神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 今中 博之さん(アトリエ インカーブ エグゼクティブディレクター)
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「独創的であること 独創を見出すこと」



<第1部>

僕は、社会福祉の法人を持っています。なおかつ、デザイン事務所を経営もしています。
二束のわらじを履いています。今日はその社会福祉法人である「アトリエ インカーブ」の成り立ちと、今回のテーマ“独創性”をどう作っていくか、どう見出していくか、をお話したいと思います。


僕のからだのこと。僕の仕事のこと。

まず、簡単に触れます。
僕のからだは“軟骨無形成障害”と言いまして、見ての通り全身に障がいがあります。僕は関節が非常に弱く、みなさんのように関節が固まっていない、軟骨が固まっていないんです。これは、僕の先天的なもの。今44歳なんですが、実は43歳まで“アコンドロ”という障がい名だと信じていたんですが、この前ようやく偽性アコンドロということが発見されました。
(僕のは)“偽性アコンドロだ”っていうことをお医者さんから言われました。
僕の障がいは30万人とか50万人に1人の障がいなんだそうです。“アコンドロ”(という障がいの方)は3万人とか5万人だそうなので、それからすると僕は希少な価値(人間)なんだなあと思ったりしている最近です。

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活動は「アトリエ インカーブ」という施設で、知的障がいをがある方々の創作活動(のサポート)をしています。日本には創作活動をされている福祉施設がたくさんあります。無認可の作業所というのがあるのですが、だいたい今6000ヵ所くらいあるそうです。無認可というのは、法人の認可をされていないということ。これは、障がいがある人のお父さま、お母さまがお作りになっているような施設、作業所ですね。あと、我々のような社会福祉法人格を持っているのが(事業としては保育とか、老人関係、障がい者関係、大きくこの3つがあるのですが)、18000ヵ所と言われています。そう考えると、こういう活動をやっている所は非常に多いんですね。なおかつ、その中でアートと言われる芸術や工作も非常に多くやられているのですが、そこと「アトリエ インカーブ」の違いっていうのは、簡単に言うと、スタッフがプロだということ、それとアーティストの方々、我々はクライアントと呼んでいるのですが、障がいの重度軽度に関わらず何かを「創りたい」という人が集まって来られているということです。そういう意味では、既存の作業所、福祉施設とはちょっと毛色が違っているということで、認可されて5年目になります。
それと平行して、「イマナカデザイン一級建築事務所」を経営しています。僕の中心の仕事は、企業のショウルームとか博覧会、美術館を作ったりというのをデザイン活動として行っています。僕は大学のころインテリアの勉強をしていました。もともとインテリア出身です。親父が大工をやっていた関係で、今は建築関係の仕事をやっています。
僕自身、まわりのみなさんから見ると障がい者って分かりやすいんですが、当の本人は障がい者っていうことに気づかない……、気づかないように生きてきたんです。30歳過ぎくらいまで、障がい者なのかどうかっていうこと、自分で納得せずに過ごしていました。「デザイン会社に就職し、17年くらい勤めてたんですが、そこでもはじめは「健常者に負けたくない!」という思いで、(映像のような)ジョブを汗を拭き拭きやってきました。

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“オリジナリティ”って何だろう?
休職して模索の旅へ……

いま見ていただいたような(映像の)デザインの仕事を、31、32歳までやっていました。この仕事には、障がいがあるからって給料差別はありませんでした。逆を返せば、非常に厳しい世界です。女性差別、学歴差別もあまり感じない、土地の差別も感じません。ゆえに、デザインが悪ければどんどこどんどこ給料は減るし、後輩は抜いていく……、それでストレスを抱えてやめる先輩方もたくさんいました。そういう中で、仕事をして、給料もポジションも上がっていった時、自分で納得できひんところがあったんです。
単純なことなんですが、“独創性ってなんやろか”って。
“オリジナリティってなんなんだろう”って。
今見てもらったもの(映像)でも、お分かりやと思うんですけどね、(僕のデザインは)どっかで使った物件、建物と、どっかにあった歴史的な建物が一緒になって、いわばコラージュされて出来たようなもんなんです。たまに文章を書かせてもらっても一緒です(笑)。逃げられないんですね。どっかで見た小説と、どっかで五木寛之さんが書いていた文面が出てきて、がっちゃんこして……。「ああ、できた」って。「よく書けました」っていう評価をいただいてしまう。うーん、これは僕ではない、僕がやりたいことでもない、じゃ、なんでこれを見破られへんのかな……という思いも出てきました。
それと、その当時は寝たきりの状態が何日間か続いていたのです。ハードワークが続くと関節に膿と水が溜まるんですね。ものすごく痛いんですけど(笑)。それが頻繁におきてた時期。そんな体調の不調と同時に、「オリジナルっていったいなんなんや 独創性っていったいなんなんや」っていうことが頭の中をでぐるぐるまわっていました。いわゆるうつ症状みたいなもんだったでしょうね。“会社”とか、“デザイン”とかまったく考えたくないという状態が続いてこのままでは(ダメだ)……ということで、会社を休ませていただきました。それが30歳前半。
休職して、1年間、海外にちょっとエスケープ。妻と海外をブラブラしました。はじめは西海岸に行って、それから東、最後に辿り着いたのはスイスです。
旅の大きな目的は足のリハビリでした。いろいろリハビリの方法を模索しましたが、結果的には僕のリハビリは模索できませんでした。バークレイという、バリアフリー云々の文言を作ったという発祥の地があって、そこの大学にもお邪魔しました。結果的には分からないんですね。僕の障がいをいかに止めるか、いかにこのまま現状維持するかというリハビリテーションの法則はなかった……。

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ということで、僕は“オリジナリティ“を探る旅に出ました。
僕は、コルビジェという作家がすごく好きでした。建築、ちょうどモダニズムって言われる建築が出てきた時、コルビジェを先頭に立てて全世界は動いたんですね。その彼の作品を僕は大学のころから、トレースダウンと言って、好きな作品をスケッチしたり鉛筆でなぞったりしてたんですね。当然模型も作りました。それくらい、彼の作品が好きで好きでたまらなかったんです。彼の作品はフランスにたくさん残っています。アパートメントから大きな教会まで残っているんですが、それを、まわることにしました。
初期の作品をまわっていて、ある彼の住宅(作品)の扉を開ける時、っていうか開ける前、「全然ワクワクせーへん、なんでかな」っていう気持ちに気づきました。「物件が悪いから」「なんで」「なんで」と思いつつ、2軒、3軒とまわったけど、何軒行っても面白くない……。
最後の方になり、「んんん」って思ったのが、「扉を入る前に分かってしまう」ってことでした。
螺旋階段が向こうに付いてる、それで、向こうに窓があってそこから光が入ってくる……なんていうのも分かってしまうんです。図面もひいたし、模型も作りました、好きで好きでたまらんから勉強しました。ゆえに、僕が入ったとき、どこで感動して、どうしたらこうなるっていうこととか、コルビジェがそう考えて設計しているってことも、学んでしまってたんです。「あ、これちゃうかなー」と思った瞬間でした。(学んでしまったことが、“オリジナル”を育めなくなった要因の一つだと……)
そして旅の最後に、妻が紹介してくれた所に行きました。
それが「アール・ブリュット・コレクション」です。

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“旅の最後にようやく見つけた
“オリジナリティ”=“アール・ブリュット”(生の芸術)

ちょっと違う言い方をされてるケースもあるんですが、英訳では、”アウトサイダーアート”。美術の教育訓練を受けた方々をインサイダーアーティストと言うらしいんですね。作られた作品をインサイダーアート。訓練を受けてない方々をアウトサイダーア-ティスト、作品をアウトサイダーアート。そのアウトサイダーアートが収集されている美術館が、スイスのレマン湖の畔にある、ということで2人で行きました。
「アール・ブリュット美術館」の収蔵品は、ジャン・デビュッフェという作家が集めたのです。彼自身も40歳後半から作家を目指そうとされました。その当時の美術学界は非常にアカデミニズムというか教育的趣向は強く、デビュッフェは馴染めなかった。そこで彼が興味を抱いたのが、精神病院に収容されている作家の作品でした。彼は当時4200点近くの作品を集め、(略)最終的にスイスに反教育(というコンセプトを掲げ)コレクション美術館を作ったのです。

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(映像は)シュヴァルという郵便配達夫が建てた建物です。ガウディなのかなんなのか分からないですね(笑)。この“シュヴァルの理想宮”を見た時、僕は胸がむかつくほどのオリジナリティを感じました。体半分がよじれるくらい「参ったな」となってしまって……。彼は、建築なんて知らないんです。郵便配達をされていたので43歳から30年間くらい絵葉書をいっぱい見ていて、それでああいう建物を作られたんでしょうね。
「アール・ブリュット・コレクション」は、アウトサイダーアート「アール・ブリュット」の作品を収集している世界で一つの美術館です。
そのほか、今、見ていただいている作品は、美術的な訓練を受けていない方々の作品です。これを見た時に、もう、すっきりしました。
「これがオリジナルだ、独創だって」って。
我々はすぐにバックボーンを知りたがります。
「なんで」と。
僕なりの考え方で言うと「なんで なんで」というのはデザインなんです。
アートに「なんで なんで」は必要ないんじゃないかなと。それで、僕はデザインの立ち位置が分かったんです。
アートは「なんで なんで」じゃない。
禅問答みたいですが、アートというのは教えない教育、そういうものなんだろう。
創造、独創性は教育からは生まれないんだろう。
そういう思いで、この“シュヴァルの理想宮”を見終わり、コレクションを見終わった時、僕は、日本に帰ろうと思いました。

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“帰国、
そして「アトリエ インカーブ」の設立

(帰国して)僕は、正面からデザインと取り組もうと思いました。これは、僕なりの解釈ですが、デザインとは社会に対してやっていくものであり、オリジナリティがあってはお客さまに判らない。今まで勉強してきたいろんなことを繋ぎ合わせて、七味をちょいっとかけてブレンドしてお出しするもの、それが社会に通用するデザインだろうと思います。でも、アートは違います。(略)さまざまな定義があると思いますが「アトリエ インカーブ」では、ひとり完結で創り上げるのもの、なおかつ、独創性を持ってる方々の作品をアートと呼ぼう、と思っています。 スイスから帰ってきてから、次々に障がいがあるアーティストとご縁があったんです。ひとり増え、ふたり増えて……。(略)実は我々は(この活動を)10年やってるんです。当時は、長屋で、床が抜けてるような所がアトリエで、最終的に10人くらいの知的障がいがある人やボランティアスタッフが集まって……。それが、「アトリエ インカーブ」ができるきっかけでした。 (現在の)「アトリエ インカーブ」は、大阪市平野区にあります。知的障がいがある方が今24名。さきほど申しましたように、モノ作りが好きな人、だけがいます!(略)作り出すものは尋常じゃない数を作りだされます。今、収蔵庫がパンパンの状況ですね! 今までの既存の作業所がやっておられるのは単純作業を横に据えながらの、アート活動が中心でした。我々は一切単純作業はしてもらいません。すべて、それらの作業は黒子であるスタッフが行っています。

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見ていたただいた作品はニューヨークのフィリス・カインドギャラリーで販売をしてもらっています。また大阪心斎橋のギャラリーでも展覧会をしました。
フィリスとの出会いをお話します。
「アトリエ インカーブ」が出来上がり、「彼らの作品、どう?すごいでしょ」ってことを知ってほしくて、僕は国内の美術の専門家・キュレーターの方に評価を聞きに行きました。でも、ことごとく評価を受けることができませんでした。それは、なぜか? 「怖い」っておっしゃいました。「障がい者アートというレッテルの貼られたものを公の美術館の人間が判断するのが怖い、今までそういうデータがない」とおっしゃいました。最近、ある学芸員からうかがいました。日本で一番の強みは何か?「海外でボーンと発表されたものを連れてくること」だそうです(苦笑)。
ファッションもそうですよねー(笑)。

(略)

で、次、僕らは何をしたかというと、ニューヨークの民間ギャラリー7件くらいに作品データが入ったCD-ROMを送りました。その中の1件がフィリス・カインドギャラリーです。すぐに電話をくれたのが彼女でした「生の作品を見たいから、すぐ送ってくれ」と……。
すぐに作品を送って、OKをいただき、そして今に至っています。向こうのギャラリーにもまったくコネもなく、雑誌を調べて脈がありそうな所に送ったんです。はじめは(返事が)返ってくるとも思ってなかったんです。フィリスとの出会いは、本当に縁があったという感じです。
ピカソの作品は、上から見たり、横から見たり斜めからみたものを一平面で描く“キュビズム”。“キュビズム”は最初は迫害を受けてました。活動や運動は、最初にすると、ぼろっかす言われるんです。でも、徐々にそれに共感する方も出てきて、その時代が流れ去ったあとには、一つの分野が確立するみたいになることもあって……。(同じように)「アトリエ インカーブ」の活動も今は、認められてはいないですが、いつかは……。

(中略)

ある現代美術館の館長のインタビューで、「アトリエ インカーブの作品をどう見る、どう評価するかを学芸員に問われています。これは日本の美術館につきつけられた問題です」と。ちょっと悲しいのは、ニューヨークに行ったからこういう風な言われ方をするんですよ。日本だけで活動してたらなかなか花開かなかった……。外圧に弱い日本人の特性っていうんでしょうか(笑)。今となってはいろんな美術館からお声がけをもらうんですけど、でもね、声をかけてもらう作品が3年前と変わらないんですよね(笑)もうちょっと先に声をかけてくれてたらなあと思ったりもします。本当のことをいうと、最初は日本で発表したかったんですから!

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独創的であり続けるために……
アトリエ インカーブの今後

近ごろ「『アトリエインカーブ』の2号、3号を作ってほしい」とよく言われます。
「なんで作ってくれないんですか」って(笑)。でもね、僕らが2号、3号を作ってもなんの意味もないんですよ。こういう事業をもっといろんな方に仕掛けていただくことに意味があると僕は思っています。
そして、僕がどうしても死守したいのが、この活動を税金でやるということです。僕は、社会保障の分野は、国がすべきだと思っています。
今6000の無認可の作業所もお父さま、お母さまでされています。本位ではないですよ。お父さま、お母さまが汗水流して稼いだお金を、すべて障がいがあるお子さんのために出す必要は、絶対にない、と僕は思います。それは、なんでか? 僕を見てもらえば分かるんですが、僕は障がいを持ちたくて持ったわけではありません。知的障がいの方も同じ。なりたくてなったわけじゃない。それでは誰が面倒みるんですか? 国ですよ、絶対国です! 一家が離散するくらいお金をつぎ込んで、作業所をする必要はないですよ。というのが、理想ですね。

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でもなかなか国はそこまで手を回してはくれません。無認可の作業所に、非常に低額のお金が入っています。これは、地方公共団体ごとに金額が変わります。5人以上20人まででしたっけ? 大阪では5人で年間600~700万円とかかな? 宮崎だと250万円くらいやったかな? 地方格差があります。そんなもんでなにができるねん……って話ですよね。国が面倒みなあかんのに、そんなもんですわ。戦わないといけないですよね。
「アトリエインカーブ」も我々なりの(国に対する)運動です。言いたいことは社会保障に関しては公的なところのお金を後退させてはいけない、ということです!
障がい者は、就労の面、生活の面で、ものすごいハンディを持ってるんですが、でもね、彼らに当てるスポットライトの角度を変えると、彼らはほんとにすごいんですよ! (僕たちはそれを見出さないといけないんです!)

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<第2部>

Q&A

お客さま:
今後、今中さんに続く方はどういう資質の方がいいと思われますか?

今中さん:
スタートは彼らの作品を好きであってほしいですね。そこから、ダウン症、自閉症ってなんやろうって考えてほしい。(略)アートとデザインのある程度のスキルも必要。デッサン力がある人。デッサンは表現力ですから。また、問いを持っている人がいいと思います。よく質問してくる人が好きですね。自分や社会に対してたくさんの疑問を持っている人がいいと思います。

お客さま:
このプロジェクト、今中さんはいなくなっても継続できると思いますか?

今中さん:
ずっと考えています。毎日考えています。
特に最近は注射を打たないと動かない体になっています。(僕は)いつかは消える。それは5年後、10年後とかではなさそう、と体が言っていると思います。
僕が消えたとき、次、どうやっていくか……。
僕は「アトリエ インカーブ」を消すべきだと思います。みんなすごく苦しむことになるやろなって思います。「アトリエ インカーブ」は、特殊な人間とたまたまご縁があった人間が集まったものだから、普遍的な事業ではないのです。むしろ、普遍性に欠いた事業だと思います。でも、なかったらあかん事業だと思ってます。(略)この事業をバトンタッチしてやるには苦労をかけるなという思いも正直なところあります。政治と一緒で、大将が変われば、そこについてる人間は(大将の言う)違う事業に向かっていくものだと思います。だからまた、新たな事業、新たな大将、新たなクライアントを連れてブレストしていってほしいと思います。

今回ご紹介した 「アトリエ インカーブ」の5人のアーティスト。

寺尾 勝広さん
もともと寺尾工業というところで溶接工をされていました。鉄鋼をモチーフにした作品を創られています。ニューヨークにも作品が渡っています。金沢美術工芸大学の非常勤講師もされています。

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『鉄骨部材』

湯元 光男さん
最初、役所の方がちらしの裏に描いたものをもってこられたんです。「これはなんやねんー」って(笑)。すぐさま「『アトリエ インカーブ』に来ないかってお誘いしました」。建築物をモチーフにした作品を多く創られています。

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『温泉宿』

吉宗 和宏さん
彼の作品は、グラフィックデザイナーから評価が高いんですよ。立体、平面、何をさせてもすごいです!

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『ふく』

祈木 友行さん
彼は格闘技が好きなんです。格闘技をモチーフにした作品をマックで作成されています。

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『わき固め』

武 英治さん
彼はファッション雑誌の最後の方の広告ページを見て、それを作品にされています。

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『NOEVIR 化粧品』

※写真提供:アトリエインカーブ

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Profile

今中 博之(いまなか ひろし)さん<アトリエ インカーブ エグゼクティブディレクター>

今中 博之(いまなか ひろし)さん
<アトリエ インカーブ エグゼクティブディレクター>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1963年京都市生まれ。アートディレクター。一級建築士。企業ショウルーム、国際博覧会、商・住空間のデザイン(コミュニケーションデザイン・スペースデザイン)にとどまらず介護・医療施設、児童施設、障害者施設などソーシャルデザインについてのアートディレクション活動を展開。自らの体験をとおした独自の視点と着眼で社会福祉法人の総合企画・コンサルティング・空間設計、企業や自治体のプロジェクトに数多く参画。金沢美術工芸大学と地域協定を結び大学教育との連携を重視した施策を展開。厚生労働省・文部科学省・国土交通省の三省次官会議においてソーシャルデザインに関わる提案を行っている。現在ニューヨークと大阪に活動拠点を置く。グッドデザイン賞(経済産業省)、ディスプレイデザインアソシエイション(DDA)奨励賞、ウインドーデザイン通産大臣賞など受賞多数。ソーシャルデザインについての講演多数。代表作に『TOTO茅ヶ崎R&Dセンター』『大和ハウス総合技術研究所』『穴吹住環境研究所アメニティデザインラボ』『尼崎市立すこやかプラザすこやか住まい体験館』『社会福祉法人素王会アトリエインカーブ』『社会福祉法人白鳩会白鳩保育園』などがある。イマナカデザイン一級建築士事務所 代表 金沢美術工芸大学 非常勤講師 大阪創造都市市民会議(クリエイティブ大阪)発起人でもある。

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