神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「音の世界で自由になる」



<第1部>

(松永貴志さん:入場&ピアノ演奏)

フェリシモ:
本日は、松永貴志さんに、いままで歩んでこられた道のりの中での「さまざまな出会い」をキーワードにお話をおうかがいしていきたいと思っています。よろしくお願いします。

松永貴志さん:
こんにちは。よろしくお願いします。

フェリシモ:
さきほどの曲は、なんという曲ですか?

松永さん:
『神戸』という曲です。

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僕のプロフィールにはジャズピアニスト、それから神戸出身と書いてあったりするんですけど、実際には芦屋出身なんですけどね(苦笑)。でも、外国とかに行ったとき、神戸だと「あ、神戸かぁ」って分かる人もいて、でも、芦屋と神戸ってほんまに微妙な違いで東京の人でも芦屋って神戸の中の芦屋ってイメージがあるみたいで。だから、神戸出身でもいっかぁって。まぁ「でも正確には芦屋なんです」ってすごい思ってるんですけどね。
まぁ、そんな気持ちも含め、『神戸』という曲を書いたんですね。僕が9歳のときに阪神淡路大震災が起こったんですけど、すごく揺れた、そういう経験もあり、それとリンクしていて。で、その後にハーバーランドのすごく夜景のきれいなところのイメージとか僕の中にあるいろんな想いの神戸っていうものを曲に表現しようと思ってつくりました。「神戸っていう街は、いい街なんだよ」っていうのを伝えたいなぁって思って、演奏しています。

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音楽との出会い

フェリシモ:
まずは「音楽との出会い」ということで、初めて音楽に触れたときというか、音楽を始めるきっかけを教えてください。

松永さん:
音楽って、よく耳にするじゃないですか。普通にスーパーに行ってても音楽が流れてるし、いろんなところで結構耳にしていて……。だから、自然と入っていったという感じ。特に僕の中ではジャズに興味があった、という感じですね。

フェリシモ:
最初、ジャズと出会われたのはどのようなきっかけだったんですか?

松永さん:
ジャズは、父が好きで、家でよくCDとかかけてたりしたんです。それと同様に美空ひばりさんが好きで、『川の流れのように~♪』とかもよく流れてたんですよ。でも、僕は演歌じゃなくてジャズの方に行ったんですね……。もしかして演歌の方に行ってたら、演歌ピアニストになってたかもしれないんですよね(笑)。

フェリシモ:
そうやって音楽に出会われてジャズを始めらて、お父様によくジャズのライブに連れて行っていただいたと……?

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松永さん:
そうですね。ジャズのライブハウスって神戸とか、大阪など関西は特に盛んで、日本の中ですごくいちばん、なんていうんだろうな、オーソドックス、ちょうどビバップとかそのへんの、ハードバップとかのジャズをすごくする地域なんですよ、神戸って。で、そういう環境にいたからこそ、ジャズっていうものがすごく身近に自然に入ってきたというんですかね。

フェリシモ:
なるほど。5歳のときに、ジャズに出会われた?

松永さん:
プロフィール上は5歳ってなってるんですよ。でもね、実際はね、これね、ちょっとカッコつけてるかもしれない(笑)。ちゃんとピアノを始めたのは、小学校6年生の秋ごろなんですよ。それまでは、普通に公園で秘密基地とか作ってたんですよ(笑)。小学生だし、秘密基地作ったり、友達と遊んでたり、ね。で、家にアップライトの小さいピアノと、小さいオルガンがあったんですよ。ピアノの鍵盤って結構重いじゃないですか? タッチが。今日もピアノを触ったことがある方もいると思うんですけど、ピアノはすごく重くてハモンドオルガンというのはタッチがもっと軽いんですよね。だから「軽いほうがええわ」と思って。で、ハモンドオルガンから始めて。だからそのハモンドを始めたのは、もうちょっと早いですけど。ピアノを始めたのは小学校6年生の秋ですね。

フェリシモ:
ほぼ独学で学ばれたとお聞きしたのですが。

松永さん:
そうですね。小学校6年生の秋から始めて、一応理論というものをアマチュアオーケストラのキタノハルオさんっていう方がいて、その先生に教えてもらったんですけど、自分が弾いて押さえている音っていうものがどういう意味なのか全然分かってなくて、だから、小さい頃はピアノで「ネコ踏んじゃった」とか簡単に弾けちゃう。で、その感覚でピアノを弾いてたんですよ。

フェリシモ:
こう叩くとこういう音が出るっていうのを譜面で知ったとかではなくて、最初に弾きながら覚えていったような感じですか?

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松永さん:
そう。ピアノをやった方は、最初にバイエルとかいろいろ譜面を見てピアノを演奏されたと思いますが、僕は小学校6年生までは楽譜が全然読めなくて、で、楽譜は読めないし、コードも知らないし、何も全然できなくて。小学校6年生の時にジャズやってる子なんてあまりいないと思うんですけど。ただクラシックとかやってたら、バイエルとかもっとうまい子がいたわけですよ。僕が始めたころっていうのは、幻想即興曲とか弾いてる子がいろいろいたりして、ピアノってすごいなーって思ったとこから始めてるわけで、スタートは……。

フェリシモ:
そこから練習を始めて、10歳で、初めての作品を……?

松永さん:
いまいった話だと、10歳だったらもっと若いんじゃないか、となっちゃうんですけど(笑)。ピアノが11歳、12歳くらいで。で、ハモンドオルガンはもうちょい前からやってたんですね。小学校2年生、3年生くらいのときに1年に何回かは弾いてたんですよ。まあ、1年に1回ってことはないけど、ほんとそれくらいの勢いで全然弾いてなくて。でも、コンクールがあったんですよ、ハモンドオルガンの。ハモンドオルガン全国大会。そのコンクールに出ようと思って。そのときに練習して。そしたらグランプリを獲っちゃったんですよ。

フェリシモ:
えー! いきなりですか?

松永さん:
いきなり。いや、これはねー、最初のピアノがむずかしいものっていう意識がなかったんだろうな。
(略)

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なんかそういう壁を感じずにピアノに入ったっていう……。オルガンで聞いたものを楽譜とか見ずに耳で覚えてそのまま演奏して。で、その通りだと多分弾けないんですよ、むずかしいんですよ。例えば、みんな最初にバイエルを始めて同じことを何回も練習するでしょ? あれはすごくむずかしいんですよね。それを弾くために、じゃなくて、バイエルみたいなものを自分で自由に弾くことをやっていって、既存にある曲を自分なりにちょっと変えたものを自分が表現しやすいような形で、自分の力を100%出せるような形で演奏した。そうすると、なんかグランプリが獲れちゃった。

フェリシモ:
すごいですね。最初に与えられたものをその通り弾くというよりも……。

松永さん:
そうですね、最初のころから。ハモンドオルガンってペダルまで付いてるんですよ。だから、両脚を使わないといけない。鍵盤も2段(上下に)あって、すごく弾くのがむずかしくて。で、脚をね、片脚でどんどんベースランニングをしていくんですけど、そのときに片脚だとなんかもったいない気がして、それで両脚使ってやったんです。こうやると音もいっぱい出るでしょ? そうすると、なんかね、すごいビックリされたみたいで。で、グランプリ獲っちゃったんですよ(笑)。

フェリシモ:
獲っちゃったんですね?(笑)

松永さん:
獲っちゃったんです(笑)。その後、記念にCDでも作ろうかってことで、一般の市場には出てないんですけど、オリジナルのCDを作りました。チック・コリアっていう人が作った『スペイン』、すごく有名な曲です。

フェリシモ:
オリジナルではなく?

松永さん:
オリジナルは、高校1年生くらいになるまで全然オリジナルは弾いてなかったんです。本当にジャズのオーソドックスなスタンダード、そういうものばっかり弾いてましたね。

フェリシモ:
それではここで思い出の曲、『スペイン』をぜひ演奏していただきたいと思います。

(ピアノ演奏)

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フェリシモ:
ありがとうございました。これを10歳で?

松永さん:
そうなんですよ。『スペイン』は結構リズミカルな曲で、ダダッタダーララーダダッタラー(手拍子付き)というリズムに乗りながら演奏できる。演奏する方も楽しいし、聴く方もすごい楽しい曲だと思うんですよね。今日はピアノをソロで弾いてるんで、ちょっと僕なりの弾き方で弾いてるんですけど、ジャズってまず自分の思った通りに弾けて、それをどんどん即興でアレンジしていくっていうのが醍醐味じゃないかなっていう……。

フェリシモ:
いままであったものからご自身なりに?

松永さん:
音楽って、メロディとコード、それとリズムっていう3つの構成でできてるんです。その3つを頭の中で瞬時に組み合わせていくわけです。何も考えてないように弾いてるときっていうのもあるんだけど、常に次のときのリズムの組み合わせ方をどんどん組み合わせていくっていうのが、またおもしろかったりするんです。

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世界との出会い

フェリシモ:
次は「世界との出会い」というテーマでおうかがいしたいと思います。まず、プロになろうと思ったきっかけっていうのはどのようなものだったんですか?

松永さん:
小学校6年生のときに始めてから、わりともう結構いろんなところに出没していたんですよ。神戸にジャズのライブハウスって結構いっぱいありますよね。あーゆうところとかにもぼんぼん出ていってて、演奏してました。人前で演奏することがすごい楽しいことなんだなって、そのときにすごい覚えて。で、これはやってると楽しいだろうなーと思ってそのままプロになりました。プロになるんだったらやっぱり地元、芦屋のルナ・ホールで、プロデビューリサイタルを開こうって。それで、プロになりました(笑)。

フェリシモ:
それで、始まったわけですね。プロになられる前から独学でいままで勉強されていて、先生について教わるという機会は?

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松永さん:
そうですね、ピアノを教わるってことはなかったですね。理論やジャズのコードを教えてもらったことはあるんですけど。クラシックだとピアノのテクニックを学ぶんですよ。例えばスタッカートの鳴らし方とか、テヌートとか、そういうことを細かく習うピアニズムというものなんですけど、そういうものはいっさい習ってないですね。

フェリシモ:
プロデビューリサイタルを15歳のときに開かれて、そこからもうどんどん認められて、世界に羽ばたいていかれたのですか?

松永さん:
音楽を目指してる人ってみんな、なかなかチャンスに巡り合える機会って少ないんですよね。実際に僕も両親が音楽をやってたわけでもないし、知り合いがいるわけでもないし。でも、どんどん自分で人前に出て行って認めてもらったりしないと、やっぱり分からないじゃないですか。別にヘタクソでもいいんですよ。いろんな人の前で、まず知り合いをつくっていくっていうことをして、そこから目標にする人がいてもいいし、その人を抜こうと頑張っていくっていう……。多分僕が出てきたっていうのは、ライブハウスでもどんどん人前に出て行って演奏したり、ピアノの演奏ができますっていうのをやっていった結果じゃないかなと……。

フェリシモ:
いろんなところに出て行こうとされていたんですね。そこで、いろんな方に認められて、17歳のときに、初めてのアルバムを出されたんですか?

松永さん:
東芝EMIでメジャーデビューが決まったんです。15歳でプロデビューのリサイタルをして、そしたら結構新聞とかにいろいろ出るようになって。そうすると、『たけしの誰でもピカソ』ってテレビ番組のディレクターが「出てください」って。で、出たんですよ。そのときは関西のトリオの人たちと出てて、その番組を見てた東芝EMIのディレクターが来られて……。だからね、どこに縁が転がってるか分からないっていうのは思いますね。とにかくこれは、『たけしの誰でもピカソ』にしても、みんな見てるわけじゃないですか。このチャンスはやっぱり掴まないと、と思って。

フェリシモ:
ここはチャンスだと?

松永さん:
ここはチャンスだと!

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そういうチャンスのときに常に自分の100%の力を出せるように、いつも普段から、そういう下準備をしておけば…… と思うんですけどね。15歳の高校生のときに『宿題』っていう曲をつくったんですよ。中学校のころは、宿題はしなくてもよかったんですけど、高校になったら宿題の量がすごいんです。一時限ごとに出てくるんですよ。僕にとってはすごいプレッシャーでね。ストレスたまっちゃって、で、曲つくっちゃえーって(笑)。で、まぁ『宿題』という曲が生まれたんです。

フェリシモ:
そういうところから曲が?

松永さん:
そうですね。ライブハウスで弾いてて、そこに東芝EMIの社長とね、ディレクターが2人一緒に東京から来たんですよ。もうびっくりして! 最初はこの人誰かなーと思いながらしゃべってたら、「社長です」「あら!?」って……。そのときに『宿題』を弾いてたんですよね。そのときに目に留まったのは、オリジナル。スタンダードも弾いてたんだけど、それよりもオリジナルが目に留まったということでした。

フェリシモ:
一流の人から評価されるようになったわけですが、それについて、戸惑いやプレッシャーはありましたか?

松永さん:
プレッシャーは、感じなかったですね。そうやって飛び込んでいって、「ピアノもう辞めろ」とか、ボロクソに言われてもいいんですよ。何言われてもいいんですよ。言ってもらえるってことが次に繋がるじゃないですか。それが悔しいと思って進めることもあるし。褒められてばっかりいると天狗になっちゃうんですよね。だから天狗になった人には、ちょっとブスッブスッと(指で)刺してあげて(笑)で、頑張ってる子は褒めてあげた方が絶対に伸びるから。例えばちょっとでも新しいフレーズが弾けた子がいたとしたら、その子を「すごいね」ってこう褒めてあげれば、すごい喜んで次弾くじゃないですか。で、練習も苦にならないし。そういうことをどんどん周りの大人の人たちがしていけば、その子が純粋に育っていくんじゃないかと。

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ジャズ界で大御所中の大御所にハンク・ジョーンズさんという方がいるんです。もう80歳くらい年いってるんですけど、でもすごくシャキーッとしてて、すごく紳士な方。その方の公開クリニックがあったんですよ。どんどん生徒さんが出てきて、ピアノを演奏していくってもので。そのとき僕は13歳だったんですけれども、そこでボーンと弾いていたら、曲の途中で「アウトスタンディング!」って言われたんですよ。アウトスタンディングだから、立って出て行けって言われたのかなと思ったら、そうじゃなくて、「素晴らしい!」って意味だったんです。ハンク・ジョーンズさんがすごく褒めてくださったんですよ。

フェリシモ:
いろんな方々に評価されながら認められて、セッションする機会も増えたと思うのですが……。

松永さん:
そうですね。ジャズの人って割と軽くセッションしたりするんですけど、でも、同じレベルの人たち同士でしかセッションしないんですよ。だから、名前のない僕がポッと入るのなんてすごいむずかしいんだけど、誰か1人でも拾ってくれる人がいたら、その人と一緒にいろいろ回ったりしたりして、その人とやれば、認めてもらったりとかして。で、17歳のときにちょうどハービー・ハンコックのプロデュースの東京ジャズっていうイベントがあって。で、その東京ジャズのときも、もともと僕はセッションに参加する予定はなかったんですけども、なんか、リハーサルで演奏してたり、本番で演奏してる音をハービー・ハンコックが聴いていて、スーパーユニットで拾ってくれて。ハービー・ハンコックの代わりにバーンとピアノを弾いたりとかできたりもしたんです。

フェリシモ:
大抜擢!

松永さん:
そうですね。そのときは僕もスーパーユニットに入れると思ってなかったんで。

フェリシモ:
一流の方々とセッションして、ドキドキしてしまったりだとか緊張されたりとかは?

松永さん:
あんまり緊張とかはしないんだけど、ハービー・ハンコックが「おい、リトルボーイちょっとおいで」って言ってくれたのはうれしかったですね。リトルボーイなの、僕は? って(笑)。それはそれでうれしかったな。

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日常生活における出会い

フェリシモ:
3つ目の出会いとして、日常生活での出会いについておうかがいしたいと思います。松永さんがつくられる曲は、例えば『宿題』『メロン』など、ユニークな曲をつくられていますが、そのインスピレーションの源はどこにあるのですか?

松永さん:
『メロン』とか『宿題』とか『神戸』とか、割と一語の文字が多いんですよね。なんか、それがすごい好きで。ジャズの曲って『オンザグリーンドルフィンストリート』とか、『マイファニーバレンタイン』とか結構かっこいい名前のがあるから、もっと単純にストレートでドーン! 『メロン』ドーン! 『レモン』『無機質オレンジ』とか分かりやすいかなーって思って。その曲を聴けば、そういうイメージなんだってパッと分かると思うんですよね。

フェリシモ:
そういうインスピレーション、日常生活のどういうときに生まれるんですか?

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松永さん:
日常生活にリンクしているのは『宿題』にしても、宿題がイヤだったからできたし、『ナイトリバー』っていう曲も、夜の川を見てきれいだなーって思ったらできて。で、メロンを食べたら『メロン』という曲ができたり。ね? ほら、すごい簡単じゃないですか。すごい明快! 分かりやすい! 曲を作るときは、割とドーンとできちゃうんですよ。全体は激しい感じで、コードの流れもこういう感じっていうのが出てきて、それをピアノでバッと弾いたら曲になっちゃう。それを書き留める方がむずかしいんですよ。すぐ忘れちゃうから。書き留めれたものが作品として残っていくんです。

フェリシモ:
頭の中に楽譜のように出るわけでは……?

松永さん:
うーん。僕の場合は音を聴いて育ってきてるから、音がこうね、出てくるんですよ。音楽というよりね、音なんですよ。こういう音が出てきて、組み合わさっていく感じ。

フェリシモ:
そこから音符に起こしていく感じですか?

松永さん:
そうですね。

フェリシモ:
日常生活において特に意識されていることは?

松永さん:
日常生活の中で意識していることは、とにかく、頭の中をクリエイティブにしていようと思うことですね。とにかく、曲をどんどん新しくつくっていこうとか、新しい作業をしようと思ったら、頭をとにかくオープンにしとかないと。すごく物事がちゃんと考えれないし、で、オープンにしたまんまにしとくってことで、今日の空に雲がどのくらい動いていたかとか、あ、あそこが非常口。今日地震があったら、あそこから逃げようかなーと思ったりとか……。こういうテーブルとかにしても、あのー、昔こどもだったころってもうちょい高かったんですよね。僕が大きくなったから低いんですけど。ものの見方ひとつで変わっていくものなんですよね。だから、ひとつ正しいという道があったら、その正しいっていうものの周りにはもっと別の見方があると思うんですよね。だからいろんな見方をする視点の変換っていうものも音楽の中にどんどん取り入れていこうと思っています。

フェリシモ:
日常生活のいろんな出会いから生まれたユニークな曲についてお話しいただきました。そんなユニークな曲の中から何か1曲お願いしたいのですが……。

松永さん:
『宿題』やりますか。

(ピアノ演奏)

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未来との出会い

フェリシモ:
最後に「未来との出会い」と題しまして、今後についてお話をおうかがいしていきたいと思います。まず音楽についてもう一度お聞きしたいのですが、松永さんの考える「いい音楽」というのはどのような音楽だと思いますか?

松永さん:
やっぱり聴いてて楽しい音楽じゃないですか? 音楽ってもともと音を楽しむものだし、僕が楽しんでるもの、それからお客さまも楽しめるものっていうのがたぶんいちばんベストなんじゃないかなと思います。

フェリシモ:
演奏されるとき、何をいちばん大切にされていますか?

松永さん:
伝えることですね。自分の出そうと思っている音に対して、すべてをかけるっていうのかな。

フェリシモ:
次は未知なるものとの出会いということで……

松永さん:
未知なるもの?! お客さまっていうのもこれまたね、外国に行ってもそうだけど、いろんなとこに行くと聴いてる人も違うし、それぞれに独特の雰囲気っていうのもあるから、全国ツアーをしたんだけど、いろいろまわると、同じ演奏をしても、それぞれの土地で違う受け取られ方をするし、また外国とかに行くとこれまた全然違う。だから、お客さまっていっても1人のお客さまじゃなくて、それぞれに全然違うのです。

フェリシモ:
今後の目標についておうかがいできますか?

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松永さん:
目標は、世界一のピアニストですね。

フェリシモ:
目標のためにされていることはありますか?

松永さん:
チェロにしてもそうですし、新しい楽器、いままでピアノしか弾いてこなかったので、まぁ、ドラムとかね、打楽器はこういうスティックとかあれば弾けるんですけど、ベースとか、高いから、弾かしてって言うんだけど、普段なかなか弾かしてもらえないんですよね。しょうがないから、4週間前に自分でチェロを買ったんです。

(さまざまな楽器を使っての演奏)

フェリシモ:
いまの曲は?

松永さん:
いまのは曲ではないですね。チェロって普通弓を使って弾くんですよ。(さっきは)弓で弾かずにピッチカートだけでずーっと延々と淡々と弾いてたんですけども、横にして持ったり、弦を押さえて、で、上を弾いたりとか。これもまた、世界中の誰もやっていない奏法なんですよ。初めて見たでしょ? これはね、もうほんと世界中で誰もやってなくて、クラシックの新日本フィルの人の前とか、有名な長谷川 陽子さんとか、いろんなチェリストの前でやってるんですけど、みんな、「ウワ―」って。普通の人が見るより、チェリストが見た方が「なんてこった!?」っていうんですよ。曲つくってくださいって名刺渡されちゃったこともある……。これいつかね、つくりますんで。チェロのための曲を。はい。公表しちゃいました!

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さまと即興曲演奏
テーマは『電車』『ソフトクリーム』

お客さま:
松永さんの夢と共演したいアーティストを教えてください。

松永さん:
夢はさっきも言ったように、「世界一のピアニスト」になること。いろんな人たちに自分の演奏を聴いてもらえるのはすごく素晴らしいことだと思うし、お客さまからもらうものもたくさんあるし、希望にもどんどん満ちています。ただ、音楽をしている側の人たちはすごくエンターテイナー。だから、それ以上のことはホントは語らない方がいいんですよね。と、思うから、だから自分が楽しんで演奏してるっていうのをお客さまに分かってもらうといちばんいいかなと思います。共演したいアーティストっていうのは、指揮者のサイモン・ランドルさんと一緒にやってみたいです。

お客さま:
お話をうかがって、発想が自由で前向きだなって思ったんですけど、どんな環境で育ってきたのでしょうか? ご両親の教育方針も、あれば教えていただきたいです。

松永さん:
確かに変わってるかもしれないですね。と、思うけど全然普通です。両親も、普通のサラリーマンと主婦で別に何もやってない。両親の教育方法っていうのは、自由にやってもいいっていうこと。自由にやっていいけど、厳しいとこはちゃんと厳しくってことかな。礼儀を守った上で、どんどん新しいことをやっていくっていうことは、教えてもらいましたね。伝統的なものをちゃんと守りながら、それを破壊、構築していく。その繰り返しで音楽は成り立って……、音楽じゃなくてもどの分野でもそうだと思うんですけど。

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育ってきた環境はね、公園で秘密基地作ってました(笑)。特に変わってはないと思うんですけどね。ただ、関西にいたっていうこと、かな。やっぱり、ジャズが盛んな街に育ったこと。あとは、ピアノがあって、それを自由に弾いてよかった。ただ僕のマンションは夜7時で音を出しちゃダメだったんで、高校1年生になるまでずっと7時までしか演奏できなかったんですよ。で、アップライトしかないし、15歳くらいでプロになるってときは、小学校にお願いして、グランドピアノを弾かしてもらって練習してました。高校1年生になったときもピアノがないっていうので、吹田にある知り合いのところまで、毎日通って練習させてもらったり……。だから、環境がすべて整ってたっていうわけではないんですよ。はい。

お客さま:
曲がうまく弾けなかったり、イメージが膨らまなかったときはどの様なことをしてリフレッシュされますか?

松永さん:
あんまり僕は練習しないですね。練習はいままでしたことあるけど、ないような感じですね。例えば、すごく難しい『ラプソディ・イン・ブルー』を覚えないといけないときとかっていうのは、まず気持ちを楽しくしてそこから入る。気持ちで全部変わるんですよ。
みんなこれ(チェロを指して)をチェロだと思ってるけど、最初にベースって教えられたらベースって覚えるし、気持ちの問題で弾けると思ったらホントに弾けてしまう。それを何で弾ける人と弾けない人に分かれてしまうかっていうと、そこに迷いが絶対あるからなんですよ。その迷いは、迷いを作らないっていう精神の問題でクリアしていくしかないと思うんですよ。だから楽しい気分にしておいて入ると、絶対楽しいときにやったことは頭に残るから。それで、なるべく間違えないようにゆっくりのスピードでもいいから間違えないものを頭のなかに覚えさせる。で、後はもう弾けるようにする。結構、もう明日になったら弾けるやーって思って、軽い気持ちで。だけど、やるときだけはちゃんと集中してやれば、明日になったらちゃんと弾けてます。

お客さま:
いろんな国にライブに行ったことがあると思うんですけど、自分の感性と合う、波長が合う国っていうのはありましたか?

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松永さん:
まぁ、どこ行っても楽しいは楽しいんですけど。普通に旅行に行きたいなーと思うのは、スイスが良かったですね。スイスのジャズライブハウスとかにしても、結構おしゃれな人たちが来るんですよ。

フェリシモ:
最後にみなさまを代表して神戸学校事務局からの質問です。いまですね、仕事や学校などいろんなところで自分の進むべき道はどんなものなのかなとか、本当にこれでいいのかなって思われている方が多いと思うのですが、松永さんのように自分のすべきことを見つけて、キラキラと生きていくためにはどのようなことをすればよいのか教えてください。

松永さん:
僕の場合は、いちばん楽しいことをパッと見つけられたけど……。でも(誰もが)没頭できるものって何か絶対あると思うんですよ。だから、それが見つかるまではとにかく挑戦してみるっていうことなんじゃないかなと思いますね。僕も好きなものは見つけ、でも見つけたものの中でいろんなことにどんどん挑戦をしていってるんでね。自分のできないことに挑戦していくんですよ。できることを人前で演奏しているだけではもうダメだし、自分のできない新しいことにどんどん突っ込んでみて、またボロボロに言われても、何を言われてもやっていくっていう。自分の挑戦できるものを見つけるっていうのは、年齢とか関係ないと思うし、僕も20歳になってチェロと出会って、もしかしたらチェリストになるかもしれないし。例えば、あんな変な弾き方をするとか、いろいろな方法を見つけて新しいことをできたらいいんじゃないかなと思います。

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Profile

松永 貴志(まつなが たかし)さん<ピアニスト>

松永 貴志(まつなが たかし)さん
<ピアニスト>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1986年1月27日、兵庫県芦屋市生まれ。ジャズピアニスト。5歳の頃よりピアノ、オルガンを始め、10歳でオリジナルCDを発表。15歳には「松永貴志プロデビューリサイタル」を実施する。17歳の年の5月にデビュー・アルバム「TAKASHI」を発表。ベストセラーとなり、各種メディアにも多数取り上げられる。6月から7月まで初の全国ツアーは大成功を収める。翌年にはグラミー賞受賞アーティスト、ボビー・マクファーリンと共演。また、全米、およびヨーロッパ(イギリス、ドイツ他)、アジア各国から 「STORM ZONE」(邦題「MOKO-MOKO)を発売し、 ブルーノート・レーベル65年の歴史上、最年少のリーダー録音記録を作った。テレビ朝日系「報道ステーション」のテーマ曲として<オープン・マインド>を作曲・演奏するなど、その活躍は止まるところを知らない。今後、日本のみならず、世界各地での活動が期待されている。

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