神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「すてきな暮らしとデザインの力~いつも夢に向かって」



自然の中で暮らしたこども時代は、大きな財産

皆さんに「若いね」って言われるのですが、実はわたし戦前生まれなんです(笑)。空襲のことも、どことなく覚えてるんですね。いま、プロダクトデザイナーです。(この仕事に就いて)何か自分の昔の体験がとても役に立っているんじゃないかなというふうに思うことが多くあります。特にこどもの頃、自然と暮らしたことが自分にとっては財産のような気がします。私は、大阪で育ちました。(家の近くに)大きな森があって、中学生のころ、友達とよく遊びに行ってたんです。そこにはお寺があって、池があって、まるでアニメの世界でした。網ですくうと、タガメとかヤゴとかゲンゴロウとか採れたり……。こどものころから、動物や植物、昆虫とか自然とか、興味がありまして。夏、スコールが降ると、当時まだ舗装していませんので、白い土埃を上げながら雨が降って、振りかえると生駒山に美しい虹がかかっていて……、という風景が日常でした。
家にはアヒルもいたし、ウサギ、鶏もいたんです。わたしはエサやりをしたり、それからかまどがありましたのでご飯炊きをしたり。ご飯炊きが非常におもしろくて。かまどの中の火の燃えるさまが幻想的で、すごくきれいだなあーと思っていたりしました。 ご飯が炊けると、お釜をちゃぶ台の横に置いて、みんなで食べる。そんな時代でした。

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私がデザイナーになろうかなと思ったのは中学3年のときなんです。ずいぶん昔のことなんですけどね(笑)。どういうわけか、イタリアへ行くような気がすると思っていたのです。当時、13歳ごろに私はイタリアの小さな辞書を買っていました。そして、高校に入りましたら、いわゆる電気製品の大ブーム。カー、カラーテレビなど“3C”と言われる時代、大きく近代化の波がやってきたわけです。
いまはボタンひとつでご飯が炊ける時代だし、地球の裏側のことも一瞬にして液晶テレビで見れますし、携帯電話でどこででも一瞬にして話ができるし。“未来“はもうちょっと先のように思っていましたが、私たちはもうすっかり、実際“未来”に入ってしまっている気がしています。

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初めて行ったミラノに衝撃

毎年4月に、ミラノで「salone del mobile」(「サローネ・デル・モビーレ」)というインテリアの大きな国際見本市があります。世界から20万人くらいの人が集まるのですが、夜になると市内の約400ヵ所で、新作展とかセミナーとかいろいろなイベントがあるんです。ミラノは、国際見本市でもってる街でして、郊外に380万平米の会場があって、地下鉄と動く歩道で直結、それが3年前にオープンしました。その会場がいつもほぼ満杯なんですね。

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ホテルも、満杯、レストランも予約しないといけない、タクシーもなかなかひろえないという状況が年のうち半分くらい続いている。国際見本市がミラノの大きな街の産業なんです。ミラノというとブランドの街と皆さん思ってらっしゃるかもしれないけど、実際は国際見本市の街なんですね。見本市へ行くと、世界中から来るバイヤーたちが、時には奥さんを同伴して来られるんですね、昼は旦那は見本市でビジネス、奥さんは街の中をショッピング。夜はみんなで会食。仕事も暮らしのひとつと考えて、ちょうどバランスがとれているという感じですね。フィレンツェ、バルセロナなんかもそうです。
1967年まだ貿易の自由化が始まっていないころ、アメリカやヨーロッパに視察旅行に行ったことがありました。そのとき、ホテルの同室だった家具屋さんが「ミラノでおもしろい展覧会をやっているから、一緒に行きませんか」って誘ってくれたん です。そこには、2000社くらいの家具屋さんが新製品を出していて……。会場は見たこともない家具がたくさんあり、雰囲気も別世界だったんですね!「ここは、いったいどうなってるんだろう?」と思いました。あまりにもショッキングなものを見てしまいました。

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そういえば、「デザイナーになりたいな」と漠然と考えていた、中学生の歳のころ、私はイタリア語の小さな辞書を買っていました。「なんかイタリアへ行くような気がする」って思ってましてね(笑)。ミラノに着いたとき、「アレ、ここなんか見たことある!」なって……。何かを感じて「ここだ!」って思ったんですね。
その旅行から帰って、あくる年に辞書を持って、ミラノに行くことになったのでした。

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初めて作ったヒット商品は家庭用電話の電話台

イタリアに行く前、アルミの会社に勤めました。(数年勤めたのち)、アルミ以外の素材も使ってみたいなぁと思って退職。その後小さなアパートを借りてデザイン事務所を構えました。
1970年ごろ、その黒い電話が大ブームになる時だったんです。家具屋さんに行くと、どこの店にも小さな木の台が売ってるんですよ。店の人に聞くと、どうも電話の台らしい、ということだったんです。電話台を作ったら、その時依頼されていた、あまった材料を使うことも出来て、売れるかもしれないと思って作ることにしました。なんとそれが爆発的に売れたんです。扉を付けて、電話帳が入れられて、メモもできるというふうなデザインで、“アートスタンド”という名前もつけまして……。ネーミングも考えましてね。それが爆発的に売れたんです。
「まず売れたらみんなハッピーになるんだ」って思いましてね! まだ当時、“インテリア”という言葉すら一般的ではなかったんです。戦後復興の時代でしたから、新しい時代が始まったようなころ。値段は3000円。当時、もう40年以上も前のことですが、衝動買いができる値段だからと人が教えてくれたんです。電話台が売れたので、会社から小さな車が買えるくらいの予算をいただいたんです。それで、「デザインっていうのは、売れないといけないんだな」と思いました。使う人にも会社にも喜んでもらえる。ヒットさせることの大切さをこの電話台で実感。売れるからこそのデザインなんだなと……。

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その後、1年くらい(生活ができるくらい)の蓄えを持ってミラノへ行きました。
その蓄えを3ヶ月で使い果たそうって思っていました。「私は将来デザイナーになるかも知れないから、ミラノではいちばんいい体験をしよう、いちばんよいものを見よう」という思いで行きました。3ヶ月経ち、お金もなくなったころ、声をかけてくれたデザイン事務所に8ヶ月、そのあと家具メーカーに3年くらいいることに……。そうしたら、「喜多、もう独立してやったら?」とオーナーに言われ、「できるんかな?」と思いながらも独立。そんなことで、それ以来デザイナーとしてのわたしのイタリア生活が始まりました。

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イタリアで作った作品の数々
どれも、なにかしら日本の自然や生活がヒントに

(スライドでの作品紹介)

まず、1980年に最初の作品が出来ました。ウインクチェアという私の大ヒット製品になった思い出の椅子です。1980年ミラノで発表しました。アイデアにしたのが4年前の1976年だったんです。その前に「イタリア人が考えつかないものをデザインして。日本人にしかできないアイデアを」って、言われていたんです。どういうことなんかなあってずっと考えてました。
ある日、ポコンッ!とアイデアがひらめいた。
こどものころ、自然の多い環境で暮らしていました。椅子と机というのは学校だけで、家では和式でちゃぶ台、文机、座布団で勉強してたんです。家にはソファはなかったんです。そういう椅子という概念のないところから出発したのでこんなデザインができたんじゃないかと……。(実は)出来上がってみるとあまりにもポップすぎてヒットすると思わなかった。でも、当時の開発ディレクターは「喜多、これは売れるよ」って真剣な顔で言うんですよ。試作をアメリカへ持って行くと、(この椅子を見た)アメリカ人が目を輝かしたって。こういうふうに自動車の部品を使って、あちこち動くという椅子はほとんどなかったんですね。社長が「日本人らしい」と言ってくれました。

ここまでいくまで3年くらいかかり、1979年にほぼ完成しました。

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ウインクチェア

当時、こんなカラフルな椅子は市場になかったんですね。
ある時、雑誌を見ていたらカラフルな運動靴が新製品として載ってたんですよ。ちょうどこの椅子張りの生地を決めるとき(だったので)「そうだ!いろいろな色にしよう」。色というのは付加価値なんですね。選び方とか変えるだけど、大変楽しいものになったり。ヒット商品になったり…。これらの色は、奈良の東大寺の紫や緑の垂れ幕の色です。これらにヒントを得て色を決めました。
発表した1980年の「salone del mobile」では、このCassina(カッシーナ)の椅子が大変大きく話題になりました。ショールームも人だかりになって、その年いちばんの大ヒット製品ということになりました。そして、明くる年には、全米で発表会をしまして、たくさんのメディアにも取り上げられ、注目されるってすごいなぁと人ごとのように思っていました(笑)。
明くる年にはこれに合うテーブルも作りました。日常の暮らしを考えながら。このふたつともはやばやとニューヨークの近代美術館のパーマネントコレクション(椅子、机)に選ばれました。
イタリアに行ってちょうど10年目にこれが出たんですよ。

これは20年目にして、できた椅子です。これもCassinaです。
「喜多、早く次の作品やってくれ!」と言われまして……。ところが、こういうのってすぐやれるわけでもないんですよね(笑)。アイデアが出てからっていうことで。で、これはいま生産されて7年前くらいになるんですがCassinaのプロダクト・ヒット5のうち のひとつに入りましてね。遠い日本から行っていますから、ヒットを飛ばしておかないと(笑)。
これは、“DODO(ドードー)”という商品名、鳥の名前です。昔、太平洋の島にいて、いまはもう絶滅した鳥です。

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DODO

ちょうど、わたしの長女が鳥の勉強をしていて「(椅子の形と鳥が)わぁ、パパ、そっくり!」と言うのでこの名前になったんです。この椅子はコンピュータの時代がやってきたいまの時代の流れ、それから高齢化が始まっているということ、そしてホームシアターのきざし、この3つをコンセプトにして作ったものです。商品開発というのは、時代のちょっと先を読み、ちょうどその流行にマッチしたヒット商品を作ることなんです。

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AKI BIKI CANTA

これもCassinaです。AKI(アキ)、BIKI(ビキ)、 CANTA(カンタ)という名前です。青がAで、黄色がB、赤がC。CANTAはイタリア語で“歌う”という意味なんです。
それで、“DODO(ドードー)”がDで。今後E、Fと続くはず。まだ出ていませんが(笑)。

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TATAMO

これは、ベッドになります。畳の硬さにしまして、「TATAMO(タタモ)」という名前にしました。今、イタリアで作っています。

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SARUYAMA

これは「SARUYAMA(サルヤマ)」というMOROSO(モローゾ)社の椅子です。
1969年にまだデザイン事務所を作って間もないころ、考えていた椅子です。

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二畳結界

二畳の茶室「二畳結界」です。輪島のうるし塗りを使いました。心の世界に残るようなものを創ってはどうだろうと提案しまして。こういう枠だけの、組み立て式の茶室を作りました。世界のイベントがある時には、組み立てています。和ろうそくを立て たり、小さいけれどにわか舞台として使える茶室です。

ちょうどイタリアへ行く前の年に、この(画像)の古田さんという職人さんと出会いました。この時代って、伝統工芸がすたれている時代、“機械作りこそがいまからだ”っていうような信じられないような時代だったんですが、日本の伝統工芸がことごとく皆やめていったんです。1000年続けている美濃の和紙作りの(無形文化財)古田さんに出会って、「何かできるはずだ!何かできるか考えるからね」と話して、イタリアへ行ったんです。万博の時に帰国しまして、古田さんを訪ねました。

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TAKO

そして、この和紙を使ってイタリアの会社から、「TAKO(タコ)」という和紙照明を出しました。これがヨーロッパで大ヒット。当時、手作りの古田さんの(紙の生産が)間に合わないくらいでした。(写真を見ていただくと)分かると思うのですが日本の伝統工芸を作っている現場というのは、まるでモダンアートの世界ですね。出来上がりより、プロセスが素晴らしいということも発見しました。

(作品の数々の画像)

どれも、まさに日本発です。日本の伝統工芸はものすごくレベルが高いんです。海外でも評価も高いんです。

それから、AQUOSというこのテレビを作りました。液晶テレビは、横から見たら真っ黒で見えないし、真正面からしか見れない。なのに値段はものすごく高かったんです。この会社の方が「何とかなりませんか?」と言ってこられたんです。私は、それを見たとき「あ、これは未来のもののような感じがする」と思ったんです。それで、まず左右に回転するようにして、後ろにハンドをつけました、それからスピーカーも作って。「AQUOS(アクオス)」と名づけて販売しました。そうしたら、なんと5倍くらいの売り上げになったんです!

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AQUOS

よく、親しい友だちが「喜多の製品は何となく生きているみたい」と言ってくれるんです。
さきほどの動物昆虫が好きだったこどものころの話をしたけれど、そのころの思い出が残っているのかなと思ったりするんです。図面を描いて考えるより、使っているときの表情からデザインに入っている感じなんです。暮らしの中に溶け込めるよう、新しいテレビがインテリアの中にどういう存在になるのかを考えて作ったのでした。

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これはアメリカ向けの炊飯器です。最近、外国では寿司ブーム。だから世界向けに作ろうじゃないかということで作りました。寿司ボタンとリゾットを作るボタンがあります。

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「ハレの日」を見直して上質なモノを取り入れたワンランク上の暮らしを!

日本人は、もっと楽しく暮らしたらいいと思うんです。日常の暮らしの「ハレの日」がありますけど。もっと、「ハレの日」を見直すといい。それによって上手くいけば、しつらえもよくなり、晴れ着を着る機会が増え、(例えば伝統工芸の)漆の器を使う機会も 増えてたりして、日本伝統産業もみるみるうちに復興するかも知れない。1年の中でいちばんエポックになるいちばんよい日にいちばんいいものを使うのだから、そういう日を増やすといい。もう一度暮らしを復元させると、日本の伝統工芸は残るのでは ないかと思います。楽しい暮らしを戻していったらどうだろう?イタリアがデザイン大国になったのは、家同士の行き来が増えるようになったからなんです。快い空間で過ごしてもらうためのインテリアが60~70年にイタリアで流行したんです。

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たかが椅子ひとつにこれだけ世界中の皆さんが注目してくださったのは、人々の日常の暮らしのが本当に大切なんだということなんじゃないかなと思います。日本はこれから、いよいよ衣食住の“住”の時代に来ていると思います。世界一の一流品をたくさん作らないと、日本の産業経済はやっていけないと思います。そして、すてきな暮らしを皆が体験して、世界にメッセージを送ることが大切だと思います。

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Q&A

お客さま:
私の働いている奈良県曽爾村(そにむら)では1300年前の漆が発見されました。伝説のある漆なんですが、それを使って町興しをしたいと思っています。1300年ぶりに奈良の漆を復興させようと思っていますが、何かアドバイスをお願いできますか?

喜多さん:
漆はもともと、奈良の都にいちばん最初に入ってきたんじゃないかと思います。硯や筆、墨も奈良が産地ですよね。漆は海外では見たことがない人が多いんです。日本で漆がこれだけ普及しているのは世界でも珍しいと思います。これから日本は、“ハイクオリティ・ハイセンス”がひとつのキーワードになると思います。奈良は日本の発祥の一つでもある。東大寺、法隆寺など唯一無二の素晴らしいものがある奈良は、もうちょっと世界へもアピールしてもいいのかなと思います。世界の奈良として、観光資源としてもすごいところだし、次の未来の“エコ文化”の中で、奈良は多くのヒントを持ってる場所じゃないかと思います。だから、そういう視点で漆をとらえた方がいいかなと思います。漆の商品だけでなく、プロセスなどにも着目すべきではないでしょうか? 漆の木とか、色づく葉など、自然のものなんだ、ということをプレゼンテーションしてはいかがでしょうか? それで、小さなものでいいから、とっても値打ちのあるものに仕立てた方がいいと思います。漆は心の世界に残るようなものだと思います。漆というのは奈良の財産でなく、世界の財産と思ってやれば、おもしろいかなと思ったりします。日本には、世界にはない宝物がいっぱいある。

お客さま:
自分の暮らしの中に、センスのいいデザインを取り入れるポイントを教えてください。

喜多さん:
まず“好き”か“嫌い”か、ですね。嫌いなものと一緒に暮らすのは悲劇です。他人が何を言われても「コレ!」と。 好きなものに囲まれていると、良い「気」が流れますから。 あとは、品質、素材、価格ですね……。ヨーロッパの人は、家具を買うとき、少し背伸びをするんです。その代わりすぐ買わないんです、お金を貯めてから買うんです。そういったものの購入の仕方っていいですね。自分の好きなものを、時間をかけて構想を練って、身の回りに置く、そしてじっくりとインテリアを考えるのもいいですね。

フェリシモ:
デザインは人を笑顔にさせる“ハッピー産業”だとおっしゃいましたけれど……。

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喜多さん:
そうですね。それを使ってくれる人が使いやすくなるとか、便利になる、安全になる、なにより心豊かになる。ベターになることがいい。企業も売れることでハッピーになりますね。エコロジーを考えたものづくりは、地球にとっても、人間にとっても、ハッピー産業だと思います。苦しんで作ったものより楽しんで作ったものの方が、使う人もハッピーになると思います。

お客さま:
喜多さんが関西を拠点に活動している理由は何ですか?

喜多さん:
皆によく聞かれるのですが、ハイテクのおかげで、クリエイティブ活動などは、どこに居ても同じだと思います。
やっぱり文化のぶ厚いところにいるというのは、ひとつのしあわせなことだと思います。世界に堂々と「奈良の近くです、京都の近くです」と、言えるのもいいのではないでしょうか。まあ、居心地がいいのがいちばんです。

フェリシモ:
神戸学校を代表して、喜多さんに質問です。
喜多さんが思う、日本の宝物とはなんでしょうか?

喜多さん:
やはり、自然と文化。それと家族、友だちですね!
あと、“いま”っていう一瞬一瞬も宝物です。

     

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Profile

喜多 俊之さん<プロダクトデザイナー>

喜多 俊之(きた としゆき)さん<プロダクトデザイナー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1969年よりイタリアと日本でデザインの制作活動を始める。イタリアやドイツ、日本のメーカーから、液晶テレビなどの家電、ロボット、家庭日用品に至るまでのデザインで、多くのヒット製品を生む。作品は、ニューヨーク近代美術館など世界のミュージアムに多くコレクションされている。また、日本各地の伝統工芸・地場産業の活性化、およびクリエイティブディレクターとして多方面で活躍する。

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