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「助ける、治療する、証言する ~世界の医療団から~」



<第1部>

ボンジュール!フランス語と日本語どちらで話した方がいいですか? 私としてはフランス語の方がありがたいんですが、日本語の方がいいようですね。それでは日本語で話します。 私の名前は、ガエル オスタンといいます。私は「世界の医療団」のボランティアですが、今日は「世界の医療団」の概要と日本との関係をお話し、みなさまが「世界の医療団」について理解を深めることができるように話したいと思います。 「世界の医療団」とは何かというと、フランスに本部を置く民間非営利団体で、医療、保険、衛生分野を中心とした専門家ボランティアが参加し、国籍、民族、政治性を問わず、世界中から戦争、貧困、差別が無くなることを願って人道的な活躍をしている国際援助医療団で、私はその日本代表をしています。

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「世界の医療団」のロゴマ-クについて

ブルーの円の中に「MEDECINS DU MONDE(メドゥサン デュ モンド)」とフランス語で書かれています。「メドゥサン」は医師、円は「地球」、ブルーは「空と海」を表します。ハトは平和・愛・純潔のシンボルです。ハトがオリーブの枝をくわえていますが、5枚の葉は「五大陸や食料」を表します。

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ハトの十字の形は「医療」を表します。このロゴマークに「世界の医療団」の願いがすべて描かれていると言えるのです。

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「世界の医療団」設立の経緯とその活動内容

「世界の医療団」がどのような経緯で設立されたかと言うと、1980年フランス人、ベルナール クシュネル医師を中心とした友人グル-プが「光の島」という意味をもつイル・ド・リュミエ-ル号をチャーターして、南シナ海をさまようベトナムのボート・ピープルの援助に向かいました。これが私たち「MEDECINS DU MONDE(メドゥサン デュ モンド)」、「世界の医療団」の始まりです。
あれから18年「助ける、治療する、証言する」を基本理念に、国境、民族、宗教、政治、思想など、あらゆる壁を乗り越えて、世界中で最も弱い立場にある人々を救うことを目的に活動を続けています。世界の医療団はパリに本部を置き、医療、保健衛生分野を中心とした専門家ボランティアが参加する国際援助医療団体(NGO)として、年間50の緊急医療プログラムと、114の長期援助プログラムを世界53ヵ国で実施しています。フランス以外にはスペイン、アメリカ、ギリシャ、イタリア、キプロス、スイス、スウェーデンの7ヵ国に代表団体が、日本、カナダ、ベルギー、オランダの4ヵ国に海外事務局があります。世界の医療団の年間の経費は約86億円、医師、看護婦、薬剤師心理学者、ロジスティシャン(物資調達管理調整員)など約3000人の専門家ボランティアと200人の専従スタッフに支えられ、今この瞬間にも400人以上のボランティアたちが、世界各国で過酷な現実に見舞われている人たちに援助活動を行っています。

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「助ける、治療する」
(この活動は、大きく3つに分けられます)

72時間以内に現地に救援隊を派遣する「緊急プログラム」
地震、津波や洪水、火山噴火など突然の自然災害に襲われた被災者。紛争の勃発により予期せぬ危険にさらされた人々。こうした緊急に援助、救助が必要な災害や事件、事故ではひとりでも多くの人々を救うために、その発生後72時間以内に、世界のどこにでも救援隊を派遣しています。

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社会・保健衛生機構を復旧する「復旧プログラム」
主に緊急プログラムの延長として、6ヵ月から3年の中長期間で実施されます。緊急プログラムの終了時に、被災者や犠牲者に必要最低限の保健サービスが保証されることを目的に、破壊された社会・保健衛生機構(施設、物資、人材)の復旧援助を行います。このプログラムには犠牲者たちの身体と心の回復も含まれています。

自立をサポートする「長期開発プログラム」
飢餓、栄養不良、疫病、衛生設備の不備、医療教育の不足など基本的な衛生上の問題を抱えている国や地域の人々に、恒久的な解決策を与えることを目的にしています。その国の保健衛生機構や現地組織との協力及び、現地スタッフの登用により、世界の医療団が去った後もプログラムの自立的な永続性が保てるように長期的に計画されます。具体的には病気の予防措置、住民に対する保健教育、病院機構の復旧、現地スタッフの教育などが主な活動になっています。

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笑顔と生きる勇気を再び……
「スマイル作戦」

戦争の砲弾や地雷で、虐殺の鎌や槍で、顔や四肢を傷つけられたこどもたち、口唇裂などの天性奇形、あるいは重度の火傷を負ったこどもたち。彼らは治療すらされず慢性的な感染症や成長阻がいで苦しんでいます。紛争や内戦が終息し、国際援助からも取り残されたこうした人々を救うために1989年以来、世界の医療団では長期開発プログラムの枠内で、ベニン、カンボジア、エチオピア、ニジェール、ルワンダで修復外科の医療援助を展開しています。ルワンダで、虐殺の鉈で傷つけられた少年のひきつった顔を治療する。それは単に顔の修復手術としての意味だけではなくて、人間としての尊厳と誇りの修復なのです。私たちは、この活動を彼らに本当の笑顔と生きる希望を取り戻すための援助だと信じています。

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証言する

完全なる独立的な立場において、医療行為に基づき、人々の医療へのアクセスの障がいになっているものや、人権や尊厳の侵害を報告することは、世界の医療団にとって医療援助と切り離すことのできない使命です。1993年、旧ユーゴスラビアでの非人道的な犯罪に対して「民族浄化阻止」というテーマでキャンペーンを実施し、人権侵害に関する世界の医療団会議を開催しました。またボスニア、クロアチア及びセルビア難民から、民族浄化の実態を証明する103もの証言を集め、旧ユーゴスラビアでの犯罪を裁く国際司法裁判所に報告しました。世界の医療団は、アジアの地域でも、医療を受けられないでいる人々への支援を活発に行っています。例えば現在、政策により医療から排除されているアフガニスタンの女性や、北朝鮮で飢餓に苦しむこどもを救う医療活動を行っています。

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アフガニスタンの女性のヴェ-ルを上げる

1979年に旧ソ連の侵攻を受け、以後長年にわたる戦闘を経験したアフガニスタン。1989年に旧ソ連軍は撤退しましたが、1992年には14年に及んだ新ソ連社会主義政権が崩壊、ゲリラ組織の間で覇権争いが起こったため、アフガニスタンは内戦状態になりました。1994年後半には、イスラム武装勢力タリバンがアフガニスタンの政治的、軍事的舞台に登場し、南部から勢力を拡大して1996年には首都カブ-ルを制圧しました。 「タリバン」とは「イスラム神学生」を指す言葉で、ソ連軍の撤退後にアフガニスタンで多数民族であるパシュトゥン人の神学生が中心になって結成した組織です。タリバンは、イスラム法(シャリーア)の厳格な適用による統治を開始し、そのために日常活動を極端に制限されたアフガニスタンの人々は、戦争に加えて新たな苦しみを受けています。タリバンの制定した禁止事項リストは、以前から社会的、経済的政治的に排除されてきたアフガニスタンの女性を、さらにきびしい立場に追いやりました。

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現在女性は、一連の禁止事項によって、医療従事者以外は就労を禁止されています。就学の機会は9歳までに限定され、単独外出が禁止されています。女性は家の外では「チャドル」と呼ばれる、全身を覆い顔のところだけが格子状の布地になっている布をまとわなければなりません。タリバンの政策は、女性の健康状態にも悪影響を及ぼします。女性は基本的に、女性の医師からしか診察を受けられません。家に男性が不在の場合、単独外出が禁止されているために、緊急時でもひとりで病院へ行くことはできません。また医学部が女性に門戸を閉ざしてしまったので、数年後には女性を治療する人材がいなくなることが懸念されています。
世界の医療団は、設立間もない1980年より、当時旧ソ連の侵攻を受けていたアフガニスタンで活動を行っています。当初は、戦争によって被害を受けた同国に対する緊急支援でしたが、長引く戦争とそれに続く内紛のために、今日もまだ活動を続けています。世界の医療団はワーダック地方に200名にのぼるボランティアを交代で派遣し、現地の保健医療従事者に技術教育を提供しました。現在はカブールを含む国内3ヵ所で活動しています。1997年に、タリバン当局により女性患者がカブ-ル市内の病院から追放された時、世界の医療団は女性患者排除の措置を真っ先に受けたアリアバド病院で、薬品提供や現地の医療従事者対象の技術教育などの活動をしていました。女性患者が排除された48時間後に世界の医療団チームは、病院に収容されていた65人の女性患者のうち、28人しか女性専用の病院に収容されなかったことを知らされました。その他の患者は自宅で死ぬのを待つしかなかったのです。
このような非人道的な措置に対し、欧州共同体、国連などが抗議をしました。現地で活動していた国際NGO組織がタリバン当局と話し合った結果、女性は新たに病院に収容を許されることになり、世界の医療団のアリアバド病院での活動も再開されました。しかし女性のために門戸を開いた病院は事実上ほとんどなく、女性医師の大半は仕事に復帰できないでいます。

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現地の証言から

「チャドルは袋のようになっていて、被るとほとんど何も見えない状態になります。以前は、配偶者をなくした女性たちは工場で働くことが認められており、自分のこどもたちを養うためのお金を稼ぐことができましたが、タリバンはすべての女性の就労を許可しておらず、寡婦すらも働くことはできません。彼女たちはどうやって自分やこどもたちを食べさせていくことができるというのでしょう。村の女性たちは動物のような生活を送っています。何の権利もなく、自分のことに気を配ることもできません。衣服も食べ物も薬もないのです。自分自身の用件で外出することは禁止されています。たとえ病気にかかっても、夫が不在であれば死ぬまで家にいるしかありません。ひとりで医者に診察を受けに行くことは禁止されているからです。さらに、夫が自分の妻を医師に見せることを拒否することすらあります」

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世界の医療団は3月8日の国際婦人デーにちなみ、欧州共同体人道援助局(ECHO)と共同でアフガニスタンの女性の人権状況を訴えるアピールを発表しました。この共同アピールは、3月8日付けのル・モンド紙及びインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙に50人あまりの国際的著名人の署名とともに掲載されました。世界の医療団は、アフガニスタンの女性の支援をその活動の中心に据え、現地の女性の医師や看護師が、一般の女性を対象とした医療を続けることができるように努力しています。

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活動の独立性を保つために

世界の医療団では、意思決定が民主的な組織体制で行われています。最高意思決定機関である12名の理事会メンバーは、毎年開かれる総会で、3000名の会員(ボランティア医師・看護師)の中から投票で選ばれ、そのうち3分の1は毎年改選されます。理事会は毎月開催され、重要な方針や基本的意思決定を行います。また事務局長の任命も行います。新規プロジェクトの開設や現在行われているプロジェクトのフォローに関する決定は、理事会執行部事務局長から構成される運営委員会で行われ、組織の財務については管理委員会が分析・助言します。世界の医療団には、大陸別に政治、社会保健衛生、人権尊重の状況などを毎月分析し、その国への介入方法をプロジェクト・フォーラムに提案する大陸別考察グループがあります。グループの責任者、理事会のメンバー及びプロジェクトの運営責任者たちから成るプロジェクト・フォーラムは、討論、考察及び提案の場であり、運営委員会の決定をここで準備します。

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このフォーラムは公開されており、現地から戻ってきたボランティアや一般の人々も参加することができます 。財政の透明性と厳正さは、世界の医療団の運営基本原理です。したがって、会計はドナー(支援者)に対して公開され、外部による会計監査が実施されています。活動の独立性を確保するため、資金全体における民間からの寄付金(個人・企業メセナ)の割合を55%以上に保ち続けています。これに対して国連やEUなどの公的機関からの援助は45%以下にきびしく制限されています。 世界の医療団の活動は、賛同していただいている97万人以上のドナーからの寄付金で支えられています。この貴重な資金の運用を保証するため1990年、ドナーの中から選出された15名からなるドナー委員会が設けられました。委員会は月例で召集され、場合によっては、プロジェクトが実施されている現地まで赴き、その有益性の評価を行うこともあります。

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神戸と世界の医療団と日本での活動

神戸と世界の医療団とのかかわりは、阪神大震災の時なのです。1995年1月17日、パリの本部の医療ボランティアをしている私の友人から、私の事務所に国際電話が入りました。「朝のニュースで神戸の地震の被害状況を見た。パリから医療団を派遣したいので手伝ってくれ!」と言われたんです。パリの本部の意向を外務省に伝えたんですが「外国からの援助に対しては受け入れ準備がない」と断られました。そこで、岡山にあるAMDAに連絡を取り、AMDAを補佐するということで、何とか外務省の了解を得て、AMDAと共同で活動するということになりました。早速、医師や看護師などの医療団がパリからやって来て長田区役所を拠点に活動が始まりましたが、優秀な医療団であるにもかかわらず、厚生省からの許可が出なかったので、あくまでもAMDAの補助活動で医療行為はできなかったんですが、その支援活動を通じて緊急医療のノウハウは伝えることはできたと思います。公衆衛生の専門家が2週間後に到着しました。
日本での「世界の医療団」の活動は阪神大震災から始まりました。そのことから神戸と「世界の医療団」は深い関係にあると言えます。今私と専従スタッフ2名で構成している日本事務局の主な仕事の内容は、世界の医療団の活動を広く日本に紹介するとともに、日本での募金活動、日本からの医療ボランティアの募集と現地に派遣すること、日本での活動を支援する一般ボランティアの募集などを行っています。これまでに、ルワンダ、サラエボ、フィリピンなどへ日本人ボランティアやスタッフを派遣しました。リキテンスタイン(アメリカ)をはじめ、世界の医療団の活動趣旨に賛同する世界的に著名な画家23人が、新たに制作した版画作品を展示販売するチャリティー版画展が賛同者と一般ボランティアによって、1994年から全国で開催されています。既に東京、長野、京都など全国8ヵ所で開かれ、その売り上げ金は世界の医療団の活動資金として寄付され、その一部は日本からのボランティア派遣費用にあてられました。世界の医療団が、94年来実施しているルワンダでの「スマイル作戦」の3回目のミッションに、1996年、日本人形成外科医の与座 聡医師(東京警察病院)を派遣しました。さらに日本事務局では本年秋に、ラオスで実施する「スマイル作戦」をはじめ、さまざまなプロジェクトへの日本人医師、看護師の派遣を積極的に進めています。欧州共同体人道事務局(ECHO)からの資金援助を受け『アフガニスタンの女性のヴェールを上げる』と題する写真展を、東京を含む世界31都市で開催しました。この写真展には、ECHOによる国際キャンぺーン『カブールの女性に一輪の花を』の一環として、アフガニスタン女性の置かれた過酷な状況を国際社会に訴えるために行われました。出品写真の多くは、著名な写真家(パスカル、メートル、セバスチャン、サルガド、クリスティーヌ、スペングラーなど)から貸与されたものでした。「ヴェールを上げる」という名の由来は、アフガニスタンの女性への抑圧の象徴であるチャドルに似た布が、出品された写真の大半に被せられており、見学者は「ヴェールを持ち上げる」ことにより写真を見ることができることから来ています。

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東京では聖路加国際病院内の画廊にて開催されました。アフガニスタンで医療ボランティアの経験があり、世界の医療団事務局長でもあるミシェル ブルジェール医師が来日し、アフガニスタンの女性の置かれた特異な状況について報告をしました。写真展の開催期間中『カブールの女性のためのアピール』に約150名の方からご署名をいただきました。ご署名は、日本事務局が責任を持ってブリュッセルの欧州共同体人道援助局にお送りしました。またボランティアの方々が、休日を返上して展覧会の設営を手伝ってくださいました。3月8日、世界の医療団日本事務局主催のチャリティーディナーが、渋谷で開催されました。会場にてフェリシモより、昨年実施されたクリスマスプロジェクトによる寄付金目録が世界の医療団事務局長に手渡されました。ディナーの売り上げ金及びフェリシモからの寄付金は全額「スマイル作戦」プログラムに使われます。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
言葉や文化の違うところでボランティアをされているご苦労は大変なことだと想像いたします。私も市内でときどきボランティアをしていますが、オスタンさんが大変だったご苦労を少しお話していただければと思います。

オスタンさん:
そうですね、時間がかかることがいちばん。特に、日本ではですね、何をやろうとしても時間がかかることは、私にとっていちばん苦労することです。緊急なときのできごと、また緊急な体制を対応しなければいけないときは苦労するところかもしれないんですが、そのかわり、いっぱい満足もあります。例えば、ボランティアをしていただいている方がたくさんいらっしゃるし、彼らがやりがいがある、行って来てよかった、また行きたいというようなことを言われると苦労は忘れてしまいますね。

お客さま:
日本では阪神大震災や日本海に重油が流出する機会にボランティアをお願いしましたけれども、フランスではこどものときから、どういうボランティアや人権教育をなさっているのでしょうか?

オスタンさん:
学校とか家庭ではボランティア活動をやります。ボーイスカウトのグループとか協会のグループでとか学校でもですけどね。例えば、学校ぐるみで米を1㎏ずつみんなで集めると何千㎏も集まってきて送るとか、着なくなったTシャツを送るとか、そういうようなことがよくありますね。「世界の医療団」のような組織は20年前からありますので、こどものころからテレビとか親から話を聞きますから、自然に参加することがあります。

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お客さま:
日本人は、食べ物に困らない、遊び道具にも困らない、いらなければ残してしまう、洋服にたくさんお金をかけたり、そういうことがよくあるんですが、ボランティアに関して日本人として、これからどうあるべきだとお考えでしょうか?

オスタンさん:
確かに食べ物は残さないほうがいいので、基本の躾はこどものころから教えたほうがいいと思うんですが、それは世界中同じことだと思うんですね。で、ボランティアですが、自分の生活を犠牲にする必要はないと、私は思います。ただ、誰でも少し余裕があると思うんですね、時間的余裕とか。それを、ひとつ身近なところで小さなことを自然にやってみる。そういうところから始めないと最初から大きなことはできませんからね。私は、日本はよくやってると思います。それは医療活動だけじゃなくて、自分のできる範囲で言いと思います。

お客さま:
私は医師でも看護師でもありません。でもオスタンさんのお話を伺って何か力になりたいと思いました。どうしたらいいでしょうか?

オスタンさん:
私どもの団体は基本的には医療活動をしている団体ですが、直接援助ができなくても、通訳ができる、ワープロができる、そういう方がいらっしゃれば声をかけていただきたい。翻訳の仕事とか、いろいろと必要ですので、ぜひそういう方々に声をかけていただきたいですね。それとアートを紹介していただくとか、身の周りにお話していただくとか、お医者さまがいらっしゃればぜひ紹介していただきたいです。

フェリシモ:
最後に神戸へのメッセージをお願いします。

オスタンさん:
「世界の医療団」の活動はこの神戸から始まりました。地震により破壊され、多くの命が奪われたという残念なできごとからの出発となりましたが、3年間の活動報告を、神戸のこのように明るい場所で報告できたことをうれしく思います。そして神戸からボランティアとしてたくさんの人が参加してくださることを願っています。

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Profile

ガエル オスタンさん<世界の医療団 日本代表>

ガエル オスタンさん
<世界の医療団 日本代表>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1950年生まれ。パリ国立東洋語学校日本語科卒業。1975年ピーエムシー株式会社入社。以来、日仏通商コンサルタントとして、多岐に渡る分野において、フランス企業の日本進出や日本企業との合併技術提携に関わり、1982年、同社の代表取締役になる。また、在日フランス商工会議所会頭、JETROのコーポレート・コンサルタントを務めるなど、多岐にわたって日本とフランスの架け橋となって活躍中。1995年2月より世界の医療団(メドゥサン・デュ・モンド)の日本代表をボランティアで務め、現在にいたる。

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