神戸学校

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  • 寺田 千代乃さん(アートコーポレーション株式会社 代表取締役社長)
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「反省と挑戦が成長させた子育てママの創業物語~引越業がつくるしあわせ社会~」



<第1部>

「アートコーポレーション」は
引越業を中心に展開する会社です。

今日は、引越業に取り組んできたこれまでの過程と、どういうふうな考え方、思いでこの事業を進めてきたかをお話させていただきます。まず、今の「アートコーポレーション」をご説明させてください。

(映像)

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「アートグループ」は「アート引越センター」という引越事業部を持つアートコーポレーションを中心にグループ会社9社で経営を行っております。まず、国内物流、そして住宅関連事業、あと、輸入車の販売、メンテナンスをしております。それと、引越事業の中で、近場の引越を受けるダック引越センターを関東を中心とした首都圏で運営しています。あと、ライフサポート事業部。こちらには保育園が108園あります。私自身、子育てをしながらずっと仕事をしておりました。今のように保育所がほとんど無くて……。だから子育てをしながら働く女性を支援したいという思いがあり、北海道から山口までの地域108の保育園を運営しています。いま、グループ全社で約2700人の社員がいますが、もともとは4人でスタートした会社。「アート」(「アートコーポレーション」を「アート」と略。以下同。)がどんな会社かということを知ってもらうために、映像をご覧ください。

(映像)

わが社には、5つの理念があります。まず、「夢を共有する強い会社・楽しい会社を目指しましょう」そして「暮らし方を提案する企業を目指します」「“the 0123”というブランドを全社で高めていきましょう」そしてこれがいちばん大切なところなんですが、「CS(顧客満足)とES(従業員満足)を経営の基軸に置きましょう」最後に「顧客、株主、従業員、取引先の方との共存を目指していきましょう」という、この5つの理念、これを私たちの行動の規範にしようということにしています。
実は、この理念は、うちの専務が10分ほどでつくったんです(笑)。なぜ10分でできたか……、それは「いつも社長が言っていることをまとめてみたらできた」ということなんです。願わくば、この理念を「アート」の社員が、いろんなことを判断するとき、規範にしてほしいと思っています。

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「アート」は創業から30年。
4人で始めた小さな小さな会社でした。

創業当時は「寺田運輸」という運送会社。私と主人が結婚と同時に起こした鋼材屋さんの鋼材を運ぶ会社でした。主人、私を含め4人からのスタートでした。そして、それを母体にして1976年に「アート引越センター」を創業。翌1977年に「アート引越センター」を株式会社として設立しました。今年の6月で創業33年になります。

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始める時、引越は運送業じゃなくサービス業だということを基本にスタートしました。なぜこの引越業をしようとしたかと言うと、当時は、ちょうどオイルショック。ガソリンが無い、タイヤが買えないという不景気の中、仕事が入ってこなかったんです。運送以外の仕事を何かしておかないとやっていけないということで、いろんなことを考えましたが、残念ながらあるものは、車とドライバーだけ。それを使ってできることって何だろうと考えていたある日、新聞に、「引越貧乏」というタイトルの小さな記事を見つけました。そこには、大阪、神戸、京都、3つの都市の引越にかかった費用が載っていました。大阪が150億、京都120億、神戸100億、これだけのお金が引越に使われていると……。「本当かしら?」。調べてみると、確かに移動されている人は、すごく多かった。当時6,7%ですから100人のうち6~7人が移動されている。「これらの人はどこに頼んで引越しているんだろう?」そういう思いからスタートしました。

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引越は運送業ではなく、サービス業。
「あったらいいな」をどんどん形に!

この引越業、やりだすとすごくおもしろいんですね。運送の仕事は、できあがった商品を運ぶだけ。引越は自分たちでお客さまを探し、メニューをつくり、やっていく……。それが、すごくおもしろい。大変だけれど、それ以上に「あれもやりたい」「これもやりたい」となっていきました。そこで、初めて陸運事務所に「引越取扱い業」の免許申請に行きました。すると、その時の担当官に「引越では食べていけないから。食べていけないような仕事を受理するわけにいきませんよ」と却下されたんです。負けずに2回目も行きましたが、またダメでした。担当官は意地悪で却下しているのではなく「寺田運輸があるんだから、その免許の一部の仕事としてやればいい」という指導をしてくださったんです。が、どうしても引越取扱い業としてやりたくて……。その時に「どうしたら、受理していただけるんですか?」って聞いたんです。そうしたら、「最低、これだけの引越、これだけ仕事がありますよという確証になるものを持って来なさい」と言われたんです。そりゃそうですよね。私、当時20代です。こんなこどもみたいなのが引越の仕事をやる、まして引越なんて実業としてはむずかしい、まず無理だろう…… と思っていらしたんだと思います。そこで、寺田運輸がお付き合いのある地域の方、鋼材会社、スーパーにお願いして、「転勤が発生したらこの会社に頼みますよ」という仮契約書をつくってもらいました。そして初めて「引越取扱い業」という申請を受理してもらえました。私どもが第1号だったと思います。ちなみにスーパーと鋼材会社は地元にしかないので、転勤がないんですね。でも、役所ではそういう何かがないと申請を受理できないという感じでした。
(略)

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こんな形で、運送ではなくサービス業としてスタートしました。引越というのは不特定の方が対象なので、これまでの仕事とはまったく違っていました。その不特定多数の方に、「どうしたらこの会社が引越をやっているということを知ってもらえるか」 そこからのスタートでした。まず不特定多数の人に知ってもらうために何をしたらいいか……。いまなら間違いなくマーケットリサーチをします。ところが、当時はその余裕も知恵もないので、友人をはじめいろんな人に「引越するとき、どこに頼む?」という問いかけからスタートしました。そこで、出てきた答えが「電話帳で探すわ」という答え。電話帳を引っ張り出して調べると引越業者はありませんでした。大きな宣伝をされていたのは葬儀屋と探偵社でした。その並びを見ていると、「どうもアイウエオ順に並んでいるみたい」。当時電電公社に問い合わせると「そうですよ。アイウエオ順なんです。カタカナのアがいちばん最初ですよ」と教えてもらい「電話帳の最初にくる『アート』というのがいいのでは?」と思いつきました。当時カタカナの運送会社はなかったので、商品名を入れ、「アート引越センター」という社名が誕生しました。それで、いつ電話帳を開いても「アート引越センター」が一番始めにありました。あとづけになりますが、「私どもは、貨物を運ぶのではなく、美術品、芸術品を運ぶように家財を扱いますよ」という意味も……。本音は電話帳の一番最初に出したいということがありましたが、そのあと、「こういうふうな会社にしよう」という、いいベースになりました。 
でもそのあとすぐに「ア」という会社ができたんですよ。

(会場:笑)

本当なんです。「ア」、その時はびっくりしました!
ふたつ目は、やっぱり「0123」という電話番号だと思います。当社の社章は数字だけの「0123」です。創業のころ主人と「この番号を見たら、アート引越センターだね」って言ってもらえるような会社にしたいね、と夢を持っていました。
この電話番号、国内では500本以上、保有しております。1本目はたまたま申請したときの候補に入っていたんです。いまは、自分で好きな番号を申請できますが、当時は電話局が出してくれる番号以外は、手に入れようと思うと市場で買わないといけなかったんですね。電話番号を獲得するというのは、大変な作業でした。番号を譲ってもらえるようにお願いするんですが、知名度はまったくありませんから、話は聞いてくれても「やっぱりやめとく」という感じで、なかなか譲ってくれません。聞いたこともないような会社だとお金もたいして出してくれないだろうと思われたみたい。でも、会社の知名度が上がるごとに、譲ってもらえる率は上がりました。ただし、この知名度と同じように値段も上がったんですけどね。そのうち「この番号で迷惑しているから、買い取りなさい」と言っていただくぐらいこの「0123」という番号は浸透しました。

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三つ目は、テレビ、ラジオなどマス媒体を使った広告。広告を通じてダイレクトにアート引越センターという名前がお茶の間に入っていったと思います。テレビコマーシャルを出すとき、そのときまでの売上が3億でした。このコマーシャルを出して、約400%近く売上げが伸び、11億になりました。一番大きく伸びた時です。テレビコマーシャルに出すお金があったのかというと、とんでもないんですよ。お金はないんだけど出したかった。なぜなら、そのころ、初めてラジオの取材を受けたんですね。そのラジオを通じて、「アート引越センターとはなんぞや」という話をしたんですが、番組が終わらないうちに「今度引越するとき頼んであげます」って電話が何本もかかってきたんです。ラジオでこんな反響があるのなら、テレビならもっとあるんじゃないか。で、どうしてもテレビコマーシャルを出したくて……。資金調達は苦労しましたが、テレビコマーシャルは当たりました。初めてのオンエアのときは、主人とふたりでテレビの前に座って、そして15秒、指を折りながら、見ていました。見ていて数えていたら「12秒しかない。えらいことだ!」ってなりました。それで、あくる日会社に行って従業員に「昨日15秒流れた?」と聞くと「15秒なかった」と言うんですね。慌てて広告会社に電話すると、飛んで来られて「あれはコンピュータで制御しているから、ちゃんと15秒ですよ」って言うんです。自分のところの従業員は一所懸命見ているので、指の折り方が早かっただけみたいでした。

(会場:笑)

でも、それぐらい自社のコマーシャルが出るというと一所懸命見ていたんですよ。こういった形で、どれひとつ抜けてもいまの「アート」は無かったかなと思います。

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引越は運送業ではなく、サービス業。
「あったらいいな」をどんどん形にしていきました。

さきほど、引越取扱い業の第1号だと申し上げました。ということは、マニュアルがないということなんです。私たちがすること全てがマニュアルになるということなんです。一番最初に考えたのが「奥さま荷造りご無用」というサービス。それからも「こういうのがあったらいいんじゃないかな」と、いろんなことをしました。引越は今はコンテナ車が主流ですが、当時、次々新しいメニューを考えてコンテナ車でモノを運んでいるのは、パン屋さんのような食品か精密機械だけだったんです。それを初めて「アート」でコンテナ車を使うことになり、パン屋が使っていた中古車を買って始めました。この車のおかげで、走る殺虫サービスという走りながら害虫駆除をするというサービスを考えました。また、新居で靴下を履き替えるクリーンソックスのサービス、同じようにソフトの面では荷解きを行うエプロンサービスとか、公共料金の手続きをするワンストップサービス、冷蔵庫やテレビなどの物品販売も同時にやってみたらどうかということで、今も続けています。
ハード面ではお客様も乗車できる、2階建てのバスタイプのトラックで引越しをするドリームサルーン。引越しの荷物と車を一緒に運ぶカーキャリーといった車輌の開発や飛行機を使ったジェット便など、こういったサービスを次々に開発していきました。

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お客様の「あったらいいな」を考えることは、ものすごく大事なことなんですが、「これがいるんじゃないか」「あれがあったら喜ばれるんじゃないか」っていうのがどうして進んだかと言いますと、どのサービスも特許のあるものではないのですぐに別の企業が同じような商品を出してこられるんです。なので、常に次の新しいもの、次の新しいもの…… という感じでやってまいりました。ライバルがいたから、次の「あったらいいな」が考えられたのかなと思います。
よく「そういうアイデアって、どうやって生まれるの?」って言われます。創業当時従業員は数人しかいませんから、アイデアも少なかったのですが、今はいろんな社員から提案を受けています。そして、お客様からもいろんな提案、アイデアをいただけるようになっています。人と会って話す時に、単に聞き流すのではなく、話を一所懸命聞いていると「あ、そのアイデアって自分の会社で使えないかな」っていうのが必ずあるものなのです。どんな話の中にも得るものがあるということを前提に話を聞くと、本当にいろんなことと出会います。実は、私どもの「レディースパック」と「シニアパック」これは、どちらもマンションデベロッパーの社長さんとお話しているときに思いつきました。「最近の女性は強くなりましたねー」っておっしゃるんです。「私のことかな?」と思ったら、「最近は独身の女性がマンションを買われる」と言うんですね。「そういった方の引越を女性がやったらどうか」と思いつきました。女性はいくら慣れたプロのスタッフでも男性に触ってもらいたくない物ってありますものね。引越業も女性だけでもできるのではないかと……、女性だけの部隊をつくりました。そのあと、ストーカー問題とかいろんなことが出てきたので、この要請は増えました。こんなふうに、人と話をしている時に思いついたアイデアがたくさんあります。私自身、世の中の変化を見逃さないように意識し、常にお客様の「あったらいいな」という物の開発を続けています。

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たくさんの壁にぶち当たり、でもそれを越えて……。
お客様も社員も満足してもらえる企業を目指しています。

こういう話をしていると、「創業以来順風満帆、右肩上がりで来られたんでしょうね」ってよく言われます。そんなことありません。いつもいろんな壁にぶち当たり、「また?」「またか」の繰り返しでした。色々悩んで眠れないこともありました。後から考えると、なんであんなことで悩んだんだろうってこともありますが、やっぱりいろんな壁がありました。

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例えば銀行でお金を借りられないこともありました。お金を借りたい、でもなかなか借りられないときに、「あー、やっぱり私が女性だからか」と思ってしまうと、次に行けなくなってしまうんです。「まだこの銀行から借りられるだけの会社になってない」と思った方が、「よし、銀行はお金を借りてくださいって言われるくらいになろう!」とがんばれます。逃げてしまったらダメ、そこで終わりですから。いろんな壁を超えながら強くなってきたと思います。

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280億の目標を300億に!
まず「やろう!」 という気にならないと本当にできない。

会社が会社らしくなった時というのは、バブル崩壊の時でしょうか。1992、1993年、この2年は、「アート」が280億という売上目標を立てたんです。1992年の売上は255~6億だったと思います。で、翌年、「もう一度がんばれ!」ってことで、目標を280億にしたら、やっぱり260数億で止まってしまいました。と言いますか、決算が9月でしたから、9月を待たないで「絶対手が届かない」と思ったんです。その時に、役員が「社長、一度目標をさげましょう。280億の目標を2年連続で達成できませんでした。3年目も達成できなかったら、社員が自信をなくします。自信を失うと何もできなくなるから、一度(目標額を)下げて、もう一度再スタートしましょう」と言ったんです。でも、私はそれをやりたくなかったんです。目標というのは、手を伸ばしてつかめるようなものが目標なんです。手の中にあるものは、目標とは言わないはずですね。だから「とにかくもう1年やろう」と役員を説得し、支店長をみんな集めて「来期は280億はもう止めました。300億にしよう!」と、言ったんです。同じ人で、同じ店で、それをやっていくのは実は普通ではありえないことなんですね。何か大きな目標を立てると、条件が入るんです。例えば、人を増やしてほしいとか CMももっと流して、とか、あるいは支店を増やして、こういったことになるんです。でもまず「やろう!」という気にならないと本当にできないんです。

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ですから、彼らに「よし、やります」と言ってもらうことのために、1日かけていろんな議論をし、そしてその中で初めて、「やりましょう」と言ってもらえました。このときばかりは、何も言わずに「やりましょう」と言ってくれました。もちろん「やれる」と思ったかどうかは別ですよ。しかし、やる気にはなってくれた。そしてやれた時には、みんなでもう一度、みんなで汗を流しにハワイに行こうという約束をし、支店毎の独立採算制を導入しようということでスタートしたんです。結果は、306億を達成できました。マインドが変わったからじゃないんですよ。その1992年から会社は「アート」としていろんなできる改革をすべてやってきたんです。しかし、なかなか進まない。それは、実際それをやろうとする人が本気になってやろうと思わなかった、だからできなかったんです。だからここで「やりましょう」という約束がほしかったんです。

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社名変更で売上げダウン?
でも、業績アップのための営業同行で
管理職と営業担当との距離がぐんと身近に

ある時、本当に「しまった!」と思ったことがありました。業績を上げるために、毎週末土日の8日間、管理職が営業担当と一緒にお客様のところに見積りに訪問するというコンペをしていたんです。その時に私が名刺をお渡しすると、お客様が「アートコーポレーションさんって、アート引越センターのことなんですか?」っておっしゃったんです。「なんてことをしたんだろう」と思いました。1990年、バブル頂点のころは、社名変更ラッシュで、私どもも「アート引越センター」から「アートコーポレーション」に社名変更しました。事業の幅も広がっていましたから、引越というカテゴリーを外したんですね。しかし、「アートコーポレーション」が「アート引越センター」だとわかってもらいにくくなっていたようです。

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さかのぼってみると、2年間、じわじわ時間をかけて私は会社を悪くしていました。どんな会社も同じです。悪くなるときは、必ず悪くなる原因があります。何にもないのに悪くなることはありえないと思います。お客様と直接話したことでそれに気づき、本当によかったと思いました。また、そのおかげで営業担当と管理職との風通しもよくなりました。みなさまはどうですか? 仕事をしていて、あれは本社だから」とか「あれは支店だから」といった壁はありませんか? 「アート」も本社と出先の壁ができていたんです。ところが8日間も一緒にいると、コミュニケーションが取れ、仕事以外の話もできます。そして、コンペが終わってもコミュニケーションが続いていきました。

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ずっと大切にしたい言葉を
お客様からたくさんいただきました!

最初に、「『アート』はCS、ESが経営の基軸です」と申し上げました。CSというのは、お客様満足です。ESというのは従業員満足。従業員が満足できないとお客様にも満足していただくようなサービスは提供できないということで……。本来ならお客様にしっかりといいサービスが提供できているはずですが、(業績が)伸びなくなったころ、原因を探すために、現場への飛び込み視察を始めました。と同時に、CSカードというアンケートレターを作成し、お客様の声を返していただく場所を社長室に設けたんです。当初、引越件数の11~12%のレターが返ってきていましたが、それがちっとも増えないうえ、お叱りのレターも結構入っていたんです。「仕事中に煙草を吸う」「あいさつができない」など、まさかと思うような内容もありました。みんな、バブルの中でおかしくなっていたんです。どこへでも就職できる、ドライバーのライセンスを持っていれば引く手あまたというようなとんでもない時代でしたから……。
そんなふうにおかしくなったものを10年かかって取り返しました。現在は、年間約30万件の引越で、58%のCSカードが返ってきています。これは、マーケットリサーチの会社に聞いても、相当な量だそうです。最初の11%が58%になるまでに10年かかりました。満足度は91%超え。手前味噌ですが、CSカードを少し読んでいただけますでしょうか?

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「ずっと、大切にしたい言葉。CSカードコメント集」

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こういった感じのレターを郵便局の方がカゴを押して持って来られるくらい、返ってくるようになりました。またそれを必ず、社員にフィードバックすることで彼らのモチベーションアップになっています。

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会社が強いことは個の単位が強いということ
「アート」は、みんなで一緒に同じ方向に
向かっていける会社です。

今日のサブタイトルに「Small but Excellent」という言葉を入れています。これは、小さくても一流企業になろうということ。業種は関係なく、どこの会社にも社長がいれば専務もいて、あるいは営業もいて生産職もいると思うんです。「『アート』は小さいけれど、なかなかあの部署手強いな」というふうに言われるようになれば一流のところに行けると思っています。
5つの理念の中で、「強い会社、楽しい会社」と言いましたが、会社が強いというのは、個の単位で強いというのを言っているんだと思います。社長が強いとか、役員が強いとかじゃなく、それぞれの部署、それぞれひとりひとりがその部署で強いことが、会社が強いということだと思うんですね。10年前までは会社の力は経営者の力だと思っていたんです。今の会社の規模は私の力、今以上を望むなら自分が一皮剥けなければ無理だと思っていたんです。でも違いました。会社は従業員全員の力です。その力以上のものはできない、その力が大きくなることで会社が大きくなっていくというふうに思います。
(略)

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25周年のときに社員のみんながサプライズでお祝いをしてくれたんですよ。うれしかったです。「25年間いろんなことがあったけれど、あなたたちと仕事をしてきてよかったと本当に思っています。そして、今アートでがんばってくれているみなさんに後悔させない」と言いました。そして、その日に従業員持ち株会をスタートさせました。上場もしました。
私が仕事を始めたのは29歳、当時女性の社長はほとんどいませんでした。だから本当に「早く歳を取りたい、もっと貫禄をつけたい」とばかり思っていました。でも、自分が女性だから体験できたことがたくさんあります。
「アート」は、世間でいうエリートと呼ばれる人はほとんどいません。普通の人ばかりがたくさんいる会社です。しかし、本気で何かをやろうと思ったときにみんなで一緒に同じ方向に向かっていける人たちがたくさんいる会社です。会社というのはひとりでやるのではく、みんなでやるものなんです。会社のスローガンに「反省と挑戦」というのがありますが、常に前に向かって行こう。でも、ときには忘れものがないか立ち止まって後ろを振り向こうとも思っています。
アートはまだまだこれからの会社です。サービスに終わりはないということなので、グループ経営ではありますが「the 0123」というブランドをもっともっと強く高く盛り上げていこうと思っています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
社長業をしてこられた中で、大変で投げ出したいと思ったことはありますか?あった場合、どのように克服されましたか?

寺田さん:
もちろんあります。スランプだと初めて自覚したときがあります。日常的に仕事はこなしていましたが、何をしても満足できない自分がいたんです。「ほかにやり方があったのに」「ほかの言い方があったのに」「あ、これができてなかった」とか、仕事はうまくいっているのに、気持ちがネガティブなんです。だから、リズムがすごく悪いんです「何をしてもすきっとしない。仕事がやりきれていないように思う」って、めったに吐かない弱音を主人に吐いていました。
どうやって克服したかと言うと、私と同じように創業からがんばっていた役員がいたんですが、彼の仕事を見ていたら全然うまくいっていないと思ったんです。「あなた、いったいどうなってるの?」と聞いたら、彼も何をしていいやらわからないような感じだったんです。私は、その人に「いま、自分の抱えている仕事を全部書きなさい」って。「どんな形でもいいから、終わったものから赤線引いていきなさい、そこからスタートよ」ってアドバイスしました。「私もだ」って、人に言いながら気がついたんですね。そんなもんです。あとは、「自分ならできる、私ならできる」っていつも自分で言いながら、歩いていました。

お客さま:
御社では、仕事とはどういうことのためにするのでしょうか? 仕事観とは?
それを社員と共有していくために、社長として、どういう取り組みをされてこられましたか?

寺田さん:
私自身、仕事は、世の中、社会の役に立てない仕事は仕事じゃないと思うんです。だから、私どもの社員はみんな、自分たちの仕事が社会の役に立っているということ前提に仕事をしています。夢の共有ですが、社員が1000人を超したときに初めて5つの理念を掲げました。それまでは、私は全国の支店をまわって、仕事の終わった社員たちと食事をしたりお茶を飲んだりしながら、会社の現状、考え方をface to faceで話すことで、お互いのものとしようとやってきました。いまは、2700人の社員たちとface to faceがなかなかできないので、5つ理念をつくったんです。少なくとも夢の実現をできるような会社でありたいと思います。

お客さま:
常々気になっている「ホスピタリティ」という言葉。寺田さんはこの言葉はどういう意味を持つと思われますか?

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寺田さん:
まさに思いやりですよね。相手に対する気持ちだと思います。この人に喜んでほしい、ということを実践していくことだと思います。

フェリシモ:
読ませていただいた参考書籍の中に、「ブランドをとても大切にされている」と書かれていたのですが、そのブランドに対して、どのような考えをお持ちでしょうか?

寺田さん:
ブランドというのは、どこを押しても同じものが出てこないといけないと思うんですよね。それと、安心ですね。例えば、引越に限らず、ここでものを買ったことへの安心、「例えばアートだから怒るのよ。ほかのところだったら怒らないけど、アートさんがこんなことではダメだ」っていうお叱りはブランドがあるからだと思います。「まあ、あそこだったらあれぐらいのこと仕方ないでしょ」といわれているときは、まだブランドに至らないんじゃないのかな。ブランドというのは、自分たちがつくるというよりは、まわりがそう認めたときがブランドだと思います。

お客さま:
失敗を受け止め改善していくことが大切だと気づかせていただきました。恐れずに挑戦することが苦手な若い社員を後押しするために心掛けていることはありますか?もし失敗した場合にどんな言葉をかけますか?

寺田さん:
社員の失敗の話はしょっちゅう聞きます。若手の社員が集まる機会は多いので。失敗を「失敗した」と言えることがいいんです。失敗していても失敗を認めることができないから、次の新しいことができないんだと思います。わたしも何度も失敗しているんです。基本的に何もしないリスクを取るより、挑戦するリスクを大事にしています。何か挑戦して失敗したことが、会社のマイナスになることはありません。ただ、何にもやらないで失敗した社員に対しては結構手きびしくやっています。会社のスローガン「反省と挑戦」と毎年年初めに決める今年のテーマは、まさに私たちが自分で反省したことです。創業からひたすら前を向いて走っていたんです。だけど、ふと後ろを向いたら一緒に走っていたはずの人がずっと後ろの方にいたり、あるいはいなかったりするような10年間を過ごしたんです。「チャレンジ」が、もっとも「アート」のスピリッツとするところですが、ときには立ち止まって後ろを振り向いて「やり残しているところはないかな」と考えようと思っています。

お客さま:
仕事を効率的に進めるために心掛けていることはありますか?

寺田さん:
むずかしいんですよね。私自身、スケジュールに縛られて動いているところがあります。最初に目標を決めると、それが納期になりますから、自分で納期を決めることが効率を上げることだと思います。あとは、自分ひとりでしないで、まわりの人を巻き込んでやるというふうにしています。なんにでも納期があるということを大事にしていってください。

お客さま:
いままでいちばんしあわせだなと感じたのはいつですか。

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寺田さん:
25周年のときに、従業員たちに祝ってもらえたことがすごくうれしかったです。そのときに初めて従業員に返せることはこれかなって思い、上場しました。

お客さま:
ご自身の目標はなんですか?

寺田さん:
「自分のお父さんの会社に勤めたい」とか、「うちのこどもを勤めさせたい」「お兄ちゃんの会社に勤めたい」と思って、兄弟、夫婦、家族でお勤めしてくれる人が増えることが目標です。

お客さま:
くじけそうな時、どうやって自分を奮い起こしますか?

寺田さん:
くじけそうな時、どんな時かな? 結構ガクッときても、自分で自分をポジティブに持っていく方なんで……。くじけたら楽だろうなと思うこともありましたけれども……。いちばんいいのは、自分を奮い起こすというか、自分に逃げ場がないと思うことがいちばんだと思います。逃げ場をつくったら、やっぱり楽な方に行きたいですから。自分がやらないと、自分が奮い起こさなければ、社員を引っ張っていけないんですよね。だから、そういう意味では常に「自分はやっていく!」という気でいます。崩れ出したら、できないことがいっぱい出てくるんです。「私はできる!」 「自分はできる!」っていう気でいっています。

フェリシモ:
引越という人生の節目を演出され続けている寺田さんのお話は、経営者として創業30年以上駆け抜けてこられた生き方から、多くの気づきとエネルギーをいただくことができました。経営のエキスパートとしての寺田さんにうかがいます。人生を80年間としたとき、私たちは人生70万時間をしあわせに過ごしていく経営者であると言えます。私たちひとりひとりが人生の経営者として、あるべき姿とはなんでしょうか? また自身にとどまらず、まわりへと拡大していける秘訣は何でしょうか?

寺田さん:
まず、何をするにも自立が原則。自分自身の目標を持たないといけないと思います。マラソンでも同じですよね。目標なしに走っているマラソンなんて意味はないですもんね。それは、第三者から見て「何だ、つまらない目標」って思われても関係ありません。自分自身の目標をきちんとつくり、そのために努力するということ。ハードルを超えたときって結構そう快な気分ですよね。気がついたら、自分がそれなりのものを身につけて強くなっているということだと思います。がんばってよくなっている人を見て、自分もがんばってみようと思ってもらうことが、まわりにも広げられることになるんじゃないかと思います。
好きな言葉があります。若いとき、ある銀行の頭取に言われたんです。ひとつは、「友人を貯蓄しなさい。私が、この人と友だちでいたいと思っても、向こうが思ってくれないとダメ。人にも“この人を貯蓄したい”と思ってもらえるようになることですよ」って。ふたつ目は「健康の貯蓄をしなさい。どんな立派なことをしてもどんないい友人がいても、健康でないとダメ」と……。そして三つ目に「お金は当行に貯金してください」って言われたんですけど……。
(会場:笑)
今も心に残っている言葉です。

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Profile

寺田 千代乃(てらだ ちよの)さん<アートコーポレーション株式会社代表取締役社長>

寺田 千代乃(てらだ ちよの)さん
<アートコーポレーション株式会社代表取締役社長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1968年、結婚と同時に夫と運送業を始め、アート引越センターの母体である寺田運輸株式会社の経営に参画。1976年、寺田運輸の一事業としてアート引越センターを創設。創業以来、電話番号を『0123』に統一し、『走る殺虫サービス』など従来にないサービス内容や経営方針で、引越業における数々のヒット商品を市場に送り出した。1990年6月には社名を『アートコーポレーション株式会社』に変更。現在国内に約100拠点を持ち、アメリカ・中国にも展開。「the0123」アートグループとして引越サービス事業を核に、多角化を進め、グループでの相乗効果を発揮しながら「暮らし方を提案する企業」として事業展開を加速させている。他社の社外取締役を多数務める他、関西経済連合会副会長を務める。

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