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「歌舞伎の楽しみ~表現すること 継承すること~」



<第1部>

歌舞伎との出会い
こども同士のふれあいのために入った松竹芸能から
歌舞伎の世界へ……

愛之助さん:
今日はどうぞよろしくお願いします。

フェリシモ:
本日は歌舞伎の世界に初めて触れられるお客さまもたくさんいらっしゃいますので、基本的なことをうかがいながらお話を進めていきたいと思います。まず、愛之助さんはもともと関西のご出身でいらっしゃるんですよね。

愛之助さん:
いまも大阪の堺に住んでおります。

フェリシモ:
歌舞伎との出会いはいつだったのでしょうか?

愛之助さん:
これが話すとまた長くなるのですが……。

(会場:笑)

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もう知っていらっしゃる方も多いと思うのですが、歌舞伎って、昔はそうでもなかったんですが、いまは結構血のつながった方々が名前を受け継いでいくことが主流となっているんです。けれど、僕は歌舞伎の家柄ではない普通の家に生まれた人間なんです。うちの家は、船のプロペラ、スクリューをつくる会社、いわゆる鉄工所を祖父がやっておりました。堺といえば、工場地帯でダンプの出入りが非常に激しいので、僕は幼稚園、小学校時代、「危ないから家から外へ出ちゃいけない」と言われて育ったんです。で、家にばかりいる僕に親が見かねて、とある新聞を見たら「松竹芸能、子役募集」というのが載っていて、塾代わりに僕をそこへ行かそうと申し込んだそうです。
そうしたら、オーディションに来てくださいと言われまして「まあ、受かることはないだろうけれども、行ってみれば」ということで行ったら、たまたま受かったんですね。そこから、児童劇団で演劇部のようなことをやっておりました。そして、松竹の人がひとりひとりに「あなたテレビ出てみませんか?」「舞台出てみませんか?」とお仕事をくださるんですね。いちばんはじめに、藤山 直美さんが初めて主演をつとめられた『欲しがりません。勝つまでは』というNHKのドラマに、ほんのちょっとした役で出させていただきました。こどもながらに覚えているのはひたすら待たされたこと(笑)。何回寝て起きて寝て起きて、何時間待たされたことか……という中で、ようやく自分の出番が来た……ということくらいしか覚えていません。

(会場:笑)

何年か前NHKの番組『トップランナー』に出演させていただいたときに、そのVTRを探してきはったんですよ。僕は、それ以来見たことがなかったんですけど、そのVTRを流していただいて……。こどもが何人か一瞬走り出てくるんですけど、僕もよく見なければわからない勢いで……。「あれ? いまどこに出てたの?」って、司会の山本 太郎さんに言われたんですよ。

(会場:笑)

それから、商業演劇という歌舞伎以外の芝居に出させていただき、そのあと歌舞伎の子役で出させていただくことになり、しばらく歌舞伎の子役が続きました。もちろん、そのとき両親は、歌舞伎を見たこともなく「顔を白く塗ってるやつやろ?」くらいの知識しかなかったんですよ(笑)。歌舞伎というのは1ヵ月間休みがないんですね。ですから、子役も学校を1ヵ月間休まなきゃいけないんですよ。だから、勉強の遅れが大変で……(笑)、小学校1年、2年、3年とやってたら、びっくりするくらいあほな子に育ってしまいまして……。北海道の位置がわからないんです。

(会場:笑)

これ笑い事じゃなく大変やったんですよ。北海道の位置もわからない馬鹿な子に育っちゃって、もうそろそろ芝居をやめなきゃなと思って、当時、中座に出ている最中に、松竹さんに「芝居をやめなければ、勉強が大変なので……」とお話したんです。「もったいない。役者にならないんですか?」と言われたんですが、もともと俳優、歌舞伎役者にするために松竹芸能に入れたのではなく、こども同士のふれあいのために親が入れたものなので、「めっそうもない。むずかしい世界ですし……」と。

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(今の)父の秀太郎の楽屋に「ありがとうございました」と母親とお礼を言いに行きました。そうしたら「この子を役者にしないんですか?」と言われ、「それどころか、今月をもって、すべて辞める予定なんですよ」と話したら「それはちょっと待ちなさい。今月終わったら、うちの家に来なさい」と言われまして、両親と僕で家にうかがったんです。そこで、「歌舞伎役者にどうですか?」と言われ、両親は僕がやりたいことをやらせたかったらしく、僕は好きでしたから「やりたい」と言いました。よく雑誌のインタビューで、「じゃ、そのころ人生の決断をなさったんですね」と言われるんですが、こどもですからね、そこまでたいそうなこと考えてないですよね。ただやりたいからやる、野球がしたいからする、サッカー部に入りたいから入る、そのくらいのノリで僕は「やりたい」と言ったと思います。で、入れていただくにあたって、秀太郎の名前より父の名前の方がいいだろうとおっしゃってくださって、その父というのが十三代目片岡仁左衛門。快く引き受けてくださって、そして、十三代目の部屋子として、歌舞伎界へ入ることになったのが9歳なんです。十三代目仁左衛門の本名が千代之助と申しまして、千代というのをいただきまして千代丸というなまえを頂戴いたしました。それが昭和56年の12月、京都の顔見世でお披露目させていただきました。

フェリシモ:
9歳というと遊びたい盛りだと思いますが、そんな時期に大人の世界に混じるというのはどうだったのでしょうか?

愛之助さん:
楽屋の中は遊び場みたいなもので、小道具の刀でチャンバラごっこをしていました。あとよく、年上のお兄さん方が遊んでくださるんですよ。いまでいう、福助兄さん、橋之助兄さん、におもちゃを買ってもらったりしてよく一緒に遊んでもらいました。そうやって楽屋で遊んでもらえることが楽しかったです。舞台、芝居はむずかしかったです。こどもですから、例えば義太夫のきっかけとかが分からなくて。でも、なんとなく耳で聞いて覚えるみたいなことはやっていました。

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歌舞伎ビギナーのための基礎知識
「歌舞伎」とは?
上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いは?

フェリシモ:
歌舞伎の基本的なことについておうかがいしたいのですが、そもそも歌舞伎という言葉はどこから来ているのでしょうか?

愛之助さん:
「歌舞伎」は、もともと「かぶく」という言葉からきています。「かぶく」というのは、変わった奇抜な格好をして踊り狂っている、いまでいうところのパンクロッカーみたいな感じでしょうか。化粧をして髪の毛を逆立ててガーッて、「なんだあいつら」というような変わった人たちのことを、「かぶいてるよね」と。その「かぶく」という言葉が語源になっています。もともと1603年の慶長8年に出雲阿国という人が、京都の四条河原で、レビュー的な踊りをしていたものがそもそもの始まりと言われています。ですから京都の四条河原には出雲阿国の像が立っております。そこから、江戸へ流れていったんですよ。いまは関西に住んでいる役者も少なく、上方歌舞伎というもの自体の力がなくなってきていて……、どうしても歌舞伎というと東京の歌舞伎座のイメージがあって……。12ヵ月、毎月開いていますから江戸が主流な感じですが、もともとは上方で生まれたものなんですよ。

フェリシモ:
上方歌舞伎と江戸歌舞伎の大きな違いは?

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愛之助さん:
すごく細かく分けるとむちゃくちゃむずかしく、ひとことで言うと、言葉が違う(笑)。

(会場:笑)

文楽でしたものが上方歌舞伎となって、言葉ももちろん違うんですが。例えば今月上演している「義経千本桜」のうちの「すし屋」なんか、もともと上方のもので、言葉ももちろん上方の言葉で「いがみの権太」という……、僕らのお母さん、おばあちゃん世代の人たちが「あんた、ごんたくれやなあ」「ごんたな子やなあ」という言葉を使いますが……。「ごんた」って知ってますか?

フェリシモ:
初めて聞きました。

愛之助さん:
そうですよね。「ごんた」ってやんちゃな子のことを言うんですけど、その「ごんた」の語源ができたっていうくらい「いがみの権太」って主人公の話す言葉は「おぅ。いま帰ってきたぞ。何いちゃいちゃさらしとんじゃい」くらい柄の悪い言葉なんですが、それが東京の役者さんが上演すると、言葉が江戸弁になり、すごく粋になるんですよ。でも、出てくる土地がおもいっきり上方なんですよね(笑)。役者の解釈によって芝居のうそで、言葉が江戸弁になって、でもいい作品だから上演されるんです。昔、えらい役者さんに「なんで標準語なんですか?」と尋ねた勇気のある人がいたらしくて……。すし屋の話ですから、「江戸ですしの修業してきたから江戸弁しゃべってんだ」という答えが返ってきたという話もあるらしく……。

(会場:笑)

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もともとそういうものが多く、江戸では初代 市川団十郎という人が江戸歌舞伎というものをつくりました。わかりやすく言うと、江戸のものというのはスーパーマンみたいな登場人物が多いですね。「暫(しばらく)」という狂言でもそうなんですが、大きな長い刀があって、どうやって抜くのかっていうくらい長いんですが、その刀を抜いて、バーってこう横に引いただけで、そこにいる人の首が飛ぶんですよ(笑)。びっくりするのが、生々しくない人形の首が紐でつながっていて、それがゴロンといっぺんに出るわけです。黒子が後ろからバーンって放り出すんですね。で、首を切られた人たちは襟の後ろから、赤い布をピロッて出して頭に被るんです。頭切られて、その赤い布が血だと……。みんな布を被って引っこんでいくんですよ(笑)。漫画みたいな世界なんです。とにかく怪力、スーパーマンみたいな人が、悪をやっつけてしまうという気持ちのいい時代ものの江戸もあれば、世話もので粋な「魚屋宗五郎」みたいな下町の話もあったり……。上方は男女間のじゃらじゃらした話が多いですね。ああでもないこうでもないと、いつもなよなよした内容の……。往々にして言えることは、男性は色が白くなぜかいつも金がないんですよね。

(会場:笑)

金がないくせに、すぐ女のとこに行くんですわ。で、人の金に手をつけて、しょうがないから「一緒に死んでくれ」っていうような……。そんな都合のええ話ないんですけど、なぜか感動してしまうという。

(会場:笑)

これが現代劇やったら、「お前、あほか」と……。歌舞伎だとこれが感動するんですよね。これを「つっころばし」と呼ぶんです。突いたらなよっとするような男性が主人公の、近松の作品とか。情が深いものが多かったりしますね。

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太鼓の音で表現するのはどんなシーン?
お客さまも一緒に考えました。

フェリシモ:
これから、実際に歌舞伎に使われている音を聞いてみたいと思います。その音が歌舞伎のどんなシーンに使われているか、想像しながら聞いてみてください。

(太鼓の音)

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フェリシモ:
力強い太鼓の音、どんなシーンを示しているかおわかりになる方いらっしゃいましたら手を挙げてお答えください。

お客さま:
川の流れの音ではないでしょうか?

愛之助さん:
そういうときにも使われます。当たりです! 太鼓ひとつでいろんな音を想像させるものなんですよね。その場面が出てきて、役者が演技をするとそういうふうに聞こえてくるんです。

フェリシモ:
次の音を聞いてください。

(太鼓の音)

フェリシモ:
ちょっと荒々しい音でした。おわかりになる方いらっしゃいますか?

お客さま(同じ方):
激しい雨の音。

愛之助さん:
左様でございます。大正解です。すごいですね。小雨だと、団扇に小豆なんかをつけてバラバラバラとするときもあるんです。

フェリシモ:
こういう音は舞台のどこから出しているのですか?

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愛之助さん:
舞台の下座と言いまして、下手にあります。黒御簾がかかっているところが、演奏してくれるところ。オーケストラボックスみたいなところです。そこから音が出て、役者の台詞の合間にかかる音とか、出入りの音を演奏してくれます。狭い部屋なんですが、そこに歌を歌う人、三味線、鼓、笛、太鼓、みんなが入ってくださっています。

フェリシモ:
最後にもうひとつ音を聞いてください。

(太鼓の音)

フェリシモ:
いまの音、おわかりになる方?

お客さま:
雪です。

愛之助さん:
正解です。本当は、もうちょっとゆっくりなんですけどね。基本的に雪って音がないじゃないですか? 音がないものに音をつける歌舞伎ってすごいなと思いますね。

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「見得」ってどういうものですか?

フェリシモ:
次は「見得」について教えていただけますか? 
そもそも「見得」というものは、どうして行われるんでしょうか? 

愛之助さん:
テレビとか映画だと、大事な場面はアップにされるじゃないですか。いま何を考えているのか、どういう表情なのか、よくわかります。舞台というのは、いわゆる引いた絵じゃないですか。全体を見渡せる中で、どこを見ていただきたいか……、テレビでいうところのクローズアップっていうのが、「見得」なんですよ。基本的にひとりの役者が真ん中で「見得」を切っているときは、ほかの人はストップモーションなんですね。止まってるんです、じっとしているんですよ。真ん中の人だけを見てほしい、というので、「附け(つけ)」っていう附け打ちさんが上手で木で叩くんですけど。そこがテレビで言うところのアップです。「いまここ大事なとこだ。見てちょうだい」って感じ。

フェリシモ:
強調なんですね。よろしければ私たちも「見得」に挑戦したいのですが……。

愛之助さん:
“私たち”って誰ですか?

(会場:笑)

フェリシモ:
簡単な「見得」をちょっと教えていただけますか?

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愛之助さん:
「見得」って、例えば仇を討つとか、相手がこっちにいて、こっちの人を意識して「見得」を切るときは、片目だけ内側に寄せるんです。片方の目は真ん中に置いておいて、もう片方の目を内側に寄せるんです。右側にいる人を意識して「見得」を切る場合は、左目を内側に寄せて、右目はそのままにするんです。附け(つけ)に合わせて、こう……。

(愛之助さんが実演)
(会場:歓声&拍手)

愛之助さん:
これをみんなでやるわけ?

(会場:笑)

愛之助さん:
どう説明すればいいんですかね? うーん、でもせっかくなんでやってみましょう。僕は練習したことないんですけど……。じゃあ、ご自分の指を出して、まず指を見てください。そしてそれを、どちらかの目の真ん前に持ってきてください。指の先をずーっと見ながら、指をどんどん近づけてください。最高に近づけたとき、これが「見得」の状態なんです。そこで、足を踏み出して「見得」を切るんです。もう何も見えていない状態ですよね。大きな衣装を着て、「見得」でこれだけ揺すると平衡感覚もなく倒れそうになるので、そういう意味では「見得」ってむずかしいですよね。みなさん、できましたか。帰りの電車の中で練習しないでくださいよ。おかしな人と思われますからね。

(会場:笑)

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愛之助さんが思う歌舞伎の魅力とは?

フェリシモ:
愛之助さんが歩まれてきた歌舞伎の人生についてうかがいたいと思います。
まず、愛之助さんが考える歌舞伎の魅力ってどこにあると思われますか?

愛之助さん:
こどもって正直じゃないですか。おもしろいものはおもしろい。例えば、家族で料亭に行って緊張した感じでいる中で、こどもって「おいしくなーい」って遠慮なく言っちゃいますよね。「何言ってんの、あんた」って親御さんはおっしゃいますけど……。それくらいの小さいころのこどもである僕が、歌舞伎を見て「おもしろい」と思ったわけです。なんの利害関係もなく、ただ見てすごく引き込まれたというところに僕は歌舞伎のすばらしさを大人になって改めて思いました。何も考えないこどもが「すごいな」「いいな」と思ったというものは、すごいんじゃないかって思いましたね。それは、まず視覚的なもの、舞台を飾っている大道具、道具転換、回り舞台があったり、バタンと道具が倒れたり上がったり下がったりというのと、衣装の豪華さ。普通の着物とは違った色の組み合わせとか、こどもながらにして「すごいなあ」と思っていました。あと、女形というのもすごいなと……。歌舞伎を初めてご覧になられた方が「女性よりも女性らしい。勉強になる」とおっしゃってくださるんですが、当たり前なんですよね。女性より女性らしくしないと、ただの女装趣味のおっさんみたいになってしまいますからね(笑)。

(会場:笑)

誇張ですよね。頭も大きいんですよ。あんな大きな髪を結う人いませんからね。ですけど、男なので基本的に骨太じゃないですか。ですから衣装も頭も大きくつくられていて、カツラなんて顔を小さく見せるために眉毛のすぐ上から被ってますからね。

(会場:笑)

クリが、眉毛のすぐ上にあるじゃないですか? そんなでこ(額)狭い人いませんよね。あったらおかしいんですよ(笑)。でも歌舞伎で見ていて、違和感ないじゃないですか。みんな「きれい!」って思うんですよ。

フェリシモ:
歌舞伎の世界というのは、個性というのは重視されていると思われますか? その人らしさだったりとか……。

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愛之助さん:
ありますね。亡くなられた方に多いのですが、その人だから許せる、その人しかできない演技もあります。いくら僕らがマネしようとしても、本当にそういう芝居っていうのはできません。もともと役者って単品ですよね、そのもの自体が売り物ですから、個性がなきゃだめですし、あり過ぎてもだめですし……。家の代々のお芝居について演じる型が、お家お家にありますから、型を崩さない中で、個性を出すのは非常にむずかしいと思います。それは現代の役者でもそれぞれありますね。

フェリシモ:
演目自体が時代によってアレンジを加えられ、変わっていくっていうことはありますか?

愛之助さん:
あります。まったくそのままっていうものは逆にないんじゃないでしょうか。淘汰され、削ぎ落とされていまに残っているという、どんどん進化していっているので、逆にいま残っているものを変えようとする方がむずかしいと思います。最近のものは普遍ですね。右足を踏み出すなら右足を踏み出す理由がちゃんとあって、左足にしようとすると矛盾が生じてくるわけです。理屈がある上での、裏づけがあって文楽をしているからこうっていう、裏づけがあって変えるならいいんですけど、そうじゃなかったら容易には変えられないように、もうちゃんとできあがっているんですね。

フェリシモ:
愛之助さんご自身がアレンジを加えた、というエピソードはありますか?

愛之助さん:
復活狂言はもうほとんど新作ですよね。というのは、ほとんど、それを見た方もいらっしゃらないですし、資料や台本が残っているくらいで、どこでどうしたかっていうのがないんですね。なので、ある程度今ふうに変えてしまうことが多いので、新作と言っても過言ではないんですけども。古典的なものは変えようがありません。お世話になっているうちのおじの仁左衛門のやった役をやらせていただくことが多いので、教わりにいき、いちばん初回するときは誰に習っても最初はそのとおりしなければいけないんですね。2回目からは自分らしくしてもいいんですけど、なかなか自分らしく変えるところはないですよね。
復活狂言、新作なんかの場合は、例えば「小笠原騒動」で菊平と隼人という2役させていただいたんですが、最後、キツネの白い毛縫いを着て出てくるのは、あれは僕が考えたことなんですよね。前回、翫雀兄さんがされたときには、毛縫いはなかったんです。毛縫いってふわふわの白い衣装で、頭はただの黒なんですけど、今回白の頭をつくってみたんですよ。「キツネの毛が白いのに、なんで頭は黒いのかな」と、根本的なことをクエスチョンに思って、「だったら白もありかなー」と。白の頭なんてないですよね。こんなこと歌舞伎界でやった人はいないんですよね。「あほか」って言われるんですけど、やってみたんですよ。やっぱり、常識的に歌舞伎を語る方は、「あれは、とんでもない」っておっしゃる方も多いんですけど、初めてご覧になられた方は、「おもしろい」「すごくよかった」っていうご意見もありました。僕は黒と白の頭を2枚用意しておりまして、日によって変えたりしていたんですよ。黒い髷の頭を被って白い毛縫いを着ているときに、初めて見た方からお手紙をいただいて「なんで首から上は人間なんですか?」と言われ……。

(会場:笑)

やっぱり、「そうだよな」って思ったんですよ。だって、下はキツネなのに、首から上だけ人間なんです。「あれはキツネがのりうつっているんですか?」って言われたりもして……。歌舞伎の世界の常識を得ている人間から見ると、黒の頭を被っているのは当たり前、白の頭を被っていることはおかしいなと思うんです。けれども、歌舞伎の知識もなく白紙の目で見たときに、「お、キツネ、キツネ」と思ってくださったことが非常に、新鮮だったというか、勉強になりました。
僕の常識は歌舞伎を知った上での常識ですから、初めてご覧になられる方の目線になって
もう一回見直すということは大事なことだな、と非常に勉強になりました。新しいものをつくるときには、自分の中の常識を捨てて、見直すことが大事だと思いました。

フェリシモ:
歌舞伎というものは決まり切ったものというイメージがありましたが、変化していくものなんですね。

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愛之助さん:
今月、「すし屋」の中の小金吾をつとめさせていただいているんですけど、最後死んじゃう前に、御代さまと若君さまが意識失っているところに来てくれて、僕は最後に若君さまにセリフを言うんです。「ようお聞き遊ばせや。あなたさまには御代さまを伴い、神谷の宿というところへ、御代さまを残し置き、人を頼んで高野へ登り、いま道心の御出家と訪ねてお会いなされ」というセリフがあるんですけれども、あなたさまには御代さまを伴い……、と、伴っているのに何で神谷の宿に御代さまを残し置くのか……と、これ、多分お客さまはわからないと思うんです。僕は死にそうになりながら一所懸命芝居しているんですけど……。わかっていらっしゃる方がいたらすごいなあと思うんですけど、高野山は女人禁制じゃないですか。だから、御代さまを残し置いて、人を頼んで高野へ登る、ということなんです。うちの父が楽屋に来て「何で御代さま置いていくの?」っていうから、「え? 昔からそういうセリフやし、考えたこともないし」って……。「高野山やからやな」って言うので「そうですね。女の人が立ち入っちゃいけないからじゃないですか?」って言うと「そしたら、女人禁制って言うた方が分かるんちゃうか」っていう話をして、ぴゅーっと帰って行って……。で、またしばらくして来て「でもなあ、うちのお弟子に聞いたら、『セリフをそこまで聞いてるお客さんいません』って言うから、そんでえんちゃうか」と言われて、それに僕もしゃくにさわって、「いやお客さんは真剣に聞いてはるでしょ。聞いてはるけどわからないよな」ってなって。まあ、確かにいままで誰も言ったことないんですけど、僕はその日から「あなたさまには御代さまを伴い、神谷の宿というところへ、女人禁制の山なれば、御代さまを残し置き……」って変えましたね。説明的になるけれどもわかっていただかなきゃね。何を言うてるのかわかってもらえなければ、やっている意味がないですから。ぜひ、そこを聞いてください!

フェリシモ:
お客さまに喜んでいただくっていうことが、大切なものとして演じてられているんですね。

愛之助さん:
基本はお客さまにいかに楽しんでいただくか。いかにストーリーが伝わっているかということですよね。芝居をしているわけですから。

フェリシモ:
楽屋での一言でセリフが変わったわけですが、日々の暮らしの中で、歌舞伎につながるような、自分自身の引き出しを増やすような瞬間はありますか?

愛之助さん:
例えば、人の芝居を見て刺激を受けたりもしますし、他の仕事をしたときにまた、歌舞伎にも使えるなと思うこともあります。

フェリシモ:
逆に歌舞伎のお仕事をされてきて、これは日常生活で生かされていると感じることはありますか?

愛之助さん:
「見得」を切っても仕方ないですしね(苦笑)。あんまり意識したことはないですね。それって、自分で意識することないじゃないですか。「お! コレって生かせてるぜ」って(笑)。基本的に毎月、芝居に出させていただいていて、みなさまがごはんを食べるのと同じ感覚で、芝居が生活の中に入り込んでいるので、意識して芝居をしている感じもないですし、生活と芝居がつながっているので、あまり意識したことはありません。

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愛之助さんの演じた作品、役をスライドで拝見
そして、今後してみたい役は?

フェリシモ:
では、スライドを拝見しながら、いままで演じられてきた役についておうかがいしていきたいと思います。

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懐かしいですね。かなり昔ですね。これはまだ僕が女形をしていたときの、花魁の役ですね。演目はなんやったかな。「壽曽我少将」じゃないかな。

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これは夕顔ですね。「源氏物語」の……。はかない役です。

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これは「滝の白糸」で村越 欣弥という役です。

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これは平成若衆歌舞伎をやらせていただきました。第1回、「新八犬伝」というものをやらせていただき、4役やらしていただきました。

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「女殺油地獄」ですね。これも(平成若衆歌舞伎で)「新・油地獄 大坂純情伝」と言いまして、普段とは違った解釈でつくってみました。ウエストサイドストーリー的な要素を入れた「女殺油地獄」になっています。

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宝塚の霧矢 大夢(きりやひろむ)さんとやらしていただいた芝居です。現役のタカラジェンヌと歌舞伎役者が同じ舞台に立つというのは歴史上初めてのことだったんです。僕ら的にも大変勉強になりました。

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「お染の七役」で鬼門の喜兵衛で剃刀を研いでいるところですね。

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「封印切り」ですね。

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「寺子屋」ですね。

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「義賢最期」です。

フェリシモ:
これから挑戦していきたい役はありますか?

愛之助さん:
いろいろありまして、キリがないです。基本的に何でもつとめたいです。主役しかやりたくないとか、そういうのはありません。芝居ってみんなでつくるものですから、どの役をやりたいとかじゃなく、いいお芝居をみんなでつくりたい。お客さまが喜んでくださる芝居をつくりたいです。昔とは、考え方が変わってきました。昔やったら「あの役をしたい」という願望がすごくありましたが、最近いろんなことをやらせていただいて、わかったことは、自分がその役をやったとき、お客さまが喜んでくださる、お客さまが見たいと思ってくださっているのかということを考えてくると「あれがやりたい」「これがやりたい」と言えなくなってきて……。もちろん、やりたいものはありますが、ただ単にやりたいっていうのは、口にできないし、むずかしいなと思います。基本的にお客さまが見たいと思ってくださる、喜んでくださるものには、何でも参加したいし、どんな役でもやってみたいです。

フェリシモ:
「歌舞伎界をこうしていきたい!」というのはありますか?

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愛之助さん:
僕は上方の役者ですから、いろいろな意味で上方歌舞伎が栄えてほしいという思いはあります。東京は歌舞伎座が12ヵ月開いていますが、京阪神にはたまにしかやって来ない。ですから、歌舞伎ってひとくくりだし、なかなか役者の名前が出てこないじゃないですか。そういう意味では、もっと親しんでもらいたい、親しんでもらうためには僕たちがもっと上演しないといけない。上演しないといけないということは、お客さまが入らなきゃ上演できないので、みなさまよろしくお願いいたします。

(会場:拍手)

フェリシモ:
上方歌舞伎を若い人にも見ていただきたいと思いますが……。

愛之助さん:
最近は、獅童さんや海老蔵さんや亀治郎さんらがメディアに出てますよね。亀治郎さんなんて、髭生やしてるけど女形しちゃうんだみたいな、それでいいんですよ。「この人歌舞伎役者なんだ」って興味を持っていただけたら……。僕なんて、トーク番組に出たりとか、「ドラマ『新選組!! 土方歳三 最期の一日』の榎本 武揚を見てファンになりました」という人もいらっしゃいますし。どういうきっかけでもいいから、歌舞伎をご覧になったことのない方のとっかかりになればいいかなと思います。いままでは、僕は歌舞伎役者としていい芝居だけして、生きていきたいなと思っていたんですが、最近いろいろなことをさせていただくようになって、やっぱりお客さまに知っていただかなきゃ、知名度がないとしんどいんだよなということに気づきました。なので、最近重い腰をあげて、映画やらテレビに出るようにしています。それもひとつのきっかけづくりになればなと思っています。いろんな意味で貪欲にやっていきたいと思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
仕事とは人間にとってどのようにあるべきものでしょうか? 人はなぜ働くのでしょうか?

愛之助さん:
僕が聞きたいです(笑)。そう言われると、なんで生まれたかっちゅう話ですよね。まず、人間をつくった神さまがすごいなと、まず思います。歌舞伎をやっていなかったら何をやっていたんだろうかって、すごく思うんですけれど、まったく想像もつきません。自分の家の仕事を継いでいたのかな、それとも松竹の社員になっていたのかなとか、はたまたタレントになりたかったのか、歌手になりたいと思ったのかなーと、わからないんですけれど……。仕事とは、生きていくうえにおいての必要なものですね。僕にとって、空気と一緒です。なくちゃ生きていけないものです。

お客さま:
歌舞伎役者さんは、上下関係、師弟関係がきびしいのでしょうか?

愛之助さん:
そうですね。上下関係はきびしいですね。それは、どこの会社に入っても同じじゃないでしょうか。

お客さま:
この世界に入ってよかったと思った瞬間はいつでしょうか?

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愛之助さん:
うーん。やっぱり25日間同じことをしなきゃいけないということの大変さもあります。やっていてくたびれたりというときもあります。よく「趣味を仕事にできていいですね」って言われるんですが、趣味が仕事になった時点で、もう趣味ではなくなっていますからね。趣味ってやりたいときにやるから趣味であって、それが義務になった瞬間、やっぱり遊びじゃないから、もちろん真剣だし、いい加減な気持ちではできないんです。テンションが上がっているときもあれば下がっているときもあるし、「今日行きたくないな」と思う瞬間もありますけれど、やっぱり、楽屋の入口でみなさんの顔を見たりして、「こんなに楽しみに来てくださっているんだな」とか、僕の芝居を見て「落ち込んでいたけれど、元気になりました。また見に行きます」みたいなお手紙をいただくことで、「僕なんかでもみなさんを勇気づけられるんだ」と思うと、今日もがんばらなきゃと思って……。だからみなさんがパワーの源みたいな感じですよね。そういう手紙をもらったときは、「人の役に立っているんだなあ」と思います。人の役に立つということは、僕は「生きてるな」っていう感じがします。これからもっともっと人の役に立てる人間になりたいなと思います。

フェリシモ:
最後に神戸学校より質問させていただきます。私たちはしあわせを見出す日々の人生という舞台に立っています。その舞台の中で、脇役でもなく観客でもなく自らがしあわせをつくりだしていく当事者、つまり舞台の主役に自ら先陣を切っていくというのは、本当に勇気が必要でエネルギーがいることです。しあわせを見出す舞台に自ら立ち、私たちに勇気を与えてくださる愛之助さん、それぞれが生きるしあわせづくりの人生の舞台の中で、主役になっていくための大切なものを教えてください。

愛之助さん:
人生ってそれぞれの人が主役なんですよね。主役、脇役っていうのは見方によっては、主役でも脇役に見えるときもあるし、それぞれ違うんですけども、やっぱりそれぞれに生きていく過程において、何が必要かって、やっぱり「愛」かなと思います。愛之助だからって言うわけでもないんですが……(笑)。「愛」っていうのは、好きとか嫌いとかいうだけでなく、友情、恋人同士、親子愛、師弟愛、いろんな形の「愛」があると思うんです。それがなかったら本当に、人間関係って成り立っていかないと思います。これからもみなさんどんどん愛を深めて、歌舞伎を見たことのない方も、お誘い合わせのうえ、ぜひぜひ歌舞伎をご覧になってください。

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Profile

片岡 愛之助(かたおか あいのすけ)さん<歌舞伎役者>

片岡 愛之助(かたおか あいのすけ)さん
<歌舞伎役者>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
屋号・松嶋屋。昭和47年3月4日生まれ。56年、十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり片岡千代丸を名のり初舞台。平成4年、片岡秀太郎の養子となり、六代目愛之助を襲名。昨年末、上方舞の楳茂都流の四代目家元扇性を襲名。関西出身で上方の芸を受け継ぐ立場にある。端正な風貌は二枚目や柔らかみのある役に生かされているが、線の太い豪快な役などでも魅力を発揮。6月より公開の映画「築城せよ!」では主演をつとめる。

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