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「生活のコーディネーターとしての再発見~家族から家族へ~」



<第1部>

こども時代の有元家は……

私がいまある、ということは、私の前に父や母がいて、一緒の生活の中で、伝わってきたいろいろなものがいまの私のベースになっているので、そのへんからお話しようと思います。
私の父は、ごく普通の人。けれど実家が、福島県会津若松市の400年くらい続いている醸造元なんです。お酒をつくったり、おしょうゆ、おみそとかをいまだにつくっています。そこのおみそ、おしょうゆを私はずっと使ってるんですけれど、そういうルーツを持つ父なんですね。でも、父は家業を継がず、自分の仕事として紡績関係のエンジニアの仕事をしていました。技術の仕事っていうと、すごく硬い人物のように思われるかもしれませんけれど、実は趣味人なんですね。硬い仕事をしつつ、家庭では趣味の世界に浸りきって生活していた、そんな父でした。私が覚えている限りでも、ひとつの趣味をずーっとやるっていうのではなくて、ある一定期間を、例えば、金魚をたくさん飼うことに没頭した時期とか、小鳥をたくさん飼う、蘭を育てる、ミツバチを飼うとか、本当にそのある一定期間没頭してそれだけやるんですよね。私は末っ子だったので、父の晩年の趣味しか知らないんですけれど、私が小学校のころ、父は、バラの栽培に一所懸命でした。朝早くからお庭に出て夕方夜遅くまでバラの世話をしている。それと同時に骨董が非常に好きで、骨董とバラの世界に晩年は浸っていました。
一方母は、長崎の医者の娘で、本当においしいものだけ食べて、おしゃれして……、そういう娘時代を過ごしていました。父の方は会津という、ある意味閉鎖的な地域のきびしい生活をするんですね。例えば、使用人の方よりもいいものを着てはいけないとか、その人よりもいいものを食べてはいけないとか、そういう家訓みたいのがある家だったものですから、派手なことはせず、非常に慎ましやかに暮らすという……。そういう全く対照的なふたりだったんですけども。母はどちらかというと、母が父に従って生活をしていた、そういう家でした。ある意味では古風かもしれませんよね。
父が退職した後には、朝の10時、それから午後3時に必ずお茶の時間というのがありました。父は庭仕事をしてどろどろのまま、お茶を飲むんですけれど、10時は軽くお茶をいただくだけで、午後3時のお茶には、お抹茶の場合が多かったんですね。でもお作法にのっとった、そういうお茶ではなくて、もう自由に、あぐらをかいてお茶を飲むっていう、そういうティータイムでした。私は小学校から帰ると、お隣とかそのまたお隣とか、とりあえず近所に「お茶の時間です」って言いに行くんです。みなさん集まってきて、近所の方と一緒にお茶を楽しんで、お菓子を食べたり、それからおしゃべりしたり……。毎日小1時間そうやってたんです。お茶の時間は私にとっては生活の一部。そんなふうにして、私のこども時代は過ぎていきました。(中略)

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母は、とてもおいしいものが好きで、家族のために一所懸命、いままで自分の実家ではやったことがないような、例えばお漬物を漬けるとか、そういう仕事を非常にまじめにやってました。お漬物小屋というのが家の裏にあって、白菜とかたくわんとか梅干、らっきょう、漬物は全部自分のうちで漬けていたんですよ。ただ私は、実家にいたとき、お料理をしたことないんです。母が料理をして私はそばで味見するだけ。お芋が煮えたっていっては、おはしの先に突き刺して食べたり、どじょうが焼けたといってはそれを食べる。つまみ食いばっかりしていました。(中略)
母の得意な料理、そして父の大好きだったものに天ぷらがあるんですよ。父も大好きでしたし、私たちこどもも大好きでしたから、母はよく天ぷら屋さんに行っていました。天ぷらっていうのは誰も教えてくれないわけです。母は私を連れて天ぷら屋にお昼を食べに行くわけです。私は、それがとっても楽しみで、母はいちばんよく見える場所に座って、天ぷら屋の親父さんがやっていることをじーっと見ているわけです。それで、そこで天ぷらをいただいて、家で父とか家族のために天ぷらを揚げてくれるんですけれど、本人は一切食べないんですね。「自分で揚げると、もう食べたくないから」と言って本人は一切食べないんです。そのようにして本当に家族のために、ご飯づくりを一所懸命やっていた、ある意味では普通の主婦で、普通の母親でした。
父は仕事の関係でよく外国に行っていました。ドイツのハンブルグに、何年か逗留していたことがあるんですけれど、そのときの逗留先が有名な老舗ホテル。そこで毎朝食べるオートミールをとても気に入ってしまって、帰ってきてから「それをつくれ」と母に言うんですけれど、母は洋食など食べない人ですので、見よう見まねで、毎朝毎朝、ああでもない、こうでもないって父に怒られながらオートミールづくりに励んでいた、そんな姿が目に焼きついて離れないんですね。それが母の思い出です。

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結婚後、家事の中でも、
料理にはまって……

それから、私自身が結婚して、家庭を持ちました。結婚したときも、婦人画報社という雑誌社で編集の仕事をしていたんですけれど、非常に忙しくて、自分自身の時間もないような感じ。家のことができなくなってしまったので、仕事を辞めて家事に没頭することに決めたんです。そして、お料理とかお洗濯とか掃除とか、家のことって本当にたくさんあるんですけど、お料理をつくっているとすごくおもしろいなと思い始めたんですね。
家の中の仕事で物をつくり出す仕事ってお料理なんですよ。もちろんおしゃれも好きだし、インテリアも好きなんですけど、お料理に私は妙にはまってきたんですね。いろいろなことに興味を持ち、お菓子もつくりたい、パンもつくりたい、中華料理も知りたいしと、そこからいろいろな料理を習うことが始まりました。
でも、いちばんベースになったのは、やっぱり、母が食べさせてくれたお料理。実際「こうやってつくるのよ」って、そばについて教わったわけではなくて、ただ、からだの中には母がつくってくれた料理がしみこんでいるわけです。だから母の料理にできるだけそれに近づけるようにつくりました。毎日朝昼晩「こんな楽しいことはないな」と、お食事づくりがもう楽しくてたまらなかったんですね。
20年間、専業主婦。その間に、こどもが3人生まれたんですけれども、わりと年が離れていたのね。ですから、お弁当をつくる期間も長かったし、こどものお友だちが大勢集まって、わいわいやっている時間も長かったし、専業主婦時代が長く続いていたんですね。

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どんな専業主婦時代だったかと言うと、私も父の血筋を多少引いたのか、ひとつのことに凝ってしまうタイプ。こどもや主人が「焼きたてパンが食べたい」って言うと、もうそれにはまって、毎朝焼きたてのパンを家族に食べさせる。そのためには4時くらいに起きないといけないわけ。でも朝4時に毎日起きるのはかなりつらい。「どうしたらいいかなー」と考えて、冷蔵庫でパンを発酵させるっていう方法を教えていただいて、前日にこねて、冷蔵庫で発酵させて、次の日はちょっと早く起きて二次発酵して、焼き立てを朝出す。それを手が腱鞘炎になってしまったくらいしばらくやったんですけど、そのあとくらいからパン焼き機というものも出てきたし、自動でパンをこねる機械も出てきたので、とても助かったんですけれども……。そうやって、今度はパイを焼き始めたら毎日パイを焼いてて、目をつむってても折込みパイができるようになるまで焼くとか、スポンジケーキを焼き始めると毎日焼いて、隣近所に配り歩くとかね(笑)。きっとまわりの人は迷惑だったかなーと思うくらいやりましたね。
こどもたちのお誕生日会なんて、クラス中40人とか呼んじゃうわけですよね。それで、どうやって楽にみんなにおいしいものを食べさせようかなって考えるわけです。あるときは、みんな大好きなハンバーガーをつくりました。ハンバーグを焼いておくのもそれも嫌なので、最初大きいフライパンで焼きますよね、そしてフライパンごと大きいオーブンに入れてしまって、いっぺんに40個のハンバーグが焼ける状態にして、それでハンバーガーをつくりました。あと40人分のケーキ、一度につくるにはどうしたらいいか……。丸いケーキではなかなか大変なので、天板で大きく焼いて、それを3段くらい焼いてそれを切り分ければみんな結構満足できるバースデーケーキが食べられる、とか。
そういう工夫をするのがすごく楽しくて、バースデーとかクリスマスとかじゃない日でもこどもたちが集まってきちゃうんですね。学校終わると、こどもたちがどやどやどやっと来るわけです。おやつって言えばおやつを手づくり。飲み物も、手づくりがみんな大好きなんですね。薄めの紅茶をつくっておいて、そこに、ジュースとかフルーツいっぱい入れて、こどもが飲めるパンチをつくっておいて。で、好きに飲みたいだけ飲めば、みたいにして用意しておくとすごくみんなが喜んでね、毎日やってるもんだからどんどん集まってきちゃって……。
夜は夜で夫がお客さまをいっぱい連れてくる。泊りがけですごい飲んべえの人が来ると、朝から酒の肴をつくって、なんていう思い出もあって……(笑)。朝から晩まで毎日毎日そういうことをやっていました。そのときは大変だったけれども、すごく楽しい思い出だし、だからこそいまの仕事に繋がっていると本当に感謝しています。

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毎日の暮らしの中の「食」が
そのまま仕事に……

私も母と同じように、娘に料理をさせた経験は一切ないんですね、とにかく自分の手でつくったものをちゃんと食べさせる。朝昼晩、おやつ、は当然のことなんですけど……。そんな専業主婦時代が終わってからまた編集の仕事に戻りました。そのときこどもはまだ学校に行ってたので、こどもたちが帰ってくるときは私はいない。「じゃあどうしようかな」って……。電子レンジでチンっていうのもいいんですけど、でも「そうじゃないのを食べさせたい」。それで、よく使ったのはスロークッカーっていう電気のお鍋。それはタイムスイッチさえつけておけば、おいしいシチューができるとか、カレーができるというもの。ご飯は自動的に炊けるので、あとサラダくらい冷蔵庫に入れておけばいいとか……。そうやって、私がいなくても安全にちょっと手をかけて煮込んだようなものとか、あと冷たいものは冷たくして食べられるように、いろいろ工夫しました。

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そうこうするうちに『ミセス』という雑誌で、私の家のインテリアの取材があったんですね。あと、友人の所で取材があるというと、私がお料理をしてあげたり……。主婦をしながら編集の仕事もし、楽しみ半分にお料理の仕事もし……、ということをやっていたんですね。そんなあるとき集英社の『LEE』という雑誌の編集部に「お寿司をつくってください」って言われたんですね。そこで、いつも私がつくっている、それも母から教わった鯵の寿司をつくったんです。それがきっかけで『LEE』のお料理をずーっとやることになったんですね。はじめは器のページで、和食器に和食をちょっと盛るとかね、そういうお料理をつくっていました。そうこうしているうちに、非常に人気のある料理カードのページを定期的に担当することになって……。あまりにもそっちが忙しくて、編集の仕事は辞めました。そして、お料理の仕事が自然に多くなっていったんですね。
ですから、料理研究家という仕事に就きたくて、目指して勉強したかとか、プロモーションしたとか、そういうことは全然なくて、自然発生的にそういう仕事に入ってたんですね。
私は「食」の面が特にフューチャーされているわけなんですけども、生きているということは、生活すること、暮らすことですよね。暮らすということは、衣・食・住すべてにわたってやることですので「食」だけをとりたてて大切に思っているわけではありません。きちんと食べ、清潔な家に住んで、そしておしゃれをするとその人の生活がきちっと成り立ってくる、衣食住とは、そういう言葉の配列かしら、と最近思っています。
なかでも「食」っていうのはやっぱり暮らしの中でいちばん大切なことと私は思います。
なぜなら食べるものでその人のからだができてるわけです。そう思うと、例えば、ルッコラとか、小松菜とか、それからミントでもそうなんですけれど、みんな虫がつくんですよね。みんなすっごくグリーンの虫がついてるわけなんですよ。そういうのを見ると「あぁこの子はミントでできてるんだなー」とか「この子はルッコラでできているんだわ」とか、そう、変化してそういうからだになっているけど、もとはルッコラだったりミントだったりキャベツだったり小松菜だったりするわけですよね。人間も同じなんですよね。人間も、例えばインスタントものばっかりとか、できあいのものばっかり食べていると、そういうものでできた人に当然なるわけですね。
一昨日、発酵食品を食べることによって、食中毒を防ぐことができる、ということをテレビ番組でやっていました。発酵食品の中に含まれてる酵素が食中毒の菌をやっつける。そういうものを腸内に蓄えるって。普通の、例えば漬物だったらおうちでぬか漬けを漬けるなり、たくわん漬けるなり、買ってきたものにしても、ちゃんと漬けられたものを食べるとか、納豆を食べるとか、ちゃんと手をかけたきちんとしたものを食べることが本当の健康に繋がっていくし、そうすると頭の回転もよくなるわけですよ。(中略)

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こどもを育てるときに「勉強しなさい」とか「あれしろ」「これしろ」って言う前に、まずちゃんと食事をさせることですよね。ちゃんとしたものを食べさせないで「勉強しなさい」とは言えないと私は思っています。ちゃんとした食事をしていれば、からだも健康です。からだが健康であれば、頭、考え方も健康になってくるはずです。そうしたら、よく遊んで、本当に勉強が必要なときに没頭できる人になると思うのね。
あと、自分で、勉強の道は選んでいくべきなので、自分で何でも考えて、進んでいける人になれるように、こどもを育てるのが親だなぁと思っています。
だから私は娘に「あれしろ」「これしろ」とは言わないし、お料理も教えた覚えは全然ありません。いまだに、私がキッチンにいるとこどもたちは入ってこないんですよね。
3人娘のうち、ふたりは結婚して家族を持っていますし、3人目の娘は独身なんですけど、それぞれ自分なりの食の世界を持っていて、私以上にエコロジーも考えた自然食派の娘になっています。私はひと言もそれを教えたことはないんです。だから、ちゃんとしたものを私としては食べさせただけですけれど、なんかそのように育ってくれて、私としては一安心という感じです。ですから、私が仕事としていることは、普段の生活の中からすべてでてきたこと。自分の生活の中から出たもの以外は、やっぱりみなさまの心には響かないんだと、本当に思っています。
いままでの経緯などとともに、衣食住の中で「食」がいちばん大事というふうにお話しましたけれども「食」って言うのは、やっぱりものだけじゃないですよね。お皿もあるし、テーブルもあるし、そういうものがおいてある空間もありますよね。それからそれをつくる前のキッチンの様子、台所の道具、もちろん食材の良し悪しとか、どこまでも、とめることのできないくらい非常に深い大変な世界なんです。
ですからそれを仕事としてではなくて、家族の食を預かるひとりの主婦として、スタートできたというのは、非常にしあわせだったし、そのころの主婦としての思いって言うのは、いまも変わっておりません。

では、スライドを見ながら「食べること」「住むこと」について、話していきたいと思います。

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有元さんのイタリアでの「住まい」のお話

(中略)

(スライド)
うちのダイニングルームです。壁が少し赤っぽい黄色なんですね。「中世の黄色」、そういう名前の黄色です。手で塗っていく漆喰(しっくい)の壁ですね。
このテーブルは16世紀のもの。クリの木でできています。私のイタリアの家はほとんどこのこげ茶色とそれから茶系の色と、それから床がピンクっぽい色なんですね。その土地で取れる石の色がサーモンピンクなんですよ。いろいろな色を使ってしまうとがしゃがしゃとインテリアとしてあんまり美しくない状況になるので、私はこの3つの色を基本に考えています。

(スライド)
これはキッチンの一部。右側の暖炉はキッチンの作業台に繋がっているものなので、ここでも料理をします。真ん中にあるのがクリの木のテーブルで、左側にあるのが食器棚です。これの前は、中世の食器棚を使っていたんですけれど、全部中世のものにしちゃうと重い空間になるので、思い切って新しい食器棚を入れました。

(スライド)
これは、イタリアのいすです。非常に古いデザインのものです。コニャックというお酒のなまえがついた革の色なんですが、床の色にマッチするので、この色にしました。左側に見えるふわふわしたものは雑草。麦畑の脇に、麦のような顔をして生えています。それを刈ってきて、ドライにしたものです。

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(スライド)
お客さま用の寝室の一部。手前にぶら下がってるのはサラミです(笑)。お客さま用の部屋ってたいてい戸を閉めているので、そこがサラミを保存するのに非常にいいんです(笑)。サラミってどんなに暑くても冷蔵庫に入れないんです。日の当たらない部屋にぶら下げておくんです。どんなに暑くなっても腐りません。1本買ってきて食べたいだけ切って食べる。そういう食べ方をします。私が住んでいるウンブリアはイタリアの真ん中の中心部。そこに高度の高いところにあるノルチャという街があるのですが、サラミとかプロシュートで有名で、そこに行くと黒トリュフとサラミとプロシュート屋さんがどこまでも続いている、そういう街なのね。

(スライド)
1軒家を建てたんですけれど、この同じいすに真っ白い革を貼ってもらったんですね。イタリアから送っていただいたんですが、この革が真っ白になるだけで、ずいぶん表情が変わります。イタリアはまだまだそういう「つくってもらう」ということがまだ容易にできるんですね。これもいろいろな色があって赤でも黒でもグリーンでもブルーでも、なんでも、どんな色の革にやってくれるんです。自分の好きな革の色にして仕上げてくれます。

(スライド)
キッチンと食堂の空間の写真。キッチンはできるだけ余計なものを置きたくないと思っています。例えば洗剤とかスポンジとか、どこかにしまってみてください。ずいぶんすっきりしますよ。

(スライド)
カモミール。春先、野原にいやっていうほど咲きます。素晴らしく美しいでしょう。だからもう花を買うっていう気持ちにならないのね。これはイタリアの南の地方ですが、道路の脇がこういう状態。摘んで、乾かして、お茶にして飲んでます。

(スライド)
手に持っているのは、クリスマスローズ。自生してるクリスマスローズは、すごく丈夫な木なんですよ。葉っぱはごわごわして固くてお花のところもしっかり固いのね。形が大好きなので、ドライにして、うちに飾っています。

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(スライド)
これはイタリアのキッチンの道具です。イタリアではほかにナイフを立てておくものとか、それからスプーンを立てておくものとか、分類して入れてあります。日本のキッチンでも同じように筒型のものに、へらはへら、おはしはおはし、全部分けて入れてあります。作業するときに、すぐ探せるし楽ですよね。

(スライド)
食器棚。イタリアは滞在している時間が短いので、最小限のものを置いています。だいたい白い食器がメイン。上の棚にあるのは、スイス人の陶芸家、グリスチャンヌ ペロションの作品です。

(スライド)
これも、クリスチャンヌ ペロションの器。彼女は日本が好きで、日本の器にとっても興味がある人。この器、和食、中華料理でもエスニック、どんなお料理でも受け入れてくれる、そんな懐の深さを持っています。

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有元さんのイタリアでの「食」のお話

(中略)

(スライド)
これはキッチンの窓辺のハーブ。ハーブっていうのは、ローズマリーとかタイムとかミントとか。イタリア語だとハーブって、最後に「E」がつくので、スペル通り読むのとエルベっていう言い方をするんですね。エルベっていうのは実はタイムとかミントとかそういうものばかりではなく、山とか野原に自生している食べられる草のことも含みます。日本のハーブとイタリアでいうエルベっていうのはまたちょっと意味合いが違ってきますね。

(スライド)
これは私の家の下に住んでいるおばあちゃん宅のあんずを取っているところです。そのあんずでジャムをつくって、日本に持って帰ってきます。

(スライド)
「リモンチェッロ」という非常に強いお酒があるんですけれど、それをつくろうと思ってレモンを買ってきました。つくり方を近所のおばさんに習っているところです。リモンチェッロ用のレモンは特別なレモンで、香りがよくて大きくて皮が厚くて、中はほとんど食べられないんですね。で、皮をいま剥いています。これをアルコールにつけて、1週間ぐらい放置して、そのあとこして、そこにシロップを入れて混ぜて1年くらい寝かして置くんです。
リモンチェッロっていうのは、本来どこのうちでもつくっていたものなんですよ。
すごくきれいな色なんです。本当にレモンの色だけ。そこに、シロップを入れるとちょっと白濁してくる。ミルクっぽいレモンの色になりますね。これを冷凍庫に入れて冷たくして、食後に飲みます。

(スライド)
紅茶。実はイタリアはあまり紅茶はおいしくないです。なぜなら水が合わないんですね。それで勢いよくみんなコーヒーを飲みます。イタリアはやっぱりコーヒーの国ですね。

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(スライド)
ときどき中国茶を飲んだり、ベトナムティーを飲んだり、日本のお番茶飲んだりします。親から受け継いだのか、1日何度でもお茶の時間をするのが楽しみなんです。こどもといたりお友だちといたりすると「お茶にしましょうか」って言葉が口をついて出てきてしまいます。

(スライド)
実は、イタリア人って朝ごはんはあんまり食べないんですよ。私は朝はしっかり食べたいタイプ。これはパンの上にオムレツとアスパラガスをのせています。

(スライド)
イタリアといえばトマト。トマトだけでも素晴らしく美しいと思って、買ってくるとわーっとお花のように盛りつけて、見た目も楽しんでます。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
いろいろな国に行かれてると思うんですけど、どうしてイタリアでお家を建てたいと思われたのですか?

有元さん:
東京での暮らしがとても忙しくなってしまって、静かに暮らせる場所が、ちょっとの間でいいから欲しいなって思って、前から探していたんですね。でも、それがイタリアだとは思わなかったんですけれど……。
友人とフランスのシャンパーニュ地方に旅行して、その足でイタリアに行ったことがあるんですね。で、そのときに「おいしいレストランがあるから行ってごらんなさい」と友人に言われて行ったのが、いま私が暮している街。自分で運転して行ったんですけれども、車から降りた瞬間に「ここに住もうかな」って思ったんですよね。
そのときから家を探し始めたんです。思ったらすぐ行動するのが私のやり方というか……。だから次にイタリアに行ったときは不動産屋さんに探してもらった物件を見に行くためでした。

お客さま:
毎日の暮らしの中で有元さん自身が気をつけてらっしゃることは何ですか。

有元さん:
やっぱり健康のことでしょうか。健康といっても薬やサプリメントを飲むとか、それも悪くはないと思いますけれども、何と言っても、からだの中にゴミを溜めないってことですかね。老廃物を溜めることがからだを、いちばん悪くするものだし、病気の元だし、老化のもとだし、頭の回転も悪くなるし……。頭すっきりしないといいアイデアが浮かばないし、行動力も鈍る。私がいちばん気をつけることは、からだの中に毒を溜めないこと。あと、頭の中にも溜めないように、だから精神的にと、肉体的に、いらないものを持たないようにしようと、そうするように心がけています。

お客さま:
外国で暮らすときに、周りの方と仲よくしたり、楽しく過ごすために、気をつけてたり、心がけていることはありますか。

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有元さん:
田舎で暮らすということは、まわりの方と仲よくするってことが第一条件なんですね。イタリアに家があるけれどもいないときはあけっ放しで留守番の人がいるわけでもない……。となると、やっぱり隣近所の方とのコミュニケーションが、本当に大事。多くの情報はその人たちからもらいますし、家を守ってくれているのも彼ら。
私がいるところは路地の突き当たりだから、まわりの人たちの目が非常に行き届くんです。例えば私が長く開けて冷蔵庫の中のものを腐らしちゃってる「冷蔵庫が大変なことになった」って言いますよね。それをね、路地のもう少しはずれに行くと「冷蔵庫がだめになったんだってね」っていきなり言われちゃったりするのね。それだけ、パーッと伝わっちゃうところなんですね。コミュニケーションが非常に大事で、それがなければほとんど生きていけないようなところです。そのコミュニケーションすることが、私自身もすごく楽しいし、ときどき一緒に家に呼んでご飯食べたりお茶飲んだりしつつ、お互いに情報を交換して、生活を楽しむ術を彼らから教わっていることがとても多いですね。そういう楽しみがイタリアの田舎生活には山ほどあって、もっともっと教えてもらいたいと思っています。

フェリシモ:
有元さんにとって、生活を素敵にデザインするために大切にされていることがあれば教えてください。

有元さん:
生きていれば誰でも生活するわけですので、すべての人がもうすでにプロだと思うんです。私がいちばん大事だなと思うこと、そしていま日本の人たちにちょっと欠けてるなということがひとつあります。それは「自分で考えて自分で決めること」「人のまねをできるだけしない」ってことです。
個性をつくるためにいちばん大事なのは何かって言うと、自分に正直になることなんですよ。それなくしては個性は出てこない。自分自身の中から出てくるもの「こうしたい」「ああしたい」「自分はこう思う」、そういうものを大事にしてほしいなと思います。

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Profile

有元 葉子(ありもと ようこ)さん<料理研究家>

有元 葉子(ありもと ようこ)さん
<料理研究家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
雑誌、テレビ、料理書などで活躍する料理研究家。和洋中のお惣菜はもちろん、野菜たっぷりのヘルシーな料理や手軽にできるデザートが得意で、特に若い女性には人気がある。著書に『シンプルがおいしい』『お気に入りの米料理』(文化出版局)など。

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