神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 重田 ひとみさん(株式会社エリートジャパン 代表取締役社長)
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「モデルという人生 ~それを支える立場として~」



<第1部>

エージェンシー立ち上げ
モデル認知までの長い道のり

フェリシモ:
はじめに、重田さんに『エリート』という会社はどういう活動しているのかお教えいただきたいと思います。

重田 ひとみさん:
はじめまして。『エリート』はニューヨークに本社があるモデルエージェンシーです。世界24都市にエージェンシーネットワークを持っていて『エリートジャパン』は日本国内にある会社です。みなさん、日常生活で生身のモデルに接する機会はないと思うんですが、わかりやすく言うとテレビコマーシャルとかファッションショー、あとはみなさんがお買い求めになる雑誌、カタログなどで洋服を着て出ているのがモデルっていう職業です。最初に、うち所属の主なモデルたちをビデオでご紹介させていただけたらと思います。

(ビデオ)

フェリシモ:
重田さんがこのような仕事を始められたきっかけは?
エージェンシーを設立された1980年代初期のモデル業界の事情はどのようなものだったのでしょうか?

重田さん:
創設オーナーが「モデルエージェンシーを始めたい」と人を探していまして、たまたま私が出会ったんです。
うちはモデルエージェンシーのパイオニアでもなんでもなく、古くからやってらっしゃるモデルエージェンシーはありました。有名なところでは吉村 真理さんも元ファッションモデルですから。あと高倉 健さん、菅原 文太さんも元大手のモデルエージェンシー出身です。それまでの日本のモデルエージェンシーとは別に私は、モデルエージェンシーという欧米のシステム、モデルマネージメントっていうものを母体に、職業としてモデルの認知度を高めたいという気持ちと、欧米システムのマネージメントをちゃんと取り入れたモデルエージェンシーをしたいと考えていました。それで、そういうところはないものかと探しましたが、日本にはなかったんですね。外国人のモデルエージェンシーを確立しないことには日本人を育てられないと思っていたので、まず外国人招聘(しょうへい)のエージェンシーを始めることにしました。我々はニューヨークに行き、一流のモデルエージェンシー『エリート』に行ってジョン・カサブランカさんに会ったんです。モデルエージェンシーって何なのか、どういうことが必要なのか、など全くわからない状態の我々に彼は「モデルって、おもしろくてかっこよくてクレージーなんだけどまじめで……」と、2時間も3時間もすごい情熱を持って説明してくれたんですね。それで「絶対それがやりたい」と思い、『エリート』と業務提携し、いまに至っています。
当時、1981年の終わりから1982年は、すごく大変でした。我々がいいモデルを鳴り物入りで連れてくるわけなんですね。いまでは考えられないんですけども、プロフェッショナルなモデル、パリやニューヨークで活躍しているモデルって、当時は日本にはいなかったんですよ。だから1人連れてくると100社くらいのお客さまが、みんなその子を使いたがるんです。当時、東京の銀座通りから日本橋まで、三越さんがあって松屋さんがあって…… と、ずっといろんなデパートがありますよね。そこが全部うちが入れた同じモデルを使いたがるんですね。

フェリシモ:
数が少なかったというわけではないんですよね?

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重田さん:
我々は「ほかのデパートもやってますよ」「あそこもやってますよ」って言うんですが、「それでも構わない。イメージを変えるから」「こっちはこっちのブランドで使うから」って。そういう時代だったんですよね。招聘(しょうへい)も大変だったんですけど、入れてからもすごく大変でした。招聘(しょうへい)はなぜ大変かというと、日本にモデルのマーケットがあるって知られていなかったんですね。だからパリやニューヨークで活躍しているモデルは口をそろえて「日本になんて行く必要もないし行きたくもない」って言うんです。我々は頼み込んで「こんないいことがあるよ」「京都に観光に連れて行ってあげる」「神戸でおいしいものを食べさせる」とかいろんなことを言いながら招聘(しょうへい)していたのが現実。少しずつ様子をうかがいながら「日本に来ない?」って言いながら招聘(しょうへい)していました。「何で7000マイルも離れてる極東みたいなところに行かなくちゃいけないのか?」とか言われて、「これは大変なことになった」と思って……。それが最初のころ。だからモデルエージェンシーのマネージャーをやるっていうことは人を説得することがすごく上手になりますよ。
あと、そのころの日本の事情もありました。ファッション雑誌、カタログの世界は、我々の感覚で言うと10年から15年遅れていたと思うんですね。モデルって職業が定着していないときにモデルを売るっていうこと自体がむずかしくて、もちろんその当時からデザイナーとカメラマン、アートディレクターたちクリエーターがいちばんわかってくださるので、そういうところへ営業に行っていました。コマーシャルを撮るときって、広告代理店や一流企業のスポンサーの方たちに会わなきゃいけないんですけど、なかなか理解もされなかったんです。だから、とにかくカメラマン、スタイリスト、アートディレクターとか、そういう方たちにモデルをまず見せて、彼らが気に入ってくれるというところから入って、雑誌に起用してくれるということで露出して、その雑誌が出るとカタログのお客さまがそれを見て使ってくださるっていう……、クリエーターたちがモデルを売っていってくれるというスタイルはいまでも変わらないんですけど、そのもとを当時勉強しましたね。

フェリシモ:
1980年代というと、過去の化粧品メーカーのキャンペーンポスターなどを見ていると、どのメーカーも外国人をよく使っていますよね。いまのように日本人のモデルの人が出るのは芸能人以外になかったような気がするんですが……。

重田さん:
当時、いい白人のモデルが入ってくるとみんな飛びついて使うんです。ファッションショーのデザイナー、洋服の先生方も、カメラマンもみんな白人を使いたがる、そうすると、どんどん日本人のモデルたちは仕事がなくなっていったんですよ。これじゃいけないと思ったんですけど。でも、結局表現力っていうか、感性というか……、カメラの前で自分が被写体になって表現することが、20年前の日本人のモデルにはできなかったんですね。それは、そういう環境になかったっていうことだったんです。だったら我々がその環境をつくってあげようってことで1983年ぐらいに『エリートモデルルック』っていうのを始めたんです。あの当時で2誌くらいの雑誌に応募を掛けたんですけどあまり集まらないんですね。モデルっていうのは、それだけ女の子たちの間で脚光も浴びていなかったんだと思うんですね。その時代はやっぱりアイドル歌手になってテレビに出たいとか、スターになりたいとか、有名になりたいっていう独特の世界があって、お父さんとかお母さんも「うちの子を映画スターにしたい」「歌手にしたい」っていうのがあっても「モデルにしたい」って思ってらっしゃる方はまずいなかったですね。でもその時代から少しずつやっていって……。ですから、先ほどの質問の答えは、使いたくても使う素材がいなかったっていう、それが事実なんです。

フェリシモ:
これまでいろいろな苦労がおありだったんじゃないかなと思うんですが、ここまで来られるのに迷いや悩みはありましたか? また、重田さんは働きながら結婚もされていてお子さんもいらっしゃるのですが、どういうふうな考えでいままで来られましたか?

重田さん:
本当に夢中であっというまに20年たっちゃったって言うのが本音です。始めたころは24、5歳。始めてから10年は、ほとんどプライベートもなく、海外と日本を行ったり来たり。日本では日本人の発掘をどうしたらいいかって考えながらずっとやってきました。「どうやったらマネージャーになれるか」ってよく質問されるんですが、プライベートの時間と仕事の時間の区別がつかなくてもやっていける人しかできないと思います。
私は結婚も遅かったし、出産もかなり遅いんですね。そうなってしまうくらい自分のプライベートの部分が仕事になっても楽しめるっていうような性格だったのでできたんです。いまでも役立っているなと思うのは、10歳、12歳から中学生くらいのモデルになりたいっていう女の子と話していて、もちろん情熱は注ぐし愛情もかけるんですけど、その子が病気のときとか悩んでいるとき、自分にもこどもがいるので、落ち着いてその子たちの話を聞けるようになったっていうのはありますね。結局、外国人の子でも日本人の子でも同じなんですけど、モデルたちはいつも不安定、自分たちに自信があるように見せなきゃいけない、だけど本当は自信がないっていうぎりぎりのところで生きている子たちなんです。

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モデルという職業とは?
そして重田さん流モデルの育て方は?

フェリシモ:
モデルの世界っていうのはそのモデル自身の資質によって出てくるいろいろな種類の作品があると思うんですが、モデルという職業はどういうものなんでしょうか?

重田さん:
いまはずいぶん職業として定着してきました。それは、我々がそれを望んでそれを目標にしてやってきたことなんですけど、かなりみんなプロ意識を持ってくれるようになりました。目茶苦茶なクレージーな子は減りましたね。でも、モデルって「何で?」っていうぐらいおもしろい子が多いんですね。奇想天外だし、すごくまじめかと思うととんでもないことしてくれるみたいな、そういう人種なんですね。そうじゃなかったら一流になっていけないっていうのも事実なんですよ。
モデルってどういうふうになっていくかというと、「この子いいな」って思ったときにまず我々は素のままで選ぶわけなんですよね。我々が好む子っていうのは原石。自分で「私はこうだわ」「私はきれいだわ」とか考えてない子が我々を惹き付けるんです。何にも考えてなくて真っ黒になってスポーツしている子でも、ひたすら勉強している子でもいいんですけど、要するにそういう子に我々はエネルギーの注ぎ甲斐があるなって思うんです。
どういうモデルが一流になるかっていうと、自分で私はこうだとかああだとか、この人は嫌いとか、あの人とは仕事をしたくないとか、この洋服は着たくないとか言わないで、プロの人たちにされるがまま、意見に染まっていったモデルが一流になるんです。染まっていけた子はその後もどんどん伸びる。自己評価している子はモデルには向かない。だから他人が自分をどう思うかっていうことをまず聞いてみる、「あなたってこうしたらすごくいいよ、こうしたら?」っていうのを聞く。聞いてそれに染まって次のステップに自分が行くまでそうしてみることも大切。モデルっていう職業はそういうものだと思いますね。

フェリシモ:
「されるがまま」って言葉が出ましたが、それでありつつも本人自身の表現力がなければいけませんよね?

重田さん:
でも、それを考えすぎたらモデルに多分なれないですから、表現力というのはその子がその日その日に出会えた人々をどう吸収していくかっていうことなんですね。例えば10歳の子には、まだモデルの能力はないんですよね。だから、その子の素材をまず見るんです。その子の能力はどういうところで花開いていくかというと、例えば雑誌社に行く、編集部に行く、カメラの前に立つ、「ちょっと右向いてごらん、後ろ向いてごらん、座ってみようか」っていうとき、カメラマンに「いまのいいよね」とか、スタイリストから「いまのかわいかった」と言われると「うれしい」って素直に思える、その気持ちがその子の能力を伸ばしていくんです。そうすると、その子は絶対にそれを覚えて、次の現場に行くんですよ。で、また新たな緊張がある。なぜ素にしておかないといけないかって言うと、モデルの過酷なところだと思うんですけど、毎日毎日違う人に会わなければいけないし、初めて会う人ばかり。カメラマンもスタイリストもヘアメイクも毎日違って、代理店も違うしスポンサーが来ることもあるし。毎日毎日何が来ても明るく対処して相手に気に入られなきゃいけない。人見知りしてる場合ではない、喋らなければいけない、しかも美しくなければいけない……。だから自分が素でいないととてもそれができないんですよね。そういう何でも受け入れていかなきゃいけないのがモデルなので、能力がこうだとかああだとか考えるまでに、もし現場現場を毎日こなせたら、その子の才能はものすごく伸びていくんですよね。だから人の評価を聞いて自分を磨いていく、自分で評価したらダメなんです。

フェリシモ:
モデルを育てるためにどんな教育をされていますか?

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重田さん:
うちは全部現場主義です。さっき言ったようなことなんですが、いかにいい人たちとの出会いを組んであげられるかっていうのが我々の仕事なんですよ。そのチャンスをつくったときに、いかに本人が吸収するか。そこで本人に体得していってもらうっていうのが我々の教育だと思っています。本人たちにその場を与えることは、時間を惜しまずやります。例えば食事に一緒に行きます。相手は我々の仲間だったり友人だったり、仕事の取引先だったりするんですけど、そこでモデルたちはすごく緊張しますよね。緊張したときにいかに相手に失礼のない態度で好感度が発せられて、一緒にいい会話ができるかということが勉強になるわけです。そこでボーっとして食べてばっかりいると、失格。「そういうことが大事なのよ」とさりげなく教えています。最近は喋らない子が多いんだそうです。それはモデル志望の子にも言えること。初めて会う人となかなか喋れない、喋ることに興味がないって言うんですかね。それではモデルとか女優とか人前に出て何かする職業にはむずかしいですよね。だから、できるだけコミュニケーションを取って欲しいです。そのためにふだんから手紙を書くとか、そういう普通のことをしていて欲しいなと思うんですね。表に出ておいしい空気を吸って、いい人たちに会って、いい映画があるなと思ったら観に行くとか、芝居に行くとか。きれいなモノを見て感動するとか、そういうことをちょっと心掛けると全然違うんですよね。

フェリシモ:
モデルから女優、歌手の道に進まれる方もいらっしゃると思うんですけども、それは、やはりその人の才能が見だされたっていうことなんですね。

重田さん:
自分で評価しないといろんなことの可能性が無限大に広がると思うんですよね。それはモデルじゃなくても普通の我々日常生活でもそうなんですけど、人の話に耳を傾けると自分の知らないことが発見できたりするわけです。
例えば、うちの小西 真奈美は1997年のエリートモデルルックグランプリ日本代表です。彼女は一所懸命モデルに打ち込んでいて、高校を卒業してからあっという間に主要な雑誌、コマーシャルの契約も取ってトップモデルになっていったんですね。彼女は頭も良くてかわいくて根性があったんです。で、「お芝居をやってみたらいいんじゃないか」っていう周りの評価も高まって……。そのとき本人は、「どういう世界かわからないけど、行ってみます」って。そのままつか こうへい先生の5泊6日のワークショップに飛び込んでいったんですね。ワークショップは本当に過酷だったらしく……。でも、彼女は600人の1人に選ばれて女優に転向したんです。

フェリシモ:
周りの人が求めていることに耳を傾けるのはどんな人にとっても大事だと思います。以前重田さんは一生涯モデルという子を育てたいっておっしゃっていたと思うのですが、最近はそういう意味では少し違いますか?

重田さん:
それは、そんなに甘い話ではなくて……。うちはあくまでもモデルエージェンシー。今後も新人発掘はモデルという切り口で探していきます。ただ、もしその子に違う才能があるんじゃないかと、我々だけじゃなく周りのクリエーターたちの意見があれば、それにも耳を傾けるということです。ただし、歌や芝居の才能がある子というのはそんなにいるもんじゃないんです。だから逆に「私はモデルをステップにして、将来は女優になりたいです」なんて言われるとしらけちゃうと言うか「それはいつ誰が決めたの?」みたいな。多分、いまブレイクしている大スター、大女優って言われている人たちは、「自分は大スターになる」って言って出てきた人たちじゃないと思うんですよ。そういうとこに常にアンテナを張るっていうのが我々の仕事かなって。ただし、うちのエージェンシーに所属しているマジョリティの子たちはずっとモデルやってます。

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マネージメントのコンセプト
マネージャーとモデルは
ビジネスパートナー

フェリシモ:
モデルマネージメントについてうかがいたいと思います。どのようなマネージメントのシステムでモデルの仕事を提供されていますか?

重田さん:
モデルマネージメントは、私は3つのコンセプトでやっています。まず1つ目は愛情とか情熱とか時間。そのモデルに時間をいかにかけるか。2つ目は、ビジネスパートナーとしてずっと長く付き合えるかどうか。友だちでも親子でもなくビジネスパートナーとしていかに付き合えるか。3つ目が、ここがむずかしいところですが、遊び心を持つこと、楽観主義でいること。
どういうことかと言うと、1つ目は、例えば経済的に困っているときにお金をくれる人は探そうと思えばいると思うんですよ。お金をくれるとか、貸してくれるとか、家に住まわせてもらえるとか。でも大事なのは時間をくれる人が欲しいわけです。特に新人モデルたちは9割の子は北海道だったり、東北、神戸、大阪、九州、沖縄から出てくる子もいます。みんな出てきたときに寂しいわけですよね。寂しいし不安だし、どうしていいかわからない。そんなときにどれだけ愛情、情熱を注いでやれるか、そして時間を割いてやれるか。要するに一緒にいる、話を聞いてあげる、そういう姿勢が大事だと思うんです。とにかく、自分のプライベートな時間よりもモデルたちに時間をいかに割くことができるかどうか。
2つ目は、モデルたちはマネージャーになついてくると、だんだん友だち感覚になり、また甘えすぎてマネージャーをお母さんみたいに思ったりもします。なので、ビジネスパートナーとして対等のスクラッチの関係をいかに保てるかが大切。いかに信頼を勝ち取っていくか、そしてお金のことも説得できるかどうか。多くのモデルの場合、未成年なので、お父さま、お母さま、学校へ行って説得しなければいけない場合は校長先生がいたりするんですけど、それで「就職ですか?」って聞かれるんです。就職なんだけど、固定ではない、あくまでもその子の才能いかんによって仕事が多く入ったり少なく入ったりするわけです。そこをいかに「あなた次第よ」って本人にやる気を起こさせるか。「私はあなたに仕事を入れる。私はあなたのことを守る。その代わりあなたにもし仕事が入ったときには、あなたは私にパーセンテージをください」っていう本当にパートナーとしての関係なんですね。あくまでもモデルがお客さまから仕事をいただいて、モデルがギャランティを受け取る。そのギャランティから我々がマネージメント料をいただく。20年前、我々がやりたかったのは、そういう関係が保てる、本当にモデルマネージメントがやれるエージェンシーだったんです。モデルとマネージャーの2人がいてひとつのプロジェクトが成り立つ。エージェンシーというのはそういう形を何個も何個も持っている。モデルというのは身体ひとつの個人自営業の社長みたいなもんですよね。

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3つ目です。モデルたちは、とにかくハプニングが多いんですよ。とんでもないことしてくれる人たちなんですね。クリエイティブな人たちに受けるモデルになっていけばいくほど、やっぱり自由奔放。いつも洋服に気を使ってないといけないのでファッションも自由奔放だし、ライフスタイルも奔放。毎日いろんなことがあるんです。月曜の朝とかが多いんですけどある日突然「モデルが来ません」みたいなことも。そうすると、ものすごく大変なわけです。どういう事情でモデルが行ってないのか、とりあえずリサーチしないといけないわけです。特に多いのは外国人。変な話、どっか変なところにいたりするわけです。例えばボーイフレンドのところに行っているとか……。そうすると、電話の向こうでお客さんは怒っている。そこでマネージャーも一緒になって怒るとモデルもぎゃーっとなって、そこに穴があいちゃうわけですよね。そこでまず落ち着いて「いまから迎えに行くから」と言って行くと、「私はどうしても今日仕事行けない事情がある」とか言ってて、そこで怒ると大変ので「そうなんだあ」とか言いつつ、バカヤローとか思いながら、「まあお茶でも飲んで」とか言ってお茶飲んで「どうしたの?」って言ってるそばでもお客さまは「モデルはいつ来るんだ?」と言ってくるわけですよね。だから、ある程度楽観していかないと、この子たちを本当に説得できないんですよね。それがモデルマネージメントの基本。だとしたらまじめな人間じゃないといけないんですけど、ある程度遊び心があって、ある程度楽観できる、そういう人生観が必要かなって思いますね。

フェリシモ:
忍耐力が必要そうな仕事ですよね。

重田さん:
我々の想像を絶して、みんないろんなことがあるわけですよね。ホームシックだったり、ボーイフレンドのこと、学校の挫折、仕事の悩み、経済的な不安。ありとあらゆることがあって、そんなときに、たまたま行った撮影で「最近君、肌の調子が悪いんじゃないの?」って言われちゃったりしたら、パニックになって「私、モデル辞める」とか言い出したりするんです。でもそれは当然のこと。ああ見えてみんなすごい緊張のなかで仕事をしているんですね。その緊張を包み込んで愛情と時間をいかに与えられるかっていうことと、ビジネスパートナーの線を守れるかっていうこと、そして一緒に遊び心を持って楽観主義でいくということが、私は3つの大事なことかなって思います。これは、モデルじゃなく普通の人にでもいかせるコンセプト。私自身もそうやって生きているつもりです。

フェリシモ:
第2の重田社長を育てようというお気持ちはありますか?

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重田さん:
育てなくちゃいけないとは思っています。いま言ったようなことを含め、日々何か少しでも伝えられたらいいなと思ってスタッフには接しています。だけど、なかなか力不足でそう簡単にはいかなくて……。「モデルになりたい」って来てくれる子たちがたくさんいますが、そのうちの9割が実際モデルにはなれないわけです。そういう子たちに話してあげている私を、スタッフが見ていてくれて、学んでくれたらいいなと思います。

フェリシモ:
重田さんをいまの仕事に惹き付けているものは何ですか?

重田さん:
20年前、世間では「モデルって何?」って言われている時代、パートナーと「せっかくやるならナンバーワンになろうよ」って言ったんです。そう、「絶対ナンバーワンになろう」って言ってここまで来たんですよ。どうにかモデルって職業も認知されるようになりました。でも、私をかわいがってくださっているある方に言われてたことで「オンリーワンになればいいんじゃないの?」っていうのがあるんです。要するにナンバーワンっていうのは100人いたら100人の価値基準がある世界だと思うんですね。でもオンリーワンならば絶対誰でもなれるんです。私がオンリーワンになるっていうことは、先々のことを考えて新しいことに常にアンテナを立て、新しい出会いをどんどんつくること。私がそうしていれば、うちに来てくれるこどもたちとか、うちとお付き合いしてくださるお客さまたちも、そのときしかできない最高の仕事とか、うちでしかできない素晴らしいモデルが育っていくんじゃないかなと思います。それが最近の目標。ナンバーワンじゃなくてオンリーワンがいいかな。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
社長とモデル、どちらがむずかしいですか?

重田さん:
おもしろい質問ですね。社長とモデル、絶対モデルの方がむずかしいと思います。先日うちのモデルの結婚式があったんですね。彼女は世間でいう玉の輿。お相手はすごく優秀なお医者さまだったんです。会場に来ていた500人くらいの内、我々モデル関係者は20名くらいしかいなくて……。そういう柔らかい系が、うちのモデルとその友だちと我々しかいないんですね。そこでうちのオーナーがお祝いのあいさつをしました。「本日お見えのお客さまは、多分東大及び医科歯科大卒と、もう大変優秀で難関校を突破してられると思うんですけども、うちのこの子はモデルです。でも、多分モデルをすることの方が東大に入るよりむずかしいのではないでしょうか」っていうスピーチをして、すごく受けたんですよ。モデルは努力して勉強してなれるものではないんですね。物理的な問題もあるので……。身体もそうだし、内面も大切。人前で被写体になるって大変なことだし精神力、体力が必要なんです。だからモデルになる方がむずかしいと思います。

お客さま:
重田さんのストレス解消法とかリラックスの方法は何ですか?

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重田さん:
不器用なので、なかなかできないんですけど……。遅く結婚して、遅くこども生みましたのでまだ7歳の娘がいるんですね。多分私の人生で、自分にしたいちばんいいことかなっていうのは、娘ができたことだと思っているんです。最近のストレス解消法はうちの娘と遊ぶこと、話すこと。1日5回くらい携帯電話に世話女房のように「今日は何時に帰ってくるの?」「今日はごはんいるの?」ってかけてきてくれて、めんどう見てくれています。それがストレス解消法ですね。

お客さま:
お子さんにどういう教育をされていますか。

重田さん:
私がこういう仕事ですごく忙しいので、何でも話すこと。なぜ今日は夜遅くなったかとか、夜中まで何をしていたんだとか、何でも話すようにしているんです。
もうひとつは絶対お互いに溺れないようにしたいと思っています。ニューヨークの友人が、「欧米では、こどもは16歳とか18歳になるまで親の家と経済的基盤のなかに居候しているもんだと思えば、大人になってからの親子関係が友人同士でいられたり、変に甘えすぎず尊重しあえたり愛し合い続けられたりできるのよ。こども中心の生活になるってすごく私は良くないと思っているの。こどものために何でもする、何でも買い与えてお金もあげて……。別に同居が悪いんじゃないけれど、18歳くらいになって自立するまで、親に食べさせてもらってるということを感謝することが必要。感謝の気持ちがないままずるずると親の家にいるのが当然だというのは間違っているのよ」って。目から鱗でした。なるべくそのスタイルに近付きたいなと思って、こどもと接しています。

フェリシモ:
神戸の人、街に一言、メッセージをお願いします。

重田さん:
92歳の祖母と65歳の叔母が夙川に住んでいます。そういう関係もあり、神戸は大好きです。山があって海があって気候が年中寒すぎず暑すぎずっていうのは、日本のカリフォルニアみたいですね。だから本当に素晴らしい。また来たいです。

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Profile

重田

重田 ひとみ(しげた ひとみ)さん
<株式会社エリートジャパン 代表取締役社長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1956年1月15日生まれ。81年よりモデルマネージメント業務に携わり、83年に世界最大のモデルエージェンシーであるエリートとの業務提携、スーパーモデルとの強いコンタクト等で業績を上げ、1995年秋に代表取締役に就任。現在、海外モデルディヴィジョン、発掘から育成まで手掛ける日本人モデルディヴィジョン、メンズディヴィジョンが東京にあり、その他、国内ネットワークはエリート大阪、エリート福岡がある。又、83年より、国内最大のモデルリサーチ、エリートモデル・ルックを毎年プロデュースし、数多くの新人モデルの発掘に力を入れている。

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