神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「自由を求めて世界へ!」



<第1部>



はあい、こんにちは。俺、高橋 歩、いま32歳。もともと東京にいたんですけど、4年前、妻のサヤカと世界旅行して帰ってきて、「こどもを育てるならどこがいい?」「どこがいいかなぁ?」って。秋田ぐらいからかな、バイクでずーっと日本をまわって、沖縄に来たときに、人とか自然とか何かよくて、3日いたら脳みそがスパークしちゃって「ここに住もう」「ここでこどもを育てよう」と思って、そのまま不動産屋さん入って「すいません、家貸してください」って言って。それで4年前に住み始めていまに至るって感じ。

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いまは、たまにこうやって呼ばれて人前で話したり、本を書いたり。あと沖縄でメインでやってるのは「島プロジェクト」理想のビレッジという、簡単に言うと衣、食、住、エネルギー全部を自給自足するっていうエコビレッジみたいな、そういうのを自分たちでつくってます。ほんとに、建物ひとつでも全部手づくり。ソーラーと風力を使った、自然エネルギー100パーセントで運営して、畑も全部自分らでつくって、鶏とかも飼って…… みたいな。ちょっと(テレビドラマの)『北の国から』っぽいんだけど、メンバーが都会出身のヤンキーみたいだから、意外とファンキーだと思う。自給自足だから原始的になるとか、そういうんじゃなくて、かっこよく気持ちよく、なんかすげぇハッピーにピースに生きていくみたいに。そういう気持ちで始めた自給自足っていうのかな。
いまの日本を見てて、いろいろ思うことがあって、「俺が政治の世界に乗り込んで行ってやる」っていう気持ちになる奴もいるけど、俺は「世の中、周りのせいにするぐらいだったら、自分でゼロからつくってみろよ、生活の環境を」って思ったのね。「水や電気を引くところから最高に気持ちいい暮らしっていうのを自分でつくってみろ」っていう気がして。沖縄でもさ、何万年も元気だった珊瑚が、ここ5年10年でどんどん死んでいったりとかさぁ、海の汚れ方とかもひどいんだよね。

みんな口では、「エコ」とか「自然を守ろう」とか言うけど、そのために実際何かやってる人ってほとんどいないと思うし、俺も含めここにいるみんなも、いまみたいな暮らしをしているということは、自分たちのこどもの世代に対して「地球が汚くなって、おかしくなっても知らねぇよ」「別にこどもとか、そのこどもの世代に石油なんかなくなったって知らねぇよ」「温暖化になって気候なんかめちゃくちゃになったって知らねぇよ」って言いながら生きてるのと一緒だよね。俺には「うみ」と「そら」っていうこどもがいるんだけど、こどもたちが大きくなったとき、「昔は海がもっときれいだったけどなぁ」とか「もっと日本って自然がたくさんあったんだぜ」とか、そういうことを言うお年寄りになりたくないなぁっていうのがあって。それで自分の中でやれることなんだろう? って思ったときに、「地球にやさしいから不便」とか、「地球にやさしいから生活するのが大変」とかはいやじゃん。地球にやさしいんだけど、気持ちよくて、かっこよく生きていくっていう、そういうビレッジを実際につくりたいっていうので、いま沖縄でみんなでつくってるのね。

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「高橋 歩」的生き方って?

最初にいままでやってきたことを少し話します。けど、あくまで、世の中60何億人もいる中の高橋 歩の生き方。生きていく中で「俺はこう思った」っていうのを言うだけで俺は人に「ああ生きろ、こう生きろ」とか言うつもりはないし、「こういうふうに生きるのがいい生き方だ」とか言うつもりもない。ただこういうところに来てる理由は、こうやって(みなさんと)直接会って同じ空間を過ごすことで、このあとの人生のどっかでクロスしたときに、「神戸学校で見たよ。なんか生意気に話してたよなぁ」みたいな、突っ込むきっかけになるじゃん。それでひとりでも友だちが増えていけばいいなぁと思って、まあそんな気軽な感じ。

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いまプライベートビデオでもあったけど、お店をやったり出版社をやったり、彼女と世界一周したり、沖縄に住んだりみたいなことをやってきました。本を出している関係で、「高橋 歩さんって行動力ある」とか「勇気がありますよね」とか言われんだけど、ただ仲間と「こんなことやっちゃわねぇ」とか言って盛り上がってそのままいってるって感じ。
縁日に行くとヒヨコが売ってるでしょ。小学校2年のときに、そのヒヨコを見て友だちと「このヒヨコ、ニワトリにしたくねぇ」って、超盛り上がって。でも団地に住んでいるから、もちろん飼っちゃいけないのね。でも、そのヒヨコ屋さんの横で「どうする?」って作戦会議。「用務員の親父に頼めばいいんじゃない?」と思いついた奴がいて、「おめぇナイス!」とか俺が言って。で、みんなで1回団地に戻って、用務員の親父の前に10人くらいで「お願いします。飼わせてください」とか言ったら、用務員の親父が乗ってきてさ。結局ヒヨコ6匹くらい買ってきて、用務員室で飼って、友だち10人くらいで曜日を決めて夕ご飯をみんなポケットにちょっと入れて、お母さんにわかんないように「ちょっと外行ってきまぁす」「ちょっと友だちんとこ行ってきまぁす」とか言って、それを用務員室で(ヒヨコに)あげるのね。

それでね、ヒヨコからちゃんとニワトリになったわけ! そして団地の中でパレードをしたんだよ。みんなで協力してご飯あげて、それがニワトリになったときの感動みたいなのがあって……。
なんかいまもそんな感じ。みんなで会って話して、「こんなことやらない?」とか言って、盛り上がって「やっちゃえ、やっちゃおう」とか言ってやってる、みたいな感じなのね。だからどこに行動力とか勇気とかがあるのか、ちょっとよくわからないんだ。 (略)

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映画『カクテル』に脳みそがスパーク! した20歳。

俺の人生の最大の転機は20歳のとき。ひとり暮らしの部屋で、ネコとふたりでトム・クルーズが出ていた『カクテル』っていう映画見てたんだけど、見終わって「超あちぃ」とか言って、ずーっとひとりで拍手。すごい印象的だったんだよね。いままで俺は社会人になるっていうのは、いやなことにも耐えて、「ああどうも、ねえ調子いい?」とかいうのが社会人って思ってたわけよ。その映画の中のトム・クルーズはさぁ、好きな物に囲まれながら好きな酒飲んで好きな音楽流して、女の子たちにも超モテて、超金も持ってるみたいな……。「マジかよ。こんな社会人ありかよ」って思ったんだよ。映画の中に、大学生の場面とかも出てくるからさぁ、(影響されて)「俺も店だそう」って思ったんだよね。「やっと見つけた!」って思った。もしその場所に普通の人がいたら「歩、これ映画だよ」って教えてくれたんだと思うんだけど、ネコしかいないから……(笑)。

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熱くなってそのまま本屋に直行して、「開店ガイド」みたいな本を、座り込んで読んでたわけよ。したら衝撃的っていうか、開業資金2000万とか、「おーい」って突っ込みたくなるような金でしょう。俺その時ポケベル代もてんぱってるようなライフじゃん。時給800円とかだったし。熱くなったのはいいけど、その自己資金がないから挫折したんだよね。でも、そん時にサヤカとか友達に「俺店出すわぁ」って言っちゃってたんだよね。「金が掛かるからやめた」とかダサいじゃん。だから、金のことは1回忘れようと思って。「自分の店持ちたい」っていうことのために、「いま俺ができることは?」って思ったのね。それで「まずバーテンとして力をつけることっていうのは必要だよなぁ」と思って。で、すぐバーでバイトしたんだ。始めたのはいいけど、俺がやるのは、洗い物と先輩のから揚げ弁当を買いに行くこと。それが3ヵ月間くらいずっとなわけ。「トム・クルーズじゃねえ」とか思いながらさ、先輩たちは「おはよー」とか言ってさ、松嶋 奈々子系のけっこうかわいいお客さんが、「私みたいなカクテルください」とか言ってるんだ。先輩は「オッケー」みたいな(笑)。カシャカシャっていわせなから楽しげな世界が展開されてるわけ。

で、俺だけカウンターの端っこで洗い物、つらい日々でしたねぇ。(略)
3ヵ月間くらいやって、「なんか、トム・クルーズの映画はかっこよかったけど、実際働いてみるとつまんねぇな」と思ったの。それで、そういうことをぽろっと大学の友だちにこぼしたときに、友だちがさらっと「そりゃ、洗い物だからつまんないんじゃねぇの。先輩の方に行けば楽しいんじゃない。チーフかバーテンダーとしてちゃんとできれば楽しいんじゃない」って言われたのね。「そうだな」ってそのとき思ったわけ。で、店長に「どうやったら、お酒とか作る人になれるんですか?」って聞いたら、「お前は、新人だからってのもあるけど、簡単な話、先輩よりカクテル作るのが下手だろ。うまくなってみろ」って言われたのね。そこで、もうスイッチ入っちゃうじゃん、俺。「よし!」と思って。「1日21時間体制」を始めたわけ。これは、「1日の21時間をひとつの目標にだけに注ぎ込む」っていう体制。その時は、バーテンダーとしてカクテルを作ることが上手くなるっていう目標。大学を全部休み、狭いひとり暮らしの部屋もバーみたいにして、サヤカを客代わりにするわけ。で、「歩、おはよー」とかって来たら「お前、『おはよー』じゃねぇべ。店なんだからちゃんと、『どうも』って入ってきて、俺が『いらっしゃい』って言うんだよ。もう1回」って、「超めんどくさい」とか言われながらやってもらって(笑)。狭い部屋のちゃぶ台に座って、「何にしますか?」って言うと、「なんか何でもいいから、軽いの」とか言われちゃって、「ちゃんとやる気出して!」とか言いながらさ。「じゃぁ甘くて飲みやすいの」「はい、わかりましたぁ」って……。3杯くらいでもうサヤカはグッバイなんだけど。そうやって、家でも練習したり風呂入ってるときにもレシピ覚えたり、3~4ヵ月徹底的にやったんだ。そしたらね、いきなり先輩をふたり抜いて「チーフバーテンダー」になった。それから、すごい楽しかったのね。「あぶねー、よかったやめなくて」って思った。
バーテンダーになってから、「やっぱ自分の店やりたいよなぁ」っていうので、友だち4人と盛り上がって、そんなこと言ってると、自分たちが働いてる店が潰れることになって、オーナー募集みたいなのが出て、その資金が600万円。「1ヵ月でここに600万円積んだら、お前らの店にしてやる」って言われたのね。そのころ、20歳、大学生、ポケベル代滞納、みたいなレベルの4人組にとって、600万円って現実的じゃないよね。4人で、「今不景気だしさぁ」とか「なんかこう、やっぱ大学卒業してからやっても遅くないんじゃない」とか「いまやるなっていうサインが出てる」とか(笑)、ポジティブにフェードアウトしていく典型的トークをして……。

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その夜帰って寝ようとしたときに、なんか寝れなくてさ。俺、このままだったら数ヵ月後には「お酒つくるのが趣味」とか、そういうふうになって、40、50歳で「俺も若いころはさぁ、店やろうと思ってたんだけど……。みたいな親父になるな」って思ったのね。今回がんばってバーテンダーの練習もしてきたことだし、実際にどうやって600万円集めるのかは不安だったけど、ここでやっぱり逃げないでやってみようと思ったのね。20歳のガキでできないんだったら、それは30、40歳になってもできないだろう。上手くいくかどうかわかんないけど、ちょっとまじ1回やってみるべ、みたいな。それで友だち3人と、もう1回集合して、「やるべぇ、まじで」みたいに超熱くなって。でね、1ヵ月で、ひとり150万円を集めることになったわけ。俺は、まず最初は「持ってる物、全部売ろう」と思ってギター、バイク、サーフボードとか、あげくの果てにはCDも1枚100円とかで売って、あとネコも売ろうとしたんだけど逆に金払えとか言われた(笑)。

で、18万円になった。あと132万円……。(略)いろいろがんばって、友だちに借金したりもして……。1ヵ月間で合計620万円をみんなで集めたのね。素人同然の状態でお店を始めようとする俺たちに、結婚資金貯めてた奴だったり、自分が車買うために貯めてた金だったり、あと床屋に行く前に2000円貸してくれた奴とかまで、ほんとに多くの友だちが貸してくれて……。だから俺らが集めたっていうのは言い過ぎかもしれないけれど、まあ結果として集まって、それをこたつの上に積んだんだよね。それ見た時「イエーイ」って気持ち半分、なんかこう初めてそこまでの現金見たからさ、すごい胸がキューンとして「怖いな」って思ったの覚えてる。 それで千葉の駅前にアメリカンバー「ロックウェルズ」をオープン。最初は文化祭みたいで楽しかった。けど、全然売れなかった。もっとワーッと売れると思ってたから。借金がある上に全然売れなくて、これじゃ友だちにお金返せないってなって、売れるためだったら何をしてもいいって気持ちになってきて……。ポリシーとか、こだわりみたいなものとか、自分の気持ちみたいなもの全部置いといて。で、世の中で売れてる物、例えばワインが流行ってりゃワインも置くし、むかつくお客さんでも高い酒を飲んでくれる人だったらがまんしたり。「それが仕事なんだ」って思って、とにかく「売れそうなことをやんなきゃ」ってなってやったら、売上げが余計下がっていったんだよね。

で、始めて半年くらいたったころ、4人でぶっちゃけトーク。「俺、正直いまの店、すげぇつまんねぇんだけど」「もし戻れるなら大学生に戻りたい」とか言って……。「じゃあ最後、もう1回俺たちがかっこいいと思うスタイルに戻して、それでだめだったら、みんなで佐川急便でバイトして借金返そう。で、普通の大学生に戻ろう」って話し合って。それで、自分らが好きな音楽、おいしいって思うお酒、かっこいいと思う内装にし、このスタイルを気に入ってくれる人だけが来ればいいと思って、そういう店をやったんだ。最初は「お前、仕事をなめてんのか」「そんなの自己満足だろ」「ビジネスがわかってない」とか言われてさ。それでも、思いっきりやりたいようにやたんだ。そしたら突然売れた。びっくりしたね。それで、2年間で4店舗に広がった。そういうことがあって、俺みたいな凡人でも、ほんとにやりたいこと、自分たちの感性を信じてやれば、いつかはちゃんとかなうときが来るんだなぁって、初めて人生で実感して。それでやっと、自分のことが何か好きになってきたんだ。

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22歳、バーの次は出版社
そこでもあらゆる失敗を経験値に変えて……

22歳でお店4店舗持って、お金も結構あった。でもなりたくない大人になってたっていうか、なんか小さな成功を、どんどん前に出してアピールしていくような奴になってた。で、ふと気づいた。「やべぇ、いまの俺、超寒い」って。それで仲間に話して「お店4軒持ってる『高橋 歩』じゃなくて、ただの『高橋 歩』になって、また『お願いします』っていうところから行きたいんだよね」って言って、みんな「おいおーい」って感じだったけど、わかってもらって辞めさせてもらいました。

で、23歳のときにまたプー太郎になって。で、次にスパークしたのが、偶然友だちと本屋へ行ったとき。自伝コーナーで、「ここに野口 英世、キュリー夫人、高橋 歩、アイン シュタインとかあったら、熱くねー?」とか俺、言ってたわけ。そしたら友だちが「熱いよね。歩くーん」って。それがまた始まりだったんだよね。で、どんどん盛り上がっちゃって、「どういうふうにやったら、本って出せるわけ?」みたいな。調べたら、「出版社が、企画を通してくれれば出せる」みたいなことを書いてあって。でも俺、そのころ出版社って、なんかこんな変なのつけて、こんな眼鏡してる白髪のおじいちゃんがやってるのが出版社みたいなイメージがあったわけ。そんな人が俺の自伝を出してくれるわけがないって思ったねぇ。そこで「じゃぁ、自分らで出版社ごとやるべ。そうすれば誰に聞かなくてもいいだろう。自分で出してぇもの出せんだぜ」って話になって。そこで、一緒にいた友だちが「そうだね」って言っちゃったのが、もう決定事項! そこから、またお店のときと似たような感じで、出版社もいくらくらい必要かってわかんないから、借金して自伝出したり、弟のイルカの本出したりして、莫大な借金もありとあらゆる失敗もあったけど、やっぱいまいちばん思うのは、何かこう、成功するまでやれば必ず成功すると思うんだよね。俺は自分に才能があるとも思わないし、行動力があったり、自分らしいかとかそんなこといっさいわかんないけど、俺は絶対決めたことから逃げない。だから成功するまでやるって言ったら、それは絶対やめないでやるっていうことだけだった。

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あとは、やっぱり素人がやって、「最初は失敗するに決まってんだろう」って俺は思うのね。その代わり、二度同じ失敗をしないっていうのもポリシーにしてる。同じ失敗をしなければ、そのうち失敗のネタも尽きると思うんだよね。それは世の中でいうとコツをつかむ、みたいなことなのかもしれないけれど。俺ら多分出版業は、最初の1年で、ありとあらゆる失敗をし尽くしたと思う。それで、4、5冊目を出すころからだんだん失敗が減ってきた。さすがに失敗のネタがなくなってきた感じっていうのかな。だからそれ以降は、自分の好きな本を出して、ちゃんとご飯食べていけるくらいは収入が入るようになったんじゃないかなぁと思うのね。だからいまだに俺は「高橋さん、新しいことに挑戦するときはギャンブルですよね」みたいなことを言われるんだけど、すごいスッキリしてて、「うまくいくまでやめないから絶対うまくいくんじゃない」みたいな。だから、その間続けていく精神力だけちゃんと持っていることができたらいい思う。

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新婚旅行はサヤカと世界一周

それから、26歳のとき、6年つきあってたサヤカと「そろそろ結婚するかぁ」みたいな話になって。で、サヤカと新宿のカフェでデートしてて「サヤカ、おめぇさぁドラゴンボール7つそろったら、何してぇ?」とか聞いたわけ、俺が。そして、サヤカって銀座のOLで結構冷めた人だから「何言ってんの?」って感じだったんだけど。「歩と世界一周かなぁ」みたいな感じのことを言ったのね。それで俺もまた脳みそパーンってスパークして「来たー! これだ!」と思って、「いいねぇ、サヤカと世界一周、超あちぃ」とか言って。それで、そのまま本屋にダーって行ったわけ。してもさぁ、ガイドブックとか見ても、「旅の予算はスタイル次第」とか書いてあってらちあかないじゃん。しかも「コース全部おすすめ」って書いてあるわけ。俺、ヤンキーだから座ってこう本積んで、本屋さんに座って見てたんだけど、いくらかかるかもわかんないし、結局、世界地図持ちながらぐるぐる適当に周って、金がなくなったら帰ろうっていうプランにしたんだ。「いつか行きたい」とか言ってたら絶対行けねぇから「結婚した3日後に出よう」ってなって、「1箇所目、どこがいい?」とか言ったら、サヤカが「グレートバリアリーフ」とか言って。「どこの国なの?」「知らない」「まじかよ」って言いながら。オーストラリアからスタートして、ふたりで2年くらい、地図を見て南極から北極まで50何ヵ国かを周ってきました。(略)
旅の中で印象に残っているのが、インド。マザーテレサのつくった施設「孤児の家」でボランティアしたいっていうのがすごいあったの。マザーテレサは、20歳でインドに立ったときに、困ってる人は山ほどいるし人の役に立つことも無限にあるのに、やっぱ伝染病がうつったら怖いとか、治安が悪いからとか、食べ物が合わないとか、結局何にもできなかったんだって。それでマザーテレサは「私は文明の中で暮らしながらだったら、人の役に立つこととか慈善活動のことを語れるけど、現場では何もできない人なんだ。でもそれって人としてどうなんだろう?」って思ったんだって。それから親とかの反対もすごく受けてたんだけど、もう一度ひとりでカルカッタの路上に立って、倒れてるこどもたちを洗浄することから始めていったんだって。その20歳のマザーテレサの気持ちを想像すると、すごいなぁと思うのね。

マザーテレサは亡くなられたけど、「1回行ってみよう」って、サヤカとふたりで「孤児の家」に行ったんだ。1歳から5歳くらいのこどもが多いのかな。もちろんインドの全員じゃないけど、多くの子は手とか足がなくて……。生まれた瞬間に、親御さんに、斧みたいなもので落とされちゃうんだよね。それは単純に、その方が孤児としてかわいそうだから収容してもらいやすい、そういう理由で。それで、そういう子たちっていうのは病院とか行けるわけじゃないから、それがきっかけで病気になったり、傷が膿んできたり……。そんな子たちを集めてる施設なんだけど。俺たちがやる「ボランティア」っていうのは、もう抱きしめるだけ。生まれてから、ずっと親に冷たくされて生きてきて、その後は観光客とか相手に「マネーマネーマネー」って言うのだけを身体の不調と戦いながらやってきて、3歳、4歳になって死にそうになってるっていう、その人生。やさしくされることなんてなかったんだろうね。だからね、抱きしめると、俺の肋骨が折れんじゃねぇかっていうくらい、ここをグーってやってくるのね、「絶対もう離さない」みたいな。だけどずーっとその子だけっていうわけにもいかないから、それをはがすみたいな感じになるけど、次の子を抱きしめたりして……。何だかよくわかんないけど、涙が出んだよ、抱っこしてると。すごい量の涙が出たんだ。感動的だったのはその子たち、朝、昼、晩ってこんなちっこいクラッカーしかもらえないんだけど、「抱きしめてくれてありがとう」みたいな感じで、クラッカーの半分とかくれるのね、俺に。
(略)

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そういう体験があって、その後ガンジス川に行ったのね。「死を待つ人の家」っていうのがあって、そこにはもう自分の死期のわかった、おじいちゃん、おばあちゃんが、家族にも別れを告げて、自分が燃やされるためのお金も払って、後はちょっとした恵みを受けながら死ぬのを待ってるっていう人たちがいるの。そういう人ってどういう顔してんのかなぁってのがすごい興味深くて。で、行ってみると、なんか普通の赤ちゃんみたいだった。おじいちゃん、おばあちゃんが、みんな赤ちゃんみたいな顔してんだよ。3~4回か話をしたことがあるおばあちゃんが、亡くなったときがあって、その人は焚き火みたいなのにポンって投げられてた。3時間ぐらいかな、骨がパチンパチンって割れる音とかもすんだけど、ずーっと燃えてた。話をしたことがあるおばあちゃんが、目の前で灰になって、それをガンジス川に流すんだけど、俺ももちろん人が死ぬのとかは知ってたけど、ちゃんとそういうのを見たのは初めてだったから、「あー、俺もいつかは死ぬんだなぁ」って思った。

その時27、8歳だったけど、まあ平均寿命80歳とした場合、「あと俺の人生も50年ちょっとくらいなんだなぁ」って思ったのね。「50年で俺はこの世の中からいなくなるんだなぁ」っていうのが、なんか初めてはっきり感じたの。その時に思ったのが、「俺やりたくねぇことやってる暇ねぇなぁ」って。そんなことばっかり考えて旅してたわけじゃないけど、インドは印象的だったなぁ、すごく。
(略)

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こんな楽しいことがあったなんて!
パパになった感動を『パパ・ブック』に。

俺、ジョン・レノン大好きなのね。ジョン・レノンって35歳から40歳まで専業主婦やってたんだけど、彼がショーンとヨーコと自分を書いたイラストがあって、それをどうしても『パパ・ブック』の表紙に使わせてほしいと思ったの。その思いをエージェント通してニューヨークのオノ ヨーコさんに手紙に書いて送ったら、オッケーが出たのね。せっかくだから、本のPVがあるんで見てください。

(映像ビデオ)

そんな感じで、「父親ってすばらしい」っていうのが、いま俺の中心にある気持ち。それを一冊にしたのが『パパ・ブック』。家族ってそれぞれ違うじゃない。だからこれがどうこうとか、そういうのはなくて、ただ、俺はいままで「夢をかなえよう!」みたいなのが強くて、でもいまいちばん自分の胸の真ん中にあるのは、「愛する人と自由な人生を!」みたいな気持ち。
みんなそれぞれ、ね、違う人生だと思うんだけど。こういう同じ何か時代みたいなものに生まれて、せっかく会えたっちゅうのもあるし。沖縄に来てくれたら、島酒(泡盛)でも飲んで、またゆっくり話せたらいいなぁと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
僕は友だちと仲間を組んで、やりたいことがあるけど、こうなんかきっかけがないとか、勇気がないとか、そういう子に手助けしてあげる活動をしています。問題なのが、やりたいことが見つかっていない子、これから何をしたらいいかわからない子、そんな子に対して僕らができることって何かあると思いますか?

高橋さん:
手助けよりは、自分らがやりたいことをやって、その楽しさの「オーラ」をまず出すことかなって思うのね。なんか助ける人は、あんまり必要ないっていうか……。それよりは自分らがやりたいことを思いっきりやるんだ。

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「みんながんばろうぜ」っていうより「やればできるよ」っていうのを見せればいんじゃないの。本の中で見たような人が成功したりするより、俺みたいな一緒に遊んでたバイトの仲間とかが、実際に店を出したのを見て「あっ! 歩にできんだったら、俺にもできる」っていう感じ。自分がまずやって「やりたいことやって生きるのって楽しいぜ」っていうのを、言葉じゃなくて背中で見せる、みたいな。それが結果として、仲間のやりたいことを応援することになるかなぁと思うけどね。

お客さま:
『パパ・ブック』を読んで思ったんですけど、こどもが生まれて変わった気持ちとか、奥さんに対して変わった気持ちを、聞かせてください。

高橋さん:
実際こどもが生まれたのを見たときに、「俺、このために生まれてきた!」ってくらいの気持ち。それまで俺は「男としてかっこよく生きたい」というのがあって、サヤカと結婚してからは、それに加えて「旦那として」っていうのが入ってきて。で、こどもが生まれたことで「父親として」ってのにも、かっこいい男像みたいな、自分が目指す人間像みたいのが、そういうのがすごいあるのね。それまで俺は、「ラブ&ピース」じゃないけどピース、平和みたいなこと言ったときに、なんかいろいろな平和的な活動を派手にしてる人とかが役立ってるとか、そういうイメージがなんとなくあったんだ。けどいまは、自分の家族さえしあわせにできない奴になんか、日本も地球もしあわせにできないって思ってる。なぜかっていうと、「世界」って家族の集まりなわけだからさ。まず家族を大事にしよう。もっといえば近くにいる家族とか、仲間を大事にして、そこからピースな空間が広がっていけばいいよねっていう、なんかそういう感じになって……。気持ちがすっきりしたっていうのがあった。

サヤカに対しては、まあ出産を見たらね、もう「リスペクト」って言うしかない。女性にしかできないことってほんとにたくさんあるなぁって思うし。十月十日ずっとお腹の中にこどもがいるわけでしょ。お母さんの精神状態みたいなものも、全部直接ガキんちょに入ってゆくじゃん。そういうのも含めて、こどもって3歳くらいになるまではずっとお母さんと一緒に過ごしてるわけじゃん。そのお母さんが出す空気が与えるこどもへの影響っていうのものすごく大きいと思うから、そういう意味で余計にその妻が気持ちよく、なんか生きていけるようにっていう、俺のパシリとしての能力も上げていかないといけないっていう人生になってるね(笑)。

お客さま:
サヤカさんにした決め手とは何ですか?

高橋さん:
サヤカと会ったのは、俺がまだピザ屋でバイトしてるころ。「歩くん、誇れることは?」って言われたら、「ピザを運ぶのが早いことです」っていうぐらいしか人生に誇れることがない20歳になったばかりの俺。サヤカは19歳で、友だちの紹介で2、3回みんなで飲んで。会って3回目くらいにサヤカと夜の公園で話してて、「サヤカちゃん、夢とかあんの?」みたいな……。その時にサヤカがさらっと「会って3回目くらいで、こんなこと言うのはちょっとあれなんだけど……、私の夢は高橋 歩くんの妻を極めること」って言ったわけ。

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俺ドキッとしたね。「まじか? すっげぇ夢だなぁそれ」って思って、頭が完全にやられちゃった。同棲してる子に「マジすみません」とか言いながら別れて、これで「ギャグだった」って言われたら、ほんとどうしようと思ったけど、サヤカに告りに行って、一応ギャグじゃなかったって……。それが出会いなんだよね。
いまは、「私の夢は妻を極めることと、母を極めること」とかさらっと言ってる。「そんな夢、ありなのか?」って感じでまわりのみんなは言ってる。こんな話でいいんですかね。

お客さま:
生まれ変わっても「高橋 歩」でいたいですか?

高橋さん:
いたくないですね。
さっきの話じゃないけど、サヤカにも「今回の人生は高橋 歩とって言うけど、おめぇBOOWY知ってる? BOOWYの曲でも『生まれ変わってもまたあなたに会いたい』とかあんじゃん。そう思わねぇの?」とか言って「思わない」って言われたから、「おーっと」みたいな。まあ俺も思わないんで……。俺、何かバッタになりそうな気がする。意味はないんだけど。でも、ちゃんとみんな集めて「人間襲うぜぇ」とかやると思う。なんかイナゴとかの大群みたいなのあんじゃん。そういうイメージなんだよな。もう1回俺になってもさ、おもしろくねえじゃん。

フェリシモ:
最後の質問は神戸学校事務局からの質問となります。高橋さんは、自らを「自由」という言葉で表現されています。私たちは、「責任」とか「束縛」とかいろいろなものからの「解放」というような意味で「自由」を考えると思うのですが、高橋さんが思う真の「自由」とは一体どんなものなのでしょうか?

高橋さん:
「自由」とか「しあわせ」って、なるものじゃなくて感じるものでしょ。だから「これが自由だ」とか「これがしあわせだ」っていうんじゃなくて、「しあわせだなぁ」とか、「自由だなぁ」って感じること。

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あとは、さっきの「男としての自由」を考えたときと、26歳で結婚して、「サヤカと俺で生きていくってことを決めたうえでの自由」と、こどもができて父親になって「家族4人での自由」ってのはやっぱり変わってきてる。結婚する前は金なんか1円もなくても、すごく「自由」って思ってて、結婚したときは、まず自分がすっげえ楽しくても、サヤカが楽しくなさそうだと楽しくなくなってくんだよね。俺がひとりで「楽しい」とか「自由」とか感じてもサヤカがつまんないって思ってたら、なんかハッピーじゃないのね。だからふたりで感じられるものは、やっぱり探していきたいなと思うようになって……。それでこどもができて、なんか父ちゃんはひとりで楽しくやっているけど、奥さんとかこどもはつらいとかだったら、結果として俺自身がハッピーじゃないから、だからいまは家族4人が「楽しい」って思えることをすごく求めてる。

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Profile

高橋 歩(たかはし あゆむ)さん<自由人>

高橋 歩(たかはし あゆむ)さん
<自由人>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1972年東京生まれ。自由人、㈱A-Works、㈱アイランド・プロジェクト代表取締役。20歳のとき映画『カクテル』に憧れ、大学を中退し、借金だらけで仲間とアメリカンバー「ROCKWELL'S」を開店。2年で4店舗に広がる。店の仲間を中心に「サークルHEAVEN」を設立。「死んだらごめんツアー」と呼ばれるギリギリのイベントを多数開催するが、運良く、死なず。23歳のとき、自伝を出すため仲間とサンクチュアリ出版を設立。自伝『毎日が冒険』がベストセラーに。26歳で結婚。すべての肩書きをリセットし、ふたりで世界大冒険に出かける。約2年間で北極から南極まで、世界数十カ国を放浪の末、帰国。2000年12月、沖縄へ移住。仲間と「~カフェバー&海辺の宿~ビーチロックハウス」をオープン。その店をアジトに、沖縄の美しい島々から生きることの素晴しさを世界中に発信していく「島プロジェクト」に燃焼中。著書に『HEAVEN’S DOOR』『毎日が冒険』『SANCTUARY』『LOVE&FREE』『Adventure Life』『人生の地図』などがある。

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