神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 竹中 ナミさん(社会福祉法人プロップ・ステーション理事長)
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「変わる勇気・変える勇気」



<第1部>

“スイッチ”を入れてくれたのは
ナミねぇの娘・マキさん

こんにちは。プロップステーションの竹中 ナミこと“ナミねぇ”と言います。どうぞよろしくお願いします。友だちも仲間も私のことを“ナミねぇ“と呼んでくださっているので、みなさんも“ナミねぇ“というニックネームで覚えて帰っていただければうれしく思います。
今年の神戸学校のテーマは“スイッチ”っていうことなんですね。どうですか? みなさん。誰かスイッチ押されました? 「私はこういう人にこんなスイッチ押された」「自分がこんなときに、心のスイッチが入ったぜ」とか、いろいろお持ちだと思うんですが……。私はもともとスイッチがたくさんある人間で、バチバチッと入れて電気がビビビッとかするタイプです。私のいちばん根っこのところで、スイッチを入れてくれた奴がいるんですね。

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それは実は私の娘、竹中 マキです。彼女はいま32歳。32年前に重症心身障害として、大変重い脳の障害を持って授かったんですね。重症心身障害というと、いろいろな障害がどれも重くて、重なっている人のことをいいます。法律では障害児、障害者というのは年齢18歳以下の方で障害を持つ方が障害児、19歳以上が障害者と呼ばれるんですが、重症心身障害の人というのは社会制度上は一生児童であるという扱いを受けます。
娘は、どんな障害が重なって重いかというと、まず目。視力は明るい暗いだけがかろうじてわかる全盲です。物の形がはっきりわからない。耳は、音は聞こえているっていうのはだいたいの様子、反応でわかるんですが、その音の意味することは残念ながらわかりません。声は出ます。出るんですけど言葉にはなってません。娘を授かるまでは、言葉なんて自然に誰でもしゃべるようになるもんやと思ってたんです。娘の3つ上のお兄ちゃんは、別に特別教えたわけでもないのに、自然にしゃべるようなりました。今日ここにいるみなさんも、こうやって話を聞いてくださっているということは、おそらく言葉が理解できる、あるいはご自身も言葉をしゃべられるっていう方やと思うんです。だけど、みなさんの中で生まれてすぐにしゃべったっていう人、おられませんよね。ここだけじゃなく、地球上のどの人間もいないと思うんですね。でもいつか知らず日本に生まれた赤ちゃんは日本語をしゃべってて、アメリカに生まれた赤ちゃんは英語しゃべって、フランスはフランス語しゃべってはる。「なんでそんなんなるんやろう?」って疑問に思ったんです。自分の娘が、お兄ちゃんがしゃべった時期になってもしゃべらないどころか、ずーっとしゃべらないのが不思議やったんです。
私、昔から学校の勉強嫌いでね、不良、非行少女と呼ばれてすっごい悪(わる)やった。学歴も中学卒業。その私がね、娘授かって、「なんでいつの間にかしゃべる子といつまでたってもしゃべらへん子といるんやろ?」とか、「近所の赤ちゃんヨチヨチ歩きよんのに何でこの子歩かへんの?」みたいなことを考えて、知りたいから勉強しようと思ったんですね。図書館に行って、医学書とか分厚く重い本を借りてね。「大脳生理学」とか、お腹の中で赤ちゃんがどんなふうに育つかみたいな「発生学」とか、産まれるときの「周産期医学」とかいろいろなジャンル、いろいろわからんなりに読むわけですよ。それでわかったのは、人間生まれてきてすぐの脳っていうのは、どうやら空のコップみたい。そこにお母さんが話しかけたり、周りの人が話しかけたり、あるいはいろいろな音や状況が、水が入るようにインプットされて、溜まっていくんですね。水がずーっと入り続けていっぱいになったらあふれるじゃないですか、あふれるっていうのはアウトプットですよね。つまりその人の脳の中に情報が蓄積されていって、それであふれるみたいな状態がアウトプット、ということがわかったんですね。つまりインプットがないとアウトプット、つまり、しゃべるっていうこともしないっていうことがわかったわけですよ。「じゃあ、うちの娘は何で?」っていうと、コップの底に穴が開いてるみたいな状態なんです。だから一生懸命話しかけても溜まっていかない状況なんです。

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この何年か、娘がじーっとしててちょっとだけ登るんです。彼女がこのちょっと登ったときの喜びっていうのは半端じゃないですね。上のお兄ちゃんのときのそりゃ何百倍、何千倍あるいは何万倍ですわ。それでね、ずーっと長い年月一緒にやっててわかったことはね、ひとりひとり人間って生きるスピードが違うんやなってこと。自分の娘を授かってみて、こんなにひとりひとり人間って違いがあったんやと。だから私も私でいいと思ったんですよね。不遜な言い方になるんですが、解放されたの! 世の中の枠があって人間ってこうでなければならないよ、正しい道をできるだけいきましょう、外れないようにしましょう、このものさしこそ人間の生きる道とかね。そういうのがあるのはわかっていたけど避けてた自分がいて……。でもそのときに、「あっ違うわ」と。ものさしは10人いたら10のものさしがあってええんやって、なんか腹のくくりができた。彼女のおかげで解放された。そのときにね、スイッチ入ったんです! だから私、どんな人と会うても興味があるのはその人が「どんなことがどんなスピードでできる人なんやろな? この人の魅力ってどこにあるんやろな?」ってこと。それだけ探すのね。自分の娘だって「あれできませんね、これできませんね、かわいそうに気の毒ね」って言われて、「なんでそんなできへんとことか、悪いとことか、あかんとこばっかり見るの? 私が感じてるこの子の価値があるのに、何でそれを誰も見てくれへんの」って思ったんです。
でも考えてみれば、よそに生まれはった子やったら、私もそう見てたかわからないですね。ということは人間は想像力を膨らまさんと生きていかれへんねんなぁって。その人の欠点とかできへんところはものすごく見えるんやけど、その人のええ部分っていうのはよっぽど真剣に目を凝らしたり、気持ちをこう、寄せたりせんと見えへんねんなぁっていうのを、まさに彼女に教わりました。
逆にいうとそういう目線を持ちさえすれば、その人の持ってる魅力が絶対見えるんやっていう確信もできたんですよ。私は、自分の娘を通じて、いろいろな障害を持つ方とたくさん出会ったんです。出会ってわかったことは、どの人もみんなやっぱりマイナスのところばっかり世の中から数えられてる。「あんた気の毒になぁ、これできへんねんなぁ、残念やなぁ」って。それで日本の福祉っていうのはそういう人たちに手を差し伸べてあげよう、行政やったらなんか補助考えてあげようとかいうような形でやる。だけど福祉観というのがそれだけのときは、結果としてその人のできるところや可能性のあるところや魅力の部分には蓋をするっていうか目をつむるってことがわかったんですよ。「気の毒や」って言うところを見て着目をして手を差し伸べることや、その部分を補ってあげることも当然必要なんやけど、それだけが福祉なのはいかんっていうのがわかったんです。自分の娘が見えへんのやったら「見えへんというのは何が不便で、でも見えなくっても何ができるとか、見えない私たちにとってこんなことが楽しみなんです」、聞こえてないしゃべれないんやったら、聞こえへんしゃべれない人と付き合うて、「聞こえへんのに、しゃべれへんのに、どうやってコミュニケーションとってはんねやろう?」と、「どんなとき、困りはんねやろう? だけど聞こえへんでもしゃべれへんでもどんなことやったら楽しいと感じはるんやろう?」、動かれへん人やったら、「動けたら何がしたいんかなぁ?」、「動くためには家の中や町がどないなっとたらえんやろなぁ?」とか、そういうことを一緒に考えたらええやんと思って、いろいろな障害を持つ方と出会って、聞きまくったわけですよ。
「あんた無理やね、あかんね、気の毒やね」って親切にしてもらって喜んではるかっていうと、私が出会ったほとんどの障害を持つ人は喜んでないの。「私ら同情して欲しいわけちゃいますねん」って、みんな口をそろえて言わはるんですね。「本当はこんなこともやればできるし、こんなこともちょっとなんか道具があったり、サポートあったらできるんやけど、『気の毒やね』だけ言うてくれるんです」とか、「仕事かってもっとしたいんですよ。『あんたらそんな無理して働かんでいい』って言わはるんですねん」みたいな。親切にしていることがすれ違っている福祉になっているんですね。

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支える、支えられる境界線のないのが
プロップ・ステーション

プロップ・ステーションの活動を一緒に始めた青年がいるんです。その子はスポーツ事故に遭った元ラグビーの選手、ラグビーの試合中にぶつかりあって首の骨を折ってしまってそれで全身の麻痺になったんですよ。もう寝たきり、指先がちょっと動くのと首が左右にこんだけぐらいっていう状態になりはったわけですから、布団から起きるところからご両親が手伝い、食事から下の世話から全部必要になったんです。要するに全面介護が必要な重度障害者。ところが、そういう身体になったのに、お父さんお母さんに、「僕は何とか残された考える力を磨いて仕事できるようになりたい」って言うたのね。「考える力が残ってんねんから、勉強して働けるようになるわ」って……。お父さん、お母さんは止めなかった。「わかった。働きたいんやったら働けるようになれ」と。「その代わりお前長男やねんから家業を継げ」と、こう言わはった。それで彼はいま家業であるマンション経営をやってるんです。そのための道具にコンピュータを使うんです。彼が磨いた知識は、商売とか経営とか経済の勉強以外にコンピュータの勉強。彼がそういうからだになった当時は、まだほとんどコンピュータはなかったんですよ。ワープロ専用機だけやったときですが、そのワープロ専用機から勉強し、コンピュータに移行し、データベースつくって、きちっと自分のマンション経営ができるようになりはった。その彼と出会ったとき、彼が働きたいと思ってお父さん、お母さんが「やめとき」「無理や」とか言わんと「働きなはれ」と言い、そして彼の身体の動く部分でコンピュータのような科学技術の道具と出会ってやってるということは、きっとそういうこができる人は彼以外にももっといるはずやと思た。だって、それまでにも「働きたい」っていう話をいっぱい聞きましたもん。「できたらこの子もなんぞ仕事もやらしてやりたいんや」っていう家族にも、たくさん会いました。
あとは科学技術、道具やと思たんですね。私、彼に言うたんですよ。「いろいろな人が障害者と呼ばれた瞬間に、自分のええとこやできるところを発揮できないでいる。だけど君を見てたら、君の意志と家族や友だちと人の応援とそのコンピュータで立派に働いてる。ということは、もしかしたらいままでの福祉とは違う、その人に残された可能性を全部引き出すような、そしてその人が自分なりに納得してもらえるような、そういう日本になるかもわからへんねん」って。そしたら、彼がね「ぜひ一緒にそんな活動をしよう」って言ったんですね。それで、同じ気持ちの人に集まってもらって、活動しようってことになりました。

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彼にね「このグループ、どういう名前つけたらええかな?」って聞いたら、彼がね、ニコっと笑って「プロップにしよう」って言うたんですね。「プロップって何?」って聞いたら、また彼が笑って「僕がラグビーやってたときのポジション名なんだ」と言いましてね。思わず「私らラグビーチーム作るんじゃないよ。誇りある君のポジションやったっていうのはわかるけど、私らがやるその活動にマッチングした名前にしやなあかんのちゃうの?」って私言いました。で彼がすぐに調べたら、プロップという言葉には、“支柱”“つっかえ棒”とか“支えあい”っていう意味があったんですね。プロップっていうポジションがそもそもガードをする中心的なところらしいんです。その“支え合い”っていうの私気に入りました。なんでかっていうとね、いままで世の中、障害を持つ人は支えられる人、障害を持たない人は支える人ってこんなんが常識って言われてた。支える、支えられるの間に線があったわけです。ところが私が彼と一緒に始めようとしているこのプロップの活動は、障害があるとかないとかは関係ないねん。「あんた何ができんの? 何がやりたいの?」「私これ苦手やから手伝ってえや、その代わりあんたの苦手なとこ手伝うわ」みたいなのを国中に広げようとしている。障害があるとかないとか、若いとか年寄りやとか、男か女か、そんなもん関係なく自分にできることを、みんな世の中へ出して支える側にまわろう、無理なとこはその代わり支えてもらおうっていうような関係をね、この日本っていう社会に広げられへんかなぁと思って始めるわけです。だから、「支え合い」っていう意味のプロップという言葉は、ばっちりやねって言って、プロップ・ステーションという名前にしました。

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ふたつめの“スイッチ”
それは“チャレンジド”という言葉

実は、10年前の阪神淡路大震災直後に、アメリカにいるプロップ支援者の方から新しい言葉を教わったんです。これが私のふたつめの“スイッチ”でした。それは“チャレンジド”っていう言葉。日本でいう“障害者”に代わる新しい呼称です。「アメリカでは障害者っていう人のことをハンディキャップドとディスエイブルパーソンとか呼んでいる。だけどアメリカの人たちが気がついて言葉を変えようとして生まれたんだ。なぜならハンディキャプドもディスエイブルも、その人のマイナスのところやできないところに着目をした呼び方だから」。ディスエイブル、可能を否定しているんですね。人権の国アメリカって言っておきながら人間を呼ぶ呼称がね、「その人の、マイナスのところだけに着目しているっておかしいじゃん」って。アメリカの人たちから声が起きて“ザ・チャレンジド”っていう呼び方が生まれたんだ」ってその人が教えてくれました。「何それ?」って聞きましたら「チャレンジの後ろにed付いて受身体になってる」ってその人が言うたんですね。挑戦される、挑戦を受けるっていう意味。「余計わかりにくいわ、それどういうことなん?」って聞いたんです。そうすると「挑戦という使命や課題を与えられた、あるいは挑戦するチャンスや資格を与えられた人、そういう意味にとる。つまりその人の可能性の部分にエールを送る。しかもこの言葉は決してアメリカでは日本でいう障害者だけを指す言葉ではない。例えば震災復興に立ち向かう人はチャレンジドだっていう使い方をする」って言うんです。その言葉を聞いたのが阪神淡路大震災の直後。私ね、自宅全焼したんですね。プロップ・ステーションの活動を阪神間で起こしましたから仲間が全員被災者になったんですね。寝たきりのような状態の人、ベッドの上でコンピュータ使ったりっていう仲間がいたんですね。その子、高層アパートの上の方に住んでた。ごっつい揺れましてね、自分の力ではベッドから降りれないんです。幸いにも彼の身体の上には物が落ちなくて助かりましたけども。でもそういう状態ですから、もし下から火が出てエレベータが止まったらもう彼はどうしようもない、階段下りられない人ですから。だからもう彼は死を覚悟したと……。そういう仲間がいっぱいいたんですね。どうやって自分らが立ち上がって行ったらいいのかがわからん茫然自失の状態ですよ。その時に震災復興に立ち向かう人も“チャレンジド”って言葉で呼ぶんだってその
人が言ったんです。この言葉にはこういう哲学があるんだよってその人が言いました。「全ての人間に自分の課題に向き合う力が備わっている。そして向き合う力はその人の課題が大きいときにはたくさん与えられる。課題が大きい人には向き合う力もたくさん与えられる」と。それ聞いた瞬間に、ハッとした。震災とか自分の置かれてる状況を乗り越えられるかどうかそんなんわからん。でも私はこれに向き合える人やって言われてるっていうのが自分の勇気になったんです。これはすごい言葉やなと思いました。

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それからプロップでは“障害者”じゃなく、“チャレンジド”という言葉を使っていこうってみんなに呼びかけたんですね。なぜアメリカの人がこう変えたのか、あるいは言葉って変えられるんやでとか、言葉を変えることによって意識も変わるでと、そういうことを自分たちが使うことで伝えようと思ったんですね。プロップステーションに集まった仲間たちは、障害が重くてもみんなパソコンとパソコン通信を使って情報交換しながら、このプロップの活動を始めていたんです。目の見えない人は音声装置っていうのがあり、自分の打った文章を音声で確認し、人から来た文章やメールをまた音声で確認してコミュニケーションのやり取り、文書のやりとりずっとやってたんです。聴覚障害の人や言葉が話せない人は、文章のやり取りですから文字のやり取りでコミュニケーションが取れる。例えばからだが不自由やし言葉も言語も不自由で私はこう思いますって一言言うのにすごい時間かかるから、なかなか会議で発言しにくいという人も、家で自分のパソコンで都合のいい時間に都合のいいスピードで指1本でもいい、どんなに時間がかかっても意見を言える。つまりプロップでパソコン通信を使うことによって、コミュニケーションがバリアフリーになることを知ったんです。見えない人、聞こえない人、しゃべれない人、動けない人も「私はこう思います」って、見える、聞こえる、動ける人と同じ1行です、平等な1行なんです、すごい道具やなぁって思たんですね。このパソコン通信で、プロップの活動を呼びかけたり会議開いたりシンポジウム開いたり、あるいはコンピュータをいろいろな人に教える勉強会をしています。

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チャレンジド達がボランティアする側に
なった阪神淡路大震災

震災のとき、しばらくはライフラインが止まったんですね。だけど電話線と電気が復旧した途端に、私たちの仲間はパソコンに向かって「私生きてる」「僕は無事でした」と。しばらくしたら「誰それさんどうなんや?」「助からはったんかな? どうかな? 無事かな?」っていう安否情報をとる。それからしばらくして何が起きたかっていうと、「お水どこでもらえんの?」「今日はお弁当ってどうなんの?」「お風呂屋さんどこも駄目やけど、どっか車いすの人でもお湯使えるようなとこないの?」とか、「どこどこの養護学校とかどこそこの老人ホームでオムツがなくなっちゃったらしいけど紙オムツ送ってくれる人ないかな?」とか。つまりパソコンで、情報交換だけじゃなくってボランティアが始まったんです。そのボランティアのひとりにさっき言うたベッドの上におった子が、寝たきりの状態で自分の知った情報を知らない人に教えていたの。パソコンボランティアって、いま日本では当たり前のように言われてるボランティア活動ですが、その最初の活動を寝たきりの人も含めて重度の“チャレンジド”達が実はあのとき始めたの。いままで何かをしてもらうだけの人やったはずが、震災の大混乱の中でボランティアをする、情報を伝える側にまわる、人に何か教える側にまわる……、すごい道具やな。だからこの道具をね、たくさんの人が使えるように広めていこう。プロップ・ステーションのコンピュータの勉強会っていうのは最終的に“チャレンジド”たちがそれを使って働ける、仕事しよう、っていうことを目指してます。
私たちの活動のキャッチフレーズは“チャレンジドを納税者にできる日本”です。このキャッチフレーズをつけたときに、たくさんの人に叱られました。「何言うてんねん、福祉というのは困ってる私たちのために、税金からどれだけ取ってこれるか、それが福祉の活動の大きな目的でしょ。それをその税金を払うってか? 障害者に働けと? しかもこんな重度の人に」と……。
でも、この納税者っていう言葉、タックスペアーですね。実は日本では私が最初に使ったんですが、アメリカでは約40年前にジョン・F・ケネディが大統領になって最初に議会に提出した教書の中に「私は全ての障害者を納税者にしたい、タックスペアーにしたい」と書いていたそうです。私は日本語に翻訳されたものをこのプロップの活動を始めたころに読んだんです。「えー? 何でケネディさん、こんなこと言うてんやろ?」と思ったんですね。ケネディ家って、実は親族に障害持つ方がたくさんいらっしゃったんです。ケネディがいちばん愛してた妹のローズマリーさんもかなり重い知的障害を持たれていた。だからケネディは政治家である前に人間として、アメリカという自由主義経済の国家において、あるいは資本主義経済の国家において障害を持つという人がどんな位置づけに置かれているか、どんな目で見られるかっていうのをいやというほど知ってたんですね。その彼が全ての障害者を納税者にしたい。全ての障害を持つ人を納税者にするのだという意思を、国家が持つことこそがその人を国民のひとりとして認めその人の尊厳を価値を認めることなんだと、ケネディは考えたわけなんです。それを読んで、私は目から鱗でしたわ。「そうか、私らが目指していたこと、彼が言ってることと一緒なんや。つまり誇らしい存在として自分が自分のまんまで誇らしいでって言うためには、こういう考え方が絶対必要や。気の毒な人や、弱者やと社会が決めつけちゃう、これが差別の出発やってんやなぁ」って。だからアメリカでは40年前から弱者を弱者でなくすことを福祉と呼んでる。日本では「弱者っていうのはいるんや」と、「こういう人らが弱者や。だからどうかしてあげよう」というのが福祉なんです。

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アメリカでは、そのケネディが大統領になったあの60年代に公民権運動が吹き荒れたんですね。ヒッピーとかそういう人たちが、世の中に現れたんはそれですよね。最初にアメリカが法律も変えてやったことは人種差別に取り組むことでした。次にやったことは男女の差別に取り組むこと。そして「アメリカンズ・ウィズ・ディサビリティ・アクト(障害者のための反差別連邦法)障害を持つアメリカ人法」というのをいまのブッシュさんのお父さんのときにその法律を制定して、つまり障害を持つ人の人権について、障害を持つ人のすべての人がタックスペアーになるための差別を禁止という法律を作ったんですね。そしていま、アメリカでは年齢の差別撤廃、つまりどんな年齢であってもその人が社会参画をし、働きたいと思うんであれば働けるチャンスがつかめるようにしようという法律があります。ヨーロッパ連合はもう数年前にEUは定年制撤廃しました。ところが日本ではいまだに65歳以上と15歳以下は従属人口と呼ばれるんですね、もちろん障害の重い人もそうです。つまりそういう人たちは弱者。弱者なんだから何かしてあげなくっちゃいけない人って位置づけなんです。でも、いま日本は世界一のスピードで少子高齢化が進んでるんです。いまのようにこういう人らは弱者やねんって社会が決めつけて何かしてあげるねん言うて、この「してあげる」ってものは、どんどんなくなるんですよ。ましてタックスペアーになりうる人は少子化ものすごいスピードで減っていっちゃうんですね。私は、それがいちばん困るんです。自分の娘が重症心身障害だから。重症心身障害の娘っていうのはひとりでは絶対生きていけないんです。ほんとに100%社会が守ってくれないと生きていけないんですね。つまり、この図式、いまの弱者図式でいうと最弱者であって税金食い虫なわけですね。だけど、もう経済が立ち行かなくなったとしたら、そのときに社会は彼女を守ろうとするんだろうか? それを考えて「あー、こりゃ持たんな」と思いました。30年前、私が重症心身障害の娘を授かったときに出会った障害児のお父さん、お母さんがね、「私この子より1日あとに死にたいですわ」とみんなが口癖のように言わはるんです。それはね、残して安心して死ねないってことを言ってるわけです。じゃあ、どうやったら安心して死ねんのか? 私も必死で考えましたよ。ひとつは意識が変わらんとだめですね。そういう人たち、社会に貢献できない
状態の人であっても、その人の尊厳を守ってあげようかとか、生きていられるようにみんなで考えてあげようかっていう意識とか制度です。もうひとつはその意識や制度を裏づけるお金。経済の裏づけです。このふたつを何とかせなだめなんです。意識と制度と経済の裏づけが続くような、そういう社会にするしかないと思ったんですね。
そんなん思ってこの活動始めた時に、そのケネディの言葉とアメリカではその制度を変えて実現しようとしてきてる。アメリカだけじゃなく、実は日本が福祉の手本にしてるスウェーデンもそうやってる。約40年前に政策転換して弱者を弱者でなくす福祉に変えてるんです。「いまからでも遅くない! 日本でも出来るかもわからんで」と思ったわけですね。
今日ね、映像をふたつ観ていただこうと思います。ひとつの映像はプロップ・ステーションがやっているコンピューターやIT、情報通信といわれる技術を使って重い障害を持つ方が、介護の必要なような状態の方もコミュニケーションをとり、働いていらっしゃる、そしてそれで収入を得てるっていうことを去年7月にNHKが番組にしてくださった映像です。もうひとつはフェリシモのみなさんとご一緒に作業所や授産施設で、いろいろな物づくりをされている方々、“チャレンジド”のみなさん、その方々にフェリシモのプロのデザイン力と素材の力と、マーケティング、販路などを組み合わすことによって、その人たちがつくり上げるものがほんとにプロフェッショナルな製品として世の中に出て行く。チャレンジド・クリエイティブ・プロジェクトです。

(映像)

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母ちゃんのわがままで
社会を変えてしまえ! と……。

私ね、自分の娘が重症心身障害だからわかるんです。すべての人が働けると思いません。すべての人に働けとも言わないです。だけどその人が働きたいと思うのであれば、その人の力を発揮できる状況をやっぱりつくらないとあかんなと思います。目的は自分の娘を残して私が安心して死ねるようにという、この母ちゃんのわがままですわ、究極のわがまま。「娘のために社会全部変えてもうたれぇ」みたいなね、ごっついわがままやと思う。でもこんなん絶対ひとりではできひんのですね。ひとりではできへんのやけど、ひとりから始めん限り始まらへんなぁというふうにも思います。
私は自分の娘が私の“スイッチ”、最高の宝物を授かったと思ってます。四つ葉のクローバーってありますやろ。あれねクローバーの世界では異端なんですよ。でもね、人間はあれをしあわせのシンボルにしています。見つけたら喜んで摘んで、押し花にしたりしてプレゼントにしたりとかね。人間って、想像力で社会をつくってるんですよ。ということは、これはしあわせのシンボルだと思えば、決めれるんです。そして決めたように行動できるんです。その力がみんなの中にあるんです。だから障害ってことをマイナスと思ってマイナスと決めたらみんなマイナスやなって動いてしまうんだけど、マイナスちゃうでと決めたらいいんですね。人間は決めることができるんです。

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決めるってことは最終的にはやっぱり社会のシステムなんです。目標は「全てのチャレンジドを納税者に!」。どんな人も社会を支える一員になれるように弱者を弱者でなくそう。国によって手法は違いますけれども、目指すところ一緒なんです。さあ、日本も負けてられへんでしょう!

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
私は発展途上国とかの海外のボランティアに携わってるんですけども、ボランティアっていうと「すごいね」って言われるだけでそこからなかなか一歩踏み込んでもらえないんですけども、ナミねぇがこれまで障害者のボランティアっていうことでされてきて、周りの人をどうやって巻き込まれていったのかを教えていただきたいと思います。

ナミねぇ:
例えば、私は今日ここでプロップのお話をしました。だけどここで私の話を聞いてからやっと関心を持つっていう方もたくさんいらっしゃると思うんですね。つまり関心を持ってもらおうと思ったら、持ってもらいたいという人間は持ってもらうための行動を起こさんとあかんのですね。持ってもらいたいなぁって100回言うても、1000回言うてもそんなもんあかんわけですわ。やっぱりできる限りアピール度の高いことをせなあかんのですね。だからボランティア活動っていうのは非常に地味なことであるにもかかわらず仲間集めをしたり活動の輪を広げようと思ったらアピールせなあかんしアピール度高くないとあかんというジレンマに陥るわけです。ですから地味でまじめな方がやっているボランティア活動ほど関心をもってもらえない。私みたいな奴がワーカワーカとあっちゃこっちゃで言ってると関心をもってもらえる、ということになるわけですね。ということはそのボランティア活動をやる人の中にアピールが得意やっていう人がおらんとあかんということ。プロップもコンピュータ使ってるからコンピュータのできるボランティアさん求めてるけど、上手な人ほど人つきあい下手で、コンピュータは好きやけど人間怖いとかね、あんまり人づきあい好きじゃないんです、という人が多いわけですよ。だから、外へ伝える役目の人間もいるんですよ。その役目の人間はそれができるんやったら「それでええやん、それまかすわ、やってや」っていう仲間づくりをまたせなあかんっていうことなんですね。だから、人数少ないんやからどれもこれも全部自分がやるわじゃなくって、仲間づくりは絶対得意分野の違う人が組まなあかんのです。それぞれ得意分野が違ってでもうまくその力を認め合ってやってるっていう所はやっぱりボランティアスループやNPOでも前に進んではるんですね。ですので、そこらをヒントにしていただいて、あなたがもし、外へアピールするのが得意やったら、しばらくそれに専念して他の事は仲間にまかすとかね。あるいは得意な人に入ってもらえるように、まずそこへ集中するとか考えてみてください。

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お客さま:
私は、いま作業所に通っています。そしてそこの会報とかホームページを作っています。まだまだ勉強不足なのですが、プロップ・ステーションで教えていただくことは可能ですか?

ナミねぇ:
ええ質問ですやんか! 実はいま兵庫県の県庁職員と一緒に作業所の皆さんができる限りホームページとかで情報発信とかしていけるセミナーをやろうとしています。兵庫県も本当に力を入れてやってくださってましてね。プロップ・ステーションでは、コースもいっぱい用意していますので、ぜひ勉強してください。ホームページからでも電話でもお問い合わせください。見学ももちろん無料です。ぜひ見にきていただいて、勉強してみようっていうコースに入ってください。チャレンジドの先生たちに習う方々はチャレンジドだけではなく高齢の方もいらっしゃいます。あるいは子供さんが小さいから普通のセミナーに習いに行けないよっていうお母さんなんかこども連れで来たりも……。そういう一般のセミナーじゃない和気あいあいのセミナーです。楽しみながら、しかもゆっくりとやっていただけますんで、ぜひぜひ!

お客さま:
ナミねぇはどのようにしてマキさんとコミュニケーションを取られていますか?

ナミねぇ:
娘は、目が見えないですから目と目を見合わすってことが出来ないんですね。それから言葉が言葉としての機能を持ちませんから、言葉でのコミュニケーションもできない。それから精神の障害も重かったんですが、その精神の障害がね“接触の拒否”ってのが出たんですね。つまり抱っこするとそれがね発作に繋がると……。信じられへん! お兄ちゃんを育てた経験から、母とこどもは言葉なんかなくっても抱っこ、スキンシップが全て、ぎゅっと抱きしめたら言葉なんかいらないとか思ってたのに、その抱っこするのがだめ、パニックに繋がるんですね。なんてことだと。ところが7歳くらいになったとき、抱っこするとね、ちょっと添うてくるようになりました。それまで抱っこもそうやけどおんぶも嫌いやったん。だから家事せなあかんとき、無理矢理おんぶしてお茶碗洗ったりしてても、背中でギャーッと泣き叫んでるみたいな状況やったんですけども、18歳、養護学校を卒業するころ、おんぶしたらね自分から足をね、きゅっと巻いてくるようになったの。一昨年30歳の夏に、一緒に地元の盆踊り行ったんですよ。娘の車いす押しながら、ドラえもん音頭とか一緒に楽しんだんですけど、えっらい機嫌が良かってね、ちょっとおんぶして一緒に踊ったろと思って、おんぶした途端に、さっと腰に足をまわしたんですよ。それだけじゃなくってパッと腕もね首に巻きつけたんですよ。そのうれしさというのはお兄ちゃんを初めておんぶして首にね腕を巻きつけた時の100倍1000倍。そのときのドラえもん音頭、忘れられません! そんな一個一個がコミュニケーションなん。娘なりの発達スピードがあるんですね。これをコミュニケーションと言わずして何をコミュニケーションと言うのでしょうか!
例えば、今日ここで私とみなさんもコミュニケーションなんですね。だからコミュニケーションは何か?って言われると言葉では言いにくいけど何かを伝え合うことというふうに思うんです。

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フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。例えどんなに勇気や志があろうとも、そのときの環境や人の支えがないと行動に移せないことがあると思います。また情報や知識、技術は得てしてみなさんが同様に手に入れるものではなく、そこで知っている、知っていないという格差が出てくると思います。その格差を埋めるITやユビキダス社会などの発展はより多くの人との時間空間を越えてコミュニケーションがはかれる点でいいことだと思うのですが、反面、人と人との直接的な関わりが少なくなるのではという危惧も生じます。というのも最近引きこもりやバーチャルな世界に麻痺して犯罪に走るケースが多いのではと考えさせられることが多いからです。ベストなのは顔の見え、声の聞こえる生のコミュニケーション。時代の流れとともに見えてきたコミュニケーションツールの多様性による良い部分と悪い部分、諸刃の剣の使い方、それに対する考えをお聞かせください。

ナミねぇ:
非常にむずかしい問題ですよね。だけど私が言いたいのは、コンピューターやITってのは単なる道具やっていうこと。例えばここに1本の包丁がありますと。この包丁で大根切っても、お豆腐切っても、人を切りつけても、この包丁に罪はないですよ。包丁をどういうふうに使うかという道具というのは常にすぐれて人の使い方によって恐ろしい物にもなれば優しい物にもなる役立つ物にもなるですよね。
と同時に、プロップの活動でわかるように人が初めて本当に人間らしくこれによって生きてきた、生きれるようになったっていう道具でもあるわけですね。はじめパソコン通信のころは、パソコン通信って「打ち出の小槌や」って言うてたんです。インターネットの時代になってからは、自分にこの道具はまさに人類が火を発見したほどの物であると言わはるんですね。つまり価値観、世界観、自分の生き方存在価値、全部を変えることができる道具だ。それをどう使うかっていうのは人間側に責任のあることです。だからみんなで使い方を考えていこうと思います。
プロップ・ステーションで、最重度の方までがいろんなアタッチメントやソフトウェアによって使うことが出来るということは、いまコンピュータが苦手と言う人にも、もっと使いやすい道具になっていくということなんです。コンピュータを使いやすいものにするために努力してますが、できればいま苦手やから触りたくないなと言ってる人こそに、実は意見を出して欲しいのね。「こんなんになったら自分ら使うわ」っていうのを言うてくれたら、必ず変わるんです。科学というのはそういうふうに進んでいるんです。“チャレンジド”の人たちがやってるにことは自分たちの生活を高めるだけじゃなく、もっとこうしたら私らが使えるいうことをからだで証明してるんです。「5本の指、両手で打たなあかんと思てたものが口にくわえた棒でもやれます」とかみたいなことをね。そしたら、くわえた棒でやるためのソフトウェアはどんな開発したらええかというふうに広がるんです。いま「苦手、いややな」と思ってる人こそが、いいアイデアを持ってると思うのでぜひ発揮してください。

フェリシモ:
本日はナミねぇの講演から勇気とは自分の心に正しく生きていくこと、揺ぎない精神軸であり、変化があってこその勇気ではなく勇気があってこその変化だということを改めて感じることが出来ました。本日はどうもありがとうございました。

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Profile

竹中 ナミ(たけなか なみ)さん<社会福祉法人プロップ・ステーション理事長>

竹中 ナミ(たけなか なみ)さん
<社会福祉法人プロップ・ステーション理事長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
重症心身障害児の長女(現在31才)を授かったことから、日々の療育のかたわら障害児医療・福祉・教育について独学し、challenged(障害を持つ人達)の自立と社会参加を目指して、活動を続ける。手話通訳視覚障害者のガイド、重度身体障害者施設での介助や痴呆症の方のデイケアなどのボランティア活動を経て、1998年社会福祉法人プロップ・ステーションを設立。理事長に選任。こうべユニバーサルデザイン推進会議委員、兵庫県IT戦略推進会議委員などなど多数の委員を務める。2001年日経WOMAN「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」ネット部門授賞。同年総務大臣賞受賞、2004年神戸新聞 社会賞受賞。2005年1月財務省の財政制度審議会委員に就任。著書に「ラッキーウーマン~マイナスこそプラスの種」(飛鳥新社)などがある。

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