、フランス、イタリアでは花火の知識を教える国立学校が創設されました。
また、公共設備などが整備され、アミューズメントパークが作られていきました。レジャーという楽しみが生まれ、都市の中の「境界線」と呼ばれるグリーン地帯には、公園がどんどん作られていきました。これらの公園ではより複雑な花火が行われ、花火のスペクタクルの時代を迎えていました。規模やデザイン、効果なども確立されてきました。
20世紀に入ると、公共安全の問題や環境、都市の規制、さらに一般大衆の好みの変化などの理由で、花火は衰退していきました。一般大衆的コミュニケーションとしての映画が出現し、花火のスペクタクルは忘れ去られていったのです。
花火は芸術の域を抜け出て行き地方に追いやられ、マイナーな技術の実験となっていきました。職人たちのファミリーは代々その技術を伝えてきましたが、花火の作者が誰かなどということは問題にされなくなりました。
ルミナリエは都市から離れた文化圏に移っていき、作者の価値は失われ、南イタリアの伝統としてのみ残りました。プーリア州プーリア地方の職人たちがガレリアやフロントーネなどのルミナリエを作り続けていました。バロック時代に地中海から伝わってきたアラブ模様の影響を受けた“アラベスク模様”は、東洋的な印象を感じます。
ルミナリエはイメージであり、天然の人工の素材の色で、夜空にキャンバスを広げ、デザインとカラーを大事にした、一枚一枚の絵なのです。
ルミナリエ伝統はファミリーという形態をとって、父から子へと伝えられ、細々と現在に残りました。技術の進歩で火からガス、そして電気(電球)へと変化していき、より耐久力が高まり、ポールを塗り分けたり、電球に色をつけてカラフルにするなど工夫がされました。
ルミナリエは、一言で言えば祝祭での大規模な演出です。ルネッサンス時代はお城の周りやアーチ、道路などを光で覆って祝祭のシーンの演出として、暗くなっても見ることのできる“夜中の太陽”となったのです。石造りの建築物を2倍にふくらんで見えるような演出を施し、祭りの数日間、街の外観はすっかり変わり、日常の都市に新たなビジョンが生まれます。イリュージョンに明かりを灯して幻覚を生じさせ、祭りの期間中、見たこともない街が生まれるのです。

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神戸ルミナリエ・その意義と芸術性

『真夜中の太陽』
それは1997年の光に輝く神戸のルミナリエそのものです。皆で生きているという魅惑的なハプニング。期間中は、私にとって特別な日です。私の周りが、シンボル・記号・意味・メッセージに満ちた日々となるからです。そこに生きる人々にとっての意味を内包するべき祝祭芸術「神戸ルミナリエ」は、そのシンボルを信じています。
ヨーロッパでは、12月13日は聖サンタ・ルチアの日です。この聖女は視力を失いますが、祈りによって完全な視力を得ました。ですから、サンタ・ルチアは光の祭りであり、輝きの祭りであります。この日の夜は闇を打ち砕き、この世の向こうを見る祭り。夜を照らす火と光の儀式として、大都市から離れた限られた地域でのみ、生き続けています。

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『真夜中に再び輝く太陽』
昼は光の時、夜は闇の時です。古代から、聖書などの再生の時には“光”が必ず出て来ます。神は第一声で、最初に光から闇を取り昼と夜を分け、命のないものと命とを分けたのです。光と闇は、生と死、善と悪、動と静を表しています。
人間は自然と世界、森羅万象を一体化させて、火や光の儀式を行ってきました。例えば「野焼き」などはどのような文化圏の国でも行われてきました。世代から世代へ、子孫繁栄、農村での飢饉や伝染病の危機を避けるための儀式として“火”を使いました。光と火は、命を与えるものなのです。
第2の意味は“不死”です。不死とはつまり、永遠、完全、超越性なのです。フェニックス(不死鳥)はいつも燃え続けています。彼女を燃やす火は、再生の火です。永遠に、死んでも再び火の中から生まれます。
神戸ルミナリエが点灯すると、多くの人々がひとつの方向に向かって歩き始めます。回廊に沿って東遊園地に向かって西から東へ。朝日が昇る方向に向かっているのです。教会では、全ての門が西向きで祭壇が東向き。つまり朝日が昇る方向にあるのです。ヨーロッパは常に東を目指してきました。“日出ずる国”ここ日本で、私はその意義、“光”を見出しました。
それ以外でも、私は思いもよらなかったシンボルを見出しています。例えば、音楽。神戸ルミナリエの音楽は、グレゴリア聖歌をアレンジしたものです。これには多くの鐘が使われています。鐘の音は、祭礼では光とともに絶対的なシンボルだと思います。鐘は、日本においても意味のあるものです。また、旧居留地という、過去には外国人しか住めなかった街に、今ではたくさんの人が集まって理解を深めることができたということ。神戸ルミナリエには希望、喜び、未来への信頼、東西交流というシンボルがあり、再生する街のイメージや東洋と西洋の出会いを演出するのです。

『魅惑の広場』『太陽の回廊』 
四方が囲まれていて、パーフェクトな左右対称のイタリア・ルネッサンス風の広場を再現しました。ルミナリエの象徴は円であり、十字であり、正方形であります。この広場から、ルネッサンスの歩みが始まるのです。誰もが歩いてみたいと思うもの、“希望・復興・再生”をこの広場に込めているのです。

次に、東遊園地にある『アルカディア』についてお話します。アルカディアとは、理想的庭園を意味します。花壇のようなマテリアル、自然を人工荘厳な形に変えたいと思いました。光の支柱があり、光のボールをめぐらせた欄干があり、その上に花瓶がある。このオーナメントが神戸の夜空を明るく輝かせるのです。

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この夏は、パレルモでのペストを克服した聖女を祈っての祭りに、花火のコンサートを行いました。私の花火を使ったプロジェクトは、ルネッサンスとバロックの祝祭芸術のスペクタクルを意識して行っています。この場合、形、デザイン、カラー、花火の種類が問題になります。そして、音楽とともに花火を見せるのです。そして、前回はバロックのコンチェルトクロッソ、数多くの複雑な楽器を使い、光・色・音楽すべてを合わせて演奏するのです。音楽はベートーベンの第9を使用しました。ペストの蔓延を抑えた聖女のために、古い歴史を持つパレルモに、ペストの克服を祝ってパレードの後花火が打ち上げられます。空には見たこともない光が輝き、海にはその反射が映り、二重に輝くのです。光、音楽の総合芸術ということでは、花火は伝統的ルミナリエに似ているのです。
しかし20年ほど前、ルミナリエは風前の灯火となっていました。街のネオンサインがルミナリエを消滅させようとしていたのです。私は、祝祭芸術に忠実なルミナリエを復活させようと思いました。プーシリア地方の職人さんたちとともに、ロザーネ、ばら模様の窓、東洋的なインターシャなどの、東洋と西洋の文化を融合した歴史的デザインを発掘するという私の旅が始まったのです。
配色の落とし込みやガレリアの遠近などを計算し、職人との古式に沿った作業で、地上15メートルの高所で平然と作り上げていく木のポール、鉄のワイヤーで支柱を支える作業、木でできた軽量のフレームにサイズやカラーの違う電球を取りつけていくという、芸術と職人技の融合でルミナリエができあがっていくのです。
私はこの神戸で、新しい光、深い意義を見出しました。シンボルたちが成長して重要性を増し、そのシンボルを見つめ、博愛を願う人々がいる街があります。これは私にとって意外なことでした。“明日へ歩き始める”という、どの作品からも表現できない神戸ルミナリエの意義は、偉大な出会いであったし、あり続けると思います。
『大地の星たちに捧げる』が、今年の神戸ルミナリエのテーマです。星はバロックの魔法、魅惑、幻想なのです。星は神戸の土地から、そして震災の記憶から生まれるのです。また、光のシンボルであり、希望であり、喜びでもあります。『真夜中の太陽』が、旧居留地で輝きます。
これだけの規模と完成度の高いルミナリエが見られるのは、世界中でも神戸だけです。神戸よ、本当にありがとう。ひとりのアーティストとして、この様な素晴らしい体験をさせていただいたことに深く感謝しています。

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Profile

ヴァレリオ フェスティさん<ルミナリエ・アートディレクター>

ヴァレリオ フェスティさん
<ルミナリエ・アートディレクター>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
イタリア在住。1953年、ボローニャ生まれ。総合視覚芸術大学卒業後、ルミナリエをはじめ、バロックの祝祭の流れをくむ民衆の祭りを研究。テキサス州・ヒューストンに設置したルミナリエではアメリカ建築協会から賞が与えられている。1985年には祝祭の舞台芸術を研究・企画・プロデュースするためのアトリエを設立している。

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