神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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<第1部>

フェリシモ:
西本さん、こうやって見ますとお客さまと西本さんが正面を向かっている姿というのが珍しく思います。西本さんにとってお客さまとこうやって向かい合うというのはどういった感じでしょうか。

西本 智実さん:
そうですね。前はだいたいオーケストラのみなさんがこう、いらっしゃいますので……。棒を振ってるのとは、また違っていつもより緊張気味です。
本日は、たくさんの方とこの場で一緒の時間を過ごせるということ、ありがとうございます。今日はみなさんからたくさんの質問をいただきまして……。みなさんの質問が非常におもしろくて……(笑)。できるだけその時間にお答えしたいと思います。

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「どうして指揮者に?」
それは、本物の芸術に出合った3、4歳に決まっていた!

日本でも、ロシアでもどこの国に行ってもそうですけれども、「どうして指揮者になったんですか」という質問が最初にあって、もう100回くらい答えたから、本当にあれなんですけれども……。私が選んだ道がたまたま“指揮者”という職業であって、別に違う職業でもよかったわけです。
ただ、自分で選択していく中で、こどものときに音楽という素晴らしいものに出会えたんです。それは、もう理屈抜きです。知識がなくても「これはすごいな!」って思うことありますよね。例えば料理もそうですよね。あれこれ説明されても、まずいものはまずいですもん、はっきり言って、ね! パーッと作ってくれたものでも、おいしいものはおいしいです。これは万国共通です。
そういう中で、私はこどものときに本物の芸術(=音楽)に触れる機会がありました。で、こどもなりに「いままで何を聴いていたんだろう」と思ったわけです。それは3つ、4つのころですけども、いまから考えると3つ4つでもわかることはわかるんだと思います。この先も、私が指揮者を続ける以上はその3つ、4つの自分との対話です。その3つ、4つの自分が見たもの、聴いたものが、自分がハイテンションで「よかったんだ」じゃなくて、「本当に素晴らしい奇跡みたいなそういうものがあるんだ」と、そういうことを自分で確認したいあまり音楽家になりました。
今日の演題は「可能性を広げたい」可能性はあるけども、ひとりではできないことも、もちろんたくさんありますよね。そういう中、オーケストラ団員、お客さん、主催者、たくさんのいろいろな思いとかエネルギーが、フッと合わさったときに、そういう「可能性が広がった」瞬間というのがあると思います。
指揮者というのは、ある意味管理職みたいなもの。だから、指揮者が「これが欲しい」と言えば人は動いてくれます。だけど、物の動かし方によって、さまざまな可能性があって、音楽、音というデリケートな物に関しては、同じ「この音を短く」と言っても、人によって全然ニュアンスが変わってくるわけです。そういうことの繰り返しによって、ひとつの作品が出来、またそれに反応してくれる人たちがいて、初めて、自分自身の予想を超えるような(感じです)。
理想は自分で最初に作っていくんです。自分との戦いがいつも指揮台の上にあります。だから、音楽、音楽家たちとのそういう部分での努力は、惜しみません。

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さっき紹介していただいた、29歳でデビューっていうのは、実は28歳でした、あのころ(笑)。若いですね、非常に。いま私34歳ですけれども、結構若い部類に入ると思います。デビューと言われる前からも、いろいろ活動していたのですが……。いわゆるデビューの前はアシスタントをやってました。アシスタントっていうのはテレビ業界でいうとADさんみたいな感じですね。
いちばん最初に現場に入ったきっかけというのは、オペラの新作物、初演物を関西の関西歌劇団というオペラ団体が、作曲家に依頼して、団のために書いてほしい…… というもの。もちろん期間も決まってる、守らないともうこれはダメなわけです。だけどギリギリでね。だって自分自身のすべてをこれで表現するわけですから、しかも、多くの方に「これが私です!」と言うわけですから、直前で悩んで、みんなちょっと青い顔しながら、もう気がグーッとなっていくわけです。で、やっぱり、間に合わないわけです。間に合わないから、どんどんいろいろなことが遅れていきまして……。いまでこそコンピュータで便利にできますが、私が初めてその仕事をした19歳のときは、全部手書きだったんです。
で、その手書きの作業ってのは当然人が手で書きますから、で、慌てますでしょ、そうするとミスをすることもあるんですよね。で、そのミスをまたもう一度戻ってミスはないかって確かめる作業の時間を入れると、結構な時間がかかるわけです。そういう写符屋さんっていうのを商売にしてるところもあったくらいなんですが、そこが断ったわけです。間に合わない、ありえないから……。で、「3日間でこれをオーケストラでやれるような状況にしろ」と……。「しろ」と言われてもね。「間に合わない、どうしよ、どうしよ」と言ってたときに、書き慣れた作曲科の学生にヘルプがくるわけですよ。「3日で3万円でやってくれ」というような紙が貼ってあったんです。
私は大学3年までに自分が音楽をやっていっていい人間なのかどうかを見極めようと思っていました。「好きだから」とか、「夢だから」といってやれるような世界ではないというのはわかっていたので、ダラダラとやりたくなかったんです。やるんだったら世界のこの部分(上を指して)を目指してやるしかなかったんですよ。

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それで、現場に入らないとこの仕事は絶対にできないと思っていました。現場の作業は、人がいろいろなシチュエーションでいろいろな臨機応変に対応していく……。で、それをできるだけ早い時期にやっておきたかったんですね。でも、自分で目標を決めたもののなかなか現場にやらしてくれっていうのができなくて……。私って「やらしてくれ」っていうタイプじゃないんですよ。ま、運があれば来るんじゃないかと半分思いながらいたんですね。そしたら、そういう「3万円で……」という(ヘルプの)話があったわけですよ。そのときに演出をやってた人が知ってる人で、その人、もうげっそり痩せてね、「助けてくれー」って言うてるわけ。「ちょっと3日ではキツイなぁ」と思ったんですけど、「まぁ、じゃあ、やってみましょう」ということで、作曲家と作曲家のアシスタントの人、それとオペラ団側のアシスタントとして私の3人でやりました。徹夜だったんです。最後の方は学校も休んで、もうフラフラになりながら……。(略)
とにかくそれは間に合って、「また、何かあったら頼むよ」と言われながら、3万円をもらいました。
そうすると、またちょっと経ったときに、今度は「字幕のキュー出しがいない。助けてくれ」って3日前くらいに言われたんです。私としては、自分が行きたい方向により近くなってるんで、「じゃあ、やります!」と……。「稽古に来てください」。で、「楽譜渡します」、「やった! 楽譜もらえた」という感じでした。
オペラの楽譜って高いんですよ。安いのもあるんですけど、指揮者用とかすごく高くて、そのときはピアノ用なんですけどね。楽譜って何千円とか1万円超えるし、いま私たちがやる楽譜とかってのは、高いのは38万円とかね。でも、手に入らない楽譜もありますから、それがどうしても欲しい人は買うんでしょうけど、私は買えないから、それだったら劇場で働くのがいいなということで、劇場で働くんです。
その楽譜を「これコピー譜だけど、ここがキューの場所だから遅れないでね、1秒も!」みたいな感じなんですね。で、暗ーい調光室みたいなとこに入って、指揮者のモニター見ながらそのタイミングに合わせて楽譜とGO出していくわけです。そしたら字幕が変わったり、照明が変わったり……。あれはね、後ろで作業してるんですよ(笑)。そのタイミングが楽しくなってきたんです。
モニター室までが、指揮者の振ってるのを合図に動いてるんだ! というのがわかって、そうしたら、後ろまで見えてる指揮者と、もうここしか(狭い巾を示して)見えてない指揮者の差が歴然と見えてくるわけです。「大変な仕事なんだ」と思ったときに、これはやっぱりもっと裏方をたくさん(経験)しようと思って……。そしたら、「急に言ってもやってくれる便利な子がいる」という情報が流れたらしく、結構殺到したわけですよ、キュー出しが(笑)。まぁ、キュー出しは逆に言えばいつでも直前でもできる作業ですから、今度は、音楽助手とかそういうところも経験しました。

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そのころある人に、「副指揮をやってほしい」と言われて……。うれしかったんですけど、まだもうちょっと(裏方の仕事を)見たいなーと思ったわけです。わーっと(腕を広げてご自身の周りを指して)地図をこう見てみたかった。
入ったとき、私、20歳くらいで、いちばん年下ですよね。だから、すっごい便利使いですよ。で、聞いたんですよ「音楽助手という仕事は、何をしたらいいんでしょうか?」って。そしたら、「自分が指揮者だったらこんなアシスタントが欲しいと思うことやれ、それでいい」って言ってくれた人がいたんですね。舞台監督をされていたすごくいい人でした。
で、あとはね、そう、先輩副指揮者とかは、もうとにかく便利使いしようとするわけ。「これはしんどいな」と思ってたんだけども、そうか、私が指揮者だったらこういうアシスタントは理想だなぁと思うことは絶対してやろうと……。で、たまに指揮者とか、副指揮者とか、ピアニストとかが遅れてくるんですよ。ピアノがいないから練習始まらなくて、で、「弾け」って言われるんです。そんな急に言われても結構むずかしいですよね、オペラね。だけど、あの、弾いたんです。でも、「できます!(挙手)」ということは1回もやらなかった。
そういうシチュエーションで、「どう?」って言われたときに、「あ、じゃあ、やってみます」、で、うまくいく。そしたら、「ちょっと便利じゃない!?」ってことで仕事が増えました(笑)。そういう仕事をしようと思っていたので、いつ言われてもできるように、密かに準備もしてました。穴の開いたところを埋められるように。
で、学生だったけれども、今度は副指揮をまかされるようになりました。多いときは5人くらいが副指揮するんですけど、みんな、かけもちしてるんですね。より多く仕事を取るために。でも、私は一切しないで、1本でやったんです。で、自分が振らないときも、人の仕事を見たいので、見学に行ってました。見学っていうか、ま、指揮者、副指揮者のアシスタントですね。同じ副指揮になったんだけども、自分が足らないことはたくさんあるってのはよくわかってたので、他の人の仕事ぶりを見ました。すごくヒントがあるわけです。横から見てるとそういうことはすごく気がつくんだけど、自分が立つとなかなかむずかしいんですよね。自分の、何ていうのかな、自分の足らないところを埋める作業ってのはやっぱり、ものすごい恥ずかしい思いをすることもあるし、失敗もすることあるし、悔しい思いもすることあるけれど、埋めないと仕方がない。それを越えていかないと、そこで止まってしまいますからね。だから、1本でずーっと行ってたわけです。その代わり「自分が振るときしかギャラは出ないよ」って言われたけれど……。それでも、非常に重要だったんですね。

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それから、副指揮が増えてきて、大学3年の時に家を出ました。充分通える範囲だったんだけども、あの、自分を試すのが好きなのかな。こんなに自分が一生懸命やっても、この程度しかお金もらえないよ、こんだけ大変なことしてもこの程度が自分の評価なんだと現実的に知るためには、現実の中に身を置くしかないので、「家を出たい」と母に言って、母が「学費は出すけど、あとはもう出せない」と、私も「うん、そのつもりだから」って。で、4年になるときぐらいに家を出て、文化住宅みたいな借家でひとり暮らしを始めました。
思いっきり勝負したかったんですね。で、そういう中で段階を踏んで、いま向こうで首席をやってます。今度、チャイコフスキー財団というロシアの国においては、これは日本でいうと、歌舞伎の芸術監督に外人がなったというようなもんです。
そこでやってる仕事というのは、私がいままで通ってきた道の中にしかヒントはないんですね。いろいろな人に出会って、やっぱり、自分がアシスタントやってたころから、いま棒を振っててもそうですけども、自分が今度、人を使う方になっても、基本的に何にも変わらないですし、あのー、忘れてないですね、昔の。自分が本番振りながらも、裏の人が見えるわけですよ。「今日はちょっと幕が降りてくるのが失敗したな」と思ったら、ちょっと、いつもより多めに延ばさないと、とかね。そういうこともあるし、でも延ばすのも私が延ばすだけじゃなくて、息を使う楽器の人の顔を見て、「この人にとってはもうこれは限界だ」と思ったらこっちを優先する、とか……。状況を見ていかないと動かせない。
ロシアのボリショイの首席になったときもそうですけども、どこまで何ができるかはもう、まったくわかりませんけども、ただ、自分の中で、理想っていうか、目標があって、それの妥協じゃなくてね、いろいろな人たちが融合、調和していくという作業をしていきたい。
自分の中でいちばん厳しい目、それはどこにあるかっていうと、3つくらいの私が、そこにいるわけです。そういう感覚とか、本能とか、人間はもう絶対持ってると思う。
それを見つめてもその中で、まだ未熟さっていうのを日々感じてますから、努力はもちろんしていくつもりでいます。

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お客さまの質問がおもしろいので
答えながらわたしの生活をお話したいと思います。

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(質問)
ご自分の夢に向かって単身ロシアに乗り込んだ西本さんの姿勢にとても憧れています。私もこどものころからの夢は叶ったのですが、その気持ちを維持していくことが大変むずかしいと感じています。西本さんのお話を伺うことでパワーをいただけたらと思います。 

西本さん:
あの、ロシアに乗り込んだ……、まあ、確かにそうですよね(笑)。知り合いも誰ひとりいなかったわけですけども。私たちがやってる職業って、向き・不向きがあるんです。それを宣告されるんだったら超一流にされたかったんです。だから、私はロシアに行っただけの話です。それが、学校の先生に「君、向いてないな」って言われて、「そうですかぁ」って言うタイプだったら、(日本に)ずっとおったわけですよ。でも、それは嫌なんです(笑)。
それこそ怖いとか、ありますよ。いつでも怖い。だって、失敗したくなかったら、ちょっと緩めたら楽なんですよね。ちょっとずつ行けばいいんですけど、それはね、あんまり意味がないですよね。
その代わり、私はオーケストラの代表ですからね。例えば、演奏会がよくなかったとなると「これはもう指揮者が悪い」の覚悟で立ちます。特に、いま、ロシアで仕事してますと、私の下で働いてくれる人ってのは1000人を越えます。だから、コンサートが終わると、疲れてますよ。汗もかくし、頭はクラクラ、すっごい集中して、精神的にも肉体的にも限界。だけど、終わってからそのオーケストラのために「大事な話がある」と呼ばれたときには、私はそれこそ自分に鞭打ってですね、代表として会いに行くんです。人間、役割ができると強くなれるもんです。うん。

(質問)
音楽は私たちの生活にとってどんな意味でなくてはならないものか、また、クラッシック音楽こそが青少年の心の健全育成に役立つと思うので、その点についてよろしくお願いします。

西本さん:
私の口からはものすごく申し上げにくいっていうか、みなさんが感じたままでいいんじゃないかと思います。クラッシック音楽ってのはですね、どこから発祥したんだろうとか……、いろんな説はたくさんあるんですが、例えば、ドレミファソラシドっていう音階を作った人っていうのは数学者なんですよね、実は。それくらい、結構理詰めにできてます。
で、これは、んー、タマゴが先かニワトリが先かなんです、結局。
人が美しいなと感じるものは何らかの規則性ってのはあるかもしれないですね。それを後から理論づけていくことはできたりするわけです。

フェリシモ:
水にクラッシック音楽を聴かせると、水の結晶がきれいにそろうというのを聞いたことがあるんですが……。

西本さん:
牛とかもね……。そうですね、そういう面では、あるでしょうね。これはもう何て言うんですかね、自然の現象ってありますでしょ。上から下に物が落ちるようにね、重力があるように。みんなが嫌な音ってありますよね。昨日も本番のショスタコーヴィッチもわざと嫌な音が入ってるんです。人間は嫌な音になると硬直しますよね。キーッとかね、「んんー」ってこうどっかがんばりますでしょ。その後に柔らかい音が出たときにふわぁって、さっきの柔らかさよりも1回締めてるから戻るとか。作曲家っていうのは、その辺まで計算してるんですね。それが、音楽を志したころには、何て計算高い人たちに私は感動してたんだ! と思ってね、ちょっと傷ついた時期もあったんです。
(会場:笑)
だけど、これは計算高い計算ではなくて、自然の摂理であってね。人間の英知ですよ。太古の昔から人類が培ってきた、そういう知恵と自分たちのメッセージ、もういろいろなものが合わさってできた作品という部分で、クラッシックというのは素晴らしいなと感じています。

(質問)
クラッシックの音楽家と話ができるとしたら、誰と話をしてみたいですか? また、どんなことを聞き出したいですか?

西本さん:
もう亡くなってる方でしたら、それはもうたくさんいますね。作曲家も含めて、やっぱり自分がいまやってる曲、次やる曲の作曲家に会いたいです。でも、会ってるつもりですね。(楽譜って)彼らが残した記号なんですよね。記号の中から、その人は何を思ってこの言葉にこの音をつけてるのか……っていう作業を通じて、実際には会えてないですけども、会えてると思います。

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フェリシモ:
よくチャイコフスキーの肖像と、お話をしてたというのを聞いたんですが……。

西本さん:
これは、作曲家に限らずね。それぞれの時代に、みんな、すごく一生懸命に生きたんだなぁとすごく感じますね。だから、そう、対話してますよ。誰とでも。チャイコに限らずね。

(質問)
忙しいスケジュールをこなすため、健康管理で気をつけていることはありますか?

西本さん:
食べ物はできるだけ本番前は、生ものは控えます。本番直前の当日の朝は寝てるので、朝食は摂らないですね。お昼に炭水化物系を食べます。日本ですとおにぎりとか、うどんとか(笑)。例えば、明日、明後日、明々後日、名古屋で本番としますよね。じゃ、今晩は肉、とかそういう感じ。やっぱりね、スポーツ選手みたいなとこありますね。普段ウェイトトレーニングしてるわけではないんですが、毎日振ってたら、結構な身体に(二の腕をさすって)なるんです。おもしろいのが、ショスタコーヴィッチを振ってるときの筋肉と、モーツァルトを振ってるとき使う筋肉、ちょっと違うんですよ。
いろいろありましてね。それにあわせて食べ物で調整したり、あと、時差がありますのでね、それも、食べ物と太陽の光でなるべく時差ボケしないように飛行機の中で努力してますね。あとはタバコも吸うし、お酒も飲むし、ダメですね……(笑)。

(質問)
以前、西本さんのコンサートを拝見したときに、ダイナミックな動きだったり、繊細な動きがたくさんあって、本当ににいろいろな動きをされてると思いました。私自身がもし、あれをやったらと想像したときに、多分次の日には起き上がれないだろうなと思ったのですが……。

西本さん:
私がいちばん最初に本番振ったときは翌日倒れました。やっぱり予想できないんですよね。マラソンや初めての山登りも一緒ですよね。自分で、これだけの配分で……っていうのがわからない。何か精神的なものも含めていっぱいいっぱいになってね、バタンッてしてる。だから最初はすごく痩せたんです。1回振るたびに3kgは絶対痩せてましたから。いま全然痩せないんですよ(笑)、どうしようかと思って(笑)。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
ロシアで指揮することにあたって日本と違う民族性で苦労なさったこと、また、おもしろかったことをお聞かせください。

西本さん:
いちばん最初、私がボリショイの指揮者になりまして、んー、この時点でだいたい、横綱審議会状態の雰囲気になりました。で、ちょうど就任講演というのが5月くらいにありまして、5月というのはあの国においては月の後半にレーニンの誕生日がありまして、ずーっと国民の休日だったわけです。そこからずーっと、メーデー、戦勝記念日とかそういうのがずっと続き、いわゆるゴールデンウィークが向こうにもあるわけです。
だんだん暖かくなり、そうすると、通りを歩いてる人もコートを脱いで身軽に……。人間も、こう非常に行動的っていうのかな、そういう時期に入っていくんですよね。太陽の昇り方も違って感じるぐらい、変わっていくんです。そういう時期っていうのは、すごく活発な動きがあって、ネオナチみたいなグループっていうのも、ヨーロッパにたくさんいるのと同じように、ロシアにもいるわけです。そうすると、標的にされちゃうんですよね。ロシアは革命があったり、ペレストロイカがあったりして、どんどん変わっていって……。それ故にブレーキかけたい人の心もありますよね。自分たちが何を間違ってたんだっていう……、違う国の人たちに「やれ、経済が成長してない……」とか言われたくないよっていう気持ちもあるわけです。そういうことも含めて愛国心故のそういうことってありましてね……。
そうですね、例えば劇場に爆弾を仕掛けたっていうこともあるんです。外国には、結構そういうのは日常的に昔からあって……。で、そこで背中向けてね、(指揮)やってますから。私たちのオーケストラにも脅迫状も来ましたしね。私が振ってるときに後ろから撃つと言われましたけど。まぁ、撃たれたら私がもう悪い音楽をやってたとしか思えないと思って、舞台に立ちましたけどね。オケの事務局もね、「何か危険を感じたら帰って来い」とか言うのね。そんなもん、振ってるときにわかるかいな(笑)。でしょ?! まぁ本当にね、それはいつも、いろいろな覚悟を持って立ってるということです。
だから、自分自身人生満足したい生き方をしたいし、あと、「絶対何としてでもピストルで殺すんだ」って言われても、「この曲いいなぁ、撃つのやめてちょっと聴こう」と思ってくれるならば、私はもう、音楽家としてこれ以上のしあわせはないと思います。

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お客さま:
指揮をされてますと、まぁ、指使いの確認ですとかでいろいろな楽器をさわられることがあるかと思うんですが、実際弾いてみたらこの楽器おもしろいとか、この楽器好きというのはありますか? あと、それと、オーケストラでは使われることないんですけども、マンドリンっていう楽器は演奏されたことはありますでしょうか。

西本さん:
マンドリン、ギターはないんです。中学のときとかにパラパラと触ることは
あったとしても、特に自分で弾くことはないです。でも、楽器はより多く知ってた方が指揮者も作曲家もいいです。作曲のときは結局、作品としての設計図を書くわけですよね、
作曲とか勉強してる人っていうのは、結構いろいろな楽器を触っているはずです。
私もたくさんしますけれども、んー、ピアノがいいかな。私はピアニストじゃないから言えるんだけど、ピアノはおもしろい。

お客さま:
同じ女性として、西本さんの恋愛観があればぜひ聞かせていただきたいのと(会場:大拍手)、それからもうひとつ、音楽をやっているとスピリチュアルな部分というか、精神的、霊的な部分をすごく研ぎ澄まされるのではと思うのですが、作曲家から特定のメッセージを感じるような曲があれば教えてください。

西本さん:
ものすごいむずかしい質問がきました(笑)。恋愛観って何て言ったらいいのかな。
好きになったらもうまっしぐらですよ(笑)。あの、えー、激しいです。非常に。燃える、というタイプです。
(会場:笑)
『アドロ』っていう曲ご存知です? ラテンの曲なんですけどね、「死んでもいいわ」って出てくるんですよ。ま、そんな感じですね。


で、もうひとつの質問ですが、うーん、勘はいいと思いますよ。(中略)やっぱり、アンテナはどっか張ってるかもしれないですね。

お客さま:
同じ曲でもオーケストラの方が変わったり、ソリストの方が変わったりすると、西本さんが指揮をされててもちょっと曲の印象が変わったりとかしてるんですけれども、なかなか、その、まぁ、飛び込みみたいな感じで入られて指揮されることも多いと思うんですが、曲の雰囲気が変わるっていうのはどういうふうに決まるのかっていうことと、あと、この指揮は会心の出来だったというコンサートはありますか?

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西本さん:
私が、指揮者のやってる作業ってのは、もちろん外側の壁の色も作っていったりはするんですけども、それはね、本当に微妙な外側の話。これはね、それこそ、雨降りの日とか、晴れとか、季節によっても全然違うんですね。同じオケでも昨日と今日では全然違うんです。あとはホールの広さとかによっては多少ね。ただ、組み立て作業に関しては変えてないんです。音楽っていうのは、目に見えない建物ですから。
あのー、昨日のコンサートでもね、ちょっと雨が降ってたんですけども、ソリストのアナスタシアが「今日はちょっと湿気が多いから、ちょっと楽器が鳴りにくいなぁ」とボソッと言ったんです。それは、鳴りにくいなって言ってても鳴るときもあるし、やっぱり鳴りにくいときもあるんです。だから、そのときによって抑え方も変えますし、それは変わります。
ただ、私はこういう作りで持っていくっていうのは、オケが変わってもないですね。例えば、いまやってる同じ曲もまったく変えない。ただ、その中で現場にいて人が変わっていく中で、この作曲のもっとこういう部分が出てくるってことはあります。
会心の出来? それは、ないです。それがあればもう辞めてるんですから。私は会心と思ったら絶対辞めますから、指揮者。

フェリシモ:
私はロシアに行ったことがありません。ロシアのここがおもしろいっていうことがあれば、教えてください。

西本さん:
(笑)おもしろい、んー、例えば、えーっと、あのねぇ、何だろ、すっごい娯楽は多いですよね。劇場、オペラ、バレエ、芝居、人形劇、で、ジプシーソング、もう、そういうのは宝庫かもしれません、多分。もう、世界でNO.1でしょうね、間違いなく。あんなにひとつの街にあんなにたくさんの劇場がある国はないです。モスクワ、サンクトペテルブルグ、極東の方はね、これはうんと少なくなるわけですけども。多すぎるぐらい多いですね。

フェリシモ:
「ピンチ!」と思ったときに、心で叫ぶ言葉は何ですか?

西本さん:
ピンチはチャンスですよ、絶対そう思いますよ。「こんなしんどい思いをなんでするんだ」と思った瞬間が、後から考えるとね、そこにチャンスがあったんですね。だから、前に一歩出すだけです。

お客さま:
西本さんもお酒が好きということで、特に何がお好きですか? 銘柄など教えていただければ……(笑)。

西本さん:
(笑)ビールはあまり飲めないんです。コンサートが終わったときにコップ1杯くらいですね。ゴクゴクッと飲んで「あぁ、おいしいね」っていう程度。(中略)あとはワイン、日本酒も飲みますね。辛口。焼酎はあんまり飲めないんですよね。それ、焼酎飲むんだったら、チューハイカルピスの方が好きかなぁみたいな(笑)。ロシアはシャンパンとか結構いけますねぇ。おいしいですね。

お客さま:
作曲科を選ばれた西本さんですが、やはり、ご自分で作られた曲もおありでしょうか? その曲をご自分で振るということはありましたか? また、今後はありうるのでしょうか?

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西本さん:
そりゃ、ありますよ。作曲専攻は学校入るときから曲を書いて入っていくわけですから。(中略)宿題みたいなもんなので、別に何を発表するわけじゃなかったための曲なんですね。で、その曲が出てきたもんだから、ちょっと弾いてみよって、聴いたら、ま、向いてないなと思いました(笑)。もう、バッハ先生と比べたらダメだわと思いましたね。で、えー、でも、ぽいのよ、ぽい。いい感じかな? と思うとこもあるんだけど、でもやっぱり違うのね。違う。向いてたら、作曲家になってますから(笑)。
いまでも、オーケストレーションはたまにします。楽譜がない曲があるので必要に迫られて。例えばオペレッタとか。オペレッタの楽譜とか、バレエとか、劇場によって微妙に音が違って、日本で演奏するときに楽譜が違ってるんです。そのときはリハーサルのときに変えるんです。あと、オケの曲をピアノに直してとか、自分が演奏するわけじゃないけど、まぁ、どうしても友だちに頼まれるとかね。こないだの、いま、いまやってるアナスタシアも譜面がないんだけど、手に入らないんだけどどうしようかって。で、知ってる作品ですし、よくやってるので、もうこの忙しいのにね、わがまま言っちゃうのよぉ、ソリスト。まぁ、彼女もロシアから日本に来てがんばってるから、「じゃあ、わかった。書くわぁ」って言って、私が書いて……。ま、どっかで演奏してくれるはずです。そういう作業ってのは、これは作曲をやっててよかったなと思いますけどね。

フェリシモ:
神戸学校事務局からの質問を最後とさせていただきます。本日は「可能性を広げたい」というテーマでお話をいただきましたが、西本さんにとって、「可能性」とは一体どういったものなのでしょうか?

西本さん:
やっぱり自分で見つけるものだと思います。こういう時代に生まれたからとか、家族がこうだからとか、何がどうだからとかっていうのは……。みんないろいろな条件があって生きているわけですよね。それを、それがあったからできなかったって言うことを言った段階で可能性は広がってないような気がします。私は死ぬ直前まで、やっぱり前を向いて歩いていきたい。みなさんが私を応援してくれてるように私も応援してますので……。いい人生を一緒に生きていきましょう。

フェリシモ:
可能性というのはみなさんひとりひとりの中に眠っているもので、それを引き出すのも自分自身だということを本日のお話の中で、気づかされたと思います。いまこの場所から実現していくためのステップにしていければと思っております。本日はありがとうございました。

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Profile

西本 智実(にしもと ともみ)さん<指揮者>

西本 智実(にしもと ともみ)さん
<指揮者>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1994年大阪音楽大学作曲科卒業、1996年よりロシア国立サンクトペテルブルグ音楽院に留学。ゲルギエフ、テルミカーノフ、ビシュコフといったロシアを代表する指揮者を育てた巨匠イリヤ・ムーシンに師事する。1998年京都市交響楽団を指揮して日本デビュー。1999年「出光音楽賞」を受賞。ロシアでの活発な音楽実績とロシア音楽に対する深い理解が評価され、2002年にはロシア・ボリショイ交響楽団ミレニウムの首席指揮者に就任。以来日露両国で数多くのコンサートをこなしている。バレエ音楽を得意とする一方、2003年9月にはサンクトペテルブルグのマールイ劇場にてヴェルディ「椿姫」を指揮、2004年には続いて「リゴレット」の公演など、オペラへも活動の幅を広げている。ロシアでも「ロシアの心」を理解する正統派の指揮者として知られている。

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