神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 中村 由利子さん(作曲家/ピアニスト)
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「音で描かれた風景、そしてさまざまな出会い」



<第1部>

神戸との繋がりは4~5年前になりますが、私がやっているアコースティックカフェというバンドが『KissFM』で日曜日に番組を持たせていただいたことから始まったように思います。それから『異人館クラブ』などに出させていただいたりして、震災後の95年の7月に兵庫の教会や、元町のテントでコンサートを開いたりしたことです。東京にいて、神戸の人たちに何ができるのだろうかと本当にもどかしく思っていましたが、私にできることといえば音楽しかないので、聴いてくださった方が和んでくださったことがなによりでした。小学生がタンバリンを鳴らして、ほのぼのとしたことがよかったと思っています。

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こどものころの思い出

私は仕事で、大阪の海遊館のイメージアルバムをアコースティックカフェで作りました。海にいる動物をイメージで作曲するのですが、私が担当したのはペンギンとイルカでした。私は以前、ペンギンに似ていると言われたことがきっかけで、ペンギンが大好きになって、グッズなども集めています。ペンギンのことについて話し出すと止まらないぐらいで、講演会がそれだけで終わってしまいそうですので今は話すのをやめておきます。 私は小さいときは夢みる少女というかおてんば娘で、落ち着きのないこどもだったと思います。じっとしていることが苦手で、今でもいつも何かを書いています。見たりしたことを絵とか日記とかに「こんなイメージだった」とか「今日見たものは音にするならばこんな音だった」とピアノで弾いてみたりしていたのです。こんなことをしていたので普通の子ではなかったんでしょうが、私としては単純に遊びの一部としてやっていたことだったのです。年の離れた兄がいたのですが、私が物心ついた時にはもう兄は大きくなっていたので、小さい時から遊園地とかに一緒に行くことなどなくて、何かについて兄弟で話したりすることもない毎日だったので、自分が今感じたことを残しておきたいと思って、それを書いたように思います。そういうことが好きだったのだと思います。好きなことでないと続かないし上達もしないと思います。

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大切にしているこどものころの思い出はたくさんあります。曲を書く時にその思い出を突然思い出して、そのイメ-ジを作曲したりしたこともあります。デビューした時の『ビードロ・トイズ』という曲は、おじいちゃんからもらったオルゴ-ルの曲からイメージしたものです。そのオルゴールは家の形をしていて、窓がステンドグラスになっているものなのですが、今はもうなくなってしまって、その曲が何だったのかわからないのですが「こんな曲だった」という思い出をたどりながら「あのこどものときに大切にしていたおもちゃはどこに行ったの?」と自分の中でイメージをふくらませて作っていったものがひとつの曲になりました。 こどもの時の思い出で悲しかったことは、大切に飼っていた犬やセキセイインコが死んだときだったように思います。特に犬は好きで、長い間かわいがっていて、学校のお友だちより長い付き合いでした。 父が画家だったので、比較的時間が自由になったのか、いつも家にいてよく遊んでもらえたことが何よりもよかったと思います。私のことを考えてしたことなのか、父が自分が好きだったことをしていたのかしれませんが、いろいろなところに連れて行ってもらいました。だから知らず知らずに父からかなりの影響を受けたように思います。
こども時代の写真を持ってきましたので見てください。

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これは横浜のデパートの屋上の遊園地に行ったときの写真です。ここにはよく連れて行ってもらいました。10円いれると動き出す木馬によく乗せてもらったりしました。その木馬が止まると泣き出すというこどもだったようで、何度も何度も乗せてもらったように覚えています。写真は私が小学校4~5年までは白黒で、それからがカラーになっていますが、モノクロは味があります。古くなってセピア色になったものなどもっといい味があると思います。

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これは1回目のピアノの発表会の時の写真ですが、6歳ぐらいのときで、ピアノのいすに座って床に足がつかないぐらいのときのものですが、父が写したもので、やはり絵を描く人なので構図がいいなと感じます。

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これは父とふたりで写した写真です。とってもやさしい人でした。小さい時に住んでいた家が写っているのですが、古い家で、汚いですが生活の香りがするという気がします。

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これは家の近くの自然公園で写した写真です。ほとんど遊具などはなくて、自然そのものといった広場でした。持っている赤いバスケットが大好きで、どこに行く時もこのバスケットを持っていたように思います。この公園はこどものときの思い出によく残っている場所です。

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私とピアノとの出会い

私がピアノを始めたきっかけというのは単純で、幼稚園のピアノ教室に通ったことが始まりです。それまでトイピアノなどを弾いたりしていましたが、いわゆるおけいこごとのひとつで、皆がやっているからというような簡単な理由から始めました。母はお琴を弾くことができたようで、家に琴もありましたが、一度も聞いたことはありませんでした。父や年の離れた兄がポピュラー音楽などをよく聞いたりしていたので、ピアノで習うクラシック音楽だけでなくいろいろな音楽があるのだなあと思ったりしました。

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今ではいろいろな音楽の楽譜が手に入りますが、私がピアノを習い出した時はそのような楽譜は手に入らなくて、自分なりにGコードとかドミソの和音などの記号を作って書いたりして鍵盤の上で自分なりの曲を作ったりして遊んだりしました。私は手が小さいので、みんなができることができないというようなことがあったりもしました。何かを感じたり、見たり聞いたりする毎日のできごとをイメージしてピアノで曲を作ったりして遊んだりしていましたが、こどものころに作った曲は書き留めていないのでそのままになっています。
自分でメロディーを作って、それを弾いてばかりいて、本来のピアノ教室の練習がおろそかになって、先生から「そういうことはしないように」と叱られました。1日のうちピアノの練習をしたのは夕食までの1~2時間ぐらいで、その間も自分で曲を作ったりして、遊びながらピアノの前にいるということが多くて、あまり熱心にピアノの練習をしたという記憶はないのです。

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ピアノに関してのアドバイス

私が音楽をしていて直面したむずかしい問題というのは、こどものときにはあまりなかったのですが、両手を別々に動かすということがむずかしかったです。それと握力が弱いので音大に入学する時にパワーのある曲を弾くときに苦労しました。それと手が小さいので手を広げることに苦労しましたが、小さい手でも弾ける曲を選ぶなどしました。 こどもがピアノの練習をしていて壁にぶつかったときにピアノが嫌にならないようにするためには、ピアノのレッスンが楽しくできるということがいちばん大切だと思います。スポーツなどでもいい選手が必ずいい先生ではないように、教えるのが上手だという人に教わることも大切なことです。まず、短気な人はダメだと思います。どうしてこの子はこういうふうにするのかしらと一緒に考えてあげる人に習うことが大切で、こどもと先生の相性の問題もあり、先生を変えるというのは大変ですが勇気を持って変えるようにすることだと思います。それとこれは実際にあったことなのですが、こどもが曲を間違って弾いたりした時に「作曲が上手ね」と同じ先生が同じようにいっても、その言葉を嫌みと取るか、たくましくギャグと捉えるか、受け取る生徒の方にも原因とか受け取り方の問題もあって、むずかしいです。でも、基本的には音楽が好きかどうかということがピアノを続けることができるかどうかになると思います。今練習しなければいけない曲は嫌いだけれど、今流行している歌は好きだというようなことがあったなら、寄り道してその曲を弾いてみるというようなことでまたピアノが好きになるというようなこともあるし、今ピアノを弾くことが好きになれないが、他の楽器なら弾いてみようという気になるかもしれないというようなことがあるし、要するに音楽を好きになれるかどうかという興味の持たせ方が大切なことであって、ピアノのレッスンを強制されることによって、音楽そのものが嫌いになってしまうというようなことにならないように気をつけなければと思います。

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音大を受験する時に、ピアノ科にするか、作曲科にするか迷いましたが、作曲というのはいつになってからでも始められるので、まずピアノ科に行った方がいいとすすめられてそのようにしました。音大時代は、ピアノの練習曲を弾くことよりポピュラーな曲を弾く方が好きだったと思います。シャンソン歌手が練習するためのピアノの伴奏をするアルバイトをしたのですが、シャンソンは同じ歌でも歌手によって歌い方が違うので、その歌手にあった伴奏をするということでいい勉強になったように思います。
そのころに、テレビで活躍されている歌手の方などの伴奏をしたり、ブライダルフェアーとかホテルのラウンジで弾いたりしていました。音楽が好きだったので何でも弾いたという気がします。そしてそれが今すごく役立っているように思います。

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私とアコ-スティックカフェ

私は、父が絵画きであったという関係からか、小さい時には画家になりたいとか漫画家になりたいとかと思っていましたが、いつのころからか、何かを表現するのに、絵を描くことよりもピアノで作曲することの方が自分の中で勝ってきたということで今日になっているように思います。音楽を通じて、ピアノを弾きながらのアルバイトをしている間でも「私が目指しているのは、ピアノを演奏するということではなくて作曲することだ」という思いがいつもありました。その当時、歌謡曲には有名な先生がいるし、シンガーソングライターというのが盛んな時代で、私の出るような幕はありませんでしたが、デモテープを持っていろいろな会社を回ったりしました。
85年ぐらいにニューエイジミュージックというジャンルが出てきました。ジョージ ウィルソンが最初イージーリスニングのオリジナルをソロで弾いたのを、ある会社からピアノで弾いてみたらと言われて試してみました。だから聞いてくれるかとそのテープを持って行ったら「こんなことをしてないで早くお嫁に行ったら」と言われて門前払いされたこともありました。2~3年曲を作っては会社に持っていき、門前払いされるというようなことを繰り返している間にかなりの曲が自分の作品として貯まっていたのです。

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私はピアノをソロで弾いて、それにチェロとかいろいろな楽器を組み合わせてと会社が集めてくれた人たちと『アコースティックカフェ』というグループを作りました。いろいろな楽器の人といろいろな曲を弾くようになりました。音楽にジャンルは必要ないように思います。どんな気持ちで弾くのかということが大切で、ここではジャンルの壁はとっぱらわれてしまいました。そのときそのとき、スケジュールの合う人が集まって演奏する「カフェ」という意味の仲間が集まって演奏していくことで、また音楽が広がっていくというようなことがあり、新しい発見がありました。デビューしてからカフェの皆に育てられたように思います。
前田 真三さんの写真のバックの曲がきっかけでデビューしました。北海道の美瑛をテーマにした曲は数えきれないぐらいあります。旭川、富良野に隣接したところなのですが、丘を駆け上っていくと丘の上に家があるという、先程お見せした私のこどものころの写真にある自然公園の風景と重なるところがあって、こどもの時と同じサイズで大人になってそのままの風景を美瑛で感じることができたという思いがします。

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パリで感じたこと

スタジオの設備からいうと日本は最高だと思います。パリでのスタジオは大きな体育館だったところを改造したもので、古い学校の敷地の中にあって、下には地下鉄が通っているという設備で、電車が通るとその音がまともに響いてくるという日本で考えられないような設備でした。来ているのは一流の演奏家なので、日本ではそういうところでは演奏しないか防音設備をするのですが、地下鉄は通り過ぎるのを待てばいいのだというような感じで演奏しているのです。ピアノの調律なども、日本なら電話をすればすぐに来てくれるのが当たり前ですが、2~3日待っていれば来てくれるだろうということが当たり前というような感じで演奏しているのです。フランス人は向こうの方から「ここをどう直せばいいだろう」とか「まだ時間があるからもう一度やろう!」とか言ってくださって、本当に音楽を皆で楽しんで、皆でいいものを作ろうというようなことがあって、本当の意味でのいい音楽ができたような気がします。そして思ったような音色が出た時には、演奏している皆が終わった後で楽器を置いて「ブラボー!」と拍手してくれるというようなことがありました。

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以前、美瑛をテーマにした曲を香港の人が歌詞を付けたことがあるのですがそのときには『失恋の曲』でした。私が演奏する曲を聞いて、みなさまが何かをどう感じとってくださるかということは自由だと思います。だから、私の音楽を色に例えるとするならば、みなさまにいろいろな色を自由に付けていただくという意味で「白」だといえると思います。

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神戸へのメッセ-ジ

私は横浜で生まれて育ったんですが、昔から横浜と神戸はよく比べられます。同じような港町なので似ているというようなところもありますが、色にするとどこか違うというような感じがします。 最初に神戸に来たきっかけというのは最初にお話しましたが、アコースティックカフェから3枚のCDを出しているのですが、最初のは『For Your Happiness』という曲で、2枚目が、まさしく震災の年に出した『頑張れ神戸』、そして『未来の子供たちへ』というものなのです。いま、私にとって何が大切なのだろう、いままで何でここまでやってこられたのだろうと考える時に、いま神戸の人も大変なのだけれど、ここまでやってこれたのは、仲間の人たち、周りの人の助けがなければやってこられなかったのではないかという私自身の思いを重ねて『虹に架ける橋』という曲を演奏して私のメッセージとしたいと思います。

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Profile

中村 由利子(なかむら ゆりこ)さん<作曲家・ピアニスト>

中村 由利子(なかむら ゆりこ)さん
<作曲家・ピアニスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
横浜生まれ。フェリス女子短期大学音楽科卒業後、自作曲によるアルバム『嵐の鏡』でデビュー。現在までに、10枚のオリジナルアルバムとサウンドトラックをリリース。親しみやすくも、日本人離れしたメロディーが幅広い年齢層に支持される。また、楽曲が『ジェットスリーム』のテーマ他、映画、ビデオ、TV番組のテ-マ、ドラマ、CM、CD-ROM、ゲームソフトと国内、海外ともにさまざまなメディアに起用され、今や「TVで彼女の曲が流れない日はない」と言われるほどである。他、グループ『アコースティックカフェ』では、6枚のアルバムを発表。また、コンサートでは、会場のお客さまからいただくイメージで即興演奏する他、ヴォーカリストへの楽曲提供、FMのパーソナリィティー、エッセイの執筆、写真展の開催とそのボーダレスなサウンドと活動は、各界から注目を集めている。

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