神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 中山 庸子さん(エッセイスト/イラストレーター)
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「本との時間~至福のひとときを求めて」



<第1部>

先生だった父は私にたくさんの本を買ってくれました。
大好きな『オズの魔法使い』は母が
カタカタにふりがなをふってくれました。

私は10年前まで高校で美術の教員をしていました。ただ、先生の仕事も好きだったんですけど小さいときからの夢はやっぱりイラストを描いたり、自分で本を書いたり……。そういう仕事に就きたいとずっと思っていて、結局15年続けた教員を37歳で辞めました。それからいまの仕事に就きました。
先々週まで本を書いていました。『自分を取り戻すための読書術』という本です。いままで『夢を実現するための情報整理術』それから『捨てないシンプル整理術』という本を出しました。この本を出す前、捨てる技術が大変売れていました。で、うちに遊びに来た編集者が「あなた、捨てない派じゃない?」って私に聞くんですね。「どうして?」って聞いたら「私がクッキーとか持ってきたとき、リボンをきれいに丸めたり、包装紙を畳んでいる。きっと捨てない派じゃないか。でも、あなたのうちは結構すっきりしてるから、捨てないという立場から整理術の本を書いたらどうですか」って。そのとき、私は思ったんですけど、捨てない派というより、捨てるようなものは買いたくない派かな。捨てなきゃいけないものを生活の中に取り入れなくても私は暮らしていけるかなっていう立場から『捨てないシンプル整理術』を書いたんですけど、それの第三弾です。
その編集者はすごくおもしろくて、普通、本の相談は前もって「こんな本書いてみない」とか「最近こういう傾向があるんだけど……」とかって言うんだけど、その方は私の生活を見て「こんなことだったら書きたい?」って聞いてくれるんです。そのときも「本はどうしてるの? いっぱい読んでいるみたいだけどいったいその本はどうなっているの?」と聞かれ、私は引き出しを開けて「ここにも本を入れているんですよ」って。引き出しに入れている本って、あまり人に見せたくない本。漫画とか虎の巻的な本とか、ダイエットの本とか、こういうふうにしてお金をためる……とかのハウツー本とか、そういうちょっと恥ずかしい本は見えないところにしまっているんです。白洲 正子さん、森 茉莉さん、熊井 明子さんの本はきれいに並べて、後ろには漫画が入っていたり……。そんな感じで本を巡る話っていうのは結構いろいろあります。

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(スライド)
私は趣味がないのですが、あえて何が好きかというと読書が趣味かなという感じがずっとしていて、そんな自分がどういうところから本が好きになっていったのかなって考えたときに、父親が文学全集が好きだったんですね。父も学校の教員なんですけど、学校に各本屋さんが注文取りに来るらしいんですよ。で、私が小学校に入ったときにまず、童話全集、少年少女文学全集、その次に日本の文学とか世界の歴史とか、廊下一面が本になるくらい買ってくれました。
これ(スライド)は世界童話文学全集。このシリーズを読んだのは、小学校1年生のころ。ニルスって悪い男の子が小人みたいな小さいサイズになっちゃって雁のアッカ隊長とかと旅をしながら、最終的にはいろいろなことを学んで最後は普通の人間の男の子に戻っちゃう話です。これが同じシリーズの、私がいちばん好きだった『オズの魔法使い』。背がぼろぼろになってしまって、自分で書き文字がしてあります。これには、カタカナのところに鉛筆で平仮名がふってあるんですね。これは母がふってくれたらしい。“ドロシー”のところに“どろしー”とか、“オズ”のところに“おず”とかって書いてあります。『オズの魔法使い』にしても『ニルスの四季の旅』にしても自分の平和な家庭から冒険に出ていろいろな人と協力し合ったり、いろいろなつらいめに合いながらも、最終的には自分が成長するって話なんですね。マンチキンの人たちとかドロシーの履くキラキラの靴とか、すごく好きで、古い本をそのまま18歳になる娘にも読み聞かせたりもしました。

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本も好きですが、紙も好き。
そして、文字でも文字以外でも
何でも“読む”のが好きです。

小さいときの自分を考えてみると、本も好きなんですけど、紙が好きだったの。さっきお話したように編集者の人に「包装紙とか捨てられないでしょ」って言われたけど、捨てられない。特に紙が捨てられないの。その紙を自分で閉じてお絵かき帳にしたり……。どうも、紙があってなおかつページがめくれるということが好きなんだなーと最近わかってきました。
あとは、読むのが好きなんですね。例えば、私はすごく入浴剤が好きで、入浴剤を入れた後の袋が捨てれないんですよ。お風呂に入っている間、ずーっと効能書きを読んでいるんですね。もう何度も読んでいるのに、すぐ捨てられない。例えば登別カルルス。カルルスの成分は知っているのにその都度読んじゃう。昨日も新幹線に乗って東京駅から来たんですけど、知っている駅名でも絶対に読むんですよ。あと窓の外の田園風景がきれいだなーとか思っても、突然、なんとか工業とか、なんとか旅館の看板、すごくおもしろいキャッチフレーズのポップとかありますよね、ああいうのも読んじゃうんです。
字もそうなんですが、私は絵も読みたいんです。いまの現代絵画のすごくモダンな絵も好きなんですけど、いちばん好きなのはやっぱり14世紀15世紀16世紀くらいの絵。聖書がテーマだったりとか、神話、それからその当時のいろいろな人たちの生活が描かれている絵が好き。私は「絵を読んでいるなー」って無自覚に思っていたんですけど、私の尊敬する千葉大学の美術の先生に伺ったらやっぱり「絵は読むものでいいんだ」っていうことなんですね。「日本の美術教育は感じるということに重きを置きすぎる。だから先入観を持たないで、絵と対面してそれでいいんだ」っていう感性の教育って言いますけど、そういう面と、キリスト教の絵画が描かれているときに、このキリストの隣にいるこの人がいい人なのか悪い人なのかわかっているのとわかっていないのと全然違いますよね。そういう意味で「この鳩は何なんだろう」とか「なぜこの人は手のところにユリの花を持っているんだろうか」とか「マリアさまは赤い服しか持っていないのかな」とか考えながら見るのは読むという感覚だと思うんです。ユリの花を持っているというのは、いわゆる受胎告知という、マリアさまがいて大天使のガブリエルが来て、あなたは神の子を宿しましたよっていう絵なんですけど、オリーブの木を持っているのもあるんです。そのころは全然本格的に絵をやっていたわけじゃないんですけれど、あるとき気がついて「マリアさまはいつも赤いドレスに青いマント。赤い服しか持ってないのかな」、それは、いろいろな女性が出てくる中でマリアさまを描くときにはそういうきまりがあるわけなんです。鳩が出てきたときにはこういう役割とかいろいろあるんです。そういうことをいろいろ勉強していくことで、いままでは単に感覚だけで感じてた絵も変わっていくと思います。

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あとは、私は奈良の興福寺の阿修羅像とレオナルド ダ ビンチが初恋の人なんですけど、阿修羅像を中学校の修学旅行で見たときに「何でこんなにきれいなんだろう、何でこんな気持ちになるんだろう」ってことがわからなくて、旅行から帰ってすぐ学校の図書館で調べたんですね。そしたら阿修羅っていうのはもともと大変悪い神様で、海の底とかに住んでいて、何かがあると争っていたんだけれど、仏教に帰依して仏様を守る八部衆の役目をするようになるっていうことがわかったんです。そうすると、また大好きな阿修羅に対しての理解も増すわけですよ。
だいたい好きな男の子とかできると、バックボーンを知りたくなりますよね。何歳かな、血液型は? 星座は? とか、そういうものに近い形で物事を知っていくっていうのかな。きっかけは何でもいいんです。何か自分が惹かれたものが、どういうバックボーンを持っているとかどういう流れの中でこういうものができあがってきたかを知るのを含めて、それが読むってことなんだと思います。誰かの気持ちを読むとかっていうのもありますよね。それもひとつの読むっていうことよね。その中には想像力ってものがベースにあって、それでいろいろなものを読んでいくのかなっていう感じがしました。
本に関してもそうなんですけど、一度読んで雰囲気だけで感じたものが二度三度と読み直していくうちに、前には見えなかったことが見えてきたり……。私は紙が好きで本という形が好きなんですけど、すごく広い意味で読書っていうのはとらえられるんじゃないかなって思います。

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「教員になれば、大学生の勉強とは違う勉強がまたできる」

いい職業だなって思ったんです。
少年少女文学全集を親が買ってくれて、幼稚園、小学校、中学校くらいまでは読書好きな女の子できたんですけど、中学3年のときにかなり衝撃的なことがありました。現国の授業で梶井 基次郎の『檸檬』を勉強したんですね。先生が「受験に出るから」って言って、段落で切って、ここのところのこれは実はこういう意味なんかじゃないかっていうことを最初に正解があってそれに自分の方を当てはめないといけないっていうのがありますよね。理系科目、数学とか科学とか実験結果とか解が最初にあるものに自分自身がいろいろわかっていないことを先生に教わってその道筋をたてていくっていうのはいいんですけど、自分の方が感覚のあるものをなんか、ちょんちょんって切り刻まれて、先生が適当に味付けして、これで食べなさいって言われるのにすごい抵抗を感じちゃったんです。
それまで学校の先生も好きで、勉強も読書も好きだったんですけど、高校の3年間が私にとっては、ある意味でいうと自分がつかめなくなっちゃった時代でした。いま思ってもあそこの3年間はすごくもったいなかったなって思っているんですけど、絵を描くということがある程度支えになったので、不毛な高校時代は自分がつかみきれないまま、毎日のように自画像を描いてましたね、捨てない主義ですから自画像をいまもとってあるんですけど、全部睨んでるの。そんなに睨まなくてもいいのにって思うんだけど、いろいろ自分の中でこうありたい自分といまの自分に葛藤があって……。その梶井 基次郎のことがあって以来、ちょっと本との距離が開いてしまった時代でした。

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で、また本を読み出したのは教員になってからです。さっきも言ったように、学校の先生が本当にいちばんなりたいものではなかったんですけれど、第一次オイルショックのころが就職だったので、デザイナーとかイラストレーターとか、そういう就職が全くなかったんです。私は本当は東京にそのまま残ってイラストの勉強をしたかったんですけど、父親が教員でしたので「競争率は激しいかもしれないけど、教員採用試験を受けなさい」と。そのときに大学の教授に「君は学校を卒業したら勉強はしなくなっちゃうのかい? 学校の先生で勉強しない人なんていないんだよ」って言われて「もう1回大学生の勉強とは違う勉強ができる学校の先生っていい職業だな」と思いました。
それで高校の先生になったら、学校には図書館もあるし、なおかつよかったのは、高校には各教科の専門が職員室にいるんですよ。例えば美術部の生徒と公園に行って草とかスケッチしますよね。そのスケッチを生物の先生に見せると、この草は何科の何でって答えてくれるんですね。例えば「修学旅行を経て」とか文章書かなきゃいけないとき、それを現国の先生に直してもらえたり……。学校の先生になっても、本当にいろいろ学ぶことができました。
私は、結構嫉妬深いんです。「何でかな?」って考えたら、私ひとりっこなのね。ケーキをもらうと全部ひとりで食べれる環境だったんです。だから世の中に出たときに、自分のものを取られちゃうとか、いちばん大きいものを自分が食べられないとか、そういう不満がありました。精神的に幼いまま大きくなったところがあって、教師になって表面的には生徒に対して立派なことを言わないといけないんだけど、そのあたりは全部生徒に見抜かれていたみたいです。「先生、調理実習で来たときに、いちばん大きいお肉食べたでしょ」とか。

(会場:笑)

バスに乗って、みんなで旅行に行くときにもいい席に座るとか、いろいろなことでバレてたんですね。ちょっと尊敬されていない先生だったりしていて、最初のころは自信がなくて……。そんなときに雑誌『ノンノ』に、セツモードセミナーで一緒だった同級生が華々しくデビューしていたんです。もう、その本を破いて捨てたいくらい悔しくて……。そのときに私が出会ったのが熊井 明子さんの『私の部屋のポプリ』という本だったんです。そのとき30歳、私は絵もちゃんと描けないし、先生としても人気がなくてすごく鬱屈していたとき。私もそろそろ自分で突破口を開いていかないとすごく中途半端な人間になる、どうしようって……。努力すれば自分自身が報われるっていう方向に行けばいいのに、人に嫉妬してばかりで、なかなかそういうふうになれなくて、それで、熊井さんに手紙を書いたんです。やっぱり熊井さんの目に止まりたかったんでしょうね。35枚の便箋に、自分の事を書かないで、熊井さんの本のここが好きとか、私はここのところはちょっと違う考えなんだけどこんな考え方が本を読んでできるようになったとか、この本はどこに売っているか一所懸命探して買って読みましたとかっていうのを延々と書いたんですね。そしたら、お返事をくださったんですよ。「こんなに長い手紙いただいたのは久しぶり。いままでにいただいた中で2番目に長い手紙です」って。
そのころから、もう一度がんばろうって思い直しました。年齢もあったんでしょうね、こどもたちに尊敬してもらえるように本を読もうということと、救われた本を書かれた熊井 明子さんのように、自分もそういうことが書けるようになりたいって心のどこかで思い始めていたところもあったと思います。

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両親にしてもらったように
自分のこどもたちにも、本を親しめる環境をつくりました。

それから、私自身が母にしてもらったように自分のこどもにも小さいときから本に親しめるこどもになってほしいなと思っていたので、たくさん読み聞かせもしました。『鼻の大きな魔女』というシリーズはこどもたち以上に私が気に入ってしまって、毎日のように読み聞かせていた本です。絵がかわいいでしょ。これ『頭を使った小さなおばあさん』は『ぐりとぐら』を描いた山脇 百合子さんの絵です。このおばあさんひとり暮らしなんですよ。すごく貧乏なの。なんだけどすごくポジティブなのね。で、あるとき毛布に穴が開いている、その穴をどうしようかなって思ったとき、穴が開いちゃったんだから、穴を取っちゃえばいいんだって、穴をもっと大きくしちゃうんですよ。穴をまた切っちゃうのね、こどもの話だからすごくナンセンスなんです。

(会場:笑)

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なんて言ったらいいんだろう。いやし系かな。その失敗がこどもたちは大好きだったのね。子供が「穴があくとこ読んでー」って。それからチューリップの球根とたまねぎの形って、似てるじゃないですか。それで、間違えないように片方に青いリボン、もう片方に赤いリボンをつけておいて植えるんだけど、逆に植えちゃうの。プランターからたまねぎが出てきて、チューリップが玄関から出てきちゃって……。でも「このプランターからたまねぎが取れれば料理するときに楽だわ」って。そういうおばあさんなんですよ。ときどき何か失敗したとき、それをうちでは「頭を使った小さなおばあさん現象」って呼んでるんです。「また小さなおばあさんやったでしょ」みたいな(笑)。で、娘が「それをまたママエッセイに書くでしょ。だから最終的には損はないんだよね」って。

(会場:笑)

いまは本を読むだけじゃなくて本を書く立場にもなったので、自分を違う角度から見ることができるみたいです。あとは「この主人公と私って似てるわねー」とか、ひとつのできごとに対していろいろな方向から見て「失敗っちゃ失敗だけどこれもひとつのネタよ」とも考えられるし、悲しいことがあっても「悲しいって思うと悲しいけれど成長のひとつのきっかけよ」とか、そういうふうにとらえられるようになりました。それが本というものの素晴らしさかなって思いますね。

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自分に主導権がある
自分のペースで読める本は自由自在。

どんな本でも、役に立たない本ってないんじゃないかなって思うんですね。「本の選び方ってありますか」「良書っていうのはどういうものだと思いますか」と聞かれることもあるんですけど、人間でも誰と知り合っても反面教師っていうのもいれば本当に心の友になる人もいるように、いろいろだと思うんですよ。でも最初から、「もしかしたらこの人は気が合わないかもしれない」とか「何にも得るものがない」って考えてせっかく友だちになるチャンスがあるのに拒否してしまうよりは「やっぱりあの人とはやっぱり合わなかったけど、知り合えたことは無駄じゃなかったとかね」って学べるという意味では、私は本との出会いはどんな形であれ自分のためになるんじゃないかなと思っています。
そして、さっきも言ったように繰り返し読む楽しさ。何ページのどこが好きって開けるってのが本のすごく好きなところ。もちろんビデオでも好きなシーンを何度でも行ったり来たりと見られますけれども、本はもっと自由自在。私ね、ものすごく怖がりなんですよ。おばけの映画とか夜眠れなくなるから見れないのね。で、娘にトイレについてきてもらうっていうことになっちゃうんだけど、本だと本当に嫌なところはそこだけパッと飛ばして、で、ここから犯人探しってところから読んだりとか、そんなふうに、映像的なものより自分の方に主導権があるかな。本は、ここはゆっくりテンポで読んで、ここらへんはぱらぱらっと読んで、次回はここのところはじっくり読んで……、というふうに塩梅を自分でできるところがすごいなって思います。

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あと、みなさんも手紙を書いたり日記を書いたりそれからご自身でいろいろなことをお書きになることがあると思うんですけど、私も実際に自分がものを書くようになり、書いているときに思うんですけど、書いているときの半分以上は自分で読んでいるんですね。文字を書くことよりも書いた文字を読むこと、例えば手紙を書いて、それが本当にあの人に私の真意が伝わるかしらというときは自分の文章を読み直している、そこが大事なんじゃないかなと思います。メールとか気をつけないといけないと思うのは瞬時にして送れすぎちゃうので、とりあえず送っておけばいいや的な感覚になると、本当にこれで相手に自分の真意がいい形で伝わるかっていうところを確認しない。そこもちょっとフィードバックして繰り返して読むってことをぜひしてほしいなと思います。メールもひとつのコミュニケーションツールですけど、それ以外にも絵はがきを書くとか、ちょっと手順が大変なだけに便せんを選んでペンを選んで切手を貼って、実際にポストまで持って投函するって一連のことが楽しめる。それからポストに来たものの封を切って、じっくりお茶とか入れながら読むっていう、そういう時間も失いたくないなって思います。

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本を通じての友だち=読書友だちを
たくさん持ちたいなと思います。

そして、私が大好きなのは本を通じての友だち。読書友だちって読んでいるんですけど、読書友だちをたくさん持ちたいなと思います。同じ本でも、みんなとらえ方が違う「あそこのページのあそこがよかった」「あのセリフにぐっと来た」とか。そうかと思うと全員が「そこで泣いた」というシーンがあったりして……。すごく違うところと、同じように共鳴したり感動したりするところがある。似ているところも似ていないところも両方を、本を通じて楽しめるといいなーと思うので、ぜひみなさんとも読書友だち、本好き仲間にならせていただきたいです。
本当に読むってことは、自分のそのときの自分の目がどういうフィルターをつけているかによって全く違うふうに読めるし、それは映画だったり自分のまわりにいる人でもそうよね。恋人が新鮮に見えるときもあればうんざりするときもある。家族なんてもっとそう。でもそれってもしかして自分がひねくれて読み間違っているんじゃないかなっていうこともあると思うんです。映画が変わったり本が変わったりするんじゃなくて、自分が変わるように、よく読めるように、深く読めるように、あたたかく読めるようにそういうふうにして過ごせればいいなって私自身も思っていますし、そんなみなさんと読書友だちになれればいいなと思っています。

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<第2部>

フェリシモ:
お客さまが持ってきた本をもとにお話を進めていきたいと思います。

中山さん:
『赤毛のアン』ですね。当時200円。学校の図書館にこのシリーズありましたね。すごいですね。

お客さま:
小学校のときに読んだ本で、これは文学全集で全部出ていたんです。中山さんのお父さまと同じで父が全部買ってくれました。

中山さん:
最初に赤毛のアンの翻訳をしたのが三笠書房なんですよ。もともと村岡 花子さん訳が全部。三笠書房さんが版権を買われて……。ただね、一度つぶれているんですね。それを立て直していま別から出ています。これはものすごい貴重です。村岡 花子さんのお嬢さんが、村岡 花子さんの記念館をやっていて、伺ったとき三笠書房さんのものはあまりないんで、お探しになっているくらいでした。

お客さま:
この挿絵が私の『赤毛のアン』のイメージです。

中山さん:
とってもいいですよね。ここはダイアナとふたりで夜のお化けのところに行くところですね。箱もきれい、素晴らしいですね。

お客さま:
(新潮文庫の)『赤毛のアン』を選んだ理由は、私の精神安定剤ということです。悩んだときにこれを読んで、アンみたいに明るく前向きな考えをできるようにって。

中山さん:
さっき小さなおばあさんの話をしましたけど、アンのいいところも失敗するところですね。失敗してどんどんチャーミングになっていくっていう……。

お客さま:
アンが大好きなので、プリンスエドワード島に行くのが夢なんです。それを実現させるために英会話の勉強をしています(笑)。

中山さん:
星野 道夫さんの『旅をする木』ですね。

お客さま:
はじめは写真集しか見てなかったんですが、エッセイ読んでみて、こういう生き方、考え方もあるんだってすごく励みになった本です。この本を読んでから、友だちの輪が広がって、海行ったりとか、山にトレッキングに行ったりするようになりました。

中山さん:
夫がいちばん尊敬しているのが星野 道夫さんなんですよ。ときどき読んで泣いています。私も、早速読ませていただきます。

お客さま:
すごく励みになる文章がたくさんあるんです。

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中山さん:
星野さんってやさしくて強いですよね。

お客さま:
自然に対する眼差しがすごく好きです。ちっちゃいお花でもちゃんと目を配って……。

フェリシモ:
それでは、アンケートの中から選んで、お答えいただきたいと思います。

中山さん:
『長靴下のピッピ』ですね。

お客さま:
うちは自営業で両親が私たち兄弟にあまり構うことができなかったので、いつも本が友だちだったんです。木の上で暮らす自由奔放のピッピにすごくあこがれて、私も木の上で暮らしたいと思っていました。

中山さん:
男の子だとトムソーヤですよね。女の子だと、アンやピッピ。ピッピのお父さんニルソンさんは海賊なんだよね。お行儀よく育てられてる隣の家の男の子と女の子がいてね、いつも度肝を抜かれるのよね。ピッピを読んだら、学校でつまらないことがあったとかそんなちっぽけなことは忘れるくらいですよね。私も大好きなのでうれしいです。


中山さん:
高村 光太郎さんの『智恵子抄』。

お客さま:
小さいころから本を読むのが大好きで小学生のときに読書感想文を書くためにこの本を選びました。いろいろな詩が載っているんですけれど、私は耳が聞こえないので本当のメロディーはわからないんですけれど、智恵子に対する愛が歌われている詩は、自分の心の中にメロディーが広がるような感じがしました。

中山さん:
智恵子の一生というのはある見方をすると悲劇的ですけれど、詩を読むと、人の人生ってそんなに簡単にこうって決められるもんじゃないなってつくづく思いますね。あまり詩を読む機会がなかったんですけれど、さっきの読むってことから言うと、詩って空間が多いじゃないですか、そういうものの中に込められた情景とか思いとか、そういうものって素晴らしいなと思います。詩の中からつきあげてくるものというかそういうものを感じます。特にこの詩は好きって覚えているものがありますか?

お客さま:
タイトルは忘れてしまったんですけれど「あれが多々良山、あそこに見えるのが阿武隈川。こうして二人で座っていると心に染みる情景が見えます」っていう内容の詩があるんですが、それが好きです。

中山さん:
『メアリーポピンズシリーズ』。

お客さま:
あまりたくさん本を買ってもらえる子ではなかったんです。でも活字が好きだったので、活字がたくさんある本がほしくて『風に乗ってきたメアリーポピンズ』を選びました。そこからおねだりしてそのシリーズを買ってもらい、いまでも大切にしています。

中山さん:
メアリーポピンズってすごく不思議、なんかツンツンしているのよね。「どこ行くの?」と聞いても「ただついてくればいいのよ」って……、すごく怖い。
でも私は母親になったとき、ただ単純に娘とかこどもになびくんじゃなく、メアリーポピンズみたいに思われるお母さんになりたいなって思っていました。魔法こそ使えないけれど、お弁当のふたを開けたらいつもごはんが入っているところにおかずが入っているとか、ポケットの中からちょっとおもしろいものが出てくるとか……。楽しんで子育てしながら、私がいちばんなのよっていう姿勢ってよくないですか? あの自画自賛がすごく好きです。「自分は駄目な母親だ」とか思うよりいいですよね。

お客さま:
ショーウィンドウに自分が写ると必ず見て……。それがすごく好きでした。

中山さん:
いつも家にいないんですよね。ほったらかしなのよね。ピッピもそうなんだけど、日本の家庭ではないのびのび感がありますよね。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
読書ノートをつけていらっしゃったそうですが、どういう形でつけていらっしゃったのですか。

中山さん:
読書ノートをつけようと思って読むと読書の楽しみは半減しちゃうので、基本的には読みっぱなしなんですよ。ただ読んだ日付と発行所とか、これだけは書いておかなければいけないっていうのは書いておくんですね。本当はそれに対する感想が書けるといいんですけど、なかなかむずかしくて……。ここはまたもう一回読み返したいっていうところには、付箋を貼っておいて、その部分を後で書き写していくっていう感じです。
読み方ってそのときによって違うじゃないですか。そのときの自分の心に残ったセンテンスとかフレーズとか、それを書いておくだけでも十分楽しいってこともあります。もちろんあまりに感激すると「感激した!」とかって書くこともあります。

お客さま:
私はいま中学校でPTAの広報委員長をしています。こどもには本を読みましょうと言うくせに自分は読まない保護者の方が非常に多いんです。キャッチコピー的に読書の素晴らしい点を一文でお答えいただけますか? それを学期末の広報誌に使わせていただければと思っております。

中山さん:
さっきお話した読書術の冒頭に出てきた「読書は自分をうつす鏡である」。いかがでしょうか。
私なんて鏡を見ずに数日過ごしてしまうことがあるんですよ。で、こういう職業しておきながら結構本を読まないときもあるんですよ。別に日常生活本を読まなくても差し支えないんだけれど、ちょっと自分の気持ちの中で心の張りが欠けてきているなっていうときには本を読みます。これはどうですか?「鏡を見てお肌のハリ、本を読んで心のハリ」。
(会場:拍手)

お客さま:
ありがとうございます。使わせていただきます。

お客さま:
私は夢ノートシリーズの大ファンです。最近中山さんが夢ノートに書かれたことでかなったことが何かあったら教えていただきますか。

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中山さん:
いまは2002年の夢ノートをつくっているんですけれど、いちばん最初にあるのは「家族全員の健康としあわせ」。これは大晦日の日にハートマークを。大怪我したりいろいろ問題があったとしてもとにかくみんな家族が元気で12月31日を迎えられればそこは太いペンでハートマーク。で、あとこうずーっと書いていくんです。結構かなっています。
もちろん今日のことも書いてあるんですよ。「神戸学校が盛況のうちに終わる」って。
(会場:笑)
あと8月16日からイタリアに行けることになったので、それがこれから書くことかな。あとね、明後日人間ドックなので「人間ドックが無事に終わる」とかちっとも夢ノートらしくなくて申し訳ないんですけれど……。
それから、群 ようこさん。すごいファンで、ずっと前から群さんと会うっていうのがあったんですよ。で、今度一緒にご飯食べます。うれしいです。

フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。私たちが自分らしく生活をデザインし、毎日を素敵にするには何が大切だと思われますか。

中山さん:
以前に「主婦ってなんだと思いますか」って聞かれたとき「家族とか家庭のコーディネーターである」と答えました。私の息子は文化学院の出身、主人も文化学院を出ています。文化学院は、西村 伊作さんという方が自分のお嬢さんを入れる学校がないので、与謝野 晶子さんや石井 柏亭さんと一緒につくられた学校なんです。西村さんのお嬢さんが嫁がれるときに相手の方に「うちの娘は掃除や料理をするために君のところに行くんじゃない。そういう機械みたいに扱わないで、ぜひ芸術作品としてうちの娘を扱ってくれ」って言ったそうなんです。そういう意味で言うと、私は「ひとりひとりが主婦は主婦で、家庭のコーディネーターである。そして各個人、娘なら娘、夫なら夫、おばあちゃまならおばあちゃま、みんなひとりひとりが“自分”という芸術作品であり、自分自身の芸術性をより高めるためのデザイナー」だと思います。デザインするということは全てを含んでいることだと思います。さっきもお話しましたけど、寒いとか暑いとかいう実用的な条件と、これが好きとかあれに感動したとか、その豊かなものとの兼ね合いですよね。どんなに食材がよくてもやっぱり時間がなくて適当につくらないといけないときもあるし。食材そのものがシンプルでもたっぷり時間をかけてつくるのとどっちがおいしいかなという部分がありますよね。
私は自分自身を素材がいいとは思わないんだけど、自分の中では最大限に手間をかけておいしい料理になりたいなって思いますね。それこそがデザインかなって思っています。

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Profile

中山 庸子(なかやま ようこ)さん<エッセイスト/イラストレーター>

中山 庸子(なかやま ようこ)さん
<エッセイスト/イラストレーター>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1953年群馬県生まれ。女子美術大学、セツ・モードセミナー卒業後、県立高校の美術教師を経て、イラストレーター兼エッセイストになる。「イラストレーターになりたい!」という自らの夢が実現するまでの体験を綴った「夢ノートのつくりかた」(大和出版)が女性たちの圧倒的な支持を得、ロングセラーに。どんなに忙しくてもテニスとイタリア語のレッスンは欠かさない。主な著書は「今日からできるなりたい自分になる100の方法」「自分をみがく月曜日から土曜日 自分を好きになる日曜日」(幻冬舎)「おなかの赤ちゃんと作る「夢ノート」」(サンマーク出版)、「中山式しあわせモノ図鑑」(光文社 知恵の森文庫)など、多数。

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