神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「奇跡の光をとらえて」



<第1部>

アシスタントになりたくて
出版社前に、半年間の座り込み

フェリシモ:
まず、増浦さんは、なぜ写真家になられたのですか? きっかけを教えていただけますか?

増浦さん:
小学校の4年生のときに、初めてカメラを手にしたのですが、“カメラにフィルムを入れてなぜ写真になるのか”ということにすごく興味を持ち、それで写真家になろうと思ったんです。

フェリシモ:
そのとき手にしたカメラはどんなカメラですか?

増浦さん:
普通のミノルタの一眼レフですね。

フェリシモ:
小学生のときに一眼レフのカメラを?

増浦さん:
買ってもらいました。

フェリシモ:
いちばん最初に何を撮られたんですか?

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増浦さん:
こどもの写真とか風景であるとか。いろんなものを撮りましたね。

フェリシモ:
写真を撮られて、フィルムをそのまま現像屋さんに持って行って……?

増浦さん:
いえ、全部自分で現像するっていうのが、いまも変わらないスタイルなんです。必ず自分で撮って自分で現像していました。

フェリシモ:
ということは小学生のころからご自分で?

増浦さん:
そうですね。当時は暗室がありませんから、トイレで現像していたんです。

フェリシモ:
トイレで(笑)!?

増浦さん:
トイレで現像すると光が入りませんので。

フェリシモ:
そのとき撮られた写真はいまでもお持ちなんですか?

増浦さん:
持ってます、いまでも。

フェリシモ:
そのとき目標にされた方は?

増浦さん:
もうお亡くなりになりましたけれど、土門 拳さんをすごく尊敬していましたし、そういうふうになりたいって思っていました。

フェリシモ:
土門 拳さんにあこがれてこども時代を過ごされたんですね。青年時代はフランスに渡られたということですけれど、その理由は?

増浦さん:
写真の発祥であるフランスで一旗揚げたいというのがありました。そのときにいろいろ調べて、ギィ・ブルダンという方がいちばんいいんじゃないかということで、その方に弟子入りしようと18歳のときに渡仏しました。

フェリシモ:
ギィ・ブルダン氏とはお知り合いだったのですか?

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増浦さん:
いいえ。雑誌に名前が載っているのを見て、知っているという程度でした。

フェリシモ:
それだけでフランスへ? どのようにしてギィ・ブルダン氏の弟子になられたのですか?

増浦さん:
まず、ギィ・ブルダンは『レディション・ヴォーグ』という雑誌をつくっている出版社、いまの『VOGUE』に勤めていたんですね。住所は雑誌に書いてますから、本屋さんで見つけて……。どうやって弟子になるかを考えたんですけど、フランス語も全然できないものですから、通訳の方をお願いしたんですね。そしたら「通訳なんかできない。通訳雇うぐらいフランス語がわからないんだったら働けないでしょ」って言われて、結局トレーナーに書いてもらったんですね。フランス語で“私はあなたのアシスタントになりたくて、ここまで来ました”と、名前と生年月日とパスポートナンバーをトレーナーの前と後ろに……(笑)。それで出版社の前に半年間、座ってたんです。

フェリシモ:
半年ですか?

増浦さん:
はい、朝から晩まで。

フェリシモ:
その後、 ギィ・ブルダン氏に見初められたというか、お会いできたということになると思うんですが、その経緯を教えていただけますか?

増浦さん:
座っているその間に警察に連行されたことが9回。それから日本大使館の警告を受けたのが8回(笑)。当時、日本のスーパーモデルの松本 弘子さんがちょうど『VOGUE』におられて、半年間座り続ける私を見て「しょうがないから」って、本人に会わせてくれたんです。それが半年後でした。

フェリシモ:
ギィ・ブルダン氏の写真のどういうところに魅力を感じたんですか?

増浦さん:
ひとことで言ったら “非常識の中の常識”。写真というのは写ってはいけないものも写るし、あと写さなきゃいけないものも写すんですけれども、結構その時代は、例えばコマーシャル、ドキュメンタリーであったりというのがきっちり分野として分かれていた時代でしたが、『VOGUE』の彼の写真には、その区分がなかったと言うのですかね。ですから、すごく魅かれ、どうしてもお会いしたくて行きました。

フェリシモ:
渡航費用などは、お母さまに出してもらったんですか?

増浦さん:
半分母に出してもらったのと、それからあとは高校を3ヵ月で中退してますから、そこからアルバイトをしてお金を貯めました。

フェリシモ:
うわさでは片道切符しか買わなかったとか?

増浦さん:
そうですね、買えなかったんですね。

フェリシモ:
そしてギィ・ブルダン氏にお会いして、晴れて弟子入りできたということなんですけれども。ギィ・ブルダン氏の下ではどういったことをされていたんですか?

増浦さん:
弟子といっても何年かのお付き合いだったんで……。ただ、学ぶものっていうのは技術的なものではなくて、感覚でした。いまの日本の写真に足らない部分がヨーロッパにあるんじゃないかなって思います。

フェリシモ:
フランスと日本で、仕事の違いはありましたか?

増浦さん:
全然違いました。日本の場合は“機械に頼る写真”、カメラ、レンズ、フィルムに頼る写真っていうんですかね。考え方が先行しない。“いいものを使って、いいレンズを使って、いいカメラを使って、いいフィルムを使って” たら、もちろんいい写真は撮れると思うんですけど、やっぱり考え方の優先順位が違うと思います。

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フェリシモ:
ギィ・ブルダン氏はどんなカメラを使っていたんですか?

増浦さん:
カメラっていうほどのカメラじゃなかったですよ。高級なものじゃなく、そこら辺で中古で売ってるようなカメラを使ってましたね。ですから、機材にあんまり頼らなかったということですよね。

フェリシモ:
そういうカメラを使っていても、伝説の写真家と呼ばれるような写真が撮れるということですか?

増浦さん:
そういうことです。

フェリシモ:
ギィ・ブルダン氏はどういった撮り方が有名なんですか?

増浦さん:
ひとことで言うと非常に大胆で繊細な写真ですよね、エロチックで……。

フェリシモ:
それが伝説の写真家と言われた理由でもあるのかもしれないですね。その後、一度日本にお戻りになられたんですか?

増浦さん:
はい。もうお金がなかったんで……(笑)。

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二度目のフランスでは
アーティストとして

フェリシモ:
その後、再度フランスに渡られましたが、その理由は?

増浦さん:
やっぱり写真家であるということで、作品を撮りたいという気持ちがありました。そのころ生業としていたコマーシャル写真というのはシーズンが終わったら写真がなくなっちゃうんですよね。春夏ものが終わったら秋冬のものが必ず来ますでしょ? ですから、自分の作品が残る、もっと大きな意味で言えば自分が生きてきた過程をどこかで残したいというのがあったみたいですね。それで彫刻に惹かれたもんですから、彫刻を撮っていこうかということで、またフランスへ戻ったんです。それで最初に撮ったのが『MAILLOL』(という作品のシリーズ)です。

フェリシモ:
マイヨール(美術館)の方とはお知り合いですか?

増浦さん:
ええ、現マイヨール美術館の館長です。

フェリシモ:
その方との出会いは?

増浦さん:
大阪のある知り合いの方から「マイヨールの彫刻を買ってきてほしい」と言われて……。そういうことから知り合うようになって、お付き合いさせていただくようになりました。

フェリシモ:
コマーシャル写真を撮っていたころは、収入もたくさんあったのではないでしょうか? それを辞めていまの活動をされるというのは、一大決心だったのでは?

増浦さん:
そうですね。だけど、アーティストって、お金があるとすぐにダメになっちゃうんで……(笑)。ハングリー精神がないと、ものづくりってできないですよね。ですから、お金がない方がものづくりができるんじゃないですかね。

フェリシモ:
それはギィ・ブルダン氏も同じ考えでした?

増浦さん:
同じでした。特にヨーロッパの方は、お金がない方がものづくりができるという考えがどこかの部分でありますから。

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『河』

増浦さん:
これは『MAILLOL』から『河』 という作品です。ルーブル美術館の庭のチュイルリー公園にあるんですけれども、そういう環境と写真と融合という形で撮っています。いま、マイヨール美術館の写真集の表紙になっています。

(作品:『空』)

これも、同じくチュイルリー公園で。マイヨールの場合は横になった裸体の作品が多かったもんですから、こういう撮り方をしています。これは 『空』 という作品ですね。

(作品:『三美神』)

『三美神』これもルーブル美術館に置いてあります。このころは、まだいまの自分のスタイルが確立されてなくて、作品をいかにきれいにみせるかということを考えていました。ルーブル美術館で撮影をするということが、いまみたいに普通じゃなかったんですよ。だからいま見たら何かオドオドした作品ですよね(笑)。

この辺りから、彫刻の全部を撮るのではなく、部分的なものを写真を通して再構築していこうというのが始まっていきました。実は、スライドで紹介した作品すべてはライトを当てたことがないんですね。これはだいたい朝の5時くらいなんです。朝の5時か夜の7時くらいにしか撮影の許可が下りないものですから……。そういうなか、月の光や朝焼けの光で撮影しています。

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フェリシモ:
すごく印象的ですね。これは完全に逆光で撮ってるんですか?

増浦さん:
そうですね。

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『Bourdelle』

増浦さん:
これは2作目に撮った『Bourdelle』(という作品のシリーズ)です。アントワーヌ・ブルデルという、後期印象派の時代にマイヨールとロダンに並ぶ三巨匠のひとりです。ここからが、いまの写真のスタイルになっています。写真をちゃんと写すんではなくて、ちょっと “ぶらす” って言うんですかね。4分の1秒というシャッターで撮ってるんです。ですから写真が流れてるんですけども……。ブルデルは 『PROFIL』という横顔とか顔の作品が多いんです。彫刻ひとつひとつに意味がありますんで、それを “ぶれ”とシャッタースピードの遅いところで表現をしようと……。ですから、全部ぶれてるんですね。

フェリシモ:
このような撮影手法を生み出したきっかけは?

増浦さん:
さっき言ったように“非常識の中の常識”って言うんですか。“ぶれる”というのは写真ではタブーのことですから。それを違うふうに考えてみようっていうのがきっかけだったんです。

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『Rodin』

増浦さん:
これは縦にぶれているんですが、縦にぶれることによって悲しさを表現できるんじゃないかなと思いました。『Rodin』です。ロダンでも特に『地獄の門』の中のものを撮っています。『地獄の門』っていうからにはイメージとして怖いとか悲しいとか憎しみであるとか、いろんなそういうのをテーマに撮ってるわけです。ちょっとわかりにくいと思うんですけれども、これも全部ぶれてるんです。

フェリシモ:
ぶれてるというより回転しているように見えるのですが。この回転に関しても意図的にされたんですか?

増浦さん:
ただ単に回転させてる訳ではないんですけれど。回転の中に天国と地獄があるという……。

フェリシモ:
被写体は動かない彫刻作品、既に芸術作品として残っているもの。そういうものをあえて撮ろうとしたっていう理由はありますか?

増浦さん:
美術館へ行ってポストカードを買うか、買わないかっていう問題がありますよね。結局、美術館の作品を越えるようなポストカード、写真がいままでなかったんですね。ですから、そういうのを撮りたかったっていうのが原点です。それともうひとつ、以前から人工的な光を使わない手法で写真を撮りたいと思って。写真って、時間があれば人工的な光っていらないんですよね。時間があれば自然の光によって、光はつくれるわけですから、なるべく人工のものを排除してやさしい写真にしようと思ったことが発端です。

フェリシモ:
それがミケランジェロの写真につながるんですね。

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増浦さん:
すべて自然光で撮っています。彫刻のある場所は教会です。教会というのは、真っ暗でスポットライトがちょこちょこっとあるくらい。さらにそれを全部消してもらって、月の光やキャンドルの光で撮影しました。

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増浦さん:
これはたまたまミケランジェロの作品に、窓から日が当たってたんです。奥に写っている祭壇はロウソクの光です。

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増浦さん:
聖書によるとキリストが刺されたときに両脇に弟子がふたりいたっていうふうに書いてあるんですけれども。これも(写真に写りこんでいるキリストの横にあるふたつの影)意図的なものじゃなく、後からわかった影がこうやって(写真に)出てきたんです。奇跡の光じゃないんですけれども、こういうふうにふたつの影が写ったんです。これはフィレンツェにあるんですけど、よく見たら(写真のような)影がうっすらと出ています。肉眼ではわかりにくいかも知れませんが、写真には、はっきりと出ちゃったんですね。

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『モーゼ』

増浦さん:
これは『モーゼ』 です。これを撮ったときも目が光ったんですよね。これは窓が全然ないところで撮影しているんですけども、撮影したときは光が当ったっていうことなんです。

フェリシモ:
作品に映っているものが輝いているように見えるのは、これは光を当てているとか、技術があるんですか?

増浦さん:
いえ、全然。テクニックとか後処理とかしてないんです。ライトを当てるんではなくて、ライトを当てる分、自然の光を取り入れるために時間を長くしたら、輝いているようになるというのが、写真の原点だと思っています。

フェリシモ:
人工的なものを排除して自然光だけで撮ろうと思われたきっかけは?

増浦さん:
ミケランジェロの場合は作品自体が光を発していると感じるだけの力がありますよね。光と力に惹かれました。

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フェリシモ:
これも天使の部分だけ輝いているように見えますね。

増浦さん:
ちょうどエンジェルの祭壇の上にロウソクの火が灯ってるんですけど、その光によって、にじむっていうんですか、そういうことが表現できると思います。

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『バッカス』

増浦さん:
これは 『バッカス』 ですね。フィレンツェのバルジェッロ美術館にあります。本当は天井は真っ暗なんですけど、夜中に何の光もなくて、この写真のように撮ったら真っ白になってしまうということなんです。

フェリシモ:
そのときの光はロウソクですか?

増浦さん:
月明かりですね。

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増浦さん:
よく本でミケランジェロを紹介していると思うんですけど、ここ(増浦さんの作品)まで白くないんですよね。でも、これが本当にミケランジェロの作品の色に近い色じゃないかなって思うんですけども……。

フェリシモ:
増浦さんの作品のような角度で写真を撮っているものは、あまりないと思うんですが、増浦さんなりの表現したいものがあるからこういった角度で撮られてるんですか?

増浦さん:
そうですね。例えばミケランジェロの場合は、どの部分がきれいかとか、あるいはどの部分に意味を持っているのかっていうふうに考えていったら、こういう写真になるんじゃないかなって思います。表現する方法によって違ってくるんじゃないでしょうか。極端なことを言えばコマーシャルの写真で “いい写真” というのは何かって言ったら、その商品が売れるからいい写真なんですよね。きれいな写真ではなく“いい写真” がほしいわけです。アートの場合は“何を表現するか”が前に出るということです。

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増浦さん:
実はこの撮影については数千万円のお金がかかっているんです。なぜそんなにお金がかかるかというと、撮影許可をはじめ いろんなことが高くついてしまって……。撮影をどうしてもしたかったんで、大阪、東京、地方の約300の企業の社長の方々にお願いして支援金を募ったんですね。で、数千万円のお金をいただいて、ミケランジェロの作品を撮らせていただきました。そのときに折衝する相手っていうのがバチカン市国やイタリア政府ということで、なかなか前に進まないんです。結局、撮影許可を取るだけで7年間かかりました。
これだけ時間もかかって、いろんな方にお金も出していただいてご迷惑がかかって、なおかつ結果が出せないということで、途中でこのプロジェクトを中止しようということになったときに、ちょうどローマにあるサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会に行きました。ここに『救世主』という作品があるのですが、行ったときに偶然こういう光に出会ったんですね。これは “奇跡の光”だなと……。この作品を撮らせていただき、神父さんたちにもお祈りをされて、それでこのプロジェクトを続行しようということになり、いまのような作品ができあがったわけです。できあがったのがいまから4年前ですね。これが “奇跡の光”の写真です。

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彫刻、古典芸能、被写体が変わっても
何を表現したいかを考え、見て、撮る

フェリシモ:
ヨーロッパの方ではもちろんアートを撮る写真というのは一般にあると思うんですけど、増浦さんはイタリアでも “マエストロ” という風に賞賛されて、いまでもこの 『GENESIS』 の写真展っていうのは世界各国でされているというお話ですが、ヨーロッパの写真家と比べても評価されている部分ってあると思うんですけど、その理由をご自身で分析していただけたら……。

増浦さん:
さっき見ていただいた写真みたいに、ああいう分野(彫刻作品を撮って公共性を持って発表するという)の写真っていうのが、まずヨーロッパになかったということ。もちろん日本にもその分野っていうのがないですよね。アート写真なんていう分野もありませんから。だから、そこらへん(いままでにない分野の写真を撮ったということ)が評価されたんじゃないかなと思いますね。あとはドキュメンタリーであったり、報道もそうですけど、コマーシャルであったりとか分野に分かれますけど、僕がいまやってることっていうのは、例えば同じ人間がモナリザの絵を撮っても違うっていうことを証明し、均等に光を当てるのではなく、何を表現するのかっていうことを写真で表現するっていうことをやっています。そこらへんが人と違って評価されたんじゃないかなというふうに思いますね。

フェリシモ:
あとは自然光のみしか使ってないっていうところもあるんですかね。自然光のみで写真を撮るというのは増浦さんが初めてされたことなんですか?

増浦さん:
そうですね。最初はライトを持っていかないってことで不審に思われて、警戒されたこともあったりするんです。いまはデジタルカメラが主流になってますから、ライトを持っていかないことが当たり前ですけども、いまでも自然光で撮る人っていうのは少ないんじゃないですかね。

フェリシモ:
今度は人物の作品の話になるんですけど、人間、動くものは、増浦さんは、土門 拳さんの影響を受けてらっしゃるのかなって思うんですけど……。古典芸能の撮影は、現代に残る伝統しかも動くものを撮るということで、彫刻を撮るときとの違いがありますか?

増浦さん:
違いはあんまりないんですけどね。カメラを覗いてるときっていうのは、完成のイメージができているときですから、わりと頭の整理がついてると言うんですかね。ですから撮っているときは、淡々と時間内に簡潔にっていう感じです。

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フェリシモ:
ミケランジェロの写真もそうですけれど、増浦さん独特の視点というかファインダーから覗いた角度があると思うんですね。古典芸能では、どういうところを撮ろうとされていますか?

増浦さん:
僕のアシスタントなんかによく言うんですけど、“見ることと眺めることは違う”んです。特に日本人は眺めている行為が多いんですよね。見るっていうのは観察するってこともあって、そこに違いがあるんじゃないかなって思うんですけどね。だから““見るっていう行為をする、眺めるという行為をしない”ということがきれいなところを探すポイントじゃないかなと思います。見るということは考えるということでしょ。眺めるというのは通過することですよね。興味あるのもは見るし、興味ないものは眺めると。全然違うんじゃないかなと思うんですけど。

フェリシモ:
ということは、構図を考えるときは“見る”で写真を撮るときは “無”になるっていう考えですか?

増浦さん:
ええ、そうです。

フェリシモ:
増浦さんの作品はフランスの国立図書館に収蔵されているんですよね?

増浦さん:
いろんなところにパーマネントコレクションとして入ってますね。ジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センターであるとかオルセー美術館であるとかギメ東洋美術館、それからビブリオテーク・ナショナル(フランス国立図書館)さんとかで。

フェリシモ:
それは日本人としては珍しいことですか?

増浦さん:
日本人としては3人目だと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
お話の中で土門 拳さんのことが何度か出てきたんですけども、その偉大さをどういうふうに感じられていますか? また、自然を撮るにはピュアな精神、あるいは悟りというようなお話もありましたがその辺をもう少し詳しくお願いしたいです。
あと、最近は大学とか専門学校とか、そういったところを経過して写真家になられる方が多いと思いますが、増浦さんは、いきなり写真家のお弟子さんになったことから始められましたよね。これまでを振り返って自分の人生で“これは確信できた”とか“これは自信を持って言える”というような事柄がありましたら教えていただきたいです。

増浦さん:
土門 拳さんは、ひとことで言ったら偉大な方。土門さんの写真っていうのはすごく自分のスタイルと似ているんです。僕もどっちかっていうと、行け行けどんどんで “誰が何と言おうと”というところがあって、非常に似ていたんじゃないかな。エピソードがひとつあって、『文楽』という大作が土門 拳さんの作品にあるんですけど、これは竹本住大夫師匠から聞いた話ですが、「土門 拳さんは来て2日目に頭から血を流してた」そうなんですね。それだけ怒らせたんでしょうね。怒らせるほど貪欲になっていい写真を撮ろうと、自分が撮りたいものを撮ろうっていうふうにしていたんでしょう。私もずっとそういうスタイルで切り開いてきたんで、そういうところが好きです。好きというか尊敬するところです。
次は写真家になるってことですよね。これは最初にお話したこともつながることだと思うんですけど、技術がどうのこうのっていうふうに言ったら、やっぱり人間って若いうちにそれを吸収しちゃったらそっちの方に行っちゃうんですよね。ライティングがどうのこうのとか、デジタルカメラで言ったらRGBからCMYの変換のことについてどうのこうのっていうふうになっちゃったら、そういう技術がメインになって考え方とか哲学が後になっちゃうんですよね。ですから、学校を出てアーティスト、写真家の活動をするっていうのは、むずかしいんじゃないかなって思います。やっぱり感じたものをそのままっていうふうにした方がいいと思います。

フェリシモ:
増浦さんは人見知りされると聞いたんですが、増浦さんのフランスの行動とか見ていると人見知りされるとか照れ屋というイメージがないんですけど。その行動のモチベーションはどこから生まれてくるんですか?

増浦さん:
“しつこさ”ですよね。16歳のとき高校中退してからいままで、いろんなことをやってきて全然続かなかったんですけど、ひとつだけ続いてるのがこの仕事。それからもうひとつ、いまでもそうなんですけど“一番”になりたいんです。いま僕は42歳なんですけど、その“一番”っていう意味がどんどん変化していっています。最初は地位と名声と車と家だったんですけども、最近はちょっとそれが違ってきて、いまはちゃんと自分が公共性を持って生きていって、毎日写真が撮れたらいいなって思うんですね。基準が自分にあるわけです。基準が自分にあるということは、基準をきびしく持たなければいけないっていうこと。例えばビブリオテーク・ナショナルで世界の100人に選ばれまして最初は嬉しかったんですけど、最近は賞を取ってもあまりうれしくなくて……。ですから、自分が認める“一番”になれたらいいなっていうふうに思っています。

フェリシモ:
当初はフランスをはじめヨーロッパでの撮影が多かったようですが、近年、伊勢神宮や伝統芸能など日本的なものへ広がってきているのは、どのような経緯ですか?

増浦さん:
いまも月に一度はヨーロッパに必ず行くようにはしています。こんなこと言ったら爺臭いんですけど、いま42歳になって、自分が日本人であるっていうナショナリティーみたいなものを、もうちょっと出していきたいなっていうふうに思ったんですね。ですから、大阪にいるときには文楽を撮って、東京に行く途中で伊勢神宮に寄ったりとかっていうライフスタイルになっています。だけど、いま海外でもキリスト教関係の仕事をやってるんで、(ヨーロッパでの撮影も)やってないこともないんですけどね。

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お客さま:
次に撮りたいものは何ですか?

増浦さん:
よく聞かれるんですけど、次撮りたいものは、やっぱり目に見えないものですよね。目に見えないものっていうのはおかしいんですけど、想い、哲学、理念みたいなもの。そういうものを形にできればいいなと思っています。今度出る写真集の天台宗の写真は口伝で伝わっていってるものを撮っているもんですから、もう少し掘り下げていくと何かがあるんじゃないかなっていうふうに思っています。

お客さま:
ミケランジェロですとかロダンですとか、あるいは伊勢神宮の式年遷宮のこととか、被写体としておもしろいと思うんですけど、被写体には歴史とかいろいろな意味が含まれていますよね。撮影されるときは勉強されますか?

増浦さん:
する場合もありますが、しない場合の方が多いですかね。例えばミケランジェロを撮ったときは、まずそれをどこの誰が注文したかを全部調べたんです。ロダンを撮影するときには、どういう気持ちでつくったんだろうっていうふうに考えたんです、そういう文献を読みました。伊勢神宮なんかは、式年遷宮っていうのはなぜ20年に1回するのかっていうことを考えると、テクニックと感性、どっちが先かってなっちゃうんであまり考えないようにしています。それよりもまず、どこから光が当たるんだろうとか、あるいは例えば「4月某日に撮影許可がおりました」って言ったら、じゃあ何時からどの柱へ光が当たるんだろうみたいなことを考えますね。式年遷宮の意味だけはちゃんと理解したうえでっていうふうには自分で思ってるんですけど……。

お客さま:
ふだんはどんなものを撮られてるんですか?

増浦さん:
ふだんはうちの猫をよく撮ります。僕、こどもはいないんですけど、猫が1匹いるんで、うちは猫用のカメラってのをちゃんと置いてあるんです。トイレとリビングと寝室に3台あるんで。で、猫をずっと撮ってます。

お客さま:
他人と違うことをするときに不安や迷いはありませんでしたか?

増浦さん:
それはありました。あるんですけど、それが認められるか認められないかで決まってくるわけです。僕の場合、20代は誰にも認められなかったし……。ただ信じて続けていくことが大切じゃないかと思うんです。フランスで、いちばん最初にロダンの“地獄の門”のぶれた写真をロダン美術館の館長に見せたら、その場で破られたんです。「こんな写真、冗談じゃない」って。でも、いま、ロダン美術館の正面玄関にその写真が掛かってるんですよ。そういうパイオニア的なことっていうのは大切じゃないかなって思います。それを信じてどこまでやるか。だから途中で辞めたら全然意味がなくなるけども、続けていくと何か意味が生じるんじゃないかなって思います。

お客さま:
スランプになったときにはどんなことをして気分転換をされますか?

増浦さん:
毎日銀座に行きますね(笑)。銀座と北新地に飲みに行きます。

フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。増浦さんはカメラを通じて撮影された写真で何を表現しようと考えていますか?

増浦さん:
撮るものによってもちろん違うんですけど、“公共性を帯びた本当のこと”です。それがやっぱりいちばんだと思います。

フェリシモ:
それが奇跡の光につながってきたっていうことですよね。そして、いまの増浦さんがいらっしゃるということですよね。

増浦さん:
携帯電話のカメラでもデジタルカメラでもそうなんですが、誰に何を伝えるかっていうことでカメラを持つのと、たまたまそこにカメラを持っているということとは全然意味の違うことなんですよ。そこを意識されたらいい写真が撮れると思います。

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Profile

増浦 行仁(ますうら ゆきひと)さん<写真家>

増浦 行仁(ますうら ゆきひと)さん
<写真家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1963年生まれ。1981年渡仏。伝説の写真家ギィ・ブルタン(VOGUE)の弟子になる。1986~1988年、マイヨール彫刻全作品撮影。1987年サロン・ドートンヌ入賞。1988年ルーブル美術館、オルセー美術館の撮影許可取得。1989年パリ近代美術館の撮影許可取得。1994年ミケランジェロ作品撮影開始。1997年ロダン美術館の依頼により彫刻作品撮影開始。1998年BIBLIOTHEQUE NATIONAL de FRANCE(フランス国立図書館)に作品31点を永久保存される。アサヒグラフ新年合併号「トスカーナの貴族たち」企画、撮影。1999年アサヒグラフ「WARNING!」企画、連載。2000年秋、フィレンツェのカーサ・ブオナロッティ(通称ミケランジェロ美術館)を皮切りに、2003年東京都立写真美術館、大阪の京阪ギャラリー他、国内外にて個展。21世紀を担う写真家としての活躍に大きな注目が集まっている。

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