神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 木村 宗慎さん(茶道家・コーディネイター)
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「数寄・好きsukizuki の硲(はざま) ~茶はいったい何を“たてる”のか」



<第1部>

なんで自分がお茶をやったのか、
実はよくわかりません。
気がついたらやろうと思っていたんです。

私は、お茶の家に生まれた者ではありません。とかく、伝統文化、、「茶道」とか「華道」なども伝統文化稼業の場合は、代々のお家柄に生まれ育った方が担ってらっしゃることが多いようです。ですが私の実家は愛媛の宇和島という町にある米屋・酒屋です。
なんの因果か今日このように着物を着て、もっともらしいことをお高い処からしゃべっている訳です。
そもそもお茶とのご縁が何だったのか、というお話を、まずさせて下さい。私、先ほどからもお話してますように、しがない田舎の米屋の子せがれですから、別に生活の中にお茶があったとか、そういった事は全くありません。むしろ、お茶に理解のある家族や親戚はほとんどいなくて、ただ、単純におじいちゃん子でした。じいさまと一緒にテレビの時代劇を見たり、昔話を聞いて喜んでは……、と可愛がってもらうのと同時に、家の近くでオモチャの刀をふるうチャンバラゴッコが大好きな遊びでした。そのうち、鎧とか兜、刀とか昔の古いものに興味が湧いてきたんです。
四国の宇和島っていうところは仙台の伊達政宗の分家です。お殿さまが伊達家でいらっしゃるんですけれど、伊達のお殿さまの美術館と庭園やお城が、実家の近くにあって、そこいらでチャンバラをして遊ぶ傍ら、お絵かきも好きで、よく美術館の中に入り込んでは、鎧や兜をスケッチしていたんです。やがて、鎧兜や刀以外の古いものにも興味が広がって、茶道具、お茶の美術というようなものとの出会いがありました。兜とか、大きな鉢とか立派な絵皿とか壷とかは、こども心に見ても「高そうなもんやなあ、大事なお宝に違いない」とすぐにわかるんですけど、茶道具は実にわかりにくいんです。お茶を入れる器・小さな茶入れが鎧や兜よりも大事なお宝だ、と大人から教わるんですね。不思議なんです、「どういうことなんだろう」って。それで勉強するともっと興味がわいてきて、こどもながらにこまっしゃくれて骨董品なんかをいじくっていると、まわりの大人で骨董やお茶が好きな人たちが随分かわいがってくれる。余計調子に乗ってやっていく……。と、そのうち、学校へ行き始めるんですけど至って不真面目な子供で、高校生くらいの時でしょうか、自分の嫌いなことを生業にしたくないなと思っているときに、頑張れば「男子一生の仕事」としてやっていけるんじゃないか、と思えるきっかけがあり、目指して今日に至る……。と、以上のようなお話を雑誌の取材や、講演の席に座ると、だいたい何時もお茶と自分とのなれそめ、きっかけとして申し上げるようにしてるんですけど……。

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ここまでしゃべっておいて、オチをつけるのもどうかと思いますが、いま言ったお話、嘘とは言いませんが、実は後づけの理由です。半ばハッタリのようなものです、本当に。中学生くらいのころから、本はよく読んでました。本棚には、参考書の数は実に少なくて、美術書や茶道書、歴史書ばかり並んでました。あるとき、道を歩いている時にお茶道具屋さんの前を通ったら、「お茶の先生紹介します」みたいな看板が目に入って、ふと…「頼もう」といった風情で暖簾をくぐり、「先生紹介してください」って……。いま考えたら怖いことをしたなと思うんですけど、それが稽古始めのきっかけでした。
正直言うと、なんで自分がお茶をやったのか、実はよくわかりません。気がついた時には「やろう!」と思ってたんです。本質的に突き詰めたときになぜそれをやってるのか、果たしてきちんと語れる人がいるのか?……、という気もします。むしろはっきり言えないくらい何かに引きつけられるようにして始めるところに、モノや、コトとのご縁があるのではないかなと思っています。
でも、これだけははっきり申し上げられます。私自身は「お茶」、もしくは「数寄の道」、そういった言葉でくくられる世界観や文化を、切実に自分のものにしたいと願ってますし、身を切るような愛情を持っているつもりです。今日は、私なりのごく私的な「お茶」とは何なのかをお話したいと思っております。

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「茶の湯」や「数寄の道」の文化や人の
ありように心ひかれる

よく「お茶」ってひとことで言いますけれど、「茶道」という言葉がありますよね。この「茶道」という言葉、いつごろできたと思いますか? ちなみにお茶の文化自体は、だいたい500年くらい前からなんとなく形になってきましたと。「茶道」という言葉自体は出来て、実はまだ、たかだか100年そこそこです。この「茶道」という言葉は、近代以降のものと考えて良いでしょう。江戸時代には無いのです。それ以前になんて言っていたかというと、千利休さんのころには「数寄の道」とか「茶の湯」なんて言ったわけです。よくこれ同義語で使われます。

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先に結論を言ってしまうのもどうかと思いますし……。ご紹介いただいた肩書きにも「茶道家」となっていた人間がこんなことを言うのもどうかと思いますが、基本的に私は「茶道」と呼ばれるものは大嫌いです。なくなればいいのに、くらいに思っています。ある種、弊害になっています。ですが、「お茶」っていう文化の本質的なもの、例えば「数寄の道」や「茶の湯」と言われるものが指し示す、文化や人の有り様といったようなものに対しては心ひかれていますし、大好きです。が、それら本質的な「お茶」の文化と、現在単に「茶道」と称されるものは、別モノになっていると感じているからです。
そうなると、実際、「お茶」というものが生まれてきたときに何だったのかっていう話がとても大事になってくるわけです。

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「お茶」の誕生と
「茶の湯」文化の発生

元来「お茶」というのは、昔、薬として入ってきました。古くは、聖武天皇に献じられたとか、延暦寺の山麓で最澄が植えて育てたとか、いろいろな話があるんですけれど、だいたい鎌倉時代くらいに本格的に日本にもたらされて、最初に「喫茶養生記」を栄西というお坊さんが書いて将軍源実朝に献上して、京都で植えて茶の栽培が始まったというのが一般的な歴史です。もともと飲み物として入ってきたのです。当時、嗜好品の最たるものと言えるでしょう。飲み物、薬として入ってきたお茶は、京都を中心に武家や公家たちに愛飲されるようになり、やがて単なる飲み物ではなく、それを飲む行為自体、そして飲むために使われる道具類や場所、様々な付帯状況に気を配って、より高度な文化的なものに昇華され「茶の湯」という文化が発生するわけです。
例えば、室町時代には、部屋を設えて、そこで中国渡来のいろんなお道具をありがたがりながら、どこの水だの、どこのお茶だのって当てっこするように飲み物として楽しみながら、道具=グッズにも凝り、空間自体も楽しみました。

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やがてどこかで、この飲み物としての役割、目的は抜けおちていきます。どうでもよくなるんですね。なぜこんなことが言えるかというと、お抹茶という飲み方は、碾茶(てんちゃ)というお茶を粉末にしたものをお湯で溶いて飲む方法です。この飲み方は、中国では早くに廃れた、とっても古いスタイルの飲茶方法です。お茶の飲み方が日本に伝わったとき、たまたま抹茶のスタイルで伝わったんですね。その間、中国ではどんどんお茶の飲み方は進化していくのですけれど、日本人は、最初に渡来してきた抹茶のままで楽しんでる、ということです。だから例えば、千利休が生きていた天正年間、1500年代、すでにとっくに中国では飲まれてはいない、だいぶ昔そんなお茶があったねというお茶のスタイルなんですが、日本人は後生大事にそれを続けていたわけです。
どういうことかというと、「茶の湯」をする、つまり自分の心入れの場所、そして物や場面を整えてお茶を飲むという行為自体が重要になっていったので、飲んでるものがどうか、何なのか、などということはどうでもよくなったわけです。もっと言うと、飲み物としての進化を捨てた、否定することでそれにまつわる状況の方を進化させる道を日本人は選んだと言ってもいいかも知れません。
飲み物としてのおいしさとか種類とか、ではなくお茶を飲む、人にお茶を差し上げる、お茶を楽しむという行為に進化の方向性を特化するところで「茶の湯」という文化は育まれ、かつ成長していったわけです。

(スライド)
「茶椀と茶室」「茶の湯空間」「露地、石畳」など

お茶のグラフィックをイメージしていただいたところで本題に入っていきたいと思います。

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もてなすための行為を楽しむ「数寄の道」
お茶を飲んで楽しむ「茶の湯」

お茶を飲むという行為を楽しむ、そしてよりアーティフィシャルなものに、文化として高めていくものとして生まれた「数寄」、数を寄せると書きます。この「数寄」という言葉の意味ですが、本来「取るに足らない物を集めてきて楽しむ」といったところから生まれた言葉です。それには、明らかに「好き」に通じるものがあるんです。人をおもてなしする、お茶を飲むという行為を、より高めようとしたときに、どこに主眼を置くか、どこに楽しみ方のポイントを求めたかというと「物」と「場所」なんですね。そこに収斂されていきました。

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どういうことかというと、お茶を飲むときに使うもの茶道具類、それと飲む場所、そこに趣向を凝らす、そして自分なりに研究し、吟味した物を集め、場所を選んで、場所を作って人をもてなすことというのが、「数寄の道」になっていったわけです。その飲むもの、お茶を淹れて楽しむわけですから、単純に気楽にちょっと楽しむでもいいんですけれども、お茶を飲んで楽しむものというのが「茶の湯」という言葉です。だから「茶の湯」と「数寄」というのは実は非常に近い、二アリーイコールです。
けれども、近代以降に生まれた「茶道」という言葉、これは「数寄」というものとはまったく別の概念になっています。なぜかというと、お茶を飲むときに物と場所を工夫して作るわけです。かつてのお茶人さん、茶の湯者と言われた人々が何をしたかっていうと、自分なりにこれこそが美しいと、これが自分の手に入る最高の物だっていうモノを必死になって集めて用意して設える、そして場所も設える、そして人を招き入れて一緒に楽しんだんです。実はこのころは、何をやってもいい、いろいろな形がありました。どうするか?が問題だったのです。だから千利休、せいぜい古田織部、遠州と呼ばれるような江戸時代初期くらいまでの茶人は、とっても自由にいろんなことをするんです。自分なりにデザインして茶室をこしらえたり、物を作ったり、ありとあらゆることに手を染めました。

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茶道教室は自動車教習所
「型」を身につけ、「型」を超える?!

そのようなお茶が成立したときの自由なありようというものに対して、いまの「茶道」とはどうなっているかというと……。「お茶やってます」なんていうと、まず聞かれるのは何かっていうと、「何流ですか?」、「どんな先生についてますか?」というのが先。おかしいですよね。本来なら「あなた、どんな茶碗が好きですか?」、「どんな茶室がお好きですか?」という話になればいいんですけど、そうじゃないんです。
まず「茶道」と言ったとき、我々がステレオタイプ的に頭に思い浮かべるものというのは、そこで習うお点前やルールとか……。一般的なイメージでいくと、すごいお茶席に通されて着物を着た怖い女性の方がたくさんいて、もっと怖いおじさんがいて、正座を強要され足はしびれ、モノもしゃべっちゃいけなくて、飲み方を間違えると叱られそうで、そして茶碗は必ず回して飲まなきゃいけない……(笑)。まあ、実際回します。そして怖いおばさん、おじさんがいないかというと、本当にいます。でも、それがもっとも大事なことではないわけです。
最初に自分がなにが好きかっていうのを設えて遊ぶ、楽しむことを訓練するために、当然そこには「型」というのが生まれてきます。俗に言うマニュアルです。私は「お茶の教室とはどういうものですか?」と尋ねられたら必ずこう答えるようにしています。「茶道教室というのは自動車教習所です。私がふだんあなたたちに接しているお仕事というのは、最初のうちは自動車教習所の教官としてです」と。こう例えるとわかりやすいんです。みなさん、道を歩いてて免許出したり、車の話になったとき、「自動車教習所どこでしたか?」なんて聞かれないですね。「車乗ってます」「車好きです」「ドライブ好きです」って言ったら「どんな車が好きなの?」「好きなレーサー誰?」とか「欲しい車は?」「どこにドライブに行きたい?」とは聞かれますが「自動車教習所はどこでした?」とは聞かれないわけです。なんで、自動車教習所という例え方をしたかって言うと、お茶という文化があるとしたらそれを楽しんでもらうためには、当然ある程度、身につけて使いこなせるようにはなっていただかなければいけない、つまり、どういう物を選べば、何を身につければお茶というものが楽しめるのかという一番基礎的なことは、当然身につけていただかなければいけないんですね。車の運転の仕方が分からなければ自動車乗れませんよね。車という道具自体、ツールが使いこなせてないわけですから動かすこともできないでしょう。少なくとも車というものが動かせるようになり、一般車道を走っても「あなた大丈夫」っていうところまでいけば、その先にはいろいろな楽しみ方が広がっているはずなんですね。

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よく言われるんですけど、「木村さんのお仕事はお茶の先生ですよね?」って。「教室で生徒さんにお茶を教えるよりも、ほかに大事なお仕事はないでしょう」なんて言う方があるんですが、こう言うようにしてます。「もちろんそれも大事ですし、大切にしたいとはと思っていますけれど、私のいちばんの仕事は、お茶をすること、茶人であることです」と。自動車教習所の教官をすることが本業ではないわけです。当然スポンサー集めて自動車開発のメカニックと一緒にF1レースに参戦するというのが、私のいちばん大事な仕事であり、そこがもっとも目標としていることころです。そのF1レースを走るということを通じて、派生してくるもの、気がついたことから、自動車教習所でいろいろな方に伝えていくことはあるかなと思っています。
自動車教習所の例えで少しご理解いただけたかと思うんですけれど、このマニュアルを勉強するということは、その先に自分なりのカーライフ、自分なりの楽しみ方っていうのがあるから大事になってくるわけですね。
ところが、現状はだいぶ違うんです。お茶を習い始めると、みんなどこを目指すかというと自動車教習所の教官になることが目標になっちゃうんです。お茶を楽しむこと、お茶を飲むこと、お茶を飲むことを喜びとすること、なにかそれをもって人と交わることを喜びとするのではなく、自分が所属した自動車教習所の中で教官になっていく、そして教官としての席次を上げていくことが目標になっている……。それが、お茶だとなっている……。それが弊害のひとつなのではないかなと思ったりもするわけです。
けれども、「型」、マニュアルというものを否定したいわけではないんです。どんな人でも型=マニュアルを学ぶことで、せいぜい何とか70点くらいはとれる。「型」があることで、お茶のありようというものはこういうもの、というベースを身につけることができるんです。

(中略)

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ですので、「型」があるということは、多くの人にとってとてもしあわせなことです。でも、お茶を始めるみなさんには、お稽古などというものだけで終わってほしくない。「茶道」というものは「稽古」と常に隣り合わせです。マニュアルの勉強をするためのリハーサルを常に繰り返しているわけです。真剣勝負ではないわけですね。とにかく「型」を反復練習する。だから公道にでずに、サーキットの中で練習しましょうというのがお稽古です。反復練習で「型」をとらえていくわけです。けれども、「型」を身につけるという作業は、とても大事です。「型」に向かうということは、「型」の習熟度を訓練することが目的ではなく、「型」にはまろう、はまりたいっていう作業を通して、はまり切れない自分を発見する作業ではないのかと思います。実は元来「茶の湯」が、伝えようとする「型」のもっとも必要なところとは、そのようなことです。

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お華、香、能などのいいところを
寄せ集めてできた文化、それが「お茶」

実は、お茶という文化は、室町時代後期に生まれてきた日本独自の文化としては非常に後発です。いちばん最後にできたものなんですね。華、香とかの方が随分古いんです。室町時代に生まれてきた日本文化すべての、最後に受け皿として生まれたのが「お茶」、「いい加減が良い加減」で、良いとこどりをして生まれたのが「お茶」という文化です。だから数を寄せると書いて「数寄」なんですね。いろいろなものの影響を受けているのですが、さきほどの「型」でいくと、「所作」は「能」の影響を実に受けています。
影響を受けているとはいえ、「お茶」「茶の湯」という文化が華や香や能や狂言といった、日本人が完成させてきた日本独自の美意識というものと、大きく異なる部分もあります。何かと言いますと、「茶の湯」という文化には必ず相手があるということです。主と客、立場が真逆の人間です。もてなす側ともてなされる側、ホストとゲストがいないといけないんです。

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華、香、能などは、神仏さまに奉るところから始まったものばかり。最終的にはその先に人など見ていないんです。もっと言うと、「人でなし」でなきゃいけない。乱暴なことを言うようですが……。
ところが「お茶」はそうはいかないんです。なぜかと言うと、もともと「お茶」を飲む、「お茶」を楽しむことから始まってますから、一緒に「お茶」を飲み、楽しむという行為を軸に、それだけをよすがに引っ張ってきた文化であるがゆえに、たててくれる人と飲む人がいるんですよ。お茶会はひとりではできないんです。ひとりでできたらもっと楽なのにと思う時もあったりしますが……。茶の湯の文化が本来志向してきた「美しさ」は、表面的には物や場所といった目に見える状況にとらわれがちなんですけど、最終的にはそれら目に見えるモノやコトが全て抜けおちて目に見えないその場に漂っているもの、言葉でも言いがたい、口に出したらすべてが嘘になる、言葉でも尽くしがたいような時間・空間に漂うもの、漂うものとしか言いようがないんです。「漂う」ものをかもし出すために、「お茶」というものは、皆がぶつかって突っ込んでがんばってやってきたわけなんです。それをかもし出すためにはひとりではなくて、相手がいるんです。「お茶」というのは空間と物に縛られる、その制約を受けることで、目に見えない何かをしつらえ、漂わせ、現すのです。

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「稽古は強かれ。常識はなかれ」
身の丈すべてを投げる稽古の中で
自己を見つけ出す

「能」のいちばん有名な世阿弥さんが言った私の大好きなフレーズがあります。
「稽古は強かれ。常識はなかれ」
遮二無二ひたすらに稽古しなさい、言われたとおりに勉強しなさい、と。他所ではこうやってるとか、世間ではこう言ってますとか、別の先生はこんなふうにおっしゃってますけど、みたいなものはいらんというんです。とにかく、いま目の前のある、やんなきゃいけないことを死ぬ気でやりなさい、と。要は、この「強き稽古」、単なる強弱、ただ厳しいっていうことではありません。身の丈すべてを投げるかのような稽古の中で磨かれていくもの。そしてその中で自己、自分というものを見つけ出さなければ意味がないということです。向き合えばいいんです!「稽古は強かれ、常識はなかれ」という作業の果てに見えてくるものは必ずあります。それを発見するために我々は稽古していかなければならないし、「お茶」とも向き合っていかなきゃいけないんですよ。
(中略)
「型」にはまる時期を、むかつきもってでも10年続ければ、なにがしかのものは見えてきます。その果てには「型」を基本にしてなんでもやったらいいんだ、型にしばられているようでも、もとい型があったからこそ自分は自由だと思える瞬間が訪れます。
「型」をベースに置くことで、自分はなんでもできるというふうに思えるようになることが大事なことなんです。

(スライド)
Wa-Qu
フランクフルト茶会
世界お茶祭り2007
カフェ用立礼テーブル
茶碗と茶室

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ビニールハウスの茶室
自由さの中に「ティーイズム」が存在

ミラノサローネの茶室もフランクフルトの茶室もカフェも、燕庵の空間には絶対に負けています。いまだこの400、500年の蓄積に勝てるほどの方便、もしくは美しい空間、いまあるべき「茶の湯」の姿はこうだ、という「茶の湯の美しさ」表現しきれている人間はいないと思います。ひょっとするとそれはもう無理なのかもしれません。しかしながら、それをなんとか凌ぎたい、自分なりの言葉、感性で仕掛けていきたいという思いはあるわけです。
隈 研吾さんが作ってくださった「茶室」、ビニールハウスの中のようだったんですけれど、あの無機質な空間は、無機質であるがゆえに実は古典的な茶室のような効果を果たしていたんです。入ってしまうと景色が本当にフラット。無機質な空間であるがゆえに、飾られた花、道具類、そこに佇む人の姿というのがイキイキと美しくみてとれました。お点前しているとき、感じられた印象というのは茶室の障子越しの明かりに全身が包まれているかのようなものだったんです。だから、十分茶室でした。
なぜならあの中でお茶がたてられるからです。「実」があるのです。客と亭主という、まったく真逆の立場の人間がひざを交えて、お茶を通して何が美しいのかっていうことをともに語り合える空間であるがゆえに、見た目、素材は奇抜でも茶室だと言えると思いました。

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お茶というのはティーセレモニーではなく、ティーイズムであり、やはり「cha-no-yu」と言っていいんだと思います。セレモニーや「型」を通して、そこに潜むもの、そこから漂ってくるもの、はたまた、しつらい自体からも漂ってくるもの、実際そこに置いてあるものでないもの、それらすべてがはらみ、そこで放っている目に見えない漂わせているものをお互い取り交わすということが「お茶」なのではないでしょうか。ですから、茶室の中で我々が「たて」ようとしているものは、単にお茶ではないんです。最初に言いました。飲み物としての歴史や飲み物としての可能性なんていうのは捨てたんです。お茶をたてていることが大事なのではない、花をたてていることが大事なのでもない、それらすべてをたてることを通して、もっと言うと、たてて、なお、たて尽くせないという絶望感と戦いながら、立ち上がっている、その「人」自体を見ているんです。そして、もっと言うとそこで客として呼ばれていくことも、そのたてることの一部として同じく立ち上がっていっているわけです。ですから「茶の湯」というものは、ぎりぎりの絶望感の中で見つけ出した自分というものと向き合いながら、逃げずにひとつひとつ積み上げて立ち上げていく。それは自分であり相手を立て、同じく自分を立てられ、そしてなんとも形容しがたいものをお互いが立ち上げていく。そのためにみなさんにもぜひ「お茶」に触れていただきたいなと思っております。

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<第2部>

フェリシモ:
あちらにいけていただいたお花についてうかがってもよろしいですか?

木村 宗慎さん:
花のしつらいを通してお話したいことがあるので用意をさせていただきました。どちらもこれ、竹の一重切りと呼ばれる花入れです。竹を切って窓を開けてそこに花をいけています。左側の花入れが古いもので、だいたい300年ほど前の大徳寺の有名なお坊さまが名をつけている竹の一重切りです。右側の青竹の花入れは、大きさをなんとなく合わせて、昨日竹屋さんに行って自分で切ってきました。
これは、千利休が始めたと言われています。竹に穴を開けて、それを壁にかけて花をいける、この花入れを向こうがけにする。これは、利休が始めたと言われています。それ以降、みんなマネしてやるわけですよ。ということは、お茶のしつらいの世界でユニバーサルデザインに昇華した利休さんによるコミュニケーションデザインです。それまで壁を真ん中に釘をかけて、ようは壁自体を空間としてとらえて、そのど真ん中に釘を打って、その釘に花をかけるなんてことは行われてなかったんですね。元来は有名な中国渡来のいい掛け軸をいっぱいぶら下げて、まわりに香炉を置いたり花入れをたくさん飾ったりする……。それはそれで立派でフォーマルではあるけれど、「単純に美しい、かっこいいんだったら、これいいんじゃないの」って利休さんは壁に釘を打ったんですね。そうなると、利休さんのクリエイティビティというのは、それまで考えられなかったこと、つまり壁に掛け軸すらなくして、花ひとつ、自然の造形で、天与の形の花を選ぶんですよ。ただし、花一輪選ぶ作業には人間の作為が入るわけです。何気なく自然に入っているようでいて、これ全然自然でないわけです。

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右側は秋海棠(シュウカイドウ)、左側はジョロウホトトギスに白鷺草(シラサギソウ)ですが、葉っぱはちぎるわ、茎は曲げるわ、枝は落とすわっていうふうに、結構えげつない作業を繰り返して入れているわけです。自然に何気なく見せてます。花を入れて、花入れを床の壁にかけてはどうかという、この行為自体をデザインしたということが利休さんの創意なんです。その精神性というのを抜きにして、いまでは誰もが、私だってパクッてやっているわけですけれども。それを勉強して、こういう行為自体に感動することにはなっていないのです。いま我々「お茶」の世界の人間、何を見てるかっていうと、やれ、「古い竹の花入れの景色がいい」とか「数が少なくて珍しいもので……」とか言ってそういった部分をありがたがるわけですよ。
300年経ったら右側の青い花入れが左側のくらい茶色くなってるって話なんですけど。そしたら、300年経ったことに負けてしまってですね、「ああ、いい時代の古色がついた竹ですね」とかやってるわけですよ。いいんです、大事ですよ、お勉強もね。でも、そこで止まっちゃダメなのです。
なんで、床の間の壁に釘まで打って、花入れ1個かけたんだろう? と思いいたさないとダメなのです。
その日の自然を象徴し、ひとつで表現しきる美しき花というのは、壁ごと取り込んで花入れにしてしまう作為・デザインは、何百年残されてきたブランドの権威に対抗するだけのパワーがあると利休さんは信じたし、その利休さんのパワーに、果たして打ちのめされて、今おいて我々は真似し、やり続けてる。
この花の表現方法に関しては次の可能性はないとこまで行ってます。とある花人、一人の例外を除いて。デザインとか美しさの発見というのは、このくらい狂気なんですよ。ぶったぎります。壁に花をいけることにおいて、これ以上の鮮やかなそれでいてシンプルな美しさなんていう可能性はもう用意されてないでしょう。現状、普通の我々には。 しかしながら、次の可能性はないなと思いながら学ぶこと、それを自分の中で身につけてアレンジして、ひとつひとつ踏まえていくことというのは、どこか別の場所で我ながらの美しさを発見するひとつの方法論です。(略)
物と向き合う上では、我ながらの美しさを発見することこそ、何よりの喜びにもなると思います。ですから横の花入れが古い、なんか尤もらしく、それらしく見えるということに怯えないでください。そして、古いとか、珍しいとかいった権威にすごいな、すごいなと全面降伏思しない目線をどこかで持っていただきたいということです。畏れ、敬うことは必要なことですけれども、負けてしまってはいけないということでしょうか。

フェリシモ:
では、実践所作美人と題して、実際に美しい所作についてご指導いただく時間にしたいと思います。その前にスライドを見ていただきましょう。

(スライド)

所作
挨拶など

というようなところで「所作」があるわけですけれども、あいさつと姿勢、手つきは大切にしていただきたいと思います。姿勢と指先の「所作」というのは、本当に訓練しなければ美しくなりません。その証拠に背筋をまっすぐに伸ばすと言っても、実はまっすぐじゃないんです。背筋をまっすぐ伸ばすということは、弓なりに結構不自然なぐらいまで力を加えた姿勢、それが自分にとってあたかも普通の姿勢であるところまでもっていくから美しくなるわけです。そんなことを訓練しながら、最終的にはお茶とお菓子が何気なく「おいしい」というふうになっていただくというのが稽古の目的です。
では、前の舞台でアシスタントがお点前をさせていただきますから、我と思わん方は、お茶とお菓子を体験していただくのはいかがでしょうか? どうぞお手を挙げてください。

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フェリシモ:
中学生のお客さま、3名さま、前の方にどうぞ。

(デモンストレーション)

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お客さまとのQ&A

お客さま:
「絶望感の中で立ちあがってゆくことに茶の本質がある」という先生の言葉に勇気をいただきました。先生ご自身、幾多の困難や絶望感にぶつかってこられたと思いますが、そんなときに先生を立ち上がらせてくれたものは何だったのでしょうか?

木村 宗慎さん:
いろいろなことに絶望しても、結局それってどうしようもなさっていうものがあるんですね。嫌いになろうとして嫌いになれないもの、そして諦めようとして諦められないものが何かって見えてくるので、それが見えたときに、それを許すことですかね。「しょうがないな」って。絶望するっていうのは、欲があるんですよね、欲が失敗してうまくいかなくて、でも最後にそれでも残る、捨て切れないものがきっと残る……。それを発見できるのは、他人ではなく自分だっていうことですかね。それが見つかればいいんではないでしょうか?

フェリシモ:
それでは、みなさんを代表して神戸学校から質問させていただきます。木村さんがお考えになる「日本の宝物」とはなんですか?

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木村 宗慎さん:
いま、答えを急ぐような風潮が世の中にあると思います。すぐ何かが手に入らなければ気に入らない。思ったとおりにならなければ満足できない、そして目に見えた形にならなければ、結果が伴わなければ、そして成果があがらなかれば…… と。タイトな時間の中で、結果を追い求め、形を求めるという風潮があると思うんですけど。ひとことで言うなら、目に見えない、そして推し量るしかない、形のないものを愛するということではなくて 畏れるという気持ちをいま一度呼び醒ましていただきたいなと思います。かつての日本人は、目に見えない、言葉に出したら壊れる、形になどしようのないものっていうことを大事にして、それを守り、伝え、残すために、ありとあらゆる手段と応報論を講じてきたのだと思いますから、そういった目に見えないものを畏れ、敬い、そして最後に愛するっていうことを大事にしていただきたいなと思います。

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神戸学校の舞台裏 2008年9月

神戸学校では、今回ステージ上に茶室をしつらえ、お客さまにお茶を召し上がっていただきながら、所作指導をいただく時間を設けました。

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3畳の茶室は、畳と、フレームを組み合わせた斬新なつくり。道具をセッティングなさるのも、ひとつひとつていねいに、時には、書生の方が置かれたものの角度を正しくするように注意なさるなど、慎重な場づくりが開演直前まで行われました。
ところで、写真の釜は実は30年前にメーカーの象印さんが、開発をされたもの。外側はさる有名な作家の作品ですが、中はお湯が入っています。「時代が早すぎて当時は売れなかったそうですが、今売り出されたらきっと、売れるでしょうね」とのこと。
道具にもいろいろなものがあるのだなと思いました。



Profile

木村 宗慎(きむら そうしん)さん<茶道家・コーディネイター>

木村 宗慎(きむら そうしん)さん
<茶道家・コーディネイター>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
本名 慎太郎。1976年 愛媛県宇和島市出身 神戸大学卒業。裏千家茶道を学び、1997年に「芳心会」を設立。京都・東京で次世代の茶人を育成する傍ら、「茶の湯」をテーマとした雑誌、テレビ番組、コマーシャル撮影のコーディネイトを手がける。イタリア・ミラノサローネやドイツ・フランクフルト・デザイン美術館などでも茶室デザインや茶会の監修などを行っている。CMの世界ではJR東海「そうだ 京都、行こう。」(1998年)の茶室編に協力、同CMに出演。キリン 生茶CM魯山人シリーズ(2007年) 所作指導・監修。昨年、初の著書『所作美人-きれいと言わせる身のこなしかた-』(サンマーク出版)を上梓。雑誌『Pen』茶の湯デザイン特集の総監修をはじめ、『芸術新潮』茶の湯特集の執筆などが話題を呼んだ。

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