神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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<第1部>

紙と鉛筆、ときにはハンカチ……。
そしてフェリシモの段ボール箱を使った
日比野スタイルのユニーク学校、スタート。

今日は、自分の作品を絵で見ながらお話するのと、あと、入り口でみなさんダンボール箱と紙をもらったと思うんですけれど、それを使ってちょっと手を動かしながら、授業っぽくやるところと織り交ぜながらいきたいと思います。
今日の話のきっかけとして「思いをカタチに」っていう演題がついています。その人その人の思い、感性、気持ちというのは100人いたら100通りあるんです。なぜ100通りあるか、どこからそうやって枝分かれしていくのか……。例えば、育った環境、親兄弟が似ている、血の繋がりというところで考え方が似ているとか、同じところで育つと趣味志向が似ているとかっていう分かれ方があると思うんです。
まず育った環境というところが大きいと思います。例えば神戸で育った人と、岐阜で育った人、東京で育った人、その環境によって考え方って変わってきます。それは日本で生まれ育った人、ヨーロッパで生まれ育った人というところでも大きく変わってきます。
僕たちは自分が地球上の北緯何度、東経何度のどの辺にいるかっていう……。例えば長野県長野市、松本市にいる人は「海までは遠いんだ」「周りには山に囲まれているんだ」という意識がいつもあると思うんですね。逆に沖縄の人だったら、「周りは海に囲まれているんだ」「本州まで距離があるんだ」という感覚で育っている。そういうバランス感覚で育った人の物事の考え方っていうのは、自分がいまどこにいるかという磁石でいろいろ形成されていくんだと思います。
僕は岐阜市で生まれました。岐阜市は濃尾平野のいちばん端っこで、岐阜市からもっと北の方に行くと高山に続く山があるんですけど、そのちょうど平野のどんつき、そこから後はもうずっと山っていう所。だから自分の中の磁石は、背中に山をしょって、前に平野があるという感覚です。で、左が東京で右が大阪、神戸の方の意識はどこにいってもここ(頭の後ろを指差す)に山がある気がして……。神戸の人もそうだと思うんですけども、山の方を向いて海を背にするっていうのは普通なかなかないと思うんですよね、壁に向かって立つよりも開けている方を見た方が落ち着く。あと長崎とか、横浜とか港町とかっていうのはみんな地形が似ているから、感覚が似てるんじゃないかな。山口は、本州の端っこ、そうすると九州の方を向いているかっていうとそうでもなく、東の方を向いている。イメージの中で山口の人は大阪とか東京とか東の方を向いている感覚がある。その人が生まれ育った地形、土地でバランスがまずは形成されていくんじゃないかなと思います。

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ちょっとみなさんの自分の感性や思い、ふだんみなさんが意識していない部分を意識するような、ワークショップ的な遊びをします。
じゃあ、大人の人は自分の最終学歴のときの、高校生は前の学年、1年生の僕は幼稚園時代の友だちの名前を10人書いてください。
(日比野さん:ワークショップ中 歩きながら書いている参加者を見てまわる)
じゃあ、いま大学書いた人は高校、高校書いた人は中学の友だちの名前、幼稚園の僕は幼稚園入る前の友だちの名前を書いてください。
(引き続きワークショップ中)
名前というのは言葉、文字ですよね? 「あいつ名前何だったけな」っていう……。人間の記憶というのは結構、言葉で整理されているんです。 僕もいま、「中学校時代を思い出してください」「高校時代を思い出してください」って言葉で言いますよね。そうすると自分の中の「中学校」「高校」っていうところの、いわゆるインデックスを検索していく。自分の中学校、何年何組、人の名前、それぞれ言葉で覚えている。で、そこで初めてそいつの顔が思い浮かんでくるっていう記憶のたどり方をしてるんです。
だんだん時間を遡ると、その言葉が出てこない……。これは、そこにアクセスする回数が少なくなると、そのインデックスがなくなってくる。思い出すことを日ごろ必要としないわけだから、使用頻度が少なくなると、だんだん言葉だけでは辿り着けなくなるんです。けれど、それは小学校時代の思い出、中学校時代の思い出がなくなってるわけじゃないんです。1回刻み込まれたイメージ、印象というのは絶対残ってる。名前が思い出せなくなってきてるのは記憶がなくなってるわけではなく、引き出すことだけができなくなってるだけなんです。
では、小学校まで遡った人は幼稚園、中学校までいった人は小学校、だんだん自分が思い出せないような状況に追い込んでください。
(引き続きワークショップ中)
言葉でだんだん思い出せなくなってくると、自分の頭の中に何がイメージされているか。例えば昔遊んでいた町内の風景とか、引っ越す前の自分のお家とか、飼ってた犬の顔とか、大好きだったシャツとか、サンダルとか、友だちと海に行った思い出とか……。記憶が適当にあっち行ったりこっち行ったり、言葉という鎖を失うと記憶は勝手に飛んでいきます。その頭の中に浮かんでいる映像、いまみなさんは、頭の中がそれぞれの年代を掘り下げてると思うんですけど、どこまでいけるか。言葉では引き出せない。まして幼稚園くらいまでの記憶まで名前とか書こうとかしている段階になると、言葉を自由に操ることがまだできない時代があったわけですよね、映像だけ覚えているし、自分の中で理屈、言葉で整理できなかったから、曖昧に残っている。
それは、例えば僕が絵を描いたり、物を作ったりするとき、何を求めるか、何をゴールとするかということ。「よし! これで完成」って自分がOKすれば完成、自分がNOと言えば未完成。けど、どこで自分がOK、NOを出してるのかっていうと、それは自分の言葉を覚える以前に貯めていたデータだと思います。
だから、いまみんながどんどん名前を思い出していって、昔の風景とか、友だちの顔とか、自分の部屋の中の様子とかっていう映像を浮かべていると思うんだけど、自分の絵を描いたときの求めているアイデアとか目標は必ずそこにあると思います。
これは絵に限らず、その人の感性です。感性は勉強できるものでもないし、知識としてつけるものでもなく、かといって持って生まれた遺伝子的なものでもなく、これはもう10歳くらいまでの間につくられるものだと思います。だから、生かすも殺すも親次第ですよね。大変です、育てるのって。でも我々もそうやって育ってきたわけですから。

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じゃあ、2枚目の紙を出してもらえますか。
では、右利きの人は左手に、左利きの人は右手にペンを持って。で、利き手じゃない方の手で、紙の真ん中に直径10cmの正円を描いてください。描いたらもう1枚新しい紙を出してください。今度は利き手で直径10cmの円を書いてください。2枚描けたら重ねて、透かしてみて。
ふたつの丸がぴったり重なった人いる? 確かめてみよう。
(お客さまの方へ歩いていく)
ずれてんじゃん! 5mmぐらい。
ぴったりっていうのは、線の上にきちんと線が乗っかっているぴったりということね。恥ずかしいぐらいずれている人もいると思います。大きさも全然違う、真ん中っていうバランスも違ってるみたいな。僕が、「紙の真ん中に直径10cmの円を描け」って言ったときに、どれだけずれてるか。ずれるんですよ、ずれるのが当たり前。でも与えた指示は同じだよね。指示をもらって、右が行った仕事と左が行った仕事。で、もう既にここでずれてるわけです。どうやって手って使い分けてるかというと、右利きの人は、いろいろなもの、ペン、お箸、包丁、はさみ、携帯電話……、いつも道具を操作する手として訓練されているのが利き腕。左手は何をやってるかというと、主にそれのサポート。包丁でキャベツ切るときは、キャベツ押さえ係は左手で、右手が包丁で切る。はさみのときは、右手がはさみ、左手は紙を支えているっていう、だいたいいつも利き腕じゃない方の手は、利き腕のサポートをしているわけです。
この右利きっていうのは、さっきの話で言うと、“言葉”なんですよね。僕もいま“言葉”でみんなに伝えようとしている。コミュニケーションの手段として最も人間が活用しているのが、“言葉”。“言葉”がどんどん熟練してくると、大人になれる、コミュニケーションしやすくなる、ボキャブラリーが増えると表現力が豊かになるっていうのは、道具(=言葉)を使いこなすことができているということ。
じゃあ、道具を使いこなすのが苦手な左手っていうのは、能力がないのか? 無能なのか?全く役に立たないのか? そうじゃないんです。左手というのは、結構すごいやつなんですよ。

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7~8年前に、フランスのリモージュに行ってました。そこはヨーロッパでも有数な、有名な陶磁器の町で、リモージュ焼きっていう焼き物があるんです。美術学校があり、そこで作品を作ってきました。リモージュの土を使って、リモージュの美術学校の設備を使って、そこの学生たちをスタッフに入れて、そこで作品を作ってくださいということでした。で、粘土をいじってたんですけど、粘土っていうのは道具を必要としない。例えば彫刻を掘るのにノミとトンカチ、絵を描くときに筆を使いますが、粘土はへらを使ったりすることもあるけれど、基本的に手で粘土をいじる。幼稚園でも粘土いじりってやるわけですよ。道具を使わなくていいからこどもには扱いやすい。で、僕は「100個作品を作ろう」と自分に課題を出しました。それで、「まずは、丸、球」「次は立方体、四角」「次は円錐」……。やっていくと、仕上げのときには必ず右手が動いてる。「じゃあ次は円柱」。20個くらい一通り基本的な形ができてきちゃった。で、「あとはどういう形にしようかな。何か適当な形作ろうかな」って思ったときに、左手が無意識に動き出したんです。で、「あれ?」って思った瞬間に、次は右手が動き出したの。意識が戻ると、やっぱり右手が物を作る上ではリーダーだから……。でも、「さっき、左手が一瞬動いたな」と、そこは自分の中で1回気づいちゃうと、無意識の意識は、無意識に意識できないんだけれど。そうなってきたときに、言葉でつむぎだそうと思うイメージっていうのは右手の方が得意。けれども言葉の以前の記憶だったり、言葉ではない指令を脳みそが腕に伝達するときには、左手の方が動く……。日ごろ使っている右手は、どっちかっていうと言葉の道具。あれをやりたい、直線をつくりたい、きれいに切りたい、直径10cmの丸をきちんと描きたいときには右手の方が得意。けれども、言葉じゃないようなイメージを使うときには左手の方が得意なのかなって思ったんです。
いまみんなに右手と左手で丸をふたつ描いてもらったけれど、そのズレが自分らしさだと思うんですよね。ぴったりな奴はいない。私の個性って? 私って誰? っていうところを探すときに、そのズレの部分があなたです。
これは言葉的に説明している話であって、そんなに言葉できれいに言い表せるものではないですから。あえていうなら、その右手と左手で描いた円のズレが自分だっていうイメージを持つ。左手的な、利き腕じゃない方の手ということはつまり非日常的な、もっと言えば、自分の本能的、内面的な部分。例えば右手と左手の話は、道具を上手に使う、使えないってことだけではなく、自分の感性の部分ってのがあるんだなっていう意識をぼわっと……、「なんか日比野、適当なこと言ってる」くらいの話なんですね。だけど、そういう気持ちがあるのとないのとでは全然違うんです。

(略)

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こども番組、コマーシャル……。
僕の目的は絵を描くことではないんです。目的は感性をくすぐること。

自分の作品をお見せしながらお話します。まず「ポンキッキーズ」、フジテレビのこども番組です。これ94年かな。僕はこどもにいろいろ絵を教わる、まあ一緒に遊ぶんですけど、“放下着の時間”っていうコーナーを、ずっとやってました。放下着っていうのは、「捨てろ、捨てろ、捨てようと思う心も捨てろ」って言う意味なんです。それのスペシャル版の動画を見てください。
(映像)
まぁ、こどものやってることと同じだと思うんです。別に目的はないし、何を作ろうかって意図もないし、作っても大事だと思ってないからすぐ壊すし、もったいないとか、さっきまでやった努力が無駄にならないようにきちんと完成させなきゃっていう気持ちもないし、ただ好きなだけ手を動かしている。最初も別に何を描くわけでもない、長い線だけ描きたい。
なんか長い線だけ描きたいってばーっと走り回るように描くっていうことから始まってて……。作ったから、じゃあ自分で壊しちゃう。壊しちゃったら自分でまた組み立てよう。作っちゃうと、「見て見て!」っていろいろな人に見せたくなる。
で、いろいろ出かけて行く。で見せられた方は、なんだかわかんないからどうでもいいんだけど……。こどもってみんなそうだと思うんですよね。でも大人っていうのはどこかで「俺にとっていま描くべきものは何なのか」「こうやって描くと、あいつにこういうこと言われそうだな」「これって結構俺らしくないな。もっと自分らしいものにしなくちゃ」ってどんどん面倒くさいことが自分の中にくっついてくる。それが大事なときもあるんだけど、そこを脱ぎ去れば、それだってすごくその人らしさが表れる。1枚の絵を見てドキッとすることもある。1個の歌を聞いてワクワクすることもある。いろいろな人の話を聞いて刺激的なこともある。それってどういうことかというと自分の感性がちょっときゅっとずれる。直線にずれたり、斜めにずれたり、きゅっとレモンを絞るようにくっとなったり、いろいろなずれ方があるんだけど、ずれるものに出会うっていうのがドキドキすることだし、アート、芸術の魅力だと思います。

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さっき道具の話がでましたけども、絵を描くのって、必ず道具を持たなくちゃいけないじゃないですか。それがもうまどろっこしい。上手に操ることによって自分の思い通りの線や、絵が描ける。で、道具を使わなくって何とかして空中に、自分の好きなものの絵が描けるように、立体が作れるように。自分の先から絵の具が出てきたり、塊が出てきたりっていうふうなことってできないかなって思ったことがあるんです。そのイメージをバーチャル空間で現実にしてみようっていうのが、このコニカのビデオテープのコマーシャル用に作った映像です。
(映像)
これは89年、もう12年前ですね。まぁこれはだからCGでやったんですけど。自分の手からものを生みたい、で、それをCGで1枚ずつ絵に描いてアニメーションにして合成したんですが。あの自分の頭の中っていったいどうなっているのかな? 手の先に形が欲しいっていうとき、筆があるから筆で描くものしか描けないじゃないですか。で、紙と鉛筆があるから紙と鉛筆らしいものしか描けない。粘土があるから粘土らしいものしか作れない。木があるから木らしいものしか作れない。けれど木も、粘土も、紙も、材料がもう何もなくって、材料や道具というものに制限されなかったら何が出てくるの? っていうところで、自分のイメージを世の中にある材料に置き換えて、やっているだけなんです。
最終、落とし込むときにはその実在のものに制限されちゃうわけですよ。でも本来なら、いまみんな目で見ているけれども、別に匂いでも音でも何でもいいの。いま目と耳とでみんなに伝えてるんだけど、ほんとは自分が伝えたいところっていうのは、絵を使ってその奥にあるところの刺激をくすぐりたいっていうことです。
僕の目的は絵を描くことではないんです。目的は感性をくすぐることであって、絵は道具、方法。ですから絵、美術じゃなく、歌で自分の感性が伝達できると思ったら僕は歌手になります。でも、いまのところは美術の方が伝えやすいのかな。
(略)

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フェリシモ段ボール箱
大活躍の授業

次に、入り口でもらったダンボールの台紙、これ開いてください。君、(客席の小学生を指して)じゃあ、こっち来て。では講師の先生をお迎えします。
(会場:拍手)
みなさんいいですか? 彼がやるのと同じようにやってください。君、何でもいいから好きなことやって。何でもいいよ。
(お客さま:ダンボール箱を頭から被る)
やっぱしな。そうだよな。絶対そうすると思ったんだよ。やっぱりダンボール箱もらったらこうだよね。もうこれしかないです。もう期待どおり。
まずこうするよね、100人が100人ダンボール箱を見たら何か被りたくなるんだよ。穴があいているから。やっぱり箱があったりすると、被ってみようかなって気持ちになるのは当たり前。けれども日常の中でそれはしない。しても意味がないから。したところで馬鹿にされるだけだから。けれどもやるわけですよ。これやったあとは、こうなるわけですね、絶対。
(顔の前が開く状態で被る)
どう? はい、向こう向いて。何か病気になった犬みたい。
(会場:笑)
みなさん、はい、被った後は顔面に開口部を持っていって。いい絵ですねぇ。すごい風景ですね。マルコヴィッチの穴みたいな。いやぁフェリシモの箱はいい箱ですねぇ。ちょうどいいサイズですねぇ。
じゃあ、みなさん自分で周りをキョロキョロしてみて。結構笑えるよね。「お前どうしたの?」「お前ちょっと最近世間見えてねぇんじゃないの」みたいな。こんな宅急便が来たらどうします? 箱を開けたら顔が入っていた、っていう……。

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じゃあちょっと蓋をしてみましょうか。で、ちょっと周りの人とキョロキョロして見合ってみて。隙間からちょっと見入るように。結構人間の顔ってちっちゃいのね。カメラマンの方この辺から押さえといてください。これは貴重な資料ですね。フェリシモの箱がここになかったら、こんなことやるつもりじゃなかったんですけどね。
はい、じゃあ外してください。耳が塞がっていると空間がわかんなくなって、空間がわかんなくなると人間って結構どこでも行けちゃう。いま、耳が塞がっていたから恥ずかしくないんだよね。
さっき、彼がやってくれたように、箱があったら被る。被ったらちょっと閉じたり開いたりしたくなる。さっき「ポンキッキーズ」の何をやるわけでもない、線を描く。作ったら壊す。壊したら作る。何かできてちょっとドキドキしたらそれを誰かに見てもらいたい。箱があったら組み立てる。組み立てて四角くなったら、何か頭が入りそうな穴ができたらそこに突っ込んでみたくなる。その当たり前のことの連鎖反応が、ものづくりではすごく大切な部分だと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
自分が書いた小説を、何人かの人に読んでもらって、いろいろ指摘してもらったんですが、指摘されたことを参考に人によりわかるように書き直しはしたいんだけど、直すのが怖いようなむずかしいような気持ちです。文章と美術では表現的に違うところがあると思うのですが、日比野さんは作品を作る上でそういう点で悩んだりしますか? 悩むならどう解決しているんでしょうか。

日比野 克彦さん:
例えば1枚の大きな絵がここにあるとするじゃない? この絵を描くのに10時間かかりました。10時間かかった絵は、いちばん最初にどの色を描いたとか、どの部分から描いたとか、いちばん最後にどの筆で描き終えたかっていうのはわからないよね? 10時間が一気にバーンって出てるのね。文章っていうのは、1行目から書き始めて、途中で校正とかあるにしてもとにかく最初から書いてて、最後の1行で終わるっていう時間の軸が確実にあるじゃないですか。まずそこが大きく違いますよね。
僕が『海の向こうに何がある』(朝日出版社)の文章を書いたときは、まぁ簡単に言っちゃえば、絵のように文章を書いていったんですよ。どういうことかというと、文章の中で、時間が行ったり来たりしてるのね。絵でも、先にこっち描いて、次こっち描いて、最初の2時間に描いた所をまた描き加えたり。で、また今度3時間後を予想して地塗りしたりとか、いろいろ時間が行ったり来たりするんです。僕が書いたその文章も、時間的にはもうぐちゃぐちゃ。「海の中に泳ぎに来ました」→「泳ぎに行ったらイルカを一瞬見た」→「イルカを一瞬見たら、北極で見たアザラシを思い出した」と、時間がぐんぐん飛ぶわけです。で「アザラシを見て、そこでイヌイットがアザラシを撃ち殺して、腹を裂いて、臓物がばーっと出てきて、それでそのレバーを食べたら、すし屋を思い出した」と。そこでまた飛ぶわけですよ。それは小説とエッセイで大きく違うところだと思うんですが……。
さっきの「ポンキッキーズ」じゃないけども、主題をひとつ確実に言いたいっていうときには、それを計算高くして、起承転結なり、ドラマの起伏なりを考えなくちゃいけないけど、絵というのは時間軸関係なしに、どんどん描き足したり、足したり引いたりしていけばいいわけ。それはその人の文学スタイルだったりするんだと思います。
絵と文学の違いはそういうところがあるし、僕が文学を書くときには、自分の感性にあった文章の書き方=絵のように文章を書く。当然、絵と文学とは最終的な表現手段が違うんだけども、あのやっぱりその人の書き方っていうのは文学にも出るし、材料変えてね、絵を絵の具にしてもやっぱり出てくるだろうし。今日前半のところでも言ったけれど、絵を描くのは手段であって目的じゃないから。やりたいことは自分のことを表現したいこと。相手にやっぱり自分の感性を伝えたいこと。それは文章でも鍛えようと努力すればそれが自分のスタイルになると思います。

お客さま:
日比野さんのいちばんの元気のもとはなんですか?

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日比野さん:
人に会うことですね。人間ってそんなに強くない、基本的に弱いもので、そんなに自信を持てるものでもなくって、弱々しいものだと思うのよ。自分もそうだと思うし。僕なんてA型で、おとめ座で、動物占い小鹿だからもうすごい弱いんですよ。
(会場:笑)
もうおどおどしているわけですよ。もうどれひとつ取っても強そうじゃないっていう……。幼稚園のころなんて、「『かつひこ』って『こ』がつく。」「女だ!」「女だ!」って言われて女の子にいじめられたし。
(会場:笑)
で、ひとりで自信がないときっていうのは、悪循環なんだけれども、人に会いたくない。で、家の中にいる。となるとどんどん自分の中で、「会わない自分が嫌だ」「なんで行かないんだ、行けばいいのに」「そんなにお前は世間体を大事にして、人によく見られたいのか日比野!」
(会場:笑)
「もう弱いとこ見せたっていいじゃない」「不機嫌な自分見せたっていいじゃない」「いつものとおりの振る舞いができなくたっていいじゃない」、どんどん落ち込んじゃう。元気がなくなるわけです。
でも、やっぱりどうしても出かけなくてはいけなくなるわけ。で、出かけて行って人に会ったりすると、さっきまで落ち込んでた元気のない自分が何か嘘のように、やっぱり逆に僕は人から元気のもとをもらうんです。コミュニケーションしだすと元気になる。で、いろいろな人に自分の感性を人に伝えたい、それが目的だって言ったけども、もっと言えば人に会うことが目的かもしれない。僕は絵を描いてるからいろいろな人に会えるわけですよ。
で、「日比野っていう奴がいる」っていうのも絵を描いて、「日比野っていうこういうこと考えている人間がいるよ」っていうことは絵を通していろいろな人に見てもらえる。そうするといろいろな人に会える。僕もこうやって質問されて自分の考え方を整理しているところってあるわけです。で、自分でしゃべってる声を自分でこう聞くわけじゃない? 「あ、そっか、俺ってこういうこと考えているんだ」って、人に会って自分の中をまた整理できる。聞いてるだけじゃやっぱりだめなんだよね。人と話をするっていうところで、やっぱり自分の考えがぼやーってなってきたら1回外に出し、口に出して言ってみる。そうすると自分の考え方が整理できる。人と会うと元気が出てくるし、元気が出てくるとどんどん創作活動パワーが出てくる。だから人に会うことが、僕の元気のもとであるのは確かです。

お客さま:
もし自分のことを何も知らない人に会って、時間も少ししかなかったらどんな自己紹介をしますか?

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日比野さん:
ほんとに僕の肩書きをここでお教えしましょう。私の肩書き、アーティストではないです、よく聞いてください、2階のみなさまも。
(会場:笑)
私の肩書きは、「日比野 克彦」なんです。伝わったのかなぁ。伝わってないのかなぁ? これは寺山 修司さんの受け売りなんですけどね。寺山 修司さん、この人は実験映像をいっぱい作ってんのね。で、インタビュー、ずっと寺山 修司さんワンショットで、ずっと寺山さんにインタビュアーがインタビューして、ひたすら寺山さんが答えてるっていう実験映像があるんですけど。「寺山さん、あなたの好きな食べ物は?」「なんとかです」「今日何食べました?」「なになにです」「最近行った所で好きな場所はどこですか?」とか、矢継ぎ早に質問してるわけね。で、その中に「あなたの職業はなんですか?」という質問があるんです。寺山 修司さんは劇団天井桟敷の主宰者であり、劇作家でもあり、詩人でもあり、競馬の評論家でもあるんです。いろいろな肩書きがあるんだけれども。その寺山 修司さんは、「あなたの職業はなんですか?」って聞いたら、「僕の職業は寺山 修司です」って言ったんです。
ちょうど僕がその映像を見たのは大学生のとき。僕は美術の大学に行ってて、これから何屋になろうかな? って考えてたのね。で、まぁ、デザインの勉強をしてたからグラフィックデザイナーになるのか、それともいろいろな家具とか何かのプロダクトデザインやるのか、映像を作ってコマーシャルのフィルム作るのか、とか。そんなときに、「寺山 修司の職業は寺山 修司です」っていうのを聞いて、「これだなぁ」って思ったわけですよ。「そうか。自分の職業は自分でつくればいい。自分の職業、自分しかないものをつくればいいんだ」と。最終的に自分の肩書きっていうのは自分の名前になっていくことだと思いますから。
だから、「日比野 克彦です」って言います。はい。

お客さま:
私はいま7歳の男の子を子育て中です。息子は絵を描くのとものを作るのがとても好きなんですが、日比野さんのお母さまは絵を描くことが好きだった日比野さんとどういう感じで接してこられたのでしょうか? あと絵をずっと続けていく中で、友だち、先生、近所のおばちゃんとかおじちゃんに言ってもらった心に残る言葉は何ですか?

日比野さん:
息子さんはおうちで絵を描いたりするんだ。(男の子を見ながら)そうすると絵を描いてると、お母さん誉めてくれる? 「上手だね。」とか言ってくれると、うれしいよね? うれしくなると、また描きたくなったりする? また描こうかなって。また描くとお母さん誉めてくれる? 「上手だね」って。で、また描きたくなる?
そうなんですよ、誉めるしかないんですよ。もう誉め殺し、誉めまくり。「もう、天才!」
(会場:笑)
「最高。もう上手だ」って。
絵っていうのはね、答えがないんですよ。数学には1+1は2っていう正解があるんです。1個答えがある世界は、親も判断しやすいじゃないですか。「これがいいよ」「これが正しい」「これが間違ってる」って。絵に関しては答えがないから、けなしちゃだめです。全部誉める。誉めるしかない。で、実際親バカって言葉があるけども、親は絵に関しては、親バカになるべきだと思うんです。親は誉めなきゃどうするのと。こどもを信じて絵は誉めるべきですね。
うちのおふくろとか、親戚には親バカが多いんですよ。僕が影響されたのはおじさんなんですけど、そのおじさんが、「克彦、お前は絵がうまいな」「お前は絵がうまい。克彦、ちょっと裏から酒取ってこい」って……、酒が目的なんですけどね。
(会場:笑)
おじさんも絵が好きで一緒に絵描いたりして、遊んでました。おばあちゃんも「お前の字はいい字だ」って誉めてくれる。
大人に認められるとうれしい、うれしいってなるとどんどん描き続けるから、誉めまくりで、誉めちぎりましょう。

フェリシモ:
今日、日比野さんがお話くださった感想をお願いします。

日比野さん:
講演会はときどき依頼されてするんですが、だいたい何も決めて行かないのね。予定調和っていちばんつまんないから。前もって考えてもどんな人たちが今日来てるのか、どんな空間で、どんな雰囲気なのかっていうのは、その場に行かないとわかんない。だから、考えずに来るわけです。
こちらに着いてからちょっと思いついて、「お客さま用にひとり10枚ほどの紙をお願いします」って直前に頼んだり、運よくここは物流センターなので、段ボール箱がいっぱいあって、それを用意してもらったり……。それこそ最初に手にして、開けてみたわけですよ。そうするとやっぱり被りたくなったりして
(日比野さん:段ボールを頭に被る)
ちょっと遊んでたの。で、こういう使い方ができるのは、ものづくりの発想に使えるなって。これは、今日の収穫! ヒット! これからの講演会でも、使いたいので、ぜひこの箱を送ってください。

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Profile

日比野 克彦(ひびの かつひこ)さん<アーティスト>

日比野 克彦(ひびの かつひこ)さん
<アーティスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1958年岐阜市生まれ。1984年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程デザイン専攻修了。現在、東京芸術大学助教授。1982年第3回日本グラフィック展大賞、翌年第30回ADC賞最高賞、第1回JACA展グランプリ。1999年度毎日デザイン賞グランプリ受賞。国内外で個展・グループ展を多数開催する他、商品デザイン、舞台美術、パフォーマンスなど多岐に渡って活躍中。著書多数。2001年フジテレビつんくタウンFILMSプレゼンツ6丁目企画「東京★ざんす」に監督として参加。

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