神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「屋久島の水から学ぶ~水は過去だけではなく未来も覚えている~」



<第1部>

今日は『水』をひとつのテーマにして
話をしたいと思います。

僕は東京生まれ東京育ちですが、屋久島に移り住んで20年近くになります。屋久島は最近は結構メディアにも取り上げられて有名で、大きな杉があり、森が深く、世界遺産になったり……。最初はあまり意識しなかったんですが、だんだん「ここは水の島だな」と思うようになりました。その思いは住めば住むほど強くなり、自分にとって屋久島は「水の島」「水の聖地」。地球上にもあれほど素晴らしい水が流れ巡っている場所はなかなかありません。いろいろ見た中でも、ちょっと特別な場所だなと思って暮らしています。屋久島は小さい島です。島の真ん中のいちばん高いところが2000mくらいの山で、周囲が100kmくらいしかないんです。円錐形のような形で小さいところに高い山があって、そこへアジアモンスーンの湿気がぶつかって、いつも雲が湧いています。すぐ隣の種子島から見たら、屋久島っていつも雲がかかってるんです。どこかに雲がかかって雨が降ってるというようなところです。雲がかかって雨が降って、その雨が、島中いたるところに清流をつくっていて……。それがあっという間に海へ流れ出ています。山の方で雨が降ったなと思うと自分の家の近くの川が増水して半日くらいすごい勢いで流れていて、濁流にはならないんです。屋久島というのは花崗岩が主なんです。花崗岩はガラスみたいなもの、だから水が流れても、土が出て濁ることはほとんどありません。ガラスのパイプを通ってるようなもので、降った雨はそのまま流れて海へ返っていくわけです。そして海に流れた水は、また南国の太陽に照らされて蒸発して、空へ上がって、また山に雲をつくって……。そんなふうに自分が見ている目の前で、水がグルグルまわっている。地球というものは、水が非常に大事な役割を果たしていて、水循環というのは地球というひとつの生命システムを支えている柱のようなもの。その水が回っているさまが毎日目の前で展開されるという島です。そこに20年もいると、いろいろと感じること、考えることがあります。

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花崗岩の岩肌を水が流れる。屋久島の原風景みたいなものです。

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水の風景。青緑色の淵。独特の色です。

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僕は花崗岩の“巨石の園”と呼んでるんですが、屋久島の川筋、山の上もそうですし、海の中もこういう感じです。屋久島という島自体が“隆起花崗岩”と言って、海の中から火山性の噴火ではないんですが、花崗岩が盛り上がったような形成をされています。島全体がひとつの花崗岩の塊なんです。それを雨が削ってできたような島です。その上に薄く植物が貼りついてる状態です。

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こういう雄大な滝が島のあらゆるところにあります。これは千尋滝。我が家の裏庭みたいなものです。

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水の風景があちこちに展開しています。水は全部そのまま飲めるような、雨が降ったままの清流です。

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日常風景。お風呂です。海辺に岩場を掘っただけの温泉があり、潮の干満で、干潮になると現れてお風呂に入れる。満潮になると海の中になっちゃって。潮の干満というのは1日2回、12時間おきにあります。ですから12時間おきに自動的にきれいになって、新しく現れるという素晴らしい温泉。だいたい毎日このお風呂に入っています。

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海の中。岸から見えるところの珊瑚礁です。川と同じようにきれいな海の中にあって、あまり知られてないですが、珊瑚の形成もかなりよくて、シュノーケリングすると、とてもきれいな世界が展開しています。海の中の珊瑚の森も、ちょうど山の森を見るのと同じような感じです。

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屋久島の南部。切り立った海岸線が多くて、そこに虹がかかってます。

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屋久島から南西の方を見て、隣にあるトカラ列島の諏訪之瀬島、中之島、硫黄島、3つの島が見える夕暮れのきれいな風景です。雲が多いから、1年に数えるほどしかこういうふうにきれいに見えないんです。

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屋久島猿というニホンザルの亜種で屋久島にしかいない野生のサル。昔はヒト2万、サル2万、シカ2万。屋久鹿というシカもいるんです。そして高度成長期に屋久島の山で大伐採をしたんです。それ以来かなりのサルが人里に下りてきて、今は畑を荒らして、農業やる人から見ると大害獣というので嫌われてます。

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フタリシズカという屋久島の植物のひとつ。ひっそりと深い森に咲く花です。

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元の木は枯れてしまったけれど、そこに寄生している他の植物たちはまだ生きています。屋久島の木は、大きくなると何十種類もの他の木の親になって、そこにたくさんの種類の木が共生している、こんな風景が山の中にはずいぶんあります。

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典型的な屋久杉の大木。そこにいろいろな種類の木が寄生、上の方にちょっと見えるのはヒカゲツツジの種類。これは樹齢が3000年くらい。屋久島にはこういう年老いた立派な木がたくさんあります。

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屋久杉の大木にヒカゲツツジの白い花が咲いてます。

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山の上も巨岩、奇岩がいっぱいあります。要するに花崗岩が割れたり、雨で風化したりして。これは天柱石 (テンチュウセキ)と呼ばれている山頂にあるひとつの大岩です。高さが60mくらいあります。山の上もおもしろいんですよ。

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屋久島西部には人が住んでいない一帯が30kmくらいあります。そこから見た樹幹の風景です。ここも世界遺産に指定された場所です。屋久島の森は常緑照葉樹林と言われて、特殊な生態系なんです。緑の濃い、葉っぱの厚いアジアの代表的な森が広く残っている場所です。たくさんの種類の植物が共生をしています。

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水の流れが静かな時の風景。ここも、このまま飲めるような水です。

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常緑照葉樹林の間を川が流れていくところを上から見たところで、水量が多く激しく流れている時です。こういう表情もあります。

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息子が泳いでるのかな。こういう巨石の園でよく遊ぶ、好きな場所のひとつです。

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屋久島の中でも大きな川のひとつ。河口から2kmくらいは静かな水面が広がり、池か湖みたいになったようなところがあります。

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我が家の裏山。この岩山の麓に家があります。

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裏山のクローズアップ。そして、これは我が家の敷地の横を流れている渓流に出たところです。

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屋久島はとても水っぽい世界。
僕が水に惹かれていった経緯をお話します。

さきほども言ったように、僕は東京で生まれて東京で育ったので、こういう生々しい自然とか、人が飲めるような水が流れている場所を見たことがなかったんです。いちばん最初にそういう水と出合ったのはアメリカでした。カリフォルニア州の北部で、人里から何十kmと離れた山の中で、ガスも電気もない生活を1年くらいしたことがありました。カリフォルニア州は半分が砂漠なんですね。1年のうちの半分以上は1滴も雨が降らない。冬場だけに雨や雪が降るんです。その1年、山の中で暮らした時に、夏が過ぎて秋になって突然雨が降るわけですよ。泉から沸いてる水をバケツに溜めて、そして丹念に野菜にかけたりしてた世界が、一夜のうちに水の世界に変わっちゃうんですよ。その変化の鮮烈さで、初めて水が自分にとって大きな存在として現れたんです。山の上だったので雪から氷からポタポタと水が落ち川が始まるところに住んでいて、それを冬中見ていて水と気持ちが通じてしまったというか、大ファンになってしまったんです。それで日本に帰ってきて、自然となるべく近い暮らしがしたいな、島に住みたいなという気持ちがあり、沖縄の南の方からいくつか島をまわって、直感的に「ここなら居られるな」と思って、屋久島に住むことにしました。その時も、どこか水というものに惹かれていたと思います。
そして住んでみると水というのは、本当にその場の基調を成している場所だったんです。水を好きになる中で、ただ水が流れている場所に立ったり、腰を下ろしたりして、川が生まれていくさま、水が流れるさまをただ見てるだけ、その傍らに身を置いているだけという時間を過ごすことが多かったんです。すると、だんだん水が何かを語ってくれいる気がし始めました。水って音がするでしょ。せせらぎだったり、激流だったり。それも聞いてると、すごくたくさんの話をしているような気がしてきたんです。もちろん最初はただの気のせいだろうと思っていました。でも、いつも思うんですよ、水辺にいると。水というのは、地球ができる時からあったわけです。地球という星の成り立ちの中で、水は宇宙に出て行かないわけです。だから、地球上にある水は同じ量、同じものがずっと46億年間、地球ができてから廻っているということです。すごく古いわけ。水は循環していく中で、いろいろなところを通ってきたんだろうな。恐竜の体になっていたこともあるだろうし、火山の噴火で蒸気になって噴出してた時もあるだろうし、それからいろいろな段階を経て人間になって、いろいろなことを見たり経験してきたんだろうと……。水というのは何かの形で記憶しているのかもしれないということを考えるようになりました。

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そういう気持ちで屋久島にいると、いろいろなことを考えます。その物語が何なのかということが、自分の中でテーマになり、書くことの中にも水の話が染み出してくるわけです。人間の体の7割は水だし、地球上の7割くらいも水。地球と言うけれど本当は水球というくらい宇宙から見たら青い水の星なんです。ですから、水というのは大きなものなんだなと……。廻る水を目の当たりにしながら、水を飲んで、お風呂に浸かり、水っぽい生活を20年間してきました。
そうすると自分の意識がとんでもなく広がったんですね。「5万年の現在」という大風呂敷みたいな話になるんですが、ひとつは未来へ2万5千年くらい意識が広がったんです。大きなきっかけは1986年のチェルノブイリの事故。衝撃的でした。屋久島へ行って自給自足でエコロジカルな生活を一所懸命やろうという気持ちで生きてたんです。それがチェルノブイリの事故のような世界の中で逆行するようなことが起こっている、それを実感して、すぐに、畑にある野菜を全部取り入れたんです。自分たちの生活を環境にやさしくやっていても、片方で原子力発電とか、自然を大規模に壊すようなことがあったのでは元も子もないなという気持ちが非常に強くなりました。その時、原子力のことを勉強しました。以前から人間にとってあまりふさわしくないエネルギーだなと思っていたんです。原子力のひとつの大きな問題は、廃棄物なんです。先進国のごく一部の使っているエネルギーの廃棄物を無害にするには何千年もかかるんです。代表的なものはプルトニウム。放射能の強さが半分になるだけでも2万4千年ですから、無害になるには24万年なんです。こうやってる間も日本でも50何個の原子力発電所が動いていて、非常に厄介なゴミをつくり出してるわけです。ということは、自分が好んで使ってないにしても自分が属している社会、集団として、それを使ってる人たちが考えるしかないわけでしょ。やっぱり自分の明日、何十年後、何百年後、そして少なくとも2万4千年くらい、この自分たちが使ったものをどうするのかを考えなきゃいけないんだなということがありました。
そういう未来へ向かって長い射程でものを考えていかなきゃいけない、という気持ちが自然に生まれたんですね。一方で、2万4年の未来を意識していたら、過去にも意識が広がりました。ヒトがサルとよく似た生き物から今の人間のような形に変わり、そこから世界中に散らばって今のような生活、文化、文明を持つようになったと言われてます。その中で今の僕らと同じような体、心、脳の働きをするようになったのは2万4、5千年前。旧石器時代は今の僕らと全く変わらない、精神的にも変わらない状態でいたようです。そしてそのころからの文化的な、精神的な営み、それから自然とどういうふうにつき合うか、自分たちの生活をどういうふうに成り立たせていくか、という努力の積み重ねの上に今はいるわけです。人類の広がりの中で僕らと同じ血を分けるモンゴロイドと呼ばれるような人類が、ユーラシア大陸からベーリング海峡、そこを渡って北米へ入り、さらに南米まで広がっていったという物語に、ある時、急に惹かれるようになり、そのテーマで小説を書きました。小説はひとつの結果で、関心というか自分の意識は、未来に2万4、5千年、過去に2万4、5千年くらの気持ちの広がりがいつもあります。未来と過去の5万年が、自分の一種の責任感といろいろ考える日常的のベース、それを「5万年の現在」と呼んだりしています。そういう広がりを導いてくれたのが水だったような気がします。水というのはいろいろな意味で窓口であり、媒体であるという気がします。
少し話を戻します。屋久島のような水が循環している中にいると、地球を生き物に例えるならば、僕らの体の中に流れる血液のように水は地球の血液で、それが循環していろいろな働きをしてるんだ、ということが直感的にわかるんですね。裏付けるように、地球科学の分野でも水は「どんな役割をしてるか」がある程度わかってきています。その中にいくつかのおもしろい働きがあります。ひとつは、地球で発生する熱がありますよね。僕らも発熱してますし、生物は熱を発してる。火山活動も熱を発してますし、太陽熱が地表に降り注いで、それを反射していく熱というのもあります。地球をひとつの有機体として考えた時に、いろいろな意味で熱を発してるんですけど、熱を発したままだと、どんどん熱くなって困るんですよね。地球温暖化と言われているのは、その熱を発し過ぎてるのと、それからその熱をどうやって冷やすかという仕組み。人間がまずいことをやっているために熱が取りきれないで、どんどん加熱が重なっていく状態になりつつあるのです。その中で水は、太陽熱で海の水や川の水が蒸発して空に上がっていきます。その時に熱を一緒に空に上げて、最終的には大気圏と宇宙と交わるところで熱交換をするんです。地球でいらない熱を水が水蒸気に乗せて宇宙へ放熱している。そのおかげで地球は、今まで加熱し過ぎないで済んできた。生命が36億年、生きてこられる安定した状態に保ってきたのは水のおかげなんです。

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それからもうひとつ、最近わかってきたことは、海洋深層水といって、深いところから汲み出した水が脚光を浴びてます。あれはグリーンランドとか北極圏の氷が溶けた水が、ずっと海の深いところへ沈み込んで、それが地球全体を廻っているんです。深い海底をゆっくりと2000年くらいかけて廻っている、もうひとつの循環系があったんですけど。それがここ10年くらいで、わかってきたことなんです。それは冷たい水を熱帯の方へ廻して、熱帯が熱くなってるのを冷やすという一種の冷却作用をやってるのが海洋深層水という深層海流。そういう働きも水がしているわけです。そういう意味で、日本で深層水をいろいろなところで汲み上げて人間の役に立てようというふうにして地域興しをし始めています。まだまだ存在がわかったばかりの地球で大事な働きをしてるものを人間が使うということはどうかなと思うんですけどね。水はそんな働きもしてます。
みなさんもおわかりのように、だいたい生物は水で生きてます。体そのものも水が主になってますし。ご存知の通り、植物も動物もほとんどあらゆる命が水によって育まれてるわけです。そういう地球の要が水だと思います。水と物理的に接していると、さきほど言ったように物語を語ってくれるというような側面も持っていて、水というのは精神と物質の継ぎ目にあるようなものじゃないかな、そいういう気がします。科学的な学説では水が精神と関係しているとはあまり言われませんが、僕の経験では人間にとって水は、物質界と心をつないでくれるものじゃないかな、という気が強くなっています。
今はIT時代。インターネットを僕も使うようになりました。僕はインターネットと同時に、もうひとつはインナーネットいう内なるつながりを忘れちゃいけないと思います。インターネットは便利なものですが、偏ったところがあるんですね。言葉だけでやり取りする世界だし、支える技術も、高度なテクノロジーを使います。そういうものを利用するのはいいけれど、同時に長い地球上の歴史、あるいは宇宙の歴史、それから人類の営みの積み重ねなどを基盤にした、もっと深いつながりを忘れちゃいけない。それを同時に大事にして育てる方向性とともにあって、初めてインターネットは生きるんです。インターネットだけを、偏った暴走のさせ方をすること、それだけを頼ってしまうことには問題があるかもしれない。ということを含めて内なるつながり、人間だけじゃなくて、自然の営み全体につながるようなインナーネットも大事にしようじゃないかと思います。その時に多分5万年の現在という、かなり大きな広がりの時間がどこかで出てくるかもしれないです。

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人間の世界と水が血液となっている
自然の世界との折り合いの話をします。

5万年の現在より、もうちょっと身近な話として、500年の計というのを僕は考えています。正月は今年1年の計でしょ。政治家は100年の計を立てようとか言いますよね。でも100年じゃ足りないと思うんです。今の人類文明がきちんとものを考えるには、もちろんさっき言ったように2万5千年の責任はあるんですけども。少なくとも500年くらいの射程で、ある程度ものを考える、ということは必要だと思います。コロンブスがアメリカ大陸に到達して500年。その500年くらいを目安にして、これから先500年くらいのタイムスケールの中で今までみたいに破壊したり、有害な事柄を起こさない世界にもう1回つくり直していったらどうだろうと思います。
いろいろな問題は、問題をつくり出したのと同じくらい時間もエネルギーもかけないと、本当には変わっていかない、改善されていかないところがあります。僕自身はもちろん自分の人生の射程ではないんですけど、500年くらい時間をかけるつもりで新しい世界のビジョンを描いてくべきだと思っています。むしろ身近な問題として500年というのはあると思います。500年なんてすぐ。とは言っても、500年というと自分も生きてないし遠い話だなという気がします。その中でも5年から10年くらいの射程で「これからどうするか」というのをきちんと考えないといけない。日本中の人たちも、世界中の人たちも、共有する課題として生命世界と人間世界と、仲よく折り合いつけて生きていくにはどうするかということを、ここ5年から10年でかなりの道筋をつける必要があると思います。そいういう意味では、さっきの“5万年の現在”があり、“500年の計”があり、そして本当の現実的課題として、ここ5年から10年というのがあると思うんです。そこでも水はかぎになると思います。「21世紀は水の時代だ」と言われますね。ひとつは、水が足らなくなると……。農業や工業や人口増加、それから地球温暖化をはじめとする人間がつくり出してる大きな規模の変化によって、水を今のようには得られなくなっていくんじゃないか、という見通しが出てきています。例えば、戦争の種にしないようにはどうするか、生活が立ち行かなくなるような状況をどうやって防ぐか、農業とか、工業的な産業そのものも含めて水は21世紀は大きなテーマになると思います。

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日本は、日本列島全部が屋久島みたいなんですよ。非常に瑞々しい森と水の列島なんです。日本はアジアモンスーンというのはベンガル湾の湿気を運んできますから、恐らく今の地球温暖化の予測からいっても、日本列島が乾くということは、多分ないでしょう。でも今のような水の扱い方、使い方、汚し方では、立ち行かなくなるでしょう。ですから5年、10年という射程の中で、あるいは500年の計という中で、僕が思うのは屋久島の美しい水、地球の血液であるような水と共存できるような状態を人間が続けられて、まともな暮らしをしていくとしたら、世界中の川を屋久島の川のような状態に戻して、そこそこ快適で楽しくて仲よくやっていく、そいういうひとつのビジョンというか、文明、文化の形が求められるだろうと思います。僕自身はひとつの目標として、世界中の川を屋久島の水の世界のようにするということです。それは、逆戻りという意味ではなくて、そういう世界をもう一度つくっていこうと思っています。むずかしいこともありますが、できないことじゃないんです。そういう気持ちがあればやれるんですよ。ただそれをやるかどうかが、問われるところだと思います。

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屋久島の水から学ぶこと。

もうひとつ、ここ5年、10年の近未来の中で氷がひとつのテーマとなると同時に、可能性を開くかぎでもあると思います。それは最近クローズアップされてきたように、エネルギー基盤というものが今の原子力を含めた石油化学文明から水素に変わっていきます。これはそうならざるを得ない、そうしないと人間の世界、この世界が続きません。早いスピードで化石燃料から水素へのシフトが起こっていくと思います。水素は、今脚光を浴びて実用化にものすごいスピードで進んでいます。ひとつは燃料電池という、エネルギー源があります。電気をつくり出すのに水素と酸素をあわせると電気が生まれて、熱も生まれて、排気ガスは水蒸気という技術があります。それがものすごいスピードで実用化に向かっていて、あと数年には車が商品化されて路上を走ったり、各家庭用の燃料電池というのは洗濯機くらいの大きさがあれば、家庭で必要な電気と熱は起こせるという時代にどんどん変わります。じゃあ、その水素をどうやって得るのかというところで、最初は化石燃料、ガソリン、石油とか天然ガスとか、そういうものから水素を取り出すような過渡期をしばらく経ると思いますが、究極的には自然エネルギーによって水を電気分解して、水素と酸素に分けて、それで水素を必要なところで、また酸素と結び合わせて使うという形に将来的には変わっていくと思います。いずれにしても今、原子力とか、燃やせば排気ガスや二酸化炭素で問題を起こす石油起源の化石燃料を使う代わりに水を基盤とした社会エネルギーのインフラに変わっていくと思います。その意味でも21世紀は水がかぎになる時代になると思います。
今、噴出しているあらゆる問題を解決して、水っぽい世界に近づけていくためには、さまざまなハードルがあると思います。いちばんのハードルは人間社会。環境問題って、いろいろやってみても結局何が問題かと言うと答えはあるんですよ、解決の方法は。でも、その解決の方法をやらないんですよ。それはもちろん個人差もあれば、社会的な差もあります。だけど大きく見て、まだ人類社会というのは自然と折り合っていくような自分たちの生活の形に変えていく答えをわかっていても、やらない、やれない、やりたくない、という段階にあります。では、どうしたらいいかって言うと、頭によく浮かぶのはエコデモという言葉。エコロジーのエコ、エコな生活とか言いますよね。デモというのは、デモクラシーのデモ。人間の社会の中でいろいろな物事を解決しようとする時に、社会的集団として、共同体として、社会として、たくさんの人間が関わって、一緒に問題を考えて、最善の知恵を出し合って、最善の解決法を見い出して、それを実行するということができないんですね、まだ。特に日本社会は、決まったことを上から押しつけられるという傾向が強いです。そうじゃなくて、集団、社会として、なるべく多くの人が問題解決を見い出していくプロセスを一緒に共有する、そしてその中で最善のものを拾い、組み上げて実行することができるような社会にしていかないと……。そういう意味でデモという言葉を使ってます。エコロジーとデモクラシーということで環境民衆主義というのは、ちょっと硬いんですけど、まだその辺は未解決です。

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要するに環境問題は、社会がデモクラティックにならないと解決されないですね。
実例でよくわかるのは、世界の中でパイオニアのようにいろいろな問題をいい形で解決し始めているのはEUの北欧です。ヨーロッパは環境の面では、かなり先頭を走っています。そのマネをするというんではないんですが、それぞれの自分たちが暮らしている場でエコロジーとデモクラシーをうまく結びつけていかないと問題は解決されないまま先送りという状態が続いていって、結局世界の中で取り残されていくということになります。環境というのはひとつの側面ですが、エコロジーとデモクラシーというのは、イコールで結んでいいくらいに大事なことだと思います。それは、僕自身はデザインだと思っているんです。コップをデザインするというのもデザインですが、自分が生きている社会をどんな成り立ちにして、何をやるかということもデザイン、どういうふうに変えていくのかも、社会をデザインするということです。自分たちの知恵の結び合わせ方をデザインする、ということもデザイン。そういう意味ではデザインという言葉が広い役割を持っています。社会全体もみんなでデザインし直していかなきゃいけない。例えば製品、生産過程、廃棄物の処理の仕方とか、全部デザインなんです。人間のやっていることは全部、人間が変えようとすれば変えられる、それをデザインし直す、というのがここ5年から10年の身近な課題だと思ってます。
エコデザイン、僕はもっと深い、視野の広い射程の長いデザインという意味でディープデザインという言い方もします。これは最近ふと思いついて、人に話したり、書いたりしながら練っている最中です。自然界は宇宙開闢以来、150億年と言います。地球ができて46億年、生命発祥して36億年。自然というのは長い時間の中で、いろいろな工夫を積み重ね、そういう自然界の知恵、工夫というか……、ある意味で自然が考え抜いてきた結果と言えると思います。自然が考えるというのは変な話ですけど、花ひとつ、虫ひとつとっても、それをよく見て知ったら、到底人間が創りだそうとして創り出せるようなもんじゃないわけです。そこに含まれている考えの深さ、知恵は、自然が150億年かけて、そこへ創って、初めて存在して生きてるわけなんです。自然界にはそういう知恵の蓄積があるわけです。一方で人間界での自分たちの生活を楽しく楽にきれいにしたい、ということは人間が生まれてからずっとひとつの衝動の中でやってきたことで、別に責められるものじゃないと思います。それも人類発祥して100万年とか、あるいは身近にいうと2万5千年くらい前から石器をつくって、人間なりの健気な工夫、知恵の積み重ねがあるわけです。特にこの500年とか、もっと近くでいうと戦後50数年の中では非常に工業的な、技術的な知恵の蓄積には華々しいものがあったわけです。今僕らが見ているような世界は、それの賜物です。そこにも科学技術ひとつ取っても、あるいは民衆のそれぞれの知恵の技術ひとつを取っても、人間なりの大変な知恵の蓄積があります。それも深い考えをずっとやってきたわけです。
今、環境問題と言われるものを解決するには、その自然の知恵と人間の知恵をうまく折り合わせなきゃいけない。それで初めて解決されるんです。理想的には人間の技術、生活は、自然の知恵と問題なく融合するような形になるのがいちばん。それは将来的な課題だと思いますが、実現できると思います。それにいく前の今の段階では、自然の知恵と人間の知恵を折り合わせるということが必要ですが、その折り合わせる時に、そこに知恵が働く仕組みになってない。エコデモの話をしましたが、ひとつは地方自治とか、市町村や県、国、自治というレベルで、最善の解決策を見出して実行するという仕組みになっていない。どこかでブレーキがかかって、相対的に見た時、自然界の知恵と人間の技術的な知恵を折り合わせるようなことができてないんです。ですから、その間をいかに集団として考えるようになるか、と。環境問題というのは、自然の知恵や、少なくとも工業的な人間の技術的な知恵と同じくらいのレベルでの知恵を働かせないと解決されないんです。そのためのひとつのキーワードが僕は地方自治だと思っています。国の規模で考えることも必要ですが、国のレベルというのはなかなか手が届きにくく、実際に自分たちの声を届けるのはむずかしいんです。もちろん、国のレベルでの解決策も考えながら、それぞれ自分が暮らしている場所で自然界の知恵やインターネットをするのと同じくらいの知恵と、自分たちの地域の営み方を同じくらいのレベルにしないと解決しないんですよ。その辺がディープデザインあるいはエコデザイン、もっと広い意味でのデザインです。
僕が好きなゴルバチョフは「政治というのは可能性の芸術である」と言ったんです。彼は政治と言いましたが、それは人間界がいかに集団社会としてうまくやっていくかということを言ってるんだと思います。確かにその通りだと思います。特に若い人たちにはそういうアートの世界があるんだということに関わってほしい。積極的に社会に関わり自分たちの生活を変えることに関わっていってほしい。一生かけるに値するデザインの世界であり、アートの世界だと思います。歳を取った僕も一緒になって、この5年から10年でいい方向性を見出して、次の500年あるいはプルトニウムの面倒を見なきゃならない2万5千年は、何とか知恵を出し合って、それだけの間は続けられるくらいの人間社会にしていかなければいけないと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
蛇口をひねれば水は出るし、水の循環を目の前で見ることもない。そのような日常生活の中で私たちが水の大切さを意識できるように、ひとりひとりがしていけることで上手な方法を聞きたいです。あと、屋久島生活で得た水との上手な付き合い方があれば教えてください。

星川さん:
さきほど言った5年、10年、あるいは500年と2万5千年の責任、そういう課題でいちばん大事なのは現実に触れることなんです。僕らは現実にこの生命世界、地球に今こうして生きてるわけです。一瞬一瞬を生きています。その現実で特に人間が過剰につくり込んでしまっている、こういう世界の向こうにあるものを知ることが大切なんです。僕が屋久島の水に触れて、パッと目が覚めたように、現実には目を覚ましてくれる力があると思うんです。それは自然のあらゆる側面でそうだと思います。日本列島というのは、農耕社会が3000年くらいの間ありました。比較的こういう狭い島々で農耕社会を何千年か営んできていますと、自然にすごく手を加えちゃってるんですね。相当山の高いところへ行かないと、元の自然の姿は見られない。生のままの自然というのは、美しいと同時に恐ろしいものであり、力強いものであり、同時に聖なるものなんです。そこへ身を置くだけで感じさせてくれるというような、本当の意味での自然というのは日本列島にはもうほとんどないと思うんです。普通に生まれ育って暮らしていて、日本では目が覚めるということがないんですよ。僕自身も、都会で生まれ育って感覚が麻痺して衰えきった人間が生命体としての地球を実感、体感するくらいに感じたのはアメリカ大陸の比較的手つかずの自然の中に1年間も身を置かないと気づかなかった、それだけ鈍かったわけです。ですから、自然界のリアリティになるべく近づくことですね。ひとつは自分が飲んでる水。蛇口をひねって出てくる水が、どこから来て、どういう素性の水なのか、自分の地域の浄水所はどこにあって、その水源はどこにあるか。その水源の川は、どこからどういうふうに流れて、源流へ行ったらどんな風景が展開して、どんな場所なのか。あるいは自分が排水した水は、どこへ、どんな状態でいってるのか。それも循環のリアリティ。地球上ではその循環が常に展開している。その両方を調べて触れてみると、何か次の発想が得られるかもしれません。
屋久島で生活することで現実に触れると、例えば水系は、絶対に汚してはいけないということです。ゴミは川に捨ててはいけないし、自然の中に入っても川に直接老廃物を出してはだめです。必ず土壌を通って、なるべく長い間土壌に染み込んだ状態で川に入るようにしてください、そういうエチケットが水に触れていればわかるようになります。もちろん、そういうことをしないというマナーはふだん生活する上でも、社会としてもできていくんじゃないかなと思います。

お客さま:
2万4千年後の地球のイメージを教えてください。

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星川さん:
それは僕らがこの5年、10年をどうするかということと、それから500年の計が、どのようなものになるかにかかっていると思います。その辺をうまくイマジネーションとクリエーティビティーを駆使して乗り切れたならば、今と変わらない世界が2万5千年後も展開してるんじゃないかなと思います。変わらないというのは、地球史、生命史の46億年とか、36億年の中でいえば「5万年の現在」と言ってますけども、本当に一瞬なんです、5万年なんて短いんですよ。今から2万5千年前というのは着ているものも使っているものも違います。でも精神的な営みとか、考えたり、夢を持ったり、そんなことはほとんど今と変わらない生活をしてたんです。自然界はもちろん、ほとんど人間が壊す前までは、それなりにゆっくりとした進化や変化はありますが、2万5千年と5万年ではほとんど変わりません。人間がきちんと自分たちの行動が、まともな生き方ができれば2万5千年後も屋久島のような水が流れて、緑が深く、美しくて聖なる力強い地球があるんじゃないでしょうか。その中に人間も、楽しくて慎ましやかにしあわせにやっているんじゃないかと思います。

お客さま:
エコデモをうまく進めていくためのマスコミのあり方とは、どういうものですか? エコデモにおけるインターネットの上手な活用法を教えてください。

星川さん:
マスコミというのは非常に大事だと思います。人間が歴史の中で獲得したひとつの手段、自分たとを賢くしていくための手段、今のメディアの力は使い方によっては非常に強力なんです。それをあまりうまい使い方をしてないんですね。ある意味では原子爆弾とか、原子力発電とか、そんなぐらいに強力な力を持った手段だと思います。今の映像メディアとかインターネットもそうですけど、それをいかに自分たちをより賢くしていくか、いい社会をつくっていく方向に使うか、ということは、日本人はどうしたらデモクラティックに自治ができるのかということと、ほぼ同じ問いだと思うんです。それはひとりひとりが考えなきゃいけないことだと思います。マスコミの使い方、もちろんマスコミに関わっていたり、これから関わろうとする人たちは非常に大事な問題で、核エネルギーを扱うのと同じくらい自分たちが大きな力を使うんだということを肝に銘じて、今までやってきたような誤りは絶対しないことです。要するに社会の中の自分たちのデモクラティックな自治を妨げるような方向の力にマスコミが加担しない。日本人は過去の戦争の時代を中心として、やってしまったことですから、それはしてはならないと思います。マスコミに関わる人間は独立独歩というか、自分の信念の目で見たものを調べ、考える、ということが大事。それで自分が本当にそうだと思ったビジョンは、はっきりと勇気を持って伝えていく、発表していく、ということを問われるんじゃないでしょうか。
2つ目の質問は、あまりにも大きな課題。僕自身もまだインターネットを2年くらいしか使っていないのですが、使ってみて思うのは、インターネットの今の状態は、情報を共有するための強力な道具なんですけど、ともすれば相手の顔が見えないので言葉だけが独り歩きしてしまうんです。だから、僕はあまり期待しない。道具としては使えるけど、インターネット以外のいろいろなコミュニケーションというものが大事であって、その上でインターネットは、郵便や電話の次に現れた便利な電子掲示板くらいなもの。今は過剰な期待をするよりは、社会全体をエコロジカルでデモクラティックなものに変えていく中で、インターネットの使い方は自ずと決まっていくようなふうに考えてた方がいいんじゃないかと思います。もちろん、コミュニケーションの手段として活用するのはいいんですけど。インターネットとインナーネットと両方必要だと思います。

フェリシモ:
星川さんが提唱されている「半農半X」というライフスタイルを紹介してください。また、ご家族との屋久島の生活を教えてください。

星川さん:
「半農半X」というのは、友だちが言い始めた言葉です。僕が屋久島へ住むようになって、収入のための仕事は著作、著述で支えてきたもんですから。それと平行して自分たちの食べるものは、なるべく自分たちの手でつくりたいと自給的な農業をやったりしていて、それを「半農半漁」をもじって「半農半著」と友だちが言い始めたんですね。それで「半農半XのXは、それぞれの人が代入するんだから、ひとつのライフスタイルとして、これからの時代にちょうどぴったり」ということで、彼は「半農半X研究所」というひとつのシンクタンクみたいな活動をしたり、ホームページも立ち上げました。要するにリスクを分散するということです。お勤めや何か現金収入だけというものに全面的に頼らずに、ひとつの生きていることのリアリティである食糧生産にも、それぞれが関わった方が楽しいし、いろいろと安心の面も得るものが大きい、ということでそんなライフスタイルはどうですか、と。きっと余裕ができるし、豊かになるっていう提言です。
2つ目の質問は、基本的には「半農半著」ということで、1日の半分は、例えば午前中4時間くらいは机の上の仕事をして、午後は野良着に着替えて4時間くらい畑仕事をやったり。結構忙しいんですよ、自然と近い生活というのは。敷地だけでも6、7000坪あるので、草刈りだけで大変ですよ(笑)。そういう生活をやってきたんですけど、最近歳のせいもあって農業の部分が疎かになって。最近「半農半X研究所」の友人にもAVXというのはどうですかって言ってるんです。AVXのAはagriculture(農)、Vはvolunteer(ボランティア)です。僕自身も農業と著作をできなくなったのは、屋久島に居て20年になると、町の行政とかだんだん地域のことを放っておけなくなって、今、行政と住民との間を繋ぐ組織の会長もやっています。ボランティアワークが結構忙しいんですよ。「agriculture(農)に、根ざすということはボランティアワークも必要だな、自然だな」と思うようになりました。Xは現金収入のための仕事が入ると……。3分の1くらいずつでどうかな、というのが僕自身の今の生活配分です。なるべく自分たちでつくった野菜を食べて、なるべくスライドでも紹介したお風呂にも行って……。車で10分から15分のところなんですけど、月の満ち欠けでお風呂に入れる時間が変わりますから……。そういうことを、大前提に置いて生活してるんです(笑)。

フェリシモ:
AVXのVについて、どういう活動をされていらっしゃいますか。

星川さん:
僕にとっては屋久島というところが、自分のひとつのルーツ。年数で言っても生まれてから住んでいる時間がいちばん長いんです。東京で生まれ育った時間よりも長くなりました。本当に第一の故郷。多分今の世界で屋久島以外に、あまり生活の基盤にしたいような場所ってないんですね。それくらい屋久島が好きなんです。
屋久島が非常に好きで、でも居るとそこに問題が持ち上がってくるわけです。日本の社会の末端ですから、町役場のやることが、どうしても譲れない、ものを言わざるを得ないということが出てくるんです。なるべく大人しくしようとしてるんですけど、やはり住んでいる時間が長くなると、その場所は大事で守らなきゃいけないこともあって……。そんなんで、AVXのVの部分がだんだん大きくなり、昨年1年は本業をほとんど休んで、隣の種子島に「原子力発電所から出た使用済み核燃料の中間貯蔵施設を別の場所へつくりたい」という計画をしているんですけど、そういうものが種子島へ誘致をしたいという人たちがおかしな動きをしてたんで、種子島と屋久島の人たちに協力して、その計画を中止にさせました。自治体で核物質は絶対受け入れませんという条例をつくったんです。日本の自治体では、非核宣言、非核決議とかを、全国の市町村の7、8割くらいはしてるんじゃないでしょうか。それを利用して、うちの町でも僕らが提案して10年位前に核兵器廃絶をしましょうという決議をしてたんですけど、それに原子力、使用済み核燃料も含めて未来にそういうものは相応しないという条例にしたんです。
そんなことをやったり、環境審議会をやったり……。自治体の審議会というのは、ただ1年に1回くらい集まって行政のやることを推認するだけなんですけど、僕たちは環境の専門部署を町に僕らが提言してつくらせたし、なるべく数多く開いて具体的な問題を扱うようにしています。行政の人たちと補い合って一緒にいい方向を見い出していくという心がけてはいるんです。屋久島にはふたつの町があるんですけど、一緒に新しい大きなゴミ処理施設をつくろうという計画があります。その計画の内容について、こういう案でいきましょうと言って、今叩かれているところです。自分にとって環境というのもひとつの大きな切り口なもんですから、地域に根ざしたシンクタンクというのをつくる必要があるなと……。今は屋久島環境政策研究所を立ち上げようと思って準備を進めているところです。

フェリシモ:
新しいデザイン、意思決定システムの改革のためにできることは何でしょうか。特に学校の教師には何を望みますか。合わせて神戸学校事務局からも質問させていただきます。星川さんがおっしゃっていたように、何万年もの視野でこれからの想像と創造を考えた時に、私たちが次世代に対して視野を向けた時の助言をいただけますか。

星川さん:
ものすごい大きなテーマで一言で言えないし、僕自身が教師という経験をしていないもので的確な答えができるかどうかわからないんですが、教師ということだけじゃなく、親として次の世代に何を伝えるかということも含めて言いますと、大人が、イマジネーションとクリエーティビティーを全開にして、イキイキと生きていくことが大事なんじゃないかと思うんです。その姿を見て、子どもたちは学ぶと思うんです。教えるということも、必要最低限やらなきゃいけないことあるんでしょうけど、学校の現場で教師がイマジネーションとクリエーティビティーを開ききって生きていけるという学校にできるかどうかですね。日本は今それが逆じゃないでしょうか。学校がいちばん閉鎖してる。でも現場の先生たちは苦労しているんだろうなと思います。現場なりにいろいろなことがあるんでしょうけど、やはり自分たちがいかに輝いているか、イキイキと生きているかということじゃないんですかね。それは親もそうです。我が家の教育を考えてもそう思います。エコロジカルな、デモクラティックな生き方は、何でもありじゃなくて結構きびしい。エコロジカルというのは、自然との掟というものがあり、きびしい世界だと思います。人間社会が自然界の中で賢く存続していくための知恵、掟、マナーということはきびしいと思います。大人がそれを取り戻して実行する、そうしていけば子どもにも伝わるんじゃないでしょうか。

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Profile

星川 淳(ほしかわじゅん)さん<作家・翻訳家>

星川 淳(ほしかわじゅん)さん
<作家・翻訳家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
作家・翻訳家。著書に『屋久島水賛歌』『星の航海師』『環太平洋インナーネット紀行』『ベーリンジアの記憶』、訳書にJ・ラヴロック『ガイアの時代』、P・アンダーウッド『一万年の旅路』他多数。インドとアメリカで自己探求や対抗文化を体験した上、屋久島在住19年。

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