神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「ケータイ写真が切り結ぶミライ~感動は、いつもあなたのかたわらに」



<第1部>

映像作家・塚本さんが独自の
センスとテクニックで携帯写真家に。
そのきっかけは……

今日は「ケータイ写真が切り結ぶミライ」ということで、こんなに大仰なタイトルが携帯写真であてはまるのかなと思われる方も多いと思うのですけれども、携帯だからこそ、できることがあると思うのです。みなさんお手持ちの携帯電話で実はこんな写真が撮れるのです。1枚1枚のケータイ写真が未来を繋いでいく、そのようなことができるのではないかと……。それが、今まで既存の写真文化がやってきたことを突き抜けてブレイクスルーになるようなものになっていって、ひいては、それが人々の感動に繋がっていく、人と人とが繋がるひとつのツールになるのではないかなといったように思うようになりました。
まず、はじめに、携帯写真を始めたキッカケをお話します。僕の生業は映像制作です。40歳を過ぎたあたりから自分の職業に不安を感じ始めたのですよ。順風満帆にやっていたとしても、いつか枯れてゆくときがあって……。そうじゃない人もいると思うのですけれど、映像ではないところで、自分を発信していきたいなって思い始めたのです。学生のころ、アメリカの大学に通っていたのですが、そこは、はじめに写真をみっちり勉強しないといけない非常に厳しい大学だったのです。4×5という蛇腹(じゃばら)付きの写真機で、シート式のフィルムを入れて撮影するしくみのカメラで約2年間勉強させられて、それから本当にやりたかった映画の勉強ができました。写真を勉強していたときはものすごく苦痛で、写真は学生時代に封印しちゃったんですね。これからの時代は映像の時代だろうと信じていたので……。実際、東京に帰ってきて仕事を始めて、まだ10数年しか経っていないのですけれど、44歳になってから「何かやりたいな」と思い始めてたまたま始めたのが携帯写真だったのです。
はじめに、ムービーで撮ったドキュメンタリーの映像をグループ展で上映する機会があり、やってみたらこれが楽しかったのですよ。で、1ヵ月後に、じゃあ個展をやってみようということで始めたのが第1回目の携帯写真展でした。1回目を開催したときに、「ぴあ」の映画祭の方が来てくださって、まさかのその年のぴあフィルムフェスティバル(PFF)のメインビジュアルに選ばれて……。それまで趣味だったものがちょっとずつ違った形のものに進み始めるようになりました。
(略)

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ブログで写真を公開し、みなさんにお気に入りの写真を選んでいただき、それを自分でプリントして……。
(略)
2回目のときに、「富士フィルム」さんから、「携帯写真教室をモバイルサイトでやってください」ということで、1年前の夏から始まって……。3回目は今年の春、9月に4回目を開催しました。こうしてリアルとWEB上で経験を徐々に積み上げています。
(略)
なぜ、今携帯写真が時代にフィットするのか。それは、今の時代、人々は直感的に物事を考えて行動するようになっていると思うのです。これからの時代、写真、アート、ファッション、ライフスタイルすべてそうだと思うのですけれど、直感が支配する時代になるんじゃないかと思います。すでに若者の間ではそうなっていると思えます。そんな時代背景に、いつも絶えずポケットに入っている携帯電話というのはフィットしているのです。撮りたいときにカメラをポケットからパッと取り出して写真を撮ることができる。「撮りたいな」と思ったとき、絶えずカメラって持ってないじゃないですか。コンパクトカメラを持っていてもいつもバッグの中に忍ばせていて、あることすら忘れてしまうという……、そういう苦い経験が誰でもあると思うのですが、僕もそんな経験をしてきて、しまいにはコンパクトカメラすら使わなくなってしまったのです。しばらく使わないで、あるとき必要にかられて使うのですけれど、結局、使いたいときに手もとにあるカメラは携帯電話しかなかったのです。「撮りたいな」と思った瞬間に、その気持ちに直結してくれるのが携帯写真。カメラ自体は、稚拙なつくりだけれど、でも、限られた機能を上手く使えば、いい写真が撮れると思います。
携帯電話は、目の前に広がる風景を、いわばメモ代わりに撮るような感じ。それで、作品的なものも撮ろうと思ったら撮れる。そして通信機能も付いているので、いざとなれば世界中どこにいても送ることができるということで、そんなカメラはこの世には携帯電話しかないわけで、うまく使えば、写真そのものが変わっていく、ひいては時代そのものが変わっていくようなことに繋がっていくのではないかと。僕がこの2年半やってきた携帯写真家のキャリアで、自分が伝えられるのは、センスの部分とか、ちょっとしたテクでうまくなる方法とか。そういったことをみなさんに伝授していくのが自分の役割だと感じています。

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「写真の歴史」について

「写真」という言葉は、もともと「フォトグラフ」。「写真」という言葉自体は日本人が訳したとき「真実を写し撮る」っていうふうに、どなたかが漢字を作っちゃったんですね。そういう表現をしているのは日本だけだと思います。本来はラテン語で「フォト」は「光」で「グラフ」は「描く」、それが「写真」です。僕も学生時代、アメリカで、英語で覚え込まされたのが「ペインティング ウィズ ライト」=「光で描く」と。それが写真であり、映像であると。
写真の歴史を遡っていくと、1827年にフランスで写真機がつくられたといわれています。ですけれど、500年以上前に遡ると「カメラ オブスクラ」というものがありました。訳すと「暗い部屋」っていうんですが、暗い四角い箱の中にピンホールカメラよろしく光を通して、向こう側に平面の像を写すという装置だったようです。オランダのデルフトが生んだ画家フェルメールも当時そういった装置・カメラを使って絵を描いたのではないかと言われています。フェルメールの場合は、自分の生活の糧(かて)を得るために人物画を描いていたと思うのですけど、おそらく彼が本当に描きたかったのは、もっと光の粒子だとか影の様子、それが像を結ぶという……、人間がそこにいるのだけれど本当は光と影を描きたかったんじゃないかなと思うのですよ。そこに魅せられたという……。

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彼が今、凄く人気があるのは、現代人の心にシンクロする原初的なコンセプトがあると思うのです。突きつめていくと、そういうところにいくと思うのです。あわせて僕の場合は、サイエンスフィクションが好きなもので、どちらかというとSFチックなとらえ方で考えてしまうのですけれど。350年以上も前の肖像画が現在でも通用してしまうというのは、そこに描かれた絵の技術もそうですけれど、何か光と影をうまくコントロールしていて、それが時空を超えて現代人の心にも通じているということだと思います。

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「携帯写真とは?」

携帯写真とは、いったい何でしょうか? 僕は造語で「PHONETOGRAPHY」、電話とグラフィーをくっつけてこう呼んでるんですけれど。
携帯電話ほど24時間、肌身離さず持っていて、家族より、友だちよりもいつも一緒にいる道具が絶えず自分のかたわらにある、そんな時代は今までなかったし、非常に稀有な時代。もしかしたら一過性のものなのかもしれない、でも、きっとこれからの「映像の21世紀」と言われているもののひとつの足がかり的なもの、もしくは、これから出てくる新しい世代の人たちにとって、今まで想像もしなかったような21世紀型の映像、写真、アート、そういったものをクリエイトできるひとつの道具が、この小さな箱の中に詰められてるんじゃないかなって、僕は思います。

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「携帯写真のよさに」について

僕がすごく心酔している、フォトジャーナリズムの巨匠フランスのアンリ・カルティエ=ブレッソンという写真家がいるのですけれど、携帯写真を撮れば撮るほど、どんどん好きになっていきました。昔はどちらかというとアメリカのファインアートのモノクロームが得意な写真家の方々が大好きだったのですけれど……。残念ながら数年前に亡くなられてしまいましたけれど、ブレッソンの写真からインスパイアを受けることが多いです。彼はフリーのフォトグラファーで、世界中のフォトジャーナリズムを撮って、仕事をしていました。ロバート・キャパが主宰したグループ「マグナム」にいて世界中の写真を撮っていたのです。主に時事系の写真が多いのですけれど、ブレッソンが初期に撮った写真をまとめた写真展をニューヨークで初めて開催したとき、『決定的瞬間』という写真集を出されたのですよ。それ以来、この言葉は、みなさんご存知の言葉となっていったのです。
(略)

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“決定的瞬間”という言葉は、本来だったら人々のふだんの日常の中に、ふいに現れる感動的な瞬間だと思うのです。いつも持ち歩いている携帯であるからこそ、そんな瞬間が撮れるんじゃないかと思って、実際に自分でも自分が感動できる瞬間が撮れてきたもので“決定的瞬間”が自分にとっての大事な言葉にここ数年なってきました。
携帯写真は、そういった感動の瞬間を見いだせることができるツールなんじゃないかなと、僕は信じてやみません。
もしブレッソンが生きていたら、携帯写真をおもしろがって使っていたと、そんなことを想像したりします。
では決定的瞬間の写真をいくつか見てみましょうか。

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"TIME ZONE"

作品:"TIME ZONE"「タイムトンネルの先には何がある?」
いつも通る麻布のトンネルです。“ブルーシフト”という僕が考え出したホワイトバランスをブルーにして撮っています。トンネルを抜ける瞬間で頃合いのいいところで、シャッターを切っています。この写真の先に未来があるような、時空のトンネルを抜けていくようなイメージです。



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"CROW 4202"


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"RENDEZVOUS"

作品:"RENDEZVOUS"
今年の夏に撮りました。ぼくが撮るものはほとんど身近な写真ばかりです。黒アゲハが撮りたくて、ずっと粘っていて……。モノクロに見えるんですけれど、実はカラー。なんでこんなにアゲハの羽根がきれいに撮れているかというと天気が大事なんです。空抜けに被写体がある場合は曇天に撮らないとだめ。影が落ちない緩やかな光の中で撮ってるのです。



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"BLACK BUNNY"

作品:"BLACK BUNNY"
この場所、晴れた日の午後の時間帯になるとこういうくの字型のライトが当たるのです。おそらく駅の高架を通した太陽光だと思います。冬だったかな? たまたま壁のペインティングに光が当たった数分間に撮っています。ブレッソンよろしく、人物を絡めたいなと思い、手前に歩いていた人の影をシャッターの幕替わりに使って撮りました。人が通り過ぎた瞬間に撮ると、携帯電話っていうのはものすごくシャッタースピードが遅いから、気持ち見切れながら写ってるんですね。まるで、うさぎがジャンプして人に飛びかかっているかのように見える1枚です。


ということで、「決定的瞬間」のまとめになるのですけれど、絶えず手のひらにある携帯電話は、決定的瞬間をいつでも自分の手中にすることができる、そんなカメラでもあると思います。おそらくデジカメや一眼レフでも同じことはできるとは思うんですが、きっとそういう場面に遭遇しないことが、ほとんだと思うんですよね。首から一眼レフをぶら下げていて「今日は3枚撮りました」っていう人がいたのですけれど、3枚撮るより携帯写真で20枚撮る方がきっと楽しいと思います。ぜひ、みなさんも決定的瞬間を携帯写真で収めてみてはいかがでしょうか。そんなことが人々の生活をより楽しく豊かにさせるんじゃないかと思います。

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「携帯写真のよさ」

世の中にあるカメラで、通信機能を持っているカメラというのは存在しません。あってもいいんじゃないかなと思うのです。が、ましてや携帯電話のように電波を使って世界中に撮った画像を送ることができるなんていう芸当ができるのは無論、携帯電話だけなんです。これをフルに活用すれば、世界中どこにいても家族や友だちに写真を送ることができる、もしくはウェブ上でブログのようなものをやっていれば、自分で写真を投稿することも可能。そんなことができるのは携帯写真だけです。(略)ですから、うまく通信機能を使えば、写真の活用の幅が広がる道具にもなりうるということですね。

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「撮影アラモード」

写真は光の入り口であるレンズの性能と明るさや色味を調整する画像エンジンで表現されます。最近ではCMOSという撮像素子が搭載された携帯がよく売られています。
(略)
基本的に写真は、光と明るさと色合いを調整して、映像を作っているものなのですが、それを簡単に調整してくれる機能として携帯には撮影モードというのがいっぱい付いています。機種によって違うのですが、この僕が愛用しているケータイカメラは20種類も付いていまして、少ないものだと5種類くらいのものもあります。
(略)
一番大事なことは、自分がもっとも好きな構図の写真を撮ることです。あまり、機械の操作にわずらわされたくないので、なるべく簡単に写真が撮れる方がいいだろうということで、そういったフルオート撮影機能が付いているのだと思います。
写真撮影の大事なこととは、“シャッタースピード”と“レンズの絞り値”と“フィルム感度”です。デジタルになってもフィルム感度という概念は存在していて、その3つがうまく組み合わさって写真は表現されています。そういった光学技術的なことはとてもむずかしいので、なるべくラクしてよい写真が撮れるのが携帯写真の特徴でもあります。

では、よく使う撮影モードの機能をうまく使いながら撮るちょっとしたテクを『撮影アラモード』と呼んで、作品を披露したいと思います

撮影アラモード:"モノクローム"
モノクロームといえば、レトロなイメージを持つ方が多いと思うのですけれど、これも撮影モードを変えれば簡単にモノクロームになります。(略) モノクロームのグレートーンという帯域は、人間が定めることができないほど無限大の広がりがあるんです。ピンポイントで決めることができないほど、非常になだらかで限りなく無限大に近いトーンなんです。白から黒に至るまでのグレートーン。モノクロームと聞くと、みなさん「レトロだよね」って思う人がいるかもしれないですけれど、でもモノクロ写真に秘められた意味合いっていうのでしょうか、人間が気がついていないことってきっとあると思います。(略)モノクロームの写真には、おそらくまだわからない表現の可能性があると思います。



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"WHITE KNGHITS"

作品:"WHITE KNGHITS"
実はこれはカラーで撮っています。そこにあるものを一切いじったりとかはしていません。なるべくそこに在るありのままをいつも写そうと思って撮っています。作品を見た人が、「いったいどうなってるのですか?」ときかれますが、実際、何もしていません。ただ切り取るアングルとか構図は僕が決めて……。という写真ですね。モノクロがキレイに出るプリンターで限りなくモノクロームのように仕上げている1枚です。



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"BLACK CAT, OR WHITE OUT"

作品:"BLACK CAT, OR WHITE OUT"
「こんな風景を撮りたいな」といつも思っていました。ウチの黒猫がいて、バックが雪景色みたいな……。たまたまそんなチャンスがめぐってきて撮りました。実際撮ってみると、黒い猫ってむずかしい。しかも雪バック、コントラストがつきすぎていて露出が全然合わないっていう。携帯で撮る場合は、モニターに映っている見た目で露出を合わせるのです。で、微妙にケータイのアングルを変えてあげることで、露出って変わるんですよ。ケータイの場合。(略)最低限の撮影設定はするけれど、見た目で合わせる……。一種アナログチックな撮り方です。



撮影アラモード:"ブルーシフト"
「ブルーシフト」という言葉は僕が作った言葉。(略)ブルーにシフトするから「ブルーシフト」です。ホワイトバランスという機能が付いている携帯なら、簡単にできることです。ホワイトバランスを通常はオートで撮るのですが、それを太陽光の影響のある下で、撮る場合、必ずホワイトバランスを電球モードにする。電球にすることで、太陽光がタングステンバランス(電球色)と勝手に勘違いしてくれるんです。要は、カメラ自身が「今は夜なんだ」って、もしくは「電球に照らされた室内にいるのだ」と思い込ませて太陽光の下で撮るとブルーになるのです。
(略)
たまたま間違えて撮ったブルーシフトの写真があまりにきれいだったので、ブログの日記に貼りつけたら、みなさんがものすごく反応してくれました。「きれいなブルーですね」「どうやって撮ったんですか?」って言われて、だんだん確信犯に……。そんなテクのひとつです。
(略)



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"SONOHIGRAPHY KEITAIMIRAI"

作品:"SONOHIGRAPHY KEITAIMIRAI"
セルフポートレイトです。左側の目にライトの照準を合わせて撮っています。左側の目というのは、右脳と繋がっていて、クリエイティブな思考を司るというじゃないですか。だから左側の目というのは、その象徴かなと思ってやってみました。
これは、今年の春に個展をやったときの写真です。その日暮らしの写真が携帯写真なんじゃないかと思い、“ その日暮らしな男が撮るその日GRAPHY ”ってことで……。ずっとこれをメインタイトルにして作品展をしています。ケータイミライというサブタイトルをつけたのは、今回のテーマにも繋がるので使っています。携帯は未来に繋がっていくと思うもので。
携帯というひとつのインフラをベースに夢のあるビジネスとか、事業とか、もしくはアーティストとか、いろいろな方がこれからもっと出てくると思います。おそらく大学のようなところでも「携帯学」みたいな学部ができてもいいんじゃないかって思います。なぜならその大学で勉強すれば、おそらく携帯に関しての職業に就けるのではないかと、そんなことを夢想したりしています。そのくらいの確固たるビジネス・ストラクチャーを日本はつくってきていると思います。



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"EIFFEL TOWER"


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"STAR TREE"


撮影アラモード:"接写"
最近もっともよく使う撮影モードです。自分が技術を煮詰めてきた中での最終目的地なのかもしれません。
携帯のレンズは一般のカメラのレンズメーカーが作っているのですけれど、プラスティック製なんです。プラスティックの光学レンズが入っていて、薄く小さい筐体(きょうたい)なのでそういったものしか入れられないのですけれど。あまり光学性能は高くないのです。ということは、寄りの絵を撮った方がいいということです。離れたものを撮るのだったら少しでも大きなカメラで撮った方がいいと思います。
意外にケータイ写真というのは接写がいい! 接写で撮る人って意外に少ないんじゃないかな? チューリップマーク、どのケータイにも付いているので、付けたり、付け忘れたり、いつのまにか入っちゃってて写真がボケちゃったという方もいらっしゃると思うのですが……。接写モードにして撮るということを、是非! みなさん覚えてほしいです。たいがいのケータイは大体7センチくらいまでは寄れるので、誰でも接写が簡単に撮れます。



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"DOUBLE ORANGE"

作品:"DOUBLE ORANGE"
最近の代表作の1枚。タテハ蝶とコスモスのふたつのオレンジ。接写で撮っています。背景をボカしたい、それがこれを撮ったときの目的です。「ボケ味」という言葉がありますが、シャープなレンズのカメラよりもボケ味を重視する方がここのところ増えてきている。フィルムカメラの世界でもトイカメラみたいなものがすごく流行ってきたり……。ケータイでも接写で撮るとプロっぽいボケ味が出るのです。



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"AUTUMN IN SILVER"

作品:"AUTUMN IN SILVER"
まだ夏なのに黄葉した葉、ちょっと未来的な雰囲気になるかなと思って、シルバーのガーデニングテーブルで夕方の鋭い斜光で撮りました。これも接写。



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"THE PENGUIN NAMED MR. DISAPPOINTED"


撮影アラモード:"リフレクション"
初期のころからずっと撮り続けているテクニックなのですが、いわゆる“反射”を使った写真です。リフレクトした風景を撮る……。なぜ、それに魅せられたのか? 自分でもよくわからないのですが、現実ではない世界、現実を写してるのだけどその鏡面の世界の何かを撮ることで、何かが表現できるのか? もしかしたら自分の逃避願望の表れなのかもしれないですが、リフレクションの世界にものすごく魅かれます。(略)リフレクションの世界というのは、被写体がデフォルメされます。そういった現実離れの世界のなかにリアルと表裏一体の世界を覗くことができる、それが魅力。池、海、湖、水たまりとか……。僕は、水たまりが好きでよく撮ります。水たまりって晴れてしまうとなくなってしまうんですね。そういった意味では、一種の決定的瞬間を収めることができる場所だと思います。



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"DUAL SEAGULL, DOUBLE VISION"

作品:"DUAL SEAGULL, DOUBLE VISION"
今年の秋の展のために撮った写真です。上と下、どっちのカモメが本当のカモメかわかりますか? 実は上下逆の風景なんです。上が海で、下がリフレクション。(略)この写真は、最初からひっくり返してプリントしようと思い撮りました。ほんのちょっとでも波打っていたり風が吹いていたりするとこの写真にはけっしてならなかった、お気に入りの一枚です。



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"THE TWO"

作品:"THE TWO"
いろいろなテクニック、撮り方を簡単にお話させていただいたのですけど、写真にとっていちばん大事なことは、構図だと思います。絵で言えばデッサン。絵を描く人はデッサンを何枚も何枚も描く、デジタル写真や携帯写真だったら何枚も何枚も撮る。そういったことをやりながら、構図を勉強していかれると、きっと素敵な写真を撮ることができる近道になると思います。アングルがすべてといっても過言ではない。素敵な被写体を見つけることは大事なのですが、アングルを変えるだけで印象が変わる……。そういった撮り方がしやすいのはケータイ写真なのです。
なぜならこんなに小さいのにモニターも付いているし、地面にこうやって置いて微妙なアングルで撮ることもできる。そんなことは大きなカメラではなかなかできない。自由な発想で写真を撮ることができるのは、ケータイ写真です。写真を勉強するのも大事なんですけれど、ルールやタブーを乗り越えて写真を撮り続けると、もしかしたら未来に繋がっていくような、未来の写真史や映像の歴史に残るような作品を撮るキッカケにも繋がってゆくのではないかという気がします。そういったところから21世紀的スタイルの写真を生みだす人たちがこれから出てくるのではないかって夢想しています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
人を撮るときに注意するものがあれば教えてください。

塚本 修史さん:
背景をシンプルにするっていうのが僕の写真の特徴。なるべく余計なものが入らないように、シンプルな背景で、できれば遠近感が効いている背景で撮ると、手前にいる人物がポップアップ(浮き立って)して魅力的に写ります。

お客さま:
携帯で撮るときにブレない写真にするには、どうずればいいでしょうか?

塚本さん:
携帯の最大の弱点のひとつは、軽すぎること。軽すぎるゆえにブレるんです。 ある程度カメラっていうものは、重みがあった方が安定するんですね。だから、しっかりと保持してあげること。できれば両手で持つこと。

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お客さま:
小さな携帯の液晶画面では、パッと構図をつかむことができません。コツはありますか?

塚本さん:
先ほどもお話したように液晶画面で今見ているもの、写ってるものが確認できるということが、最大の利点のひとつだと思うんです。その利点を最大限に利用して、なるべく、画面と被写体を見比べて確認して調整するようにしましょう!としか言いようがないですね。僕でさえ、液晶に映っているものを信用して撮って、失敗写真になることもよくあります。(略)肉眼で被写体を見たときにしっかりと見極めて撮ることが重要ですね。
例えば、接写で何かを撮ったときに、きれいな構図の写真が撮れたとしてもゴミがあったらちょっと残念ですよね。そういうときもよく肉眼で見れば気がつくわけですから……。自分の眼で見ることなのかなと思います(略)。

フェリシモ:
では、実際に写真を撮るにあたって、下準備が必要ですか?

塚本さん:
いや、そこまでセットアップする必要はないです。そこまですると本末転倒になるじゃないですか。気軽に見かけた光景を撮るためのケータイなのに……(笑)。
(会場:笑)
やっぱり人間の目ほど優れたレンズはないのです。これはもう、どれだけ技術が発達しても人間の目を超えるレンズをつくることはできない。おもしろいのは、人間の目っていうのはふたつある。ふたつの目で見て、思考して行動する。そういった視野差みたいなのが出てくるのですよね。単純に一眼レフを覗いている世界と若干違う、そのズレがおもしろいのです。トンボの複眼で見る世界ではないですが、視野差が写真に影響することってあると思う。もちろん各人の視力差もありますけどね……。そんなことをつい、考えてしまいます。

フェリシモ:
塚本さんは現在、携帯写真家として認められてご活躍されていますが、携帯写真家を職業にする人っていうのは、これから増えていくと思いますか?

塚本さん:
ないと思いますね(笑)。これはもうたまたま(僕が)そうなっているだけで、そういう(職業にする人が増える)ことにはならないと思います。僕は、写真家って感覚はないです。ふだん、映像ディレクターで、それを生業として かて として生活しているのですが、自分の中で携帯写真家は片手間で、趣味の延長でやっているような感覚がきっとあると思うのです。畏れ多くも写真家とは名乗れないという気がしています。知識、技術はそれなりにあるつもりですけどね。でも携帯写真の個展を何回かやっているとプロの写真家のみなさんがおもしろがって来てくださいますが、みなさん、何とも言えない表情をして帰っていかれます(苦笑)。
携帯写真家という職業というよりも写真という言葉自体がなくなるのかもしれないし、映像という言葉も何か新しい言葉に置き換えられて、写真も映像もひとつのくくりの中で展開されていくことになるのかも。今は、ただカオスな状況だと感じていますが、未来に起こることが楽しみではあります。

塚本さんの写真教室
(3人のお客さまを迎えてのレクチャー)

フェリシモ:
最後に神戸学校を代表して質問をさせていただきます。塚本さんの考える“日本の宝物”とは何でしょうか?

塚本さん:
日本人として生まれついて、ずっとこの歳まで生きてきて、日本人として生まれてイヤだな、と思ったことも正直あります。僕らの世代、アメリカ文化カブレなんです。アメリカに行きたくてしょうがなくて、実際アメリカに行かせてもらって、好きな勉強をさせてもらって、長年ずっと向こうで勉強して、最後はL.A.で働いていたのですけど、海の向こうでひどく感じたのは、人種の壁でした。特に日本人男性が渡米すると……。そういったもので、どう生きていくのかとかそういうことまで考えちゃって……。

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ただ、自分のアイデンティティというものは日本にあって、何かモノを作るのにも、僕が育てられて持っているDNAやアイデンティティを忘れるわけにはいかない、捨て去ることもできないし、生まれ変わることもできない。でも年齢を重ねれば重ねるほど感じるのが、今まで日本語ってすごくやっかいな存在だなと思っていたのが、実は日本人の一番、ベースをつくっているものは日本語という特殊な言語だと思うのです。日本人が日本語を話すということで、この四季折々の情緒のある独特の風土、歴史のなかで生きてきた……、それらのベースにあるのが日本語で、日本語を話しているがゆえにいろいろなモノが作り出されていると思うのです。
だから、僕にとっての“日本の宝”は、“日本語”だと思います。ただ、日本語だけでなく、バイリンガルによって、英語とか中国語とか、フランス語とか、第2外国語を身につけることは、視野が広くなってよいことだと思います。特に、日本はとても狭い国土、だから昔から、世界に目を向けて生きてきたと思うのですよ。そういった志向はすごく大事で、外国の新しいものを取り入れながら、外国語も勉強して自分のマインドの中に外国人的な発想みたいなものを植え付けながら、だけど日本人っていうアイデンティティを失わないで、日本語を大事にして生きていくっていうのは、いろいろな意味で感性を養っていったりとか、人生にも役立つことなんじゃないかと思います。
ぼくは日本人でよかったなと思います。日本人ってまだまだ捨てたもんじゃないなと思います。

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神戸学校の舞台裏 2008年10月

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今回の神戸学校では、来場されたお客さまのうち3名の方に、休憩時間に携帯電話のカメラで撮影をしていただき、塚本さんに講評いただく時間も設けました。
実際に塚本さんにアドバイスをいただきながら撮影をしていただきましたが、皆さまからは豊かな発想でとても雰囲気ある写真をご提供いただきました。私たちにとって、もっとも身近な存在である「ケータイ写真」をきっかけに、生活者発、映像のユニークな未来が広がっていくことを予感する神戸学校となりました。

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当日販売させていただいた塚本さんのポストカード。白い会場に写真のひとつひとつがひときわ映えました。

この日のために、45点の作品の展示もしていただいたのですが、1点1点、スタッフにご説明いただくなどこの日のために、ひとかたならぬご協力をしていただきました。塚本さんありがとうございました!



Profile

塚本 修史(つかもと しゅうじ)さん<映像作家・携帯写真家>

塚本 修史(つかもと しゅうじ)さん
<映像作家・携帯写真家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1961年東京・世田谷生まれ。東京にて経済学を学んだあと、渡米。写真技術と映画制作をカリフォルニアの大学で学ぶ。帰国後、映像制作会社に勤務。1999年映像制作会社、有限会社ヴォイドを設立。現在、主に映画に関するTV番組、プロモーショナル・リール、DVD、劇場用予告編、CM、ドキュメンタリー、ショート/ロングムービー等の映像制作の企画・脚本・撮影・編集・演出・制作を手がけている。プロデュースおよび演出を手がけた作品として、「シネマ通信」(テレビ東京)は今も伝説的な番組として語られている。
また、香港返還の時を追った密着ドキュメンタリーと35ミリ・フィルム撮影にこだわって香港にてオールロケ撮影されたドラマをハイブリッドしたミクスチャー番組『タイフーン・シェルター 香港返還の光と影』(浅野忠信・緒川たまき主演 フジテレビ放送)の企画・脚本・監督をつとめ、前代未聞の構成は当時、大いに話題を呼んだ。ドキュメンタリー『東京既景 dejavu@tyo 同潤会青山アパートの記憶』は、表参道ヒルズオープン時に同ギャラリー同潤館にて、2万人近い動員を記録した『同潤会青山アパートメント記憶展vol.5』の会期中に上映され、高い評価を受けた。

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その他のゲスト

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