神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「トップモデル ~人は意志の力を借りて光り輝く~」



<第1部>

今日は私自身の人生のお話をしようと思っています。まず、その人生というのは、人それぞれに違いますよね。世の中にはいろいろな人生がありますね。ここにいらっしゃる方々も、それぞれ違う人生を歩んでいらしていらっしゃるでしょう。私だけでなく誰でも、生まれてから死ぬまでというのは自分の人生ですよね。
人間は皆平等だなんて言いますけど、私はそうじゃないと思うんですよ。生まれた時から平等じゃないですね。飢えの中で生まれる子もいれば、病院の中で生まれて一生病院の中で暮らす人もいるし、生まれた時から差がついてますね、人間というのは。最初から裕福な家に生まれて一生裕福なまま暮らす人もいるし、アップダウンのあまりない生活を送っていく方もいるし、すごくアップダウンのある生活を強いられている人もいるし、いろいろですよね。私は五体満足だからモデルをやってこられたので本当によかったなって思います。若いころというのはそういう恵まれているということも何もわからずに、ただ無我夢中で暮らしていました。その昔私はトップモデルだったんですよ。日本がまだ貧しいころでしたから、本当に今考えるモデル界とかファッション界というのとは全く違います。今の方にはとても想像つかないような世界でした。
まず、なぜモデルになったのかというと『トップモデル』という本にも書いてありますが、私は本当はオペラ歌手になりたかったんです。国立音楽学校という学校へも通ってました。

(スライド)
これは『ハイファッション』という雑誌の創刊号の表紙なんです。これはもうモデルになってから、だいぶたってからですけれど。

(スライド)
これ。これ皆さま、私いくつだとお思いになりますか。

お客さま:
16歳か、17歳。

河原さん:
そうなんですよ、生意気ですよね、でもね、これ17歳。これは学校の近くの立川というところにアメリカの空軍基地があったんです。そこでミスを募集してまして、私はお小遣いが欲しくて、応募したんですよ。で、私は2等になりました。洋服なんてたいして持っていませんでしたから、姉に借りた絹の上下を着ていきました。そのころは音楽さえあれば何でもよかったんです。そして、その受かったご褒美に、ここから九州の空港まで飛行機で行きました。日本の民間航空ができるかできないかというころでしたから、飛行機に乗れるというのがすごくうれしくてね、もう本当に飛ぶような気持ちで乗って行きました。もちろんプロペラ機で。この飛行機は確か後ろがパラシュートの部隊用の飛行機で、胴体が太くてね。そして後ろが開いたまんま雲海の上をファーと飛んできて、すごく気持ちがよかった。とてもいい思い出です。ミスなんかどうでもよかったんですけどね。とにかくいちばんでも、2番でも、3番でも飛行機に乗せてもらったのがうれしくて。
そんなようなことをしながら学校に通っているうちに、父親が亡くなりまして。音楽はすごくお金がかかりますからね。ですから音楽の勉強を続けていられなくなっちゃって、高校二年の時に学校を辞めて、普通の学校へ移って。そして何をやろうかなという暗中模索の日々がそこから始まるんです。とにかくオペラ歌手になりたかった私がやりたかったのは「カルメン」なんです。カルメンをやりたいんですけど、私の風貌でカルメンって似合わないでしょう。だから今で思えばね、やらなくてよかったなと思うんですよ。でも、当時はとにかく無我夢中でオペラカルメン、もう頭の中はそれだけで。他の勉強は大嫌いでしたけど、音楽の勉強だけは喜んでやっていました。ところが振り返ってみると、私の人生というのは何か自分が一所懸命何かをやろうと思っている時は、シャッターが降りるような感じになるような運命なんです。

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本当に当時は音楽しかなかったんですよ。今では、門が狭いそうですけど、私が行った当時はほとんど無試験で学校に入れました。気楽なものでしたが、それでも音楽だけ一所懸命やっていたのに、やれなくなってしまった。それからいろいろやりました。最初は喫茶店のアルバイト。でも、お客さまに言われたことが全然頭に入らない状態でした。もう本当に真っ白というのはあのことで。そのお盆持ったまま帰ってきてね、そこのチーフに「何て言われた」と言われても「ああ、コーヒーが、コーヒーが、ああ」なんて言ってました。もうさんざんバカにされながら2日、3日たって結局嫌になっちゃって、行かなくなっちゃうんですよね。もう本当は大変なのに、うちは大変なのにお金稼がなくちゃいけないのに、行けなくなっちゃう。嫌なことができない体質なんですね。勝手な性質なんでしょうね。そんなのを何回も繰り返しているうちに、だんだん人の顔にも慣れてきて、おっかなそうなおじさんも話してみればやさしいんだなとか、あのおばさん意地悪そうだけど、結構親切なんだなとか世間のことがだんだんわかってきているころに母が「モデルでもやったらどう?」と言うんですよ。私は母とものすごく仲が悪くて、意見が全然合わないんですけども、一回くらい親の言うことを聞いておこうかなと思って、モデルの養成所を受けて、それも大昔のことですから、誰でも入れました。今では結構大変ですけど、昔は受ける人も少なかったですから、誰でも入れて。最初は私もこれえらいところに来ちゃったな、えらい仕事を選んじゃったなと思いました。
私が入ったころは、みんな大型だったんです。伊藤 絹子さんってご存知ですか。昔は8頭身が珍しかったのですけれど、彼女は8頭身でした。1950年代にその8頭身美人がミスユニバースで3位になったというので、もう鬼の首取ったように日本中大騒ぎでしたよ。それもアメリカの政策のうちなんだろうけど、日本人はもう大喜びで。伊藤さんが歩くとね、普通の俳優さんどころじゃないんです。それこそここが東京駅だとするとプラットフォームに人の山ができちゃうんですって。身動きできないくらい。彼女が電車に乗ってどこかへ行くって、どこかから情報が入るでしょう。そうするとね、黒山の人だかりになっちゃうというくらいだったそうです。日本中が何もなかったから何でも、なんか飛びつきたかったのでしょうね、珍しいものに。

そのころの私の先輩方というのは顔も大きいんですよね、昔の人ですから。私だって今の人に比べれば、顔が大きいですからね。それで爪から何からもう派手なんです。真っ赤な口紅で、真っ赤な爪が長い爪で、それでもうアメリカ製の安物のキラキラのイヤリングをして「さあ、どうだ」という感じでね。もう私は「どうしようかしら」と小さくなってました。5年間なじめなかったですよ、本当に。モデル界というのは芸能界とはまた違った、何か独特のニュアンスしか通じないというところがあるんです。夜に会っても「おはようございます」でしょう。何かその表現がね、妙に軽いノリじゃないと人が受け付けてくれないというようなところがあってね。私はその妙な軽いノリができない性質で、バカにまじめなところがあるし、四角四面。祖先に英国人の血が入っているから、そのせいかしらなんて思いながら、もうなかなかなじめなくてね。そのやっていろいろな経験をしているうちに時代が変わってきました。
モデルになったころは、今のように着るための洋服というのではなくて、見せるための洋服だったんですよ。いわゆるショーだったんですよね。みんな豊かさに飢えていたから、何か豊かに見えるもの、華やかなものというのにあこがれている時代でしょう。ですから、生地はろくなものがなかったし、本当のデザイナーというのがいない、コピーの時代でした。外国の雑誌からこの形をとって、あの形をとってという時代ですから、そんないいものはできないんですけど。それを派手に舞台の上で見せるという時代。そういうその時代にファッションショーをやって、病気になって具合が悪くてもやらなきゃならない。洋服をからだに合わせるから、どうしても休むわけにはいかないんですよね。
今は自分が具合悪かったら、同じサイズの別の人に着てもらえばそれで事足りますが、その当時は熱が九度五分くらいあっても休むわけにいかない。何かそうやっているうちに、だんだん人間が強くなってきました。仕事にも5年もあればなじみますよね。いくら晩生でもね。次の5年間は乗ってました、確かに。油が乗ってくるし、時代の波に乗ってきましたから、需要が多くなってきますしね。仕事をこちらで選べるようになってきたこともあって、偉そうに仕事していました。
私はモデルの世界の中で「何をしたら生き延びていかれるか」といつも考えていました。わりと傍観者的なところがあるものですから、自分がどっぷり浸かるよりも、半分傍から見てるというところがあるんです。私はモデルとしては少しからだの伸び方が足りない。もうちょっと伸びていればやりやすいんです。なぜかと言うと、服を着て動く時に、長い方が優雅な線が出るでしょう。だからウエストは長い方がいいんですよ。短い人はスタイルがいい、女としてはかっこいいですけどね、腰が高くって、足が長ければかっこがいいんだけれど、エレガンスさは出てこないのね。私の場合は胴体は長いんだけど、足があんまり長くないし、手も短いし、わりに太短いのです。でも、やる以上はトップにならないとやっていてもしょうがない。与えられた洋服を100パーセント見せただけじゃトップにはなれないんです。そこに自分の持ち物を加味して120パーセント、150パーセント、ときには200パーセントにして、皆さまにお見せしなければ、抜きんでてはいけないのです。そのためには何がいいのか。私は何を持っているのかと思った時に「河原さんにはオーラがある」と言ってくれる人がいて、いったいそれは何なのかしらと思って分析していったら、雰囲気でした。オーラなんて自分で見てないから、わかりませんよね。湯気が出るわけじゃないし。そのオーラって何だろうといろいろ考えたら「そうか、私はきっと何か雰囲気が他の人と違うんだわ。だから人がいろいろ言ってくれるんだわ」と思って、それを私の売り物にしようと思いました。それからその雰囲気を出すことを心がけていきました。しかし、大きな舞台だとシルエットが出て来るだけだから、表情も雰囲気も本当に見えません。

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以前、有名なブランドのショーに一度出てみたらそれが大きな舞台だったんです。それが嫌なので二度目からはお断りしちゃったの。舞台だからシルエットにしか見えないから。私自身の持ち味がでないからということでお断りしたんです。そしたらそれから「モデルに断られたのは初めてだ」って話題になったと言われました。そのブランドはすごい存在でしたから、モデルに選ばれたらすごい光栄なのに、それを断ってくるなんていうのは珍しいモデルだっていうんで評判だったらしいです。
とにかく私はわがままというのなのかな。でも、私自身は自分の感覚を大切に生きてるつもりなんですよね。ひとりで生まれて、ひとりで死んでいくんだから。自分自身の持って生まれたものを、誰にも他の人にないものを大切にしていこうと思っています。それがそういう形で出てくるんですけど。そうやって私はモデルを雰囲気で売ることにしたら、そうしたらもうやっぱりそれだけのものというのは返ってくるんですね。何か急に売れるようになってきて、それで本当にトップに上がりました。でも一度上がったら、後は辞めるしかないですよね。上がったら終わりでしょう。トップになったら後は下りるしかないわけですよ。下りていくのを黙ってみているよりも、やめちゃった方が早いって、トップになった途端から辞めることばっかり考えてね。
でも他にじゃあ、何ができるかと言ったら何もできないんですよ。音楽はもう全然だめでしょう。もう昔のことですから。声楽なんていうのは特に毎日毎日やってなかったらだめです。そのころはモデルなんか本当に潰しがきかないですからね。一度、客室乗務員になろうとして、試験を受けに行ったらスッと受かったんです。いい人が来てくれたと言って喜んでくれて。こちらもその気になって「旅行ができてうれしいな」と思っていました。その後、身体検査に行った時にグリーンに髪を染めていて、恥ずかしいからスカーフをかぶって行ったんですけど、少しグリーンが見えていたみたいで、お医者さんがすごく不思議そうな顔して見て、それで落っこっちゃった。私悪くもないのに、あなたの心臓は悪いから気をつけた方がいい、診てきてもらった方がいいとか言われてね、落っこっちゃった。
モデルっていうのはいい仕事でしたよ。口はきかないけれども、目と目でお客さまと会話ができます。そういうのが、とっても楽しかったんですよね。楽しくてよかったんだけども、先がないですよ。いつまでもやってるわけにはいかないじゃないですか。だんだんだんだん老けてくる。時代も変わって顔の小さい人も出てきたから、私もそろそろ辞めた方がいいなというのもあってモデルは辞めることになりました。
今ではモデルをやっててよかったなと、思うようになったんです。やっている当時は、さきほども申しましたように、最初なじめなかったし、途中はよかったんですけど、それもまぁ本当の一時でね、結果的にあまりなじめる世界ではなかったんです。ですから本当に喜んで仕事をしていたわけじゃなかったんですよ。とりあえずいちばん最初に、モデルだったころの写真があるので、見ていただきます。

(略)

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そんな経験をいろいろしてきて、今になって何がよかったかと言うと、鍛えられたことがまずひとつ。全部、相手の都合ですからね。自分の生活というのは、ほとんどそのころはなかったですから。例えばメーキャップなどは仕事が終われば自分の顔に戻れますけど、ヘアースタイルは自分の好きなスタイルができないんですよ。いつもどうにでもなるような、中途半端な髪しかできないからおもしろくもなんともない。たまにはカットしたことがありますけど、いつも人の都合で動かなきゃならない圧迫感がありました。スキーに行きたくても行けない。行ってもしものことがあったらいけないから我慢しなきゃいけない。夏は日焼けできないし、制約がいっぱいありました。
それと辞めてからよかったと思うのは、からだを動かしていたこと。モデルのころはからだの中の筋肉の動きを、ちゃんと自分で把握していました。どこの筋肉がどれくらい動いているのかって、指の先から足の先まで、よく自分で自覚してました。それがね、モデルを辞めてしばらくして、物を書いたりしていると、どうしても背中が丸くなってくるでしょう。そうすると背中に肉がついてくる。モデルのころはこの貝殻骨(肩甲骨)で商売してたくらい骨の出方がとてもきれいだったんです。それを大切にしてましたから「ああ、いけない。背中に肉がつくということは、これは年をとった証拠だ。こういうところで人は判断するんだから、気をつけなきゃいけない」と思いました。そこで水泳にいきました。背泳するんです。10分泳いで5分休んで、10分泳いで5分休んでというのを30分くらいするんですよ。そうするとたいていスッと肉が落ちます。背泳がいいのはね、からだをヒュッと伸ばしますでしょう。だからヒップアップにもなるんですね。私の小さなヒップでも少し上がってくるかなという期待も含めて、そのからだの筋肉がどういうふうに動いているのかというのを自覚しながらやってるということは、今の私にすごく役に立ってくれてます。やっぱり動物だから、からだは動かさなきゃいけない。そんな当たり前のことが普通の生活をしているといつのまにか意識の外にいっちゃうんですが、私の場合はからだを動かしていたおかげで、切実に筋肉の衰えを感じます。
日本人というのはね、みんな内またでしょう。きれいな足してるのにもったいないなと思います。内またということは、外側に力が入っているということなんですよ。外側に力が入るということは、外側の筋肉がそれだけついてくること。そうすると足がO脚になってくる。だから日本人ってO脚が多いじゃないですか。O脚だから内またになるのか、どっちが先か知りませんけど。とにかく筋肉というのは使えばついてくるし、使わなければ衰えちゃう。三日で衰えますね、完全に。
音楽でもそう。声楽でも一日何時間か練習してないと落ちるでしょう。音楽家にしても、何にしても筋肉ですからね。生きている動物っていうのは、やっぱり筋肉をちゃんとしていないと。頭もそうじゃないですか。ちゃんと動かしてないと動かないでしょう。動かしてればそれは強くなっていくわけでしょう。そのおかげでね、私、今65歳になりましたけど、何とか元気でこうやって皆さまにお会いして、お話できています。さっきも「座らなくてくたびれませんか」と言われましたけれど、1時間や2時間立っていることは別に何でもないですもの。1時間、2時間立ってたって、疲れるなんてことない。動いてればなおのことですけど。
モデルを辞めてから前夫とも別れまして、どうせなら全部ゼロにして、全部なしにして一から自分の力がどんなものなのか、どの程度の力を持っているのか試したくなってきました。とにかくモデルで甘やかされてきましたから何でも言うこと通っちゃうわけです。普通の世間に入っていくためにはちょっと考え直す必要があるだろうと思いました。

私どうもイタリア人的なとこがあって、備えも何もないのに行動を起こしちゃうんですよ、すぐ。そうしてゼロにしてね、前夫ともわかってもらえないから無理やり別れて逃げてきちゃって。離れたらしあわせでしたね。お隣のお庭の緑や葉っぱがね、キラキラと風で揺れたり、光がキラキラとしただけでも「うわぁしあわせ、自由」って思いました。私、宝石から何から全部置いてきましたから何もないでしょ。その何もなさがすごくしあわせでね。何もないから家具付きのとこを借りてたんです。朝起きるとね、東京タワーが見えてね、ベランダ行くと東京タワーの左手に朝日がフワァと出て来る。それ見ると、うわぁ何て自由でしあわせなんだって。しあわせで、夕方になるとお酒を飲んで。お金もないのに、10ヵ月ばかりそんな日々を過ごしました。でも、生活しなくてはならない。その間だって借金で過ごしていました。出てきた時は、5万円しかハンドバッグになかったんですから。向こう見ずでしょう。中年のいい時にわざわざ苦労をするために出てきたみたい。そしてね、仕事を探しだしたんです。でも、仕事なんかないんですよ。わがままな生活をしてたから、普通の生活をするために、朝から夕方までちゃんと勤める仕事をしたいっていろいろな人に言いました。そしたら誰も、モデルでわがままな女に何ができるんだっていう感じでみんな断られちゃったんです。それで友だちのところに無理やりに頼んで、1年間働いたのですが、ガンになっちゃったんです。今でこそガンと言ったって、子宮ガンなんか早く見つければどうってことないでしょう。他のガンでも、あんまり怖い病気じゃなくなってますよね、近ごろは。でもそのころはそれこそガーンときてました。お金もないのに、これでガンになってさぁどうしようって。でもしょうがないじゃないですか。気楽なもので、私、英国へ行ったりもしました。

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とにかく病院に入ってガンと闘っているうちに、人間って孤独だなというのを初めて味わいました。本当にひとりで生きていくものなんだなというのがつくづくはっきりと実感としてわかったんですよ。みんなお見舞いに来てくれたりするんですけど、やっぱり義理で来てる人がほとんど。来た時から帰りたいと思っている人とか、顔を見てるとよくわかるんですよね。本当に心配してくれるっていう人は少ないし。だからと言って心配してくれたからって、やはりそれは人のことでね。自分のことはちゃんと自分で責任持って生きてかなきゃいけないなと思って、からだのことも気を付けるようになりました。
自分がガンになるまで追い込まれなければよかったのですが、精神が強いばっかりに、からだを追い込んでしまいました。そこまで追い込む必要もなかったでしょうに、自分で追い込んだんだから自分が悪い。やってることはすべて自分に返ってくると、その時つくづくよくわかりました。もう何十年も前のことですから、いまはもう全然どこも何ともないんです。完全に元へは戻りませんよね、年を取ってるわけですからね。だけどまぁ、自分で忘れるようになったのに10年かかりました。それでその間に、随分仕事は損しました。やりたいけどできないわけですから。まず、ほこりがだめになっちゃったんですよね。つまり、ファッションショーの仕事には携われなくなっちゃった。コーディネーターの仕事もずいぶん来ましたけど、楽屋に入らなきゃならないというのがもうだめなんです。もともと気管支が弱かったものですから喘息みたいになってきてね。ホルモンもバランスが崩れてるでしょう。だから旅行のときも、注射を持って歩いて自分で打っていました。男性もね、ちょっとわかっていただきたい。女性がころころ変わるっていうのはね、ホルモンのせいなの。ホルモンが切れてくるでしょ。そしたらボーっとして、脳震盪が起きる前みたいな感じでフワーッとしてくるんですよ。そこで注射を打つでしょ。今度は神経が立っちゃって、イライラしてくるんです。向こうから歩いてくる人の顔まで憎らしくなってきて、もう本当に一触即発になっちゃうんです。おかげさまで今は健康ですよ。ときどき胃が重いかなと思うけれど、バリウムなんか飲んだだけで治っちゃったりね。歯医者さん行ったり、耳の掃除に行ったり、細かいケアをしていることが、やっぱり長持ちするのかな。

私は死ぬ時まで元気でいたい。それで死ぬ時はにっこり笑って、皆さまに泣かれないように「お先にね」ってニコッと笑って死にたいの。これが夢なんです。それに向かって何とか元気でいてね、そして皆さまにこうやってお話させていただく機会も持てて、明日も希望を持てるということは、とてもしあわせなことだと思います。こういうふうに生活できるのも、やっぱりからだが健康であってこそですよね。言ってしまえば簡単なことなんですけど。そしてそのために何が必要かと言ったら、細かい注意しかないんですよね。つまらないかもしれないけど。自分に対するほんのちょっとした手当て、それから心遣い、それしかないですね。
おしゃれは何だっていったら、おしゃれはやっぱり自分の姿をよく見ること。人生もそうですよね。己の姿や持ち味をちゃんと見極めてれば、その先にどうやって進んだらいいかというのはわかりますよね。おしゃれもそれと同じです。鏡を見てよく自分の姿を見ることですよね。そして足りなければ足してあげたり、引いてあげたりしながら一生を送っていくんです。与えられて、作られて、生まれて、その中で生きていかなきゃならない。そういうことが私は病気になって初めてわかりました。そのお陰でなんとかね、現在までやっていられるんです。明るくって、物にこだわらないのがいちばんみたい。健康じゃないと明るくなれませんしね。
私のおしゃれサロンに来てる方で、80歳過ぎた方がひとりいらっしゃるんですよ。50代から80代までいるんですけどね。その中でもいちばんしっとりしたきれいな肌をしていらっしゃるんです。80代とは到底見えない。何がこの人をこう若くしているのかしらと思ったら、何もこだわらないことなんだそうです。だから、ものすごく切り替えが早いです。自分で切り替えられないような時っていうのは誰でもある程度年を取ったらあるんですよ。暗いものを引きずっちゃってるような時期が。私は、そういう時期が来たら自分でどんどん変化を求めて歩きます。変化がいちばんいいみたいですよね。「変化は人生のスパイス」って言った人がいますけど、本当に変化あって人間はスパイスの香りを嗅ぎながら、また次のステップに向かっていくんでしょうね。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
お肌がつやつやされていますが、お手入れはどうされているのでしょうか? また河原さんにとっておしゃれとは何ですか。

河原さん:
若いころ、私は全然もてなかったんです。あの人いいなと思っている人がいたんですが、遠くから見てポーとしてるだけ。そこで私はなぜもてないのかしらと思って、自分の特徴って何だろうなと見回してみたら、肌がきれいだったんですよ。それで肌を大切にしようと思って、肌のことは気を付けてきました。若いころは余分なものはつけませんでした。今でも厚化粧はしません。年を取って厚化粧というのは余計おかしいですからね、やっぱりしわって生活のものでしょう。表情で出て来るものだから。この間もね、ちょっと下向いて寝てたらここにしわができてしまいました。そういう時は、化粧水つけてよくたたきます。美容液をつけたりして。それの積み重ねです。
おしゃれは好きです。私は生まれた時からもしかしたらおしゃれだったのかもしれません。おしゃれは生きるための薬、力ですね。おしゃれにしていると、人から褒められる言葉が薬になるんですよね。で、また次の日にいく元気が出てくるようになります。

お客さま:
とても白髪がチャーミングでいらっしゃいますけれども、いつごろから白いきれいな髪になったのでしょうか。きれいな髪は、いつからどんなふうにお手入れをされたかということをお聞きしたいんです。

河原さん:
私モデルのころ、一晩で髪の毛が白くなっちゃったことがありました。白髪のモデルじゃ話にならないので、それから染めだしました。昔はいい薬がなくて傷んでしょうがなくって、自分で洗えないくらいだったんです。ちょっとぬれるともうお人形さんのナイロンの毛みたいにきゅっとくっついちゃうくらいひどくなってしまいました。だから、モデル辞めたらどういう見かけでもいいから自分を出そうと思って、こんな短く切ったんです。そしたら、染めてた色と、自分で生えてくる色と、白髪の色と、それから染めてても薄くなってるところと濃いところとあるからいろんな色で鳥の羽根みたいでおもしろいって言われましたよ、フランス人に。
分け目をつけると白いところ、また色の違うところと分かれちゃうでしょ。そういう髪だったらいいんじゃないですか。だんだん待てばそのうち白くなります。その現状でね、いいじゃありませんか。

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お客さま:
お好きな食べ物は何ですか。

河原さん:
好きな食べ物はいろいろあります。若いころは「肉」なんて言うと笑われてましたが、今でも肉は好きですね。あんまり野菜は好きじゃありません。みなさん「肌がきれいだから、野菜が好きでしょう」とか「サラダが好きでしょう」とか言ってくださるんですけど、ドレッシングの酢っぱさとか苦手なんです。だから美容にいいっていうものは、あんまり好きじゃないんです。生野菜は特に嫌いなんです。だからなるべく温野菜を食べています。

フェリシモ:
甘い物など召し上がりますか。

河原さん:
食べます。私は体質的に体重が変わらない体質なんです。どちらかと言うと、今は疲れるとすぐやせちゃうんです。だから疲れると、時々大福か何か買ってきて2つ、3つガバガバッと食べたりします。

お客さま:
関西の名物であるたこ焼きはお好きですか。

河原さん:
私、残念ながらたこ焼きとかね、お好み焼きとか小麦粉類はあんまり好きじゃないんです。ですからパスタも2口、3口ですぐ飽きちゃうし。大阪の方はごめんなさい。

お客さま:
昨今、カラーコーディネーターによるあなたに似合うカラー、ファッション、化粧などと言うのを見聞きしますが、河原さんはそういうのをどう思われますか。いろいろな色やお洋服を着こなしてこられて、やはり自分色というのを持っておられますか。好きな色と似合う色は違うと思うのですが。

河原さん:
そうですよね、確かに好きな色と似合う色は違いますよね。私は渋い色が好きなんです。「わび」「さび」の世界が好きで、すごく渋いものが好きなんですけど。それを着るものとしては暗くなるので当てはまらないです。モデルのころは黒が似合う、紫が似合うって言われてね、よく着せられましたけど、今はとっても暗くなっちゃってだめ。最近は白っぽい色ばっかり着てます。今日の服もベージュですけど。
色は分量にもよりますよね。カラーコーディネーターが「この色はあなたに似合いますよ」というのは、その肌の色と合いますよということだけですよね。ですからあんまり真に受けない方がいいと思う。それよりも、ご自分の目を肥やして、よく見られるようになさった方がおしゃれはいいと思う。

フェリシモ:
河原さんの自伝の中に印象的だったところがありまして、当時、昔はお化粧品などいい物がなかったので、あとライトも条件が整っていなかったので、一所懸命ライトの下に行って、なんとかきれいにお化粧していたというふうにおっしゃっていたんですけれども。今の世代の私にとっては、とてもそんな苦心があったとは思えないほど、今見ても違和感がなくて、すごく美しいお化粧をされているなと思うんですけど、かなり研究はされましたか。

河原さん:
昔はメーキャップ・アーティストはいなかったんです。ですから自分でやっていました。でもお粗末です。ただ薄塗して、ろくに目のお化粧なんかも上手くなくて、この辺だけちょこちょこと描いただけですからね。すごく反省しました。どうして私はもっと研究しなかったんだろう。眉墨1本だってリキッドのをちょっとつけるだけ。今日もそうですけど。薄いお化粧だと、やっぱり画面に映る時にはよくないんですよね。
今のメーキャップ・アーティストはすごいですよ。アイシャドーひとつ塗るのにも、何種類もていねいに色を乗せていきます。7種類くらい乗せると雰囲気が出てくる。最近は素晴らしいのがあるの。本当に若く見えちゃうんです。昔はね、塗られるの大嫌いでしたけど今はたまに写真の仕事すると、あ、若くなったな、なんて結構いい気分になったりしてお化粧します。

お客さま:
いつまでも精神的に若くいられる秘訣は何ですか。

河原さん:
あまり人生に対して、重く考えないことじゃないですか。開き直りと言ったら何ですけど、私は結構早めに開き直りました。まぁなるようにしかならないわ、というところがありますからね。ちゃんと考えることはしなきゃならないと思いますけど、そんな人間って強固に、堅牢に生まれてないんですよね。だからあるとこでフッと外していかないと生きていかれないと思います。じゃないとシワが深くなって、背中も曲がって元気がなくなった自分の姿を見たら、ますます元気がなくなっちゃうでしょう。

お客さま:
私は今25歳ですが、流行のファッションなど恥ずかしくてなかなか挑戦できません。年齢を重ねていった時、さりげなく流行を取り入れておしゃれを楽しめる人になりたいのですが、今からどんなことを心がけていったらいいでしょうか。

河原さん:
年齢を重ねたら自分自身のファッションというのがある程度できあがってますけどね。年齢を重ねた時に、ちょっとしたファッションを取り入れておしゃれに生きていこうと思ったら、若いうちにいろいろなことをどんどんしなきゃだめ。多少、似合わなかろうが、流行のものもどんどんこなしていかなきゃ。
髪を赤や黄色に染めたりしているのは嫌いですが、何もしないでぶつぶつ言ってる人よりは、何でも挑戦した方が勝ちだと思います。若いうちに何でもやってみて、自分に本当に合うか合わないかというのを見極めた方がいいと思います。何もしないで手をこまねいていて、そして年を取ったらおしゃれなお年寄りになりたいなんてとんでもない話。行動ですよ、やっぱり。

お客さま:
モデルになりたてのころ、モデル業界の軽いノリになじめなかったとおっしゃっていましたが、どうやってそれを乗り越えられたんですか。

河原さん:
やっぱり慣れですよね。そこで暮らす以上はある程度なじまなきゃという気持ちもありますし。コツはないですね。

お客さま:
女性が女性として生きていく上で、いちばん大切にしなければならないことは何だとお考えにりますか。

河原さん:
女性って花ですよね。少々枯れても私は死ぬまで花でいたいですね。私の友だちは「枯れてるのは私だけで充分よ」なんて、怒る人がいるんですけどね。多少しょんぼりしてても、野の花でも、ハイビスカスのような華やかな花でも何でもいいんですけども。花でいたいという気持ちが、やっぱりどこかにある方がいいんじゃないかと思います。私は自分自身が花であるという意識を持って、周りを明るくしたいという意識はあります。でも最近危うくなってきて。また別の努力をしなければいけないかしらと思っているんですけれどもね。なにしろ年を取ってくると、本当に努力が多くなって、努力してないと。お風呂に入るんだってね、前はワインや本持っていって、寝っ転がりながら1時間くらい入っていましたけれど、今やお風呂入ったら足揉んだりね、首揉んだりすることが多くて大変なんですよ。

お客さま:
お話の最初の方で、何か自分が真剣にやろうと思うことには、鉄の壁が降りるとおっしゃっていました。私もそういう傾向があるように何となく思っていたのですが、河原さんなりに得たうまい対処法など、教えてください。

河原さん:
めげないことですよね、とにかく。もうそれしかないんじゃないですか。何があってもめげない。人生は負けたら終わりですよね、だって自分でもピンときませんけれど、老婆になりたくないでしょう。こどもが生まれるとお母さん、お父さんになって、孫が生まれるとおじいさん、おばあさんになって。毎日そうやって呼ばれていると、当人もその気になって、はぁはぁはぁお婆さんってなっちゃうわけ。これじゃあね、だめなの。やっぱりそれは「ちょっと待って」と突っぱねないと。だから「まだ私は花なのよ」っていうちょっとやせ我慢でもいいんですけど、そういうのをしないと入り込んじゃうんですよね。意識的に入り込んだら終わりでしょう。だからやっぱり、このさっきの言葉の通りに、意志ですよね。自分の意志がそこに持っていかないようにして、自分の意志をちゃんと自分が決めたところにね、いつも置いておくようにしないと、人生というのは大変ですよ。苦労をするのは自分でしょう。老けちゃってその中に病気が出てきたりいろいろでしょう。それから悪いことがやってくる。跳ね飛ばすには、やっぱりエネルギーが必要ですよね。そのエネルギーをどうやって出すかというと、自分のいいところを見つけるんですよ。見かけでも、内面でもそう。何かそういう本を読んだり、どこかに旅行したりして私は気分転換します。
例えば今は、ドライブして海に行ったり、山へ行ったりして、自分の時間を持って、その中で少しせいせいしています。美味しいもの食べるのもいいです。私は飲んべえだから、お酒も飲んで気分転換する。で、また明日は明日の風が吹くんだからという感じです。気楽に限ります。

フェリシモ:
ありがとうございます。それでは私ども神戸学校事務局からの質問にお答えいただきたいと思います。本日この神戸学校でお話しいただいた感想ですとか、あと神戸の街について受けられた印象についてお教えいただけますか。

河原さん:
はい。私はね、神戸は大好きです。私は生まれたのは横浜なんですよね。育ったのは東京なんですけど、生まれたのは横浜で、港町というのはとっても親しみを持てるんですね。ここのところ本当にきれいになりましたね。神戸の街は輝いてますね。やっぱりね、輝いたり、美しかったりというのは、そこにすごくきびしいものがあるんですよね。きびしいものがないと、こう輝けない。今は、神戸の輝きというのは、震災のきびしさがあったから、これだけ輝いているんだと思います。すごく素敵な街になったと思います。
鵯越(ひよどりごえ)のあたりなんかは父が昔ね、住んだことがあるんですよ、あの辺に。大昔。ですから、なおこの辺には、なんかとっても愛情さえあります。今日は本当にありがとうございました。

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Profile

河原 日出子(かわら ひでこ)さん<ファッションアドバイザー>

河原 日出子(かわら ひでこ)さん
<ファッションアドバイザー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
昭和10年横浜生まれ。昭和30年より15年間トップモデルとして多数のファッションショーやグラビアにて活躍。現在、そのキャリアを生かし、ファッションアドバイザーとしてエレガントに演出したドレスデザインが、多くの女性から支持されている。講座「おしゃれサロン」を各地で開催のほか、雑誌の執筆などを通し「大人の美学」をどう表現し、どう美しく生きていくか、をテーマに着こなしの方法からきれいな歩き方まで、人生の話などを交えて幅広くアドバイス。

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