神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。
<第1部>
最初にひとつ、ご質問させていただきます。この中で先天的に感性を持っていたということをご存知の方、いらっしゃいますか? この前、養老孟司さんのお話でしたが、電子顕微鏡ができたおかげで人間は先天的に感性を持って生まれてくるっていうのが証明されたんですよ。私はどういうはずみか32歳のときに感性は先天的っていうことを知ってしまったんです。だから「感性を先天的に持っているのにどうしていろいろなこと習うの? 自分の感性を使えばいいじゃないか」と思っていたんです。だけど誰ひとり私の言うことを信じてくれる人がいなかったから、それは見ないことにしていました。「感性は先天的」ということが10年ほど前に発表されています。感性は先天的ということと、そして感性は、老いても衰えないということなんです。もちろん先天的であるからこそ、生まれたときから命が尽きるまで、感性は持ったままなんですよ。歳をとってくると耳が遠くなる、記憶力がとぼしくなる、動作がうまくいかない……、いっぱいある中で最後まで残っているのは感性。ということは、死ぬまで感性を使って生きないと損ということですよ。
もうひとつ。「知力」、「体力」という言葉は辞書にありますが「感力」という言葉はないんです。辞書にないということはおろそかにしているということじゃないんですか? それはどこが正せばいいんですか? 正すところがないんです。だから「そうじゃありませんよ」と私のようなお婆さんが申しあげるようなハメになってしまう。この間、文部省をちょっと試してみました。高知の学校の先生が「感力」という言葉を使った文章を出したそうです。そしたら「『感力』という私語を使ってもらったら困ります」と文部省から言われたんだそうです。「ようし、わかった。私もやってやれ」と思って……。感力という言葉を使って文部省に出したんです。しばらくしたら「私語を使ってもらっては困ります」という手紙が来ました。「やっぱりなー」と思っていたんです。ところが1ヵ月あまり経ってから、私のところへ文部省から「どうぞお使いください」という手紙が来たんです。「どうじゃー!」って言いたかった。「使ってくださっていい」って手紙をくださったのは、文部省の寺脇 研さんだと思います。その人が広島県の教育長をされていたとき「広島県の県下の最優秀校1校と、その対局の学校をひとつ選んで、さをり織りをテストしてみよう」と言ってくださいました。最優秀校は校舎もきれい、ピカピカ光った廊下、向こうから生徒がやって来るとお辞儀していく、言うことなしにちゃんとできている学校でした。そして作品は、若いんだからもうちょっと暴れてもいいのに、非の打ちどころがないようにできてるね、という出来栄えでした。
今度はその対極の学校へ行きました。こちらは、5人の若い先生が校門で構えています。ひとりでは怖いんだそうです。そういう学校なの。水道の元栓はいつも締められています。なぜかと言うと水浸しにされたら困るから。それから教員室の出入りはキーがないと出入りできないようになっています。そこに行ったんです。教室に入ると、ひとりの学生が私の前までやって来てじっと私とにらめっこ。睨んでスススッと向こうむいて行くんです。向こうにしばらく行ってから立ち止まってるんです。また2、3分立ち止まってスーッときびすを返してきたんです。私は、荷物を持ってくれている助手に「何言われてもNOだけは言いなさんなや」と、一言だけ言うてました。案の定その学生が「にーちゃん、ベスト僕に貸してくれや!」ときた。その助手が着ていたベストをさっと脱いで貸しました。「わーよう似合う」「ちょっと貸してくれよ」と、そのベストがあっちこっちに飛びます。「先生、これくれや!」ときた。多分言うだろうと思ってたんです。そしたら黒板にそこの生徒たちの作品が、ずらーっと並んでいました。「君! 30本ほどある作品の中であんたの好きなんひとつあげるから。それだけは私もろて帰るよ」って言いました。生徒は、ずーっと行ってまた帰ってずーっと行って「先生、これ欲しい!」と言った。「あんた、えらいこと言うてくれるね。私いちばんええと思ってたん、これやったんや。これはやるの困るなー」と言いました。で、「えー。もうしょうがない。いま着てるベストあげる!」って言って助手が着ていたベストをあげたんです。そういうことがあったこの学校は、どこから見てもすばらしいものばかり織れていました。一言も文句言う必要がないくらい、みんなイキイキしたものが織れてる。最初の優秀校とまったく逆です。
そのときの学校の先生が「見てください。あんなにいそいそと喜んでたて糸通しやってますよ」、「いままで知らん顔してたのに、朝廊下で行き違ったら「おはよう!」って言うようになりました。えらい変わりました」って言うんです。
実は、ここの学校へは、さをりの機を持って行ったら潰されたり、どっかへ持って行かれるかもわからんと思ってハラハラしてました。ところがどうですか「あんなに喜んでたて糸通しています」って言って先生がびっくりされたんです。さっき言いました「感性は先天的に持ってる、そして死ぬまで衰えない」、そして「『感力』」は辞書にない」、その理由が全部そこに表現されていました。
なぜ私がそんなことに興味を持つようになったかという理由は、昔、生け花の先生をやっていました。私が、そのへんのいい花「これいいわー」と持ってきて生けようとしたがどうしても生けられない。なぜかと言うと生け花には流派があって、どんな花でも同じ形にしてませんでしたか? でも、大自然というのは素晴らしいもの。その素晴らしいところを生かすのが生け花じゃないですか。なのに、ひとつの形にこしらえていくことばかりやってた。そんなのいいはずないです。そういうことがみんな何もわかってなかったんです。「こうしなさい」、「1と3の枝、4と5の枝をこうして……」と。ですからどんな花でも同じ形。「これはおかしい」と思い始めたんです。
あるとき、堺の三国丘高校から「あなたおもしろい花やってるそうやないか。一度うちの学校に来てくれないか?」と言われました。そのとき「絶対教えないぞ」という決心をしていました。「自分の好きにやる。そうして、美しいというものを見つけ出すんだ。これが教育だ」と、教えないで引き出すということをやろうとしました。
まず、持っていった花を広げて「この中でいちばん好きな枝、いちばんおもしろい枝、いちばん美しい枝を1本探してごらん」と言いました。みんな、これと思うものを手に持ちました。「どこから見たらいちばん美しい? どう傾けたときがいちばん美しい? その美しいところをちゃんと決めなさい。そしてどこに何を持ってきたらこの花がひとつにまとまった美しいものになるかを探しなさい」と言ったら、まったく教えていないのに、全員できたんです。全部自分の中から出てきたんです。そのときに「ああ! 感性は先天的だ」と知りました。「やっぱり私の思っているとおり、感性は誰もが先天的に持っている! なのにどうして何でもかんでも教えてもらうの? 大きな間違いがここから始まった」と思ったんです。ものすごくみんな上手くなりました。
で、その中のひとりが、3、4年前私のところにやって来て「先生に生け花をたった3ヵ月習っただけ。それなのにどうして他の人とは違うおもしろい考え方をされると言われるの?」と尋ねてきました。「私そんなん知らん」って言ってね……。その人も私のように根本的に何かをつかんだんです。それは何にでも適応できる融通性のあることだったんです。それから、あっちからもこっちからも「来てくれ」と言われるようになり、私はとうとう病気になってしまいました。それで、生け花を泣きながらやめました。
そして17年の間に、3人の息子たちもそれぞれ独立。親の責任は終え、それから趣味のつもりで始めた手織りの中に同じものを見つけ出しました。でも、ここでも「みみきれいにしなさい」、「柄が違ってるやないか」……、そんなことばかりやってる。「これはいかんぞ」と思って、また自分の考え方でやったんです。何を考えたか……、自分の感性を自分で見つけ出す仕事です。私は、ある日、帯を織っていました。隣の奥さんが「まるで買いはったようなきれいな帯ができましたなー」と言いました。「買うたみたい? いちばん嫌いなこと聞いたー」と思いました。で、「ようし、絶対手でないとできないものにしてやれ!」と思ったんです。次また別の人がやって来ました。その方は商売人でした。「これはあかん」「あ、そう」「ここ1本縦糸抜けてるがな。こんなん2足3文や」「あ、そう。わかったよ。よし」。私は「もっと傷をつくってやれ」と思い、バラバラっと傷をつくりました。1センチ間隔に織った絽の帯です。私は私の感覚、感性でバラバラっと傷をつけた。それを心斎橋の帯専門店に持って行きました。
「城さん、これおもしろい。こんな帯どこにもない、すごい。この帯欲しい人言ったら30万円言うたって40万円言うたって買いますよ」と言われました。いまから30年前です。「ようしやった! そこまでの価値のあるもんになったぞ!」と思いました。
「西陣にもない」ってこう言うんです。当たり前ですよ。西陣にそんな傷の入った帯があるわけがない。そこでじーっと考えた。私はこのためにどれだけの能力と知識を出したか……。まったく好きにやっただけ。私のようなおしゃれの嫌いな人間がつくった帯なの。私だけじゃなく、これぐらいのことは誰にだってできると思ったんです。みんな30万、40万円の帯が織れるじゃないか。そう思ったら、黙ってられないと思ったんです。みんなできる……。そのうちに「マフラーあげても、何あげても、いただくくのもいいけど織る方がもっと楽しいでしょ」って言い始めた。「そうよ。楽しいよ。ならやってよ」って。で、機を10台つくって、欲しいという人に渡しました。
「間違えた傷に、傷だって気づかないで……。そういう感覚で好きなことをぶちまけたら、こんなおもしろいものになる」、それがわかった人たちは全員おもしろいものができたんですよ。「教えないということはこれほど大事なことか」と思いました。そしたら梅原 猛先生が「城さんのやってることはものすごく大事なことだよ。しっかりやってくださいよ」って。「私は傷をつくっただけやのに……(笑)。苦労も何もしてない。そんな言われるほどのことではないわ」と、自分ではそう思っていました。そしたら福岡県の大学の教授が、「城さん。あんた何でもない顔してるけどな、あんたのやってることは大変なことなんやでしっかりやってくれよ」って。「おかしいな。何でもないことやってるのに。褒められるほどのことでなはないと思うのに……」。今度は、京都大学で哲学をされていた森 信三先生が「城さん、これは歴史に残ることやぞ」とおっしっゃいます。「そんなものとてもとても……」と言うと、先生が「自分のこと全くわかってないな」って。「はー。これは私が知らんということか」とやっと気がついたんです。
このように、私が教えるのはどなたの中でもそういうのがあるかもしれない。あるはずなんです。だけど自分のものは自分で見えなくなってる。これが私すごく大きな問題です。そんなに自分のものをすぐに「こりゃあいい!」とわかるように、神さまはそういう甘いことしてくださらない。自分のものは自分でわからないから、うぬぼれることを防いでくださってるのではなかろうかと思うんです。
そういうことで、自分のことはわからない。だけど私のように、あの先生、この先生、その先生、すごい先生に言われてやっと「待てよ。本当かな?」という気になった。だけど、みんなの中にもそれに似たことがあるはずなんですよ。でも、みんな自分なんかにできるものかと思うの。私は思ってた。「私なんかにそんな大それたことができるはずない」と……。梅原先生に「あんたのやってることは大変なことや。しっかりしっかりがんばれよ」と言われたってちっとも自分ごとと思わなかったんです。そういうことはそこらじゅうにあるんじゃなかろうか、自分のことは見えないという非常に危険なことがあるんじゃなかろうか、だったらもったいない。もうひとつ突っ込んで「どうしてなの?」っていうところまでいかないと、知らないままで死んでいってしまうんじゃないか。
帯が「30万でも40万売れますよ」と言われた。まだその次があるんですよ。いまから30年前。みんなの織ったマフラーを何本か持って、心斎橋の骨董品屋に行ったんです。いちばんむずかしい、うるさいと思う骨董品屋です。「こりゃおもしろい。売らしてもらいましょ」と、4万円くれたんです。びっくりしました。そんなに価値あるの? 知らなかったんです。そして、お店から「もっとたくさん織ってくれ」という注文が来ました。ちょっと待てよ、私は金もうけでやってるん違うねん。本当にみんな埋れた物に気づかないでいるならば、そこに気づかせてあげたいといことでやっていた。だから、注文は断りました。それからどんどん、好きに好きに、というのがおもしろい形で表れてきたんです。やっとみんな目茶苦茶やったほうがおもしろいってことになりました。
それから、習いに来る人が増えたんです。そうして、「あの人このごろお顔見んな~」「先生あの人妊娠しました」。「あの人お顔見んな~」「先生妊娠しました」。そう言って次々不妊の生徒さんが妊娠していくんです。何でかわからん。18人まで数えて止めました。いまでも、すごい年齢の人でも「やっ、先生妊娠しました」って言うんです。それをなぜか知らないままで私は通り過ぎました。それから、今度は精神障がいといわれる人が、ものすごく変わっていくのを見たんです。「どうしてこんなに変わっていくの? どうして明るくなっていくの?」、残念ながら医者の知識のない私には下手なことは言えません。精神科のお医者さんが25年間一所懸命研究したけど、精神障がいの人に効く薬がないということがわかりました。大きな新聞に載ってましたよね。だけど、私たちは、効く効かないなんて何も考えていないのに、その人がものすごく変わっていき、楽しんでいた。こんな話があるんです。息子さんが自殺されて、もうフラフラになるまで落ち込んでいた母親が、さをり織りをやって治ったんです。これは精神病だけでない、薬で効かないのは当然と私は思っています。心は心でもって治さないといけないと私は思っています。だけどさをり織りをやってたら精神病が治るなんて、医者でないから言えません。
でも、最重度の身体障がい者、丸太をベッドの上に転がしてあるのと同じ状態で寝返りすら打てない、1本の指で文字盤を押すだけの力しかない人が治ったんです。その人がどんどん変化してきたんです。薬でもなんでもない。作品を見に来たその青年に「君も織りたい?」と聞いたら、全くモノの言えない子ですが、やりたいということを文字盤に押したんです。で、うちの三男が指1本で織れる機をつくってくれ、それで自分でつくり始めたんです。ぐんぐん、ものすごく成長したんです。その青年は個展をするまでになりました。
その青年がごはんを食べるとき、母親はいつも左手にはタオル、右手でスプーンを持って青年の口へ食べ物を運びます。なぜなら、何かのはずみでタイミングが合わなかったらバーっと吐き出すんです。それを恐れて母親はいつもタオルを持ってバッ!と口を塞ぐんです。そう言いうことをいつもやってました。私は横から見てて「待てよ、これは飲む、吸う、噛む、ということを自分の意思でやったらこういうことにはならんはずや」と思い「今度私と会うときまでに自分で食べるようになっておいで」と約束したんです。約束してしばらくしたら「先生、かっこ悪いけど僕ひとりで食べるようになった」と……。それからしばらくして10センチ背が伸びて体重が10キロ増えたというんです。そんなことがあるはずがないと医者は納得しませんでした。でも実際に着ていたシャツが小さくなっているのを見せて、やっと納得。医者も疑うほどに成長したんです。「自分で食べるようになりよ」って言っただけなんです。それからNHKの放送を聴いて英語を勉強し、読んだり、しゃべったりするようにまでなりました。それから手紙が来ました。さをり織りの個展のお知らせでした。「僕がここまでこの世の中で小さいけれど片足残せるという、想像もつかないことができました」と。親も子も喜びました。そういうことが我々にはできるんです。だけど私には簡単に治せますよって言える資格がない。
そしてこれは私が息子に1本やられたんですけど「ひとりでフォークで食べろなんて、親やったらよう言わんセリフやぞ。まして3歳から食べさせてきてる我が子に30いくつになっててもひとりで食べろとは言えないはずだった。おふくろは第3者やからそれが言えたんだよ」と言われました。その通り、私は第3者やから、その子に対するかわいさがないから「あんたひとりで食べろ」と言えた。おわかりですよね。自分の関係者に障がい者がいないということは、そういう意味で見えるものが見えてくるというのがあるかもしれないんです。そういう救い方もあるんですよ。
これも同時に私は申しあげたい。ところで大事なんのは、自分ですね。「どうなってもええのよ。あんたの好きにやりなさい」と言っても「先生、好きに言うたかてどないしてええかわからんわ。柄がうまいこといきません」。そういう人が多いんですよね。芭蕉の句に「山路来て なにやらゆかし すみれ草」っていうのがあるでしょ。“なにやらゆかし”という7文字がおもしろいの。それほどに日本人はデリケートな神経を持ってるんです。だから「あなた、織りをする中でどこかに“なにやらゆかし”をちょんと放り込みなさいよ」と言ったらみんなできるんです。想像つくでしょ? マフラー1本の中に“なにやらゆかし”の部分をポンと放り込むの。そしたら「お!」っと見直すやないですか。そういうものを自分の中から見つけたときにどんなにうれしいか、うれしいということを初めて体験することができるんですよ。こんな経験おありでしょうか? 人から教わったものはどんなにできてもうれしくない、自分で見つけたものは最高にうれしい。自分で見つけたもの、そこへぶつけたときに、おもしろいとその喜びが人をズーっと引きずっていくんですよ。うちの近くに、さをりやってからまだそれほどもならない人もいます。その人は「先生、自分でやったのがこんなに楽しいの。自分の知恵を見つけるっていうことは、こんなに楽しいの」と言います。だからさをり織りは楽しいんですよ。止められないんです。こどもでもそうですよね。積み木をやってて自分で一所懸命「あー。のった、のった。あー。ひっくり返った」、ね。自分でやって自分を見つけたときはどんなにうれしいかですよ。そのうれしさとが次々と人を導いていくんですよ。「情は知をも意をも支配する」っていう言葉があるやないですか。知も意も情があって支配されて動いていく。その逆はありえないんです。これを知らなかったら大損しますよ。知は情を左右できない。情は知を左右できます。使い方を間違えたら大きな損でそこにお気付きの方はどれだけいるのかな。だからマフラーの中にどこかに“なにやらゆかし”を放り込んでごらん。「あーできた!」。このできたという喜びが次に誘うんです。いくらでも成長していく。
習ったものをそのままやってもちっともうれしくない。字を書くのでも、何をするのでもそうですよ。人から教わったものはひとつもうれしくない。自分の中から出てきたものはものすごくうれしい。一度探してみてください。そうしたらグッグッとやりたいっていう気持ちがおきてきます。そうすると自分がどんどん見えてきます。
先天的感性は持って生まれてくるとすれば、先天的というのは、つまり天からもらったもの。天からもらったものは素晴らしいと思いますよ。その素晴らしい天からもらったものをどう見るか。その人の好きに無心で織ったもの。いわゆる天からもらったそのままがその人の無心を通してできたもの。それをして、これはいいもんだと思っています。だからそれを基準にしてこれはすごい! ということを考えているんです。それはすなわち先天的なもの、天のものを素晴らしいとみる考え方から来てるんですけど、いつ見ても好き、何回見ても楽しいの。それはよいのに決まってますよね。そういう考え方で「これはいい!」ということ。そういう感じ取り方をしながら、多くの人のものを見せていただいて日夜勉強しています。
(作品を手にとって)ここにあるのもそうですよね。いつ見ても迫力を持ってるもの、気持ちのいいもの、うれしいもの。そういうものができるのをいいなーと思うようにしています。この右端のものも、かなりの年齢の人のものでしょう、その人の気分が出てますね。向こうの赤いのは、すごい迫力で強烈です。そういうものがこの人の中にあるんですよ。それを自分で表現してみたらいい。絶対変なものにはならないはずです。「いつみても楽しいな、うれしいな」「何か惹かれるな、気分がいいな」というものを眺めると自分もそういうものに近づいて行くことができます。
これはね、70歳の娘さんがお母さんとの思い出に何かつくりたいなと思って「お母さんも織ってみない?」と言ったら、お母さん、喜んで織ったんです。母親からすれば自己表現です。これはおもしろいと、楽しんで楽しんで織ってたら、気がついたら朝の4時やったってね。「旅行したとき、気持ちよかったね」と旅先の思い出を織ってたんです。いつの間にか時間が経ってたことに気がつかない。
これは、ホテルでの東京の障がい者の会合に着て行ったものです。そしたら係の人が私のパンツを黙って引っ張ったんです。で、私、ついて行ったんですよ。「どこへ連れて行くんかなー」と思ったら、黙って私を引っ張って行くのね。そしたら当時、妃殿下だった皇后さまのそばでした。で、私のことを「障がい者のことを一所懸命やっている人なんだ。これは障がい者の人が織った作品なんです」って説明してくださったんです。妃殿下は「さわらせていただいていいですか?」とおっしゃられて……。「どうぞ」って言うと、さわって「あたたかいですね」とおっしゃったんです。温度じゃない、あたたかいとおっしゃった。そして、私は、ずっとこれを着ています。
そして2年ほど経って、今度は第10回障がい者年で、全国から10人の功労者を選んで天皇皇后両陛下の前で賞をいただくことになったんですよ。そのときに私は同じものを着て行ったんです。それがこの服なんです。コンゴコロニーの作品ですよ。
そのころの話をしますね。コンゴコロニーは1980年に神戸ポートピアで出展しました。我々「さをりチーム」を発表しました。その後河内にコンゴコロニーの所長がいらして「私たちのところは一所懸命やっているんですけど、何ひとつ作品は生まれません。糸は大阪府から買ってもらうから不自由はないけれど全く売れない。悲しいんです」とおっしゃいました。で、私は「一度行きます」って行ったの。そしたら汚い箱の中にさをり織りがありました。
「ちょっと見せて。これ、凄いやないの!」
「この子が初めて織りました」
「これは?」
「この子が初めて織りました」
最初に織ったものが全部すごかったの。
「先生、こんなんがすごいんですか?」って。きれいに織れたのがいいと思ってるから「明日から黙って見ててください」って言いました。「『ほら、いがんだ!』『ほら、間違えた!』などと言わず『やり直しは一切させないでください』」って言って帰ってきたの。そしてその年、今度はいままで1点も売れなかったのが全部売れたんですよ。「すごーい!」ってみんなびっくりした。そして、彼らに好きにさせたら、いかに素晴らしいかということが初めてわかったんです。教えたのが全部ダメだった。そして「絶対NOは言わないで!」ときびしく言ってあった。そしたら先生はすることがなくなり、黙って見てるよりしょうがない。障がい者たちは、みんな楽しそうに織っている。それを見て、先生も織りたくなった。でも、今度は先生が手が動かない、どうしていいかわからないの。これで先生方に「黙ってろ」ということは、なお強く届いたと思います。そしてその成果を充分知った。いかに好きにさせたら素晴らしいものになるか、いかにごちゃごちゃ言ったらダメなものになるかはっきりわかったんです。
コンゴコロニーの所長さんから「東京から障がい者問題の専門家が来るからその人に城さん、充分言うて聞かせてくれ。うちでこんな状態やということをしゃべってくれ」とおっしゃった。私は、黒い大きな公用車に乗せてもらい、往復一所懸命語りました。けれども、「この人わかった顔してない」と思った。しばらくしたら「城さん、厚生省にはあんたの言うことまともに思ってる人、ひとりもいない」という手紙が来ました。なぜなら、この人たちは知恵が遅れていて、助けてあげないと何もできない人やという考えを絶対変えないんです。それほどに官庁は頭が固い。大きな間違いですよ。なぜかというと先天的にもらったものがあって、それから後、そのつまらない人間の知恵で我々は崩されていった。でも、彼らは汚染されずにすんだんです。我々の方が汚染されてダメになっていったんです。それをちっとも厚生省はわかってない。いくら言ってもダメなの。私もうガックリしたんです。だからどんなにか苦しんだかもしれない。それで「ようし、もっと一所懸命やってやれ」って、だんだん私も激しくなったんですけれど……。
しかし先に戻ります。皇后さまが行幸啓の際に、必ず障がい者のところにお寄りになります。お寄りになって機を織ってるこどもとお話になります。それをカメラが追っていきます。カメラに機が映ります。見ている人々の目についたんですね。どこにもすすめて歩いていないのに、さをり織りは障がい者のものというイメージで受け取られてます。それはそれで有りがたいです。というのは彼らの方が素晴らしい作品を織るからです。だけど何が素晴らしいのか、一般の人はまだわかってないんです。機械の通り、きれいに整然とやってるのがいいと思っている。そんなバカな話はないんです。先天的に持ってるんです。先天的に持っていることをご存じない方がいらっしゃるのは、実に問題ですね。
だから私は皇后さまはものすごくよくお考えになったと思います。というのは皇后さまのご学友がロンドンにいらっしゃるのですが、イギリスにイギリス人も一度も上がったことのないすごいホールがあって、そこで、日本から行った障がい者たちがファッションショーをせてもらったんです。そして「さをり織り」というのはこういうもんですと大きな立て札を立ててくださった。皇后さまはそれを聞いて「あなたもたまにはいいことなさいますのね」って手紙を出されたそうです。それで、そのご学友が日本に帰国されたとき、歓迎されるみなさまが集まる場所に、さをり織りの洋服を5~6点陳列しておいたんです。もし気に入っていただけたら、お世話になったお礼に差しあげようと思ったんです。そしたら、見ず知らずのおばちゃんがティッシュに1万円札1枚包んで私の手に無理やり押し込んで、その中でいちばん気に入った洋服をひとつ取られたんです。1万円、私の手に無理に押し込んでこれで辛抱しろという意味でしょ。あんまり厚かましいから、私、「おー、東京のど真ん中に追剥ぎがいるなんて知らなんだー」と、みんなに聞こえるように大きな声で言うたんです。そしたらその人も負けてない。「何言うてはんのや。ここにいる人みんな追剥ぎですよ」と上手いこと言いましたよ。その人喜んで持って帰りましたよ。いまでもきっと喜んで着てると思いますよ。それほどにおもしろい作品ができてるんですよ。それは全部過去にある服じゃなくて人間の頭の中から考え出した新しい服ばっかりですよ。ここの大きさ。ここの大事さ。それを私は大事にしてほしい。機械の真似をして喜んでたらダメなんです。自分というものに出会うこと、それが生き方なんです。
<第2部>
お客さま:
中学校の障がい児学級の担任を始めて7~8年目になります。いまふれあっているのが小学1年生の男の子で、すごく元気があってもういきなり6mのさをりをバンバン織っています。大人の生徒さんがされているのを見て「僕も今度は広いの織るんだ」って言って織ったのが、飾らせていただいた作品です。原毛なんかバーンと入れるのが好きで、今度は長いし広いから「今度は洋服ができるかもしれないから、原毛入れるの止めよね」って言って私が勝手にしたら自分で工夫して毛糸を束ねて太くするから「やっぱり、原毛を入れてはいけない」って私が勝手に決めてはいけないんやなって思いました。今度は6mの10倍のを織るんだよって言うんですが、できるでしょうか?
城さん:
大事なことはね、「NO」は絶対言わないこと。そう決めとくの。決めといて、そのために自分はどういう方向から手伝おうかと……。「こういうふうに無地をつくりなさい」と言わないで、自分が無地と繋ぎ合わせて「ええ服になったなー」とすればいい。そのところを手伝うの。一度にどれもこれもって大人みたいなこと言わない!! とにかく「すごいな、先生これ好きや、先生この白いの寄せて服にするわ」とこう言うのよ。本人の手柄にしてやるようにもっていく「これダメ」っていうのは絶対言わない。
なぜかというと、人が違うから。あなたとその人は違うんだから、自分で言うたら間違い。「こうしなさい」っていうのは間違いっていうことを思っとかなあかん。その中でじわりーっとリードしていく。「ダメ」とは絶対言ったらあかん。そしたらプシュンとなる。プシュンとさしたらいけないの。
お客さま:
感性に従って表現していったりとか、生きて行くことが大事だとおっしゃられていました。でも実際、感性に従って生きていくってむずかしいのではないでしょうか。こういうふうに表現したいんだけど、人の目が気になってできない人って多いんですよね。どういうふうにしたらそれを超えていけるでしょうか。
城さん:
どういうふうに表現したらいいか、ということだったら、自分の得意とするところに進んで欲しいな。普通の人とどこが違うかっていうところ、自分の特異性をつかむことが大事ね。例えばこの間さっきのコンゴコロニーの話ですけど、こどもたちが好きに織ったのは全部売れた、先生がやらせたのは全く売れなかった。こんなにはっきりしたことがあれば、何がよいかっていうことがはっきりわかります。それに類した考え方で解釈できないかな。そういうことを手段に考えて、果たしてこれは真っすぐ行って大丈夫なものか、方向変えた方がいいのか自分で判断できると思うんです。
お客さま:
「先天的な感性」とおっしゃいましたが、人それぞれ持ってるものは違うと思います。感性に善し悪しがあるかわかりませんが、先天的な感性の違いっていうのを判断するのはどのようにできるものでしょうか?
城さん:
判断するは自分の判断でしょ。それは知らん顔して素通りするか、ハッと振り向いてもう一度見直すか、そこに見る方の違いがあるんじゃないですか。もう一度見直す。すれ違ったかて全く気にしないか、相手によるやないですか。その相手がもう一度見直してジーっと考えるようであったら「よかった。あの人に褒められた」と安心すればいいじゃないですか。ひとりひとりみんな違うんやから。言いようがないね。顔が違うように全部違うんです。ただし、自分というものをしっかりつかむことは大事。それはやっぱり相対する人がどういう目で見てくれるかということがかなり大きくなると思うんですよ。だから人というものの大切さを見た上で、相手に対するアドバイスなり、なんなりはせなね。それを自分がどう受けようとそれは好きにすればいいこと。だけど少なくともひとりひとりの中から出たものは、エネルギー。
フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。私たちが感性を生かすにはどうしたらいいかというお話をしていただきました。そこで私たちの身近な大切な人や家族の感性を引き出してあげる人になるには、どのようにしたらよいでしょうか?
城さん:
そうですね。引き出すには、やっぱり何かを見て「いいなあ」と言ったとき、「あんなんがいいの?」と言うか「そうだね!」って言うか、それによって引き出し方が違ってきます。「あんなの、どこがいいの?」という人だったら、ちょっと時間かかるなあと思っていればいいんじゃないですか。そこでちょっとくらい反応してくるようだったら、反応に応えて「しかし、こんなのどこにもないよ。おそらく誰にもマネできないよ」と言うより「ひとつしかないよ、世の中に」という答えを返すか……。どこにでもあるようなものだったら、ちっともうれしくないわね。それが基礎ですよね。
岡本 太郎さんの姪御さんにあたる岡本 敏子さんが、たくさん「あんたは誰にもできないことをおやりになりましたわね」と言ってくれたんです。私、長いこと、その意味がわかりませんでした。ある人が「先生、誰もができないと思っていたことをできるようにされたんですね」と言ってくれました。「あー、そっか。そういう考え方があるな」と思ったんですよ。
