神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 林 敏之さん(元神戸製鋼ラグビー部主将 元日本代表)
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「浸りきる哲学~感じあうことによって人は出会う~」



<第1部>

(映像)

僕は23年間ずっとラグビーばかりやってきました。ラグビーというのは平たく言うと玉遊びなんですね。でも僕にとっては、されどラグビーです。36歳で引退してから、テレビのキャスターをしたり解説をしている関係です。
今年の高校生大会、伏見工業高校が優勝しました。ご存知かも知れませんが、伏見工業は3回目の優勝です。「スクールウォーズ」というテレビドラマがありましたね。30代くらいの人はよく見ていた人気番組、あれは今から25、6年前ですね。山口先生が31歳の時で京都市の教育委員会から伏見工業に赴任をするんですね。荒れた学校だったそうです。ガラスが割れていた、廊下をバイクが走っていた、そしてエナメルの靴をはいた子や眉毛を剃った子が校長先生の机の上に足を上げていた。ラグビー部も名ばかりの部でした。「全日本でやっていた俺が行くんだからみんなどきどきして待っているだろう」そう思って先生は行ったそうです。でも誰も待っていなかったんです。みんな、ついてきてくれなかった……。

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やる気を出させるために練習試合も組んだそうです。切符を買って駅で待ち合わせしてみんなを待ってたんです。ところが誰も来ませんでした。ボイコットしたんです。先生はひとりで相手チームのところに行って練習を教えてあげて、そして向こうの監督さんに居酒屋で励まされて、泣きながらビールを飲んだそうです。京都の名門花園の高校と試合をしました。112対0で負けました。10点、20点、30点、40点、50点、60点入っていく、そんな時に先生は「俺の言うことを聞かないからだ。こんな負け方するんだ」悔しくて、60点取られて悔しくて帰ろうと思ったそうです。でも70点、80点、90点と入っていきます。そんな時に「こいつら、こんな負け方して悔しいだろうな、俺は何にも教えてやってない」そう思った時身体が震え出したそうです。そしてノーサイド。「おい、何点とられた。112点。そんな取られたか、大丈夫か、怪我なかったか」先生は待っていたんです。ところが帰って来た連中はしらけきっていたんです。「あー終わった、終わった」。それが許せなかった。先生は聞いたんです。「おい、お前ら、悔しくないか、こんな負け方して」。そんな時ひとりの生徒がグラウンドにしゃがみこんだ。彼が「悔しい」そう言って涙を流した。キャプテンの小畑でした。それがみんなに伝わって、みんなが「悔しい」って「日本一をとりたい」「花園に勝ちたい」と……。「スクールウォーズ」は実話です。僕も山口先生に縁があって高校時代遠征に連れて行ってもらいました。

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ラグビーとの出合いは中学2年
高校はラグビー弱小チームでした。

ラグビーとの出合いは中学2年の時です。それまで、僕はサッカー少年でした。ところがそのサッカー部で僕はけんかをしました。みんなとうまくいかなかったんです。友だちをつくるのが下手だった、それが僕の劣等感です。それが嫌でサッカー部を辞めました。県下にひとつだけ、たまたま僕が通っていた中学にラグビー部があったんです。クラスの友だちが3人くらいラグビーをやってたんです。そんな関係で僕もラグビーを始めようかなって、中2のころにラグビーと出合うわけです。

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高校3年生、
ラグビーとの本格的な出合い。

本格的な出合いは高校3年生の時にやってきました。全国大会に出たこともない、弱小チームです。進学校ですから3年生になったら辞めていくんです。そんなところで楽しいだけのラグビーをやってました。その僕が高3の時にたまたま全日本高校のオーストラリア遠征メンバーに選ばれたんです。それは、もう雲をつかむようなもんでした。2度合宿がありました。その時僕はひとりで船に乗って、初めて大阪に出たんです。行くとまわりは全国大会を目指すようなそうそうたる連中で、圧倒されそうになりました。そして、目の前にはオーストラリア行きのチケットがチラつかされている「おい取れよ、取ったら行かしたるぞ」。なんとか欲しいんで、必死になってがんばった。恩師の先生に「おい、お前選ばれたぞ」って言われた時は、僕の18年間で本当にうれしい瞬間でした。行った遠征が素晴らしかったです。連れて行ってくれたのが山口先生でした。ロッカールームの片隅で山口先生が「おい、みんな集まれ、手を繋げ、日本でお前たちが勝った知らせを、お前たちのお父さんお母さん、協会の人も、学校の先生も、みんな待ってるぞ」と言いました。多感だった僕はボロボロ泣いてグランドに飛び出して行きました。8試合ありましたが、中にはぼろ負けした試合もありました。80点くらいとられて負けたんです。呆然としました。そこで山口先生が「お前ら、悔しくないか、同じ高校生だぞ、同じルールでひとつのボールを追っかけて、お前らこんな負け方して悔しくないか」と怒鳴られて、またボロボロ泣きました。遠征から帰る最後の日、食事会がありました。そこへ山口先生が来ました。ビールを飲んでいた先生が僕のとこまで来て「林よ、こっちに来て外国人に通用しとったんはお前だけや、5年後、10年後には俺の後を継いでくれよ。青春時代にひとつのことやるのは素晴らしいことだよ」と言ってくれました。そう言われて、僕はうれしくて、山口先生に抱きついて泣きました。当時の日記に書いてあります。

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「俺は最高に嬉しかった。大学に入ってもラグビーをやろう。苦しくたって悲しくたって、そしてできることならもう一度全日本になりたい。団長にもあいさつをした、泣いて抱きついてしまった。しんみりとしたやつらもいるみたいだ。多分彼らの目もうるんでいたに違いない。今日は最高の日だった。この思い出はいつまでも俺の心に残るはずだ。俺は今最高にしあわせだ」
そして、僕は36歳まで現役を続けてきました。この遠征が僕とラグビーとの本格的な出合いであったように思うんですね。遠征前の合宿、何度もありましたがそれを通じて大学時代の恩師の先生とも出会いました。当時先生は全日本の監督をしていましたので僕はラグビー雑誌で知ってたんです。荷物かついで宿舎へ行ったらロビーに先生がいました。先生をパッと見るなり僕の身体には電気が走りました。震えたんです。そんな出会いがありました。そして先生のいる同志社大学に進学することになりました。
大学時代の思い出はいろいろあります。そんな中で僕にとって忘れられないできごとがあります。それは19歳の時、若手の全日本メンバーに選ばれました。ニュージーランドに遠征をしたんですよ。ニュージーランドはラグビー王国なんです。男に生まれたら約4割から5割はラグビーをやるんですよ。代表のオールブラックスのメンバーは国民的英雄です。その日、我々はニュージーランドの南の島の代表、南東選抜というチームと戦いました。弱いわけないんです。オールブラックスのメンバーが何人も入っていました。でも、強いだろう南東選抜に対して我々は本当に激しい試合をしたんです。激しいタックルを繰り返した。なんとか勝ちたい、勝てそうだ、最後までくらいつきました。でも勝てませんでした。近差だったけれど、勝てませんでしたが、僕の胸の中には「あー、今日はみんな必死にやった」そんな熱い思いがあったんですよ。そのできごとは相手チームとのミーティングの席で起きたんです。大活躍したフォワードのプレーヤーでした。彼がミーティングの席で倒れたんですね。僕は胸を揺すったんです。でも彼は気がつかないんです。ほっぺたを叩きました。僕は彼を背負ってホテルまで連れて帰ったんです。部屋のベッドに寝かせよう、部屋の前まで来ました。で、かぎを開ける時に一瞬だけ彼を廊下のカーペットの上に寝かしたんです。僕はかぎを開けようとしていた。そしたら床に寝かした彼が寝返りをうって、うつ伏せになりました。その時おしりをぐっとせりあげ、それから右腕を上げるんですね。それは試合の中でフォアードが誰かとバインドをして、そして相手チームに突っ込んで行くような格好です。そして彼が「フォワードがんばれ、フォワードがんばれ」そうつぶやいたんです。彼は無意識の中でも南東選抜と闘ってました。「この人まだ戦っている」僕は涙が出て仕方がありませんでした。そんなことがあってから、僕は自分に対して「おい、お前、倒れるまで走れんのか」と心の片隅で思いながら現役時代を送ってきました。その気持ちは引退の時期が近付けば近付くほど強かった。言葉として明瞭になりました。それは、「浸りきった」ということですよ。コアパス、コアアタック、浸りきって、走って、走って、走って、ノーサイドのベルが鳴ったらバタッと倒れるような試合がしたい、そう思っていました。

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こういうふうに言われるんですよ。人間にはふたつの限界がある。ひとつは生理的限界、もうひとつは心理的限界です。どういうことかと言うと、例えば、これが私の100の力だとしたら、これが生理的限界です。そしたら試合の中で100出せるのか。残念ながら出せないんです。また出してしまったらいけないのかも知れません。出したら死んじゃいますから。人間、頭がいいですね。死なないように自然に制御をかけるんです。必死になってやっているつもりですけど「あー、もうあかん、もう走られへん」と思うんですね。これが心理的限界というものです。だいたい6割と言われています。そこでラグビーをやっているんですね。これはラグビーだけじゃないんですよ。オリンピックのアスリートでも6割か7割しか出せないという。でもここの部分の大きい方が勝つわけですね。だからこれをどこまで上げていけるかが勝負なんです。坂本さんは生理的な限界に対して7割8割までやったかもわかりません。よくプラスアルファといいますけど、僕はこの幅だと思うんですよ。ところが強いチームには勝てないんですね。なぜかというと強いチームはこの100がでかいんです。このチームには勝てないんですね。それじゃあ、勝つ方法ないのか、方法はあります。それは、やっぱり練習することなんです。練習は試合と同じ集中力です。同じ激しさです。同じ意識を持ってやらないと伸びて行かない。トレーニングは苦しいんですよ、でもそこまで追い込まないとだめなんです。自分の心理的な限界に挑戦して行くんですね。ちょっとでもいいからそれに打ち勝つような練習をするんですよ。それを続けていったらどうなるか、6割に挑戦し続けたらこの100がですよ、全体の力がだんだん伸びていくんです。これが大きくなった時に初めて勝てる、そう先生に教わりました。非常に説得力がありました。
実は僕はクロロフィルの方と一緒に月1回集まって勉強会をやってるんです。そこによく来てくださる先生は感性論哲学、哲学の中心に感性を持ってきた、感性の哲学を説いた世界で初めての哲学者です。先生がこういうふうに言うんですね。「人間が理性の範囲でできることなんて知れてるよ」。理性の範囲では、たいしたことはできないんですって。「大きな想像力がそこにはない。マイナーチェンジはできるかもわかんないけど、理性の範囲、理性でできることは余裕があるんだ」って言うんですね。そうじゃなくて理性が追い詰められなきゃだめだって言うんです。「追い詰められてどうしようもないってとこに追い詰められた時に初めて命の中から噴き出す力が出てくるんだよ」とおっしゃるんですね。非常に似ている気がしておもしろいなと思うわけです。
大学時代は同志社大学が関西ではいちばん強かったです。ところが早慶あたりの関東の壁に勝てなかった。その壁を破って日本一、学生選手権とるのが僕らの悲願でした。練習はしんどかったです。特に弱小チームから行った僕にはきびしかった。そして親元離れての寮生活です。学生生活を2ヵ月くらい送ると、96キロあった体重がみるみる痩せていき80キロちょっとになったんです。ですが、ぜい肉が全部取れてそこから筋肉がつきました。

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夏合宿に行って、スクラム何百本と組みました。何百本も組んだら首の皮がめくれます。わかってますから、ここにテープ貼って合宿中剥がさないんですよ。耳だってつぶれる。こういう輪っかを入れて、タオルを被って、そしてヘッドギヤーを被って、スクラム組むんですね。OBが来て鍛えてくれる、っていうか絞られるんですよね。そりゃね、限界に挑戦させるためだったかもわかりませんよ。でもありがたくない。スクラム何本組んで終われへんのですよ。あと10本って言ってから100本くらい組まされるわけです。悔しいんですわ。「なんでこのおっさんにこんなことさせられなあかんねん」と正直思いました。横で「あと何本」って言っているわけですね。「なんとかせんといかん」僕はそう思って、ホイルって言うんですがスクラムを回転する時があるんです。その時に足をかけてそのおっさんを踏もうと思ったんですよ(笑)。足をかけようとしましたが、かかりませんでした。本当に、踏みたかったんです。悔しかったんですね。練習終わって部屋に帰って先輩に「おい1年坊主、かわいそうやったな」って言われた途端に、涙が出て、恥ずかしいから布団被って泣きました。飯も、食いたくないんですよ。でも食べないともたないから一所懸命食いました。怪我をしたら出て行く、怪我したやつが見学をしているんですね。「うらやましいなあ。俺も怪我せんかな」って思ったこともありました。腕でも折れたら心置きなく休めますよね。夜寝るのが嫌でした。寝たら明日になって、明日になるとまた練習せんとだめですね。寝たら練習になるんですよ。だから寝るのが嫌でしたね。でも、そんな1日1日を乗り越えていくごとに自信がついていったのは事実です。そうやって学生選手権を目指しました。学生選手権ベスト4になったら東京の宇都宮ラグビー場で試合ができるんです。「俺1年間やってきたぞ、この試合に勝ちたくて」そう思ったら本当にその試合で「俺この試合で倒れてもいいぞ」そんな気がしました。みんな涙ぐんでグランドに出て行くんです。でもなかなか勝てませんでした。1年2年とは明治大学に負けました。みんな泣きました。OBが集まって残念会やってくれるんです。「おい、お前ら1年間がんばったやないか、精一杯やったやろ、ビール飲めよ」とビールが出ます。でも飲みたくない。「いらないです」と言いながらも注がれるんです。みんなで酔っ払ったんですね。ボルテージがあがりました。
4年間戦って卒業して行く、そんな先輩たちが「おい、俺たちは勝てなかった、でもお前たち来年こそ勝ってくれ」と言い、我々は「来年こそ勝ちますよ」と……。感極まってるんです。疲れてますけど、もったいなくて寝てなんていられない。そういうことを経験しながら、僕が3年の時に学生選手権を獲りました。これも素晴らしい思い出です。

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社会人・神戸製鋼時代、
関西リーグそこそこだったチームを全国一に。

それから、僕は神戸製鋼に入社をします。7年間いました。神戸製鋼、去年久しぶりに優勝しました。今年また社会人で優勝しました。これから日本選手権が残っています。神戸製鋼って強いイメージですか?
僕が入った19年前は、強いチームじゃなかったんです。関西リーグでそこそこです。僕はある人に「神戸製鋼のラグビー、強したいんや、お前が必要や」と熱心に勧誘されました。僕はその人に惚れ「よし、じゃあ、俺が入って優勝してやろう」そう思って入社しました。練習は会社が終わって6時半からナイターでやってるんです。で、グランドに行きました。ところが、正直言って「なんやねん」って思いました。今は緑のきれいなグラウンドと素晴らしいクラグハウスがあるんです。でも昔はなかったです。小石が転がっている、土のグラウンドです。東の隅のプレハブ小屋で着替えてました。そんなところで練習をしていました。でも僕が不満だったのは施設の問題じゃなかったんです。実は練習に15人が集まってこないことしばしばあったんです。みんな仕事も忙しいんですね。電話したら「忙しいねん」「今日この仕事やらな帰れへんねん、行かれへんわ」「俺足痛いんや、行っても練習できへんねん」そう言ってみんな練習から逃げていくんですよ。30数名の部員のうち15人はそうやって逃げて15人ほどしか集まらないことがある。ラグビーは15人でするんですよ。人数いないとできない練習いっぱいあるんですよ。相手のプレッシャーを感じながらそれに対してどうやっていく、これが練習なんですね。しらけるんですね。意識としては草ラグビーです。だから「会社終わったらグラウンド行こう、みんなで一緒に練習やろう。そして練習が終わってから「本当に忙しかったらまた残業に帰ろうよ」と、話をしました。ところが、神戸製鋼ラグビー部はそこそこ強かったんですね。いいメンバーが何人か入ってたので、弱いチームには快勝するんです。ところが、強いチームにはあっさり負けます。ある意味、勝つから強いんやろ、当たり前のようでもありますが、僕は当たり前と思わなかったんです。
ラグビーは40分ハーフでやるので、80分+ロスタイムがあります。そこで何やっているかっていうと、玉の取り合いです。玉を取らなきゃ攻められないんですから、まず玉を取る。まずそれを大事にしていないといけないんです。グラウンドでいちばん大事なもの、それはボール。人間の身体じゃなく、玉が大事なんです。玉を取り続けるチームは、絶対世界一になれるんですよ。相手に玉やらなかったら相手攻められないですからね。それだけなんです。

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僕らが毎晩やっていた練習も、簡単なことです。玉を取る練習です。何10本ってスクラムを組んで玉を取る練習を毎日毎日やってました。ボールがタッチへ出たら放り込んで、それをラインアップで取り合うんです。僕はジャンパーです。今はリフトで持ち上げられて高く飛べるんですけど、昔はだめだった。自分で跳ぶしかなかった。1、2、3で跳んだら五分五分なんですよ。どこでタイミングをずらすかですね。相手の半歩前で取るか、あるいは後ろで跳ぶか、どっちかです。こいつはどこ狙っているか、ヤマをはるんです。前だと思ったらフェイントで後ろに跳ぶとか、しのぎ合いです。毎晩そんな練習をしました。当時読んだ剣道の本に「打って勝つなら勝って打て」って書いてあったんですね。おもしろいなと思いました。それは試合の中で、竹刀でパンパンパンパンやるんですよ。パーンって打った、これで勝った、というのが打って勝つ勝ち方。勝って打つのはですね、構えた時に力の差があればどこにスキがあって、どうしたら打てるっていうのがわかるんですって。だからすでに勝ってるんです。そしてポンポンポンって打つのが、勝って打つ打ち方ですよ。おわかりでしょ。読み合いです。この時点で勝つわけですね。僕は案外うまかったんです。それで玉を取る練習を毎晩やるんです。パスのキャッチング、キックオフの練習、ドロップアップの練習をして、球を取る練習をして試合に臨むんです。味方のプレーはボールを持って走る、タックルされます、相手がいるから。その玉をまた取りに行かないといけない。当たり前です。「ボールちょうだい」って言ったって取れないんですね。相手がいるから弾き飛ばされるんです。そのボールを取ろうと思ったら一歩、あるいは半歩でいいんです。ポイントまで相手より早く行くことなんです。簡単なことだけど簡単じゃないです。敵はタックルができるんですよ。タックルっていうのは止めるだけじゃないんです。玉を取り返す。でもそれだけじゃないんですよ。80分間の間に、どれだけ相手にダメージを与えるかなんです。
実は僕はタックルが得意でした。バシーンってよく決まってました。相手がみぞおちを抑えてのたうっているとか「おっ、退場しよったな」という時は絶対うれしそうな顔はしません。でも内心「ヨッシャー」と思うんですよ。怪我させても僕は「大丈夫?」って言ったことはないですね。だってそんなヤツは怖くないでしょ。不気味でありたかったんですよ。
僕の好きだったプレーヤーはニュージーランドのコリン・ミーズ。世界最高のロックと言われた人なんです。大きな人で激しいプレーヤーでした。グラウンドの中で人を殴ることもあったんです。でも殴られたやつはやりかえそうと思ってコリン・ミーズを殴るんですね。でもコリン・ミーズはケロッとしているんです。そんな激しいプレーヤーでした。だから世界中のラガーから嫌われたんです。「あんなやつはラガーじゃねえ」と蛇のごとく嫌われました。ところが長い現役生活を終えて、彼が引退を表明した時に世界中のラガーが彼を賞賛したんです。「すごかった、強かった、あいつは世界最高のロックだった」と、みんなが賞賛したそういうプレーヤーでした。僕はその人にあこがれてました。「怪我させて、大丈夫か?」なんて言うわけないじゃないですか。それは僕だけじゃなくて、ラグビーやっているやつ、特にフォワードはそうです。ところが中には、見るからに怖い顔したやつがいたんです。そんなやつが必死にタックルにくるんですよ。タックルに走りこんでくるんですね。時々あったのはこういうプレー。大事なディフェンス行くんです。ところが抜かれちゃうんです。でも彼も抜かれようとは思ってないんです。止めようと思っているんですよ。でも、相手だって何とか抜こうとして何してくるかわからない。いろいろなサインプレー。だから抜かれることがあるんですよ。わかってるんですね。抜かれたら、がっかりするんですよ。力抜けます。「おい、飛びつけよ、食らいつけよ」。飛びついて、すがって、そして抜かれたんなら、納得もいくんです。で、僕ラグビー人生23年で1回だけこういうことがありました。まだ若いころ、相手チームに、若い足の速いスーパースターがいました。僕がタックル行ったんですよ。そしたらステップ踏まれて「抜かれた」と思いました。でもその時、身体が後ろ振り向いて跳びました。考えたんじゃないんです。一瞬のことです。そしたら彼が走って行くんです。跳ね上げた右足のかかとが僕の右手にパーンとあたったんですよ。僕はかかとを掴みました。そして引きずり倒したんですよ。どんなにうれしかったか、忘れません。僕はこういうことが言いたかったんです。こう思ったんです。
「あぁ、チームに魂が入っていない」。この指の1本がかけられないんです。だから、勝てないなと思った。そんな中から日本一を目指しました。それはやっぱりチームに魂を入れよう、そういう作業だったように思うんです。

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1年目は全国大会の2回戦でぼろ負けをしました。1年目が終わり、2年目を迎えるにあったってミーティングがあったんです。その時若手のメンバーがみんなで物議を醸し出したんです。チームはこのままでいいのか、みんなでそんな話をしました。で、どうしても僕らは先輩たちに聞きたいことがあったんです。単純な質問です。「みなさん、なんで神戸製鋼でラグビーやっているんですか」。「おー、こいつら何言っているんだろう」先輩たちは驚いて、しばらく考えました。その先輩たちは、神戸製鋼を関西のBリーグからAリーグにあげてくれた人たちなんです。ある人はこう言ったんですよ。「1回くらいトヨタに勝ちたいなぁ」。トヨタは強く、いつも関西リーグで優勝していました。神戸製鋼は毎年一度は挑むんです。でも挑んでも挑んでも勝てなかったんです。先輩が言うのはわかるような気がしないでもない。でも、それを聞いて腹が立ちました。「そんなこと言っているから勝てへんのや」。確かにトヨタは強かったんです。でも本当にトヨタじゃないんです。いつも1位をとっていたのは新日鉄釜石です。「なぜ、釜石に勝ちたいって言わないんですか、トヨタに勝ちたいんですか、関西で優勝したいんですか、違うでしょ。俺はトヨタに勝ちたいんじゃないんです。関西で優勝したいんじゃないんですよ、俺たちで日本一を取りたいんですよ、だから神戸製鋼に来てラグビーやってるんです」。一所懸命話をしました。そしたらみんなが「そうか、じゃあ日本一目指そう、俺たちの練習で勝てるか? 俺たちがやっていたのは練習のための練習じゃないか。ほんまに勝とうと思ったらどんなことやったらいいんや」。自然とミーティングが始まりました。
そんなことをしながら少しずつ少しずつ神戸製鋼は強くなっていったんです。優勝するまで7年かかりました。僕も2年間キャプテンをやりました。でもね、その時は勝てませんでした。特に2年目、1回戦の敗退です。僕の夢は破れたんです。ケガもありました。もうラグビーを辞めようと思いました。僕がキャプテン辞めて平尾がキャプテンをした時に神戸製鋼は初優勝しました。優勝の瞬間というのはよかったです。その1年前、負けたのは東芝でした。昭和天皇の崩御で試合も2日延びました。8月10日ですね。黒い紋章をつけて試合をしました。ノーサイドの笛がなった瞬間みんなこぶしを突き上げたんです。グラウンドで抱き合いました。
そんな日から連覇が続くわけです。7連覇というのは素敵な偉業だと思うんです。強くなって緑のグラウンドをつくってくれました。素晴らしいクラブハウスができました。7年の間にはメンバーも変わって行きました。初優勝してから連覇は続きましたけど、でもみんなの心の片隅に「あれ、なんか簡単に勝てるんちゃうの、そんな気持ちがちょっと芽ばえたような気がしてならないんですよ。
サントリーとの試合、準決勝でした。同点だったんです。トライの数で負けた。トライの数が少ないチームは次のステージにはいけません。神戸製鋼は負けです。あの試合の後のサントリーのロッカールームはすごい歓喜でした。「神戸製鋼に勝ったぞ、8連覇を目指す神戸製鋼に勝ったぞ、うわぁ」、僕は近くで聞いてました。その時、思ったんですよ。勝ち続ける中で勝つ喜びがだんだんわからなくなってきた。その分だけ負ける悔しさがわからない。なんか大事なものが鈍ってしまってたような気がして仕方ないですね。だから僕たちは優勝できなかった。それから次の優勝まで5年かかりました。
僕は関西リーグ何試合か見に行きました。みんないろいろな話をしたんです。スタッフそれぞれが仕事をしました。平尾がフラットラインを導入しました。わずか2、3週間の間ですけど神戸製鋼は見違えました。そうして世界大会を勝ち進んで決勝は震災後5年ぶりに神戸対決。神戸製鋼とワールドが試合をしたんです。5年ぶりに神戸製鋼が優勝した時に当時のキャプテンが前の年のキャプテンに表彰状の授与を譲ったんですね。ボロボロ泣きながら表彰状取るのを見て、僕は11年前、僕の次のキャプテンが同じように僕に表彰状を譲ってくれた、そのことを思い出して僕は涙が出ました。今年は社会人リーグでなんとか勝ちました。準決勝、決勝ときびしい試合でした。よく勝ったと思います。立派な決勝でした。もうひとつあるんです。日本選手権があります。がんばってほしいなと思うわけですね。そんな現役生活でした。

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ラグビーをやっていてよかった!
浸り切れたラグビー人生。

ラグビーをやっていっぱいよかったことがありました。でも犠牲にしたものもいっぱいありました。よく会社を抜けて、練習、合宿、遠征に行きました。そんなやつに大事な仕事は任せられないんですね。だから僕は仕事の上で優越感はなかったですよ。そして怪我しました。膝の靭帯切れたら生えません。22、3歳の時には蹴られて歯も折れました。そして、なんていっても僕は時間を使いました。飲みに行くやつもデートするやつもいます。でも僕は6時半には必ずグラウンドに立った。時は金なりっていいますけど、金じゃ買えませんよね。時を足せば命になります。もう僕にはあと何時間しかありません。生まれた時にもう死は宣告されています。執行猶予つきですよ。ひとりの例外もなく必ず死ぬんだという、こんなはっきりしたことはないです。じゃあ、この命が時間をいうのなら、我々の人生はこの時間を何にかけるかですよ。同時にふたつのことはできないです。僕はラグビーにかけました。ええことがいっぱいありました。まず7連覇、全日本も13年間やらせてもらった。オーストラリアにも留学しました。戦った初めての東洋人です。世界選抜にも4回選ばれました。「ええこといっぱいあったなあ」って。あのつらいこととか苦しいこと、本当に僕はいろいろなことを教えてもらいました。もっと言えばラグビーが僕に「目標に向かって努力せよ」ということも教えてくれたんだと思います。そして最後に思うのは「あぁ、僕には涙があったな」。いっぱい泣きました。試合前です。グラウンドに出るその直前にロッカールームの片隅でみんなと手を繋ぎあって、今日の試合の健闘を誓いました。「おい、やるぞ、できるぞ」。みんなの目を見つめあったんですよ。そしたら、涙が出てくるんです。そして誰かの目から涙がこぼれ落ちます。それが僕に刺さってくる。僕の目からも同じものがこぼれました。グラウンドで必死になってボールを追っかけました。負けたら泣きました。勝っても泣いたんです。いっぱい涙がありました。僕には感動がありました。涙を流している時、鮮やかでした。証がありました。証だけは鮮烈にありました。それは「あぁ、俺はまぎれもなく生きているぞ」ってね、この証だけは鮮烈にあったんですよ。

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人間の命の価値は何に対して、どううずいた、ときめいたかによる。これだけどきどきした、わくわくした、ときめいた、うずいた、人間ってこういうものを失っていったら堕落をするんだ。だから人間がときめかない、わくわくしない、うずかない、どきどきしない。「そんなお前は石と一緒やないか。どこが違うんや。石ころと一緒やないか」、こんなこと言ったんですね。「人間として生きているのはときめいている時だけだぞ、うずいてる時だけだぞ」。またある人はこう言うふうにいいました。「人間が自分に戻れるのは感動している時だけだぜ。これは天が与えた最高の英知だぞ。感動することは。感動できない人間は芯がばらばらだ。感動した時だけ自分に戻るよ、生きていることが鮮やかになるよ」。優勝した時、感動がチームをひとつにしました。そして「表彰状をもらってよ」って言われた時、涙が噴出したんです。人にどう見られようがね、そんなのはどうでもいいんですよ。まぎれもない僕です。ただ涙が噴出したんですね。僕は僕ですよ。そこへ返してくれた感動が人に見られる自分じゃないんです。感動は統合の力を持つと統合されるんです。これが禅の教えなんです。人としてひとつにできるのは感動だけなんです。見たら、ばらばらにするんです。花を見た、何の花だ、何で咲いてるんだ、どんな色だ、どんな香りだ、ばらばらにするんです。でもなんの花かも知らない、でも神秘がある。ハッとした時にひとつになれる。その時しか力は出ないんですよ。僕の話はたかがラグビーの話です。玉遊びです。でもね、このボールに込めました。軽率なパスは出せません。このボールに込めたんです。「頼むぞ、繋げよ」。そんなボールが繋がっていったそんな気がするんですよ。たかがラグビーです。でも僕には価値がありました。意味がありました。値打ちがありました。だからグラウンドに出る前、僕は死んでもいいと思ったんです。意味や値打ちを最高に感じたら人間はそのために命をかけてもいいと思うんだそうです。そういう意味とか価値を僕が勉強していることです。自分の人生の中で「どうしていくんだ、お前は何のために命をかけるんだ。それに応えるのが人生だ」。そういうものを体験させてくれた。それがラグビーでした。「浸りきれよ!」浸りきったから感動がありました。感動は僕の心を揺さぶってくれた。これが僕を成長させてくれたそんな気がします。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
初めてラグビーに出合ったその時にこれだと思われたのですか? それとも続けて行く中で思われたのですか?

林さん:
ボールを持って走って、タックルしたらおもしろくて仕方なかったんです。やり始めた時から、楽しいっていうのはありました。

フェリシモ:
林さんはいちばん最初に始められたスポーツは何ですか?

林さん:
野球をやったり、サッカーをやったり。

フェリシモ:
お父さまがラグビーをなさっていた?

林さん:
やっていましたね。でも父に「やれ」と言われたことは1回もないんです、僕が勝手に始めたわけです。

フェリシモ:
初めてラグビーにとりつかれたのはどういう瞬間でしたか?

林さん:
ショルダーチャージと言うんですが、僕は当たるのが大好きなんですよ。手が離れたらだめなんです。ボールを競り合って、肩を入れあって、その時にパーンと突いたらボテッと倒れるんです。それと、ボールを取りにいく振りをしながら、走ってパスするわけです。その時、ボーンと当たるんです。それで、今日はひとり飛ばした、ふたり飛ばしたとか言いながらやってたんです。おもしろくて仕方なかったです。

お客さま:
強くなるためには練習ですか? それともウエイトですか?

林さん:
ふたつあると思うんですね。やっぱり素質というのもある程度あると思うんですよ。僕ら教えてもらうんですけど、人間は顔が違うでしょ。顔が違うように個性が違う。だから能力のありどころも違うんだそうですね。僕はたまたまラグビーにはまって、これだって思いました。それぞれどこか違うんですね。能力のありどころでやったらトップまでいけるんですよ。ないところでやったってトップまで行けないんですよ。やっぱり僕はやっておもしろくて仕方なかった、そこで努力をしました。やっぱり練習ですよね。秘訣は、繰り返し反復だそうですよ。反復していかない人に上手な人はいません。やっているうちに、潜在している部分に入って行くんだと思うんですよ。ここに思ったことが現実になっていく、やっているうちに成功体験するわけですよ。筋肉だって、壊すわけですね。1回持ち上がらないものを持ち上げて筋肉を壊す。だから痛くなる。今度、壊された筋肉が再生する時に壊れた力に耐えられるように太くなる。そうやって筋力がついていくわけですね。負荷をかけて練習することによるんじゃないかと思います。

フェリシモ:
林さんは先程潜在能力という言葉を出されたんですけど、今、林さんがお仕事でされている教育プログラムにおいて「ご自分のことを気づかせ屋である」とおっしゃっています。それとも何か関係がありますか?

林さん:
うまいこと言ってくれましたよね。そういうふうになりたいと思うんですけど。さっき話さなかったんですけど、チームが今年優勝しました。1回は花園に勝ちたいといった子も、練習がきつかったら逃げて行くんですね。でもそんな中で、山口先生は何も言わずにグラウンドに呼んで、ボール蹴って「俺はお前たちを信じてるよ」と言い続けたそうです。だから、優勝した時に「子どもたちは素晴らしい。こんなことしてくれた。信じるのが力です」って。これは優勝の時の山口先生のコメントです。
もちろん信じないとラグビーはできないんです。チームプレーですからね。けれど、人を信じる前に、自分を信じるかどうかですね。自分を信じられない人が人を信じられませんよ。自分を信じられない人間は調子のいい時はいいけど、壁にぶつかった時チャレンジできないですよ。そこにチャレンジするには自分を信じないとダメ。やっぱり自分との約束を破っていったら、自分が信じられないですよね。そういう自分をどうしていくか。小さな成功をして行くことだと思うんです。自分を信じると言うことはそんな簡単なことじゃないんですよ。何でかと言うと我々の意識は氷山のようになってて、ここは氷山の一角だって言うんですね。顕在化している部分はその奥にいっぱいあるんですね。ここに過去の体験がいっぱい入っている。過去の体験がいっぱい入って、これが奥底で自己イメージになっているんですね。どんな自分か。自分が好きかとか。自分を信じているかとかね。これが思っている通りの自分になっていく、僕もそうだろうと思います。僕はラグビーを辞めてから研修の世界に入りました。何がしたいかと言うと、ここを変えていくんですね。自分のものの見方、感じ方の部分ですね。感じ方のところをより肯定的に変えていきたいんです。より積極的に物を見る。性格を変えるんではなくて、ものの見方を変えたら行動が変わって行くんですね。それに気づいたら素敵な自分がそこにいるんですよ。そういう自分を見ることによって、自分を好きになっていき、より行動的になっていけるんじゃないかなということをやっています。

お客さま:
ラグビーを通じて得たことを今のお仕事でどう生かされていますか?

林さん:
「教育って教えることじゃないぞ。教えるのは抑えるにつながる。抑えられて押しつけられて、目の輝きが消えて行くぞ」。エデュケーションって言うじゃないですか。あれはもともとエデュケっていうラテン語、産婆さんと言う意味です。産婆さんはこどもを引き出すわけです。教育は引き出すことだって言われるわけですけど。感動を引き出す、気を引き出す、夢を引き出す。そういうことができたら、みんな目がキラキラするんですよ。その時は生きる力が旺盛なんですよ。そうでしょ。いちばん生きる力があるんですよ。ところが抑えられて目の輝きが消えた分だけ力がなくなっていくわけですから。だからそんなむずかしいことじゃないんじゃないかと思います。僕は兵庫県の教育顧問会で2年間委員をやらせてもらいました。こどもたちに生きる力を与える、そのためには、どうしたらいいっていうのをいろいろ話しまして、学校の先生が週に1回、感動の時間をつくろうって提案しました。何でもいいんですね。映画見せてもいいし、しゃべってもいいし、とにかく感動させるんです。そしたらみんな元気になると思うんですよ。感動っていうのは心の揺さぶりですからね。

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揺れなかったら心が固まってしまいます。そうなると泣けない、笑えない、怒れない。感情硬化症。やっぱり、いっぱい揺さぶってあげることだと思うんですね。僕はラグビーのおかげで揺さぶられたんですよ。揺れているから何かに反応できるわけですよ。今の学校教育の中にはこの揺さぶりはありません。この心の揺さぶりをどこでつくっていくかというのが課題だと思うんですね。それはスポーツでもいいと思うんです。浸り切るから返ってくるんです。浸りきった分だけ感動が返ってくるんです。それが揺さぶりなんですよ。喜怒哀楽するっていうのはものすごく大事なことだと思うんですね。ところが今怒りたい時に怒れない、泣きたい時に泣けない。笑いたい時に笑えなかったらそんなの全然自由じゃないわけですね。自分が自分じゃないから。泣きたい時に泣けたら初めて自由になって怒りたい時に怒ったら自由。やっぱり喜怒哀楽しない人に自由自在はないですね。ですからこの半分を考えて行く時代だと思うんですね。心の時代ってよく言われますけど、そこをやっぱり大事にしていかないと……。
今はもう亡くなられた元京都大学の総長・平澤 興さんはこう言っておられました。「教育とは火をつけることだ」と。簡単でしょ。火をつけたら、勝手に燃えるんです。でも自分が燃えてなかったら火なんてつくわけないじゃないかっていうことなんですね。

お客さま:
現役を退かれてからは何に浸っていらっしゃいますか。

林さん:
ラグビー辞めて、1年くらい悶々としましたね。10ヵ月くらいした時に部屋で寝転びながらふと「何かやったら金は握れるかもわからない。けど、いつぽっくりいくかわからないな。金握るかもわからへんけどポックリいって、それでいいかっていったら、それはちゃうな」と思ったんですよ。「僕はそんなんやりたいんじゃない。何をやりたい?」と考えたら何か伝えていけるような仕事でした。僕の師匠も教育の仕事をされていた方なので、僕もああいうふうに人に感動を伝えていけるような生き方ができたら、ぽっくりいってもいいんじゃないかというような気がして、今の仕事を始めたんです。4年間続けてきて、やっと最近なにかひとつの形になってきたかなって、そんな気がしています。

お客さま:
「感じることで人は出会う」ことについてお話してください。

林さん:
出会う人はたくさんいますけど、深い出会いっていうのはどうでしょう。それを求めたいんですけど。やっぱり人と出会う前に自分に出会わないとだめだって言われますね。
出会うっていうのは頭で考えても出会いませんよね。共感していく、感じあう。僕は涙が好きなんです。去年神戸新聞の随想にも涙をテーマに書かせていただいたことがあります。ゲーテがこういうことを言っています。「ともに流す涙ほど二人の間を近づけるものはない」と。やっぱり共感し合うからでしょうね。頭で観察しても泣けません。心の共有があるから間が縮まっていくんだなって思うんですけど。表面的な出会いでは出会いと呼べませんよね。それはともに感じあうことだと思うんです。むずかしいですね。僕も出会いのセミナーをやりながら「なんでやっているんだろう」って思ったら、それは僕は出会うのが下手な人間だったからかなと思うんですよ。やっぱ格好つけたら出会いませんよね。構えるから。でもあんまり構えてたら出会えないよって。案外ええ格好には共感できないような気がします。飾った話じゃなくて、さらけ出せる人がすごいと思います。

お客さま:
日本のラグビーがもっと強くなって、もっと注目されるようになってほしいと常々感じています。林さんのこれからの日本のラグビーとの関わり方や、こうすればもっとラグビーが行われるようになるといったビジョンについてお話をお聞かせください。

林さん:
世界に向けて戦っていくのは日本人にはむずかしいと思うんですよ。その大きな要因は体格ですよね。僕は今は、たまにスクールにラグビーを教えに行ったり、こうやってラグビーの講演させてもらって興味を持ってもらえたらちょっとでもプラスになるかな、みたいな感じです。僕は今チームって言うのを持ちませんがチームを持って、とことんやって日本一をとらせるようなこともしてみたいという思いがあります。これはタイミングですからそういうチームがあれば見たいなと思いますけど。
日本のラグビーは今なかなかむずかしいです。世界はプロ化しています。ワールドカップの16チームの半分はもうプロです。ところが日本はみんな企業スポーツです。企業に所属しながらナイターで練習。そんな選手を借りてきて、チームジャパンを組んで戦うわけです。そういうのは日本独特の構造があるとは思います。けれど、プロ化とかいう問題が実際入ってきていて、メンバーと協会が契約するという話が出てきています。

お客さま:
時間はお金では買えない。人生は時間を積み重ねてできているという言葉に同感しました。これからの人生を林さんはどうなっていこうと考えていらっしゃいますか? 林さんのこれからの目標、夢、これからやりたいことについて教えてください。

林さん:
教育は火をつけることだと言いましたけれど、そういうことができる人間になれたら素晴らしいなと思います。煽って、煽られて、その気になってやってくれたらいんです。ラグビーチームだってそうです。気ですよ。いえば感動です。呼び起こしたら強くなるんです。神戸製鋼は感動を失って勝てなくなったんです。僕はそう思うんです。勝ちたいとか、負けて悔しいとか、そういう気を失っていった気がするんです。感動がなくなったら力がなくなるんですね。会社だってそうだろうと思うんです。気の復興をしていく。
最後にひとつ。去年の夏に仲間と高知県檮原町へ行きました。そこから韮ヶ峠を通って、志士脱藩の道を歩いてきたんです。坂本 龍馬が138年前、この峠の関所を破って脱藩をしました。今は関所はないんですが、碑が建っています。そこで龍馬の物語を先輩に教えていただきました。それを、ちょっとお話をして終わりにしたいと思います。

(語り)

この世に生を受けて、大事な命をぼんやりさせている時もあります。でも、一度しかないから真っ赤に燃えたいなと思うんです。燃えたら楽です。中途半端に燃えたら燃えカスだらけです。燃えカスだらけでいたくなから僕は燃えていたいと思うんです。みなさんも一度しかない人生です。一生懸命燃えて生きていただきたいなと思います。

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Profile

林 敏之(はやし としゆき)さん<元神戸製鋼ラグビー部主将 元日本代表>

林 敏之(はやし としゆき)さん
<元神戸製鋼ラグビー部主将 元日本代表>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1960年徳島生まれ。高校日本代表をスタートに数々の代表を経て、大学3年から日本代表のフォワードとして活躍。白いヘッドキャップと口ひげをトレードマークに、強烈なタックルや突進で相手選手を病院送りにしたことから「壊し屋」と異名を取った。日本代表キャップ38は国内史上最多、神戸製鋼の7年連続日本一にも貢献。1990年、オックスフォード大学留学中にケンブリッジ大学との定期戦に出場してブルーの称号を獲得する。1992年には、英国の名門バーバリアンズクラブに招待された。いずれも東洋人初の快挙。愛称は「ダイマル」。36歳で引退するまで、フェアに激しくプレーした勇姿は多くのラグビーファンの胸を打った。

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