神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 坂本 廣子さん(食育・料理研究家)
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「食べることは生きること」



<第1部>

安心で安全な食べ物を食べたい
生活のなかでこだわった食がいつしか仕事に……

私は、実は調理師でも栄養士でもなければ、料理学校も行ったことがないんです。それでこんな仕事をするかと思うでしょう? 料理の仕事をするためにそれをしたわけじゃなくって、実は成り行きとしてなったという感じです。
私が生まれた家は、羊羹をつくって売っている家でした。父は食べ物を自分なりの哲学を持ってつくり、そして売ってきたという歴史がありました。私は、3人姉妹の末っ子。いちばん上の姉は私より11歳上です。その姉が結婚し、赤ちゃんが生まれるころ、ちょうど、「サリドマイドベイビー」の事件がありました。うちの姉もつわりの薬としてサリドマイドを飲んでいたんです。幸い生まれた姪は無事でした。そこで、ほっとしたものの、「いろんなものを食べるということは怖いことだ」というのが、私の食に対する思いの原点になりました。食は必ず安心、安全なものであってほしい。うちは、味噌も漬け物も母が家でつくっていたし、食に関しては気をつけていたつもり。「できるだけ、口にするものは家でつくる」というのが実家の方針でした。

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食に関していうと、姉夫婦と暮らすようになってから異文化のぶつかり合いがありました。というのは、義兄は関東の人。義兄は「(関西には)たたみいわしはない、納豆はない……」ということが、カルチャーショックだったようです。やっぱり自分が食べ慣れたものがあるでしょ。食べたいけど、なかなか「これが食べたい!」と言いにくかったみたい。それで義兄は、食べたいものをつくってもらいやすい人として、私を選んだみたい(笑)。いま思えば、調理の基礎はすべて義兄が教えてくれたんやなって感じです。目玉焼きひとつでも、義兄の食べたい目玉焼きは、閉じたまぶたがプルプルプルと揺れるようなのが理想の焼き加減。ピューンって飛び出したり、生やったりするのは目玉焼きじゃないってことで、「これぐらいの温度でフライパンに入れて、水を卵の殻半分入れて、蓋をしてそれがなくなったらちょうどいい」とかって、本当にていねいに教えてもらったんですね。あれが私にとっては基礎になっている。実家で当り前のようにやっていたこと、プラス義兄の「食べたーい」気持ちが入って、私のいまがあるのでしょうか。

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生活の知恵から生まれた“手抜き料理”で
料理をつくることをより楽しく

それから大学に進み、卒業してしばらくして結婚をしまして、こどもが生まれて、そして仕事をやめました。それから、好きでずっと続けていた書道を週1回教える仕事を始めました。仕事と家庭でドタバタするなかでも、家族に食べるものに関しては、自分が納得が行くものを食べさせたいと思い、それで始めたのが共同購入です。それも自分が納得できるところから買いたくて、おだし、昆布、そういうものも全部自分たちで選んで買うようになったんですね。でも、共同購入にも問題があり、一緒に買う人が抜けてしまうと買えなくなるんです。例えば、共同購入は白菜・白菜・白菜、ピーマン・ピーマン・ピーマンって同じ食材がずっと来るわけです。そうすると、レパートリーが少ないと、ずっと鍋・鍋・鍋…… になってしまって家族からブーイング。届いた材料を使い切れないことが原因で、購入をやめてしまう人が出てきてしまったんですね。
それでレシピを付けて一緒に渡すことにしてみたんです。そしたらレシピを読めない人がいることがわかったんですね。「寒天を戻す」って書いたら、袋にもう一度戻してしまったりとか(笑)。それなら、目の前でつくっているところを見てもらえば大丈夫かなって思って、自宅のキッチンを開放して簡単料理教室を始めました。それから、いい食材をつくってくれる生産者がいても、それを受け取った私たちが生かすことができる力がないとだめだから、私たちも1ヵ月に1回みんなで勉強会をしようってことになったんですね。で、それを8年続けました。
それが「なぜこんなに長いこと続くのかな」ということで、新聞の取材が入ったんですね。

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記者の方は、びっくりされていました。というのも、例えば「溶かしバターを塗る」っていうレシピには、ボールを用意してそれを鍋に入れて、はけで塗って…… と書いている。でも、私はポリ袋にバターを入れて体温で溶かして、そのままバターを塗ったんです。だって「そのはけは誰が洗う?」って思ったら「やっぱりそれちょっとなぁ」とか思って。牡蠣でも「牡蠣を牛乳で洗って、タオルでふく」と書いてあったら「誰がそのタオル洗濯するの?」とか思いません? タオルを洗うのも、洗い物をするのも私、だったらそれをどれくらい楽にするかって考えてしていたら、結果的に“手抜き料理”となったわけです。
そのことを、「新聞に書いてもらえない?」って言われたんですよ。どういうふうにレシピを書くかも全然知らなくて。例えば卵をかき混ぜるときも「混ぜる」と書かずに「切るように混ぜたらいい」とかいっぱい書いたんですね。そしたら「すごくわかりやすいね」って。1週間朝日新聞に書いたら「もうちょっと連載しない?」って。2年間連載をしたら「それを本にまとめませんか」と言っていただいて、それが『忙し母さんの手抜き料理』(大阪書籍)です。「笑えるから電車の中で読めないわね」とか「元気が出るから講演会にきてください」など評判をいただき、そうしたら、NHKさんから「『きょうの料理』に出ませんか?」って言われて……。そんなふうに来るものをひとつずつ受けているうちに、現在に至るみたいな感じです。
そのころも私は、ずっと書道を教えていました。書道は、自分のライフワークだと思っていたんです。そうしたら、やっぱり忙しいですしバタバタの日々です。そんな生活のなかでも、私は店から出前を取るということを一度もしたことがないんですね。間に合わせにちょっとこう中食みたいなの買っても、なんか胸がチクッとするような、なんか言い訳しながら買うような……。「何でかな?」と思ったら、これは、父親の影響でした。父がいつも言ってたことがあるんです。「食べ物をつくる味は、人の手についてるんや。だから、ご飯だけは血のつながったものがつくれ」って。それが父親の方針やったんですね。でも、結婚した私の家庭は核家族。血がつながった人がそんなにいないわけです。でも、なんとか家で血のつながったものがご飯をつくるのだけはずっと守ってきていました。そういう環境で、父の言葉が、私にとっての歯止めやったんやと思います。

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地球の果てでもひとりで生きていけるこどもになりますように
その第一歩が何でも食べられる
好き嫌いのないこどもにすることでした

自分のこどもが生まれたときに、私がこの子から手を離しても「地球の果てでもひとり遊びのできる子にしよう」って決めたんですね。誰かに頼って、楽しみを見つけるんじゃなくって、ひとりで見つけて食べられて、毎日が楽しく暮らせる人生を過ごしてほしい。それで、まず最初は何でも食べられるようにすること。でも、こどもって一筋縄には行かなくって(苦笑)。あるとき息子が、もうだらだらだらだら食べてるんですよね。だからラップかけて片付けて、また翌日も同じ料理をずーっと出してたんです。そしたら息子もそれを食べたくないから考えて、食べ物を落とすんです。「落ちたー」とかって(笑)。(それに対して)「洗って食べなさい」って言う感じで……(笑)。あと、息子がお腹が減って眠れないときがあったんです。「お母さん。僕がお腹が減って死んじゃったら困るでしょ?」って、だから「大丈夫よ。人間は60日間水だけでも生きられるから」って。
(会場:笑)
水道の水を飲んでね、寝てましたけどね。
(会場:笑)

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あるとき娘は「大根なんか大嫌い」って言ったんですよね。私は「ちょっと待て」と。「あなたはたった3歳でしょ? 大根はもう1000年以上たってもね、みんな『おいしいおいしい』って食べてるのに、随分失礼なこと言うわね。あなたがおいしいのがわかるようになるまで、大根食べてもらうわ」と言って、味噌汁したら大根、餃子したら大根、炒め物したら大根……と10日くらい続けたんですよね。そしたら、娘は引きつりながら笑って「お母さん、おいしい」って言いました。
(会場:笑)
娘にしたら、ストップかけにかかったんでしょうね。で、「わかればいいのよ」って。
(会場:笑)
それからは「嫌い」って絶対言わなくなりましたね。言うたら最後やと思ったんでしょうね。それからは「あまり好きじゃない」って言うんですよ(笑)。震災のとき、ライフラインが全部止まりましたよね。宅急便が動き始めて最初に、焼津から干し魚が届いたんですよ。それをカセットコンロで焼いて食べたんですが、そのとき娘がなんて言ったかというと「うわぁ、おいしい。ここに大根おろしほしいわ」って。「昔、君は何を言ってたかね」みたいな感じなんですけど。
(会場:笑)
でも、そういうふうに食べる体験をさせていたら、大人になっても食べられるようになることがわかったんですね。

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自分の子育てから始まった「食育」
自分たちでつくることで食べ物、料理を学ばせる

いま「食育」をしています。実は「食育」は、私の暮らしから出てきたんです。最初に住んだ家は、私がキッチンで料理をしていて、こどもが隣の部屋にいて「危ないからあっち行きなさい」って言ったら庭に出るしかないようなとても狭い家だったんです。私が卵の泡立てをしてるそばを、こどもたちがウロウロとしているような家。それだったら食べることと育児を一緒にしてもいいじゃないと思って……。だからうちのこどもは、私がご飯をつくるのを門前の小僧のように見ざるを得ない家やったということなんです。
そんな生活のなか、息子が11ヵ月ぐらいのときにボディランゲージで「包丁を持ちたい」って言い出したんですよね。で、おもちゃを渡したら「違う!」って怒るんです。「え? 本物?」という感じで、包丁を渡したら、タッタッタッて切り始めて。1歳5ヵ月くらいで、キュウリが切れるようになっていたんですよ。「こどもってすごいねぇ。できるんだなぁ」って思ってたら、「あなたも変わってるから、こどもも変わってるわね」って友だちに言われたんですけど。
(会場:笑)
ある日、公園で遊んでるときに「あ、この子変わってるわ」って初めてわかったんですよね。子供たちがままごとをしてたんですよね。そのときに、うちの子だけ、お米を洗うところから始めてたんですよ。
(会場:笑)
あと、保育園の遠足で水族館に行ったときに息子が「アナゴはぬめりを取って、白焼きにしてから味をつけた方がいい」「ベラの大きいのは3枚におろして昆布締めにして、小さいのは揚げて南蛮漬けにしたらいい」って料理法をずーっと説明して回った(会場:笑)って聞いたときに「うちの子は変わってるかもしれへんな」って(笑)。

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「食育」は、小学生対象に自分のご飯を自分で見つけましょう、つくれるようになりましょうということで、朝ご飯・昼ご飯・おやつ・晩ご飯4回に分けて、それでこどもたちがこどもたちだけで料理をするという教室をしました。親子料理教室全盛のころだったんですけど、よく見たら親ばかり料理していて、こどもは何にもしてなかったりするんですよね。こどもたちに自覚してほしいと思い、こどもがひとりでする教室を開くことにしたんです。そこでは、基礎からずーっと紹介していきました。経験のないことは、1個ずつ説明していかないとだめなんだっていうことがわかりました。それが私がこどもたちに食を伝える最初の仕事でした。
それから、あるとき、幼稚園の理事長が「こどもたちの偏食が多くて困るのよ」って言われて、こどもたちが自分たちの昼ご飯を自分でつくる教室を授業で始めたんですね。始めたとき、だいぶ言われました。「包丁を持たせて、怪我したらどうするの」「天ぷらで火傷したらどうするの」って。だけど、本当にこどもたちが上手にできるということは、幼稚園の70人のこどもたちを見ているとすぐにわかりました。そこではこどもたちになじみのあるカレーやハンバーグじゃなく、冬瓜の炊いたん、魚の炊いたん、混ぜご飯とかをつくりました。こどもに体験として残したいものをつくってもらおうと……。あふれるほどたくさんこどもたちに伝えなきゃいけないことがあるんですよ。でも、こどもたちは、すごい吸収力です。卒園のころになったら言うんです「僕たち、なんだってつくれるよね」って。ものすごい自信でしょう?
(会場:笑)
でも、本当にその通りなんです。パンも粉からつくって焼いて、わけぎのぬただって、わけぎポンポンって切って、水を少し入れて空炒りにするとわけぎの旨みが逃げなくて、おいしいのができるんですね。そこに酢味噌でこう和えたらおしまい。説明が50分くらいかかっても、実際にこどもたちの調理は45分くらいでできるんです。早い早い!

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だから「大人だからできる」こどもだからできない」とは違うんです。段取りなんか抜群に良いわけですね。テニスをするとき、本を山ほど読んでもテニスがうまくならないのと同じで、自分がちゃんと体験して身につけたものはちゃんとできるんですよ。例え1歳児であったとしても、包丁をちゃんと使わせてあげてくださいね。こどもたちが使うことってできないと思うでしょ? そんなことはないですよ。確かに、個人差はあるんだけれどちゃんと言われたことをていねいに守るんですよ。そういうふうにして、幼稚園のこどもたちの教室を25年続けまして。それを『坂本廣子の台所育児 一歳から包丁を』(農山漁村文化協会)という本にまとめました。
しばらくして、NHKから「新しくつくるこども番組の監修をしてほしい」と言われました。それが『ひとりでできるもん』という番組。こどもたちが、最初から最後まで自分でやり遂げたと思える番組にしたいという思いでつくりました。番組のなかで、「包丁を持たないお手手は猫の手ニャン」という表現をしたんですね。「第2間接曲げて」ってこどもに言ってもわからないから「猫の手ニャンで押さえようね」って。そしたら「猫の手ニャン」の反響が大人にも大きくて……。「包丁を持たない方は猫の手に曲げるんですね」「おだしってこう取るんでしたのね」など、「初めて知りました」っていう声がすごく多かったんです。「聞きたくても聞けなかったことが、番組でわかるのがうれしい」っていうことで視聴率が高かったんですよ。そして、実際に本当にこどもが料理することが当り前みたいな環境になり、そこでやっと私は風が変わったなと思いました。

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阪神淡路大震災で経験したことをもとに
サバイバルクッキング術をこどもたちに

それから「キッズキッチン協会」という、こどもたちが料理をすることをサポートする団体をつくりました。いま、福井県小浜市は食育文化宣言都市といって、町のこどもは全員、茶葉をつかって急須でお茶を入れる、お米を洗ってご飯を炊く、おだしをとって味噌汁つくる、この3つを義務食育でやってもらっているんです。今年は、あじの3枚おろしをやってるんですよ。やっぱりいろんなことは体験をベースにしない限り、本当の意味で身につかない。擬似でもいいから体験して、正しく伝えなければ私たちの思いは次世代に伝わっていかないんですよね。理屈でどんなにわかっていてもだめ。チョコレートを食べたことがない子に、チョコレートのおいしさを伝えようとしても無理ですよね。だからそのチョコレートの体験をさせなきゃいけない。ということで、とにかくこどもたちにいい体験を残すこと。その体験から自分で見つけていく、学んでいく。そのしつらえをすることが私は食育だと思っています。
阪神淡路大震災もはるか遠くになりました。こどもたちは震災を全く経験していないんですよね。だけど、どんなときでも元気に生き延びてほしいという思いがあるもんですから、こういう本(『地震の時の料理ワザ』柴田書店 )をつくりました。あんまりがんばらない防災をやりたいなって。例えば乾物などをちょっと置いといて、ポリ袋を使ったら、食中毒にならずに調理ができるねっていうのがわかって、地震が来たときに「えっ? うち?  ポリ袋あるのよ」っていうくらいの軽い気持ちでできるがんばらない防災をやりませんかっていうのがこの本なんですね。

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これ、ポリ袋です。このポリ袋と乾物を用意しておくんですね。例えばワカメ。ワカメは普通戻すのにたっぷりの水を使うでしょ。でも、水をチロリ、これだけでも戻るんです。切干大根は長かったら、短めにハサミで切ってポリ袋に入れて、水を入れてね。これでキュッキュッっと袋を縛って、しばらく置くと戻ります。寒天もちぎって袋に入れて水を少し入れて……。寒天も別に煮溶かさなくていいんです。これでしばらくおいて戻して、水を切って……。この他に缶詰とか、ごまとかを入れれば、繊維たっぷりミネラルたっぷりのサラダができるわけですね。

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あと避難袋にもうひとつ入れてほしいのが、お豆さんです。金時豆でも小豆でも大豆でもいいんです。いま、日本のこどもたちが怖いなと思われるひとつは脳の栄養失調。脳が発展途上のこどもたちは、飢餓の状態になったとき、脳に栄養が行かなかったら脳がダメージを受けてしまうんですね。この間岸和田で餓死寸前でこどもが発見されたという悲しい事件がありましたよね。飢餓寸前だったために、いまは体が元に戻ったけれど、脳は元に戻ってない、意識も戻っていないんですね。後から取り戻そうと思っても取り戻せないんですね。そういう飢餓のような状態になったときに、命はもちろん、脳も助けないといけないと思うんです。これは『雑穀時報』という本に書かれてあったんですが、「これだけ(大きく手を広げて)食べないといけないけど、実際にはこれだけ(小さく手を広げて)しか食べ物が手に入りません。でもこの食べ物の10~20%を豆に置き換ることによって、どんな飢餓状態でもこどもの脳は正常に発達します」と。だから食べるものが少なくても、豆を入れておきましょう。とにかく全体量の10~20%をこどもの脳のために食べさせてください。こういう乾物をちょっとだけ家に用意しておいたら、いざというときにちゃんと食べられるよ、生鮮のものがなくても大丈夫だよ、ということを書いています。

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もの言わぬ食べ物たちの通訳
これが私の一生の仕事です

私は“食育・料理研究家”と呼ばれてはいるけれど、“もの言わぬ食べ物が思っていることを誰かに伝える”、これが私の仕事なんじゃないかなって思っています。「もっとこういうふうにしてほしいのよ」っていう食べ物の気持ちを、わかりやすい伝え方で通訳するのが私の仕事かな。

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通訳がね、自分の主義主張を入れたりしたら困るでしょう。例えば商品開発をするときも、「ほんまにこの食材はどこがいいのかな? どんなふうに良さをわかってほしいのかな」って考えてみたら献立って簡単に出てくるんです。むしろ条件を絞り込んでいけばいくほど、簡単に出てくるんですよね。だから、食の通訳が、私の一生の仕事かなって思っています。だからこどもたちと食とをつなぐときも、ちゃんとした伝え方をしたらこどもたちってこんなにできるんだと……。通訳の仕事がひとつの形となったことが、私にとってはすごくうれしいことです。だけどそれは、机上で考えることだけでなく、震災を経験し、食べるものがなかったときに「あ、乾物ってこういうふうにして役にたつんだな」っていうのがわかったその体験があるからできたことなんです。これからも、地味でいいからそういう通訳の仕事を、自分の命がなくなるまでやりたいと思っています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
私はメニューを考えるのが不得意なため、台所に立つのがあまり好きではありません。こどもたちには料理好きになってほしいのですが、親の背を見て育ちそうで先行きが不安です。私も含めてお料理好きになる方法があればぜひ教えてほしいです。

坂本さん:
こどもたちは「自分で見つける」ことがいちばんうれしいんですね。教室ではいつも、材料を見せて、「これは何かな?」ってこどもたちに聞きます。そうすると例えば「きゅうり」って。「すごい! わかったね」って褒めると、それはもうほんとに自分が見つけたつもりになって、納得するんですね。で、こどもたちに「このきゅうり、どうしたらおいしく食べられるか考えてみてくれる?」って言ったら、こどもたちなりに「こうしたらどうだろう」って考えてくれて、答えを見つけたときに褒めてあげるんです。教え込もうと思わない方がむしろいろんな素晴らしいものが出てくるので、ぜひ食べ物とこどもとを向かい合わせてあげてください。
「えのきだけの佃煮」をよく料理のステップ1で使うんです。えのきだけ、洗わなくていいんです。袋から出して10センチ位に切り、小鍋に入れます。みりん大さじ1、しょうゆ大さじ1を入れて火にかけます。すると、えのきだけはざーっと水気を出してきて、だいたい2分でえのきだけの佃煮ができあがるんですよね。それから、ほうれん草を茹でて「ほうれん草もえのきだけの佃煮で和えてみようか」とか言ったら、ほうれん草を嫌いな子も、食べるようになります。
だからね、お任せ物をお願いするんです。こどもたちに料理をしてもらうときに「この皮をむくのだけやってね」とか「洗い物だけやってね」って言っても、そんなの大人でもおもしろくないじゃないですか。最初から最後まで自分でやり遂げたという気持ちになれば、責任も取れるっていうところで、私のおすすめは「えのきだけの佃煮」。そういうものをひとつ、得意料理としてぜひ持たせてあげてください。そこからきっと広がっていくと思います。

お客さま:
3歳になったばかりの娘が、食に対して強い関心を持つようになりました。娘と一緒に料理をつくる際、つい口を出してしまって喧嘩になるのですが、こどもに対して怒らないようにするコツがあれば教えてください。

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坂本さん:
実はいま、豆腐の手の上切りをおすすめしています。「豆腐を手のひらにの乗せ、指をピンと伸ばしておいて、こうしてまっすぐ包丁を下ろして切ってね。まっすぐ下ろして、『当たったかな?』って思ったらまっすぐ上に上げてね。引っ張ったら血みどろ豆腐になるからね」って言って、
(会場:笑)
実際に手のひらに乗っけて切らせるんです。そうしたら、切り終ったときに「できた!」(Vサインをする)ってなるんですね。そうすると味噌汁をつくるとき、この豆腐を切るという、たったワンカットの作業でも、「こんなにむずかしいことをしてできた! 天才や」と思えるわけですね。そこでこどもってコロッと変わるんです。しかもその味噌汁がおいしかったら、「私がいなかったらできなかった」って、かけがえのない自分を発見しますし、さらには周りの人たちがこんなにおいしいと言って食べてくれるって、ものすごく自己評価が上がるんですよね。おもしろいようにこどもが自信を持つんですよ。
あとは、言葉がけですよね。こどもたちがその何かを見つけたときには「わあ、すごいね」って褒めてあげること。できなかったことを責めるんじゃなく、できたことを見つけて褒めていく。それが本当の意味でこどもたちをすごく伸ばすことになるんですよ。

フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。坂本さんが、毎日の食生活をキラリとさせるために意識されていることはありますか。

坂本さん:
私は、この世に生まれてきて、いま結構生かされているんだなっていう気がするんです。料理学校行かなくても、食の仕事をしているのもそうだと思います。「人は生まれてきたときに必ず自分がするべき仕事を持って、この世に送り出されて来るんだ」という言葉があります。エリザベス・サンダースホームをつくられた澤田 美喜さんの言葉。そのホームをつくろうと思ったきっかけは、満員電車で自分のところにバサッて落ちてきた真っ黒い赤ん坊の遺体だったそうです。そのとき、自分が母親と間違われて連れて行かれ、こういう現実があるということを知って……。「その落ちてきた小さな赤ん坊は、私を目覚めさせるためにこの世に送り込まれたものだと思う」って言われたんですね。だからこの世に命があって送り込まれたということは、それを成就していくのに必要な才能をちゃんと神さまがくれたんだと。
いまの私の仕事のやり方は、積極的にああだこうだ、次に輝くためにこうしようというのではなく、結構成り行き任せです。だけど「きっと必要あって、いましろと言われているんだな」「これが私がこの世でする仕事なんだな」と思ってずっと続けてきているんです。自分がここでする仕事がなくなったときに、きっとそこで命が終わるんだと思うんですよね。だから、これから先にも、あるがままに受け入れたときに、いろんなものが生まれてきて、それが実は気がついたら1歩前に進んでいるような気がするんです。積極的に自分の運命を変えようとは思っていませんが、見えないところで誰かが「おいしいな」って食べてくれていたら、それで充分じゃないかなって思います。

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Profile

坂本 廣子(さかもと ひろこ)さん<食育・料理研究家>

坂本 廣子(さかもと ひろこ)さん
<食育・料理研究家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
神戸生まれの神戸育ち。同志社大学英文学科卒。サカモトキッチンスタジオをベースに、「台所は社会の縮図」として、生活者の立場からの料理作りを目指す。幼児の食教育の一環として、調理実習を行う他、高齢者、障害者および一人暮しの人のための安全な調理法「炎のない料理システム」の普及など、実践的活動を行っている。NHK「きょうの料理」、NHK教育テレビ「ひとりでできるもん」をスタート指導。テレビやビデオ、雑誌、新聞などのメディアにおける活動に加え、商品開発、企画及び講演など多角的に活動中。

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