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「人の行かない道を創る~将棋から学んだこと~」



<第1部>

谷川 浩司と申します。講演に入る前に、新聞などでご存知の方もいらっしゃると思うので、父の話をすることをお許しいただきたいと思います。先週の金曜に父が86歳で亡くなりました。私は5歳のときに父に将棋を教わりました。将棋ファンの方ならご存知かと思いますが、私には5つ上の兄がいて、こどものころ、よくケンカをしていました。兄弟仲良くするように、と父が将棋盤と駒を買ってきたのがきっかけだったんです。それから、私たち兄弟は将棋に熱中しました。父は、将棋の本を買ってきたり、将棋大会に連れていってくれたり、私たち兄弟が将棋を続けていける環境をつくってくれました。
私が小学校2年生になってからは、いまの師匠である若松 政和七段の将棋教室に土曜、日曜に連れていき、昼の2時から夜の8時くらいまで、父は将棋は指さないけれど、私たち兄弟が将棋を指すのをニコニコと眺めていました。

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小学校5年生のとき、私はプロ棋士の養成機関・奨励会に入りました。将棋の道に進むことは父も賛成でした。父は浄土真宗の住職。普通なら兄か私かどちらかが寺を継ぐのが自然なんですが、父はそういうことを言ったことは一度もありませんでした。父は大正12年生まれ、10代、20代というのは戦争があったし、私が生まれる前のことなどで詳しくは知らないのですが、父が30歳くらいのころ、胸の大きな病気もしたので、父自身は自分のやりたいことがあまりできなかったようです。そういうこともあり「こどもでも、個人の意思を尊重して自分のやりたいことをやるのがいちばんだ」という考え方があったと思います。その父のおかげで、いまの私はこうしてプロの棋士をやっています。
11日間闘病生活をしていましたが、年齢も年齢だし、入院当初からきびしいと言われていました。対局は延期にもしてもらえるのですが、今日の講演だけは延期ができないので……と思っていたのですが、最後、父も私に気を遣って、影響の出ない日を選んだのかなあというふうにしみじみと感じております。父の話はこれくらいにしたいと思います。

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将棋の歴史について。

諸説ありますが、インドが発祥と言われています。インドのチャトランガというゲームが発祥で、インドから西へ行ったのがチェス、東へ行ったのが中国将棋とか、日本の将棋になったようです。いまの将棋の原形は平安時代に日本に伝わったようです。例えば、チェスは、盤が8×8で駒が黒と白。キングは将棋の王将と同じで、キングを取られたら負け、クイーンは将棋の飛車と角を合わせた動きをする、ルークが飛車で、ビショップが角、ナイトが桂馬と同じなんですが、将棋の桂馬は前にしか進めないけれど、チェスのナイトは前後左右に動くことができるということで、チェスの駒は非常に動きがダイナミックです。また中国将棋、これは確か9×10の盤。で、中央に川が流れているんですね。黄河なのかもしれませんけれども(笑)。で、象という駒があって、これは川を渡れない、敵陣へ進むことができないんです。お国柄と言うか「なるほど」というルールが、チェスにも中国将棋にもあります。

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日本の将棋は、大局将棋という桝目が36×36、いまの16倍のスペースがあり、駒が804枚、いまの20倍あるものもありました。3~4年前にテレビ番組で紹介されプロ棋士ふたりが実際に対局しましたが、駒を並べるだけで1時間かかり、3日間対局しても結局勝負がつかなかったそうです。大局将棋は取った駒を使えなかったので、実際将棋としてはおもしろいものではなかったと思います。それが徐々に改良され現在の形、9×9の盤と40枚の駒になり、取った駒を使えるというふうに進化していきました。将棋はある意味戦いのゲーム。日本の戦国時代の戦いは日本人と日本人が戦うわけです。勝利した者が捕虜を味方につけて戦うということだから、将棋というゲームが取った駒をまた再利用できるのは、日本の民族性を表していると言えるのではないかと思います。

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プロ棋士の世界について。

社団法人日本将棋連盟には、プロ棋士が現在160名くらい、引退棋士を含めると約200名の団体です。そのほかに女流棋士が約40名います。さきほど、小学校5年生のときに奨励会に入ったと話しましたが、まずプロ棋士になるためには、奨励会に入らなければならないんです。だいたい小学生から中学生くらいで、アマチュアで4段、5段くらいの力をつけて奨励会の試験を受けて……。ただ、将棋の世界では、プロの段、級とアマチュアの段、級と基準が違いますからアマチュアの4、5段と言っても、プロの5、6級になってしまうんですね。その中で、月に2回の例会をして、成績によって昇級、昇段をしていって、まず5、6級で奨励会に入って、3段までは一定の成績、まあ6連勝とか8連勝するとか、成績を上げれば昇級、昇段するんですけど、3段になると、3段リーグというリーグ戦に編入するんです。年2回、4~9月、10~3月までリーグ戦があります。3段が30人くらいいるんですが、その中で上位2人が4段、プロになれるんです。ですので、年間4人しかなれません。いま、毎年8月に奨励会の入会棋士の試験が東京と大阪であり、小、中学生合わせて100人くらいが試験を受けて、30名くらいが合格しますが、30名のうち棋士になれるのが4名くらいですので、狭き門ではあります。
昔は先輩の先生などは、将棋の棋士だとわかっていても「お仕事は何をしてらっしゃるんですか?」と聞かれることが多かったんですね。将棋を指すことが職業として認められることが信じられなかった時代もあったようです。棋士が、どういうところから収入を得るのかは、説明がむずかしいんです。
将棋界には名人戦、竜王戦とかタイトル戦、公式戦が15以上あるんですけれど、それぞれにスポンサーがついていて、そのスポンサーと契約をして契約金の中から対局料、賞金が振り分けられます。以前は新聞社、テレビ局が主なスポンサーでした。例えば名人戦だと、朝日新聞と毎日新聞社の共催、竜王戦は読売新聞、地元神戸新聞は王位戦、テレビではNHK杯とか……。最近は企業や自治体の方も応援してくださるところが増えてきました。先月5年ぶりくらいに日本シリーズで優勝できたんですけど、主催がJT、こちらは30年に渡って日本シリーズを主催してくださっています。あとは大和証券杯とか……。これはネットで対局をするというもの。将棋というのは、目の前で将棋盤を挟んで対局をするというのが本来のもので、パソコンの画面に向かってマウスをクリックして、それが公式戦の対局になるとは夢にも思っていなかったんですけど、これも時代の流れですね。
(中略)

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いま160名現役棋士がいる中、最年長棋士が74歳の有吉 道夫九段。最年少棋士が17歳の永瀬 拓矢さん。将棋の世界は、スポーツの世界と比べると非常に長い間プロとして活躍できます。例えば有吉九段は54、55年になると思います。

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将棋界の歴史について

将棋界の歴史についてお話したいと思います。400年ほど前、江戸幕府になってから幕府が将棋、囲碁の保護をするようになり、将棋には名人、囲碁には本因坊という名称を与えたということがあります。当時、11月17日に2人の棋士が江戸城に出向いて、将軍の前で対局をしたということにちなんで、この日を将棋界では将棋の日と定めて、いろんなイベントをするようになりました。
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表をご覧いただきながらお話したいと思います。
「歴代永世名人」
まず、初代名人が大橋 宗桂。慶長年間、1612年のことです。まもなく、名人制定後400年になります。そのあと、大橋、伊藤という名前が交互に来ていますが、大橋家、大橋分家、伊藤家、この3つの家から名人が選ばれるような形になっていて、明治に入ってから、小野 五平十二世名人、関根 金次郎十三世名人になったわけですが、十三世名人までは世襲制。一度名人になった人は、基本的には亡くなるまで名人ということです。小野 五平という方が名人になったのも晩年で、確か90歳くらいまで御存命でしたので、十三世関根 金次郎名人が名人についたのもかなり高齢に達してからということもあり、関根名人がこれからの時代、名人は世襲制ではなく実力制で争うべきだということで、昭和10年に実力制に移行し、毎年名人戦を戦って新しい名人を決めるという形になりました。そして名人を5期(5年)とった人は、永世名人の資格を得るということで、実力性に移行してからの最初の永世名人が木村 義雄先生、昭和19年頃、大山 康晴十五世名人は、実に18期、中原 誠十六世名人は13期、そのあと私の名前があり、森内 俊之名人が名人5期、いまの名人羽生 善治さんが昨年永世名人の資格を得て、今年防衛したので、現在6期ということになります。
(中略)
永世名人というのは、これを見ていただいてもわかるように、10年に一度か二度しか出ないものなんですね。それが森内さん、羽生さんと続けて名人が生まれたというのは珍しい現象です。
(略)

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私は、4月から日本将棋連盟の棋士会の会長を務めています。240名の棋士の組織の会長です。将棋の世界で、いまいちばん力を入れているのが、小学校、中学校を中心にした指導。連盟でも学校教育課をつくり、棋士やアマチュアの指導員が学校に出向いて指導しています。私自身も将棋を幼稚園のときに覚え、ずっと続けてきて、将棋によって集中力、記憶力、決断力などがいろんな力が身についたと思います。ですから、特に小学生のこどもたちには、自分が好きなこと、熱中してできること、これだったらほかの誰にも負けないということをひとつ、できれば頭を使うことと体を使うことをひとつずつつくってほしいなと思います。それが、将棋であればいいなと思います。
指導に行って何度も話しているのが「将棋というのは、礼に始まり礼に終わるゲーム。なので、対局を始めるときに『お願いします』と言うこと。負けたときは『負けました』と言うこと。最後に両者揃って『ありがとうございました』と言うこと」。このことを伝えていきたいと思っています。この中で「負けました」ということはいちばん辛いことなんですね。私もいまだに「負けました」と言うのは辛いです。でも、これをきちんと言わない限り、強くはなれないということです。将棋というのは、駒を自分の思い通りに動かしていけるところがおもしろい。そういう自由なところがある反面、結果の責任には負わなければいけない。自由と責任は必ず対になっている、そういうことを将棋を通じて学んでいってほしいと思っています。

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では、本題に移りたいと思います。 キーワードを4つあげて、お話したいと思います。


1. 引き出し
2. 三つの顔
3. 買い物
4. 醍醐味

まず「引き出し」。私は将棋を始めてから42年になります。プロ棋士になってもうすぐ33年。もちろん、将棋が好きですし、いまもその気持ちには変わりはないんですが、やはり職業となると少し事情が変わっていて、長く同じ気持ちを続けていくことは簡単そうでなかなかそうもいきません。これには、いくつか理由があります。まず、勝ち負けがはっきりつくということ。勝負の世界だから、仕方がないことなんですが、プロ棋士になると勝ち負けがすべてオープンにされるわけですし、1局の勝負で影響することの大きさがあります。それから成果がなかなか見えないということがあるんですね。みなさま方も趣味とか習いごとなどされていると思うのでよくわかると思いますが、どんなことでも始めた当初はやればやった分だけ、自分がうまくなるわけです。例えば、ゴルフを始めたとして、スポーツをやっていた人だとすぐ100を切れるようになり、自分はひょっとして天才なんじゃないかと思い、すぐにシングル80くらいでまわれるようになるんじゃないかと思ったところあたりから、スコアがよくならない。たまにまったく練習をせずにプレイして、たまたまいい成績が出たりするとひょっとして練習しない方がいいスコアが出るんじゃないかと錯覚したりします。シングルになったらなったで、それを維持するのも大変になってきます。アマチュアでもそうですから、プロになるともっときびしくなって、人と同じことをやっていたのでは現状維持が精一杯だし、人の2倍3倍やっても、すぐには成果は出てこない、だけど何もしなければ成績は落ちるばかり、そういう辛さがあります。
さきほど、将棋のプロは長く現役で戦えるのがしあわせだと話しましたが、逆に新しい気持ちで臨むことのむずかしさも感じています。やはり毎日の積み重ねが大事で、ただそれは下手をすると、単なるルーティンワークになってしまう。気持ちがこもってないと成果に繋がらないんです。毎日毎日将棋と向き合わなければならないんですが、常に新しい気持ちで将棋と向き合わなければならない。この矛盾したふたつの事柄をうまく調整するためにどうすればいいかということで「引き出し」というキーワードが出てくるんです。将棋の研究の方法にもいろいろなやり方があるんですね。

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多くの引き出しを持つ研究の方法

棋譜を調べる―情報 パソコンには七万局
ネット中継を見る―リアルタイム
対局場に出向いて研究―生きた情報、感想戦
詰め将棋を解く―瞬発力と集中力
詰め将棋を創る―創造力
研究会で実戦を指す―予習と復習

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まず棋譜を調べる。私の修業時代は、ほかの人の指した将棋の棋譜を調べようと思ったら、自分で手書きをして写すしかなかったんですけど、それがまもなくコピーができるようになり、いまはパソコンでできるようになりました。
それから、公式戦の対局のネット中継もあります。私も、それを見ながら勉強します。
それから対局場に出向いて研究します。できるだけ対局場、対局者に近いところで研究する方が自分自身の身にもなるし、対局場で研究すれば対局が終わったあと、ここに感想戦という言葉が出ていますが、対局室に実際に入って対局者が実際どのようなことを考えていたか、お互いが意見を出し合って、それを記者の方が記事にされます。現場に行けば感想戦も見て勉強することができます。
詰め将棋を解くというのもあります。詰め将棋は王手の連続で相手の玉を詰ますという、将棋の終盤の勉強になります。短い問題を解くのは瞬発力を養うのに役立ちますし、1時間くらい考えないと解けないむずかしい問題に挑戦するときは集中力を養います。それから、私の場合は詰め将棋を自分で創るということもしています。自分で考えていかないといけないので、それは創造力を養うのに役に立っているのではないかと思います。
最後に研究会で実戦を指すということ。自宅に3人の棋士に来てもらって1日3局将棋を指します。朝10時から昼休憩を挟んでの夕方まで1日将棋三昧。それもただ漠然と指すのではなく、自分が「いまこんなことを考えている」とか、「こういう将棋を試してみたいと思っている」というような事前準備があり、それを対局でぶつけてみて、ある程度実際の対局で感触を得て、研究会が終わってからひとりで復習。自分なりの結論を出していくことも大事なのではないかと思っています。
細かく分ければもっとあると思います。この引き出しをたくさん持っている人が、新しい気持ちで将棋に向かい合えるんだと思います。

2つ目の「三つの顔」。プロとしてどういうふうな気持ちで将棋と向かい合えばいいのかということ。将棋は勝負なのですが、それだけではありません。ひとりでできるものではなく、ふたりで対局する、ふたりでよい作品を創り上げていくという芸術家的な部分もあると思います。また、将棋の心理を追求していくという研究者の部分も必要だと思います。「三つの顔」というのは「勝負師と研究者と芸術家」。この3つの要素が棋士には必要ではないかと最近思うようになりました。
昔はデータというのがほとんどありませんでした。東京の棋士がどういうふうに指しているのか、大阪ではまったくわからない、盤の前に向かってからが勝負でした。だから、昔、棋士は勝負師だったと思うんです。最近は、情報化社会になり、研究者の部分がかなり占めてきていると思います。
研究者の部分が強すぎると自分の研究、情報などわかっている部分だけで勝負しようということになってしまって、未知の世界に踏み出す勇気がなかなか持てないのではないかと思います。また芸術家の部分が強すぎると、自分の思い通りに進んでいるときはいいけど、ちょっとミスをしたり構想が破綻してしまったときに、嫌気がさして、ぽっきり折れてしまうかも……。また、勝負師の部分が強すぎると、先の勝負にだけ固執してしまい、次の相手とだけ勝てばいいんだということになると、自分自身のレベルアップができない。この「三つの顔」をバランスよく持つのが棋士としてはいいのではないかと思います。普段は研究者、対局の序盤は芸術家の部分が必要で、終盤は勝負師に徹するということが自然にできる人がトップを長くやっていけるのではないでしょうか。

3つ目のキーワードは「買い物」。将棋ファンの方と話したり、インタビューを受けるとき、よく聞かれるのが「プロ棋士の方は一体何手まで先を読んでいるんですか?」という質問です。これは答えに困る質問で、500手くらい読むというふうに答えることもあれば、3手先も読めないんですよねというふうに答えることもあります。すべて真理なんです。読み筋というのを1本の木に例えていただけたら、と思います。木の幹の部分はそんなに先まで読めず10手くらい先まで読めればいい方なんです。実際1局の将棋の手数は平均110手。110手しかない将棋の中で、そんなに先は読めないんですね。ただ、10手先を読もうと思えば、最初の1手に枝があり、その枝にも葉っぱがありということになるので、木の幹の部分だけなら10手であっても、その全体を考えると数百手になるわけなんです。

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これは将棋の開始の局面です。ここからスタートするわけですけれど、初手は何通り可能性があるかというのはおわかりでしょうか? 初手は30通りです。これは、ルールがおわかりにならない方にはわかりにくいのですが……。
(谷川さん:駒の説明と動かし方を説明する)
最初それぞれが1手ずつ動かします。すると2手目の局面は900通りの可能性が考えられることになります。プロ棋士ですから、いままでの知識があるので、2手目が900通りの可能性があると言っても、900は考えません。(中略)初手が30通りあるとは言っても実際に考えるのは、だいたい3通り、10分の1くらいと言えると思います。次の図面を出していただきましょうか。

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これは平成18年9月24、25日の、私と佐藤 康光さんとのA級順位戦の対局。
(中略)
将棋の駒は8種類あるんですが、玉が駒台に乗ることはないので、7種類すべての駒が佐藤さんの駒台に乗ってるということなんです。将棋は、持ち駒を盤上の空いてるところに打つことができるので、いま50何ヵ所空いていると思うので、可能性としては50いくつ×7通りの選択肢があります。実際に数えてみたら、佐藤さんには371通りの指し手があるはずです。将棋は最初は30手ですが、持ち駒が多くなればなるほど選択肢は増えていきます。ただ、佐藤さんとしては、私の方の玉に王手をかけて攻めるしかないので、371通り可能性があったとしても実際に考えられるのは3~5通りしかないということなんです。初手のときは30のうち3通り、この場合は1%くらいしか考えないということですね。
将棋というのは、局面によって王手をかけられて1通りしか可能性がないような場合もあれば、この局面のような371通りの可能性がある場合もあります。平均すると80通りくらいではないかとコンピュータの専門の方が言っておられました。そこで100のうち直感で3通りか5通りに絞って、残りの95くらいは捨ててしまって、その残した3~5通りを詳しく読んでいくのが、直感でする作業です。この将棋の読みという作業を、将棋を知らない人には、デパートでの買い物に例えて説明させていただきます。
例えば、デパートに婦人服を買いに行くと考えてください。デパートというのは、昔百貨店と言われていたように、100くらいの店があります。レストランもあれば、化粧品もあれば紳士服もある。だから、お店が100あったとしても、婦人服は20くらいに絞られます。そのデパートに行ったことがあれば、どのフロアに婦人服があるかわかると思うんです。行ったことがなくても案内板やパンフレットを見れば何階が婦人服売り場かわかるわけです。これが知識と経験。あと、それぞれの好みがあります。派手な服が好きとか落ち着いた服が好きとか、それが個性。それから、流れというのもあります。この間こういう感じの服を着たから、今度は違う服を着てみようかというような流れですよね。こういう知識、経験、個性、流れを頭において、デパートに行って洋服を探しに行くときに店を考えると思うんです。私たち棋士も同じことで、経験、個性、攻めるのが好きな人とかじっくりした方が好きだとか、流れが早い展開が好きだとか、その人によって得意な将棋が違うので、そういう個性も局面の100手の手を選ぶときのひとつの材料になるし、流れというのは、どういう経緯を辿って現在の局面になったか、将棋というのはいままでに指してきた手順というのがあるので、その手順が生きるような展開にしないとなかなか勝てないわけです。ですから、現在の局面だけを考えるのではなくて、数手前自分はどういうことを主張して構想を描いて指してきたかということも次の1手を考える材料になります。こういういくつかのことを考えて、そのことで100あるうち95くらいを捨てて、5つに絞るわけなんですよ。100のうち5に絞ったとして、5つの手の読みをひとつずつ進めていくわけですし、洋服を買いに行くときは、店に入って服を選んで試着をしてみます。直感で選んだお店の中に、気に入った洋服があれば話が早い。私たちの場合も5つを読んで、最終的にひとつを選ぶわけなんですが、30分から1時間読みを進めるんですが、なかなかひとつに絞れないときがあります。そういうときは、どうするか?というと……。自分がここだと目星をつけた店で試着したときに納得いく服がないとき、デパートの買い物に例えると、いったん1階に戻って案内板を見るんです。将棋で言えば、いままで読んできたことを全部捨ててしまって、真っ白な状態でもう一度局面を見てみるんです。

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少しの時間であれば席をはずしてもいいので、手洗いに立ったりして環境を変えることで、もう一度新たな気持ちで局面を見てみるんです。そうすることによって新しい発想が出てくるんです。案内板を見たときに、いままで知らなかったけれど新しいお店が入っていたり、この店は自分には似合わないと思っていたけれど行ってみようとか。将棋でも直感でいったときはまったく問題にしてなかったけれどいい手かもしれないとか、この手は自分には合わないけれどもちょっと深く掘り下げてみようとかいうような新しい発想が出てくるんですね。そういう手をひとつふたつ、いったん捨てた手を掘り下げて、詳しく読みを進めてみるといいうことをやってみるわけなんです。また長考することになるのですが、やっぱりそういう作業が1局の将棋の中で1回、2回は出てくるんですね。最初に行った店でまず洋服が目に飛び込んできて、「これ気に入った! これお願いします」というのもいいと思うんですけれど、気に入る服がなかなかみつからなくて何度も何度もお店に入って足を棒にして2、3時間かけてようやく洋服を見つけたときは、その洋服に愛着があると思うんですね。直感で浮かんだ手を読んで指すのは自然な流れですが、ちょっと物足りないようなところもあって、1局の将棋の中でひとつふたつ、苦労して苦労して直感で捨てた手をまた拾い上げて、その手を自分のものにするというのはかえがたい喜び。そういうことが将棋のおもしろさでもあります。

4つ目の「醍醐味」。醍醐味というのは、将棋の魅力です。私も少しずつ将棋のおもしろさが変わってきました。初心者のころは、勝ち負けがはっきりつくのがおもしろかったんですけど、アマチュア有段者になるころから、自分の思い通りに駒を動かしていけるというのが魅力になってきました。プロになってからは強くなることは将棋の奥の深さに気がつくことなのだろうかと、将棋のむずかしさをわかってきたような気がします。

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「将棋の平均手数は110手
自分の指し手は55手
絶対手、答えの出る局面が半分
自分の個性が出せるのは30手
そのうち一割、一局の中で3手が常識外の最善手」
こういうことが、私たちプロ棋士にとってのいちばんの醍醐味ではないかと思うようになってきました。

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阪神淡路大震災を経験して
将棋を指せるしあわせを再認識。
そして、自然災害に遭われた方々に
「がんばりすぎないでください」という言葉を……。

最後に将棋とは違う話をしたいと思います。こちらは神戸ですし、いらしている方も地元の方が多いのではないかと思うので、阪神淡路大震災のことに触れたいと思います。もうすぐ震災15年になりますが、私自身のことをお話したいと思います。
本などで何度も書いているのでご存知の方も多いと思いますが、震災当時、私は六甲アイランドのマンションに住んでいました。六甲アイランドは新しい街でもあるので、被害はそんなに大きくなかったんです。私の生まれ育った須磨のお寺の方は、建て直しをすることになりました。六甲アイランドは、ガスタンクがガス漏れをしているらしいとのことで18日の1日だけ、カナディアンアカデミーという学校で避難所生活をしました。昼ごはんにおにぎりとペットボトル1本をいただきました。20日には大阪で順位戦の対局がありました。何とか行かなければいけないということで、19日に車で神戸を出ました。あちこち通行止めになっていて、どの道を通れば大阪に行けるのかわからず、大阪に近づくにつれ渋滞もひどくなり……。結局大阪のホテルまで10時間くらいかかりました。大阪に着いて、大阪は割合普通の生活が営まれているということにショックを受けました。よくよく考えてみると神戸市内でも活断層が走っている場所とそうでない場所では、まったく被害が違います。国道2号線の辺りとそれより北では、数10メートルしか離れていないのに、被害に大きな差があったり、私自身も地震の起きる半日くらい前まで高速道路を使っていましたし……。当時32歳、若さもあって自分が生きていることが当たり前のことだと思っていたんですが、実は自分が生きているっていうことは偶然なのではないかと……。地震の起きる規模とか時間がずれていたら、ひょっとしたら命を落としていたかもしれないということを痛切に感じました。それともうひとつ、20日、午前10時少し前に対局室に入って盤の前に座ったんですけれど、将棋を指せるというのは、こんなにうれしい、しあわせなことなんだというふうに思いました。その前日に温かい食事をいただいて、お風呂に入って、当たり前だと思っていたことがそうではないんだ、いろんなことに感謝しなければいけないんだと感じました。当時、プロ棋士になって18年、棋士になったときは「一生将棋を指していける、続けていける」という気持ちだったんですけど、だんだん年月が経つにつれ、将棋を指すことが仕事になり、当たり前になってきていたので、震災の直後、20日の対局は、私自身も普通の精神状態ではなかったと思うんですが、将棋を指せるのは本当にしあわせだと思えました。

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当時は王将戦の7番勝負が行われている最中。羽生 善治さんが挑戦者で、7つのうちの6つのタイトルを保持して、最後のタイトル王将に臨んでこられたわけです。7番勝負が始まる前は「羽生7冠が達成されるか!」と世論は羽生さんだったんですけど、震災が起きたことで、こちらの方にも目が向けられるようになったかなと思います。そのときは、3勝3敗の後、最終局で防衛できたんですけれども、神戸のいろいろなところで自然災害が起きていて、私自身も当事者だからわかるんですが、震災直後の何ヵ月かは、結構気持ちの高揚っていうか、気持ちだけでがんばれる部分があったと思うんです。半年後くらいから虚脱感、私の場合は身内に不幸もなかったので恵まれた方だとは思うんですが、やっぱり自分の育った家はもうなくなってしまったんだな……と。元に戻る部分と戻らない部分、現実が少しずつ見えてくる部分もあり、震災を言い訳にしてはいけないけれど、7月、8月辺りから将棋に集中できない状況が続いたこともありました。
ほかのところでの自然災害に関して、いつもメッセージとして贈っているのは「がんばりすぎないでください」という言葉です。「がんばってください」というのは、よく言えるんですけど、被災者の方は言われなくてもがんばってると思いますし、自然災害の復興というのは時間がかかるもの、焦るとよくないと思うので……。
不幸な出来事ではありましたが、それによって何か自分自身が成長、進化するということが必要だと思います。ボランティア元年という言葉もあったと思いますが、あのときは、本当に全国各地からボランティアの方も来ていただきました。その行動がほかの場所での自然災害にも生かされていると思います。6000名以上の亡くなられた方の命を無駄にしないように私たち被災した立場の人間としてはいろいろなことに目を光らせていくことが大切なのではないかと思っています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
谷川さんは、若き青年名人のころから少しもお年を召されていないように見えますが、若さの秘訣はありますか?

谷川さん:
私も47歳になり、最近は中年の星というような捉え方をされることが多くて、自分ではそういうつもりはないんですけど(苦笑)。特に何をやってるということはありません。好きなことをずっとやらせてもらっているのが、いちばん大きなことではないでしょうか。

お客さま:
サラリーマンから見ると、プロ棋士の世界はシビアに見えるのですが、谷川さんにはサラリーマン社会がどのように映っていますか?

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谷川さん:
「勝負の世界ですからきびしいですね」と言っていただくことが多いんですね。それをわざわざ否定するのはおかしいので、何も言わないんですけど。どんな世界でもプロの世界、サラリーマンの方もその道のプロであるわけですから、プロというのはお金をいただくわけで、その分責任が生じるということで、同じだと思うんです。私たちの場合は結果、勝負がつくわけですが、一般の方の場合は長い目で見れば勝負がついているんでしょうけど、勝負が曖昧についたり、ちょっと自分の実力とは違うものが影響してついたりということがある、そういう違いはあると思います。でも、勝負をしている、競争しているという点では同じだと思います。棋士は、自分の実力100%ですからきびしい世界ですが、例えば上司の覚えが悪いから昇進できないとか、そういうことはありません。結果がすべて。自分で責任を取るということで、恵まれていると思います。

お客さま:
私は就職活動真っ最中の大学3年生です。自分は何を大切にしたいのだろうか?どんな仕事をしたいのだろうか? そんなことを考える日々です。谷川さんが将棋と出合っていなかったら、今ごろどんな会社に入って、どんな仕事に就かれていたと思いますか?

谷川さん:
「将棋と出合ってなかったら?」というのは、よく聞かれて答え方に困るんです。つまり5歳から全然違う人生になってしまうわけなんです。なかなか想像できないんですね。答えになってないですけれど、将棋の棋士になっていちばんよかったのは、自分が好きなことを続けられるということです。いま、大学3年生ということで、いちばんいまの時期きびしくて大変だと思うんですが、無責任な言い方かもしれないですが、人生は長いですから、大変な状況をクリアされるとまたいいことがあると思います。自分がやりたいことをやるのがいちばんだと思います。

お客さま:
大事な対局で、谷川さんがげん担ぎなどされていることがあれば教えてください。あと対戦相手の心理とか表情とか、そういったところも見ていらっしゃるのかどうかを教えていただければと思います。

谷川さん:
私の場合はできるだけ対局のときは、普段と同じ時間、タイムスケジュールで過ごす、東京の対局のときでも同じホテルに泊まって、同じ時間に起きて、同じ場所で食事をして、同じ時間に将棋会館に向かうと……。そうすることによって余計なことを考えずに、対局に向かえるということです。新しいホテルに泊まると、またいらぬ気を遣うということがあるので……。
対局相手のことは考えます。自分にも個性があるように、相手にも個性があるので、この相手だったらここはこういうふうにやってくるだろうなと……。相手が指してきそうな手を重点的に読むことはあります。もちろん、外れることもあります。対局中は、お互いいちばん近い距離にいるので、あまり顔は見ないで、ここ(首)から下くらいが常に視線の先にあるので、それだけでもどういうことを考えているか、形勢がいいと思っている、悪いと思っているとか、何となくわかりますね。

お客さま:
将棋をやめようと思ったことはありますか? またスランプもあったと思いますが、どうやって乗り越えて来られましたか?

谷川さん:
そうですね、やっぱり勝負というものがついてまわりますから、辛いなと思ったことはあります。スランプというか、1番のスランプは11年くらい前にありました。対局というのはだいたい週1回のペースなんですが、直前が非常に調子がよかったんです。調子がよいとトーナメントなどでどんどん対局がついていきますので、そのあたりは週に2局、3局のペースなんですが、20日で8局指して、全部負けたことがありました。これはさすがに辛かったです。1局指して、中1日でまた対局ですから負けたことを自分で整理できないまま次の対局ということがあり、それがいちばん辛い時期でもありました。その当時はタイトル戦を2つ戦っていて、王座戦で羽生王座に挑戦して、2連勝した後3連敗してタイトル取れなくて、当時竜王のタイトルを持っていたけれど、藤井六段という若手が出てきてストレートで負けたんです。
でも、王座戦も竜王戦も終わった後、ちょっとほっとした気分になりました。注目される勝負は散々な結果だったけれど、とにかく終わった、と。その緊張から解放されることで、またちょっと将棋に向き合う気持ちが出てきて、そのあと連勝して名人挑戦者にもなったりしました。極端な話、将棋に負けても命を取られるわけではない、という考え方をすれば、開き直ってまた初心に帰ることができると思います。

フェリシモ:
最後に神戸学校を代表して質問をさせていただきます。谷川さんは将来世代に将棋を伝えていく大きな存在でいらっしゃると思いますが、我々も次世代に残すべき何かがあるとすれば、それは何でしょうか?

谷川さん:
非常に大きな質問ですね。囲碁の世界には「100年を繋ぐ」という言葉があります。将棋の世界もトーナメントプロとして長く戦えます。若いときに50歳くらい上の先輩棋士と対局できる、自分が歳を取ってから50歳くらい若い棋士とも対局できる、上下合わせて100年の、その世界の芸を繋ぐことができるということですね。
楽天の前監督の野村 克也さんが「財を残すのは下、仕事を残すは中、人を残すは上」とおっしゃっていました。昔よく、先輩の先生方に将棋を教わったり、ごちそうになったり、ということがありました。先輩がおっしゃっていたのは「君たちはそれを私たちに返すのではなく、後輩たちに残していってほしい」ということ。ごちそうすること、将棋を教えることもそう、将棋の心構えを教えるということもそうです。そうすることで、上の世代から下の世代へ、またその下の世代へ繋げていくことで、世界が繁栄すると思います。野村 克也さんの言われるように、人を残す、人を育てるということがいちばん大事だと思います。ただ、勝負の世界なので、人を育てると自分の首が絞まるということはあるんですけど、それはそれとして……(苦笑)。

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Profile

谷川 浩司(たにがわ こうじ)さん<棋士>

谷川 浩司(たにがわ こうじ)さん
<棋士>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1962年神戸市生まれ。5歳で将棋を覚える。'73年5級で若松 政和七段に入門。'76年12月四段。'82年4月八段。'83年6月、加藤 一二三名人を4勝2敗で破り、史上最年少の21歳で名人位を獲得。'84年4月九段。'97年6月、羽生 善治名人を4勝2敗で破り2度目の復位、通算5期で十七世名人の資格を得る。'02年7月、公式戦通算1000勝を達成。名人5、竜王4などタイトル獲得数は27。棋戦優勝は21。'97年の阪神淡路大震災では、自身も被災。10時間かけて大阪に向かい、勝負に臨んだ。被災したからこそ発信できるメッセージがあると、考えている。

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