神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 熊谷 真菜さん(生活文化研究家・タコヤキスト)
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「楽しく!おいしく!おもしろく!~タコヤキから広がる幸福論」



<第1部>

こんにちは。今日は、タコヤキから広がる幸福論ということです。おいしく食べれるのはしあわせの基本なんですが、最近は、タコヤキばかり食べていると見たくもないときもあるんですよ(苦笑)。ただ、やっぱりずっと気になってお付き合いしてるのが、タコヤキ。私は、いま43歳。その43年の間、タコヤキとはずっと縁があったんだなあということをつくづく考えたりしています。
ふだんは、タコヤキの歴史、ルーツという食文化論、または大阪文化などの話が多いんですけど、今日はどちらかというと、私のタコヤキ人生のみをお伝えしたいと思います。私の肩書きは、生活文化研究家とそれからタコヤキストです。タコヤキストっていうのは、タコヤキのアーティストみたいなイメージ。ちょっと格好つけてタコヤキストと言います。

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10代のSWITCH
「たこ焼き買って」と
言えなかった

昔からタコヤキがすごく好きでした。ただ、生まれた街・西宮は、昔ながらの商店街がないエリア。イカリスーパーやおいしいケーキ屋はあっても、駄菓子屋とか人情味あふれるお店がないところ。それが私の不満でもありました。10代は、御影にある小学校、中学校に通いました。家から電車に乗って、夙川で乗り換えて、そして御影で降りてそこからまたバスに乗って……。登下校中に、買い食いするわけでもなく、ただ家と学校の往復。まじめな子だったんですね。家では、よくタコヤキを焼いていました。小学校1年のときの絵日記にも、「今日はタコヤキをしました。すごく上手にできました」というふうに書いていました。「小さいときから、タコヤキが好きやったんやな」って、最近改めて思います。

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また、家族でよく三宮に買い物に行きました。三宮に、古い明石焼きの店があるんですね。親が好きで、よく買い物帰りに行っていました。行くと、ひとり1枚タコヤキ用の銅板鍋があるんですね。それで、まず生地を流します。そして、タコを入れていく……。これが、こども心に楽しいんですよ。家でももちろんするんだけど、お出かけして明石焼きをつくるのは、ハレの日なわけです。「さあ、ぼちぼち返したいな」と思ったころ、親はそれぞれ返してるんですね。私もやろうと思ったら、店のおっちゃんが出て来て、「お嬢ちゃん、やったろう」って言って、ピピピピっとやっちゃうんです。私としては、それだけのために来てたようなもんなのに、一瞬のうちにそれが終わってしまって……。おとなしい子やったんで、「やめて」とか「私がやる」と言えないんです。親も「お礼言いなさい」とか言うんですね。何で私が嫌なことされてお礼言わないかんの? みたいに思いながら、それも言えない子だったんです。
そんなふうに買い物帰りにパフェやケーキじゃなく、明石焼きを食べるような、うちはコナモン好きの家系でした。おやつもドーナツとかホットケーキとか。ただ、どうも親の基本姿勢がちょっと嫌でした。というのも、家で食べるタコヤキはお出汁をつくるんです、ソースをつけないんです。親的にはソースは嫌やったみたい。あるとき、大阪の天神祭に行きました。たくさん屋台が出ています。私には夢の世界で、金魚すくいもしたいし、ヨーヨー釣りもしたい、リンゴ飴もほしい。みんなが持って歩いているリンゴ飴を見て、「あれ買って」って言うんですけど、「あのリンゴ、おっちゃん洗ってないで」みたいな理由をつけてお母さんは買ってくれないんです。それから、ソースの匂いがフワーッとしてきます。食べたことはないけれど、私はソースのタコヤキがあるぞっていうのは知っていたんです。「お母さん、タコヤキ買って」と言うんです。ところが「何言うてるの? いつも家でやってるやないの。神戸にもっとおいしいのあるやないの」と言うんです。結局私の願いはかなえられぬまま。何かあの親は間違ってるぞと思いました。母の考え方と自分は何か違うっていう、そのギャップがいまの私を支えたと言っても過言ではないかと……。そういう生活をしていました。
そんなおとなしい私の、ひとつ目のスイッチやったなあって思うのが、中学生のときの生徒会。なんと書記に立候補するんです。自分で実力がないのはわかっているんですよ。でもね、なぜかそのときに、立候補しようとしたんですね。立候補する人は応援演説っていう、自分の応援者が来るわけです。その応援者の知名度を借りようと考えたわけです。私の応援者は、現副会長の押しの強い超有名人の女の子。その人にお願いしてしたんです。そしたら彼女が「熊谷さんは、がんばりますから」って応援してくれるんですね。で、いざ選挙投票日。まず1時間目が始まる前に会長の投票です。投票が順番にあるんですね。1時間目の始まる前に会長投票して、1時間目の休み時間に会長の結果が出る。その後、副会長投票があって、次の休み時間に副会長の結果…… と、順番なんですね。私、このときに作戦がありました。私は書記になりたかったし書記にしかなれへんと思ったんだけど、何と会長、副会長、書記とみっつとも立候補しました。立候補はいくつでもできるんです。その代わり落ちたら悲しいんですけど……。それで、まず会長で落ちるんです。まあ、当たり前なんですね。次に、副会長でも落ちるんです。そうなると、みんなは「会長も副会長も落ちて、かわいそうな熊谷さん」という気持ちになってくるんです。それで、書記は私が当選しちゃうんです。それは副会長のおかげもあるし、みんなの同情票だったかもしれない、私の作戦もあたったのかも。とにかく、私は当選しました。

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これが、それまでは、母に「タコヤキ買って」も言えなかった子にとっては、ひとつの自信になりました。
それから、高校生。高校は、県西という高校に入りました。小中学校は少人数だったんですが、高校はすごい人数で……。そこで自分を見失ってしまうんです。クラブにも入ったんだけどすぐ辞めて、勉強もそんなにがんばれず、浪人もするんです。あの3年間は何やったかなって時期なんですよ。いま思えば本当に不遇やったなあという時期ですね。
このころに、現代風俗研究会(=略して現風研)に入りました。これがスイッチといえばスイッチやったなあって思います。「これ何ですか?」って怪しまれるんですけど。柳田 國男っていう昔の有名な民俗学者をご存じですか? 民俗っていうのは風俗の風が民になるんですけど、要は農村や漁村など、昔ながらの田舎のいろんな習俗を研究する学問があるんです。田舎の方では、「毎年この時期にはこれをしましょう」とか「これを食べましょう」とか決まってるんですけど、都市部っていろいろ変わるじゃないですか。それをとらえようという、そういう風俗を調べる動きが京都大学の先生方の間であったころだったんですね。その現風研に伯母(叔母)と母がまず入ったんです。そこには、桑原 武夫さんという京都学派というユニークな先生がいたり、鶴見 俊輔さんとか多田 道太郎という後の私の師匠になった方もいるんです。「入会したら、京大の先生と話ができるわ」って、母は軽いノリ。「あんた、一浪したところで京大は入られへんやろ。それやったら、いまから京大の先生に会える方がいいでしょ?」みたいな感じで私を誘い入れました。来ている人の中には、京大の生徒もいたんですね。私は浪人だし、すごいコンプレックスの塊で、嫌やなと思いながら行きました。でも、会に入っている京大の院生、とくに男子学生たちは、私を見て「おっ! 女子高生が来た」と、すごく喜んでくれたんですよ。それが私にはいい刺激になって……。コンプレックスはあるけど、そこへ行くと、とても大事にしてもらえる。それだけでちょっとうれしかったわけです。その会には、漫画を読む会とかもあり、漫画からいろいろ研究するとかね。私が少女漫画かなんか読んで、メガネのかけ方とかちょっとわかったようなレポートをすると、偉い先生方が「オーッ!」とか言ってね、彼らにはない女子高生の感覚を評価してもらえるんですね。それが何とも心地よく、その会のいろんな活動に行き始めました。これが、浪人時代です。
当時、やっぱり自分を認められたい、評価されたいというのがあったんですね。もうひとつ、「何かの立場を持つことで見方が出てくる」ということを先生方に言われて、それでがんばって勉強して大学生になりました。大学に入ったら、すべてがかなうような気がしていました。ところが大学4年間は何ともない、だらっとした生活でしたね。

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20代のSWITCH
恋愛にも必死だった
●大学の卒論テーマにたこ焼き
●大学院の入試と結婚と出産

20代。1983年の大学3年の夏休みにとき、私は少し早めに卒業論文を書き始めました。このときに、卒論のテーマを「タコヤキ」にしたのが、スイッチといえばスイッチやったんでしょうね。当時、食べ物を卒論のテーマにするのはありえない時代でした。いまでこそ、みなさんいろいろユニークな論文を出してますけど、当時は「食べ物なんて、何を語るもんか」っていう時代。食文化という言葉も全然普及していなくて、「食が文化か?」と。そんなときに、「私はタコヤキをテーマにします」と言っても先生は「何言うてんねや?」って感じ。それでも私は自分の言葉で何か書きたかったんですね。食べる物を書きたい、食べるのが好きだから自分で食べ歩きしたことでそれをまとめられる、それはすごくええことやと思ったんです。ゼミの先生は呆れてましたけど、現風研のメンバーは「おもしろいやないか」と言ってくれたんですね。「まずはこうせえ、ああせえ」ってメンバーの偉い先生方が言ってくれはるんです。例えば、食文化論の第一人者・石毛 直道先生みたいなことしたら、私も論文にできるだろうと……。石毛先生は世界をまたにかけ、ニューギニアとかそういうへき地のおもしろい食文化を探りに行ってるんです。石毛先生のようにあちこちまず行けるわけもなく言葉もわからず……。では、当時フランス料理もブーム。だからフランス料理の歴史はどうだろうかと……。でも、コース料理が1万円、2万円とかして、なかなか食べられない、お金がもたない。ということで、私のお小遣いで、私が動ける範囲で何ができるかっていったら、京都、大阪、神戸の特徴的な食べ物だろうということになりました。出てくるのは、もうお好み焼きかタコヤキなんですね。

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それで、お好み焼きとタコヤキ、どっちにしよう? と悩みました。でも、私は小さいときのタコヤキへの思いがありました。神戸に明石焼きがあり、大阪にソースのタコヤキがあります。似ているけど違うこのふたつが、どういう関係でいまに至ったのかが気になっていたので、それを私は明らかにしようと思い、結局テーマをタコヤキにしました。
そしてタコヤキを調べ始めました。でも文献がないので、調べようもないんです。学問というのは、まず文献から入るんですね。「タコヤキとは?」っていう定義づけから入るんです。探そうと思って広辞苑を引きますよね。タコヤキという項目はあるんです。でも全然……。広辞苑でさえ、いい加減にしか把握してない。所詮、タコヤキなんて、そんなもんなんです。
でも、それから調べ始めました。大阪に「会津屋」という古いタコヤキ屋がありました。もう亡くなりましたけど、初代の遠藤 留吉さんに会って、話を聞くことができました。遠藤さんの話では、タコヤキの前にはラジオ焼きというものがあったそうです。ラジオが最先端の時代の大正末期に、見た目はタコヤキみたいなんだけど、中身がタコじゃない、グリーンピースとかコンニャクとかが入っているラジオ焼きがあった。遠藤さんはそのラジオ焼きを「もっとおいしくせなあかん」と言って、工夫されていました。醤油とかいろんな調味料入れたり……。ちょうどそのころ、スジ肉がはやっていたので、スジ肉も入れてみたり……。それを、「肉焼き」という名前にして、看板を出してたらしいんです。するとやって来たお客さんが、「ここは肉入れてるんやなあと、明石はタコやで」と。そのお客さんの言葉を聞いて、タコ入れてみたらすごくおいしかったっていう……。
この話を遠藤さんから聞き、それが私のタコヤキとのかかわりの出発点になりました。それから、いろいろな人に会って情報をもらい、食べていって調べました。いまはインターネットで情報もあふれていますが、当時は、本当に蟻が地を這うように情報を集めました。お店の人に「あの人やったら知ってるかもしれん」と教えられ、また次の店に行くわけです。たとえば、明石に安福さんという鍋屋さんがあるんです。この鍋屋のおじさんに聞いたら何かわかるかもしれんと思って行くんですね。安福さんは、めっちゃ第一印象の悪い人(笑)。店の奥の方で、地べたに座って鍋を作ってはるんです。私がちょっと見たらね、睨まれるんです。それが怖くて……。当時は本当に取材が大変でした。例えば、「私、タコヤキのこと知りたいんです」って行くでしょ。すると店のおっちゃんに「いま忙しいから帰って」って言われる。ひどい人やったら私がタコヤキの技を盗みに来たとか思うみたいなんですね。何か押し売りが来たみたいな感じで思われちゃう。そういう嫌な思いもたくさんしていたので、なかなか安福さんにも声がかけられないんです。それで安福さんの店の前まで行っては、声をかけられず、ほかの明石焼き屋に寄って食べて帰る、また行って安福さん睨まれて、明石焼きだけ食べて帰る……、そんなことを繰り返し、3回目にやっと声をかけることができました。そうしたら、めっちゃやさしくて、晩御飯まで食べさせてくれて……。
懐に入っていけばみなさん心を開いてくれるんだろうけれど、それが私にとっては遠い壁だったんですね。例えば、○○の新聞記者ですとか、○○放送局ですという肩書きがあればスムーズにいけてたかもしれないけど、一女子大生としてそういうことが非常に大変だった時代でした。でも、そのときの人とのかかわりはいまでもよかったかなあと思っています。

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そんなことで、卒論を仕上げて卒業し、そして、その後同志社の大学院に行きます。なぜならば立命館の大学院はタコヤキの論文では受け入れてくれないんです。「同志社の新聞学科はおもしろい先生ばかりやから、あそこやったらタコヤキでもいけるで」みたいなことで行ったわけです。でも、面接で「君、タコヤキの論文おもしろいね。でも、大学院に来てまでタコヤキの研究をするつもりじゃないよね?」って言われるんです。「えっ?」っていう感じですよ。それで結局、タコヤキはあきらめ、大学院では戦争時代の代用食について研究しました。
でも、実は代用食にしたのには理由がありました。日本人って米で育ってきた米粒文化ですが、別に粉文化もあります。粉文化は、平安時代に仏教文化とともにやってきた、もともとは高級な物。うどんも超高級品でした。それが江戸時代に一般食になり、そして戦時中は米よりぐんと下になっちゃうんです。ところが戦後、戦争に負けて天皇も代用食を食べます。その後の60年間は、パン、パスタ、ラーメン、餃子など、私から見ればどれもコナモンっていうカテゴリーのこれら戦時中の代用食が人気を持ち出したんですね。大学院の論文は、この代用食について書きました。
大学院の論文を書く前に、結婚してこどもも生むんですね。これがまた大変でした。こどもを、生む前にまず産婦人科へ行きますよね。女性って本当にいろいろな体験がありますよね。身体的に痛かったりしんどかったり、その経験は自分の身体のことを考えるきっかけでもありましたね。いままで頭ばかりを使っていたけど、子宮でも考えるようになりました。

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30代のSWITCH
本を出してから気づいた
●タコヤキストの誕生
●CDアルバム『たこやき』リリース

そして、30代。1993年に本にまとめました。1983年から調べ始め、ちょうど10年後に本を出したんです。本を出すのもひとつの夢でした。それが『たこやき』(リブロポート発行)って本。これが結構話題を呼びました。必ず聞かれるのが「なぜタコヤキにこんなにのめり込めたんですか?」っていうこと。何か知らんけどやってたんです。その答えも得れないまま、でも結局「タコヤキってええもんやな」って。食べ物なんですよ、タコヤキは食べ物。でも食べ物であると同時に何かあれがここに一船あるだけで、場が和む……、そういう物なんです。食べ物であると同時に、もうひとつ違う部分を持っている、ちょっと特別な物なんだろうなと、その魅力にまず惹かれています。もうひとつは、表面はカリっと、中はトロリ、最後にタコがコリッ。このみっつの食感を持つ食べ物っていうのは、あんまりないんです。だいたい、食感の妙がある物はおいしいと思うんですが、タコヤキはそれをクリクリ引っくり返してるだけで、知らん間にできてたよみたいな、そういう感じがします。それともうひとつは、タコヤキを焼くおじさんとか、タコヤキに携わる人がいい味を出していること。よく「おっちゃんも味のうち」って言うんですけど、やっぱりこだわりのあるおっちゃんが焼くタコヤキはすごいんです。大阪にも、そういうタコヤキ屋が何軒かあります。そのすばらしい現場にいさせてもらえるのが、私にとってしあわせなひとときなんやなという、そういうことも考えました。

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本は必死で書きました。もう同じ物は書けないくらい、がんばりました。でも出した後、もう私はがんばるのをやめようと思いました。このときにCDを出すんですね。このCDのキーワードが「ポヨヨン」なんです。タコヤキって何かそういう存在なんです。かわいいしあったかいし、でも何かほっとけない。別に高いもんじゃないし、みんなの物だし、みたいな。タコヤキのそんなポヨヨンとしたところに惹かれたんですね。それは私が、本を出したい、先生たちに認めてもらいたいって必死だったから。それ故にタコヤキみたいなポヨヨンとした存在に惹かれていたんだと思います。そんなことに、本を出して気づいた30代でした。

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40代のSWITCH
いままででいちばんHAPPYかもしれない
日本コナモン協会
~広がるコナモンネットワーク

40代。いよいよいまの私です。いまが、いままでいちばんハッピー。そのひとつのスイッチが日本コナモン協会です。私はいままでひとりで調べてひとりで書いてきました。ところがタコヤキがこれだけ人気になって、いろいろな人がタコヤキにかかわっていく中、このまま一生過ごすのもいいけど、タコヤキ以外のコナモンも食べたいなって。餃子も肉まんもパンとかパスタとかも好き。とにかく世界のいろいろなものを食べたい! もちろん、仕事柄タコヤキは大事だけど、でもほかのコナモンも…… ってときだったんです。
結局、私は粉が好き。ステーキとかすごい魚介類でも、見たら味が大体想像できるでしょ。でも、コナモンは、食べてみないと何かわからない。同じタコヤキでも同じお好みでも、一口食べてみないとわからないんです。粉の配合、焼き方、水分の量によって全然違うんです。これが粉の持つ技! コナモンは、そういう意味で非常に奥深い。そんなことで日本コナモン協会をつくらせてもらいました。そして、いろいろなところにお邪魔して、ネットワークを広げています。
この前行ったところは水戸。ホルモンラーメン、水戸黄門ラーメン、つけけんちん蕎麦とか、水戸には麺がいろいろあるんです。水戸の翌日は大洗っていう海辺の町。そこにたらし焼きというコナモンがあります。鉄板の上で、ドロドロの生地を焼いて食べる物。よく見ればモンジャ。モンジャの元祖やろうと思います。そういうのがいまも残ってる町です。また、みつだんごという小麦粉のおもしろいお菓子があります。

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結局、全国にコナモンってあるんですよ。秋田県横手市は、横手焼きそばという焼きそばの町。九州にも粉どころがいろいろあります。もう言い出したら切りないんですけどね。そういうさまざまなコナモンの人たちとネットワークするのが主な活動になっています。

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これからのSWITCH
わくわくする未来
楽しく……… 探求し!
おいしく…… 食べて!
おもしろく…… 伝えあう!

いままでずっとスイッチしてきましたが、これからもスイッチはあるだろうと思います。私の伯母(叔母)いま94歳、まだまだ元気です。私、まだ半分くらいしか来てないんですね。だから、これからまた同じくらいスイッチがあるんやろなあと思うと、未来にワクワクします。「楽しく、おいしく、おもしろく」っていうのが協会のスローガンなんですね。楽しく探求し、おいしく食べて、さらにおもしろく伝えあうっていうことです。いろいろ出かけて伝えあったり、またいろいろ教えていただく、みんなで楽しく、おいしいことは共有したいなって思います。

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<第2部>

タコヤキの実演&試食

熊谷さん:
一口でぱくっと食べてほしいな。ただね、熱いんです。熱いのが苦手な方はちょっとおいて、少し冷めるのを待つっていうのも手かと思うんですが、一口でぱくっと食べていただきたいですね。

フェリシモ:
冷めるのを待ってから食べても別にルール違反ではないんですね。

熊谷さん:
ないですね、人によっては冷蔵庫で冷やすとかいう人もいるんですよ。タコヤキきには邪道なしなんですね。

フェリシモ:
焼き方についてお教え願いますか。

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熊谷さん:
いまちょっと煙が上がってますよね、これくらいある程度熱して、特にこれ大阪の鋳物の鍋の場合です。こういうふうに生地を入れていきますね。生地の配合は、粉300に水か出汁1000ccです。これが基本です。そこに卵3個。300、1000、3とこれが覚えやすいかなあと思っています。ただし、これちょっと固いんです。慣れてきたら、もうちょっと水分を多くしてみたり、お好みで試してください。生地を入れましたらすかさずタコを入れていきます。タコも大きいタコはおいしいんですけども、やっぱりタコが大きければいいってもんじゃなくって、やっぱりほどよい大きさってものがあるんですね。家でやるときはタコもいいし、ほかの具材も試されたらいいかなって思います。私が最近おすすめしてるのはミニトマト。結構おいしいんです。最近ベジタコって言って、ベジタブルのタコヤキですね。タコを入れないで、季節野菜を入れるんです。春ならフキとかタケノコ、レンコンなど、夏には、アスパラ、オクラ、トウモロコシ、ナスなど。食感の良い物をそのままでOK。ソースだと野菜の味が負けるので、ガーリックオイルをちょっと塗ってお塩とかポン酢がおいしいですよ。

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<第3部>

第1部の続き

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これからどんなことがしていきたいかをお話します。ひとつは、やっぱりたこ焼きが自分の中で高いところにいます。でも、それを越えるコナモンがあるやろうという期待感を持っていて、ずっと探っていきたいなあと思っています。それからコナモン天然記念物というのは、「本当においしい、でもこのおじさんが辞めはったらなくなるやろうな」っていうタコヤキ屋さんがあるんですね。おじさんは「絶対、教えへんぞ」とか「いいんや俺一代で」っておっしゃっている。だから、せめてそのおじさんの生きた証を残していきたいなあと思っていて、できれば弟子入りして、いろいろ学んでいきたいと思っています。

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シチリアに行ったときに、レストランに入りまして、一緒に料理もするんですけど、その合間に、ちょっとたこ焼きを作ったりするわけです。そしたらこの店のシェフが、興味津々で……。余った粉とソースと持っていった鉄板をあげたんですね。

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これは中国。巨大ネギ焼きです。これを折りたたんで、ザクザクっと大きなのを包丁で切って1人前になるんです。こういうのに市場とか歩いてて出会うんですね。向こうでは知る人は知ってるのかもしれんけど、やっぱりコナモンを訪ねる者としてはすごくうれしいひとときです。

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ナポリピッツァです。ナポリピッツァはピッツァの王道。窯の作り方も決まってるし、生地に使う材料も決まっています。ナポリには真のナポリピッツァ協会があるんです。そして、協会認定のお店がいっぱいあるわけです。いちばん気に入った店にはマルゲリータとマリナーレの2品しかないんですね。本当は、こういう店にも弟子入りしたいんです。

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これはタイのホテル。メニューを見て、粉に絡んだ物は全部頼みます。ミラノでパスタばっかり頼んだことがあって、変な目で見られるんですよ。そうしながらも、やっぱり食べないとわからないですね。口に入れて噛んで味あわないとわからないという、ここがなかなかむずかしいところなんですね。

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これは私がタコヤキを越えるコナモンって思ってる物のひとつです。これ、シンガポールのインド人街で食べたロティです。パイっぽいんだけど普通のコナモンで、ギイというバターの上澄みみたいなもので、こうやって折って焼くんですね。すごくサクっとして、しっとりみたいな。それが1枚100円もしないんです。カレーを付けて食べるんですけど、これだけでもおいしい。

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ゼッポリーネ。これはイタリア、特にナポリの物で、ピザ生地を揚げたようなものです。食べたとき「これにはタコヤキも負けた」と思ったくらいちょっと感動しました。岩海苔がちょっと混ざってるんですね。食感が最高でした。

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これはね、チュロス。揚げ物です。こうやってホースみたいに出てくるんですよ。これを揚げてチャキチャキっと切ってパパっと紙に入れて出す。これもふわふわ。本当にシンプルな材料。シンプルやからええんですね。粉の原点みたいな。

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この写真は小龍包。コラーゲンが入っていて、すごくジューシーなんです。お尻のところキュッと噛んでスッとお汁を吸ってから食べないとダメというやつ。それを焼いてるんですよ。焼き小龍包って私は勝手に言っています。焼くことで底はカリカリ、中はシューシー。これは私は本当に感動しました。

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これだけ覚えて帰ってもらいたいな。「5月7日はコナモンの日」ということ。粉なんで5・7なんです。この日はみなさん、いつも以上にコナモンを食べていただきたいなと思っています。

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お客さまとのQ&A

お客さま:
たこ焼きのタネをつくるとき、いつもダマダマができてしまいます。どうしたらお店のようなサラサラのタネができるのでしょうか?

熊谷さん:
まず粉は、ふるいに掛ける。ケーキのときと一緒です。それから粉を入れて水を入れる人が多いんですけど、そうじゃなくて逆に水っ気を入れといて、そこに振りながら粉を入れる。それで泡立て器でやる。こうするとほとんどダマにならないです。ただ私、すごくいい加減なのとコナモンもそういうもんなんですけど、わりとダマができてても結果的にはあんまり気にならなかったりするんで、あんまり神経質にならなくてもいいとは思っています。

お客さま:
例えばタコヤキとかコナモンの普及とか、前任者がいないことを始めるのは大変なことだと思うのですが、ためらいはありませんでしたか。

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熊谷さん:
たまたまなんですね、1993年にタコヤキがブレイクして、ちょうど6月に本を出したんですね、9月に渋谷のタコヤキ戦争っていうニュースがあって、それは、わたしが火付け役だとか言われるんですけど……。たまたまそういう時代の雰囲気がタコヤキに向いてたっていうことやと思うんですね。

お客さま:
大阪でいちばんおいしいと思うタコヤキ屋さんを教えてください。

熊谷さん:
それは立場上むずかしいんですね。いままではね、一タコヤキストとして言いたい放題言っていたんですけど、協会となると、あんまりいい加減なことを私が口走ると、それは何かある時に問題になってはいけないっていうことでうちの事務局長に、いつも「いらんこと言わないでください」ってよく言われるんですよ。
私の協会を設立したときに協力してもらったお店があります。もう50年くらいになる古い店「うまい屋」と言います。ここは、生地の配合が、粉が多いんですよ。もちっとサックリみたいな食感なんですね。しかも焼き方ひとつ鍋ひとつ材料ひとつ、すごいこだわりでされてるんで、要は「1個1個が自分のこどもや」と。そして、ご主人が言うのは、「一に味付け、二にお鍋、三に火加減、焼き加減」。もともと頑固じじいで私が最初質問に行けなかったひとりなんですけど。ここは一見の価値ありのお店です。

お客さま:
ベジタコとか次世代のタコヤキがあれば教えてください。

熊谷さん:
次世代はむずかしいですね。やっぱり基本は、タコなんです。タコに始まりタコに終わるんですね。でも、いつものタコヤキがベースにあるんだけど、プラスちょっと季節のもんを作ると、お客さんも目先が変わるんですよね。そういう工夫をすると印象もよくなります。

お客さま:
熱くて必ず火傷して上あごの皮が剥がれるのですが、どうやって食べたらいいですか?

熊谷さん:
これは私も猫舌なんで常々困ります。そうかと言って、開けて熱を逃がすのはちょっとしたくないなあ。とにかく気を付けてくださいとしか……(笑)。すぐ治るんでね、口の中は。

フェリシモ:
熊谷さんのお話をうかがって、コナモン協会を立ち上げ、みんなで何かをするということがスイッチになり得るのだなと思いました。コナモン協会をどういうふうに立ち上げましたか? また、立ち上げたときに、どんなことがありましたか?

熊谷さん:
何かやるときってのは、必ず人とお金がいるんですね。そこの大変さがひとつあります。もうひとつは、どれだけ継続できるかなんです。継続ってやっぱり力で、私も、コナモンババアになるまで続けたいなと思っています。そのときに、みんなのモチベーション、思いがうまくまわっていけるようにするにはどうしたらいいのかっていうのが課題です。それは、お金だけでも、スタッフがそろうだけでもダメ。やっぱり両輪なんですよね。まだ、みなさんにいろいろお世話になったり、いろいろな企業にお世話になったりしてます。いろいろな企業にお世話になるということは、同じ種類の企業にはお世話になれないことにもなるんですね。でも、協会としてはやっぱり全国の粉屋さんや、コナモンにかかわる人たちをつないでいきたいので、そのある1社に偏れないつらさもあるんです。その辺のところが、なかなかむずかしいなと思っています。

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Profile

熊谷 真菜(くまがい まな)さん<生活文化研究家・タコヤキスト>

熊谷 真菜(くまがい まな)さん
<生活文化研究家・タコヤキスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
卒業論文でたこやきの調査を開始、93年、10年間に及ぶ調査をまとめた「たこやき」(リブロポート=現:講談社文庫)でデビュー。現在はマーケッターとして、商品開発や店舗開発を手掛ける一方、10年前から生活文化研究家として、 NHK「にんげんマップ」キャスターを皮切りに、テレビの活動も広げている。食文化はもとより、銭湯、ぬけ道、商店街など、庶民派、下町文化にまつわる暮らしの美学再発見のためのフィールドワークに定評がある。著書に「大阪たこ焼33カ所めぐり」(西日本出版社)、「たこやき」(講談社文庫)など。趣味は虫採り、植物採集、月刊たこやきめぐり

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その他のゲスト

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