神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 安床 由紀夫さん(グッドスケート株式会社 代表取締役社長)
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「新しいスタートを切る勇気」



<第1部>

ローラースケートの歴史、
そして、「Xゲームズ」とは?

フェリシモ:
まずインラインスケートの魅力について、詳しくお話いただけますか。

安床さん:
インラインスケートというよりも、全部をまとめてローラースケートって言うようにしています。ローラースケートというのはアイススケートから進化したものなんですね。もっともっと昔をいえば、原始時代、当時の人は氷の上を歩くときに、普通の毛皮でつくった靴で歩くよりも、その下に動物の骨を置いた方が進みやすいということに気がついたんですね。それがスケートの始まりなんです。それから何百年、何千年が経ち、いまからだいたい240年前に、当時オランダのアムステルダムっていう町、ここは海抜よりも低く、洪水が起きやすい町なんですね。そのために運河を張り巡らせて、堤防守というものがいました。アムステルダムは、冬になったら運河が凍るんです。で、凍った運河を、町から町、村から村をアイススケートで行き交いする。それは市長さんから、お医者さんからこどもたちまで、みんなでそうするんです。その凍った運河を、帆掛け船みたいなソリを運行させて、そういうものも走っていたんです。夏になれば、アイススケートに代わるもの、っていうのでローラースケートが開発されたんですね。これには、オランダ人だけじゃなく、隣のフランス人、イギリス人、スペイン人の腕に職のある人が、お金儲けのために「ちょっとこんなローラースケートつくったんやけど、これで特許とってひと儲けしたろ」とかみたいに、ガーっとなって、進化して、いま僕が履いているローラースケート、インラインスケートができてきたわけです。

フェリシモ:
アメリカでのインラインの普及状況や、大きな大会「Xゲームズ」のお話をお願いします。

安床さん:
アメリカではさまざまなスタイルのローラースケート、インラインスケートがあります。これでホッケーをするとか、道路の上をマラソンのようにスケートで競争するとかあるんですが、我々がやっているのはアグレッシブ・インラインというもので、いわゆるハーフパイプの上を滑るものなんです。「Xゲームズ」というのは、これはアクションスポーツのオリンピックとも呼ばれている、アメリカではメジャーな大会。「Xゲームズとは」という番組を以前NHKがつくったものがあるので、ご覧ください。

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(「Xゲームズ」に関するVTR)

安床さん:
「エクストリーム」、過激なという意味の言葉から「Xゲームズ」という名前がついています。いまアメリカではXジェネレーション、X世代という言葉もあります。X世代というのは26、27歳~36、37歳まで。それ以下はXの次はYなんで、Yジェネレーションということになっています。うちの息子たちは、そのYジェネレーションに入るんです。最近はほとんどがXゲームズアスリートっていうのはYジェネレーションになります。ただこのスポーツを支持する人が、圧倒的にXジェネレーションが多いんですね。ということなんですね。それで「Xゲームズ」という名前にしているそうです。

フェリシモ:
「Xゲームズ」にはかなりの種目があったと思いますが、同じ期間中に種目すべてが行われているんでしょうか。

安床さん:
4日間開催されて、その期間中にすべての競技をやっていきます。毎年8月に行われるんですけど、開催地はだいたい2年に1回ずつ変えています。最初は東海岸にロードアイランド州のプロヴィデンスで開催され、そのあとサンディエゴ、サンフランシスコ、そのあとまた東海岸のフィラデルフィアに移って、去年と今年はロサンゼルスで開催です。

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いまをときめく「安床ブラザーズ」
2人の息子を世に送り出した立役者は父・由紀夫さん

フェリシモ:
「安床ブラザーズ」(栄人さん、武史さん)のご活躍ぶりもぜひご紹介ください。

安床さん:
「Xゲームズ」には核になっている種目があります。それはスケートボードと、BMXという自転車と、それから我々のインラインスケート、これはローラーブレードとも言います。それら3つを、ブレード、ボード、バイクっていうそれぞれの頭文字をとってB3と呼んでいます。次のビデオを観てください。

(「安床ブラザーズ」のVTR)

安床さん:
アクションスポーツというと、僕らの頭には、アメリカが主流でやっているもの。日本人の我々も「日本人っていうのはアクションスポーツには弱い」っていう意識を持っていて、強く、ああやって個人的には、英才教育的に育てたら活躍する選手っていうのは確かにいるんですけども、まだまだそういう選手を育てる環境には、日本はなっていません。どうしても、遊びの延長だし、臭いものにふたというか、町の駅前でガチャガチャスケートボードやってて「あれはイヤよね。じゃ、ちょっと市の方に言って、ああいう人たちを滑らせる公園を造ってあげてよ」みたいなところで追いやってしまうというようなことが日本では行われている。じゃあ彼らの中からいまのような「Xゲームズ」を目標にする選手が育つのか、っていうと決して育っていけるような環境ではない。遊びとしての道具は与えるけれど、スポーツとしての道具や環境は与えられていない、というのがいまの日本の現状です。ちょっと残念なことではありますね。

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フェリシモ:
「Xゲームズ」ではご子息が何年もトップ、2位、3位に入られていますが……。

安床さん:
その話が今日のメインになると思います。いきなり僕がこの競技を狙って、こういうスポーツをやりだしたわけじゃなくて、もともとは好きで始めていたものです。ですから手づくりでハーフパイプをつくってやっていました。あるときに、そのハーフパイプをどこかに置きたいと思って……。いまで言うところのベンチャービジネスだと思うんですけれど、自分は全然お金を持っていなくて「こういう事業をしたいんだけれども、どこか力貸してくれるところないだろうか?」
と考えました。すると「事業計画書を書きなさい」とか言われるんです。でも、僕にはそんなの書く知恵もなければ、方法も知らない。なんとか自分の口で「実はこういうハーフパイプみたいなのがあるようなところで、若い人たちが興味を持ってるし、やりたいんです」って言葉で説明できればいいんですけど、なかなか言葉を聞いてくれるような人もいないし、やっぱりちゃんとした文書を持っていかないと話にもならへんというときだったんですね。これは12年前のことなんですけど。そのときに僕の古巣であるローラースケートを一所懸命やったところが大阪の難波、大阪球場のところにありまして、そこに話を持っていったら「とりあえずやってみるか?」と、やらせてもらったのが、僕がいまやっている「スケートパーク」。「安床ブラザーズ」が育ったところです。これが原点。自分のわがままというか「やりたいねん!」という気持ちでできたものが、そのうちに「Xゲームズ」に幸運にもドーンときて、うまくリンクできたというところです。

フェリシモ:
「ハーフパイプを使って事業をされていきたい」と考えられた背景には、ご自身がプロスケーターとしてご活躍されてきた昔からの経験とか、その経験の中でお会いになった方々の影響がたくさんあったと思いますが……。

安床さん:
施設をつくったというのが発端ではありますが、僕は、自分も含めて息子たちにも、あるいは自分のチームの人にもそれから施設を利用してくださる人たちにも、あるいはこうやって携わっていく人たちにも、自分が生きていることに対するアピールみたいな、自分が発信していくものを持ってほしいと思っています。
僕はローラーディスコというものに興味を持っていて、でも、とりあえず日本でローラーディスコと言っても「ローラースケートで踊るだけやん」というイメージしかないとき「やっぱり本場のアメリカに行かんとあかんな」と思いました。僕の中ではロサンゼルスのベニスビーチが本場だったんですね。そこに行くと、ウィンフレッドというスケーターがいました。僕は朝から晩までその人につきっきりでした。3ヵ月おったんですけど「お金がなくなったら帰ろう」みたいなノリでその人についてやっていました。まず、それが僕のいちばん大きな幸運でした。

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次にニューヨークに行きました。NYにはビル バトラーという世界的に知られたキング・オブ・ローラーディスコと言われている大御所がいました。もう70歳くらいの人なんですけれど、いまでも現役で滑られてます。その人が「我々が言うローラースケートというのはローラーディスコのことで、普通にすべるのはローラースケートじゃない」って言い切るんですね。その人が小さいころ、地下室でローラースケートを練習したっていうんです。なぜ地下室というと、当時ブルックリンとかマンハッタンとかにあったローラスケートリンクはあまりにも敷居が高すぎたんです。上手な人ばかりが滑っていて、こどもがそこに行って滑るっていうのはとんでもないこと、っていう時代だったんだそうです。その人が今度兵隊に行ったとき「お前はローラースケートが上手いんだってなぁ。ちょっとやってみろ」って人に言われて、40センチ四方のロッカーの上に上がって、ローラーディスコをやったと言うんです。僕はその話を聴いて「そんなん嘘やん。できるはずないやん」と思ってたんですけど、どんどん練習していくと「あ、できるなぁ」と確信を持ったんですね。ひとつのことをやることで、初めてそこから見えてくるものがある……というのをいつも発見していました。だから本当はやってみなアカンなぁと。やる前から予想したってあんまりいい答えにはならんですね。とりあえず挑戦するというところが自分を成長、発展させていく方法なんかなぁと思います。

フェリシモ:
安床さんのように日本からアメリカに、本場に自分の体ひとつで突っ込むということは、なかなか決断できないことではないか、と思うんですけれど……。

安床さん:
僕はいまから23年前、1981年にアメリカに行きました。僕はすごく貧乏で、アメリカに行くなんていうのは夢のまた夢だったんです。たまたまそういうとき、僕の知り合いがアメリカから帰ってきたんです。「アメリカに行くのお金どれくらいかかるの?」って聞いたら、「19万8千円」とか言うんですね。「え? 19万8千円? 片道19万8千円?」「いやいや往復やで」と……。いちばん安い方法だと大韓航空でソウル経由で行くんですけれど、それくらいやったら行けるなぁと……。で「よし! 何とか行こう」と思い立って行くことにしたんです。アメリカっていう所は実はそんなに遠くなかったな、頭で思い描いてるときには遠い所やったけれども、1回行くとすごい近い所という感じがしました。

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「とりあえず、やってみよう」
まずはアクションを起こすこと。
そこから、新しい道が開ける!

フェリシモ:
「ローラースケートは本場アメリカに行ってやってみないとわからない」とアメリカに行かれたということですけが、安床さんがそういう考え方になられたきっかけは? どういったご経験から「自分はまず行動してみないとわからない」そういう思いを描くようになったのでしょうか?

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安床さん:
僕は小学校2年生8歳のときに、島根県と広島県の県境山奥から大阪に家族みんなで出てきました。大阪に来て、まずプールに入るのが怖いんですね。山奥にはプールありませんから。小さい小川を石でせき止めて、そこに浸かるっていうのが我々の水遊び。ところが大阪に出てきたら、プールなんです。泳いだことないから泳がれへん。自分はどうやってプールに慣れていくか、みんなよりもギャップがある分しんどいんですね。だから、人に追いつくには、そのしんどさっていうのは当たり前にあるものだと、いまでも僕は思っています。自分が何か極めたいとか、何か人に自慢できることを得ようと思ったら、人よりしんどいことをせなアカンっていう、そういうのをずっと持ち続けているんですね。だからさっきのアメリカっていうのも、結局は自分がローラーディスコでプロとしてやっていくんやったら、本場のアメリカに行って本物を見ないとアカンやろということです。

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故宮博物院の「多層球」のように
代々受け継ぎ、ひとつのことを成し遂げたい。

フェリシモ:
ご子息にも、ご自身の考え方を受け継いでいってほしいと思われていますか?

安床さん:
そうですね。僕がスケートパークを難波で始めたとき、たまたま知り合いが、台湾に用事で行くので一緒に行ったんです。台湾にはスケート工場が当時たくさんあったんです。一度、どういうふうにインラインスケートやローラースケートがつくられてるのか見たいなあと思って。また、台湾で少し時間があったので、故宮博物院に行ったんです。ここには、大陸から蒋介石さんが台湾に持ってこられたものがいっぱい展示されてるんですね。そのなかに、象牙でつくられた多層球というものがありました。
多層球というのはボールの中にボールがあって、そのボールの中にまたボールがあって……。

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ちょっと見えにくいですが、表面に穴が開いてて、細かい彫り物がしてあるんですね。これはいまでも、どういうふうにつくったのか解明されてないらしいです。僕はこれを目にして「どないしてつくってるんやろなぁ。最初外側をつくった後にコッコッコッコッと彫刻刀で内側をくりぬいて、さらにその内側をくりぬいて、それで……」と思っていて、これ肉眼では、中に8つくらいしか見えないんです。ところがこれ、中に17個のボールが入ってるんですよ。しかも、これをつくるのに120年かかってるんですよ。親子孫3代でつくった、って言うんですね。それでさらにビックリして「すごいなあ!」とそのときに、僕はスケートのことを考えました。僕はこれを作った人のまねはできへんけれども、自分がそういう生き方をもしするとしたら、スケートというものをずっとやっていく家系にしたいな、と。とりあえず息子たちにスケートを引き継がせて、その孫にも受け継がせて、さらにまたそのこどもに、っていうふうに続けていけたらいいなあ、と。本腰を入れてスケートにこだわった人生を送っていこうと思いました。その決意をさせてくれたのが故宮博物院に展示されている多層球なんです。僕は台湾に行ったら、必ずここに行って多層球を見ます。
実は息子を連れて3回くらい行ってるんですよ。「お前らな、これは見とかなあかんぞ。これは絶対にええからな」と息子たち手を引っ張って行くんですけど「ふーん、あ、そう」「それがどないしたん」みたいな……(苦笑)。僕はことあるごとに、この多層球の話を人に話すんですけれど、息子らは「また同じ話しとるわ」って。まあ、でも息子たちが父親になったとき、思い出してこの話をしてくれたらええなあと期待しています。

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フェリシモ:
さきほどもおっしゃっていた「実際に行ってみないとわからない」ということがきっかけとなり、この多層球に出合い、いまもインラインスケートを普及していきたいという信念に繋がっていると思います。

安床さん:
頭で考えるだけとか、イメージするだけではわからないところもいっぱいあるんで、実際に手で触れてみるとか、その人と話をしてみるとか、行動を起こさないとなんかわからないものだけで終わってしまうような、ね。

フェリシモ:
多層球を見せていただいて、お話が具体的になったと思います。いまも世々代々通じてこの多層球のように、ひとつのものを成し遂げて行きたいという思いがあるとは思うのですが、新しいスタートというものは、ひとつ何かを始めることと、また安床さんのように継続していくっていうことも含まれてくるのですね。

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物事の見方を変えることで、市場の仕事もトレーニングに!
そして、物事をすべて受け入れて、ベストを尽くすこと。
それは、プロスケーターになる前の経験が教えてくれたこと。

安床さん:
話が前後してしまうのですが、僕がローラースケートのプロになる23歳のときが、僕のひとつの転機でした。それまでの僕は、いろいろなことをしていました。ウェイター、とび職、せんべいの焼き職人のところに弟子入りしたこともあるんですけど、3日でクビになったという……。自衛隊も経験あります。それから、プロになる前は中央市場に勤めていたんです。魚屋さんが、どんなことをやるかというと、毎朝2時に出勤して、5階建てが全部冷蔵庫、冷凍室になっている所に入って、在庫を台車に載せて店まで持っていくとか、10トン車か11トン車くらいあるような保冷車の木箱に入った魚を保冷車から違う保冷車に積み替えるとか。朝は眠たいわ、しんどいわ、だるいわ……。いやいややっているんだけど、あるときに新聞で「逆転の発想」という記事を見たんです。僕はそれを履き違えて理解していたかもしれないのですが、そこには「ひとつのものでも見る角度を変えることによって、また違ったものに見える」というようなことが書いてあったと思うんです。その記事を読んで「俺はローラースケートのプロになるんやから、これからは市場の仕事をトレーニングやと思おう。これは仕事じゃなくて体を鍛えるトレーニングや」と考え直して、やりだしたんですね。いままで長靴を履いていたのをジョギングシューズに替えて、作業ズボンをジャージに履き替えて……。やりだすと不思議とこれがはかどるんです。少々腰が痛くなっても、足が痛くなっても「トレーニング! トレーニング!」みたいなことで……。それがものすごく自分には大きかった。物事の考え方というのは、そうなんやね。自分がしんどいときでも、人生というのは修行の場であり勉強やねんから、しんどいのは当たり前や、というような気持ちにすぐ変えられました。
そういう「逆転の発想」と、もうひとつ僕の支えになっているは「受け入れること」です。「受け入れる」ということを教えてくれた人が、友だちの山本シュウちゃんです。
彼が働いていた大阪のラーメン屋さんに、よっさんという先輩がいたんです。よっさんは幼いころに小児麻痺を患って少し言語障がいがあります。ある日、ラーメン屋でいちばん大事なスープを開店3時間前にシュウちゃんが全部こぼしてしもたんです。「どないしよ、もういまからスープつくるとなるとえらいこっちゃ、大変や」と、シュウちゃんは途方に暮れるばっかりだったんです。そのときによっさんが来て「あんなシュウちゃん、あんなシュウちゃん、○○○○○、○○○○○」って言うんですよ。「何言うてんねん、お前。俺のいまの状況どんなことかわかってんのか、俺はな、それどころちゃうねん」と言っても……。言語障がいがあるからよくわからないんですよ。「はっきりものを言え。わからんやろ。何が言いたいねん!」「う○○○なくちゃ、う○○○なくちゃ」「ん? 受け入れ言うてんのか」「そう、そう」「ほぉー、受け入れる……、そうやなあ」と……。あと3時間で、できるだけスープつくって、お店を開ける準備した方がええな、と、その状況を受け入れ、よっさんの言葉に救われたということをシュウちゃんが僕に話をしてくれたんです。すごい話やなと思いました。物事をすべて受け入れて、そこから自分がどうするべきか、ベストを尽くさないとイカンということですね。これからもいろんなことがあるやろけど、それでも全部受け入れていこうと思っています。

フェリシモ:
今日はご子息からのメッセージの映像があるとお伺いしています。

安床さん:
8月7日にアメリカで「Xゲームズ」といういちばん大きな大会が終わったあとに、収録したんですね。親の僕が息子にカメラ向けたんでは、本音も言えへんのちゃうかと思って、僕の友だちに息子にインタビューをしてもらいました。

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(安床 武士さんへのインタビューVTR)

~次の目標は?~
「選手としてやっていけるうちは、やれることはやる。「Xゲームズ」は優勝したけど、大会で何位という目標じゃなくて、自分のできることすべてやりたいなと。可能性があったら全部試す。今年は新技ができたけど、それをすぐ出さずに完成度を高めてから大会で出す」

~父親について~
「そんなに儲かるものではないし、損することばかりで、そのなかでスケートパークやって、最初ハーフパイプを自分でつくって、そういうふうに息子のためにできる親ってすごいなと思います。独立してスケートパークを経営するようになって、そういう決断は早い、決めたらすぐやる。だからその辺は見習いたい。将来自分が親になったときに、まるっきりそれができるか言うたら、いまの状態じゃ無理って答えてしまいそうやから。なかなか言えないことやけど、親を尊敬しています。点数は……、インラインの世界では100点満点がないから……(笑)何点やろ? やっぱインライン始めたのは親のおかげやし、アメリカでなれたのも親のおかげやから、そういう意味ではやっぱり70点くらい!?」

フェリシモ:
安床さん、いま父親を尊敬しているとおっしゃっていましたが、いかがですか?

安床さん:
「尊敬ってどういう意味か知ってんのか」って聞きたいですね(笑)。いやうれしいです、すごく。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
人生を楽しまれてるコツというものを教えてください。

安床さん:
自分では「人生を楽しんいでる」なんていうのはないですね。多分はたから見たら楽しんでるって思われているのかな。白鳥は優雅に水を泳いでて、見る人にとっては「わぁ、いいなぁ」って、でも水面下では足をガァーって必死で動かしてる、こんな例えがあるように、結構僕も「一所懸命」です。さっき言いました「逆転の発想」とか「受け入れる」とかありますが、やっぱり「一所懸命」っていうのもつねづね息子たちに言い、僕にも言い聞かせている言葉ですね。

お客さま:
やってみたいことが、いろいろ目移りしてしまって、どれかひとつに絞ることができません。どれもこれもやりたいと思うのは、ただの欲張りでしょうか。また、どれも続かないかもしれないと思うと、怖くて一歩を踏み出せません。好きなことをしていると、はたから見れば大変な努力であっても、本人はそれほどでもなく楽しんでいるものだと聞いたことがあります。それは本当でしょうか? 夢を叶えたいと思ったとき、したいことに付随してしなければならないこと、障がい、壁が出てくると思います。そういったものの乗り越え方、努力をするにあたっての心構えを教えていただきたいです。

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安床さん:
もし、やりたいことが5つあるんやったら、片っ端からやっていけばいいんじゃないかと思います。僕は今年に入ってからギターをやるようになって、いままた絵を習いに行きたいなと思ってるんです。それが続くか続かへんかはいま考えることじゃなく、やった後で考えること。やりたいことを納得いくまで片っ端からやられた方がいいと思うんです。その中できっと自分の性に合ったものが見つかるんじゃないかなと思うんです。続けるということは、例えばテニスやろう、ゆくゆくはどこかの競技に出て、あるいは世界選手権に出てウィンブルドンに……みたいなことをいま考えてしまうと、とんでもなくしんどいことになってしまうんで、そういう、すぐ結論とか結果というものを求めるんじゃなくて、やりだしたその場の足元をしっかり見て、1歩が2歩、2歩が4歩、10歩……というようなことの延長で続けてこれたなっていうのがあると思うんですね。だから、やりたいことをやっていける意欲さえあれば、すごく素晴らしいなと思います。やりたいことがたくさんある人は、それだけたくさんパワーを持っているってこと。それを大事にするといいと思います。

お客さま:
安床さんのこだわりと栄人くん、武士くんのこだわりが違った方向に向かっていって、けんかになることはありますか?

安床さん:
ありますね。僕は息子たちをスパルタで育てましたので……。どんなことをやったかというと、僕が息子たちの目標を勝手に決めて「お前ら、これができへんかったらあかんぞ」と、夜通し、朝の5時まで特訓とかね。当然次の日は学校なんですけど「学校休んだらええ」って(笑)。彼らは当然こどもですから、いやいやながらでもやるんです。最近になって人に話をするときに、必ずそれ持ち出しよるんですね。「いままで自分がいちばんいややった時代があのときやった」「あのときは、お父さん無茶苦茶やった」とかね。その話を聞くたびに反省しています(苦笑)。それでも「あれがあったからいまの僕らがある」とフォローしてくれるんですね。そのやさしさは、さすが僕の息子!
また、息子らが僕に反発するというのは、ある程度おとなになってきたということなんですね。例えば僕の理想と彼らの理想が違うというところで、僕の理想を主張すると彼らは反発するんですね。「今年のXゲームズ、お前らワン・ツー・フィニッシュ取れよ」と僕が口に出して言うと、そんなこと当たり前だから、いちいちそんなこと口に出していう必要はないし、できれば優勝したいと2人とも思っているわけやから、僕が「この選手はこういうことしてきよるから、そこんとこはもうちょっとこうして、こうせなあかんなー」と言うと「やろうと思ってたけど、親父が言いよるからやめとこ」と、反対にそういうふうになってしまうので、そういうこどもの心理をわかった上で、あえて言わんとこ、とか。ちょっと違うこと言うて刺激したろ、みたいなとこがあるんですね。その反発というのがふたりがおとなになってきた証やなーと。それを親が人生の先輩としてうまく包み込んであげることでコントロールしているのが現状です。

フェリシモ:
もう一度人生をスタートに戻ってやり直すとしたら、同じ人生を歩みたいと思われますか?

安床さん:
おそらく僕は生まれ変わってもローラースケートをしたいと思います。で、ただもうちょっと要領よくやるやろなあ、と思います。

お客さま:
安床ファミリーの中でお母さんのポジションはどのようになっていますか? 

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安床さん:
1997年に、上の息子が14歳のときにASAプロツアーっていうアメリカの大会で優勝したんです。初めての優勝です。このころ、僕が経済的にもすごく苦しいときで、それこそものすごい借金をしていて……。そんな中、夏休みの間45日間くらい息子たちとずっとアメリカに、僕ももちろん一緒に行ってやってたんですね。で、1997年で栄人が優勝したときに、僕がロサンゼルスから家内に電話しました。家内は「どうしたん? また怪我したん?」って。「栄人がな、優勝してん」と……。もう電話の向こうで家内はボロボロ泣き出して「よかったな、よかったな。これはな、由紀が(これぼくのことなんですけど)ずっと昔からアメリカに行って、苦労して、それがあったからいまの栄人が優勝したんやな」と、栄人のことだけじゃなくて、僕のことも喜んでくれたんですよね。僕を褒めてくれる、なんかもうすごく僕の心の支えになってくれている。アメリカでも取材を受けたときには、僕がドーンと紹介されるんで、そういう意味では家内はちょっと損な役割。表舞台には出てこないけど、僕的にはいつも横に家内がいる気持ちです。家内も、実はスケーターなんですよ。家内との馴れ初めというのは、ローラーディスコの時代に家内が女の子ばかりでチームをつくっていて、たまたま僕のことを彼女が知っていて、そこに教えに行って「かわいらしい子やなあ」みたいなことで……(笑)。それで結婚しました。

フェリシモ:
本日は『新しいスタートを切る勇気』というテーマでご講演いただきましたが、いましたいことがあっても一歩が踏み出せないでいる方、また踏み出した道に迷いを持たれている方に、安床さんのご経験から熱いメッセージをいただければと思います。

安床さん:
理想的なことを言ったら、僕いま48歳ですけど、50歳になっても60歳になっても、そこからスタートできるやん、って言ってしまうんですね。でもこれはあくまでも理想で、そんなんわざわざ言われんでもわかってる、でもそれができへんからどないしたらいいのや、ってことになるんですね。で、僕の考えは「とりあえずやってみる」なんですよ。『新しいスタートを切る勇気』というよりも、スタートするのに勇気なんかいらんやん、何を怖がんの? と……。行動を起こすのにそんな大層な決断はいらんと思うんですよ。やりたいときにやりたい方法でふっとやっていくみたいな。あかんかったらやめたらいいんです。あかんかったらいつでも引き返せるし、考えすぎるとスタートできへんことになると思いますね。やりやすい形で入っていく、ということですね「よーいドン!」のスタートラインに立ったと思うからしんどいんで、なんとなく家のドアを開けるみたいな形のスタート、そんな感じのイメージを抱いてスタートしたらいいと思います。

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Profile

安床 由紀夫(やすとこ ゆきお)さん<グッドスケート株式会社代表取締役社長>

安床 由紀夫(やすとこ ゆきお)さん
<グッドスケート株式会社代表取締役社長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1956年生まれ。ローラースケートおよびインラインスケートの日本第一人者。高校中退後、当時テレビで人気を博したローラーゲーム「東京ボンバーズ」のトレーニングスクールに入門。1981年プロスケーターになる。80年代、カリフォルニアやニューヨークでローラーディスコの修行をし日本で普及させる。ニューヨークではローラーディスコのゴッドファーザー、ビル バトラーのもとで修行。1987年スケートプロダクション「ザ・グッドスケートジャパン」設立。1994年世界初のアグレッシブインラインの国際競技会「NISS」、1995年ASAプロツアー(米国)、同年Extreme Games、(後にX gamesに名称を変更/米国)、にプロダクションの所属選手を派遣。その後継続して参戦をする。1996年アグレッシブインライン競技会「JASPA」を設立。施設の経営、運営を行うかたわら、競技会、スケートスクール、スケートパフォーマンスの開催、海外の団体やスケーターとの交流をはかり、世界的な普及活動を継続中。

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