神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「作品づくりと社会貢献の両立をめざして」



<第1部>

フィンランドのアルヴァ・アアルトにあこがれて
彼のような雰囲気を紙で表現したのが
紙を使い始めたきっかけ

僕は、ふだん建築の話しかしていないものですから、今日もちょっと専門的なことになってしまうかもしれませんけど、まあ写真を見て楽しんでください。ご紹介にもありましたように、僕は、紙、紙と言っても“紙管(しかん)”と言って、トイレットペーパー、サランラップの芯とか、あるいはカーペットの芯とか、そういうところに入っている再生紙でできた紙の筒を建築の構造材として使う開発を1986年からやっています。1995年の地震のときにも神戸でいくつかの紙を使った仮設住宅とか、仮設のコミュニティホールをつくったので、紙の建築家ということで取りあげられて、紙でばかり建築をつくっているように思われているんですが、実はそうではないんです。紙の建築もほとんどはボランティアなもんですから、生活できないので、実際はコンクリート、鉄、木など普通の材料も使って建築しています。
僕は高校まで日本にいて、大学はアメリカに留学しました。大学を卒業してから帰国して非常に驚いたのは、日本では建築家の社会的地位が非常に低いということでした。建築家というものが、どういうものなのか一般の方も認識が浅くて……。仕事で田舎に行って、たまたまタクシーに乗ったのですが、道のそばに大きな建築があったときに、運転手さんに「あの建築は誰がつくったんですか?」と聞くと、たいていの場合、「あれは鹿島建設です」「竹中工務店です」とゼネコンの名前を言うんですよね。建築家の名前を言われる方はほとんどいないんです。一般の方も誰が設計したかということにはほとんど興味がないし、だいたい日本では設計者がいるということをそんなに認識していないんです。「なぜ?」と思ったときに、日本の歴史を見てみると、明治時代以前までは、建築家というのはまったくいなかったんです。ご存じのように大工さん、棟梁が日本建築をつくってきたんです。お茶との世界とか造園ですと、名前の残っている人もいるんですけど、日本のあの伝統的建築を誰が設計したかということはまったく文献にもなくて……。明治になってから政府がイギリスからコンドルというイギリス人の若い建築家を呼んできて、東大の建築科をつくったんですが、建築家の教育ってものが日本に登場してから100年ちょっとしかたっていないんですね。

PHOTO

(スライド)

帰国して自分ですぐ仕事を始めました。まったく実務的な経験がないですから、展覧会の会場構成や企画をしていました。これは1986年にやった展覧会です。僕が大好きな建築家のアルヴァ・アアルトというフィンランドの建築家がいるのですが、彼は有機的な曲線を木をふんだんに使って表現する人なんですね。彼のような雰囲気を会場につくりたいと思ったんです。でも、木をふんだんに使うような予算がなかったのと、展覧会というのは、数週間だけのものなので、その後、会場を壊してしまうんだそうです。だから、そういうのはもったいないなというふうに感じたんです。それで、どうにかして木を使わずに安く木の雰囲気を出したい、と考えて探したのが紙管だったんです。で、この展覧会の前に布のスクリーンを吊った後、あの紙管がたくさん余っていたので、それが木の代替材料になるんじゃないかなと思って、それで紙管屋さんに行きましたら、非常に安くてしっかりしていて……。厚みや長さも自由につくれるんです。波打つ天井とか、自立する壁とか、すべて紙の筒、中が中空の紙管でつくっています。
それが初めて紙管を使い始めたきっかけです。思った以上に紙管っていうのは強いなあということを感じて、それから独自の研究を始めました。

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紙の軽さと強さに魅かれて

(スライド)

ここから紙の建築の話になります。これは、展覧会の会場です。世界を巡回する展覧会のデザインです。世界を巡回するので、軽い方が持ち運びしやすいし、どこの会場でも誰でも簡単に組み立てられるようにしました。ここで使ったのが、紙ハニカム、蜂の巣状になった紙のスクリーンです。よく、強度を強くするためにドアの中にこの材料が入っています。
で、ここに、四角い紙の紙管があるので、それでフレームをつくっています。
よく見ると紙管の直径が少しずつ違うんです。なぜかというと、サイズが違うと紙管の1本1本を入れ子状にできるので、荷物の軽減にもなるんです。このようにして輸送費用を減らすようにしています。

(スライド)

1990年に小田原で市制50周年の記念イベントがあったときにつくった仮設パビリオンです。当時紙の建築を始めてまもなく、紙を建築に使うことが世界でも例がないもんですから、そういう材料を使う場合は、建設大臣の特別な認定が必要なんです。そのために実験を重ねていろんなことをしないと認定が得られないんですが、そんな予算も時間的余裕も、経験もなかったもんですから二次的な材料としては認定されました。で、一部に直径1メートル20センチの大きな紙管がありました。

PHOTO

(スライド)

紙管と紙管の間に隙間をあけて、外の光を取り入れようと思ってこういうふうにしています。透明のビニールホースをパッキンのように詰めて、密閉しても光を取り入れることができます。直径1メートル20センチの紙管の中がトイレのブースになっています。あの……、トイレットペーパーがなくなったときは、中の壁をむしって使えるようになっています。
(会場:笑)

(スライド)

詩人である高橋 睦郎さんに「書庫をつくってください」とお願いされました。「紙でつくっていいですか?」と聞いたら「本も紙でできてるんだから、いいよ」って言ってくれたんですね。それで設計してつくったのがこの建物です。8年前の1991年です。柱とか梁とかもすべて紙でできています。

(スライド)

ファッションデザイナー三宅 一生さんのギャラリーです。これは、初めて紙で建設大臣の認定をとってできた建物です。パーマネントな建物として1993年に建てました。非常に単純な構造で、全面に柱があって、そこから光が当たって影ができて、それでうしろの局面の紙管の壁にも影が落ちると……。時間を追ってこの影がずっと移っていくさまがすごくきれいなんです。ギリシャにアゴラという建物があるんですけど、その建物にヒントを得ています。紙管と光と影の空間です。

(スライド)

右の建築はギリシャのアクアポリスです。この写真をどこかで見たことがあると思うんですけど、ギリシャ時代ってのはこういう石を積み上げていきます。この梁も全部石ですけど、そういう非常にもろい材料を使ってるわけですから、それでこんな太い柱がこんな近い距離でたくさん必要なわけですね。ですから、石という、そういう素朴な材料だからこそ逆にギリシャ建築の荘厳な空間の特色ができあがったわけです。
紙ってのもですね、実は木より弱くて、でもいまの技術を使えば、木よりも強い紙管をつくることって可能なんです。でも、僕は、より強い材料を開発することには、全然興味がなくて、弱い材料を弱いなりに使うということに、興味があるんです。この紙も(スライドを指して)弱いですから。これだけの太さ、それからこれだけの本数が必要なんです。同じように弱いがためにこういう紙ならではの空間が経済的にできるわけです。ギリシャ建築でもこういう石だからこその空間であるように、紙も使う以上は、紙ならではの空間をつくりたいと思っています。

PHOTO

(スライド)

これは、2000年にオープンするドイツのハノーバーで行われる万国博覧会の日本館の模型です。長さが90メートル、奥行きが45メートルあります。今回のテーマは、博覧会全体がやっぱり環境問題……、ドイツってご存じのように非常に環境問題に敏感ですから、やはり環境ということがひとつのテーマになっています。僕自身のコンセプト・テーマを何にしようかと思ったとき、「博覧会は6ヵ月で終わってしまう、その後全ての建物を解体するわけです。そこでまた大量の産業廃棄物が出るわけです」だから、僕のテーマは産業廃棄物をなるべくゼロに近づけるために、材料、構造を選ぼうと考えました。普通、建築というのは、建物が完成したときが最終ゴールなわけですね。でも僕はそのゴールを、建築の解体時、博覧会が終わって解体するときとしました。それで紙管は、この紙管は列柱の回廊になってるんですけど、全部地元ドイツの会社でつくってもらいました。そのドイツの会社は、博覧会が終わった後に全部解体して、この紙管を買い取ってくれ、またそれをリサイクルしています。ですから、この材料がまったく無駄になりませんでした。
で、この建物、まわりが回廊で、なかが蚕のマユのような形をしていますけれど、ここがメインの展示ホールです。構造体の紙の筒がのような形をしていますが、1本が直径12センチ、紙の厚みは22ミリ、長さが40メートルくらいあるんです。
どうやって組み立てているかというと、まずこれは(スライドを指して)、30分の1の模型ですが、床にこうやって紙管を並べていきます。で、この紙管と紙管の交点に布のテープを巻いて、それをジョイントにします。布のテープの方が自由に動くので、上に押し上げながら形をつくっていくときに、そのジョイントがある程度動く方がいいんですね。それも、燃えてはいけないんで、車のシートベルトに使っているようなそういう素材の布テープを使っています。大勢の方がこのホールに入るわけですから、紙管も防火的な試験を行いまして、防火塗料を塗らなくてもこの紙だけで非常に燃えにくいものですから、ドイツで充不燃認定を取りました。

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環境を考えながら、紙を使って社会貢献を
ルワンダ難民への支援

これは1994年にルワンダの難民が大量に出たときの写真です。だいたい200万人ぐらいの難民が近隣諸国に押し寄せたんです。最初の難民キャンプの状況で着の身着のまま……。国連の方でこういうプラスチックのシートを与えて、これでテントをつくりました。
(中略)
難民キャンプでの最大の問題は環境問題なんです。国連が4×6メートルのプラスチックシートを難民に与えて、難民は自分たちで木を切ってフレームをつくってシートをかけて家とするんです。ところが200万人も難民が出たもんですから、みんなが家のために木を切って、それから料理、煮炊きにも木を使うんで、もともと森だったところのここは木がなくなってしまったんです。で、いまや難民たちはもっと遠いところまで木を切りに行ってるんですね。森林伐採がどんどん周囲に広がっているんです。それで国連も「これは大変だ」ということで一時期代替材料としてアルミパイプを支給したんですが、アフリカではアルミパイプは非常に高い材料ですから、みんなお金のために、支給されたパイプを売ってしまうんです。そして、また木を切り始めてしまう……。
それで、僕が紙管を使う提案をしたんです。そうしたら1995年からコンサルタントに雇われまして、紙を使った難民用シェルターの開発を始めることになりました。
(略)

(スライド)

これは僕がこの間行ったときの写真です。難民のリーダーたちに僕がつくり方を説明しています。まあ簡単なシステムで紙管とプラスチックのジョイントで組み立てて、ロープで筋交いを入れ、国連シートを張るだけの簡単なものですが……。独自に組み立てて、住んでもらって耐久性の確認をいま、しています。

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阪神淡路大震災の建物の崩壊
建築家として感じた責任を
なんらかの形で

(スライド)

最後に神戸の話をします。1994年からルワンダの難民の仕事に携わり始めたものですから、その直後の1995年1月17日に神戸で地震があったときに、やはり建築家として、自分が建てた建物じゃないにしろ、建築物によって多くの人が怪我をしたり亡くなられたことに非常に責任を感じました。それで、自分で何かしたいと思ったんです。僕の場合、たまたま長田区にある鷹取教会にベトナム難民の人がたくさん集まっているという記事を読みまして、それで最初に鷹取教会に行きました。この映像は教会周辺の様子です。左側は鷹取教会で聖堂もすべて燃え尽きちゃいまして、このキリスト像だけが残っていました。その像の横で焚き火を囲んでミサが行われていました。
それでミサに出席しまして何とか教会のために活動ができないだろうかと思って、神父さんにお願いしたんです。教会が燃え尽きてしまったので「紙で教会を再建しませんか?」と。でも「そんなもん、いらないよ」って言われました。なぜかと言うと、そのとき神父さんは「教会がなくなって本当の教会になった気がする」と言われたんですね。つまり、教会っていうもの自体は教会の聖堂という建物ではなく、その人の気持ちなんだと。「建物は全部なくなっちゃったけれども、それでも、焚き火を囲むだけもうみんなの気持ちがひとつになっている……」と。しかも教会の信者さんだけでなく、近所の人たちもたくさん集まってきて……、それが本当の教会の姿だと。だから建物なんかいらないんだっていうふうに言われたんです。そう言われて本当にそのとおりだなと思ったんですけど、でもなんとか何かしたいと思ったから、それから毎週のように朝6時の新幹線に乗って東京からこの教会に通いました。で、だんだん神父さんや信者さんとも仲良くなって、そのうち神父さんが、「教会の聖堂はいらないけど、コミュニティの人たちが集まることができる場所が欲しいから、コミュニティホールだったらつくってもいいよ」と言ってくれたんです。ただ、その代わり、それをつくるための建設資金をつくるボランティアは自分の手で集めてくださいということを条件として出されました。ですので、設計、資金集めなどを独自に始めました。
(略)
夏休みの間に全国から学生が160人くらい集まってくれて、鷹取教会の仮設のコミュニティホール「紙の教会」と呼んでいるんですけど、それと同時に仮設住宅を長田区を中心に30軒、みんなでつくりました。

(スライド)

これが「紙の教会」と呼んでいるコミュニティホールの建設風景です。全部学生の手でつくっています。(スライドを指して)こういう木のジョイントをつくって紙管を差し込みます。紙管は軽いものですから、いっさい重機とか専門的な技術を使わずにできています。

(スライド)

上にベニヤのリングで紙管を一体化します。で、みんなでテントを引き上げて……。

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(スライド)

それで、夏休みが始まった7月の終わりから5週間かけてつくりあげました。同時にさっき言った仮設住宅30軒をつくりました。正面の扉、側面の扉を全部開けると、中と外の空間が一体的に連続するようになっています。

(スライド)

最後のスライドです。一辺10×15メートルの長方形のプランで、楕円形の紙管の列柱があってそのまわりが回廊になっています。この楕円はあの「ベルニーニの楕円」といってローマのベルニーニが設計した楕円をそのままここで利用しています。で、だんだん紙管の距離が小さくなって、コンサートとかミサとかをやるときのバックドロップになるようになっています。写真は震災からちょうど8ヵ月後に、初めて屋内でミサが行われた模様です。この教会、仮設のつもりでつくったんですけど非常に評判がよく、みんながぜひともこのまま使いたいということで、パーマネント、恒久的な建築になってしまったんですね。よく、紙の建築は仮設だ、仮設だと言われるんですが、僕は紙という弱い材料を使うから仮設だとは決して思っていないんですね。例えば、地震のときでも、コンクリートの建物が簡単に壊れてしまったり、あるいはバブルのときに、どんどん新しく建った建物でも簡単に壊していますよね。ですから、鉄筋コンクリートでつくっても、そういう建物の方がよっぽど仮設なわけです。そうかと思うとこの鷹取教会のように、紙でつくっても、こうやってもうほぼパーマネントに残っていく、この方がよっぽどパーマネントなんですね。ですから仮設なのか恒久なのかっていうのは、材料ではなく、その違いはその建物をみんなが愛してくれるかどうかなんです。
やはり建築家として僕だってモニュメントをつくりたいです。だけど、それだけじゃなく、自分の貯めたノウハウをもう少し違う側面、そういう少し社会的な意味のあることに、これからもずっと繋げていきたいと思いますし、それが、この紙の教会みたいにモニュメンタルな形で残ってくれれば、それは最高なことだなあと思います。 

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
坂さんはなぜ紙の建築を始められたのですか?

坂さん:
僕はモノを捨てるのがすごく苦手で、なんでも何か、既存の材料を利用して何かやりたいと考えたんです。昔電話を発明したエジソンとかベルとか……、発明家とか技術者が個人で新しいものを発明したり開発するってことは、昔は十分できたと思うんです。いまの時代はもう個人の力や財力で新しいものを開発するのはほぼ不可能な時代になってきているんです。ところがまだ少なくとも個人でできることは身のまわりにある材料とか技術を見直して、その材料の潜在的な良さを引き出したり、全然違う用途に利用していくということはまだ個人でできることだと思います。
で、僕がやってる紙も新しいものを開発したわけでもなんでもないんです。紙管というものを弱いっていう先入観をなくすことを証明しながら構造体として使っていきたいと思ったんです。
最初のスライドでお見せしたように、紙は木に代わるものとして、木とは違うけれど木の雰囲気、木の温かさを表現しつつ、材料として無駄にならないもの。で、当時1986年は、まだバブル前で環境問題とかエコロジーだとか、リサイクルなんていう、いまの世の中の流行りの言葉をまったく使っていない時代でした。だから、よく「エコロジーを考えて紙で建築やるんですか?」って聞かれるんですが、それはまったく自分としては心外で、そんなつもりでやってるわけじゃないし、そういうことを言われる前からそれ始めていたわけです。ですから、エコロジーなんてのは、基本的に個人個人が自分の身のまわりにあるものを大切に使っていけば、それでいいんじゃないかなあと思うんです。僕がやってることもその程度のことで、とにかくモノを無駄に使わないようにしたい。ですから紙だけでなくいろんな建築材料を使うときでもいかに無駄なく使うかということをテーマにしています。ですから、紙だけの問題ではなく、モノを大切にする、あるいはモノのもともと持っている潜在的な美しさ、機能をどういうふうに利用するかっていうことに興味があって紙を使っています。

お客さま:
紙の建築の耐水性と防火について教えていただけますか?

坂さん:
紙というのは、燃えやすい、水に弱いという先入観があるから、逆に珍しく思われるんですけど、実は紙って丈夫なんです。よく旅館に行くと紙の鍋があったり、それから傘だって昔はみんな紙だったわけ。紙っていろんな加工ができるんですよね。
で、大きい紙管は何に使われているのかっていうと……。よく建物の丸い、コンクリートの柱がありますけれど、丸い柱の場合は何を使うかというと紙管なんです。紙管のなかに鉄筋入れてコンクリートを流し込んで丸い柱をつくる型枠にするんですよね。あれだけ重くて、濡れたコンクリートを入れても破損しない紙の防水技術は、もうすでに確立している技術なんです。フィルムを使ったり、牛乳パックみたいな、ああいうテトラパックも防水紙ですが、防水という技術は簡単にできるのです。だから、僕が建築に使い始めたから新しく防水を開発したわけではなく、それはもう既に紙管メーカーが持っている技術を生かしているだけなんです。
ただ、市の建築の認可を取っていくためには、実際どれくらい持つかということが確認できないとだめなんです。実験室ではあえて厳しい、水とか暑さとか寒さの条件を与えながら短期間で耐久性を試験しています。そこで耐久性、防水性能を確認して認定を取っています。
それから、紙は燃えにくくすることはできますが、燃える材料に違いありません。ですけど、木と同じなんですね。木だって燃えますが、みなさん木を使うときに「火、大丈夫なの?」って思わないでしょ? なのに紙って聞いた途端「火、大丈夫?」って言われるんです。紙も木も同じ。日本でつくる場合でも木造建築をつくっていいエリアであれば、紙の建築の許可も下ります。
(中略)

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耐久性は……。最初にできていま残っている建物でもまだ8~9年しかたっていないんですね。はっきり言えることは、モノの耐久性と建築自体の耐久性はまったく関係ないんです。ご存じのように、木も水にぬれると腐るし、シロアリにも食われます。ですから西洋人にとってみれば、日本の伝統的な木の建築ってのは、非常に耐久性のない仮設建築にしか見えないんです。ところが我々の古建築、500年も600年も残っている建築があるわけですね。それはどうしているかというと、腐ったり、虫に食われたり、ダメージを受けた部分を取り替えるんです。ですから日本人は素晴らしく、美しいその「継ぎ手」という技術で、一見わからないように、あるいはわかるように木を取り替えたり、継いだりする技術を開発しているんです。そうやって、長い年月ダメージ部分を取り替えながら大切にしているんです。
ですから、材料自体が安くて軽くて、取り替えやすければ、建築上は問題ないんです。

お客さま:
紙を建築に使用する場合のデメリットはなんでしょうか?

坂さん:
デメリットとしてはやはり強度が弱いこと。そのため、あんまり細い材料をつくっても構造体にならないし、やはり鉄やコンクリートに比べれば耐火性能もないですし……。その代わり、安いし軽いし、ほかにもメリットがいっぱいあってそれがいかせる場所で使えばいいと思います。コンクリートだって重いとか簡単にはつくれないとか、1回亀裂が入ったらもう補修が難しいし、などデメリットはあるわけで……。
ですから、材料っていうのは、適材適所。紙を使ってすべてのものをつくろうと思っているわけじゃないもんですから、やはり紙ならではの味をいかせるところに使っていけばいいと思います。

お客さま:
フィンランドの自然の美しさを利用した建築物に興味があります。フィンランドの自然観と日本の自然観には共通した部分があると思います。坂さんがフィンランド建築から学ばれたものはどのようなものですか?

坂さん:
いっときフィンランドに何度も行ってましたが、やっぱりフィンランドってちょっと日本とは違うなあと思うのは、光です。光の使い方が全然違います。白夜、まあ一年中暗いもんですから、夏なんか特に非常に暗いんで光をどう取り入れるかってことはフィンランドの建築で重要なテーマになってるんですね。で、まあ日本の場合一年中明るいですから、光って、軒を深くして間接的に取ろうとか、直射日光をあまり取らないっていうのが、伝統的な光の取り入れ方だと思います。まあ、木をふんだんに使う所は似ているんですが、ただ木を使うって言っても日本みたいに柱梁にではなく壁に使うので、同じように木を使っても全然違う文化だし、違う使い方だと思います。

お客さま:
ボランティアに対する考えや思いはひとりひとり違ってくると思いますが、板さんはどのようにお考えですか?

坂さん:
自分でできる範囲のことをすればそれでいいんじゃないかと思います。それは人によってそれぞれ差があると思いますが……。
(中略)
僕の場合たまたま自分で利用してきた紙の建築っていうものをいかして、それができる技術者、建築家として自分の開発してきたものを利用できるという魅力もあってそれが一体になったもんですから……。それは建築家であるという特別なことからかも知れないけれど、自分の単純な気持ちと、何か自分の興味とその活動が一体になると徐々に長続きするんじゃないかなあと思います。

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Profile

坂 茂(ばん しげる)さん<建築家>

坂 茂(ばん しげる)さん
<建築家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1957年東京生まれ。77年~80年に南カリフォルニア建築大学(SCT-Arc)を経て、82年~84年クーパーユニオン在学。在学中の82年~83年磯崎新アトリエ勤務。
85年坂茂建築設計設立。93年~95年多摩美術大学建築学科非常勤講師。
95年~国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のコンサルタント就任、NGO VAN(ボランタリー・アーキテクツ・ネットワーク)設立、横浜国立大学建築学科非常勤講師。
96年~日本大学理工学部建築学科非常勤講師。95年毎日デザイン賞大賞、96年日本建築家協会第3回関西建築家大賞、97年日本建築家協会新人賞、98年日本建築学会第18回東北建築賞などを受賞。著書、作品集として『shigeru ban』(GG portfolio,Editorial Gustavo Gili,1997)、『坂茂』(JA30号、新建築社、1998)、『紙の建築 行動する』(筑摩書房、1998)。

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