神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「街的(まちてき)コミュニケーションの逆襲」



<第1部>

経済とは無縁な街こそ、魅力アル街!?

こんにちは、江 弘毅と申します。雑誌の編集を長いことやっておりました。私は岸和田生まれの岸和田育ちで、だんじり祭をずっとやってまして、平成15年に若頭(わかがしら)の筆頭、俗にいう頭(かしら)をしておりまして、それで「だんじり若頭日記」っていう著作を東京の昭文社から1冊の本にしていただいたんですけれども。なんていうか、街と祭りとか、その辺をずっと専門にやっていて、本当に編集とだんじり祭しか能がないみたいな男なんですけれども。
今日のテーマは“街”っていうことなんですけれども、私は大学を出てすぐに新聞社系の出版社・京阪神エルマガジン社に入りました。1989年に月刊の雑誌「ミーツ・リージョナル」を立ち上げ、去年まで編集長をしておりました。
で、去年退社しまして、仲間と「140B(いちよんまるびー)」っていう「編集集団」って言っているんですけど、会社を作りました。「140B」というのは全然意味がなくて、オフィスが、中之島の大ビルがあるんですけど、そこが大正14年の古いビルで、借りた部屋が「140B」という部屋番号で、聞くと昔からそこに140Bという名前があって、「これはおもろいな」ということで社名にしたということなんです。社名「株式会社140B」で、住所は大阪市北区中之島3-2-なんやら~で大ビル「140B」だから、郵便配達の人が喜ぶんですよね。(部屋番号に)間違いないっていうので……。
そういうのんが、僕が考える“街的”っていうか、なんていうかおもろさっていうか。 たまたまその大正14年のビルに入って、たまたま巡り合ったのが「140B室」、それを名前にした、みたいな……。そういうやりとりっていうのは、いわゆる経済活動とか、いわゆる消費生活とは違うっていうか、その辺が街のおもろさというふうに考えております。

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核家族化が進んだ現代社会の成れの果てには私の言うところの“街”はない

今日のテーマは「街場(まちば)のコミュニケーションの逆襲」ですけど……。
街というのは、“地元”でないとあかんと思うんですよ。何者でもない、ここは私の居場所がある、寿司屋に行ってもそうですよね。なじみの寿司屋さんって、けっこう居場所になってるじゃないですか。寿司屋さんてメニューもないし、なんぼとられるかわからへん。フリーでは入っていけないっていうか、一見(いちげん)さんは寄せつけないですよね。だけど、そういう自分の行きつけの寿司屋さんを持っている、それが「地元感覚」なんですよね。
僕がいきつけのコンビニエンスストアがあるっていうのは、全然、地元感覚やないですよね。要するに、経済軸と、日本社会のシステムとは相反しているというか、そういう感覚が地元なんですね。
私は「地元というのは、まさにいつも自分が立っている地面そのものの範疇の場所で、いつも自分に含まれている」というふうに書いたんですけれど。ですんで、お好み焼きとうどんと洋食屋は、地元のんが一番美味いというのが僕の自説、持論なんですけど。
いま、そういう、どんどん地元感覚が無くなってきているんですよね。実際、地元感覚がないと、そこでは、コミュニケーションが成立しないんです。例えば、ファーストフード店で「ポテトはいかがですか?」って聞かれて、それにいちいち「今日のポテト、どんなんですか? カラッと揚がってますか?」とか、そういう話をするアホはいてませんよね。僕なんか「ポテトいかがですか?」とか言われると「えっ!?僕の頭に芋かなんか乗ってますか?」っておちょくったりするんですけど、大阪人の悪い例ですね(笑)。 で、もともと“街場”というのは、八百屋の兄ちゃんが「柿、みかん、リンゴ、どれも甘いでー。まけとくでー」みたいなそういう、聞いてもせえへんのに答えられて、ほな、お客さんが「ほんまに甘いんかいな、その柿?」って、やりとりをするんですけど。それはファーストフード店の「いらっしゃいませ、こんにちは」とか、「ポテトはいかがですか?」とか「スマイル0円」の世界じゃないんですね。
結局、そういうコミュニケーション力が付加されてるというか、それが値打ちなんですね。街っていうのはそういうとこ。タクシーのおっちゃんもそうなんですけど、聞きもしないのに、天気予報を教えてくれたりとか、今日のタイガースはこうやとか、教えてくれたり。すなわちモノの交換、サービスの交換以外に言葉の交換があって、それが街のよさなんです。例えば、大阪の場合、焼肉屋とかなじみになると、食べた帰りに「うまかった」って言うと、「これ、持って帰り」って店のおばちゃんが、キムチくれたりとかですね。

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何者でもない“地域性”っていうのを共有している場であるんです。
例えば、私の実体験でいうと、大阪のデパートのええとこっていうのは、ボタン1個なくして、電話をかけたことがあるんやけど「スイマセン、これボタン1個なくなったんです。大分前に買うたんですけど、どうしましょうかね?」って言うたら、必死になって探してくれてですね、1週間後に電話をかけてくれて、「ボタンありましたので、取りに来てください」って。「お代は?」って聞いたら「いや、いいです」って。
街のカフェで、何するでもないんやけど、話をしたりとか、店員さんから音楽の情報を聞いたりとか、そういう上に、実はコーヒー1杯が乗っかってくるのが、まっとうちゃうんかな、という気が、ずっと街の雑誌をしてきて思うことなんですね。
そういうのが“街場”だったんですけど、現代の日本の社会って、直接人が接触しなくても動く経済とか、社会のシステムをつくってきたんです。日本がやってきたことっていうのは、地元をどんどん壊して、共同体として、消費の共同体、消費のひとつのユニットとして郊外をつくってきたんですね。そして、核家族化してきたんですよね、それが日本人にとってしあわせのありようである、っていうことで引っ張ってきたんですね。土地を造成して、そこに一戸建てを作ったり、マンションを新しく建ててニュータウンを作って……。そんなふうにひとつ家のユニットを分散して、そこへ1台のテレビと三種の神器とかを入れて……。今度は、消費の単位を個人に分散してきたんですね。
もう一方では、「どんどん会社に入れ」っていうことで、会社共同体が、どんどん収益を上げていって、それがひいてはしあわせのかたちで、家に持って帰って個人、家庭のレベルでしあわせになりなさいと。だから、会社側は一戸建てで家を買うということであれば、低利でお金を貸しましょう、っていうのがあったんですけど……。
そういうふうにして引っ張ってきて、今度はリストラ。その言い方が自己決定、自己責任ですね。若い人には、「自分探しをせえ」とか、なおかつ家では、「携帯電話を持て」とか、「パソコンや」とか、「個人用の何やらや」とか、いうものばっかりですよね。そういうことで分散してきて、で、「俺っていったい、何者なんやろ?」っていった場合に、実際問題、僕は何者やっていうのは全部、「地元意識でしか支えられへん」っていうことで、最後は、それが“街”っていうとこに求められる使命ではないんじゃなかろうかっていうのが、今日の“落とし”です。

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本当の“街”は時間を重ねてつくられていく

そもそも“街”っていうのは、誰かが何かの目的のために企画してできるものではないんですね。逆に、“街”は、それを構造的に拒むんですね。ミナミに関していうと、アメリカ村っていう街は、故・日限 萬里子さんが、それまで何もなかった三角公園の前にひとつのカフェをつくったのが始まりなんです。自分たちが行く店がなかったので、そこにつくった、ということなんですね。そこから、点が線になってストリートができて、それが面になって、いまのアメリカ村っていう名前が付いた。時間がかかってますけど、そんなふうにして街はできていったんです。アメリカ村ってその名前の通り70年代前半のアメリカの西海岸の文化そのものですね。ジーパンとTシャツとスニーカーの店ばっかり、それと、カフェですね。カフェもポテトチップス、ハンバーガー、ビール的な、そういうのんやったんですその時代には、テクノブームが流行ったりとか、ニューウェーブが流行ったりとか、ファッションの時期でいうと、イタリアンファッションが流行ったりとか、結構根強いんですね。それはどういうことかっていうと街自体が時間を包含しているんですね。
街のおもろさっていうのは、街づくりをするんじゃなくて、アメリカ村を毎日うろついて、店に行って、だんだん増えていく店の人と友達になったりとか、そこでご飯を食べたりとかですね、街自体、何年間とか何日間とか、かかってできていく時間軸の街づくりに、生成に加担していくというか、自ら加わってやっていく、そこが本来の街のでき方なんですね。街にいる人間自らが加担していっているっていうことなんですね。
だけど、経済軸の街づくりっていうのは、「何月何日にグランドオープンします」ということで、プレスリリースまいて、「せーの!」で、どーんと仕上げるんですね。それで、10年経つと、流行軸っていうのはすたりますから、またリニューアルとか……、そんなんですね。そうではない強さが、自然発生的にできる、そういうのが本当の街なんですね。
それがアメリカ村であって、90年代の大阪のミナミでいうと、南船場や堀江っていう街なんです。そこには、まず、人の顔があるんですね。店のスタッフ、そこの名物ご主人、あるいはオーナーの顔が外に出て行ってて、そこに直接の話のやり取り、おいしいコーヒー、かっこいいジーパンていうのが、のっかっていっている。そういうことなんですね。そこで、話していることっていうのは、その商品だけのことじゃないですね。「このごろ、あの子元気?」とか「いま、あそこってどんな人間が来てるん?」とか、「あそこのジャズバーっていまどんな音がかかってんの?」とか、そういうことをやり取りしているんですね。「このごろ、あの子あそこにいりびたりとちゃうの? 誰かええ子でもできたん?」とか、そういうレベルなんですけど、そういうことがコミュニケーションの中でやりとりされている。

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それは、とてもメディア的ではないんですね。メディアが流すコミュニケーションの情報っていうのは、「ここで売っている服は、これこれこういうブランド」で、モデルがその服を着たファッション写真がバシッとあって、「コットン何%」で、「デザインは誰それ」で、「値段はいくら」って、どやこやとかディテールが書いてあるんですね。
街の情報っていうのは、でもそうじゃないですね。
それが、一方で家族を微分化された個人、一方で会社、あるいは経済軸で微分化された個人が拠り所として、手に取れる、目に見える拠り所として戻ってくる街っていうのが、お好み焼き屋さんであったり、カフェであったり、あるいは居酒屋さんであったりとかなんです。
本来はそういうところを、街が担ってきたはずなのに、我々はいったんリセットしてですね、郊外の核家族という、ひとつの自分たちの所有空間の中で、自分たちの所有しているものを消費してしまおうとした。どんどんどんどん自分たちの領域を広げていこうとして、やっていこうとした。いったん崩して、今度は、それを微分化していって、バラバラと網の目からこぼれるように、外へスピンオフしていってですね、それを受け入れる場所がまったく、なくなりつつあるっていうふうに見るのが、一番、いまの街と、我々個人、我々の共同体、社会っていうものの根本的な見方ではないだろうかと、私は思うのでございました。

     

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
休日の過ごし方は?

江 弘毅さん:
休日は、外へガンガン出てますよ。(街を)ぶらぶらしてますね。これは「『街的』ということ」(講談社現代新書)にも書いたんですけど、何かの用事、何かの目的を果たすための機能しかない街はつまらんのですね。
急に「餃子食べたいな」って餃子屋に入ってビール1本飲んでしもて、それ飲んだ勢いで、「まぁえっかぁ」と思って、またハシゴしてしまうというか、そういう「行きがかり上こうなってしもた」みたいな、そういう(過ごし方)がおもしろいなって思いますね。

お客さま:
座右の銘を教えてください。

江 弘毅さん:
「他者に優しく」です。他者というのは、同じ「度量衡」をもたない人。度量衡っていうのは「物差し」ですね。私の想像も共感も祖国も共にするしない境地のものなんですけど、だけど他者によって私がいるということなんですね。そういうことを、どう折り合いをつけたりとか、わかり合ったりとか……。「わかり合えることはない」っていうのが他者論なんですけど、そういう他者といかに優しくやっていけるということですかね。

お客さま:
江さんにとっての唯一無二の存在とは?

江 弘毅さん:
岸和田のだんじり祭の人々ですね。だんじり祭というのはおもしろくて「岸和田だんじり祭だんじり若頭日記」(晶文社)という本にも書いたんですけど、岸和田のだんじりというのは、“やりまわし”をするんですけど、ガシャーンとぶつかったりするんですけど、車でいうとハンドルを司る人と、アクセルを踏む人と、ブレーキを踏む人とバラバラの団体なんですね。それがズボッとうまいこといくっていうのは、団体やねんけど、ひとりひとりの責任と自覚が際立ってて……。個性もバラバラなんですけれども、代替不可能というところにある。入れ替えることはできないんですね。そういうだんじり祭のひとりひとりの人間っていうのは、唯一無二な存在やと思いますね。誰ひとり欠けたってダメ…、そういうふうに思います。
チームワークっていうのはおもしろくて、チームワークを完全にわかっている人っていうのは、個人プレーをめちゃくちゃ尊重するんですね。「ここの場所やったら、あいつがすごいできるから」っていうんでパスするんですね「おまえいけー」っていう、そういうのがごっついチームワークの本質だと思うんです。

お客さま:
先ほどのお話で「街的コミュニケーションの逆襲」がありましたが、核家族化とか個人主義というのは、大分浸透してきているので、ちょっとやそっとではもとに戻っていくのはむずかしいと思われるのですが、私たちがいまからできること、一歩進むためにできることは何でしょうか? 江さんが思われることがあれば、どうすればいいか教えてください。

江 弘毅さん:
そうですね。結局、私は核家族は“街的”ではないっていうことなんですけど、内田 樹(うちだ たつる)先生は、「核家族の成員たちは、いわば一種の共身体に帰属しており、その共身体という場にわだかまった共欲望にドライブされて、家族単位で消費行動が行われたというのが高度経済成長期の家族と消費の幻想的関係ではないか?」と書いています。核家族で共欲望と共身体が、おだやかに作用している時というのは、結構居心地がいいんですよね。それを個人に照準した過酷さですね、もっとどんどん売らなあかんから、売り手というか、消費者の単位として、やっと核家族ということで認知して核家族というのは消費の単位やっていうか、労働の単位ではないですね。労働の単位ではなくて、いままでは労働の単位というのもあったんですね、家族というのは、どこの家でもそうだったんですけど。本当に主婦というのと、その主人と、その配偶者の子供ですね。そういう単位でおだやかにドライブしているうちはよかったんですけれど、どんどんと分散して、「あなたは何歳の誰それだから欲望はこれで、お父さんとは違いますよ」ということで照準して、ドーンっといってそれで、バラバラと分散したんですけど……。だけどそれは、あくまで消費っていうことのベース、何かをお金で交換していくということだけでやりとりするっていうのは別に交換じゃないんですね。

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贈与っていう場合もありますし、贈与っていうのはプレゼント、たとえば言葉のプレゼント(交換)ですね。「おはよう」「こんにちは」って言われて、「おはよう」「こんにちは」って言い返すっていうか……。「こんにちは」って言われて、ブーッと無視したら、やっぱりまずいですよね。コミュニケーションの原理として、声かけられると、「もしもし」っていうと、「はいはい」って返ってくるっていう、そういうことで人間の社会というのは根本的には成り立っているというんですけど……。それが引きこもって、個人に分散されてご飯もバラバラで食べてしまうと、「どこに行ってるやわからへんー」みたいな。ま、どこに行っててもいいんですけどね。帰って来ることができるのは家庭っていうのがあるから……とおだやかに作用しているうちはいいと思うんです。
それが、本当にむきだしの個人個人となってくると、本当に椅子取り合戦みたいなことになってきて、でもなかには、椅子を取りたいとは思わへん人もいてるんですね。「俺は椅子みたいなもんどうでもいいわっ」という……。そうしたら、そういう人間って行き場がなくなりますよね。それを“街場”っていうのは穏やかに作用していて、ひとつの社会・共同体の場として、街のカフェなり、街角なりがあるんです。昔で言うと、店とか家っていうのは表に向かって開かれてましたやん。塀でくくってないですよね。街の外に開かれているという、夏やったら将棋が出してあったりする曖昧な場所っていうのがあったんですけど、いまはもう完全に囲っているというか、ビバリーヒルズ的ですよね。すごいセキュリティで、入ってくる人間に対してチェックするというかそういうギスギスしている、ひとつのストレスフルな社会というか……。
そのスタンダードであるっていうベースが、すなわち人とかものとかサービスとか、全部数値化されるんだよっていうか、計量可能だよっていうのが窮屈になってきていて、「まぁええやん」ってことで、“街場”になっているというか……。
そういう意味では、神戸ってそういう場所が本当に多いですよね。神戸の乙仲通りとか、あの辺りってすごい街が増殖していて、プラプラしている人が多いですよね。ええ意味でプラプラですよ。そういう「ここ何屋さんやろ?」ってわからへんねんけど、人がおってお茶飲んでるっていうのとか、そういう場所、そこに居場所がなくなった家族、家庭でもないし会社でもない、もうひとつの第3の社交場っていうかそういう場所かなっていう……。そういう場所が魅力的な“街場”じゃないかなって思うんですけどね。

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Profile

江 弘毅さん<編集者/著述家 >

江 弘毅(こう ひろき)さん
<編集者・著述家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1958年大阪府岸和田市五軒屋町生まれ。神戸大学卒。神戸新聞マーケティングセンター入社後、1988年京阪神エルマガジン社に移籍。エルマガジン別冊「シティマニュアル」シリーズを創刊する。1989年『ミーツ・リージョナル』創刊(副編集長)、1993年より編集長。2005年同社退社後、2006年に編集集団「140B」を設立、総監督 取締役責任者をしている。 最近の著書『街的ということ』(講談社現代新書)『京都・大阪・神戸 街のネタ本』が話題に。

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