神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「開こう!きっかけの扉」



<第1部>

ベストセラーでいうところの勝ち犬だけれど、
飢えていた田舎暮らし。
雑誌の中への空想旅行が唯一のいやしでした。

私は高砂市という所に住んでいます。「ご出身はどこですか?」って、聞かれるときに、生まれた三木市とか、嫁ぎ先の高砂市と言うと、東京の方はすぐにわかってくださる方が少ないような所です。瀬戸内沿いに山陽道を通って行くと、神戸、明石、播磨町があって、その隣が加古川市、そして高砂があって……。さらに行くと姫路になります。詳しく語るとそれだけ町の名前を言わないといけないんですが、東京の方には大まかに「神戸と姫路の間です」と言っています。
名前だけではわかってもらえない小さな町で、私は結婚生活を始めました。人間というのは、毎日の安定した生活、食べていけて、それから暖かい家、雨露をしのげる屋根があれば、それだけで満足できる存在じゃないんだということを実感したのが、その高砂市の生活でした。
『負け犬の遠吠え』(講談社)という本がベストセラーになりました。私を担当してくれている編集の女の子は、30代後半独身、こどもなし、男いない歴数ヵ月という、本当に負け犬の条件を全部満たしている子なんですが、彼女が私に「玉岡さんは超勝ち犬だからいいじゃないですか」ってしみじみと言うんです。その本の判断だと、確かに夫とこどもがいて、自分の好きな仕事もしている、いまの女の子たちが欲しいもの全部持っている。確かに勝ち犬かもしれないけれど「それが兵庫県の片田舎にいる私にも当てはまるの? 私がどれだけ飢えていたかってのをわからないでしょ」って思ったんですよね。

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自分が負け犬だと思っている彼女は、日本の経済をひっぱるような出版社に勤め、もちろん高収入。生活も保証され、都都逸(どどいつ)とかフラメンコのようなおけいこごともいっぱい習っているんです。しかも、田舎のカルチャーセンターにはないようなおけいこばかり。フラメンコなんて、アルゼンチンから来たすごい先生だったりするんです。それは東京に住んでいて、経済的にも恵まれ、情報もよく知っているからできること。兵庫の片田舎にいると、そういう講座そのものがないんです。パッチワークとヨガ、生け花、書道のような昔から人気のあるものがあるくらいでフラメンコなんてとんでもない……。
そんな中、自分がふれたい知識的好奇心や文化的なものを求める渇きを、どうやっていやしていけばいいのか……。私をいやしてくれるのは本でした。日本という国の唯一恵まれたところだと思うんですが、本は東京と1日の時差で田舎にも届くんですね。ローカルな話で恐縮ですが、家の近くにサンモール高砂というショッピングセンターがあって、本屋さんが1軒だけあるんですね。そして、そこに行っては、私の買える雑誌を全部買っていました。本屋さんに行く楽しみは、本を目にして手にとってインクの匂いを嗅ぎつつ、新しい紙の滑り具合を指の先で味わい……、本当に何ものにも替えがたいぜいたく。そうやって本を買って家で読むのが、私のいやしでした。本の素晴らしいところは、例えば、グラビアに素敵な豪邸写真が載っています。自分は2LDKの狭い家に住んでいても、その本を見れば、インテリアデザイナーが飾ったそのすばらしい豪邸に意識を飛ばすことができるんです。その中に自分が入ることができる。これは自分の感性と想像力がないとできないことなんですが、この感性と感受性、想像力っていうのは、実はタダ。お金がかからない。自分が持っているものですから、それを使わない人は宝の持ち腐れ。感性をフルに回転をして、自分はちっちゃな部屋にいるけど、バリ島のリゾート地のランの花がいっぱい浮かぶネコ足のバスタブにいるっていう想像ができれば、一瞬にしてそこへトリップすることができるんですね。田舎で生活をしていて、文化に飢えている。でも、雑誌の中で、素敵なものにふれ、想像して勝手に旅行する。当時は田舎にいて神戸に出るだけでも1時間かかりますから、旅行なんてなかなか行けなかったし、こどもをふたり育てていたので、そんな主婦には、バリのリゾートで花びらを浮かべたバスタブなんていうのは夢のまた夢。でも、雑誌の中でならどこでも旅行できるっていう、そういう楽しみがありました。

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私の人生を変える“きっかけ”の扉のひとつが
『はいせんす絵本』のエッセイ募集でした。

そして、数ある雑誌の中で私が出会った1冊がフェリシモの『はいせんす絵本』でした。ポストに投函するだけで、素敵な品物が届くのは、本当にありがたいシステムですが、これが、ただ物品販売だけで終わる会社であれば、数年のお付き合いで終わっていたかもしれません。もうひとつすごくいいプロジェクトをしてくださったことが私の人生を変える“きっかけ”になりました。それが“仲間の本を作ろう”というプロジェクト。「何でもいい自分の暮らしの中で、素敵なことを見つけて文章にしてください」というプロジェクトがあったんです。私は、文章なら書けるかも知れないと思いました。たまたま自分の好きなことにピタッとあてはまるプロジェクトがあったおかげで、がんばろうと思えたわけですね。
この“仲間の本を作ろう”というのはエッセイの募集でした。エッセイの場合は決まりは何もないんですね。どこで誰が何をしたという説明をしなさいという、言わば文字さえ知っていれば誰でもできるんです。文字数の指定は当然ありましたが、エッセイというのは本当に自由自在、何でも思うままを書いたらいいっていう募集だったんです。

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当時は小説家になろうとかプロの作家になろうなんて、本当にこれっぽっちも思っていませんでした。30歳前後の主婦になると、自分にかなえられる夢かどうか、悲しいかな見えてきてしまうんですね。こどものころは「この子、天才じゃないか。将来は博士か大臣か」と親が期待をかけるのは、その未知数である人生の、まだたどっていない余白が大きいから選択肢が多くて、大きな夢を描けるからだと思うんです。小さいころは神童でも、だんだん大きくなるとただの人になっちゃった、というケースがありますよね。
こういう現実を知っている30歳の主婦であるからこそ、大きな夢は見すぎないでおこうと……。その代わり、道が狭まってきたけれども自分は何が好きかとか、これだったらとことんこの道を追求していけるというものが、だんだん見えてくると思うんです。

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まずは、身の丈にあった
“きっかけ”の扉を叩いて。

みなさまの中には、壁にぶつかって悩んでおられる方も多いんじゃないかと思います。本当に好きで、壁にぶつかりながらでも好きだから壁で止まってもこれでいいのよと思えるほどの壁なのか、自分はこの壁を越えてとことんもっと進みたいと思うのか……。ですから、今日はふた通りの道の示し方について考えないといけないなと思います。
まず、いまの段階では何をしたらいいのかわからないという方について。もう一度、私のケースに戻ってお話します。私の場合、田舎だから文化的なものがなかったけれど、一応カルチャーセンターを訪ねてみました。お華、お茶、パッチワークくらいの類でしたが、家にじっと閉じこもっているよりは、何か私にできることがあるかなと思って、その扉を叩いてみるわけなんです。このときの“きっかけ”というのは、非常にバーの低いもの。とにかく何でもよかったんです。ここじゃないどこかに行くための扉を開くには、目の前にある扉をノックするしかなかったから。聖書の中に「叩けよ、されば開かれん」という言葉があります。扉はいっぱいあっても、叩かずに「何かしたい何かしたい、でも何をしたらいいかわからない」とグズグズその場所に留まっていては、道は開けないし、道どころか扉そのものも開かないんです。とりあえず、私は田舎の町のカルチャーセンターの扉を叩きます。そのときに、いくつかある扉を開くひとつにした“きっかけ”というのが身の丈にあったところでした。まず、私は結婚していたので、夫に「なんや、そんなもん」と言われないものでないといけないと思いました。さらに姑と同居していたので、姑のお許しが出るようなものでないといけない。そんな風に、選択肢が狭まっていくわけです。狭まるというマイナスを感じて、息が詰まると思うんですが、逆に言うと、夫や姑が認めてくれるものにすればいいじゃない! と、ポジティブに考えることにしたんですね。
彼らにとってみれば、突飛なことをされちゃ困るんだけど「うちの嫁はこんなええことしてんねや」っていうことであれば応援して送り出してくれるわけなんです。姑は着物道楽でしたので、着物を着て出て行くことであれば、すごく応援してくれたんです。私は、着物を着ていけるお茶とかお華から始めてみました。姑は、新に着物を作ってくれたりするわけなんです。「こどももみとったるよ」とまで言ってくれたわけなんです。こんな風に身の丈に合った扉を開き、がんばっていきます。

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そして、次のステージ。壁があるんですね。身の丈に合ったくらいの“きっかけ”で始めたことだと、ある程度までは趣味でできても、そこを越えることができないんです。お茶をしていても「この器は、何代目の家元のお作で……」と、そこまでいくともうわからないんですね。備前焼と志野焼の区別はついても、茶碗をパッと見て何代目の何々好みの…… なんていうと、もう私にはお手上げ。そうするとこの道を続けていても、もう先が見えてきたかなということになってしまうんです。
この話をすると「じゃあ、玉岡さんが“きっかけ”をつかまれて、入られた扉は失敗だったんですね」って言われるかもしれません。でも、私は全然失敗だとは思っていません。
このおかげで着物の種類がわかるようになりました。さらにお茶は、たいしたお免状もとれるところまで行きませんでしたが、そのときに眺めた器や掛け軸によって感性は培われたと思います。日本人って、自分が学んだこと以前に、自分の血が学んでいたことってやっぱりあるんですね。例えば、京都の古いお寺に行って、ただ「すごい」としかわからないんだけれど、すごいということを感じられる自分というのは、やっぱりあの日々があったからだと思うんです。だから、無駄になってないと思うんですね。
これは人間の不思議なところで、感受性と想像力の問題なんです。自分がどれだけそれに興味を持っているか、また興味を持って聞けるかという動機づけですね。モチベーションの段階でインパクトが強いと残るものなんですね。
でも、壁につきあたって引き返してきます。またもとの主婦の場所に戻ってきたわけです。
こどもをふたり抱えて姑と暮らしつつ、夫が帰って来たらあわただしくごはんの支度をして、犬がワンワンといったらエサをやるという……。で、また渇きを覚えるわけです。
屋根があって、雨露しのげて、家族がいて、かわいいこどもがいて、超勝ち犬といわれる条件なんだけど、でも飢えている。
この渇きをいやすためには次の扉を訪ねるしかないんです。そして「今度は、私の好きな扉に行きたい」と、思ってきたわけなんですね。その扉を探すまでには、実はちょっと時間がかかりました。

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書くことが好き。
身の丈に合ったテーマを強みにして
主婦の狭間の時間を書くことに費やしました。

話が前後して恐縮ですが、主婦をしながら狭間の時間を自分のために使いながらできることって、やっぱり私は書くことだったんですね。エッセイというのは、本当に自由で何を書いてもいい。
一主婦だった私の伝えたいものは何だったかと言うと……。たまたまこどもを産んで自分が母親になるという人生の大きな変革期に直面しました。やっぱり自分が親になると、物の見方っていうのがガラッと変わるものなんですね。親に逆らったり、親とケンカしたり、親のことを保守的やと言ってましたけど、自分に守るべきものができると、わが子を守るために考え方が変わっていくものなんですね。そこで、母親になった自分の大きな人生の視点の移動というものを書きたいなと思うようになりました。私は長女を産んで1ヵ月後に母を亡くしました。それまで、逆らって、逆らって、最後まで和解することなく逝った母でした。母に言いたいことっていうのは直接伝えられませんので、書くことでしか言えなくなってしまったんですね。こういうふたつの大きな題材が出てきたおかげで書きたいという思いが私の中であふれ、もうそれこそしたたり落ちて、まさにきっかけさえあればボトンと落ちる状態になっていたわけなんです。

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もし私が野心家であれば、文学賞の募集って、東京に行けばいっぱいあるし、きっかけもいっぱいあったんでしょうけど、私の場合は自分の手で狭めて、自分の身の丈に合った“きっかけ”の扉しか開きませんでした。自分の身の丈に合う扉、それは、冒頭でお話した自分で買ってくる雑誌。本当に限られてきます。子育て雑誌、主婦雑誌、フェリシモか、ファッション雑誌、この4つに限られていたわけです。自分の生活に密着した雑誌しか読んでないんですけど、でも、そんな中にも日々のエッセイの募集がありました。ある子育て雑誌が、「私の赤ちゃんの子育て記」というのを募集していたんですね。それは、まさに私の身の丈に合った扉。この扉をパーンと開きました。しかも、これは当然ながら、母親の死と新たな生命の誕生という、自分の中に熟しきっている思い。いろいろ応募しましたが、子育てのエッセイは連戦連勝。賞品の子育てグッズを結構いただきました(笑)。
こどもが大きくなってくると、ネタもマンネリになってきます。そこで、子育てからもう一歩進みたいなと思い、探したところ、「とにかく日常の何でもいいから書いてください」というエッセイの募集もたくさんありました。その中のひとつが、この『はいせんす絵本』の募集だったわけなんです。

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デメリットを強みに
デメリットのエキスパートに!

そうそう、これも私の強みなんですが、自分の身の丈に合ったってことを言いましたが、自分が出られない、家にしばりつけられているということは決してデメリットでなかったんですね。そのしばりつけられてる中で何かを求める自分というのは、決して私だけの苦境じゃないんですね。
限られた悲劇を書いても誰も心を動かしてくれませんけど「あーわかる、わかる、私もそんなことがある」っていう共感にポイントを置くと、みんな持ってることを書く方がかえっていいわけなんです。子育てのときは大変だったというのを審査員の先生がわかってくださったりもする。さらには私は地方にしかいられなかった、これは本当にデメリットだったと思うんですが、逆に言うとこの地方のことについては私ぐらい詳しく書ける人間はいない、その土地のエキスパートになれるわけなんですね。だから、そこにしかいられないっていうことは、デメリットにならない。これは作家としてデビューしてから、私の中に受け継いだものなんですけども、播磨を舞台にする、神戸を舞台にする、この兵庫県のことを書くのは東京の作家にはできないこと。仮にできたとしても微妙なニュアンスとか、おばちゃんの言葉であるとか、方言、そういったことはその土地にいるからこそできるんですね。この土地にしばりつけられているということが、この土地のエキスパートである、子育てにあくせくしているということは、子育ての現役のエキスパートであるということに置き換えることができるわけなんです。

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そのエキスパートであることを最大限に利用して、それを書けばいいわけなんですね。ということで書いた作品が、どんどん賞を取っていく中、だんだん私の扉も大きな扉から、だんだん遠い所の小さなむずかしい扉へと向かっていきます。
エッセイが自由だと言いましたけど、小説はもっと自由です。エッセイというのは書き手が見えるものでないとダメ、フィクションではないので現時点に根っこが生えてないとダメなんですが、小説はその根っこをぶち切っても構わないんです。明治時代の中で書いてもいいし、夏目 漱石のように主人公を猫に想定して書いてもいい、本当に自由に時空を飛び、性別を飛び越え、何にでもなり切って書けるのが小説。関西の地方都市でこどもや家族にしばられている私の、限られた場所にしかいられない自分の空間を、バーンと全部取り払ったのが小説だったわけなんです。子育て記にしばられて母親を前面に出す必要もなければ、嫁姑の嫁だということを出す必要もない、主婦やってますということを書かなくてもいい、男でも女でもない、未来人でも過去の人間でもない、ひとりの自由な人間となって、自分の世界で生きればいいって、一挙に扉が開けました。
それで、初めて書いた作品が『夢食い魚のブルーグッドバイ』(新潮社)という長い長いタイトルの小説。デメリットを自分のエキスパートにかえて書いた作品でした。神戸と三木市という、自分の生まれた場所を舞台にして書いた作品なんです。しかも、神戸の一地方の自宅通学をしている大学生の作品というのはなかったということで、ローカル色とオリジナル性を出せたんですね。

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書くことを続け、デメリットを生かし続け……
そして、“きっかけ”のチャンスが向こうからやって来た!

この小説で、神戸文学賞をいただきました。表彰式で花束をもらい、「おめでとう」と祝電をもらって、一瞬主婦であることを忘れて「ああ、私の小説で賞を取ったわ」って……。長い長い、これからも続く主婦生活の中のワンシーンだったんです。ところが、次の“きっかけ”の扉が向こうからやってきました。東京の新潮社から電話がかかってきました。1月の晴れた日、当時は次女が1歳になり、ようやくつたい歩きを始めたころでした。新潮社の編集者から、「あなたの本を出したいのでほかの作品を送ってください」と言われました。
いきなりやってきた大きな“きっかけ”の扉。でも、残念ながらそのきっかけをものにする力が、私には備わってないんですね。と、言うのも、『夢食い魚のブルーグッドバイ』が、初めて書いた小説なんです。「ほかの作品を見せてください」と言われても、作品がないんです。「どうしたらいいの」と思って、まず「原稿が何枚あれば、1冊の本になるんですか?」と聞きました。そうすると「そうですね。ハードカバーにしようと思ったら300枚は必要です」と……。受賞した小説は原稿用紙70枚の作品。原稿を300枚にするためには、当然ほかの作品で埋めるしかないんですけど、ほかの作品のない私、どうしたらいいか……。
“きっかけ”が向こうからやってきたとき、「ないんです」と言って降参するか、「いまからがんばります」と努力宣言するか、「これ、もとは300枚なんです」とはったりをかますか……(笑)。そのときに私ははったりをかましてしまったわけなんです。「はったりをかます」……、ひょっとしたら、これが今日いちばんの大きなアドバイスになるかもしれませんね(笑)。

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デビュー作にはものすごい思い入れがありました。本を作るなら、どうしてもこの作品1本で作ってほしいという気持ちがありました。いろいろな作品を組み合わせた短編集ではインパクトが弱いんじゃないかと思ったんです。
それで、力もないくせに大きな風呂敷を広げたわけです。編集者には「あるんです! あるんです!」と、とにかくすがりつきました。そして、私は70枚の作品を、最終的には5倍にふくらませました。350枚にする作業に10ヵ月かかってしまいましたが……、本当によくやったと思います。赤ちゃんって、1時間ぐらいしか昼寝してくれないんですけど、その寝ている間に書いたり、でも書いていると起きてきたり、それこそ熱出したりした日もあったんですけど、この作品を書くまで死ねないって思って……。目標ができると人間って、本当に底力が出るもんなんですね。自分の睡眠時間を削って、食べる時間を削って、この物語を書きました。
神戸で終わる物語がなぜか北海道まで広がり、ひとりっ子だった主人公にはお姉ちゃんがいて、だんなが失踪したり、こどもが生まれたり、おばあちゃんが病気で倒れたり……。読者は「あの北海道のシーンは最初からあったんでしょ。すごかったですね」と言ってくれたりするんですが、残念ながら北海道へも取材に行けない。積雪の多いところを書きたいと思ったので、北海道の積丹に電話をかけて「いま、雪って何メートルぐらい降ってるんですか?」って聞いて書いたりもしました。いながらにして雪の降りしきる積丹に意識を飛ばせるのは、長年主婦をしながら想像するトレーニングをしていたからなんですね。「いま、すごく積もってますよ。2階から出入りしてますよ」と聞いただけで、目を閉じるとその風景を思い浮かべることができたのは、どこにも取材に行けない、自分の家にしばりつけられている主婦だからこそできたこと。思い浮かべた風景が、地元の人が読んでもリアリティを持つぐらいのシーンとして受け取っていただけたというのは幸いだったと思います。編集の方が「いい作品になりましたね」って言ってくれたのも覚えています。
こういう経過をたどって、デビュー作は世の中に出ました。私にとっての“きっかけ”は、最初は自分の身の丈に合った扉を背伸びをせずに開けること。ここにはとにかくいたくない、じゃあどれか開けようと思って、開ける、行ってみる、ダメだったら戻ってみる、これも開ける、でもダメ、戻ってみる、ダメだったけれども実になって、最後には大きな扉どころか壁ごととっぱらわれた、そんな感じです。この壁がとっぱらわれたのは「玉岡さん、運がいいからじゃないですか?」と、言われるかもしれませんが、私は必ず誰にもその壁がとっぱらわれる日が来ると思うんです。ただ、そのとっぱらわれる壁のスケールがどうであるかなんですね。

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“きっかけ”はどこにでもある。
感性を磨き、“きっかけ”を見つけよう!

結論は、“きっかけ”を見つけるのは、みなさまの感性だということです。「じゃあ、感性ってどう磨けばいいの?」と。これは簡単なことで、家にいながらできます。お金はかかりません。いまの世の中ってスポーツジムで鍛えるとか、能力をあげるとか、そういうことがはやっていますが、感性というのは数字で測れないんですね。成果がグラフで表せるような目に見えるものじゃないんです。それは感じさせてくれるものとの相性だと思います。雪を見て涙が出るほど感動する人もあれば「寒いー」で終わる人もいる。その尺度はそれぞれ。比較することもできません。ただ、その人の中で測れるものですし、評価するのもその人だけだということです。ですから、非常に気楽。

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そして感性は、人間が生きている限り枯れないものなんですね。おばあさんになってもおじいさんになっても人間である限り感じるはずなんです。花が咲けば春が来た、また新しい季節を迎えるなって感じるからこそ、日本人ってお花見に出て行くのです。感性は滅びない。で、もっともっと感じたいと思う人は、より自分を動かせるものを探して旅に出ればいいわけなんです。旅というのは切符を買ってお金を使う旅だけでなく、写真集を見てもいいし、小説を読んでもいい。小説は、画面が動くわけでもなく、音楽が聞こえるわけでもないから、たやすく旅には出してくれないんですが、感性さえ研ぎ澄まされていけば、魂がより動かされるような旅に出ることができるはずなんですね。
最終的にはやっぱり、文学の世界がいちばん感性を磨く修行の場になるんじゃないかということも、ちょっとだけ加えさせていただいて、今日の締めとさせていただきたいと思います。“きっかけ”はどこにでもある。そしてみなさまの身の丈に合った貝殻を探しながら感性を磨きつつ、長い長い時間を、これから生きていっていただきたいと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

フェリシモ:
ここ1週間で小説のネタになるようなことはストックされましたか? 全然違う1日1日を過ごされていて、そういう点では1日、1週間、1ヵ月、例え小説を書かなかったとしても、小説につながる何かを得られているような気がしました。

玉岡さん:
第1部で「これだ!」と思って突っ込んでいって違っていても、無駄にはならないと話しましたが、まさに毎日の生活がそれかなという気がしています。
私の代表作『天涯の船』の中で、主人公に語らせた言葉があるんです。主人公は波乱万丈、いろいろあって苦労するんですが、「神さまは人間に絶対できない試練はお与えにならない」と言うんです。あるクリスチャンの方に「あのセリフは、私たちクリスチャンが日々神さまと対話しているときに思ってることなんですよ」という感想をいただいたんですけども、本当に日常の中に、無駄がないように人生は作られているし「つらいな、生きて行けないな」と思っても「やっぱり今日も生きてるわ」と、朝を迎えられた人っていうのは、神さまはその人のキャパの最大限の苦労をお与えになっていても乗り越えられるからこそ、その人に苦労を与えたんだなということになっていくと思うんですね。
ですから「今日、こんな無駄な1日送ってしまったわ」と思っても、それは無駄じゃないから神さまはこういう1日を私に与えてくださったなあと思えるようにしてるんです。そう考えると生きていて全然損にはならないし、人生って捨てたもんじゃないなあと思えるようになったんですね。
今日、みなさまとお話させていただいたことも、直接のネタにはならなくても、こういう空気の反応をいただいたというのは、次の講演のときには確かな手ごたえというものを持っていけるわけですから、やっぱり無駄がなかったと言えると思うんです。
ですので、声を大にして言いたいんですが、今日ここに来ずに違う所で過ごされている方は、多分無駄やなあ……と(笑)。だって「人生に無駄はない」という答えを聞いてないわけですから「無駄やなあ」と思って過ごされているかもしれない。でも、ここに足を運んで来られたみなさまは「こうして来たことも無駄じゃないんだ」と思われた。ちょっと回りくどい言い方ですけど、その意味でも、みなさまの1日も絶対人生の中の何かキラッと光るワンアイテムにはなっている、そんな気がするんですが、いかがでしょうか。

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お客さま:
嫌なことがあったとき、落ち込んだときはどのようにされますか。玉岡さんにとって元気、活力の源はなんですか?

玉岡さん:
私は眠ることに決めています。ひと晩眠ると忘れることって、たくさんあるんです。デビューのときは、眠る時間を削って書いていましたが、この年齢になると、眠る時間を削ると結構こたえるんですね(苦笑)。睡眠時間が少なくて、体調が悪いときに限ってトラブルを起こしてしまったりすることもあるので、できる限り寝るようにしてるんです。西明石から新幹線に乗ったら、新大阪に着いたのを知らずに品川のアナウンスを聞くってことがよくあるんですが、どこでも寝れるのは特技のひとつ。寝るといったんそこで時間が切れるんですよね。さっきまで、すごい怒ってたり落ち込んでいても、いったんそこで眠ると、目覚めたときに「何だっけ?」っていう……。そこに立ち返れないんです。これを逆に利用するのは大きいと思います。
私は日記をこどものころから書いていて、日記が唯一、私のグチとかストレスを聞いてくれる場所になっています。日記を書きたてっていうのは、本当にもうドロドロしたものがあるんですが、ひと晩寝て、翌日読み返すと「キャー、何でこんなの書いたのかしら」って言うぐらいすさまじい言葉で書いてて……。「まあ、お下品な」っていう、人格が変わるくらい変わっちゃってるんです。腹が立って寝つけなくても寝てしまうと時間が切れて、起きると「あれ何やったっけ?」って。腹立つことを思い出すんだけど「まあ、許したろか」という風な気になれるもんなんですね。それを私は「ひと晩ねかす」と、言ってます。それくらい睡眠の力、時間がいったん切れるということは大きいものがあると思いますので、みなさま、寝ましょう。

フェリシモ:
神戸学校事務局からの質問です。“きっかけ”はよい意味でも悪い意味でも使われます。“きっかけ”は始まり。始まりがあれば終わりがあります。終わりは結果。結果は幸か不幸か。善か悪か。可か不可か。勝つか負けるか。“きっかけ”の扉はこのふた手に通じ、扉はひとつしかありませんが、開いた後の道はふたつあり、いや、ふたつとは限らずいくつもあるとは思いますが、どちらにせよ、それを選択するのは自分自身だと思います。やはり、どの道自力本願でしかありません。だからこそ“きっかけ”をつかんだあとの自分磨きや努力などが必要になってくると思うのですが、玉岡さんがお考えになる、“きっかけ”をつかんだ後の自分の在り方について、お教えください。玉岡さんが第1部で感性を磨くことをおっしゃっておられて、心を磨いても、その次の行動に移さなければ物事は変わってこないのではないのかと思いました。その点についてお話をいただけますか。

玉岡さん:
すごくいい質問で、今日これを聞いただけでもここに来られた値打ちはすごくあるかと思います。本当に、“きっかけ”はどこでもあります。どこでも飛び込めば無駄がない、というお話もさせていただきました。そして、あとの評価ですね。私は常に思うんですけども“結果”って死ぬまで出ないんじゃないかなと思っています。私はフォークシンガーの吉田 拓郎さんがすごく好きなんです。彼の歌に『今はまだ人生を語らず』というタイトルの歌があります。朝日が昇るから起きるんじゃなくて、目覚めるときだから旅をするっていう、そういう歌詞で始まる歌です。この『人生を語らず』という言葉は、よく成功された方が「私はこうやって成功した」っていう、ハウツー本書いたりされていますが、私は人生ってそんなに簡単に語れるものじゃないと常々思っています。
私はたまたま好きなことを見つけました。見つけたのは遅いんです。作家として30歳のデビューですから。最近は芥川賞で18歳の方が出られています。天才といわれる作家は早熟なんですね。例えば三島 由紀夫さんも学生でデビュー、石原 慎太郎さんも『太陽の季節』を書いたときはティーンエイジャーだったんです。30歳なんていうと人生をある程度知りつくしてのデビューですから遅い方なんです。
人間って、前を向いていれば道が後ろにできて、どんどん動いていて、人生ってまだまだ続いていくわけだから、「私の人生はこれでした。あのとき選んだ扉の結果がこれでした」って、言ってはいけないと思うし、まだ言えないと思うんですね。私は、好きな道を早くはなかったけれど見つけることができて、好きで好きで書いていたら、ご飯は後まわしになってもいいというくらい好きだから、この道を走り続けられているけれど、まだ「私の代表作はこれ!」というのは、「まだ、これから書きます!」と常に言ってるし、「まだまだ作家です」ということを常に言ってるんですね。
ですから、扉を選んでこれでよかったんだろうかと、振り返らないことも大事じゃないかなという気がします。「振り返らなかったら、そのまま行けばいいんですか?」ということになると思うんですが、ばかのひとつ覚えのようにその道を行く必要はなくて、どんどん浮気をしてもいいと思います。引き返さなくても次の扉を見つけて、飛び込めばいいんです。人生って、本当に複雑にできていて、道なんて自分で作り放題だから、好きなものが見つかれば次々扉を開いていけばいいんです。語り尽くせない人生っていうのは、死ぬまで続いていくんです。「自分ってまだまだ可能性あるじゃん」という希望にもつながっていくような気がします。
もうひとつの大きな質問。“きっかけ”を見つけられた後、どうするかですね。「振り返らない」「評価しない」「人生を語らない」って言いましたけれども、扉を開いたときの情熱があるかっていう、情熱の点検、好きであることのケアっていうのは、必要だと思います。扉の前に戻る、自分の情熱の点検をする、いまも私はこの道が本当に好きかということを問い返す時間が必要なんじゃないかなあという気がします。私、偉そうなこと言いましたが、よく忘れているんです。いま質問していただいたおかげで「あー、そうだ、私も扉の前に帰らなくちゃ」って思いました。ですので、今日帰ったら小説書きます。今日は、みなさまと一緒に、考えさせられて、ここに来て、しゃべらせていただいて無駄じゃなかったです。

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Profile

玉岡 かおる(たまおか かおる)さん<作家>

玉岡 かおる(たまおか かおる)さん
<作家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
兵庫県三木市生まれ。神戸女学院大学卒業。1989年、神戸文学賞受賞作の『夢食い魚のブルー・グッドバイ』で新潮社より文壇デビュー。著書に、播磨に生きる祖母、母、娘の物語『をんな紋』三部作(角川書店)、幻の名画コレクションを主題にした『天涯の船』(新潮社)など。『婦人之友』に連載中の『銀のみち一条』も、近代化の波を受ける生野銀山を舞台に、文学をこころざす明治の女の半生を描いて好評。最新刊は、現代女性の苦悩と再生を感動的に描いた長編小説『蒼のなかに』(角川書店)。同時に、初のノンフィクション『タカラジェンヌの太平洋戦争』(新潮社)も上梓。執筆のかたわら「ブロードキャスター(TBS系)」などにも出演。行政へのアドバイスなども行うなど多方面で活躍。兵庫県加古川市在住。2000年加古川市特別文化賞受賞。

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