神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「旅をつくる~私のしあわせな旅を求めて」



<第1部>

旅って素敵!
30万円のクーポンがきっかけで始まった
約2年間の世界一周旅行のお話

もう20年以上も前の旅です。だから情報的には古くなっているかもしれません。だけど旅から感じること、肌で感じること、心で感じることは新しいとか古いとかないので、そんなところをお話できたらいいなと思います。
私は旅が好きです。いまでも年に1回ぐらいはどこかに行きます。そもそも旅って何だろうと考えることがありますよね。ただ行ったことがない所に行きたいとか、どこかで何かを見たから同じものを見に行きたいとか、あそこへ行ってあれを食べたいとか、そういう欲求もあると思いますが……。
旅って、人生ととても似ているなと思うの。旅は、出会いの連続。私たちも人生のスタート、生まれてきたとき、どこのおうちに生まれてきてもよかったんだけど、そこに生まれてきてお母さんに初めて出会います。家族に出会うでしょ、食べ物に出会うし、おもちゃに出会う、本に出会う、お友だちに出会う、遊びに出会う、勉強に出会う、もうずーっと出会いを重ねてきているんです。悲しい出会いもあります。別れに出会ったり、挫折に出会ったり……。私はそれもひとつの出会いなんじゃないかなと思っています。
旅に出ると、違う出会いがどんどん飛び込んで来ます。初めて行った所で知らない人に会う、初めて見る景色に会う、いつも見ているのとは違う星空に出会う、そうやって新鮮な心にいろいろな出会いが飛び込んで来るんです。そうすると、心がリセットされるような気がする。それでいままで送ってきた時間の中で、これはこうでなきゃいけないとか、こんな責任があるとか、こんな後悔があるとか、いろいろなことが1回帳消しになって、新しい情報と新しい価値観が入ってくるような……。例えばインドに行って、路地で犬が鳴いていた。犬は「ワンワン」と鳴くって小さいころから教え込まれているから、その感覚でいるとどんな鳴き方をしても「ワンワン」に聞こえるんですよね。でも心が1回リセットされると、そのときの音で入ってくる。「ワンワン」じゃなく「バフバフ」かも知れないし「クオンクオン」かも知れない。いままで絵を描くときに、私たちは山は緑色、土は茶色、空は青色で、雨はグレーっていうふうにこどものころから学校で教えられてきたんです。でも、心をリセットして景色の中に入ってみると、ハッピーなときは雨はピンクに見えるかも知れないし、山はバイオレットに見えるかも知れない。そういうふうに心をナチュラルな状態に戻してくれるのが旅の力だと思います。

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だから、いま住んでいる所から、バスで2駅、3駅行ったことのない所に行ってみたら、気がつかなかったような草が生えていたり、何か違うものを発見して「来てよかったなー」そんな気持ちが表れてくる、これが、旅の素敵なところなんじゃないでしょうか。
1980年、何で急に旅に出たかってよく聞かれます。その前の年に、友だちが「世界一周クーポンが30万円であるんだけど、どう思う?」って言ったんで「それいいね!」って、その話にすぐに乗りました。レコード会社と事務所に行って「80日世界一周旅行に行こうと思うんです。音楽生活にとっても有意義だと思いますよ」って。当時の私のまわりの人たちみんなが「それいいね!」って言ってくれ、誰の反対もなく、行くことが決まったんです。それで、80日をどう周るかと計画立てますよね。そうすると、どう考えても80日で一周するのは駆け足すぎる。その土地を味わうことなく次々移動しなきゃいけなくなるんですよ。それは、もったいない。だから計画をじわじわと長くしていったんですね。
で、結局2年留守にしました。それが、きっかけだったんですよ。
今日は、スライドを見ていただいて、旅を追っていこうと思います。

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日本を離れて、初めて
日本のことを知ることができました。

背中に荷物を背負って、まずタイへ行きました(中略)
それで、タイからちょっと離れたビーチへ一泊旅行っていうバスツアーがあったので、それに参加したんです。ビーチに着いて、夕ご飯を食べていたら、バスを運転してきた運転手さんが「ちょっとお話していいですか? 私は、バスの運転手をしながら英語の勉強をしてきました。こうやって乗せたお客さんと話をすることで、私は、勉強になるんです。だからお話がしたい」って。で、まず、自分の近況をお話されました。
「タイの産業は、漁業が盛ん。エビを養殖しているんです。このエビはタイ人は食べないんですよ。これは全部日本へ行くんです。どう思いますか?」って言われました。私は日本から来ているんだけれど、タイのことを知らないことに気づきました。その人は「タイにはきれいな島がいっぱいある。島の周りにはマングローブの木がいっぱい生えていて、マングローブの林がある。だけど、日本へ輸出するエビを養殖するために、いまマングローブの木を全部切って養殖場に変えている。マングローブの木は、海から吹いてくる強い風をさえぎって、島の中に安定した環境をつくっている。だから島の中は、畑でいろいろな作物が取れるし、マングローブが生えてる水際は、栄養がいっぱいあるのでいろいろな魚がくるから、漁業もこれでうるおっている。マングローブがなくなったいま、島はどんどん荒れています。どう思いますか」と……。私は全然知らなくて恥ずかしいと思いました。
私はいま大学へ行っていて、人間環境学部で環境の勉強をしています。多分私が環境に興味を持ったのは、ここが出発だったのではないかと思います。マングローブの林が切られている、環境が荒らされている、だけど経済はこれでまわっていて、エビをいっぱい輸出することで国はうるおっている。この矛盾はどうなんだってところからスタートしたと思うんですよね。すごくいい課題を、旅の最初の国でもらいました。
世界一周の旅は、そんなふうな始まりでした。
日本にいて、何不自由なく、仕事もあって、電気が足りないとか、水がないとかいう環境でもなく、そのままいたらこのことには触れないままいたかもしれない。旅はそんなふうに新しいことを教えてくれるんですね。

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タイの後にはインドに行きました。最初はカルカッタ。もうなんかカルチャーショック。何かゴミゴミした所。私はね、新しい街に行ったらそこの人たちが着ているような服を着て、とけ込む主義なんです。「この服かわいいー」と思って、300円ぐらいで服を買いました。
隣にある小さい車は、トクトクっていいます。オートバイにちょっと囲いをつけて、お客さんを乗せるタクシーみたいなもの。これに乗るのは結構ぜいたく。

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街の中をこんなふうにゾウが歩いています。このゾウは働くゾウで、街の中で力仕事をやってます。あとは野良牛とかもウロウロ歩いていました。牛も、すごい働き手なんですけど、年取ってくると、そのまんま街に放されるんですよ。

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インドは暑くて、カレーばっかり食べていました。どこへ行ってもカレー。ナスのカレー、卵のカレー、チキンのカレー、じゃがいものカレーみたいなカレーが出て、パサパサのご飯に、さらさらのカレーをかけて、指で混ぜてある程度まとまりがついたころに、それを手で口にホッと放り込んで地元の人は食べてるんです。なかなかそれうまくいかないんですよ、放り込むときに散らばるんですよね、高いレストランとかホテルに行けば、普通にあるような食事が出るんですけど、庶民の食堂に行くとカレーばかり。
「カレーばっかりで、もう嫌になっちゃうな。もうカレーは嫌だ」と思って、街の中のハンバーガーショップへ行ったんです。そこで、ベジタブルバーガーを頼んで食べたら、中にカレーコロッケが入っていて……(苦笑)。確かにコロッケはジャガイモだから、ベジタブル。だけど、またカレー味。それで「さっぱりサラダでも食べよう」と思って食べるとカレー粉がかかっている! もうカレーに参ってしまって……。食堂で会った日本人に話したんです。「カレー以外のものは食べられないんでしょうかね」って。そしたら「これは、カレーじゃないんだよ。一品一品、その材料に合っている調味料を使って料理した別々の料理だよ。だから、ナスの料理、ジャガイモの料理、チキンの料理っていうふうになってるんだよ。一品一品違う味なんだから、味わって食べなきゃいけない」って言われたんです。
私はふと、逆のことを考えました。例えば、日本に外国人が来て、日本のお家とか庶民の食堂でご飯ばっかり食べていたら、もしかしたら「日本はもう何でもしょうゆで嫌になっちゃう」と思うかもしれないなと思いまいた。私は卵かけご飯が好きなんですが、卵かけご飯、しょうゆ入れますよね。漬物にもしょうゆかける人いる、ほうれん草のおひたしも、天ぷらの天つゆもしょうゆ味だし、肉じゃがも、刺身はしょうゆで食べる……。外国の人が来たら、しょうゆから逃れられない日本だったっていう印象を持つと思うんですよ。それと同じようにインドもカレー尽くし。世界中、食べ物の素材は変わらないけど、調味料、調理法で、いろいろな食べ物ができるんだなってことを経験しました。

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節約しながらの旅でも、3ヵ月ぐらい続けていると、働かない罪悪感に取りつかれます。それで、だんだんケチになってくるんです。それで、ヒッチハイクをしました。これは、スイス。20分ぐらい待ってると乗せてくれる人がいるんです。それで乗るでしょ、乗ったあと、困るの。なぜかって言うと、会話ができない。スイスの方は、ドイツ語を話す人、フランス語を話す人、もちろん英語を話す人とかいるんですけれど、ドイツ語系だったりすると片言の英語も何も使えない。だから、車の中がしらけるんですよ。そういうときには、歌を歌うんですね。よく歌ったのが「花笠音頭」。これどんだけ歌ったかわかんない。とりあえず「日本の歌を披露しまーす」って言って歌うんですね。途中寝たふりをしたりして、目的地まで行って降ろしてもらうっていうことを何度かしました。(中略)

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ヨーロッパでは、だいたいユースホステルに泊まりました。これはフランスの中部ロワールのユースホステル。ユースのキッチンは、場所によって違うんですけども、コインを入れて一定時間だけガスが出るとかね。そういう所もあります。

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チュニジアです。海が青くて、空が青くて、建物は白いんだけど窓枠はみんなブルー。すぐそばがサハラ砂漠です。歩いているとおばちゃんと仲よくなって、おばちゃんの家に行きました。おばちゃんが民族衣装を着させてくれて、それから水の入った花瓶みたいな物を頭に乗せました。地元では、こういう服を着てベリーダンスを踊るんですね。おばちゃんが「こうやって踊るんだよ!」とかって言ってるんですけど、そう聞くと会話できてるみたいでしょ? 旅の言葉っていうのはなぜか通じるんですよ。全部はわかってないですよ。英語圏でない所に行ってるので、片言同士の英語ってのはわりと通じやすいですね。
新しい国に入るとき、いくつか覚えるようにした言葉があります。まず「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」「おいしかったです」(笑)、それから「いくら?」「高すぎる」、あと数字を覚えます。数字を覚えると、値段の交渉ができる。「これいくらですか?」を「How much?」って聞いちゃうと、店の人たちは「あっ、ただの外国人旅行者だな」って、あんまり親しみを持たないんですよ。これを現地の言葉で聞いた瞬間に、心と心の距離がグーッと縮まるんです。心の距離が縮まったら今度は、紙に書きながらでもいいんだけど、現地の言葉で数字をやりとりする。そうするとね、特別サービスが起きるんですよね。だからみなさんも外国に行かれたら、その国の言葉で買い物をすると、得なことがいっぱいあるかもしれません。

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これは何だと思いますか。チュニジアの、クサ―ルハダダにあるホテルです。昔は食料庫。この中に小麦粉とか、とうもろこしとかを貯蔵していた所を、いまは観光客にホテルとして開放しています。穴みたいな所から中入っていくと、床に板が1枚敷いてあるんです。そこに、自分の持っている寝袋を広げて、泊まります。窓ガラスも窓金網もなんにもない素通し。この窓から、朝、こどもがロバに乗って、水を汲みに行くのを見ました。朝5時ぐらいかな、ロバにポリ容器を5~6個積んで、5~6歳の男の子が出かけるんです。8時くらいに帰ってくるところも見ました。往復3時間かかって水を汲んで来るんですね。私が心を打たれたのは、男の子が水を汲んで帰ってくるころ、家族が門のところで彼を出迎えるんです。

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ロバを引っ張って帰ってくる男の子は、自信に満ちあふれた表情をしているんですよ。「水汲んできたよ! 僕の仕事をちゃんとやった!」っていう達成感にあふれた、キラキラした目でした。日本の5~6歳の男の子が、そういう仕事をして、そんな達成感を感じる事があるんだろうかと、ちょっと思ってしまいました。門の所で待っているお父さんが、わが家にやってきた水をすごく感謝して家の中に運び入れるんです。お母さんは、男の子に「どうもありがとう」という感謝の気持ちで迎え入れる。すごい光景だなと思いました。そこの家にやってきた水は、朝の8時から夜眠るまで、ご飯に、それから掃除に、畑、家畜、洗濯に、一滴も残らず、大事に使われます。そんな大切な「生きてる水」っていうのをいままで見たことがなかったかも知れないと思いました。都会で暮らしていると、蛇口さえひねれば、水もお湯も出て当たり前。この水が、どうやってわが家にやってきたかってあんまり考えないですよね。シャワーだってジャージャー流しっぱなしで、排水溝がどこへ流れていくんだろうって考えることない。「この砂漠の近くで暮らしている彼らが、1日に使う水の量の、何倍の水を私たちは使ってるんだろう」って思ったんですよ。地球の資源には限りがあります。だからどこかで無駄遣いをしていたら、きっとどこかで足りないんだ。そういう現状を見ることができてよかったな。「この話は、いろいろな人にしなきゃいけない」ってそのときに思いました。(中略)

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マサイ族です。こちらはケニア。ギリシャに行ったとき、旅行社のウインドウに「アフリカ格安ツアー」っていうチラシがあって、アフリカに行く予定はなかったんですけど、安いんだったら行ってみようかって急遽行きました。ケニアは、ナショナルパークとかのツアーに出ると結構高いんですね。だけど「せっかくここに来たんだから、これは高くてもいかなきゃ」と思ってサファリツアーに行きました。そこでマサイの村に降りました。きれいでしょ! これが、マサイの女性です。

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マサイの男性っていうのは、戦士、戦う人たち。本当に勇敢なことで有名なんですよ。これは、もうおじいちゃんだったと思うんですけども、一緒に写真撮りました。必ず槍を持っていることが彼らのステイタス。マサイは勇敢で、強くて、体も無駄な肉がなく筋肉だけで、ビヨヨ~ンと飛び上がるジャンプ力もすごくて、とにかく強い男っていうイメージ。でも、中には落ちこぼれのマサイもいます。その情けないマサイが、夜にコテージに来たんですよ。文化的な情報もいっぱいあるので、そういう所に来るのに裸ではいけないと思っていて、旅行者が置き忘れていったレインコートを着てきたんですね。足も、やっぱり裸足ではいけないと思ったらしく、古タイヤでつくった草履を履いてバーに入ってきて、槍をそっと壁に立てかけて、隠れるようにしてビールを飲んでいる。情けないマサイ、いたんですねー。何で勇敢なマサイが、上着を着る、靴を履くなど他の文化の人たちの常識を受け入れるんだろう、自分たちは自分たち流でいいじゃない、って思いますよね。女の人やこどもが、観光客に民芸品を売って、少し得たお金なんかを出してビールを買うわけでしょ。「これは、文明の国から来た人たちが、彼らの尊い伝統的な文化を壊してきたんだな」って思いました。彼らは彼らの文化で素晴らしいのに、そんな文明の国の文化を見習うこともないし、覚えることもない。「もしかしたら私たちにも責任があるのかもしれないな」って、思いました。

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私は、テープレコーダーを持っていたので、マサイのみんなに歌を歌ってもらって録音して、その場でみんなに聞かせてあげたんです。もう人が集まって来る来る! 大騒ぎになったんです。「これも、文明の物を持ち込んだ責任があるな」と、私はその後反省して、このテープレコーダーはトルコで売ってしまいました。あとは、そういう文明の物は持たない旅行にしました。

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エジプトのカイロ。バス停の前、意外と思うかもしれませんけど、この横すぐにピラミッドがあります。ピラミッドって、砂漠の真ん中にぽつんとあるようなイメージがあるでしょ、私もそうだと思っていたの。バスを降りたら、すぐ建物の横にピラミッド。その横にスフィンクスがあります。

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ピラミッドの中。ピラミッドの中は迷路です、やっぱり。大切なものが賊に盗られないようにグネグネ曲がってるんです。途中で泣き出したくなるくらい怖くなります。歩いて進んで行くと、すごく狭い所に行ったり、急にグワーッと広くなったり……。これ、広いとこ、突然広いんですよ。ここには、ミイラの遺体が安置されてあったらしいです。で、上りだったり下りだったり、右へ行ったり左へ行ったりしているうちに、自分がどこにいるのかわかんなくなるの。「もう、帰れない」と思う。すごーくヒヤッと寒かったりすると、グワーッと暑かったりする。「これは古代のいろいろな、昔亡くなった人が見てて、何かいたずらしてんじゃないか?」と思うぐらい恐ろしくなって「こうやって大切なものを守ってきたんだろうな」って思いました。(中略)

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カーネギーホールです。ヨーロッパをまわって、最終的にロンドンからニューヨークに飛びました。旅には、あんまり締め切りがないので急ぐことはなかったんだけど、1980年4月に出発して12月までヨーロッパにいたんですけど、クリスマスとお正月をどこで迎えるのかって問題になってたんですよ。それで「ニューヨークのクリスマスがいいんじゃないかな」と思って、クリスマスを目指してニューヨークに入りました。「ニューヨークに行ったら、この人を訪ねなさい」って人から紹介されていたお寿司屋さんがあって、そこに行ったんですよ。そしたら、店の壁に「歌謡コンクール」の張り紙がありました。予選があって、予選に受かった人何人かが、カーネギーホールに出られる。『参加料15ドル』張り紙がしてありました。15ドル出すかどうか、すごく考えたんですけど「やっぱり、楽しいことはなんでも遭遇しなきゃ」精神でいたので、申し込みました。旅をしてて、ずっとマイクを握っていなかったので、すっかり感覚が鈍っていたのですが、なんと予選に受かったんですよ。次は「さあ! カーネギーホールだ!」と、カーネギーホールに行き、歌いました。歌った歌は河島 英吾さんの「酒と涙と男と女」。私は、もちろんプロの歌手なんですけど、ここでは誰も知らなかったんです。だからアマチュアのふりをして歌いました(笑)。発表は5位から順番にしていきます。5位、4位、3位……「この審査員ではダメだな。音楽知らないな。もうダメだ」と思ってたら、2位に入ったんです! カーネギーホールですよ、ニューミュージック界初の快挙です!
商品も出たんです。「ダイヤモンドの指輪かロンドン旅行、1位と2位でどちらかを取ってください」って。1位の人が「じゃあロンドン旅行いただきます」って。で、私はすごくきれいなダイヤモンドの指輪をもらいました。それで、翌日私はすぐ宝石屋さんに売りに行きました(笑)。だって、コンクールに衣装代がかかってたんですよ。3件の宝石屋さんに行ったら、3件ともに「この指輪は1300~1500ドルの価値はある。だけどうちでは600ドルでしか買わない」と言われました。もったいないでしょう? だから、結局売らずに、いま、家のタンスの中にあります。

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ニューヨークの地下鉄です。いまは、治安もよくなっているはず。でもこのころは「地下鉄には絶対乗っちゃいけない」って言われていました。「絶対乗っちゃいけないって言われてんだったら乗らなきゃ」と思って、無謀なんですけど行って、とりあえず乗ったよという証拠で写真を撮ってきました。

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私が行った1981年のアメリカは、大量生産・大量消費・大量廃棄、そういう「大量消費先進国」のイメージ。でも、すでにもう、ゴミは分別していました。これは、エルパソの街。大きなスーパーの前には必ず大きな回収ボックスが並んでいて、みんな、発泡スチロールだとか缶とかは、きちんと家から持ってきて分けていたんですね。日本は最近ですよね? スーパーでも、ビニール袋じゃなくて全部紙の袋に入れて抱えて持って帰ってくるって感じでした。「いまの私たちが、地球的な問題のいちばん身近なところだなと思っているゴミ問題。私たちは大急ぎでその意識を高めなきゃいけないんじゃないかな」と思うこのごろです。

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ただきれいな景色を見ていただこうと思います。ここでもなりきってますね。ニューオリンズで買ったブーツと帽子で、その雰囲気に入ってます。「せっかく違う環境、違う文化のところに行ってるんだから、そこをたっぷり味わって来たいな」って思う結果がこういう写真です。

旅って、おもしろそうでしょ? 今度、自分がどこかに出かけていったら、こんなこともあんなこともしてみよう、って気持ちが芽ばえてきたんじゃないでしょうか。私は、旅っていうのは、出発日からが旅じゃなく、旅行社の前でチラシを見たとか、テレビの旅番組でどこかの風景を見たとか、そういうとこからもう始まっていると思います。「そこ、いいな。なんか行きたいな」と思ったときはもう、半歩ぐらい足、前に出ているんですよ。旅の終わりも同じ。帰って来たら終わりみたいだけど、終わってない、ずっと心の中で続いてる、残っているんです。

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私が、コペンハーゲンに行ったときのこと。ユースホステルに着いたときに、入り口に、アルバイト募集って書いてあったの。それまで、働いてない旅のすごいストレスを抱えながら、そこに行ったから。そりゃあすぐ「働きます」って言っちゃいますよね。そこのおばちゃんに「働きます。バイトします」って言ったら「いいよー。日本人は大歓迎」って。日本人はよく働くんだって。「じゃあ、その信頼を裏切らないように、ちゃんと働こう」と思って、ユースホステルで、朝、食事の準備をするのを手伝うんです。食器の用意をしたり、食べ終わったものを洗って、調理が終わったお鍋を洗うとか……。何日かバイトしてると、信頼されて、盛りつけまで任されるようになって……(笑)。朝ごはんの後は、ユースホステル内の立派なロビーの掃除とか、窓ガラスを磨いたりするんですよ。ずっと働いてなかったから、働く喜びが体の中からワーッと湧き出してくるの。モップで床をふくんだけど、すごい力が入るのね。言われてないのに、汚れている所を探して一所懸命磨いちゃう。一所懸命働いて、お昼ごはんはスタッフと一緒に食べて、午後から自由時間なので、いろいろな所を観光して、晩ごはんまでに帰ってきて、また晩ごはんの用意を手伝って……。何日か働いて「ここに一生いるわけにもいかないし、前に進まないとダメだなあ」と思って、一応予定を立てて、出て行くことを決めた日に、おばちゃんに「どうもありがとう。お世話になりました。とっても楽しかったです」とお礼の言葉を言いました。おばちゃんは「今度はいつ来るの?」と私に聞いて来ました。「今度……」自分の中でその言葉を繰り返しました。もう一生来ないかもしれない……、だからどう答えていいかわからなかったんです。「いつか必ず来るから、おばちゃん元気でいてね」と私は言いました。おばちゃんは無言で、冷蔵庫開けて、紙袋にパンとか、トマトとか、ハムとか、チーズとかを入れて、ドンって私の前に置いて「汽車の中で食べなさい」と言って自分の部屋に帰っていったんです。その後ろ姿、はっきりと私の胸の中に残っていて「あのとき言った言葉、まだ果たしてないな」って、いつも思うの。だから「旅、終わってないな。コペンハーゲンのユースホステルに行かなきゃ!」って。いつになるかわかんないけど、私は行くと思います。

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やり残していることは何ですか?
夢リストを書き出して、ひとつひとつ実現に向けて!

私は、そんな旅行の経験があって、帰ってきてから、いろいろ仕事をしたりとかして。最初に話しましたように、いま、大学3年生です。そのきっかけっていうのは、1999年でした。大学入学する前の年、たて続けに入院したんですよ。
1回目は、事故で、顔を陥没骨折。スケート場でアイススケートをしていたとき、人とぶつかって、肘が顔面に当たって骨折、すぐ入院して手術をしたんです。こういう事故っていつ起きるかわかんない。「人生、いつ、どんなことが起きるかわかんないな」と思ってたすぐ後、今度は内臓の病気で入院、手術。短期間のうちに2回、全身麻酔で大手術。そのとき病室のベッドでつくづく思ったの。「やり残していることは何だろう。昔、夢に描いてやってないことは何だろう。こどものころ、いっぱい夢があった。でも、やらないまんま来ているかもしれないな」。それで、やってないことやろうと思い、リストを書き出しました。
たくさんある中のひとつに、「環境の勉強をしたい」というのがありました。思っているだけでやってなかった。それで、退院して、家に帰って新聞を見ていたら、法政大学で人間環境学部が新しくでき、社会人入試ができるという記事が出ていたんですね。「これしかない」と思って、すぐ願書を取り寄せて、勉強して、試験を受けました。そうしたら合格の通知をもらって……。2000年の春、入学しました。自分で言うのもなんですけど結構まじめな大学生で、超優秀です(笑)。自分の知らないことを知った喜び、わからなかったことが解けた喜び、知識のたくさんある人の話の中から、それが自分に流れてきたときの喜び、そういうひとつひとつがすごく楽しいです。勉強が好きっていうのではないのですが、社会経験があるので、環境について学ぶときに、いままで既に接したこととかが出てくるから、18歳、19歳で大学へ入った若者に比べて、もしかしたら得な部分もあるし、吸収しやすい下地があったのかも知れないですね。
やり残したことの中に、これまでいろいろなシーンで歌ってきた曲を、まとめてCDにしたいなというのがありました。それで、去年暮れに1枚つくって、今年もまたつくりました。

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カバー曲と、いま伝えたいオリジナル曲を混ぜてあるんですけど、こどものころ聞いて、ハッとさせられた曲を、また、いま、自分が伝えたい方法で音をつくってまとめたアルバムです。タイトルは『タイムトラベラー』。いま一緒にやっている仲間とアコースティックなサウンドでつくりました。今度出るのは、ピアノと歌だけで、童謡とか歌っています。清らかな広がりがあって、じわーっと伝わってくるようなサウンド『タイムトラベラー vol.2~ノスタルジアの樹~』です。
そして、夢に描いていたことを、またひとつ実現します。9月からロンドンに留学することになりました。「その前に、今日みなさんにお会いすることができて本当によかったなー」と思っています。海外留学には、高校生ぐらいのときにすごくあこがれていました。でも、いまになって、いまだからできる機会があったんですね。それも、たまたま奨学金制度の留学の募集が新聞に掲載されていて、応募して試験を受けて、1700人から37人選ばれたんです。私ってラッキーでしょ(笑)。そんなふうに私ってラッキーって思うことが大事。ラッキーだと思うとラッキーの道が開ける、自分ってアンラッキーだと思うとアンラッキーの道が描かれるそうですから、みなさん気をつけてください。
お互いにいろいろなことをチャレンジして、うんと素敵になってまた再会できればいいですね。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
旅先で、洋服を買ってらっしゃったんですけど、その洋服って溜まってくるとどうされていましたか?

庄野さん:
すごく好きだった服は持って帰ってきてるけど、持ち物が増えると、動きが鈍くなるので、古着屋で処分していました。ホテルですることがないと、バスタオルから手提げカバンをつくったりとか、好きな生地は処分しないで、巾着にリメイクしたりそういう針仕事をやっていました。

お客さま:
経済の発展と環境のバランスを、どのように考えていらっしゃいますか? あと環境について、人間の生活の豊かさとのバランスをどのように考えていったらいいのかを教えていただけますか。

庄野さん:
いままさに、それは勉強中です。経済のバランスと自然環境ですね、これはもう永遠のテーマじゃないかなと思います。人間がこの世に誕生してから、森の木を切って畑にし、作物をつくったこの時点から環境破壊が始まってるんですね。だからいま、これだけいろいろな産業が発達して、環境はどうなるのかという以前にもうこの問題は始まっていて、例えば日本でも、江戸時代に1回、木を切って環境が破壊されて、いろいろな対策が成されて持ち返したとか、そういう歴史を繰り返しているんです。

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2つ目の質問と合わさった答えになるかもしれないんですけど、豊かさというものを考えたとき、経済の流通の中で動いてる物を大きくする、それともそれをたくさん持つっていうことが豊かなのではなくって、いかに自分に合っているものを選択するかとか、自分らしい暮らしをするかっていう心の豊かさの方を、みんなが大切に考えるようになると環境の方も少しよくなっていくのではないかという気がします。自分らしいことってなかなかむずかしいんです。
例えば日本であっても、これをつくると世界一になるとか、どこどこの町でも村でもそうなんだけども、この辺りでいちばん大きなダムをつくるとか、競争してるじゃないですか。でも、そうじゃなく、この町らしいもの。この町は、大きな工場もなければなにもないけど、こんなに豊かな自然があるんだっていうことを誇れるような、そういう気持ちの持ち方をみんながしていくといいんじゃないでしょうか。
あとは、産業が発達して、環境が壊れていっている途上国などをどう支援するかという問題も、すごく日本のODAのお金の使い方はどうだとか、むずかしい話が新聞にいっぱい出てますけれど、もしかしたら、そうやって自分たちが経済を発展させたツケがいま地球にまわってきて、それがまだ経済を起こしてない土地を壊しているのであっても、きっとそれは、自然の成り行きかも知れないなと思っているところがあって……。だからといって、どう援助して、どう救っていくのかではなく、そこの国の人たち、その町の人たちが、いかに自分たちらしい暮らしを提案してくるかっていうところに力をかけたらいいなーと思います。どんな個人の生活の中にも、やさしさとか、心の豊かさとかを感じられるような暮らし。例えば、物を買うときに、これは自然に戻るものだなーっと思って買うとか、社会的な価値観じゃなく、自分の価値観で物を見るようにしていけるといいなと思います。

お客さま:
旅で、怖かったことや、危険な目にあった経験があれば教えてください。

庄野さん:
1回だけスリにあったことあるんです。ポルトガルのリスボンから、スペインのマドリッドへ、夜行列車に乗ったとき。一等、二等とあって、二等の方に乗ったんです。一等の方は広いんですけど二等はくっつき合ってるんです。ポケットがいっぱいあるベストを着ていて、その中に、ポルトガルのお金を入れていたんです。スペインに着いて「お金を両替しなきゃ」と思って銀行に行ったら、ポケットの中のお金がないの。いつ盗られたかわかんない。金額的には2000円くらいだったんですけど、どうしても盗られた記憶がない。もうお見事としか言いようがありませんでした。
怖かったこともありますが、すごく危ないことには遭ってないですね。それは多分、自分の体と自分の持ち物を守るのは自分でしかないというこの基本的なことをしっかりと守っていたからだと思います。荷物をちょっと横に置いて用事をしません。必ず、足の間に挟む。リュックは後ろに背負いますが、大事な物は全部前に抱えるようにするとか。そうやって一所懸命、守りましたね。それから、日本人はお金をバラまくって、いろいろな所で思われているんですよ。だからそういうことは絶対にしないようにしました。例えばタクシーに乗って、お金を払おうと思ったときに、インドなんかではよくメーターと違う金額を言われるんですよ。「何で?」って聞くと「これは人間の値段で、荷物はあとこんだけいくらなんだ。これはひとりの値段でふたりだったらこうなんだ」とか、いろいろなことを言ってくるんです。そういうとき「問題を起こすの嫌だから払っとこう」「30円、40円のことだから払っとこう」なんて思わないで、絶対に「決められた金額しか払わない」という姿勢で接しないと、あとに来る日本人がいいカモだと思われるんです。だから、戦いました、徹底的に。旅だから余計な出費をしても当たり前だとか思わないで。暮らしている場所が日本からここに移っただけであって、そんなに意味のないお金は払わないぞという姿勢を、みなさんどうぞくずさないでいてください。ひとりひとりが心がけていただきたいな。

お客さま:
庄野さんのこども時代も楽天的でラッキーだったのでしょうか。どんなふうに過ごされていましたか?

庄野さん:
今日お話しただけでは、私は体力的にすぐれている人のようですが、実は病弱なんです。こどものころは入退院を繰り返し、いままで14回入院してるんですよ。そのこどものとき、手術しても助からないって言われて、親が泣いて病院中走りまわったっていう話も聞いてるんですけど……。小児病棟にいる時代もあって、お見舞いに来てくださる方がたくさん本を持って来てくださったんです。そうすると、本、いっぱい読むでしょ。その中に『少女ポリアンナ』という本があって、本の中で主人公が「しあわせ遊び」っていうのをするんです。その遊びは、どんなことでもそこにあるしあわせを見つけるというもの。例えば、農家でその時期にチーズをつくったと。うまくいかなかった、おいしくなかった。「うまくできなかった」とつくったおばさんが嘆いていると「それは、もっとおいしいチーズを、つくれるっていうふうに神様が教えてくださったんだよ。もっとおいしいチーズを作つくるための、いまのこのチーズなんだよ」と、しあわせの方向に結びつけるんです。
そんなふうにして、どんなことでもしあわせなことを探して、主人公は、町の人にやさしい気持ちを振りまいていて、貧しい自分の毎日にも豊かな時間を持ってるっていうような話なんです。私はその「しあわせ遊び」を、自分の心の中にべったり置いているんじゃないかなって気がします。

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お客さま:
どんどん夢をかなえていらっしゃる庄野さん。今度のロンドン留学の目的は何ですか。向こうで特に何かしたいことはありますか。

庄野さん:
留学するって言うと「何を勉強しに行くの?」って聞かれるんですよね。20年前に旅行に行ったときも「旅行する」って言ったら「何をしに行くの?」って聞かれたんですよ。旅行しに行くときは「私は、旅人をしに行くんだ」って言う以外に答えられなかったんです。美術の勉強をするとか、何か目的がないと行動に起こしちゃいけないように言われるんだけど「旅人しよう」と思って……。
今回の留学は「留学しよう」と思って行くんですけど、一応大学なので、勉強する科目があります。私は、いまの大学に入ったときに思ったんだけど「地球の環境の事を勉強するには、地球の上に立って、地球の人と話をして、一緒に問題を解決していかなきゃいけないな。だから、地球のいろいろな人と話せるようにならなきゃいけないな」と思っていたんです。だから、私の留学の目的は「地球人として、いろいろなことが語り合えるようになりたい、そんな友だちもつくれるといいな」と思っています。そして、ボランティア活動をしようと思っています。イギリスはボランティアが本当に盛ん。そういう場所に身を置いてみたいなと思います。あとは、ミュージシャンなので、ロンドンでの音楽シーンをたくさん研究してきたいなと思ってます。だから忙しいの、きっと (笑)。

フェリシモ:
私たちが自分らしく生活をデザインして、毎日を素敵に過ごすために大切なものは何だとお考えですか。

庄野さん:
素敵という言葉は、私は大好きなんですね。漢字で書いたら素の状態で敵に向かう。肩書きとか、自分に飾り物とか、鎧兜とか何もつけないで、素顔で、素足で、素の状態で敵に向かえる。こんな強いことはないですよ。身を守るものがない、ということは、自分の中を磨いて、自分の生き方に「これでいいんだ」っていつも確認を取りながら「いまの自分がいちばん好きなんだ。駄目なとこも弱いとこも、嫌なとこも隠したいとこもあるんだけど、でもいまの自分が好きなんだ」と思って生きていけたら、素敵だと思います。

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Profile

庄野 真代(しょうの まよ)さん<歌手>

庄野 真代(しょうの まよ)さん
<歌手>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1976年コロムビアレコードよりLP「アトリエ」およびEP「ジョーの肖像」でデビュー。以降、1978年「飛んでイスタンブール」をはじめ、たてつづけにヒットを飛ばし、ニューミュージックのトップに躍り出る。1980年突然休業宣言をして世界一周旅行に出発。1年間をかけて28ヵ国132都市を歩き回る。そして最終地ロサンゼルスには1年間滞在し旅行記「THE 漫遊記」を制作。1982年の帰国後は、経験をいかして、様々な分野にもチャレンジし、そのハイセンスな生活人としての自然な生き方が多くの女性に支持を得る事になる。また、2000年春、法政大学人間環境学部に入学。21世紀に人類が直面する環境問題について勉強している。

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