神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 嶋本 昭三さん(前衛美術家/宝塚造形芸術大学教授/日本障害者芸術文化協会会長)
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「芸術とは、人を驚かせることである。」



<第1部>

フェリシモ:
皆さま、こんにちは。1月度神戸学校にご参加いただきまして、まことにありがとうございます。それでは開校にあたりまして、神戸学校の主旨を簡単に紹介させていただきます。この神戸学校は神戸に住む方々の震災の体験を不運なできごととしてとらえてしまうだけではなくて、それをよりいっそう素敵な未来を築くためのスタンとして残して行けたらという願いから神戸学校をスタートさせようという形になりました。我々フェリシモはダイレクト・マーケティングという事業を行っております。その気持ちを表現するにあたって私たちができることを考えた場合、皆さまにいままでに体験したことのないような素敵な出会いを提供していくこと、これが私たち神戸学校ができることではないかな、というふうに考えました。ですから、この神戸学校は皆さまと講師の方々との出会いの場であり、新しい考え方やライフスタイルの出会いの場であり、さらには未来との出会いの場であると考えております。参加してくださった皆さまが、より素敵な出会いを持っていただくこと、これが神戸学校の大きな目的にあります。それでは長くなりましたが、ただいまより1月度神戸学校を開催致します。このたびお招きいたしました講師は前衛芸術家であります「嶋本 昭三」先生です。嶋本先生は芸術家としてはもちろん、宝塚芸造形術大学美術学科教授、そして日本障害者芸術文化協会会長と、たくさんのお顔をお持ちです。先生の発信されるアートは日本にとどまらず世界でも大きな評価を得ておられます。本当に日本発、神戸発の世界へ、未来へという、これを体言されている先生だなあ、という印象を受けました。そして皆さまの目の前に神戸学校というロゴがありますけれども、こちらのほうも神戸学校事務局側のたっての願いで、先生にお願いして製作していただいたものなんです。そんな先生に今回は「芸術とは人を驚かせることである」ということをテーマにお話いただきます。先生の製作されるアートがどんな思いを込めて生まれているのか、また、そのアートに込められた心、そういうものを感じることにより私たちに新たな生活想像のアドバイスを与えてくださるのではないか、そんな思いがして、すごく楽しみになってきました。
それではお待たせ致しました。このたびの講師、嶋本 昭三先生をお招き致します。皆さま、拍手でお招き下さい。
(拍手)

嶋本さん:
皆さん、こんにちは。今日は現代美術の話をさせていただこうと思います。
私は「絵描き」です。よく「絵描きとは、何ぞや?」という質問をされることがありますが、私はそれを聞かれたときは「絵とは絵空事である」というふうに答えることにしています。それは私が勝手に決めたことで、それが正しいか正しくないか、別に何かの本に載っているわけではないんですけれども、永年絵を描いてまして、絵描きぐらい楽で、楽しくて、こんなありがたい職業はないと思うんですね。ただ、ありがたいだけでは申しわけないので、ひとつの特徴を充分生かして、何か世の中に役に立てばいいと、いうようなことも考えています。どういうことかと言いますと、私、絵描きになりましたけども、昔は中学校の美術教師をしてたんです。そうすると、体育大会の時、他の教師は白い体操服を着て、白い靴を履いて、白い帽子をかぶる。ところが、絵の教師だけはいつもの服で立っていられたんですね。「絵の教師だから仕方ない、許してやろう」というようなことがあるんですね。これがひとつの絵の特徴なんですね。

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しかし、そんな楽ばっかりするのが特徴でなくて、いろいろ職業がありますでしょ? それらの職業には、社会的通念というか、道徳というか、みな「きまり」があって、そういう中でちゃんと運営しているわけですね。何か新しいことをやろうと思った時に「おもしろい」ということだけでは行えないんです。例えば、フェリシモさんが新しい製品をつくろうということになったとしても、おもしろいけど原価がかかりすぎはしないだろうか、あるいは売り出したときにあまりのも変わりすぎていて一般にはわかりにくいのではないか、というようなことで新しいことを思いついても、いろいろな面をクリアにして、そうしてこれなら新しい製品は売れるだろう、じゃ、いこう。というようなことで一歩進んだことをやるわけですね。おもしろいけれど原価がかかり過ぎるとか、いろいろな条件をクリアして初めて実行することができる、それが社会の当たり前なんです。しかし、一歩進んだことをしたいと思った時に、いろいろな根回しが必要なのが社会の当たり前であるとしたら、私には窮屈で、何か住みにくいような感じがしてしまうんですね。何をしてもかまわない、おもしろいことを思いついたら根回しも何もしないでパーンと打ち出してしまうと、そういう職業があってもいいんではないか、それが絵描きなんです。絵描きというのは、絵を描く前に絵空事をする人なんです。絵空事というのは、普通はあんまりいい言葉として使われてませんけども、絵空事というのは思いついたら、それが10年先、あるいは100年先に実現するかもわからん、あるいは永久に実現しないかもわからない、そんなことでも思いついたらパーンと打ち出していくというようなね。社会のことを考えないでやる、もちろん、犯罪につながるようなことがあったりしたら、これはダメでしょうけど、そうでない限りは、何でも思いついたらほかの人に気兼ねなしでやる、いわゆる絵空事なんです。で、絵空事いうのは世間では「実現しないこと」で、どちらかと言うとあまりいい言葉には使われてませんけども、そういうのをパーンと打ち出す中で「あっ、また絵描きが絵空事やっとる。あんなこと実現するはずがない」しかし、その通りにはいかんけど「おもしろい、ちょっと役に立つかもわからん、この点はいいかもわからん、ヒントになるぞ」というようなことで、ほかの職業の人の役に立つようなことをするのが、ぼくは絵描きだと思うんです。
「絵描きとは何ぞや?」「絵空事をする人である」というふうに、ぼくは考えてます。

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私の頭について

ます私が頭を剃っていることについて話します。
私は頭を剃っていますけども、宗教の人でもなんでもありません。11年前から私は世界と郵便物でアートを交換するメールアートをしているんです。文通かと思われる人がいますが、そうじゃないんです。絵に限ったことではないんですが、一ヵ所に集めて展覧会ばかりをしていると「一番高く売れるのはこれだ」と金銭的な価値をつけ出すんですね。価値をつけることはいいことですよ。ところが価値を付けだすと、今度は裏工作「あの人、一等くれそうやさかい仲ようしといたほうがいいよ」とかね。どんな世界でも裏工作が出たり、いろいろあるわけですね。そこで、先進国の中に、それを嫌がる人がずいぶん出てきまして、好きな者同士で絵を交換しようやないかというので生まれたのがこの「メールアート」なんです。
私が始めたのはかなり遅くて1976年なんですけども、メールアート宣言がでたのが1962年で、ほとんど海外の人が中心でやってたんですね。そういうことを知らないでたまたま世界中に出したところ日本人ということでめずらしい参加者であったこともあり、年間60ヵ国の人から8000通ぐらいのアートが送ってくるようになりました。何もせんかったら送ってきません。私が送るから送ってくるわけで、同じぐらい送って同じぐらいもらってたんですね。その時にちょうど大阪で「姉妹都市祭り」をやろうという機運があって、大阪市長から「あなたはメールアートとかいうおもしろいやり取りを世界中としているそうだから、いろいろな人に声がけをしてもらえませんか」と言うから、引き受けまして、ミラノからカベリーニというおもしろい、それこそ「絵空事の最たる人」を呼ぶことになったんですね。そしたら、大阪市の関係者が「その人の履歴書がほしい」などと言うんです。「大天才に履歴書出してくれなんて言うたら、えらい怒りますよ」と言ったんですが、「とにかく呼んでください」というので「書いてください」と出したんです。そしたら、すんなり書いて送ってくれたんですわ。
その中には「私は大金持ちで、あるとき、文章を書いていると毛沢東が入ってきて『毛沢東語録を書いていたが半分で行き詰ってしまった。あなたは頭がいいから残りを書いてくれないか』と言われたので、残りは私が書いてやった」まだまだずーっと書いていて「アルタミラの洞窟の壁画を描いたのは私や」と書いてあるんです。結局カベリーニにしてみたら「オレのような偉い人に呼んだるさかいに履歴書出せ、というようなことは何とも失礼や」というようなことと「いままでの常識にこだわらんと何でもやる」と。事実カベリーニという人はメールアートを送ってるんですけど、誰に送ってるかというとレオナルド・ダ・ビンチに送ってるんです。「あなたのモナリザの絵はよくないね。私が目のところを直してあげておいたよ」とかね。こんな手紙をどこに投函したんか、どうやって届けたんか知りませんけど。有名なゴッホにも出してましたし、そういうのをずーっとやってるんです。世間の常識からして、メールアートを送りなさいと言うたら、普通の人なら宛名がはっきりしてる人ということにこだわってしまうんやけど、カベリーニはそういうことにこだわらない人なんです。「いかさま師じゃないですか」とひと悶着ありましたけど来てもらったんです。

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カベリーニは、信者ではないのによくキリストの絵を描いてるんです。その理由が「私は人より考えが100年進み過ぎたために、ほとんどの人から理解されない。それはキリストと同じだ」と言うんです。「私が死んだ後、いろいろな私に関しての伝記が書かれるに違いないが、間違ったことが書かれないように『自の記録』を書いておかなければ」と言って、壁とか洋服とか女性の体とかあらゆるものに書くんですね。そこで「カベリーニさん、坊主の頭に書いたことあるか?」と言うたら「いや、それはない。ぜひ書きたい」というので、大阪市の四天王寺のいちばん位の高い住職さんに会いまして「カベリーニがあなたの頭に書くと言うてるので書かしてください」と頼みましたら、えらい怒られましてね(笑)。「ほんなら私の頭を剃ってください。いちばんいい袈裟を着せてください。で、カベリーニさんに書いてもらいます」って頼んだんです。そうすると住職は「ここは理髪店と違うんですよ。ここで剃るというのは、得道というて、これからよい行いをしたり、修行をしたりというときに限って、そういうことをするのであって、あなたはそういう気持ちはあるんですか?」って言うから「いや、まったくありません」「ほんなら、ダメや」と断られてたんですが、結局剃ってもらえて袈裟(けさ)も着させてもらえました。
その頭にカベリーニが伝記を書いて、そのまま「姉妹都市祭り」に出かけたんです。手洗いに入りまして頭に書いてるのを落とそうとしたら油性のマジックなので消えなくて。「うわ~、せっかく書いてもらったのにえらいときにえらい格好になって、今日はついてないなあ」と思って、いじけて隅のほうで食べてたんです。そしたら、サンパウロのサンバの美人やサンフランシスコから来た美人が私の頭を見つけてやって来て「一緒に写真撮らしてください」と言うんですよ。いまから11年前で58歳、58歳になって初めて美人の方から「一緒に写真撮らしてください」と言われました。それで友人に「どや、モテるやろ」というたら「誤解したらアカン。それはモテてるんじゃなくて、ウケてるんだ」って言われたんですが、私はひとつ考えたんです。いままで、自分の考えを紙に書いて印刷して配ったりしていたんだけれど、ほとんどの人は読んでくれなかった。ところが、頭に『平和』とか書けば、尊敬されるか軽蔑されるかはわからないけれど「頭に平和って書いている変な人がいた」とか言うて、少なくとも伝達ができるんですよ。紙代も要りませんねん。これからはこれをやろうと思って、家に帰ってアトリエへ行くと、妻が私の顔を見るなり「初めまして」って言うんですよ。ほんで、しばらくしてから自分の夫であることに気が付いて「あんた! 何ちゅう格好、何でも好きなことしたらええけど、頭まで剃らなくてもええでしょう」なんて言うて、えらく怒られたんで、そのときは「夫婦仲を悪くしてまで坊主になることはないかな」と思ってたんです。そしたら、ちょうどそのときにパリのポンピドゥーセンターで「日本の前衛展」であなたが選ばれましたという連絡があって、フランスへ行ったんです。絵描き、彫刻家、写真家、ファッション関係という、何十人かが選ばれて、その年の年末に向こうで展覧会が開かれたんです。

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メールアートの仲間に会って、頭に落書きをしてもらったままパ-ティ-に出席しようとしたら、そうすると日本の芸術家に会ったんです。私の頭を見るなり「おまえ、何ちゅうことしてんねん」と言うから「いや、これがぼくの芸術や」と言うたら「そんな失礼な格好をしていたらつまみだされるよ」言われてね。しかし、いまさら引っ込むわけにもいかんし、そのときになればなったときのことやと思って行ったんです。ちょうど入り口のところにいたフランスの文化大臣が、私の頭を見るなり「これが新しい芸術だ!」とか賞賛してくれて、その写真が『ニューヨーク・ヘラルド』や『フォーカス』に載って、それ以来「おもしろい」と言われだしたんです。外国で認められると、帰国したら「君のあれおもしろいね」という人がいるんで、集まってもらってスライドを写し始めると、おもしろくないのか嫌な顔をする人がいるんですね。「しまった!」と思って、趣向を変えて「今日は私の頭にスライドを写すんです。見てください」と言って写すと、大拍手で「もう一度写してくれ」とか「これこそ芸術だ!」と有名になったんです。
私、芸術やって有名にもなったことがあるんですけど、みんなね、私の考えたんと違うんです。みんな偶然なんです。いろいろやってる中で偶然が教えてくれるんです。そやからぼくはこの頭に写せばええということを、ぼくがぼくの頭を見て考えたんと違うんです。かってに大爆笑するから、まるで自分が知ってたような顔して「じゃ、今度はこんな方法で頭を動かしてみましょう」とかね。で、そのようなことがありまして、これはおもしろいらしいというので、すぐ記録にとってもらって、アメリカに送ったんです。ちょうどぼく、アメリカを回るついでがあったんです。そうするとアメリカ人はおもしろいらしいというので、スライドをつくって待ってると、あるところでは8㎜映画で待っているというようなことでアメリカを回るようなことになったんですけどね。ぼくのアートの中のひとつに剃った頭というのがありましてね。これはたくさんの中のひとつなんです。ぼくの頭を世界中に送って書いてもらうんですけども、これまたおもしろいのはね、メールアートですから送ってもらいやすいものもあれば、もらいにくいものもあるんです。例えば、人生の意義について送ってくれないかなんて言うたら、なかなか大変やから送ってくれません。で、私の頭の写真を送って、その中に何でもいいから書いて送ってくださいとか、この嶋本 昭三の頭の上には何が存在するかというようなね、哲学的ですけど書く人にとっては何でもないから、いたずら書きみたいに、いっぱいして送ってくるわけですね。そういうのがたくさん送ってくるようになったんです。で、またおもしろいのは、計算外のことがあるのは、今度はよその人が、アメリカ人が、世界中にぼくに断りもなく嶋本 昭三の頭はおもしろいから送ろうといって、自分とこに集めてるんです。今度はそれをもらったオランダ人が私の頭の中に、また私の頭を描いて「おもしろいから送り返してくれ」というのをつくって、私の所へ来てるんです。「おもしろいからお前も参加せえへんか」言うてるんです。何か見たことあるなあと思ったら自分の頭なんですね。これがメールアートの気楽さというか、ネットワークの本質なんです。あまり深刻に考えへんのです。
だから私の絵空事の中のひとつに頭があるんですけども、しかし初めに観念的に計画して、考えて、こうすれば成功する、こうしたらダメやというのを考えるんじゃなくて、進んでるうちに失敗したやつは消えてしまうし、おもしろいのは増殖するし、というようなことで、考えるのが私の芸術ですね。

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メールアートの効果的な広がり

あるとき私のアトリエに人が来たというんで玄関に出ますと、インディアンが立っているんです。「私はナホバ族であり、世界中の人間を救いたいと思っている。白人は知恵を、黒人は素晴らしい肉体を、東洋人はやさしい心を、そして我々インディアンは魂を持っている。その中で魂がいちばん薄いのは白人である。その白人を救うためにロンドンからモスクワまで意義のある道を走ろう、どういう道がいいだろうかと思っていたら、預言者に『日本にいる「嶋本 昭三」という人に会って聞きなさい』と言われたので来た。あなたはメールアートというものをしていて世界中の人と友だちだから、その人たちに意義のある道を聞いてくれ」というのです。
以前インディアンの講演会に行ったことがあるんです。ホピ族の予言という話を聞きに行ったことがありましてね。そのホピ族というのは米国と戦争状態の種族で、草も生えないところに追いやられたんですが、皮肉にもその土地からウランが出たんです。アメリカ政府が土地を掘り起こすように言ったのですが、ホピ族の予言で「この土地を掘り起こしてはいけない」というのがあるんですが、アルバイト賃が欲しい人が露天掘りで掘り起こしてしまって被爆したんです。ところが酋長は「私は被爆してもアメリカ政府に補償を求めない。アメリカ人はGODのことをGOLDと勘違いしているかわいそうな人たちなのだ」と言ったというんですね。
アメリカは1972年にウランを手に入れようと戦車でホピ族の土地を囲んだんですが、酋長のデニス・バンクスは掘らせなかったんです。「前は騙されて原爆の材料を自分たちの土地から掘ってしまった。こんな恥ずかしいことはない」と。その時にアカデミー賞を受賞しに行こうとしていたマーロン・ブランドが、テレビを見たらそのことが写っていて驚き「賞は要りません。こんなひどいアメリカからもらうのは恥だ」と言ったという。

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まあそれはそれとして、「このインディアンと一緒に走ろうかな」という気になったんです。しかしインディアンの考え方は日本人が計り知れないぐらいものがありました。イギリスからフランス、西ベルリンまで来た時にお金も食料もなくなってしまってこれからどうしよう。「ここで中止しようか」ということになって、明日の朝に決論を出そうということになったんですが、翌朝の第一声は「皆さん、来年は北米のアラスカから南米のパタゴニアまで走りましょう」というんです。「昨日の件は?」と聞くと「ああ、そのことですか。今日は何も食べないで走りましょう」と、1時間後に走り出したんです。
大変やったんですけども、「案ずるより産むが易し」というのはこのことなのか、東側諸国は貧しい国なんですが、エンターテイメントもない社会なので、何ヵ月も前からインディアンが走ってくるのを楽しみに待っていてくれたんです。すごく歓迎されて、貧しいと言ってもパンやチーズのひとかけぐらいは持って来てもらえたので食べることに不自由することはなかったのです。 こういうことをしている中で、日本人の四角四面の「一分も遅れない」とかいう性格と、食べるものがないなら食べないで、1日でも2日でも走っていればいいんだ、という考え方の違いというものにふれて、とても勉強になりました。
そうして日本に帰ってくると電話がかかってきて「すごい人が行くので全ての新聞社、TV局を集めておくように」と言うんです。
すごい人というのは、バーン・ポーターという人なんです。調べてみますと、広島に落した原爆を作った人なんです。バーン・ポーターは日本に落とすためではなく、実験のフィルムを天皇に送って「こんなすごい威力のある兵器を持っている国と戦うのはやめなさい。終戦しましょう」という目的のために原爆を作ったんですが、それが広島と長崎に落とされた。そのことを知った日から物理学者をやめてメールアーティストになって、世界中を回って自分の罪の償いをして歩いている人なのです。
「私は日本のメールアーティストである嶋本 昭三氏にお願いがあってきました。世界を『平和』にできるのは嶋本 昭三さんあなたしかいない。メールアートで世界が平和にできる。世界平和のために是非貢献してほしい」と頼まれたんです。 最初はビックリして断ったんですが、何かとても気にかかって、翌年にアメリカへ訪ねて行って詳しく話を聞いて、メールアートにそれだけの力があるのかどうかわかりませんが、『平和』のメールアートをぼつぼつ始めているというところです。

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メールアートを始めたのは

私はメールアートをしているおかげで世界中の人と知り合えることができます。メールアートをするようになったきっかけについてお話しますと、私は美術学校に行きたかったんですが「美術なんかして何になるんだ!」と親に反対されて、1947年に関西学院大学の本科に行くことになったんです。遠縁に当たる人が理工科の部長をしているので「あいさつに行きなさい」と親に言われて家に行ったんです。そこの娘さんが絵描きで、10号(163センチ)ぐらいの大きさの、その娘さんが書いた絵がかかっていたんです。女の人が裸体で空を歩いている絵でした。 私は「この人落ちないんですか?」と聞いたんです。 するとその娘さんが「昭三さん、絵は自分の夢を描くものだから物理的におかしくても構わないのよ」と言ったんです。「自由なんですね。明日から僕は絵描きになります。教えてください」と言うと「そんなに甘いものではないんですよ」と言われたんですが「どうしても」という熱に押されたのか……。 「自由な絵を描いている吉原 治良という日本ではあまり知られてはいないけれど、世界的な人を紹介します」と言って紹介してくれたんです。『吉原製油』の先代になる人なんですね。
紹介してもらって、最初に「世界で誰もやったことがないようなことができるなら弟子にしてやろう」と言われたんです。私は「やります」と言い切って、毎日絵を描いて持って行くとドアから顔を半分だけ出してチラッと私の絵を見るだけで「オーストリアの誰々の絵に似ている」と、来る日も来る日も「だめ」と言われるんです。その当時の僕には買えないような、高価な外国の雑誌のこのページに出ている絵に似ているとか言われたりもするんです。 「お前は、偉そうに世界の誰もがやったことがないようなことをやると言ったのにできないじゃないか。もうやめろ!」と言われたので「任せてください。来週はきっと持ってきます。もう一度だけお願いします」と頼み込んで帰ったんです。 その当時の私は貧しくて、大きなキャンバスを買うお金がなかったので、木の枠に新聞紙を貼ってその上にメリケン粉を炊いたものを塗りつけて、白いペンキを塗ってキャンバスの代わりにしていたんです。

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毎日描き続けて、あと3日しかない時、紙がぬれたまま急いで描いていたので穴が開いてしまったんです。その時「穴の開いた絵なんか世界中にないんでは?」と思いました。
大八車に100号の絵を5~6枚積んで先生のところに行くと、いつもは顔を半分だけ出して「だめだ!」とピシャと閉める戸を開けて「お前は天才だ! まぁ入れ」と言って、中に入れてくれて、お茶と羊羮を出してくれたんです。「この絵は世界的なものになる」と言ってくれました。今、東京・大阪・芦屋の美術館にあるのはその時の絵なんです。そして先生は「ただし、誰にも見せない方がいい。この絵をほめるのは、いまのところ日本では私ひとりだけだろう」と言われました。 私はとてもうれしくなって、吉原先生だけでなく他の人にもほめてもらいたいと思って、有名な画家に見せたところ「これが絵だと? 絵以前の問題だ!」と笑われたんです。「先生ただひとりだけにほめられるのはあまりにも寂しいです」と言うと「それじゃあ印刷して世界中に送ろう」ということになって、木の枠でできた凸版みたいなもので、何年もかかって本にしたんです。 1954年1月1日にできあがりました。800部作って、世界中の美術館や画廊に500部、その内の80部を欧米に、日本の美術館に300部送りました。日本の美術館からは一通も返事が来なかったんですが、欧米からは返事が来て「すぐに見たい。」と言ってきたんです。 そして、パリの美術館に絵が売れたんです。日本では「おもしろい」という返事さえなかった絵が……。 それからは作品ができるとメールアートで世界に送るようになったんです。

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欧米的思考・東洋的思考

日本と欧米の考え方はかなり違いがあって、そのことは絵とか芸術に関してだけではなく、すべてのことについて言えると思います。 私は作品ができると先にメールアートで海外に送ります。欧米では「おもしろい」と歓迎される私の絵ですが、日本ではあまり評価されることがなかったからです。世界で高い評価をされるようになったら、日本人が「すごい」と評価してくれるようになったんです。で、根本的にどこが違うかというと欧米と日本(東洋)の思考の仕方には、医学で言うと研究医と臨床医に例えることができるんです。 日本人は99%臨床医的な考え方で「見てきれいな絵を描く人」を大切にするんです。それは病気になった時、親切に治してくれる医者です。それも大切なんですが、新しい病気が出てきた時にそれに対応する試験管で病原菌を研究する医者も大切なんですね。それがヨーロッパ、アメリカはこっちのほうに力を入れるんです。
絵の世界でも同じことが言えるんです。新しいものが出た時に、新しいものを取り入れて、どんどん研究していくということに欧米人は、とても力を入れているのに対して、日本人というか東洋人はきれいな絵を描く人ばかり、つまり臨床医ばかりを重要視して、ほとんど研究医という新しい芸術を大切にしてこなかった。 ところが吉原 治良という人だけは「欧米人がやったことのないことをやれ!」と言って徹底して新しいアートに取り組んでいったのです。その新しいアートに取り組んだのが具体美術なんです。戦後アメリカやヨーロッパに具体美術が広まったんですが、我々が始めた方がもっと古かったんです。なぜ日本にそんなに古くから具体美術があったのかということは世界中から興味が持たれているんですが、それは吉原先生という天才画家が我々弟子を指導してくれたおかげだといえます。
また、私事ですけど、2月5日からロサンゼルスの現代美術館で全館を使って今世紀最大といわれる展覧会を催します。それが終われば、数年かかって世界中を周るんです。日本は2001年ぐらいにすると言うてました。それぐらい大掛かりの展覧会をやるんですけども、皆吉原先生の弟子たちだけが招待されているんです。日本の『具体』のグループの画家は、世界ではものすごく高い評価を受けているのに、日本の国内ではあまり評価されていないという現実があるのです。

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何でそういう現象があるかといいますと、ヨーロッパとアジアと比べて見ますと、例外はあるとしてアジアは雨がよく降って暖かいんですね。極端に言うたらほっといても木が生えて実がなる土地なんです。ヨーロッパというのは寒くてほっといたら全部枯れてしまう所なんです。だから全然考え方が違うわけですね。その辺はおいといて、根本的なとこだけ話しましとヨーロッパ人がシルクロードを通って、物々交換しますね、そのときにアジアはなんぼでも実がなる、でも向こうはつくらんとないんです。そしたらどうするかいうたら、付加価値を付けないとダメなんです。そやから「これはすごいもんですよ」と言わないとヨーロッパ人はたちうちできない。というので、何でもいいから新しいものをつくり出せという習慣がヨーロッパ全体にあるんです。だから、俗っぽいですけど、中華料理とフランス料理があるとしますね、そうすると中華料理のほうが種類が多いんです。料理のための工夫していることもすごい。材料もすごく多い。ところが付加価値を付ける力がない。付加価値というのは「これは水です」と言うたらただの水ですけど「これは南極の氷を溶かしたものなんです」と言うたら高く売れるんですね。そういうのを上手に言うのはヨーロッパ人なんです。で、そういうのが絵の世界でもありまして、本来なら中国というのは、すごい絵を描いてるんです。付加価値を付けるのが下手なんです。私、あるとき印象派美術館に行きまして話を聞いてますと「バロックロココ時代は有名なきれいな服を着飾って、きれいな庭で、園遊会をやってるところが絵になっておりました。ところがマネとかモネは人物を取っ払って、風景だけを描いたんです。自然だけを前に持ってきたという例は初めてなんですよ」と言うてるわけですね。ところが中国では昔から山水画もあるし、日本にも山水画は昔からあるんです。ところが付加価値を付けないから、紀元前のもんでもたいしたことないんです。そういうふうに歴史的に段階にのってものを考えていくというのがヨーロッパ人なんです。ほんでうかうか我々も歴史的に考えんほうがいいというので、ヨーロッパ、アメリカよりも早く新しいことをやったんです。だからヨーロッパ、アメリカで毎年のように招待してくれて展覧会もしてくれるんです。日本ではさっぱりなんです。
以前ベルギーに招待された時に「嶋本さん、あなたはどこに住んでるんですか?」と言うから「西宮に住んでます」「あなたの美術館はどんな規模ですか?」と言うから「嶋本美術館はありません」と言うたら、むこうは「どうしてないんですか?」「つくってくれないからないんです」というようなことがあってね。もうひとつ「あなたはアトリエを何軒持ってますか?」「何軒も持ってません」言うたら「普通あなたぐらいになれば4~5件くれるはずです」と言うんです。これは、やはり文化に対してのヨーロッパ人と日本人の違いがあって、さっき言った研究医の方を重視していくヨーロッパと臨床医の方を重視していくアジアの違いなんです。このままで行くとますます日本は退化します。世界に通用しない、きれいな絵は日本人は器用やから描きます。ところがいまはコンピュータもあれば写真の技術も、あらゆるもんがあって、きれいに描くということはびっくりするようなことやないんです。きれいな絵がボタンひとつで描ける時代なんです。そればっかりやっているから日本は文化、特にアートの面では、ますます遅れていくんじゃないかと思って、あらゆる場面で声を大にしてるんですけど。かなり遠慮しながら言うてるんです。ほんまはもっと言いたいんですけどね。

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<第2部>

嶋本さん:
では私の頭に書いてやろうと思う人、挙手してください。

(男性1人、女性4人、こども1人)

絵でも文章でも、何でもいいから書いてください。

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(頭に書かれている間)

フェリシモ:
書かれているときはどんな気持ちなんですか?

嶋本さん:
慣れると、癖になります。
(会場笑)

(終了)

嶋本さん:
私ね、大学でも教えたりして、京都教育大学に行っている時に描いてもらうんですけど、落ちないから帽子被って帰るんです(笑)。で、京都から大阪まで阪急電車に乗りますと二人席なんですけど、あるとき、中年の男性が、後から来たくせにドンと酒くさいにおいさせながら座ったんです。今日は日が悪いなあと思いながら、ついうとうとと寝てしもたんです。ほんで、ふっと目が覚めて見たら横の男性が小さくなって座ってるんです。どうしたんやろ思ったら、寝ているうちに帽子脱いだんでしょうね。これは、頭に書いて寝てる人なんていうたら変質者ですわね(笑)。そやからえらいとこ座ったな思うて、小そうなっとたんや思いますけど。そんなこともありました。
(略)

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お客さまとのQ&A

お客さま:
先生の作品はどこに行けば拝見できるんですか?

嶋本さん:
近くですと兵庫県立現代美術館に大きな作品が7~8点あります。それから芦屋美術館、大阪府現代美術館、大阪市現代美術館というのが近くにあります。なんやったら私の家に来ていただいても結構です。

お客さま:
いま、頭に描かれているアートは何日ぐらいそのままにしておかれるんですか?

嶋本さん:
何日とはいきません。4時間ぐらい経ちますと簡単に落ちます。

お客さま:
アートの中で、いままでで特に印象深かったものは何ですか?

嶋本さん:
ちょっと違うかもしれませんけども、若くてきれいな女性が水着姿で私の上に乗った作品があるんです。実際には鉄棒がありまして、鉄棒にぶら下がりまして私が足を持ちまして、後ろから撮影するとおしりが乗るのがありまして、こういうのをメールアートで世界に送りますと「こんなおもしろいものは世界中にない」と言うような人も出てきたり、これを見て芸術家になった人もおりました。ところが実際やるのは大変苦しいんです。写真撮るのは30分以上かかりますから、ときどき、疲れたと思うとぼくの頭で休むんですよ(笑)。そうするとうれしいのと苦しいのが両方いっぺんにきます。そういう苦労話もあります。

お客さま:
メールアートについて、もう少し詳しく教えてください。

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嶋本さん:
メールアートネットワーカーというのがあるんです。それに入会してください。「世界からこんなん来ましたよ。あなたも送りませんか?」というようなことがあって、実際の内容がわかってくると思います。それもいいし、私の所に尋ねて来てください。これはタダです(笑)。

お客さま:
嶋本先生は西宮にお住まいということで、震災を体験されてますが、アトリエなどはどうだったんでしょうか? 大丈夫だったんでしょうか?

嶋本さん:
以前心筋梗塞になったことがあり、それで最初に病院に行く日が震災の日やったんです。で、友人がいまして、たまたま私と一緒に入ってたんが13階ですねん。朝早く診察があるからベッドで待ってたんです。そしたら地震が起こったんですけど、そのとき友人は廊下におったんです。ベッドはキャスターが付いてますので、ビュー、こっちへビュー、ほかの人は部屋の中でビュー、ビュー、ビュー、ビュー(あっちこっち行った様子)。その友人だけは廊下の端から端までビュー、ビュー、行ってね(笑)、非常に不謹慎ですけど笑いましたわ。その友人もユーモラスな人やから笑いましたけど。そういう笑うような経験がありまして、もちろん家もアトリエもむちゃくちゃになりましたけど、幸いなんとかそのまま使っております。

フェリシモ:
神戸学校というタイトルを製作していただいたということで、どういう思いを込めてつくられたのかをお教えください。

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嶋本さん:
よくこういうのを頼まれることがあるんですけれど、やはり私に頼んだということは、まともな字は期待されてないだろうと、おそらくいままでの常識とかそういうもんを外れた、何か新しいものを期待されているんじゃないかと考えまして書くんですけども。これは左で書いてみたり、筆でないもので書いてみたりして、たくさん失敗を出してという方法をつかっております。どうしてこんなんができたのかわからんようなやつをここへ提出しています。

フェリシモ:
最後に神戸に対するメッセージをお願いします。

嶋本さん:
もっと私を利用してくれたらいいと思うんですね。ところが日本人はどうしても臨床医的な発想になってしまう。臨床医的な発想から見ると私の絵はわけのわからん、変な絵なんですね。とこらが一方のほうで研究医の方ということになれば、アートヒストリーという本がありまして、世界中の有名な絵が出て来て大学の教科書にも使われてます。明治以降として代表になってるのは日本人で私ひとりなんです。この本は研究医として見てますから、私の考え方というのは、海外では高く評価されているんですけれども、臨床医的にみると「わけのわからん絵描き」ということになっています。そんな意味で私を利用して欲しいと思います。

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Profile

嶋本 昭三(しまもと しょうぞう)さん<前衛美術家/宝塚造形芸術大学教授/日本障害者芸術文化協会会長>

嶋本 昭三(しまもと しょうぞう)さん
<前衛美術家/宝塚造形芸術大学教授/日本障害者芸術文化協会会長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
西宮市在住。1928年生まれ。1949年ごろからパフォーマンス・アートを試み、1954年、前衛美術家グループ具体美術協会の創立メンバーとして、パリ・ポンピドゥーセンターに招かれる。大砲に絵の具を詰め、その爆発で絵を描く(1956年)など、多彩な活動を展開。1974年AU主宰。世界中のアーティストとメールアートネットワークを展開、アトリエをメール・アート美術館として解放している。1982年、フランスの百科事典「ラルーシュ」への掲載、1986年には、パリ・ポンピドーセンター企画の「日本の前衛展」に招待され、また1991年にはイタリアの美術雑誌『フラッシュアート』の表紙に自身の剃った頭のパフォーマンスが掲載されるなど海外でも高い評価を得ている。1996年、原子物理学者バーン・ボーダーよりノーベル平和賞候補に推薦されている。著書『芸術とは、人を驚かせることである』他。

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