神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 平松 洋子さん(フードジャーナリスト/エッセイスト)
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「和のセンスを磨く~底に流れる精神を感じてみる~」



<第1部>

平松洋子さんのライフスタイル
和の食、もの、人とのつながりは……

平松さん:
今日はどうぞよろしくお願いいたします。私は基本的にはもの書きです。家族は、大学2年を終えた娘と3人の生活です。
夏時間、冬時間と言ってるんですが、だいたい4月ぐらいから朝起きるのはいつも5時ぐらいです。ご飯をつくる前にちょっとひと仕事したいので、朝そのぐらいの時間に起きて、最初にお米を研いで、それで自分の部屋に入って仕事をして、7時ぐらいからおみそ汁をつくり始めて、ご飯を食べて、そして昼間また書きものをします。旅も多いですし、取材や打ち合わせに出ることがあったり、うちに取材の方や撮影の方がいらっしゃることもあります。1日いろいろな時間があるんですけれど、基本は朝。朝はやっぱり、しっかり。みんなそれぞれの時間があり、忙しいので、朝ご飯だけはみんなで食卓をともにしたいなというのがあります。それで夜までそれぞれの時間を過ごして、また一緒に晩ご飯を食べます。で、晩ご飯のあと、また私は仕事をします。1日の流れは、だいたいそんな感じです。

フェリシモ:
平松さんは肩書きがフードジャーナリストでエッセイストでいらっしゃいますが、料理はもちろん、食と人をつなげるその間にある器に関するエッセイも多いですね。

平松さん:
結局、暮らしというのは分断されているものではなく、例えばこういう食があるから、こういう器があって……というふうに1日の時間の中で、つながっているものだと思うんです。私は食というのをフィールドにしているけれど、何がおいしいか、まずいかということだけには留まらず、暮らし全般、各ジャンルにおのずと広がっていくというところはありますね。

フェリシモ:
去年出された著書『平松洋子の台所』(新潮社発行)には、出合うべくして出合った器との劇的な出合いがユーモラスに書かれていますよね。

平松さん:
そうですね。基本的には私は「もの」がすごく好きです。やっぱり「もの」との出合いというのは、自分にエネルギーを与えてくれるんですよね。自分が出合ったものをどう使うか、それからどんなふうに自分の生活の中で生かすか、それからそれをどう意味を自分の中で見出すかを……。活力みたいなものですね。それは単に「もの」ではなく、自分を投影した「もの」。なので、やっぱり「もの」との出合いが自分をつくっていくというか、鍛えられるというかって部分はあると思います。「もの」とどう出合うかってことも自分の生活の中で非常に重要なことなんです。

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フェリシモ:
ご自身の生活の中で「もの」の命を見事に生かしていらっしゃるというような印象をお受けしたんですけれど、そうなるまでには紆余曲折はおありでしたか?

平松さん:
見事に生かしているかどうかはわからないのですが……。ただ確信があるのは、やっぱり自分らしい使い方ができているとか、自分らしい選び方はできているなと思います。それは自分に対しての確信であって、例えば、その「もの」が、ほかのどなたがどんなふうに使ってるっていった時に「あっ、いいな」と思うけれど、でも私はそう使わないかもしれないっていう、人それぞれによって違うと思うんですよね。例えば「もの」を選ぶ時にも、いまは迷わなくなったんですが、それまでには累々と……。いまでもいくつか覚えてるんですけれど、なぜ買ったのか、どうしても、どう考えてもわからない。けれども買ったのは自分っていう、そんなような失敗は山ほどあります。でもやっぱり自分の暮らしというもの、それから、どういうふうに暮らしたいかということが、ある意味で狭まってきたというか、確信ができていけばいくほど、迷わなくなりました。そこは繋がっているかなという気はしています。

フェリシモ:
そのようにして、平松さんの周りに残った「もの」たちというのを著書で拝見していると、和の佇まいを見せているようなものが多いなと思います。近ごろアジアブームですが、平松さんご自身がアジアや和との出合いだったと思われるようなエピソードは何かおありですか?

平松さん:
20数年間アジアのいろいろなところ旅をしてきて、アジア各地で出合った台所道具について書いた本が『アジアの美味しい道具たち』(昭文社発行)というエッセイ集です。それは、アジアで出合ったいろいろな道具を通して自分のいろいろなことを、そこで考えたっていう話なんですけれども、もちろん、お米を主体とするご飯が私たち日本人は主食なわけで、アジアの人たちと、どこでどうつながっているかっていうと、やっぱりお米を食べるとほっとする。例えば、ほかにおかずが何もなくても、日本人はみそ汁ですけれども、何かちょっと、おつゆとご飯があれば、それで満足するっていう、そこの共有している文化、米文化というのがあると思うんです。その中でやっぱり「ああ、これはまったく同じだ」っていうそのものと「えっ、こんなに違うの」っていうものを同時に、やっぱり同じ食卓のなかにあるっていうところ、それから「どうしてこの料理がこんなふうにおいしいのかな」って思った時、食卓にいただけではわからない、台所に行って「ああ、こういう使い方をしているからこの味が出たんだなあ」ってことが韓国、タイ、中国などいろいろなところであったんですよね。そういうことを経験しながら、欧米にはないお米の文化というものを共有しているからこそ、お互いに胸を開いて「あっ、こういうことだったんだな」っていう、その意味を見つけやすく、理解しやすいという経験をずっとしてきました。もちろん、それはアジアじゃなくて日本でもできたことなんですけれど。私の場合はアジアっていう、ひとつのいろいろな要素を通して、逆に自分はこういうふうに育って来たんだなとか、こういう味をおいしいと思うのは、この日本人として土台があったからだなっていうふうに、行ったり来たりしながら、複合的な要素に出合いながら「あ~、日本人なんだなあ、私」っていうことを感じていき始めた、そういうプロセスがありました。

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平松さんが日々愛用している
道具達は平松さんのルーツ!?

フェリシモ:
平松さんが日々使われている道具のスライドを見ていただきます。

(スライド)
平松さん:
これは、うちで使っている鉄びんです。このスライドをいちばん最初にしたのは、いろいろ考えると暮らしのなかの基本になってるかなというふうに思った道具だからです。これは盛岡の釜定工房という江戸時代から続いている工房の鉄びんです。それまでも、もちろん鉄びんの存在をよく知っていたんですけれど「手間がかかる道具だし、う~ん、鉄びんなんて……」って思ってたんですね。でも職人さんにお会いして、手を真っ黒にして、ワクズを使いながら火の中で鉄びんをつくっている、その姿を見て、ほんとに素敵だと思って……。「あっ、この人がこれほどまでしてつくっている道具を使いこなしてみたいな」って思ったんですよね。なので、最初は鉄びんで湯を沸かすということではなく「この道具をどういうふうに自分が使いこなせるかっていうことをやってみたいな」って思ったんです。それが5~6年前です。それから使いこなすまでっていうのは、すごく大変で、その中に湯アカが堆積していって白くなっていくんですけれど、それもね、やっぱりならし期間っていうのが重要で、いまではお水を入れっぱなしにしておいても、全然サビとかも出ないんですけれど、その中の湯アカがきれいについちゃうまでは、夜は全部中の水気を捨てて、そして火をつけて中を乾かしてっていうような作業を3ヵ月ぐらい繰り返して……。で、その間、途中で挫折しそうになったこともあるんですけれど「いや、使いこなすぞ」と思って。そして、中に見事にきれいな湯アカができて……。
私は毎朝、お白湯を必ず2~3杯飲むんですね。そうすると、その日1日すごく調子がいいんです。夜寝る時に、鉄びんにいっぱいお湯を沸かして、しばらくぐらぐら沸騰させて、火を止めて、そのまま一晩おいて、それで次の日の朝は沸騰する直前ぐらいまで温めてっていうようなことを、毎日欠かさないんですね。なので、いまは湯を沸かす道具というものは、もうこれしかないんです。

フェリシモ:
これでいれたお湯は味が違いますか?

平松さん:
かどが一切ない、まろやかな甘い丸い味なんですよね。それまではステンレスのやかんを使ってたんですが「こんなに味が違うの」って思ってびっくりしました。ほんとに体にやさしい、やわらかい味なんです。それまでは、朝は何年もコーヒーを飲んでいたんです。もちろんコーヒーは好きですし、いまも飲むんですけれど、朝置きぬけの1日の始まりは、やっぱりこの鉄びんで沸かしたお白湯が体にすごくなじんで、とても気持ちがいいんですね。なので、いまはこのずっしり重い鉄びんが重鎮のように暮らしの中に溶け込んでいます。
鉄びんは昔から日本人の生活の中に根づいていたものだったけれど、最近はあんまり使われていないんですよね。お茶の道具には使われていますけれども、そのぐらい。やっぱり道具を自分に引き寄せて使っていく時間というのも、とてもいいもんですよ。

(スライド)
平松さん:
直径30センチの中華蒸籠です。以前蒸籠を持っていたんですけれど捨てたことがあって……。なぜ捨てたかというと、全然使えなかったんです。その時は、直径23㎝ぐらいのものを買ったんですが、器も入らない、魚1尾も入らない、中華まんじゅうとかを入れてもぎっしりになっちゃって。こんなに使えないものかって思って、引越しの時に捨てちゃったんです。
ある日、取材で中国料理店の厨房に入らせていただいた時に、まあそれは見事に蒸籠を使いこなしてるのを見て「これはもう1度やってみよう」と思って、それで買いなおしたのが、この30㎝の蒸籠です。いざ使い始めてみたら、こんなにすぐれたものはなくて……。
我が家では、冬の朝は卵蒸しと言って、大きめのどんぶりに溶いた卵3個に鶏のおだしと、おしょうゆと、それから塩をちょっと入れて、14~15分ぐらい蒸すんですね。それでフルフルの卵蒸しができるんです。何も入ってないただの、卵蒸しなんですけれど、それを蒸籠に入れて、どーんと食卓に出して、みんなで適当にすくって食べるんです。あと、お肉や野菜を蒸したりも……。ブロッコリーとかカリフラワーでも、何でもダーッと切って蒸籠に入れて蒸すんです。で、オリーブオイルとかたれとかつけて食べるだけ。

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このところ私の食の中心になっている道具なんですが、やっぱりこれも1回苦い経験をしたからこそ持てた道具。結局人の暮らしの中にはタイミングってあると思うんですよね。自分の生活のリズムができていったりとか、朝早く起きて、ちょっとひと仕事して、それから朝ご飯こしらえるのが、私にとっては気持ちのいいことなんです。というふうな生活になったからこそ、この道具がすごく自分になじんだ。この道具使えないって捨てちゃったのは6~7年ぐらい前だったんですが、その時は、きっと自分の暮らしにはなじまなかったんだと思うんですよね。だから、そんなふうにして道具っていうのは、ぴったり自分の生活だとか環境に合っているものではなくて、そのときどきの暮らしぶりとか、時間の過ごし方など、いろいろな要素が絡み合って、次第にこれっていうふうに決まってくるものだと思うんです。だから自分と道具との相性に、敏感でなきゃいけないなあって思います。誰かがいいと言ったからこの道具がいいかもしれないと思って自分をそこに合わせる、そういう出合い方もあると思うんですけれど、主体はやっぱり自分にあるべきだと思います。そういう実感も込めてこの中華蒸籠は、私にはすごく大事な道具になりました。

(スライド)
平松さん:
これは、我が家の米びつ。昔ながらのブリキの米びつです。この道具は私が18か19歳ぐらいの時に買ったものです。それまで親元でのんびり暮らしていて、これからひとり暮らしをしなくちゃいけないっていう時、野原に放り出されたような気分になりました。で、米びつを自分が買うわけです。「私はどういう米びつを持つんだろうか」って、あちこち見て歩いた覚えがあります。ジャーッとおろすと3合とか5合とか決まった量が出る、そういう道具があるのもわかっていたんですけれど、私にはもうちょっとわかりやすいというか、潔い道具がいいなあと思ったんですね。要するにパカッとフタを外せば、中がどれだけ少ないかとか多いかとかってことが一目瞭然に分かる道具がいいなあと思いました。やっぱり日本人ですから米に何か象徴的な気持ちを投影させると思うんですよね。米びつをのぞいて「あっ、まだちょっとある」とか「あっ、あとこんだけしかない」と感じて、そして残り少しになった時、米びつを傾けてお米をすくったりして、そういう情けない気分とか、そういうことが暮らしを営むというか、生活をしていくことって、ああそういうことなのかなって若いながらに思って……。気分的には、シンプルというかわかりやすい簡素な暮らしからスタートしたいなあと思ったんです。それで私に合うのはこれかもしれないと思って、二十歳前の時に買った米びつがこれです。
要するに自分の暮らしというものが、例えばお米がなくなれば生活はたちゆかないっていう、そういう感覚をいつも身近にしておきたいなっていう部分が私にはあるんですよね。だからずっと使い続けているという感じです。

(スライド)
平松さん:
これは生活道具と言うか、台所道具です。竹のスクレーパー。先のところがささらになっていて、ショウガとかニンニクとかをおろした時にこれでかき集めます。
日本の道具というのは、非常によくできていて、例えば、竹の道具ですと、鬼おろしというのは、竹でできていて、ギザギザの歯が5枚ぐらい入っていて、そこで大根をおろします。普通のおろし金で大根をおろしちゃうと、おいしい時もあるんですけれど、細かくすりおろせ過ぎちゃうっていうそういう時に、鬼おろしを使うとザクザクにおろせるんですね。おろすっていうよりも、ほんとに粗く、そういうものが東北地方などでよく使われています。日本人は竹をすごく巧みに、特に調理道具の中には応用して使っていますよね。やっぱり日本人というのは、身近な自然のものの特性を生かしながら自分の暮らしに引き寄せて利用していくっていうか、自然と近い暮らしをしていたんだなあっていうことが、竹ひとつとってもわかるなあって思います。

(スライド)
平松さん:
これも竹。うちでいつも使っている盛りつけばしです。先は1㎜もないような、スーッときれいなおはしです。普通お菜ばしというのは、もっと太いものですよね。これは家庭の道具ではなくて、料理屋さんで盛りつける時に使われています。料理屋さんで職人さんがこれを使って、ゴマ1粒でもつまみ上げて的確な場所に置いていたんです。「これは家庭でも使えるなあ」と思って、さっそく東京の合羽橋に探しに行きました。これで料理する時の気持ちよさといったら!っていう感じです。

(スライド)
平松さん:
これはアジアのクロックというものです。クロックというのは、タイ語なんですが、これはマレーシアで買いました。日本人は切るとかたたくとか、要するに包丁で切ることが主体になるけれども、アジアの、特にインドシナ半島周辺の国々では、たたく、つぶす、押すっていうふうな調理が主体になるんですね。取材を通して何度も何度も行っているうちに、この道具がどんなに東南アジアの人たちの基本になってるかっていうことを知るにつけ、やはり自分でも使ってみたいなあと思って、それでトランクの中へ。

フェリシモ:
どんなものを、たたいたりつぶしたりされているんですか?

(スライド)
平松さん:
アジアのいろいろな国のおさじです。いちばん手前のはシンガポール、その次が北京、真ん中の細いのは韓国のスカラというおさじ、その向こうがベトナムのもの、いちばん向こうが香港のものです。共通項は平べったくて薄いっこと。

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だいたいこういうものは台所の調理道具でもあるけれど、食卓の道具でもあるんですね。ですから器に盛る、それからご飯も器に盛ってドンと出すんですけれど、その時に深さがあっては邪魔ですよね。そしてアジアの人は見てるとすくい取るようにしてサーバーを使う、お玉を使うと思うんですけれども。アジアの国で使われているサーバー、お玉は、だいたいアジアの食文化の共通項というか、類性がすごくわかる。ご飯をよそう時のおしゃもじにもいいんですよね。
いちばん手前のものはね、ちょっと深さがあるんで炒めものに使います。私、炒めものは中華鍋でするんですけど、中華鍋のカーブはあまりないでしょ。そこであれでやるとスーッと入るんですよね。全部がそこに入ってきてくれる感じでとれるんです。
食というのは当然のごとく、その風土とか、文化から生まれてきたものなんだけれど、台所道具もまた、その風土から生まれてきたものということが言えると思います。私の暮らしには、どれも重要で、ないと困るっていうものばかり。あまり使いやすいので、友だちにもプレゼントしたんですけれど、みんなよく使ってるみたいです。

(スライド)
平松さん:
韓国の石釜です。私はご飯を炊く道具はいくつも持っていて、おいしさからいうとこの石鍋で炊いたご飯がいちばんおいしいですね。上にのっかってるのは、韓国では、ヨンヤンパクって言うもの。ヨンヤンパクって「栄養ご飯」という意味なんですけれど、韓国の人は、白いご飯よりも白くないご飯が体にいいっていうことを、みんな身にしみて感じています。実際に雑穀をご飯に混ぜて食べることは、日本よりも進んでいて、スーパーに行くと、五穀とか八穀とか、いろいろな雑穀があります。みんなそれを買って白米に混ぜて炊きます。これは黒米とナツメです。
で、こういう石鍋がすごくおいしいんですね。石は熱を抱くという言い方をしますが、石が持っている熱の保有時間って金属よりもすごいと言われているんです。いったん温まると中が熱球のような感じになるんです。例えば、アルミですと温まりつつ、冷えつつっていう形になると思うんですが、ともかく一気に熱を与えて炊き上げるっていう感じ。土鍋もそういうところがあると思います。そして、おこげのでき方も違うし、量も違うし、毎回違う炊き上がりなんですよね。それを楽しむのもおもしろいです。

(スライド)
平松さん:
長年探してようやく、やっと出合った器。これは一生使うだろうなって思っているお椀です。一昨年お亡くなりになったんですけれど、夏目 有彦さんっていう根来塗作家の方の器です。非常に軽いんですけれど、しっかりとした形をしています。根来塗りっていうのは、使い込めば使い込むほど下側の生地の黒い部分も微妙に出てきます。私は使い込めば使い込むほど、風格というか味わいを増していく道具がとても好きなんです。大事に炊くご飯には、やっぱりこのお椀だなって思うものを使いたいので、ずいぶん長く探しました。
さっきの米びつもそうなんですが、台所の基本として、鉄びんや米びつがあり、ご飯を炊く釜があり、で、ご飯をいただく器がある……。そういう辺りが自分の、もしくはその家族の暮らしのなかのひとつの核として持っておきたい、そこはブレたくないなあっていうところがあって、その核があればあとはどこかブレててもいいかなっていう、それが私なりのバランス感覚です。

(スライド)
平松さん:
これはタイの土鍋です。週末にこれで雑炊やかゆをつくります。食卓の中心に土鍋があると落ち着くというか、くつろいでるって感じがするもんですから、何か使いたくなるんです。

フェリシモ:
平松さんの著書の中で「鍋というのは火を囲むことの開放感を日常の暮らしの中にぽんとおいてくれる。鍋を囲みながら、たき火に手をかざすような原始の時代を共有し合っているのだ」というくだりが印象的だったのですが……。

平松さん:
多分、縄文時代とか、そうやって暮らしてたんじゃないかなと思うんです。火を囲んでご飯を食べるという。そこがやっぱり基本ですよね。ほんとは囲炉裏なんかも、うちにあったらいいのになあって。どんなに楽しいだろうと思うんですけれどね。なんか火にかかっていたものがそのまま食卓にあると落ち着くんですよね。

(スライド)

平松さん:
これはグリーンリーフ。で、下のはタイのソムタムなどをつくる素焼きの台所道具です。野菜って、みなさんどういうふうにしてらっしゃるのかなって思うんですけれど、冷蔵庫の野菜室って結構いっぱいになりますよね。ある時、冷蔵庫の野菜室がいっぱいだったのに押し込もうとしている自分がいて……。それはちょっと、あんまりだなと思って、だけどどこにも入らない。「じゃあどうしよう、あっそうだ、別に冷蔵庫に野菜をいれなくてもいいじゃない」と思って……。それで、器に野菜を生けて、部屋の中とか台所に置いておいてみたんです。そんなふうにしていて気がついたのは、野菜ひとつひとつ、葉脈の色も違うし、葉っぱの厚みも違うし、ほうれん草の根っこってこんなに赤かったんだっていうような発見があったんですよね。

(スライド)
平松さん:
ニンニクも、いつもは素焼きのマッシュルームキーパーに入れてるんですけれど、たまには出してみるかと思ってキャンドル立てにのせました。ニンニクっていつもはむくことばっかりしか考えてないけど、こうやって飾って見ると、皮ってこういう色だったんだなあとか、きれいな白だなあなんて……。

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平松さん:
これはゴーヤ。アビスっていう植物も一緒に入れて挿しました。月1回ぐらい取り寄せている有機農法の野菜があって、それはダンボールに入って送られて来るんです。で、送られて来た時は、ちょっとしなーっとしてたりするんですが、それを水につけると、見る見るうちにシャキッと生き返るんですね。「あ~元気のいい野菜ってこういうことなんだ。味だけではない、生物として植物として生きてるんだなあ」というのが、最近の発見です。

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平松さん:
シャンツァイです。たくさん買って来た時に、器に水をはってこんなふうにしたりも……。これは、江戸時代後期の器。煮しめ皿って古い器なんですけれども。多分農家でよく使われていた、煮物なんかをドーンと盛って出す器です。

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平松さん:
敷いているのはレモングラス。生のレモングラスが手に入った時に、上にちょっとチョコレートケーキを置いてもおもしろいかなと……。というのは、葉っぱの繊維をフォークなんかで傷つけると、香りがふわっと広がるんですね。ケーキとレモングラスの香りが一緒に味わえるという、ちょっと不思議な食べ方を、たまにおもしろがってやります。

フェリシモ:
平松さんは秋になるとカバンの中にビニールの袋を入れて持ち歩いていらっしゃるっていうふうに伺いました。

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平松さん:
いまの時期は、冬枯れで収穫物もなかなか少ないんですけれど、11月ぐらいはビニール袋絶対持っています。きれいな色の落ち葉を集めたりして、それを箸置きにしたりとか。家族にも、「見て、見て。これ、あそこで拾った落ち葉」って言いたいじゃないですか。買わなくても楽しめることが、いろいろ転がっているんですね。

フェリシモ:
平松さんが使っていらっしゃるサンゴのはし置きを、うちのスタッフが「素敵だった」って言っていたのですが、そんなふうに拾ってきたものを食卓に上げられることってほかにもありますか?

平松さん:
そうですね。石はよく使います、はし置きにしたり、去年の秋モンゴルで細長い、だけど重い石を見つけたんですね、で、それは、ご飯炊くときにお釜の上にちょっと置いて使っています。そうすると旅の情景もよみがえってきます。木の枝とか落ち葉とか石とか、いろいろ拾って歩いています。

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平松さん:
これは枯れかけたヒヤシンスの花。花も枯れかけたときの美しさっていうものもあって、好きな器にちょっと水を入れて、花だけ挿して、最後楽しむっていうような、花に楽しませてもらってるなっていうところがあります。

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平松さん:
これは出雲で買った、ぼてぼて茶。出雲はね、松平不昧公がお茶人大名だった名残でお茶を楽しむ土地柄なんですけれど、そこで見つけた、ぼてぼて茶用の茶筅なんですけれど、これでお抹茶をたてることはちょっとできないんですけれど、おもしろいし何かに使いたいなあと思って。生クリームを泡立てる時に使ってみたら、結構使えました。
石にしてもサンゴにしても、拾った時は、はし置きにしようなんて思ってないんですよね。どこかで使いたい、役立てたいというか、自分なりの「もの」とのつき合い方がしたいなっていうふうにずっとなんとなく思っていて……。で、ある日サンゴを「あっ、はし置きに使えるじゃない」とひらめいたりして……。「もの」とのつき合い方というのは、すぐ結果が出なくてもいいんじゃないかなって思っています。

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平松さん:
これはわっぱの弁当箱です。私、和菓子を買ってくると、職人さんの技とその季節のものって、何か特別なもののような気がして、いそいそと入れ替えてあげたくなるんですよ。で、おすそ分けする時「何に入れて差し上げようかな。そうだ。お弁当箱に入れたらいいかもしれない」と思って。それで庭の葉っぱを採ってきて、下に敷いて和菓子を詰めて持って行ったんです。とても喜んでくださいました。職人さんの技から生まれたものを、どんなふうにして楽しめるかなって考えるのが楽しいですね。

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平松さん:
レンゲです。チャーハンとかおそばを食べるときだけ使わなくても、レンゲも器として使えるじゃないっていうことなんです。下はちっちゃいお盆です。酒の肴もレンゲでこうやって出してみると全然風景が違ってきて、レンゲ自体も生きていきます。これで蒸し物もするんですよ。最初にお伝えした卵蒸しなんかも、ふた口ぐらいしかないんですけれど、このなかに入れてせいろに入れて蒸したり……。お客さんがいらした時に、お出ししたら、とてもおもしろがってくださいました。

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平松さん:
中にお香が入っています。実はベトナムで買ってきた蚊取り線香なんです。お香の香りもさることながら、立ち上る白い煙を見つめている時間というのもいいものです。

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平松さん:
白磁のびんの欠けたところを金繕いしています。こわれた風情というのも悪くないんだけれど、繕いながら使うことも「もの」とつき合う上では大切。「もの」とは、長くゆっくりつき合いたいと思っています。

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平松さん:
これは手あぶり。高さが30㎝、直径が25㎝ぐらい。なかなかマンションの暮らしの中で、炭おこしはむずかしいかもしれないけれど、手をこうやって暖めていた、そういう昔のにおいとか香りとか手の感触とか「もの」の助けを得て自分の暮らしの中に引き戻させてもらってるのかなあという気がします。

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平松さん:
京都の嵩山堂はし本っていう私の大好きな文具を売っているお店のものです。私は仕事は全部パソコンなのですが、だからこそ、ときどき電話がしたくなったりとか、ときどき手紙を書きたくなるんですよね。手紙を書くというのは、紙の手触りとかインクが染み込んでいく感じが懐かしいなあと思います。

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平松さん:
私、お茶の時間がすごく好きなんです。この開化堂の茶筒は、フタをすると空気がすーって下りていくんですね。私、茶葉を冷凍庫で保存するのって、何となく性分に合わなくて、それで茶筒に入れるんです。で、茶筒からポンと出して、この1杯のお茶を大事に入れようという気になるんです。お茶の味も毎回違ったりして、茶筒がそんなにお茶を楽しませてくれるきっかけをつくってくれるとは思わなかったです……。

(スライド)
平松さん:
木のバターケースです自然のものって変わっていきますよね。つやが出たり、丸くなったり、油がしみ込んでいって。いろいろなバターケースを使ったんですけれど、で、やっと巡り合ったのが桜の木を削り出してつくった、このバターケース。なんて言うんでしょう、自分が使って年月が道具の中に積み重なっていって、それが道具の味わいにもなっています。

フェリシモ:
道具というと使うということに終始してしまいそうですが、いい道具っていうのは、中に入れるものによって生かされ歴史を積み重ねていくものなんですね。

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平松さん:
それと使い手も生かしてくれるというところもあると思いますね。

フェリシモ:
スライドを何枚か見せていただいて、何かしら私たちのものの見方というものも変わっていったような気がします。そして日本をはじめアジアの道具を見ていると、何かしら共通点というのが見えてくるような気がします。どのようなものにでも使うことができて、そして使い手も生かされてというよいな感じがするんですが、平松さんは、近ごろはモンゴルの方に足を運ばれているようですけれど……。

平松さん:
モンゴルは、ご存知の通り、水道も電気もお風呂も何にもないんですね。ゲルという周りは羊毛でつくったフェルトで、下は冬になると牛とか馬とかのフンを乾かして、それを床に敷きつめて冷気が上がってくるのをシャットアウトします。まったく自然のものだけなんですね。そのような生活の中で遊牧民の生活のことをいつか書きたいと思って、そのために今年も行くつもりなんです。自分が体ひとつで自然の中にあった時に、果たして生活していけるんだろうかって……。もちろん生きては生けるんだろうけれど、暮らしをつくっていけるのか。朝小川から水を汲んできて、お茶を沸かしていうのができるのか。馬の乳がいろいろな食品に変わっていくんですけれど、零下30度にもなるところで暖房器具もなく、それでもちゃんと家族が育って生きていくという。そんな中で私が自然を取り入れながら生きていけるんだろうかっていうところを見てみないとわからないと思ったんです。

フェリシモ:
彼らの生活力っていうことなんですね。

平松さん:
そうですね。例えばタイにしてもベトナムにしても主婦の人たちは朝5時ぐらいに起きて、最初にすることはというと市場に買出しに行くことなんですよね。で、また冷蔵庫もないんですよね。冷蔵庫のないところで生の肉をどんなふうにして料理してるのかっていう時に、塩をして風通しのいいところにぶら下げておくとか、油の中に漬けておくとか……。冷蔵庫がなければ営めない暮らしの中に自分がいて、アジアの国に行くたびに、これが生きていく上での基本ではないかいうところを、お母さんたちの力強さとか台所の知恵みたいなものを通して旅から得たのはとても大きかったです。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
平松さんとお話ができるご家族はさぞかし毎日楽しい思いをされていると思いました。うちは男の子ふたりのこどもと主人の男所帯、私がちょっとそろえたものでも「あ~またガラクタが増えた」なんて言われて、ガクッとなるんですけれど、平松さんのご家族はそういうことがわかってくださるご家族なのですか?

平松さん:
よく聞かれるのは「ご主人もお好きなんですか?」って。彼は、私が「これ、いいでしょう」って言った時「ああ、いいね」って言ってくれるんです。いつもそうなんですね。私が楽しんでしていることを楽しんでくれているふうで、すごく助かってるんですよ。本当に感謝して、やさしいなあといつも思ってるんです。

お客さま:
木のバターケースがとても気になりました。どちらで求められたのですか? 例えば日本で、アジアの道具とか、和の道具を探される時は、どんなところに行かれるんでしょうか?

平松さん:
陶器屋さんとか雑貨屋さんですとかいろいろあるんですけれど、作家の個展にはよく行きますね。そこで出会う楽しみがあるし、自分自身にとっても刺激的なことなので。そうすると新しい発見がたくさんあります。バターケースの入手先は、いろいろなところで紹介したり、コラムに書いたこともあります。

お客さま:
道具を買われると必然的に増えると思うんですけれども、収納はどうされていますか?

平松さん:
いちばん苦手な質問です(苦笑)。正直なところ、私、ちっちゃい器屋さん開けるぐらい持ってるんです。居間に明治時代のみずやダンスを置いていて、それが幅2mぐらいで、奥行きが80㎝ぐらいで収納力がすごくいんです。それに助けられています。
いまは、新しいものを増やすときには、古いものと交換していくっていうぐらいの気構えで買うぞと思っています。一度自分の暮らしを1個1個見直していく作業って絶対必要なことではないかなあと思います。

お客さま:
「もの」からパワーをもらわれるとのことですが、日本の文化としてどんなものにでも神が宿るという考えがありますが「もの」に神が宿っていると感じられたエピソードがあれば教えてください。

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平松さん:
それは日本人の特徴だと思うんですよね。「もの」に神というか魂というか、精神的なものが宿っているという感覚を持っている日本人はちょっと特殊だなあと思います。骨董屋さんに江戸中期の鉢があって、それはかなりの名品で「いいな」と思いながらしばらくそこに行かなかったんです。そして、ある時行ったら箱の中から陶片をいっぱい出してきたんですね。「えっ、何ですか?」って見たら私が「いいな」って言っていた骨董の鉢だったんです。ある時、落として割れてしまったんだっていうんですね。それの破片の鋭いところを1片1片ヤスリで落として、私にあげようと思ってとっておいたんだっておっしゃるんですね。私は、それを時折はし置きにするんですけれども、やっぱりそれは器ではなく破片になっていても、何か宿った大切なものなんですよね。私が来るのをずっと待っていて、私にくださったそのお店の方の気持ちもすごくうれしかったのでいまでも大事にしています。

お客さま:
アジア以外のヨーロッパの国に行かれた時に、和の要素を感じられるような工夫や、そのために持っていかれるものはありますか?

平松さん:
基本的には何も持って行かないようにしていて、自分が違和感なく精神的なことも含めて溶け込めるかっていうのは私にとって大事なことなのでこれがなければっていうものはないですね。それは旅だけに限らないんですけれど……。
でも、家族の写真は持っていきます。長い旅になると写真をベッドサイドに置いたり……、そのぐらいですね。

お客さま:
モンゴルの暮らしの中の、ミルクというひとつの素材からいろいろな種類の食品をつくっていく過程で使われていた道具で印象に残っているものはありますか?

平松さん:
モンゴルで朝起きると必ずすることは、釜に火を入れるということと、近くの小川に水を汲みに行ってお湯を沸かすこと。で、そのあとそこに馬の乳を入れて茶葉を入れてお塩を入れて、お茶をつくるんです。そのお茶をつくったあと、一家の長が柄杓みたいなもので、沸かしたてのお茶をちょっとすくってゲルの外に出て、天というかゲルの周りに向かって8回しずくを飛ばすんですね。それが朝の始まりの儀式というか習慣なんです。「あ~、モンゴルの人の1日は自然と一緒にあるんだなあ」と思って……。で、その柄杓がモンゴルの暮らしの中で基本なんだなと思いました。

フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。平松さんは自分らしく毎日の生活を素敵にデザインするためには何がいちばん大切であるとお考えですか?

平松さん:
その「素敵」という言葉を「自分らしい」ということに変えたいなと思います。例えば、雑誌にこの小物が「素敵」というものがあっても、それは誰かが決めたことであって、それが自分にとって評価を見出せるかっていうことを自分自身に問うてみるってことが基本になるのではないかなと思っています。そして、自分の暮らしというのは変わっていくものだと思うんですけれど、例えば「もの」とのつき合い方とか選び方っていうのもその時その時で変わっていくと思うんですね。その変わっていくことに、いかに敏感に、積極的に受け入れられるかが大切なことだなあと思います。なので、自分の変化とか、関心とか、興味とか、家族との関係とか、そんなようなことと距離感とかバランスみたいなことを大事にしたいなあと思います。

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Profile

平松 洋子(ひらまつ ようこ)さん<フードジャーナリスト/エッセイスト>

平松 洋子(ひらまつ ようこ)さん
<フードジャーナリスト/エッセイスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1980年、東京女子大学文理学部社会学科卒業。食文化と暮らしの関わりをテーマに執筆活動を行う。アジアをはじめとする各国で人々のくらしに直にふれながら食文化を紹介してきたその独自の視点に貫かれ、評価されている。著書に『アジアの美味しい道具たち』(晶文社)『台所道具の楽しみ』(新潮社)『平松洋子の台所』(ブックマン社)など多数。また、2000年度 NHK教育「今夜もあなたのパートナー」レギュラー出演や雑誌「クロワッサン」書評エッセイ(マガジンハウス)など、その活躍は広範囲に渡っている。

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