神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「自分のことは好きですか?」



こんにちは。昨日は東京で講習をしてきたんですけど、東京ではこんな普通のしゃべりでも結構笑ろてる人、いはるんですね。(略)講習会、講演会ていうのは、僕だけがやるもんでなく(来てくださっている)皆さんが首を縦に振りながら聞いてくれはるだけで、僕は気持ちよく、どんどんしゃべろうと思えます。とにかく縦に首を振っといてもらえますか?
(会場:笑)
それだけ忘れんとってください。その辺よろしくお願いします。

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京都生まれのDNA

1964年2月6日生まれです。もうすぐなんです。
(会場:拍手)
京都・五条のど真ん中で生まれました。(略)父親は勤め人のケーキ職人です。なぜ、生まれたときのことを(順番に)言おうと思ったのかというと、どう考えてもいまこうやってお菓子を作っているのも、こどものときからのことが切っても切り離せないからです。こどものときがあったからこそ、いま僕は自由にのびのびとやれてると思うんで、こどものときのことを聞いていただかないと話が進まないので……。
京都で薄味って思っていた母の味が、いまの(お菓子作りをする)自分の味覚にいい影響が出ているていうか、すごく薄い中に探し求める味、例えば、うどん食べても一番底に柚子の皮があったり、薄いなりにいい。(略)薄い味の中に、何かを探す力っていうのがあるっていうのは、母親の味が原点なのかなと思います。

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父親は、和洋菓子のお店の洋菓子をまかされていて、百貨店へ卸す仕事をしていました。そこの工場で遊ぶのが好きでした。引き出しを開けるといろんなものが入っていて、食べたり、クリームみたいなものを手につけて遊んだり……。(中略)
最近、よく京都に食事をしに帰ります。なぜ僕が京都に店を出さなかったかというと、京都は帰る場所だと思っているんです。まだ母親も父親も元気で、友だちもいっぱいいるんですが、自分が帰る場所で商売をするっていうのがどうも気が乗らなかった。支店を出す計画はないのですが、将来、僕が京都で生まれたっていうことが何か残るようなこと、どうしたらいいかなと、いま、考えたりもしてます。

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「ケーキ屋だけはなるな」

幼稚園のときから高校3年まで、「ケーキ屋だけはなるな」と母親に言われつづけてました。
いまだに「進。しんどかったらケーキ屋やめてもええねんで」って(笑)。おいおい、やめられへんやろー。こんだけスタッフおるのにー。って思うんですけどね。
母親は苦労したんだと思います。「(ケーキ屋は)夜は遅いし、給料も安い。(クリスマスとか、お正月とか)みんなが楽しいとき、楽しまれへんで」って。「頼むからあんたは一生懸命勉強して偉い人になって」そんなふうにずっと言われていたんで、母親が安心するような、大きい会社に入らなければいけないと漠然と思っていたんですけど……。
僕がケーキ屋になるって決めて調理師学校に行ってたときに隣のおばちゃんたちが「進ちゃん、なんか水商売に行きはるみたいやで」ってこそこそしゃべってはるのをちょっと聞いたんです。「ケーキ屋だけはなるな」という母親の言葉と、世間の目というのが、当初、パティシエ、ケーキ職人という言葉もなく、ケーキ屋といえば「けんちゃん」というイメージだったし……。学校の先生には、「お前みたいな態度の悪いヤツ、やくざか水商売にしか行けへん」って言われてました。それがすごくイヤで、これにかけてやってみようと。とにかく毎日がんばろう!なるべくしっかりした会社に入ることが、母親に対する恩返しかなと思っていました。

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神戸

なんで、神戸かというと。「ケーキ屋になるな、なるな」と母に言われていたころ、1年に2、3回父親からは、「おれは(ケーキを)神戸の職人に教えてもろた」と、ぼそりとぼそりと言われていました。母親に対抗してたんでしょうね。神戸の職人に教えてもらったこと、それが親父の中のステイタスやったみたい。「神戸ってすごいんやで」って。だから父親に「ケーキ屋になるわ」って言うたときに、「お前、おかんに怒られるんちゃうんか」って。自分が怒られるんちゃうんかってビクビクしながら、ニコッて笑っていた父親の顔をいまだに覚えてますけど。父はすぐ「神戸に行けよ。神戸がええねん」って言ってくれました。
(略)

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だから、迷うことなく神戸に来ました。
製菓学校の求人表を見たときに、「面接アンリシャルパンティエ11月10日、ハイジ10月5日」とあったんです。何でもはよ決めんかったらイヤな僕は、11月10まで待てなかったんです(笑)。(略)それでハイジの面接に行って、「この会社の社長になりに来た」って言うたんですよ。アホですよ、ほんまに(笑)。
(会場:笑)
ほんなら社長が「おもろいやっちゃなー」って。社長も本当に変わってましたから。
で、ハイジに行くことになりました。 (略)

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水商売と“バーテン”

(最初の)配属は芦屋でした。「小山 進、芦屋」言われたとき、心の中で飛び上がって喜んだんです。「なんか、ええ未来が待ってるぞ」みたいな感じでした。で、初日、行ったらタイムカードに“芦屋店喫茶”って書いてあるんですよ。「なんで? 喫茶? おれケーキ職人になりにきたのに。」って。“喫茶って言うたら、水商売? “みたいな、「そのままやんけー!」って思って。しかも、先輩に呼ばれたあだ名が“バーテン”なんですよ。なんか自分に押し寄せてくるものがあって、「えらいこっちゃ」っ……。会社の考えだと思うんです、いまの僕なら(それが)よくわかるんですけど……。(略)不安で仕方なかった。でもそれも2、3日のこと。「喫茶ってそんなに先輩おらへんな、すぐ偉くなれる」と思ったんですよ。もしかしたら主任いちばんのりちゃうか?って。(笑)これが僕の新たな目標でした。ここで、皆さんに何が言いたいかっていうと、「どんな場所でも楽しみなさい」ということ。そこでの楽しみを見つける天才こそ、生きていけるんじゃないかと。自分で自分を誉めるのも好きなんですみません。(略)

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プライドの薔薇のバター

卸しのケーキ屋をやっていた父親が、そんなに忙しくない夏の時期には、ずっとバタークリームで薔薇を絞って冷凍していました。内職にしていたんだと思います。(略)多分、それがクリスマスケーキの上に飾られてたんやと思います。(略)こどものときからずっと何年も見ていたんです。自分でも絞れるやろうと思いながら見とったんです。

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喫茶の仕事の中でいちばんイヤやったのが、トーストでした。イギリスパンを厚く切って焼いて斜め切って並べて、あいだにバターを置いて出す。こんな単純なこと、イヤやなあって思ってたんです。ほんで、暇なときに(父親の作っていたあの)「薔薇や」と思って、薔薇を絞ってストックしだしたんです。それでトーストに薔薇のバターを置いて出してるときに、社長が入ってきたんですよ。ほんで社長がびっくりしはって、僕は怒られるんちゃうかなーと思ったんです。全店から幹部の方を呼びはって、ものすごい怒りはったんです。
「お前らなんで、こういうことに気がつかない? 明日からこいつにケーキを作らせろ!」って。僕のサービス精神を誉めたんやと思います。僕は、ただ、自分のプライドが許せなかっただけなんやけど。 その2年後、21歳のときに星陵台の店長になります。

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誉めて育ててくれた社長に感謝

店長に抜擢されたものの、僕は喫茶のことしかできない。「作られへんのやったら、作れるようになったらええだけのこと。練習せえよ」と言われ、(僕は)単純やから、「そうなんや」と思って……、それでがんばれたんです。あまり深く考えないんで、社長が言いはったらできるんちゃうかと思って、僕の性格をわかってか(社長は僕を)誉めて誉めて育ててくれました。2階に住み込んで365日フル回転。(略)社長をはじめ、津曲さん(「ツマガリ」の社長)やパティシエの横川 哲也さんをはじめ、お客さまなどいろんな人にいろいろ教えてもらいました。1日15万の売り上げが60万円くらい売れるようになったんです。いろいろ問題もありましたが、20代の前半にこういう経験ができたということは貴重な体験でした。
後になって、社長に「なんであの時、オレを店長にしたんですか。」って聞いたんです。「おまえが失敗したらしゃーないやろ、諦めつくからええねんや。お前やったら失敗しても許せるから」って言ってもらったときは、泣きそうになりました。

(中略)
*小山さんは、2000年にハイジを退職。コンサルティングの仕事を始められます。

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小山ロール誕生

コンサルティングの仕事をしているときに「テレビチャンピオン」(テレビ東京)という番組があったんですね。グランドチャンピオン大会です。フランスで第1ラウンドをやると。
そのときに僕が作ったのが、“マジック”という商品、いまもうちの商品になってるんですけど、そのときの僕の助手が青木 定治(あおき さだはる)なんですよ。いまは有名な(パティスリー「サダハルアオキ」の)サダが助手をしてくれて、僕ひとりでやってるからスタッフがいないんで。(略)
サダに助けてもらって、ジェラール・ミュロの第一ラウンドにのぞんだら、まあおいしくできたんやけど、「小山っち、薄い」とサダに言われて、「審査会場はオレの知ってるカフェやから、俺にまかせろ」と。
彼がイチゴを持ってきて甘い甘いイチゴのソース作って、僕のケーキにどばーってかけよったんですよ。「お前、かけ過ぎ! 何すんねん」と思って……。そしたら1位になったんですよ。「これぐらいのコントラストがなかったら、あかんねん」と ミュロさんはやさしい味の中にしっかりとした甘さの、そういう変化を楽しむ人やから、それをきっちりやらないと絶対無理やと…。(略)

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で、1位やったんですわ。
(略)
そのとき、決勝でロールケーキをやったんですね。何でやろうと思ったかというと、自分のお店するには、定番のちょっと抜きん出た商品が絶対必要だと思ってたんです。そして、普通、選手と勝負するんやけど、選手と勝負しても仕方ないなと。審査員と勝負だと思いました。僕はロールケーキを作るけど、審査員がいままで、食べたことのある引き出しの中で、その人が食べたことのあるロールケーキの中でいちばんを作ったら、もしかしたらまわりとの評価よりも、その人の味覚との勝負になって、僕の方が勝てるかもわからへんと思ったら、100人85人が僕のロールケーキに入れてくれはったんですね。「あ、これは、僕の店の商品にしよう」と思いました。(略)
「さあ、名前は?」と聞かれて、(思わず)「小山ロール」ですと言ってしまったんです(笑)。
小山ロール誕生でいちばん大事なキーワードは“鎌倉カスター”。(このケーキを)22歳のときに初めて食べたんです。びっくりしたんですよね、「こんなうまいもんがあるんか」って。そのとき、“鎌倉カスター”を抜く商品を絶対作ったろうと思って…… それが小山ロール誕生の根源にあるお菓子です。

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しあわせに繋がっている道

(店の候補地であった)三田の土地は、何べん通ってもなんとなく気持ちよかったんです。でも、誰に言っても「ここは、あかんやろ」って反対されました。まだ区画整理もされていなかったので、いったんは諦めました。それで、いろんな物件を見に行きました。京都、東京、垂水、御影、三宮などなど……。最終的に三宮の物件に半分決めかけていたんです。そうしたら(契約の)前日に、三田の土地が借りれることに。すぐ、三宮は断って、三田に決めました。(略)
心の便利性に重きをおきたかった。だから三田にしたんです。三田は、本当に気持ちのいい場所なんです。まわりに山が見える、それから、イチゴ。三田イチゴ、大沢の農家の朝獲りイチゴは実際に摘みにいくこともできるんですよ。栗に関しては、栗林が車で10分ほど走ったところにあって……。全世界探してもこういう立地ってないような気がします。ケーキだけで勝負するんじゃなくて、そのときの温度、庭の色、空の色、いろいろなことを感じてうちの店に入ってきていただいて、あそこに行くと元気になると言われる店を作りたい。ほんと、ただそれだけで、お菓子は一個の手段、そんな思いで作りました。
僕がしたかったのは、こういうことなんやって……。いま、非常にしあわせやなと思います。

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普通を平常心で

普通、当たり前という言葉が好き。当たり前のことを当たり前にやる、普通であるべきことを普通にしっかりできるということ。商品も普通においしい、普通でちょっと抜きん出たおいしさがある、奇をてらった特別なもんでもない。それをずっとコンスタントに普通にいられるという……。それって日ごろ、最上級とか上級と呼ばれることと同じなんじゃないかな、
(略)

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焼きたて、できたて、鮮度がいいっていうのは、世の中でお客さまが求めているごくごく当たり前、普通のこと。それを僕たちが毎日やることっていうのは、本当に強い意志を持ってしないと焼きたて、できたてっていうのは、できない世の中。それを「エス コヤマ」は徹底的に焼きたて、できたてを貫きとおそうって思ってます。そういった意味での“普通”を平常心でやっていけるような僕でありスタッフであってほしいと思います。

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「エス コヤマ」の商品

まず突出した定番商品、それからいまを感じるお菓子です。外国人のパティシエさんたちに「お前はヨーロッパで長く修業したタイプじゃないけど、僕たちの知らないことを知ってるシェフだと……」。(略)「オリジナリティを大事にしていってほしい」と言われ、ウルッとくるものがありました。
過去、ヨーロッパから伝わったお菓子が、ずっと広められる過程の中で、僕たちは修業してきて、すべて行き尽くした中で、僕は自分のフィールドをデビューさせる。ヨーロッパのお菓子を学び終わったあとで、日本人、京都人のDNAを生かしたお菓子を、普通においしいを、ヨーロッパの人が学んでくれる時代、いまそういった時代が来ているので、時期がよかったなと思っているし、自分の味覚に自信を持ってクリエイティブな仕事をしていきたいなと思っています。
ケーキのことだけじゃなく、いっぱいあります。まず“小山 進“っていう僕、スタッフ、ホームページを作成してくれる人、専属のライターさんなどのチームスタッフも大事な商品、あと(店のまわりの)自然です、手を加えることのない自然、(略)お菓子を好きになってもらう根源となるお菓子教室、フリーペーパーなどなど……。
(略)
世界でいちばん元気なお店を作れたらなと思っています。

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小山 進が思うコヤマ ススムって?

僕ってどんな感じなんやろ? 皆さんが聞かれて「それ短所やん」って思うところもプラスにしていかないといけないと思ってるんです。僕自身のことを昨日考えてみました。
聞いてください。
・部下を愛情を持っておもいっきり叱ります。そしておもいっきり誉めます。
・落ち着きがありません。
・何でもすぐにやらないとイヤです。
・いいイメージで一日で終わらないとイヤ。喧嘩しても仲直りしてからじゃないと寝るのイヤ。
・大袈裟です、結構大そうです。
・今日のことしか考えてません。
・オレがやらないと誰がやる?という精神を常に持っています。
・どんなことでも大きな声で話します。心の中だけで思ったりしません。
・ひそひそ話はしません。
・八方美人には絶対なりたくない。
・有言実行でしか物事ができません。黙ってられへんちゅうねん!(笑)
・感情を表に出します(何を考えているか分かりやすくするために)。
・すぐ喜びます。
・すぐ涙が出ます。
・愚痴は言いません。
・小さなことほど結構考えます。
・めちゃくちゃ心配性です。
・人の悪口は言いません。
・悩みません。
・好きな言葉は「具体的」。
・「60点」でいいからすぐやろう!100点を取ろうと思って途中経過を全然話さない人よりも、60点でいいから何度も出す方が100点に近くなるのも早いだろうということです。一回で完璧を求める人じゃない、完璧主義者じゃないということです。
これらが僕の長所です。

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最後に。本日いらした皆さんにメッセージをお願いします。

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もう結構しゃべったんでね~、特にメッセージというのも……(笑)。
(今回)「自分のことは好きですか?」というテーマにしようと思ったのも、こどものときから「直せ」と言れていること、「ダメや」と言われていることが、果たしてすべてダメなことかどうかっていうのはわからないことです。何かひとつ得意技を身につけてしまえば、ダメなことも、もしかしたらいい方向に変わるかもしれない。ダメなところを直すよりも得意なことを伸ばせば、ダメなとこがもしかしたらなくなるんじゃないかな、僕はそんな気がします。僕はずっと自分のことが好きでいられるように、これからもがんばっていきたいと思ってます。いまから「悪いとこ直せ」と言われても、もう直らないかもしれないですし(笑)、それやったら悪い所も長所に変えてしまった方がいいと思います。
僕もがんばるんで、皆さんもいまからがんばってください。今日来たことが無駄にならないように!

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Profile

小山 進(こやま すすむ)さん<「エス コヤマ」代表・パティシエ>

小山 進(こやま すすむ)さん
<「エス コヤマ」代表・パティシエ>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1964年京都生まれ。ケーキ職人の息子として生まれる。クリエイティブな仕事がしたいと、パティシエを志望し、神戸「スイス菓子ハイジ」入社。17年間勤める。入社当初は喫茶部門に配属されるが、その間も自らケーキについて研究し、喫茶部門のデザートを作る中、新しい店の店長に抜擢される。その後営業職など店舗管理の仕事をする中でTVチャンピオン(テレビ東京)に関西のパティシエとしては初めて出演をし、2連覇を果たす。本格的にケーキを作るようになってからは、商品開発や商品企画、デザインを行うなど、お菓子を巡る多才さを発揮。神戸の有名なパティシエたちとの交流をしながら、店の売り上げを伸ばす。2000年以降スイス菓子ハイジから独立したのち、お菓子の商品開発とプロデュースの会社を設立し、お菓子についてのコンサルティング事業をしながら3年半全国行脚をする。さまざまな店の立ち上げに力を尽くし、店の成功へと導き、注目を集める。2003年三田ウッディタウンに「エス コヤマ」をオープン。豊かな自然の中、美味しい食材に恵まれ、子どもたちが遊びまわれるような店を目指して、オーナーシェフをつとめる。コンセプトは「スイートトリック」(お菓子でいたずら)。遊び心の中でケーキを作り、お菓子を巡って誰かに、何かを感じてもらいたいという思いがある。3年間をかけて開発した「小山ロール」はTVチャンピオンのグランドチャンピオン大会・パリ対決にて圧倒的な勝利をおさめた商品で、今も大人気の商品。単純明快で、インパクトのあるケーキづくりがモットー。音楽は10代から続いている趣味で、全国から、音楽活動をしているパティシエを集めて開催しているお菓子とロックのコラボレーションイベント「パティシエ・ロックナイト」では主催者をつとめながら出演もしている。

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