神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「ファッションは生き方」



<第1部>

高校時代にファッションに開眼!
実は女の子にもてたかったから、
おしゃれに目覚めたんです(笑)

みなさん、こんにちは。高田でございます。いま、画面にありました「神戸コレクション」というのを立ち上げてきていますが、それまでの経緯みたいな私自身のことをお話させていただきます。いまやっている仕事は、「神戸コレクション」というファッションイベントの企画です。企画、運営、それからもうひとつ神戸で地域にこだわったいろんな神戸活性化のプロジェクトをやっています。まず最初に「神戸コレクション」がどんなもんや、ということで、ビデオを用意していますので、ちょっと雰囲気だけでも見ていただけたらと思います。
(映像)
年2回、春と秋にやっています。実は3月8日にポートアイランドでやるんですが、神戸でやって東京でやる、で、コレクションの話のあとでさせていただくんですけど、今日「ファッションは生き方」ということで、本当にそうかどうか分からないですけど、とりあえず私のやってきたことをちょっとお話させていただきたいと思います。

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大阪生まれです。で、小さいころ東京で育ち、小学校、中学校、高校は大阪で.過ごしました。ファッション業界に入るきっかけのひとつが、まず高校時代かなと思います。中学を卒業して公立高校を受けたんですけど落ちまして、大阪の私立の男子校に入ったんです。その男子校が、結構お坊ちゃまで遊びの好きなヤツばかりで、田舎の公立中学からその高校に入った当時の私にとって、大阪の商売人の息子さんとか、みんなすごかったんです。何がすごいかというと、高校生なのにファッションのこととか音楽のこととか、田舎者の私には全然知らないようなことをいっぱい知ってて……。その高校で初めて聞いた名前が“VAN”というブランドでした。若い人は知らないでしょうけど、団塊の世代のほとんどの男性が聞き覚えのある名前なんですけど、「今“VAN”っていうのがあってすごいかっこええで」と。で、みな着てるわけですね。で、私は当時でいうスーパーで買ったような服しかなかったんですけど、みんなはいい格好してボタンダウンとか当時流行っていた綿のパンツとか、スニーカーとか履いてだんだんその格好よさにあこがれていって……。で、男子校ですから、女子校にもてたいということでおしゃれするわけなんですけど……。なので、ファッション業界に入った理由は、簡単にいうとやっぱり女性にもてたかったというか……。高校時代は、自分だけダサい格好してたんで、誰も振り向いてくれなかったんです。だから、やっぱりオシャレせなあかんなあというのが最大の理由だと思います。もし私が公立高校に受かっていたら全然違う業界に入っていたかも知れません。
で、その後に神戸の大学に行きました。神戸の町に4年間通っていたんですけど、当時もファッションに染まっていてよく神戸の高架下に行って、そこにしかないアメリカ製の靴を買ったりしていました。当時の神戸は関西でも「ここにしかない」というファッション関係の商品がいっぱい売ってたんです。そんなふうに大学時代を神戸で過ごし、それが後に、神戸にこだわり続けていまだに神戸に関する仕事をしているということに繋がっているんかなあと思っています。

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あこがれのブランド・VANヂャケットに入社。
骨を埋める覚悟だったけれど……

で、学校を出て、憧れのVANヂャケットに入ることになるんですが……。VANヂャケット以外は就職試験も受けず、「そこに入るためにはどないしよう」ということで大学4回生の頃からVANのショップでアルバイトをしまして、VANの社員と知り合いになりながら、うまく社員になりました。大阪のアメリカ村にVANの大阪事務所があり、そこでいろんなことを学びました。当時のVANは高度成長期で倍々ゲームで伸びていまして何もかも私にとって新鮮でした。影響を受けたひとりがVANヂャケットの創始者石津 謙介さんです。非常にクリエイティビティな方だったのですが、その方にもいろいろ影響を受けました。で、もうファッションが大好きでVANが大好きで「よし、この会社で一生働いて会社のために貢献しよう」と頑張ってきました。当時、VANに入社すると、全員1~2年はまず店に出されるのですが、私の場合は学生時代に販売経験があったので、店には出されず営業部に行き、小売り店の担当をしていました。そして、後半は営業兼企画にも携わるようになりました。25歳で結婚したんですが、結婚もVANのあこがれの先輩でした(笑)。結婚してその年の7月にこどもが産まれるというときに、VANが倒産しました。会社に帰ったら社員がみんな集まっていて……。結果として倒産というか会社更生法を申請するということになったんです。会社を再建しようということで頑張っていたんですが、社員もだんだん減ってくるんです。倒産して11ヵ月くらいで大阪で300人いた社員が200人に、2ヵ月経つと150人くらいに……と減ってくるんです。いなくなるのは、VANのなかでも管理職、部長とか支社長とか偉い方がどんどん引き抜かれていくんです。当然できる人から転職しいていくわけです。半年後にはほとんど役職のない若い連中ばかりが50人くらいしか残らなかったんです。その彼らとVANを再建しようと言ってたんですが、結果どう見ても無理で……。

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その秋、ちょうどこどもが産まれる目前で会社が潰れてしまいました。そのときが、人生の第1番目の転機。「どないしよう。どっからも声かからへんし、どうしたもんやろ」と……。そのとき何か「人生なんとかなるわ」というのを学んだというか、なんとかできるんちゃうかなっていうのを体感しました。
しばらくして幸いにして、あるスポーツ会社が「企画で来てくれないか」と声をかけてくれました。そのお話を受けて、お世話になりました。スポーツの会社だったので、スポーツの衣料とかをされていたんですがスポーツファッションというのが出てきたところだったので「じゃあ、高田くん。スポーツとファッションで何かやってくれ」ということでいろいろやらせていただきました。約10年務めさせてもらい、その間ヨーロッパ、アメリカなど海外の展示会などにも行かせていただき、それが自分の価値観を広げるために勉強になりました。

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神戸との関わりを深めていった
「神戸ファッションマート」時代。
そこから「神戸コレクション」へ……。

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その後、今度はある銀行から「神戸に六甲アイランドという人工島があって、そこの中核にファッションをテーマに施設をつくりたい。高田くん興味ないか?」とお話をいただきました。ファッションの街・神戸を日本のファッションビジネスのメッカにするという構想、ものすごく夢のあるお話だったんで即その新しいプロジェクトに入りました。六甲アイランドのプロジェクト、いま六甲アイランドに神戸ファッションマートっていうのがあるんですが、実はそのプロジェクトでした。銀行がプロジェクトリーダーで銀行員ではできないので、ファッションの専門家がいるということで声をかけていただいて企画、マーケティングの責任者ということで入社しました。39歳で入社して16年間55歳までいました。マートがオープンしたのが1991年ちょうどバブル絶頂期ぐらい。オープン当初はテナントさんもいっぱいで活気がありましたが、バブル崩壊であっという間にテナントが減り、オイルショックもあり、それから阪神淡路大震災があって……ということで、なかなか事業としては苦戦しました。それでもやり続けて「神戸コレクション」に行きつくもととなったのが、この16年間だったと思います。

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ファッションを神戸から発信したい!
ターゲットを消費者にした新しいコレクションを提案。

55歳になったとき「こうやって好きなことをやれるのもあと5年かな」とファッションと神戸にこだわって、マートを辞めました。もうじき59歳になります。さっき見ていただいた「神戸コレクション」は実は神戸ファッションマート在籍中に立ち上げたイベントです。そのコレクションの話をさせていただきます。
マートでの私の仕事は、ファッション業界の人にたくさん神戸に来てもらう、それからファッション企業にマートにオフィスを構えてもらうというようなことです。神戸の企業がマートにオフィスを構えることはないですから、大阪や東京の企業、ほかの都市の企業を誘致するとか、他の都市から人を呼んでくることが仕事だったんですけど、マートを核にいろんなイベントをやったんです。例えば、若いデザイナーの合同展示会、ファッションショーとかいくつもやったんです。多分東京でやったらすごい話題になるようなイベントもいくつもやったんですけど、神戸で話題になっても大阪、東京の人は知らないんですね。何でかなと思ったんですが、地方都市の情報発信力のなさっていうのを痛感しました。そんななか、行きついたのが「神戸コレクション」なんです。神戸を元気にしたいという思いはずっとありましたが、神戸の人たちだけではなかなか盛り上がらないんで、神戸にわざわざ来てもらうようなしかけをつくらないとダメやと……。そのためには情報を外に発信していかないと……ということで、まず、ターゲットを明確にしようと決めました。マートでやっていたのは、どちらかというとビジネス、業界の人を相手にしていたんですが、もうこれからは消費者だということで「神戸コレクション」は、直接消費者を呼んじゃおうということで、2002年秋に立ち上げました。

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さきほどの映像にもありましたが、約1万人のお客さまが来られます。90数%が女性です。平均年齢は25歳。10代の方もいらっしゃるし、30代の方もいらっしゃいますが、圧倒的に多いのは25歳で、なおかつファッションが好きだという敏感な人たち。この人たちにターゲットを絞っています。まず、若い人たちに理解してもらおうと……。ターゲットが決まってくれば、彼女たちが喜ぶもの、楽しむもの、ただ彼女たちに対して半歩先の提案をしたいというようなことを考えました。神戸という街は明治維新で、開港以来ヨーロッパとか海外の文化、モノをどんどんいち早く受け入れてきましたね、で、日本中に広げていったと……。例えば、洋菓子、紳士服、映画、ゴルフ場、マッチなど、神戸発祥のものが非常にいっぱいあります。神戸の人たちっていうのはそういう新しいモノを目利きしていいものを日本に広めていったと、そういう定義に基づいて、「神戸コレクション」っていうのは神戸の人たちが選んだ、神戸のお嬢さま、女性のえらんだファッションは日本にひとつのムーブメントを起こしますという、簡単に言うとそういうコンセプトでやっています。
ファッション用語の“コレクション”というと、例えばパリコレクションとかニューヨークコレクション、ミラノコレクションとか有名なコレクションがいっぱいあるんですけど、どのコレクションも全部半年先なんですね。春にやるコレクションは次の秋冬の新商品のデザイナーの作品をショー形式で見せるんです。で、見せる相手は一般の人じゃないんです。メディアの方が多いです。全世界のファッション雑誌社とかテレビ局とか、それと一部優良顧客。例えばルイ・ヴィトンを上から下まで全部買うような人、年間1000万、2000万円買うようなアラブの王様とか、ハリウッドの女優とかそういう人たちを呼んでやっています。だから一般の方が見る機会はまずありません。それに対して我々がやっている「神戸コレクション」は、来ていただくのは一般の方。それもチケットを買ってきていただきます。

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それともうひとつ違うのは、お見せするのは半年先のモノではありません。今度3月8日にする「神戸コレクション」は、まさに今春、夏に着ていただく服です。「神戸コレクション」を見た翌日には、お店に行けばコレクションで見た洋服が店頭に並んでいて購入できると……。こういうのをリアルクローズと言っています。パリコレとかミラノコレに出てくる服っていうのはデザイナーの作品なんかで非常にとんがった服ですので、一般の人がすぐ買って着れるかっていうとなかなかむずかしいところはあると思います。「神戸コレクション」は今回で14回目になります。で、「神戸コレクション」の成り立ちというか、どうやって事業しているのかということをお話したいと思います。テーマのクリエイティビティとはちょっと違うと思うんですが、基本的には新しいビジネスモデルをクリエイトしたかなというふうに自分なりに解釈しています。いままでになかったコレクションを立ち上げて、なおかつ行政のお金を使っているわけでもなく完全に民間主導でやっていますので、いままでにないビジネスモデルかなと……。
(略)

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本当のプロデューサーとして
人間力をつけて、才能あるスペシャリストを集めること
そして関西でナンバーワンに!

私の場合、仕事はずっと“やりがい”をとってきているんです。現に収入面で言うと、いま会社2つやっていますけど、そんなに儲かっていません。ただやりたかったことができているし、除々にできつつあるなと。で、目指しているのはですね、私、プロデューサーって言ってますが、本当のプロデューサーになりたいなぁと思っているんですよ。プロデューサーっていうのは映画の世界から来たんですけど、ひとつの映画をつくりたいとなった場合、例えばアクション映画とか恋愛映画をつくろうということをハリウッドのプロデューサーは考えて、プロの脚本家に頼む。で、できた脚本を見ながら主演、助演俳優をキャスティングしていく、そしてキャスティングが決まれば、カメラマンを決める、監督を決める、音楽家を決める、それからいろんなロケハンですね。撮影場所とか決めるチームがいると……。これ、全部みんなスペシャリストなんですよ。そういう人たちを束ねてひとつのものをつくり上げる、ただつくるだけではないんですよ。ひとつの映画をつくるには例えば100億円かかるとすれば、そのお金を集めてくると……。集めてきて100億かけて映画をつくって、集めてきた100億を上回る収入をもたらす。まあ、そういうことをするのがプロデューサーなんじゃないかなあと。私はもうずっとプロデューサーでいたいんで、だんだん歳を取ってくると感性もなくなってくるし、パワーもなくなってくる、逆に言えば、年を取れば取るほど何かこう人間力みたいな、人に信頼してもらうとか、人がついてきてくれるような人間力を高めたいなぁっていうのを最近思っています。能力がある、お金があるというのも大切なんですけど、お金ない、能力あんまりない、人間力だけで人が寄ってきて、寄ってきてくれる人がすごい人たちだったら、これってすごくかっこいいなっていうのが、私のいま個人的に思う格好よさみたいなんです。

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これは私の解釈ですけど、例えばいま話題の人にオバマさん、麻生太郎さん、朝青龍さんがいると……。誰が格好いいかというのは、それぞれみなさんの価値観があると思うんです。私がこの歳になって、こうありたいなとかこれがかっこいいなというのは、もちろんファッションにおいては身だしなみも含めおしゃれな人にこしたことはないんです。よくいるじゃないですか、上から下までブランド品、すごく高いの着ているけど何か格好よくない人っていますよね。あれ、逆に惨めですね。逆に、ブランド品じゃないけど、きちっと着ていて、ものすごく似合っていて……という人もいますよね。つまり、格好よさというのは、洋服のトレンドも大切かも知れませんが、何か内面とか表情とかしぐさとか話し方とか人間性がもろに出てくるんじゃないかなと思います。若いころは、ルックスで見るんですよね。「すごい、いま流行りの服着ているな」とか「顔が格好いいなあ」とかって言って見るんですけど、だんだん「それがどないしてん」っていうふうになってきて……。もちろん、ファッション業界にいるので最低限のトレンドは維持しとかないといけないんですが、私の格好いいの基準はひとつは夢とかビジョン、自分なりの目標みたいなものをちゃんと持っている人が格好いいんじゃないかなと思います。
それから、もうひとつ、自分のことって分かっている反面、知らない部分もいっぱいあると思うんです。自分のいい所も悪い所も知らない、でも他人はそれを知ってくれている。なかなか自分の欠点とか聞くのは嫌だし、謙虚になんてなれないんですけど、自分の欠点をちゃんと聞けるようになって、嫌なことも吸収できるようになってきたら、それがものすごく武器になる、強みになるんじゃないかなと思います。それからもうひとつは、やっぱり価値観が、どうしても自分の価値観に偏ってしまいますよね。仕事やっている人ほど、「オレが、オレが」ってなりがちなんですよ。私もそうだったんですけど、「オレが正しいんだ。オレが、オレが」で来ているんですけど、もっと冷静に見ると全然違う価値観の人もああ、こういう考え方もあるんだなあって受け入れられるような懐の深さとかグローバル感みたいなのを持てるようになればいいんじゃないかと思います。

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いま私のまわりには、分かっている人たちがいて、その人たちを信頼して任せればちゃんとキャスティングしてくれるんです。60前のおっさんが「これからはこれやで!」って言うてたら、絶対受けないと思うんですね。そういう意味ではやっぱりそれぞれみんながスペシャリスト、専門の分野でプロデュースしてもらうような組織体にしないと「オレが昔VANにおって、ファッションやってて業界で顔やからオレがやるで」なんて言ってたら、多分「神戸コレクション」というイベントはできなかったと思うんです。もちろん自分自身としては、いろんな勉強をしていかなきゃいけない。やはり人間として成長したいなあと思います。まだまだ中途半端でまだまだ人格も出来てないんですが……。「神戸コレクション」には30以上の企業がブレーンとして携わってくれているわけです。毎回200人以上の人たちがプロジェクトメンバーとなってくれているので、そういう人たちが責任持てるような環境や、やり甲斐とかをつくり続けるのが、私の仕事かなと思っています。
徹底的に、神戸もしくは大阪を含めた関西にこだわって、それからファッションにこだわって、そこでやり続けたいと思っています。もし震災がなかったら、私は多分、マートを辞めて東京へ行っていたと思います。ファッション企業も神戸で誕生したブランドが大きくなるとやっぱりみんな東京へ行っちゃうんですね。神戸でデビューしたベンチャー企業もある程度大きくなってくると東京へ行ってしまいます。これはよく分かります。実際に「神戸コレクション」のお金は、神戸の企業に出してもらっている額は、全体の事業費の1割あるかないかです。ほとんどは東京の企業であったり、大阪の企業であったり海外の企業なんです。ということは、スポンサーは圧倒的に東京にいるわけですから、東京に事務所を構えた方が早いかも分からないんです。ただ、そうなってくると我々の特徴である地域性がなくなってしまうので、ここまできたら徹底的に神戸を中心とした関西にこだわって、関西でナンバーワンのファッションプロデュースの会社をやりたいなと思っています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
神戸からのファッション発信ということで、神戸のファッションスタイルが確立されていて、お嬢さまスタイルだとかそういうスタイルの生まれたいきさつ、流れが出てきたことを、高田さんはどうお考えですか?

高田さん:
多分、明治維新で日本が世界に門を広げて、そのとき飛行機のない時代ですから、港が中心になるんですけど、5つの港が世界の窓口になったんですね。横浜とか函館とか、長崎とかあるんですけど、そのなかのひとつが神戸です。当時の神戸は、三宮とか元町周辺というのは何もなかったっていうふうに聞いているんですが、そこにヨーロッパ、アメリカの人が来て、いろんな異国のモノ、例えば、洋服であったり、洋菓子であったり、家具であったりを持ち込んで、北野に住んだり、で、居留地で外国人ばっかりの商売をされて、そこに日本人が行くようになって、着物を着て、日本髪結っていた日本人が、だんだん洋風の文化に染まっていって、見よう見まねでケーキをつくる人がいま洋菓子の会社をやっていたり、家具をつくる人が洋家具の会社をしたり、靴をつくる人がいまケミカルになったり神戸の革靴になったり……、そういう歴史があるんですね。そのなかで最初に洋服を着始めたのは、神戸の人だったんじゃないかと……。そのときは洋服って高価で売っていないわけですから、洋服をつくるお仕立て屋さんの見習いみたいなのが日本でちょこちょこ出てきて、モダンで新しいこと好きな神戸人は、そこで外国人が着ているワンピースを見よう見まねでつくらせて着てきた。で、そのお母さんたちが、自分たちの娘に同じように「これ、着なさい」ということで親子代々継がれていったという……。神戸は、わりと小さな街だからお父さんもお母さんも神戸生まれ、神戸育ちっていう人たちが多い。だから割と脈々と、お母さんが若いころ使っていた大切なバッグとか、真珠の指輪が娘に受け継がれていっている、というような話がいっぱいあるし、そうやって継がれてきたのがエレガンスになったという気がします。

お客さま:
第1部のお話に出てきた、高田さんの思われる人間とは、具体的にどのようなことになりますか? また人間力を養うには何が必要でしょうか?

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高田さん:
人ってひとりで生きていけないんで、他の人と共存しないといけないんです。そして自分の評価は、自分がするもんじゃないです。やはり他の人がするんでしょうね。私の場合は、奥さんや子供でしょう。子供や奥さんが「いいパパ」とか「どうしようもないパパ」とか「いい夫」評価するんで、私がいくら「いいパパや」とか「いい夫や」って言っても、奥さんや子供がそう言わなかったら違うでしょう。仕事の世界でも「オレ、すごい社長で、お前らしあわせやなあ」って言っても、部下が「最低な社長」って言ってたら、そっちの評価の方が正しいでしょう。だから、やっぱり自分のことが見えなくなることが多いんですけど、謙虚にならないとダメですね。自分に対していろんな辛口も言ってもらう人たち、言われやすい自分になるっていうか、自分がちゃんと分かる人っていうのは、自分のことに対して謙虚に耳を傾ける人でしょう。苦しいこと辛いこと言われるかも知れないけれど、それを糧にしていくことが人間力なんじゃないかと思います。私もまだまだ成熟途中なので、えらそうに言えないんですけど……。

フェリシモ:
高田さんが考える「日本の宝物」とはなんでしょうか?

高田さん:
私は、やっぱり日本人のマインドみたいなのが宝じゃないかなと思います。海外の人たちともいろいろ交流しているんで、日本人独特の気遣いとか気配りとか思いやりとか……でしょうか? 欧米の人、特にアメリカ人なんかは、自己主張がものすごく強いんですね。日本人は自己主張が弱いって言われるんですが、自己主張も大切だけれど、自己主張しながらなおかつ相手に対する配慮みたいなマインド、これは日本人は世界トップクラスだと思います。そういうマインドが日本の宝物の1つだと思います。

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Profile

高田 恵太郎(たかだ けいたろう)さん<「神戸コレクション」 エクゼクティブ プロデューサー>

高田 恵太郎(たかだ けいたろう)さん
<「神戸コレクション」 エクゼクティブ プロデューサー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1950年大阪生まれ、甲南大学卒業後、アパレルメーカーVANヂャケット入社。同社倒産後、企画会社、スポーツメーカーを経て、1989年神戸ファッションマートプロジェクトに参加。マーケティング部長としてアパレルメーカーの合同展示会、若手デザイナーの育成イベント、クリエイター育成支援事業、ITとファッションの融合など、様々なプロジェクトを実施。2002年8月神戸コレクション第1回目を開催。55歳を機に「オヤジベンチャー」を目指して以降、ITベンチャー企業、ファッション企業等のアドバイザーとして活動。2006年8月1日「神戸コレクション」の企画制作会社 株式会社アイグリッツ設立(大阪)、代表取締役エクゼクティブ・プロデューサー。2007年6月神戸からの情報発信事業を行う株式会社ぜんまい(神戸)設立、代表取締役。鶏頭となるも牛尾となる無かれ」をモットーに、仕事と人生を楽しんでいる。

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