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神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「私たちが私たちであるために~ほんとうの日本の姿とは?」



<第1部>

アレックス・カーさんと日本の出会いと関わり方

まず、自己紹介をしたいと思います。
私は、1964年オリンピックの年、初めて日本に来ました。いまから44年前です。日本経済の急成長が始まる時期、(日本にとって)ちょうどいまの北京のような年でした。まだまだあのころは自然がたくさん残っていました。住んでいたのは横浜。神奈川県の三浦半島の御崎(みさき)という小さな村に両親の持つ別荘があり、しばしば泊まりに行きました。横浜市からすこし出ると、もう緑の山。海岸沿いに(車で)走っていくと、畑ばかり。海岸沿いには松の木が並び、夕方になると風がシューッとそよいでいました。何十年かあとの2年間、芦屋の奥池(おくいけ)というところに住んでいたのですが、あのあたりは松が残っていて、その松風の音を聞いて(三浦半島を思い出し)懐かしくなることもありました。こどものときに日本に来ましたが、とくに好きなのは日本の「家」でした。

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日本の「家」には、不思議な演出があると思います。門があり、庭があり、玄関があります。玄関にたどり着いたら、また奥へ続いていて……。立派なお屋敷なら、またさらに離れがあったり、茶室があったり……。そういうちょっとした小宇宙のような空間が日本の「家」にあったことが、こどものころの私はすごく好きでした。そのあとアメリカや、イギリスへ引っ越したり、大学に通うなど、さまざまなことがあり、その間も頻繁に日本を行き来していたのですが、また1977年に日本に帰ってきました。
京都の亀岡に大本(おおもと)という神道系諸宗教があります。「芸術は宗教の母」という言葉を残した出口 王仁三郎(でぐち おにさぶろう)という方がいたのですが、大本の中には、その方の言葉をもとにつくられた能舞台や道場、茶室、陶芸の窯などがたくさんあり、その施設を利用して、外国人に日本の伝統芸術を教えるプログラムがありました。宗教とは関係のないところで、わたしはそこへ手伝いに行きました。20年間ずっと手伝い続けたあと、わたしはスタッフとともに拠点をタイに移しました。私とスタッフが抜けることにより、1997年に大本のプログラムは閉鎖されました。私には、民間で伝統芸術を教えるプログラムを復活したいという気持ちがずっとありました。その気持ちがかなったのが、いまから5年前。京都に「庵(いおり)」を創立しました。「庵」は京都の町家再生が目的の会社でした。ある町家の倉庫を改装して、伝統芸術の研修道場にし、そこで私の夢であるアート・プログラムの復活がかないました。

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話は少し前に戻り、1971年、大学生のころ、私はヒッチハイクをしながら日本全国一周の旅をしていました。そのときに行ったのが、四国・徳島県の山奥にある祖谷(いや)、日本の秘境のひとつと言われている神秘的な山村でした。私は祖谷という村に惚れ込んでしまい、大学を休学し、1972~73年のほとんどを祖谷で過ごしました。そのころ、すでに、村は過疎が始まっていました。捨てられた空き家がたくさんあり、それを見て、貧乏な学生の私でもひょっとしたら家を持てるのかなと考え、家探しを始めました。それが1973年です。20歳くらいだったでしょうか、茅葺き屋根の古い民家を見つけ、そこを購入しました。その茅葺き屋根の古民家が原点となり、日本での生活が始まり、何十年いろいろな流れの中で「庵」という町家再生の仕事にたどり着いたわけです。
その長い過程で、日本の山、川、海岸、伝統芸術などが好きだったのに、どんどん自然がつまらなくなっていきました。公共工事、土木工事などでさまざまなモニュメントが増え続け、美しい日本の自然がみるみるうちになくなっていくという悲しさがありました。本当なら日本にはどこにもない美しさがあるというのに……。
それで、私は1993年に『美しき日本の残像』(新潮社)という本を出版しました。日本の素晴らしい伝統芸術について書いたのですが、その中に私が残念に思っていること、日本の自然が憂いているということも書きました。その本を書いたあと、すこし心のどこかに疑問も残っていました。経済大国に発展していくには、道路やダムを造るということがついてくるものなので、世界中の先進国はみんな同じことをしてきたのではないだろうか、と。私が経済をよく理解していないロマンチストで、ただ耽美的な理由で語ってしまったのだろうか、という疑問がずっと残っていたのです。

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それからの6~7年は、その疑問の答えを求めるための研究に費やしました。その結果が『犬と鬼』(講談社)です。2002年に出版されました。気持ちでしか分からなかったことに裏づけができ、日本はほかの先進国とは違うのだ、ということがはっきりわかりました。本を読んでいただけると詳しくわかると思います。(略)
また、日本が軽視してきたことのひとつが「観光」です。80年代まで日本にとって「観光」は本当に弱い産業でした。残念ながら日本の官僚、政治家たちは「貧しい国は観光で稼げばよい、日本はやはり生産業だ」という意識が強かったと思います。しっかりしたものをやらなきゃいけないという感覚が強かったのだと思います。しかし、90年代に入ってから、その感覚はガラリと変わり、いま「観光」は外貨稼ぎの面では世界一の産業に変わりました。IT、石油、車より大きい産業が「観光」です。それだけすごいパワーが「観光」にはあるのですが、日本はそれを軽視してきました。ある意味抑えてきたという面もあり、ほかの国より遅れをとっています。しかし、特に過疎、田舎の問題、日本の古い町を残そうという課題の最後の救いは「観光」ではないかと私は考えます。それははかりしれない大きな経済の力となるのではないでしょうか。その舞台づくりに力を尽くすことが私の仕事だと思っています。

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(スライド)

アレックス・カーさんの目線

(ここからは、アレックス・カーさんがお持ちくださった写真を見ながらお話をうかがいました。著作権の関係上、本ウェブサイト上では、画像掲載を省略いたします)

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1 「美しい日本」

●「観光立国」…日本国内の美しい景観の数々の映像
小泉元首相が初めてこの言葉を使われ、注目を浴びたと思います。 日本には信じられないくらい宝があるのです。

●「自然」…美しい自然の横にセメントで造られたダムの映像
護岸工事などを大規模で行うことが、日本では先端技術とされているのです。

●「国栄えて、山河なし」という言葉の映像
昔、杜甫は「国破れて山河あり」と書きました。日本は違うようです。そのうち、日本の国そのものが巨大な彫刻に成りかわってしまうと私は思うのです。

●工事現場の映像
カメラマン・柴田 敏夫(しばた としお)さんの写真です。工事現場ばかりを撮影しているカメラマンです。工事現場も柴田さんの目線で見るとおもしろい。前衛芸術だと思えばいいのでしょうけれど、この写真が日本の谷だと思うと、すこしさみしいですね。

●「犬馬難し 鬼魅易し(けんばかたし きみやすし)」という言葉の映像
日本の美術、芸術のことを教えてくださった私の先生・白洲 正子(しらす まさこ)さんの家の入り口にある文字です。どういう意味か尋ねたところ、「何でもないような目に見えないようなことはなかなか見つからなくてむずかしいのだけど、大袈裟な創造物だとすぐ目に飛び込んでくる。自分の身の回りにいる犬の絵はなかなか描けないけれど、鬼の絵は想像物なので、こどもでも描ける」とのことでした。この言葉を「日本」に例えて、“日本は先進国なのに、電信柱を地下につくる工夫をしていない、けれど、何千億円もかけて大ホールやモニュメントをつくっている”、“病院制度はきちんとできていないのに、わけのわからない道路ばかりをつくっている”……。それは、“犬馬難し、鬼魅易し”と同じ現象です。なので、その名前をとって本のタイトルにしました。

(中略)

●「徳島県吉野川下り」四国屈指の自然名勝のそばに不必要な道路工事の映像
こんなふうに工事をされようとしていても地元の人は誰も反対しないのです……(残念そうに)。

●「ユートピア・ソング」国土交通省制定(旧建設省)の「ユートピア・ソング」映像
山も谷もアスファルト/ランラン ランラン/ランララン ランラン/素敵なユートピア

2「景観問題」

「落ち葉が嫌われる」

「景観のテクノロジー」

「町を統一するガイドライン」

「観光名勝の修理」

「徳島県「秘境」祖谷かずら橋」

「北九州市 門司港、レトロ地区」

「成功例:内子」

「統一した環境の問題:段畑」

「文化と自然遺産」

「岐阜・飛騨高山」「広島県・鞆の浦」

「世界の日本観」

「自然風景を守る」

など。

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3「祖谷」

●祖谷の映像
祖谷は日本でいちばん深い渓谷で、「日本のグランドキャニオン」と言われています。まだまだ素晴らしい景色がここにはあります。

●「ちいおり」の映像
約300年の歴史のある家です。人間が欲しがっているのは、何でもない静けさではないでしょうか。この家は大邸宅でもなければ、文化指定でも遺産でもありません。どこにでもあったかわいい家です。中にはまだ囲炉裏が残っています。時代を経て床も柱もツヤツヤと黒光りしています。
(略)
4年前に非営利団体(NPO)「ちいおりトラスト」を作りました。いま、たくさんのボランティアスタッフが集まっています。

(略)

●「村の活性化」
まわりに何件か家を見つけて、もっと外部の人が入れるようにしたいと思っています。

(略)

4「伝統家屋と町並みの再発見」

これが5年前の出会いによって奇跡的にできた会社「庵」です。ずっと京都の町家が壊され続けていて、何とかしたいけれどできなくて……。この会社ができたことにより、今年で9軒の町家を再生しています。

●「山奥の過疎集落」の映像
私たちは京都から始めましたが、京都は町家ブームもあり、比較的元気な町ですね。それに比べて、田舎はまるで巨大な老人ホームのようです。何とかしなければ、何もかもなくなってしまいます。
現在、石川県加賀市の近くにある山の集落を直そうと始めています。(略)
いまいちばん進んでいるのは、長崎県小値賀(おじか)島。近くに野崎という無人島もあり、ここで10件くらいの家を直しています。(略)

●「温故知新」という文字
結局、原点に戻り、文化のベースにあるものを心に据えながら続けていくこと(が大事)だと思います。

5 「オリジンアート・プログラム」

これは、精神的なオリジンを外国人に教えるプログラムです。「庵」の研修道場では、「茶道」「書道」「武道」「弓道」「能」などを、体験しながら教えています。
(略)
私は、いつも伝統芸術には二極あると思っています。ひとつは、きちんとした儒教的とか道徳的というビシッとした部分、これを「大観(たいかん)」と言います。大きく観る、しっかりとした目で世間、自分を観ることです。そして、もうひとつは「逸歓(いっかん)」。逸脱した歓び、つまり、お遊びという面です。まったくの自由、そういうものがなければつまらない。両方あっての伝統芸術なのです。

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6「オリジン・バンコク」「オリジン・チェンマイ」

バンコクでも同じようなプログラムを行っています。

「オリジン・バンコク」
タイと日本は意外に似ているところがあります。両国とも植民地にならなかった、皇族をちゃんと持った、宗教がちゃんと残った、社会的な仕組みがきちんと残り、本当に素晴らしい伝統芸術がしっかりと残っています。
タイには年に1500万人近くの外国人観光客が訪れているのですが、そのほとんどの人が、タイの町をかわいい、きれいだと思う程度で、本当のタイの伝統のベースに何があるのかということを知らないまま帰っています。残念ながら触れる場がないのです。
ですから、私は、バンコクで伝統家屋を借りて、この場所を中心に活動しています。
お客さまには、まず、オリエンテーションで説明を聞いていただき、日本でいうところの袴のような、タイの服に着替えてもらいます。そして、まずタイの礼儀作法をレクチャーします。

「タイの礼儀作法」
「ワイ」という合掌のように手を合わせるあいさつがあります。これは、あいさつをする相手によって手を合わせる位置や手の合わせ方が違います。座り方も男女で違いがあります。もののいただき方、渡し方もあります。年上の人とか偉い人たちの前のお辞儀もあります。

「古典舞踊」
タイの伝統舞踊です。さまざまな手、足の持ち方などがあります。タイの人たちの体は本当に柔軟で、これはちょっと、なかなかまねできないですね……。

「タイの花」
ほとんど知られていないと思うのですが、タイには花の伝統があります。さまざまな形があるのですが、それにはいろいろな宗教的な意味があります。おもしろい伝統です。

「タイの伝統模様」
ライ・タイというタイの伝統的模様。タイには独特のデザインがあります。 (略)
基本のルールの描き方を学びます。

「武道」
必ず礼から始まります。私たちはまねできないけれど、デモンストレーションもあります。

「タイ料理(デザート)」
タイの伝統的な料理も勉強します。

「パーティーとパフォーマンス」
最後に、これはバンコクの私のアパートでやっているパーティです。それまで、何となく勉強してきたものをパーティーで披露します。

「オリジン・チェンマイ」
タイと同じようなプログラムを、チェンマイでも行っています。伝統文化というものは伝統的な環境の中でしなくてはならないと思っています。カルチャーホールでやっても、ピンと来ない。環境があってのものだと思います。ですので、私たちは、チェンマイでも古い民家で行っています。

「タイ北部の礼儀作法」
タイ北部もまた違った形の礼儀作法があります。

「音楽」
音楽も独特のものがあります。メコン川……、つまりラオス、タイ、雲南省、中国南部、ミャンマーなど、あの辺の諸民族の音楽があります。実にエレガントな音楽です。

「舞踊」
北部の踊り。神がかりになって踊るものや宮中の中でエレガントに踊るものがあります。現在はコンテンポラリーなものもあります。

「ランナーの花」
北部の独特の花の形です。

「織物の染色」
藍染もあります。

「自然素材を使った料理」
本当の自然の素材を使った料理があります。日本だと、みなさん、お米は白いものだと思っていますが、チェンマイには赤飯もあるし、黄色いものもあるし、すこし青みがかかったものもあります。いろんな米があります。そういう米を使って料理を作ります。ショウガ、ネギなど、いろんな材料を砕いて使います。

「パーティーとパフォーマンス」
チェンマイでも最後にパーティーをします。つまりパーティーをすることによって、最終的にどういう世界(伝統文化)なのかということをまとめて紹介しているのです。そうすることにより、その世界自体が見えてくるのです。

     

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
政策や制度、政治家、日本の景観に与えた影響は大きく、社会的なものがありますが、国民ひとりひとりの責任という点ではどのようにお考えですか?

アレックス・カーさん:
そうですね。さきほどの「ユートピア・ソング」(笑)、あれは、決して建設省がいけないと言うのではなく、結局は、全国民が歌い続けてきたものだと思います。そういう意味では、ヨーロッパの町がきれいに残っている理由は、政治家うんぬんのレベルではないと思うのです。現地の人々が、一生懸命ひとつずつ戦い、論議、抗議して、考えて、町を残してきたのです。
ニューヨークで暮らしている私の妹が、グリニッジ・ヴィレッジのアパートで、ひとつの窓を替えようとしたとき、どれだけ大変だったか……。本当に大変でした。みんなと相談し、さまざまな委員会の調査があり、その調査を通って、ようやく窓を替えることができました。そのくらい町の景観にこだわっているから美しい町が残っているわけです。それが、町に対する愛情だと思います。
さきほど(映像にもありましたが)も飛騨高山の人たち、祖谷のかずら橋の人たち……は、自分の住んでいる町に対して、あまり愛情がないように思えます。それが、(町の景観がこわされていく)原因だと思います。

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お客さま:
アレックス・カーさんが、自然や文化を守るために、ふだんの生活で気をつけていること、心がけていることは何ですか? また、私たちが日常の中でできることはありますか?

アレックス・カーさん:
まず、できることは、「あ、きれいだ!」「あ、嫌だ」と思うことだと思います。それに尽きます。残念ながらそれすらできていないです。嫌なものを嫌だと思っていない。ほとんどの人が、それが当たり前だと思っているのです。「嫌だ! 何でこんなことをしないといけないの?」という思いから、いろいろなことが始まり、あとは方法論、その時、その場、そのシチュエーション、例えば自分の近所に何かができそうなときに何かアクションをとるなど。そんな心の思いからすべてが始まるのだと思います。きっと、みなさんがそういう思いでいれば、変わってくると思います。

フェリシモ:
アレックス・カーさんもふだんの生活でそういうふうに感情の動きを大切にされていらっしゃいますか?

アレックス・カーさん:
自然や文化が好きであれば気になってしまうものです。一度、白洲 正子さんにも言われたことがあります。「何かを愛していれば、怒らなきゃいけない」と。憂い、怒り、その思いで仕方なく毎日、日本を旅しています。もっと、うれしく、明るく、すっきりとした気分で旅したいのですが、できなくて……。けれど、私と同じように、みなさんにも怒りとか疑問、憂い、不満……、そんな気持ちがあれば、きっと日本は守られるのではないかと思います。とても申し訳ないことですが、みなさんにはもっともっと不幸になって、つらい思いになっていただきたいです。そして考えてほしいです。

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お客さま:
永きにわたり、日本人をご覧になられたお立場から、日本は、我々の持つ部分の何を温存し、何をあきらめていかなければならないとお考えでしょうか? また日本の最も大切にしていかなければならない部分は、何だと思われるでしょうか?

アレックス・カーさん:
私にはいつも「原点に戻らなきゃいけない」「本物に戻る」という気持ちがあります。山の美しさ、古い町の美しさのベーシックなことに集中したいと考えています。新しい町をつくることにしても新しい道路をつくることにしても、政治家が欲しいからじゃなくて本当に新しい町、新しい道路がないといけないのかということを考える……。つまりベース、原点に戻ること。
残念ながら、いまは、さまざまな仕組みがそういうことから離れてしまっているようです。

お客さま:
本当に美しい日本を誇れるために、これから私たちひとりひとりができることはありますか?

アレックス・カーさん:
別に大きな運動をする必要はないと思うのです。さきほど申し上げたように、まず、“心”から始めること。そして、次のステップとしては、つまらなくなった中途半端な観光地には行かないこと。自分たちで勉強して、どこが本当にきれいで、どこの人たちが本当に自分たちの文化を大事にしているかを調べていけばいいと思います。そういう見分ける力を身につけてほしいと思います。
ひとりひとりがしっかり考えて分別し、支援してほしい。大きな支援でなくてもよいのです。旅行するときに、少し遊びに行ったり、食べに行く……という感じでよいのですよ。

お客さま:
いまの活動のきっかけを教えてください。

アレックス・カーさん:
何か活動をしようという思いはなかったのです。さきほどのスライドを見ていただいておわかりいただけたと思うですが、結局、好きなんですね。好きで好きで……、だから自分で勉強したいのです。「オリジン・プログラム」も参加者のみなさんのためであると同時に、私にとっても勉強なのです。例えば、さきほどのお茶の先生のそばに座って、先生の説明を聞いていると、ずいぶんと人生勉強になります。それが本当に楽しいのです。
あと、私の仕事は文章を書くことだと思っています。運動家ではないのです(笑)。このような演壇で話すような人ではないのですよ……、何となくこうなってしまったのですが(笑)、本当は、文章が書きたいのです。
ただ、90年代はじめに、川瀬 敏郎(かわせ としろう)さんという花の名人にこんなことを言われました。「アレックスは、文章ではいいことは書いている。けれども、実践しなくちゃ!形にして見せてください。そうしなくちゃ、いつまでも弱いんだよ」と。それがずっと心の中に残っていて、奇跡的な5年前の「庵」との出会いで、やりたいと思っていたことが実現できました。

お客さま:
お話の中に白洲 正子さんのことが出てきましたが、彼女と出会ったきっかけや印象を聞かせてください。

アレックス・カーさん:
そのきっかけも川瀬 敏郎さんでした。白州さんとは何回か会ったのち、1993年か94年の「芸術新潮」で対談もしました。厳しい方でしたよ。ズバッと言う方でしたから怖かったです。「アレックスはアートコレクションをしているけれど、ガラクタが多すぎる(笑)。減らしなさい。少しでもいいから、いいモノに絞ってコレクションしなさい」と言われたことがあって、ショックでした(笑)。白洲さんは、何においても、真髄をきちんとつかんでいる方です。幹の部分をきちんと見ている人ですね。彼女の本は何回読んでも、いつもパワーをもらえます。尊敬しています。

お客さま:
田舎の限界を見られていると思いますが、日本の人口が減っていく中で確実に消滅してしまう集落もあると思うのです。それをなぜ残していくべきだと思われるのか、お聞かせください。

アレックス・カーさん:
“日本の宝”だからですよ。

フェリシモ:
最後に、みなさんを代表して神戸学校からの質問です。アレックス・カーさんにとって日本の宝物とは何でしょうか?

アレックス・カーさん:
どの国でも、究極は、その国に住んでいる人間だと思います。それは、あまりにも当たり前の答えですが……。日本としては、宝物だけどいかしていない、十分に認めていない“日本の大自然”です。千何百年とか二千年もの間に築き上げた景観、風土、町ですね。私たちは民家再生を始めましたが、海外では100年200年経つ田舎の家は、いまは高くて手が出せないくらい価値のあるものとされています。日本は、それをほとんど価値ゼロとして扱っています。ただに近い価格で買えるわけですね。あれだけの宝の上に座っているのに誰も認めない、気づかない……という不思議な現象が起こっているのがいまの日本です。日本はもっともっとすごいものがあるということを思い出してもらいたいですね。

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Profile

Alex kerr(アレックス・カー)さん<東洋美術研究家>

Alex kerr(アレックス・カー)さん<東洋美術研究家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1952年アメリカ、メリーランド州生まれ。日本には1964年に初来日。エール大学およびオックスフォード大学で日本学と中国学を専攻。
1973年に徳島県東祖谷山村で茅葺き屋根の民家(屋号=ちいおり)を購入し、その後屋根の吹き替えを完成させ田舎の復活活動に取り組んできた。
1977年から京都府亀岡市に在住し、京都を初め日本各地で文化講演、執筆活動などを続ける。1984年から1993年まで、アメリカの不動産開発会社トラメル・クロー社の日本代表を務める。
1993年、著書『美しき日本の残像』(新潮社刊)が外国人初の新潮学芸賞を受賞。
また、2001年には『犬と鬼』(講談社刊)を執筆し、日本が抱える「文化の病」を取り上げ注目を浴びる。1997年からタイ(バンコク)に第二の拠点を構え、京都とバンコクを往来しながら文化活動を続ける。
2003年12月4日、「美しい日本を次の世代に」を使命として、京都に株式会社庵を設立、取締役会長に就任。京町家の保存を目的に京町家スティと日本の伝統文化体験研修事業を発足するとともに。全国で地域観光振興コンサルティング事業も展開する。2005年、京都とバンコクで「ORIGIN」(オリジン)プログラムを設立。ORIGINは伝統芸術の紹介・研修を主にプロデュースし、京都では茶道・書道・武道・能楽を中心に開催。

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