神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「ここちよく住空間」



<第1部>

「内田のデザインは極めて日本的だ!」
外国人にそう言わせたゆえんは?

今日は僕の作品を通しながら、室内空間というのはどういうものを目指しているのかという話をしたいと思います。
日本の空間の特性は、空間が人間の精神と関わるということ。このように考えた国はそうたくさんないんです。おそらくそういうことが伝統的に日本の空間をつくってきたから、現在、室内空間を扱うデザイナー、建築家の多くは、空間に対して、いつも人がそこにどのように暮らしたら、どのような空間の中にいたら精神的に満足できるのかを考えていたと思うんですね。それは日本の空間を考える上で大変貴重なこと。外国のデザイナーやジャーナリストたちが、僕の仕事を見ると「内田の仕事は極めて日本的だ」ってよく言うんです。決して、障子や畳を使ってデザインしたわけではないんですよ。僕はひょっとしたら、日本以外の国の人と、あるいは東洋より西洋の人、そういう人たちの身体感覚が違うのかなと思い始めてきたんです。デザインをつくっている大きなひとつの背景には、人間の身体構造というのがあります。そういったことをずっと考えていて、少しその辺を調べてみようかなと思ってやってみたんですね。
我々は、家へ帰ると靴を脱いで暮らしています。そういう国は世界にどれくらいあるでしょうか。結構少ないんです。アジアの一部は靴を脱いで暮らしているけれど、靴を脱ぐっていうことを積極的に考えて、それを精神、あるいは空間、あるいはデザインの領域まで高めていった国というのは、多分日本と韓国ぐらい。ある見方から言うと、僕たちは相当に変な生活をしているんです。僕たちは靴を脱ぐのはこどものころからやっていたから当たり前の話だし不思議にも思わない。

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ところが外国では、靴を脱ぐというのは変なことなんです。例えば外国人に自分の家のベッドルーム以外で「靴を脱げ」と強制したとしますね。するとこれはもう「裸になれ」と言っていることと近いんですよ。それぐらい習慣の違いがあるのです。あるとき、事務所にウルグアイの学生が30人くらい来たことがあるんです。みんな靴を脱いで僕のうちへ上がっています。で、学生たちに「どうだい、靴を脱いだ感じは?」と質問をしました。僕は、「とても清々しい」とか「気持ちいい」というふうに言ってくれると思ったの。そしたらある学生は「いたたまれない。自分がどう身を対処していいのかわからない」と言うんです。別の学生は「この姿をママに見られたら怒られる」と……。多くの西洋的な文化はそういう傾向を持っているんです。靴を脱いで床に座るという暮らしは、多くの日本のデザインを決定してきたんですね。だからそれから生まれてくるデザイン背景は非常に特性を持っています。が、故に海外に行ったときにときどき「日本のデザインはおもしろいですね」と言われるのは、決して日本を特性づけている素材を使っているからではないんです。ものの考え方の背後の背後は全然違うんです。

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「21世紀はウィークモダニズム! 20世紀は強すぎた文化でした」

この違いは、おそらく21世紀にとって、とても重要な文化になるだろうと多くの世界の学者、デザイナー、哲学者たちが言っています。産業革命以降の20世紀は、あらゆるものが機械化、合理化され、さまざまなものが生み出されてきました。ある意味で、出発点はユートピア的な姿だったと思うんです。ところが現実にはものを大量に生み出して、それを人にどんどん無理矢理与えて、しかもそのものというのは1個1個がかつて我々が手にしたものよりもはるかに大雑把なもの。そういうことをやっているうちに地球も生活空間そのものもおかしくなってきたのが20世紀。21世紀はそのような文化から少し違う文化を見つけなきゃならない時期を迎えているのではないのかと思います。イタリアにアンドレ ブランディという哲学者でありデザイナーがいます。彼と「そういうことを起こしていくためのキーワードとなる言葉がないかな」っていう話をしていたんです。そうしたらあるとき、アンドレ ブランディが「内田! ウィークモダニズムでどうだ?」って言ってきたんです。つまり、「弱いモダニズム」ですね。それは言うなれば、20世紀っていうのは強すぎちゃったんだ。強いものだけを対象としたような文化だったということ。システム的であったり、構築的だったり、あらゆるものが融通の利かない変化の少ないようなもの、そのようなことを目指してできてきたと思うんだけれど、それでは人間は暮らせないんです。

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人間は、もっと、僕らの想像以上に地域とか自然とか歴史とか文化とかそういうものの中で生きているんです。ところが20世紀というのは見えないものは全部無視してきた時代。見えるものだけ、あるいは測れるもの、重さとか長さとか、あるいは大きさとか、手に触れるものとか、そうしたものだけを対象につくられていたんです。そうして、20世紀が捨てたものはたくさんあります。地域の固有文化、あるいは歴史、あるいは民族の固有性、そうしたものを全部切っていくんです。最後に切ったものは何かって言ったら神なんだよね。神を切ってしまうわけです。神のように見えないものっていうものが、ある理念の中心軸に置かれてたとき、これでは機械が動かないんだ、そんなことやってたら産業ができないわけですね。そうした意味でも、20世紀というのは強かった。
しかし、その強さを解除していくには……というんで、多くの人はそれは東洋にあるのではないかっていうことは以前から誰でも言っていたことですね。さらに推し進めていくと日本にあるのではないのかということをみんな気がつき始めてきた感じです。

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日本文化の3つキーワード「変化・微細・今」

ここ数年ミラノで展覧会をやるときに、僕は「変化・微細・今」というタイトルをつけました。そういうものを容認する社会、容認するデザインとかそういうものをこれからつくって行かなきゃならないだろうと思うわけなんです。例えば20世紀は「変化」ということを全部ストップしてきたんです。ものは全部固定化して、変化させないようにしてきた。変化してしまうようなものはあてにならないものなんだと考えるわけです。
ところが日本の文化はすごいんです。「変化」こそ永遠であるというふうに考えている文化なんです。例えば「行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」と詠んだのは鴨 長明です。水というのは流れているから正常なのであって、止めてしまったらおそらくそこで淀んだり、濁ったりさまざまなことが起きてしまう。つまり森羅万象止まっているものなんてひとつもない、全ては動いているんだ、しかも死と再生が常に繰り返されて、この森林の文化というのはつくられているんだと考えているんです。これが「変化」です。日本の言葉で言うと「変化の相」と言います。つまり変化しないものは逆に永遠がないと考えるんです。西洋建築を見ると、変化するような建築はだいたいあてにならない。堂々としてなきゃならないということになるんだけど、日本の建築は反対です。季節ごとにその建築そのものを変化させていく。冬の障子を夏障子に替えたり……。家そのものが、常に季節の中で変更していくような自在性を持っている、そこが重要なんです。
一方で、「微細」性。非常に繊細なもの、微細なものの中に美を見つけていくということ。おそらく20世紀が認めてきた美は、非常に構築的でブリュットで強いんです。ところが、日本が見てきた美はそうではなくて、風のわずかな流れの中で背後の向こう側に見えるものとか、あるいは葉っぱの裏側とか、あるいは静かな日の光とか……。わずかしか気がつかないようなものの中に美を見つけてきたわけです。ところがこの問題っていうのは20世紀には全部カット、排除されてしまった、というのが構図だったと思います。微細な些細なものの中に、どれほど美しいものが入り込んでいるのかっていうことは、もう一度我々が考え直さないと、全部地球上が非常にかたいものになってしまうであろうと思います。

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この「微細」性はどうして生まれるのかというと、実は、我々は座る民族だったから、ということが言えるんです。僕たちの地域の特性と言うのは、モンスーン型森林文化の地域。ちょうどいまの時期、まさに南西モンスーンが日本列島を覆ってくるわけですよ。この覆ってくる蒸し暑くて湿気を含んだ空気は、我々にとっては相当過酷な空気。ところがこの空気は、自然を養うためには非常にすばらしい空気なんです。だからモンスーン地域には、放っておいても自然がどんどん生まれ、またたくさんの小動物もそこで生命を謳歌することができるんです。だけど、そのような国で私たちが暮らしていくとなると、どう考えても、建築そのものがいつでも変化しなきゃならないという問題を含んでいます。むしろ変化しない建築の方が危なくて仕方がないんです。例えば日本は木と紙の建築、西洋は石の建築だっていうでしょう。で、まるで石の建築の方が立派で、木と紙の建築はだめなんだっていうような構図を近代教育で教わってきました。ところが日本は別に石の建築ができないわけじゃないんですよ。白鷺城などは見事な石の積み方です。ところが日本は石の家に住むことは嫌だったんです。日本の住宅は吉田 兼好ではないけれど「夏をもってむねとすべし」。風通しが悪いと、日本の病を生み出して、夏を乗り越えることが大変なことになる。春から夏を上手に過ごすということが日本の文化の中で重要なこと。祇園祭ってありますよね、あれを「夏越しの行事」って言うでしょう。夏を越すための行事。つまりそれくらい夏を越すってことは呪術的なことまで祈っていくって話になるんですね。森林に覆われた国の人々は、大地に包まれたいっていう希望を持っている人たちなんです。大地に合体して、大地とともに生きていきたい……、そういう人たちは「座る」ということをするんです。大地に堂々と座って、自然のさまざまなものを観察して、それを何かに類推していく……。常に観察と類推を繰り返していくのは、森林の民の特性かもしれません。「座る」ということは、微細な風の音も、光も、さまざまなものを読み取れるようなそういう姿勢だと思うんです。

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座ることが好きな国民がいるとしたら、当然立って歩くことが好きな国民もいます。ヨーロッパの多くの人たちはむしろ、立って歩くことを好んでいるようなところがあります。ベートーベンは家の中をうろうろ歩きながら作曲をしたとか、ニーチェは散歩で歩いた時間分だけ哲学書を書いたとか、ハイゼンベルグは山を歩きながら量子物理学について考えたとか、そんな話は山のようにあるわけです。ところが、僕らは座ってなければ考えられないんです。立って歩いたらかえって散漫になる。そんな身体というのも、ある文化を固有にしていくという意味で重要な問題なのでしょう。そして「今」という問題もその日本の文化にとって非常に重要です。「今」というのは非常にわかりにくい言葉です。例えば茶の湯の世界で「一期一会」という言葉があります。「今」というのはとても大切な「今」なんだから、この「今」を無駄にしないで堪能してコミュニケーションを取ろう、というようなところが、この「一期一会」にあると思います。でもこれ、あんまりわからないんだよね。僕もお茶は少しやっているのですが「一期一会」っていうのはどうもからだの中に落ちないなあと思っていたとき、中国の仙人の修行の方法の本をちょっと読んだんです。「還童功」という修行があって、それはどういう修行かというと、「5歳のこどもに戻りなさい」っていう修行なんです。この5歳のこどもっていうのは、実は未来のことも過去のことも一切考えないで「今」という瞬間だけしか遊んでないんです。その「今」の瞬間だけを遊んでいるというその態度がものすごく重要なんだということなんです。おとなになるとだんだん「今を生きろ」と言ってみたって「かつてはこうだったからこれからこういうふうに気をつけよう」とか「いまこういうことをやっとくと未来に得になるからこうしよう」とか、いつでも未来と過去を繋ぎ合わせているんですよ。本当は「今」っていうのはそうじゃないんです。「今=瞬間」をもっともっと深めていくんだよ、というようなこと自身が重要な思想のひとつなんですね。それを「中今(なかいま)」って言います。「中今」を重ねていくことによって実は全てができあがっているという考え方なんだろうね。

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内田 繁さんのこれまでの作品をご紹介

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1968年、僕が学校を卒業して間もないころにデザインした最初のいす「フリーフォームチェア」です。このいすは布に包まれた中に発砲スチロールの玉がぎっしり入っていて、座ると自由な形が得られるというタイプ。なぜ僕がこのいすを作ったかというと、20世紀というのは物が固定化されてしまって、非常に自由な形を止めている。けれど、もっと自由なものをつくれないかなって、ずっと考えていたんです。そして、こういうデザインにたどり着きました。でもこれは、日本人にとって簡単なんです。これは、もみがら枕を巨大にしたようなもの。もみがら枕というのは自分の頭の形態に沿うように自由に整えればいいわけ。いすも同じように自分のからだの形にうまく整えればいいのかな、って作ったものです。

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70年代はじめのころにデザインしたいすです。とても細い足でできています。このころから「繊細なものっていうのは何だろうか」と考えていました。メンバーズクラブのようなところの設計をしたんですね、その空間は気に入っていたんですけど、そこに最後の仕上げとして、100本のいすを入れたんです。入った瞬間、いすのデザインによってその空間が一気に変貌してしまったんです。100本もいすが入れば、イメージが引きずられるに決まってますね。そのころはまだ駆け出しだったからそんなことすらも予想できないで、いすはいすで単独で設計しておいて、それを空間と合体させた。そのときに僕は、家具って非常に恐ろしいものだなと思いました。

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このころ、このいすがイタリアとかで流行して、世界中に似たようなデザインが多くなってきました。これはメトロポリタン美術館のキュレーターが「この手のいすがいま世界中で流行っているけど、最初に挑戦したのは内田なんだから、内田のをコレクションにしよう」ということで、永久コレクションに入っています。非常に単純で、そして繊細で、透明感のある……、座のところにはメッシュが張ってあります。なるべくそういうようなものを作ろうかなと思っていた時期なんです。逆に1本だけ引っ張り出してみると、むしろ固まりのものよりも非常に強い特性を、繊細であるが故に、あるいは弱いが故に強いデザインをつくり出すんですね。このころから僕は、ものの弱さ、ものの側面を気にし始めました。

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山本 耀司さんのブティックです。神戸につくったものです。80年初めかな。

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安藤 忠雄さんの建築です。この内装を見る度に世界中のジャーナリストとかデザイナーが「内田のデザインは日本的だ」って言ってたんです。「果たしてどこが日本的なんだ」という感じはしますけど。よくよく分析していくと、およそこれは日本的な要素が随分含まれていることに気がつくんです。この場合の日本というのは、さっき言ったような畳や障子とかっていう意味の日本ではなく、日本文化が持っている背景にある理念、理想というもの。それが何らかの形でこう出てくるんです。
これは実は、日本を捨ててしまった人間の中から生まれてきたひとつの特性なんです。妹島さん以降、多くの若いデザイナー、建築家など、さまざまな活躍している人がいますが、彼らは日本とかそういう国というのは意識しなかったんです。どちらかというと、一切捨ててしまおうと思っているんですね。でも、人間っておもしろいですよ。捨ててみると体内の奥の深いところにあるものが出てきちゃうんです。それがある種の日本なんです。1982年に山本 耀司さんと川久保 玲さんがパリコレでデビューします。そのときに彼らの洋服を世界のジャーナリストたちは実は評価できなかったんです。よいと言っていいのか、悪いと言っていいのかわからない。向こうの人は、基本的には着ているものというのは立体裁断されているものということが基本原則としてあるわけです。ところが彼らのデザインするものは、身体にまとったときに、ある衣服に変貌するのであって、その辺に置いとけばまっ平らになるようなそんな種類のものなんですね。三宅 一生さんとのお仕事で、「案山子ハンガー」というのをデザインしたことがあります。そこに一生さんの服をかけるとちょうどきれいに……。着物でいうところの衣桁ですね。つまり平面的なものが身にまとうと立体になっていくというものの考え方が背景にあるんです。意図してやったことではないんです。ところが背後にはいつもそういうものがあるということなんでしょうね。
日本の言葉に「うつ」という言葉があります。「うつ」というのは「空(くう)」とか「空虚」とかあるいは「無」とか、「空っぽ」。そして、「うつろい」とか「うつわ」とか「うつせみ」というふうに展開されます。そもそも中が空っぽのものを「うつ」って言うんです。「うつわ」は中が空っぽだからいろいろなものが入るんですよね。つまり「うつ」であるということは、膨大なる空虚空間であって、膨大なる可能性を持った空間っていうふうに考えていいんです。日本の茶室も「うつ」なんです。空っぽのところに何かの道具をしつらえていくことによって、春になったり秋になったり、あるいはきれいになったり、あるいは人々の心になったり、さまざまなときと場を瞬間につくっていくんです。その瞬間、瞬間につくっていくというのは、日本の文化の上で最も重要。それの中心概念になっているのが「うつ」っていうことなんです。「うつつ」っていう言葉があるでしょう。「うつ」から「うつつ」へね。「うつつ」は現実という意味だよね。何もない空っぽのところから実体の「うつつ」が生まれてくるっていう、これが日本の構造。多くの日本の建築空間は、空っぽなんです。あえて言うなら、日本の建築空間の原型は、屋根と柱と床しかないんです。平安時代の絵巻物を見るとわかると思うんですけど、それは延々と鎌倉時代を通しても、今日に近くなってきてもそれに近い。つまり壁っていうものが存在しない空間が日本の空間なんです。真っ白で、何もない。が、故に僕はブティックというのは何もなくていいんだと、中にある商品が変わることによって空間全体が変貌するんだと考えていて、こういうのをつくっています。

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これは1986年にニューヨークでの展覧会のときに発表したものです。透明感のある、透けて見えるようなものを意図してデザインしています。そういうものを含めて日本的だと外国のジャーナリストに言われるけれど、日本的だなんて思ってデザインしたことなんて一度もないんです。「日本と全く離れてしまおう」と僕たちはいつもデザインしていた結果、内部から日本が出てきちゃったっていう気がします。

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これはモントリオールとかさまざまな美術館で展示され、永久コレクションされているものばかりです。

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ニューヨークの展覧会の後に、展覧会でやったものだけで空間をつくってみようかなと思ってつくったものなんです。天井はぼこぼこしていますけれど、たまたま現場行ったらぼこぼこだったんですね。おもしろいから、そのまま使っちゃおうと思って……。あとは、さっきの照明器具といすだけで構成。デザインって気をつけなきゃいけないのは、やりすぎちゃうってこと。やりすぎちゃって、そのやりすぎた分だけ気持ち悪くなっちゃうってことがたくさんあるんだね。

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80年代の後半に設計した照明器具。ロンドンの有名な雑誌の表紙にもなりました。これが売れなかった。年間に2本しか売れなかった(笑)。そのうち1本は僕が買ったんだからね。
(会場:笑)

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アレッシーからでた時計。これは結構売れました。

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ピエールジュノーから出された時計。これは、形態いうのは、できる限りに単純化していこうという流れの中でやっています。ただ単純ってことはむずかしい。単純っていうのは下手すると退屈になりますからね。退屈と単純のぎりぎりのところの接点でいつもデザインは行われています。

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これは竹尾という紙を扱っている企業のショールームです。つくるときの条件が「5000種類の紙をこの中でやってくれ」というもの。こんな狭い部屋に「5000種類の紙を置くとしたら、引出ししかありませんね」って言ったら「引出しで結構です」ってことになって、引出しだけのショールームをつくりました。後にも先にも引出しだけのショールームというのは、ここだけ。デザイナーにとって、引出しだけっていうのは結構魅力的なテーマなんですよ。幸いこういう過酷な条件がこういうものをつくり出すいいチャンスだと思います。

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1989年に、福岡にイル・パラッツオというホテルをアルド ロッシと一緒につくりました。そのときにアルド ロッシから歴史の読み方とか、文化の読み方を教わったんです。で、そのころから僕は躊躇せずに茶室をデザインすることができるようになったんです。ご覧のようにこれ全部、各面がバラバラになって1枚の板になってしまう、折り畳みの茶室です。

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これはロンドンのデザインのデザインミュージアムで永久コレクションされています。3つのタイプの茶室をつくりましたが、外国人はこれが好みのようですね。

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このあたりから、次第に自分の感覚でデザインするようになりました。だんだん、色とかパターンを使うようになってきたんですね。それは最初から興味がなかったわけじゃないんですけど、70~80年代前半はそこまで自分のボキャブラリーを広げてしまったら制御できないのではないかと思っていたんです。ですけど、この時期になってやっと色が使えるようになってきました。

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これはストライプだけですね。空間の中は立体物は少ないんですけど、このストライプだけで空間ができるんだということを実験したもの。他の要素というのは、たくさんいらないんです。

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だんだん色がついてきます。これは麻布のネイルサロン。最初設計を依頼されたきに「なんだ。こんな爪磨くだけで15000円も取られてバカみたいだな」って思ったんです。でも、よく考えたら爪をきれいにするだけではないようですね。そこの場所に1~2時間いる、その時間、リラックスして心を回復するようなそういうような場所なんだってことに、途中で気がついたわけですね。ならば……と、大量に色を使って、天井の高い空間をデザインしました。

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デンバーの美術館に、70年代のいすと、90年代のいすと2本並べて展示してます。言ってみりゃ、最初に考えていたことと20年経ってもそんなに変わらないっていうことなのかもしれないですね。

(略)

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「fragment」という家具です。3つのピースをさまざまに配列することによって、形を変えていきます。あのいすの配列っていうのは実は非常におもしろいことでして、いすを前後に2人が配列するようなものと、それから左右に配列したり、あるいは斜めに配列っていうことは、コミュニケーションの形態を表しているんですね。そういう意味で、いすの配列によってそこで行われる環境が全部違ってくるだろうっていうことを前提に思って……。ご覧のようなスタイルもあれば、互いに囲み込むようなそういうような型があります。いすそのものが空間のランドスケープになっていくような存在性が強いものをつくろうと考えていたものなんです。以前にはいすは空間の中で消えて欲しいというふうに思っていたのですが、これは、象徴的な存在になり得るかどうかというようなイメージでつくったものです。

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眼鏡のショップです。ご覧のように水平ラインが非常にはっきりしている明かりの中に眼鏡が置かれています。この水平感覚というのは実は日本の非常に特徴的な感覚です。水平感覚が人間に与える影響っていうのは浮遊感。浮いて、浮き上がるような感覚っていうのが水平感覚の中にあるんですね。ですから水平感覚をこうデザインしていくことは、実は浮き上がるような感覚をデザインしていくときに有効です。例えば、垂直な感覚でデザインしていくのは天と地を繋ぐようなイメージになりますから、ある意味では落ち着いた世界になるんです。水平と垂直の問題は、実は西洋と日本のものをよく特徴づけてると思うんですね。

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これは2002年ミラノの「トリエンナーレ展」に出した茶室。横にぽっと出ていますけれど、あれはちょうど一面が横にスライドしたシーンなんです。小っちゃいコマのものをつくるというのは、実際入り口、出口のデザインがむずかしいんです。それだけがもうデザインとして強調されてしまうんですね。その辺を思い悩んで、それだったら壁一面が入り口になれば……と、こういうデザインをしました。

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これが私がしつらえたスタイル。黒田 泰蔵さんの器と金子透くんの茶入れでそして田中 一光先生のお軸っていう。これを変えてしまうとこの空間は全く違う空間になるんです。日本の空間というのは「うつ」になっているんです。これ全部どかしてしまえばこれは何の意味もない空っぽの空間。この空っぽの空間に意味とか時間とかそういうものをつくっていく。これが日本の空間のテーマです。

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今年の春にミラノで「HANA」という展覧会をしました。ここ数年は「変化・微細・今」というタイトルで、茶室を中心に展覧会をやっていましたけれど、別に日本の文化を知って欲しいとか、日本の古典文化を向こうの人に知ってもらおうってやっていたつもりはないんです。つまり「日本の根源的な文化の背景というのは、微細性が残っているんだよ」ということを茶の湯を通して説明しようとしてたんですけど、逆に茶の湯を通すと、日本の古典的文化の方へどうしても流れてしまうんですね。それを僕は反省して、今回から同じテーマなんだけど、違うスタイルを取りました。「HANA」という言葉そのものは、日本文化総体的に言ってもいいのかなと思うんです。そういう意味でこのタイトルにしました。

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エントランスに、映像でまず空間をつくりました。これはプロジェクターですね。そして中へ入った全体が、非常に微細なもの微妙なものをデザインしたわけです。

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コトブキから発表されたいす、ベンチ。それで右側にあるものが、ルオーゴという卵型した明かり。そして壁面に花入れを掛けています。掛け花入れというのは、日本の文化の特徴ですから、このようなイメージの掛け花入れです。

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これはその反対側に置かれたアクリルの透明の棚に棒を差しているだけです。ただ差すことだけで棚ができているっていうことですね。斜めに差せば、上のものは下に落ちて来ないという非常に単純な原理でできています。

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これはフラワースクリーンって言って、透明のところに花が生けられていて、それが3枚のスクリーンになっています。秋にはこれで、展覧会はお茶会をやろうと思っています。
最初に「ウィークモダニズム」という話をしました。弱いものに対して見ていく目、あるいは弱いものにある美しさ、あるいは微細なものの背後に隠れている美しさ。そういうものは、全部この20世紀には失われていくんですね。これを放っておくとますます丈夫で硬くて、そんなものだけが社会に生きていくようなことになってしまうんです。そういう意味で、できる限り、僕はできる限り繊細で、浮遊感があって、透明感があるものをつくろうとここ数年考えているわけです。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
私はいすがとても好きです。見ているだけで心が和んだり、わくわくします。いすと心の繋がりみたいなもの、もし何かお考えのことがあれば教えてください。

内田さん:
いすというのは僕らになじみが浅いんです。日本のデザイナーがいすをデザインするときに困るのは、いすに対する記憶がなさ過ぎるということ。僕たちは床に座るという文化をやってきました。しかも、家具というものはほとんど日本の空間にはなくて、空間にあるものは道具と言っていたんです。屏風も道具、全てが道具。道具というのは、道具そのものは実に自在に動くということが前提にあるんですね。道具をあるところからあるところへ移すことによって、その空間を整える、こういうふうにしていたわけ。西洋的に考えていくなら、日本の空間そのものがすでにいすでもあったわけだね。いすでもあったし、ベッドでもあったし、ときにはテーブルにすらなった。お茶の席なんかそうでしょう。別にテーブルを置かなくてもそこへすっとお茶碗が置かれて、お茶をいただく、これはもう充分にテーブルだよね。そんな具合に日本の暮らしというのは、家具をあまり使わなくて暮らせる暮らしぶりをつくってきたんです。そして、明治以降我々はいすの暮らしを要求されたんですよ。
そんな歴史の中で、僕たちはいすをデザインしています。そうすると、僕らがデザインするいすは記憶のいすではないんだね。西洋人は、こどものころの記憶とか、あるいは愛とか家族とか、いろんな思いがいす1個の中にあって、それをデザインしているんだろうと思うんだよね。日本人にはそれは全くないんです。そういうものがない僕らは、いすをデザインするときは「いすとは何ぞや」っていう頭で考えたものになるんだね。そのように僕たちはデザインを捉えていたから、どうもいすに対して語りにくい。よく、いすというと座り心地というようなことを言うんだけど、座り心地というのは近代の発想なんです。かつてそんなことは言ってなかったんです。もっともっといすっていうのは別の視点から見る大切なものがたくさんあって、それが空間にひとつポンと置かれているだけで、なんかすごく勇気をもらったり、あるいは朝とても気持ちよかったりとか……、そういうようにいすっていうものはいろんな機能を持っています。座り心地がいいっていうような機能主義的な発想は近代のものだというふうに思った方がいいね。答えになるかわかんないけど、やっぱり自分の好きないすがひとつあると私はとても元気になるんだっていうような、そういう個人的な視点で選んだ方がいいのかなって思います。

お客さま:
世間でもよく取り上げられている「いやしと住空間との関係」について、お考えがあればお聞かせください。そのものの存在により起きる行動が自分をいやすことに繋がっていく、というようなことを考えたりしますか。

内田さん:
いやしという言葉はちょっとつらい言葉で「卑しいんじゃないの?」と思ったりもしないでもないんですけど。ただ空間が精神をいやすことはあるんです。そのことがまさに日本人が空間に持っている世界なんだろうと思うんですね。いちばん大切なのはね、掃除しなさいっていうこと。掃除するとね、空間っていうのはきれいになるよって。こどものころにおばあちゃんがね「繁、そこにある新聞畳んでごらん。部屋が広くなるからね」って言われたことがあるんだな。特別なものをたくさん飾るんのではなく、いろいろなものを掃除しながら、適当な秩序に戻していくっていうことをやっていると、環境全体がいやしてくれる場合もあるわけですよ。掃除してそこにある余分なものみんなどかしてみましょう。するとね、すーっと部屋が美しくなると思うんだね。だからまずは掃除からやってみたらっていうような感じ。特にキッチンなんか、掃除して棚にしまってごらん。そこからスタートじゃない。

お客さま:
旅に出ていろいろな世界にふれたいと思っています。内田さんは旅でどんなことを感じられましたか。

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内田さん:
僕らの世界の人にとって、旅は非常に自分を刺激的にしてくれるもの。おそらく昔から、旅の中から発見したという事例は山のようにあるわけじゃないですか。それは詩人でも誰でも芸術家でもデザイナーでも全部そうですね。
僕は、初めてイタリアにデザイナーの倉俣 史朗さんと行ったんです。で、ふたりで街を歩いてるんだけど、まあ刺激的でね。歩いている街全てがからだの中に入り込んでくるんだね。そうすると息苦しくなってくるの。で、ふたりでホテルへ1回逃げ込んでね「すごいなぁ」って言いながら「じゃあ、これから少し小一時間時計のデザインでもしようか」とか言って、ふたりでデザインをするんですよ。そうしないとね、クールダウンできないんですよ。で、また元気になって出かけていく。そうするとまた刺激がばーって来るわけですよ。で、またホテルに駈け戻ってね「よし、時計のデザインやろう」とか言ってね。またクールダウンして……。それが最も刺激的な最初の大きな旅でした。それくらい魅力的でした。
ちょっと普段の旅とは違うかもしれないけれど、デザインをずっとやっていた人間だから、向こうへ行っていろんなものを見ると「デザインってここまでやっていいんだ」っていうことを感じました。いままでは、自分を自分で規制していたんですね。ところがイタリアへ行ったらそうじゃない。どんどん違う角度からものをつくっている。それで、だんだん自分を拡大していけた、そんな旅でした。普段の日常の自分から全然違うものを刺激的に与えてくれるから、旅は重要ですね。

お客さま:
私は完璧な人間が嫌いです。でも「完璧になりたい」とか「大きくなりたい」とかみんな夢を持って前に進んでいると思います。内田さんは完璧な人間というのは存在すると思われますか。

内田さん:
友人の松岡 正剛さんが『フラジャイル』(筑摩書房)という本を書いています。その中で、彼が「完全よりも不完全の方が魅力的だ」ってしきりに言っているんです。さっきウィークモダニズムという言葉を言いましたが、これに通じる言葉なんですけど、日本のものっていうのは完全でないものの方を愛でてきたわけです。不完全なものが持っているその向こうにある、非常に深い、大きなものを不完全であるが故に見ていくという。つまり完全であるということは、それだけなんだよ。(机の上の時計を持って)これだけで終わりなんだよ。これが不完全だったときに、このものの向こう側にもっと違うものが見えてくるんですね。「弱い」とか、全て20世紀から排除されてきたものが、見えてくる。だいたい、完全な人間なんていやしないんだよ。いないけど「なりたい」とみんな思っているとするならば、なるのをやめなさい。完全になる必要ないんだよ。完全になった瞬間から肩に力が入っちゃって、全然違う方向へ行ってしまうっていうことがたくさんあるわけだから。
日本の美は「不足の美」って言うんですね。不足しているものが背後に持っている美しさ、深さ、そうしたものを日本人っていうのは見てきたんだよということです。日本の文化はそういう意味でも、大変深いものを抱えているんです。

フェリシモ:
内田さんは、人々の根底に流れる気質、文化について考えながらデザインをされているということでした。日本に住む私たちにとっての心地よい空間というのはどういったものなのか。またその心地よい空間をつくっていくには、私たちはどのようなことを心がければよいのでしょうか。

内田さん:
今回お話しましたが「変化」を容認する「変化」そのものを自在に自分に取り入れていく、そういう姿勢があらゆる建築にも生き方にも反映すると、もっと自在になってくると思うんですね。
ただ「変化」を容認しないことがある種の20世紀の文化をつくってきた。でも、ものは全部変化しているんだよっていうことになったならば、もっと自由な空間ができると思います。そういう意味で「変化」ということをぜひとも頭の中に入れておいてもらいたいです。このことについては『インテリアと日本人』(晶文社)という本に書いています。その背景には日本の空間文化がつくってきたものを頭に置きながら、特性を5つにわけて説明をしています。そのこと自身は「実は現代の日本の暮らしとか生活文化の中に全部生きていますよ」ということだと思うんですよね。明治も遠くなった江戸も遠くなった、もう文化はどんどん失われていくと、よく耳にすると思うんだけど、そんなことはあまり気にしなくていいんです。文化というのは、どの時代でも消えていくんです。鎌倉から室町に移る時点で消えたものは山のようにあるし、室町から江戸に移る時点でもうたくさんのものが消えていくんです。ところが、重要な問題は消えない文化なんです。失われない文化。この失われない文化をずっと見ていることが重要なんですね。それは何かというと、「靴を脱ぐ」という暮らし、「床に座る」という暮らし。このふたつはどんなに西洋化しようと失われなかったんです。
明治政府は「西洋化しましょう」って言い渡し「そのチョンマゲは全部切って来い」「散切り頭にして来い」って強制しながら西洋化に進んでいく。もちろん命令をくだす彼らも、そういう暮らしをしなければならないわけ。だけれど、そうはいかなかった。まず洋館をつくる。でも、必ずその洋館の後ろに日本館、和館というのがついているの。明治の貴族の建築というのは洋館プラス和館でひとつなの。ここから日本の生活の二重構造が生まれてしまう。昼間は靴を履いていすに座って業務をしている。でも夜になると裏の日本家屋へ行って、靴を脱いで「やれやれ」って浴衣に着替えてくつろぐわけだね。「西洋化しろ」って言っていた本人たちが「どうして靴を脱いで浴衣でくつろぐんですか」っていうところに疑問は持つかもしれないけれど、でもこれが失われない文化なんだね。身体的にそこはできなかった。できない上に、今日まで相変わらず家の中で靴を脱ぐという、こういう暮らしをしているんだね。このことがある限り、僕は日本の文化はそう大幅に変化しないだろうと思うんです。テクノロジーっていうのはどんな時代も全部変化させていきました。けれどテクノロジーの向こう側にあるもの、あるいはその背後になるものがどんな精神を持っているのかっていうことだろうね。

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Profile

内田 繁(うちだ しげる)さん<インテリアデザイナー>

内田 繁(うちだ しげる)さん
<インテリアデザイナー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1943年横浜生まれ。1966年桑沢デザイン研究所卒業。1970年内田デザイン事務所設立。1981年(株)スタジオ80設立。毎日デザイン賞、ベスト・ストア・オブ・ジ・イヤー特別賞、商環境デザイン賞、第一回桑沢賞等受賞。日本を代表するデザイナーとして商・住空間のデザインにとどまらず、家具、工業デザインから地域開発に至る幅広い活動を国内外で展開。代表作に六本木WAVE、山本 耀司のブティック一連、科学万博つくば85政府館、京都ホテルのロビー、福岡のホテル イル・パラッツォ、神戸ファッション美術館、茶室「受庵・想庵・行庵」、門司港ホテル他。メトロポリタン美術館、サンフランシスコ近代美術館、モントリオール装飾美術館、デンヴァー美術館等に永久コレクション多数。

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