神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「歌に託した未来へのメッセージ」



<第1部>

明親小学校「しあわせを運ぶ合唱団」のこどもたちの
歌声とともに講演会が始まりました。

みなさん、こんにちは。明親小学校の臼井 真と申します。今日は、107名の合唱団のこどもたちと伴奏を弾いてくださる竹内先生とお手伝いしてくださっている豊田先生と一緒にやってきました。よろしくお願いいたします。

(会場:拍手)

最初に自分が勤めて2年目のときに初めてオリジナルの曲をつくりました。近くの同じ区の音楽の先生が授業を公開していて、その先生がキャンプファイヤーのオリジナル曲を弾き語りしながら教え、それをこどもたちが歌っていたのを聞いて「自分がつくった歌をこどもが歌っているのって、とってもいいな」と思ったんです。で、自分もつくってみようと思い『翼をください』のイメージで初めてのオリジナル曲、キャンプの火を囲んで歌う曲をつくりました。いまから26年ほど前です。その曲を当時のこどもたちが、気に入って歌ってくれていた声が職員室に聞こえたときに「自分の曲を口ずさんでくれてる子がいるんだな」と思って、とってもうれしくてそれが、以降、曲をずっとつくることになったきっかけです。
じゃ、合唱団に歌ってもらいます。『心のハーモニー』です。聞いてください。

(合唱団:歌)
(会場:拍手)

PHOTO

ありがとうございました。この曲がいちばん最初です。いままで300曲くらいつくりましたけれど、この曲をこどもたちが好きになってくれてなかったら、いままで続けられなかったと思います。
次は、明親小学校の保護者の方にはお馴染みの、音楽会のオープンニング曲『ひびかせよう心の歌』を聞いていただきます。この曲は震災の3年前、吾妻小学校の70周年のときにつくりました。音楽には、魔法のような力があって、聞いてくれるみなさまに夢を運んだり、悲しいときには慰めてくれたり、そんな音楽会の練習をしてきたこどもたちが会場にいる人たちに魔法をかけよう、魔法の力を試すときなんだという思いを歌っています。『ひびかせよう心の歌』です。

(合唱団:歌)

では、ここから竹内先生に伴奏を弾いていただきます。
『歌は音楽の天使』という曲から、震災に関係した『あじさいを咲かそう』『しあわせ運べるように』という3曲を聞いていただきます。
最初の『歌は音楽の天使』は、震災から1年後のときに、御蔵小学校に転勤して出会った40人のこどもたちに出会いました。実は46名いたんですけど、5人が震災で自宅を失い、ひとりが亡くなられました。そのこどもたちとの取り組みを収録したニュースを見られた東京の出版社の方が、世界に1冊の絵本をくださいました。主人公2人の名前を、全員そのときのこどもたちの名前に印刷し直して、自分には「臼井先生と46人の仲間」という、どのページをめくってもその名前が書いてある世界に1冊の本です。その本の後ろに、その方がメッセージを書いてくださいました。

PHOTO

「先生の作曲に
励まされ、慰められ、
感謝いっぱい。
みなの心に響く愛のメロディ。
希望の言葉、天に響け、
天使の歌声高らかに。
愛の歌、愛の心」

とっても素敵なメッセージをいただいて、音楽室の準備室にこれをいつも飾って自分が曲をつくるときはこういう歌がつくれたらいいな、いつも心に響くメロディが書けたらいいなと思っています。お会いしたことはないんですけど、この東京の出版社の方の気持ちを歌にしていきたいなと思って……。歌は音楽の国から生まれた天使なんだという、天使になぞらえた歌をつくってみました。それが1曲目です。あとの2曲は、震災を直接歌ったものです。では、こどもたちの解説のあと3曲歌います。お聞きください。

合唱団メンバー(男子)
僕たちは明親小学校しあわせを運ぶ合唱団107名です。この合唱団は震災から学んだ数々の教訓を震災のときに生まれた歌を通して、あのときの思いをいつまでも忘れないように、そして次の世代に伝えられるように昨年の11月末より練習を重ねてきました。
合唱団メンバー(女子)
はじめに『歌は音楽の天使』を歌います。この曲は、震災から3年後に臼井先生が歌の持つ不思議な力を音楽の国から生まれた天使に思いを託しつくった曲です。聞いていただくみなさんの心に愛の言葉、愛のメロディが届けられるように歌います。

(合唱団:歌)
1.
 みえない 世界の 音楽という国から 歌の天使達は 微笑みながら
 生まれる
 心にあふれる 思いを 翼に乗せて 時の流れの中 永遠に
 飛びつづける
 世界中の人に 愛を伝える 歌は天使
 忘れられぬ メロディー 心に残して

2.
 どんなに 淋しくて ひとりぼっちの夜にも 星がきらめく空
 天使達は 見守る
 ひそかに ちかづく 天使達の羽の音 聞きもらさぬような
 豊かな心があれば
 世界中の人に 愛を伝える 歌は天使
 忘れられぬメロディー 心に残して

 歌は 今日も 今も この瞬間にも
 世界中で 生まれつづけている
        生まれつづけている

(会場:拍手)

合唱団メンバー(女子)
次は『あじさいを咲かそう』です。神戸市の花はあじさいです。中学校の国語の先生だった坂本 繁先生が作詞され、臼井先生が作曲したあじさいコンサートのテーマ曲です。震災で傷ついた神戸の街に、明日へ未来へ希望をのせたあじさいの花を咲かそうとの願いを歌います。

(合唱団:歌)
 明日をのぞむ 神戸の街の
 北に東に 南に西に
 あじさいは咲く 復興の朝
 うすむらさきの 雲の彼方へ
 わたしとあなたの新たな旅立ち

 大地が動き 炎が叫び
 友を奪った あの日 あの時
 あじさいは咲く 悲しみをこえて
 想いを抱いて 生きていくため
 わたしとあなたの 胸あつい誓い
 あじさいを咲かそう あじさいを根づかそう

 一つに結ぶ こころとこころ
 共にほほえむ 幸せ求め
 あじさいは咲く 六甲の峰
 夢風船を 天に飛ばそう
 わたしとあなたの ときめきの未来
 あじさいを咲かそう あじさいを根づかそう

(会場:拍手)

合唱団メンバー(女子)
最後は『しあわせ運べるように』です。この曲は震災から15年目に臼井先生の手を離れ、多くの人たちに歌い継がれ、海外にも広く紹介されました。今日はこの15年目に『しあわせ運べるように』を歌ってきた神戸のこどもたちの代表として、心を込めて歌います。お聞きください。

(合唱団:歌)
一.
 地震にも 負けない 強い心をもって
 亡くなった方々のぶんも
 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
 支えあう心と明日への希望を胸に

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように
 
二.
 地震にも 負けない 強い絆をつくり
 亡くなった方々のぶんも
 毎日を大切に生きてゆこう
 傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
 やさしい春の光のような未来を夢み

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように

 響きわたれ ぼくたちの歌
 生まれ変わる神戸のまちに
 届けたい わたしたちの歌
 しあわせ運べるように

(会場:拍手)

ありがとうございました。こどもたちに退場してもらう前に、校歌を歌ってもらいます。明親小学校に着任して7年になります。7年前に自分が着任したとき、最初に作曲した曲をいまから聞いていただきます。いつも新しい学校に転勤して、いちばん最初にする仕事は校歌の歌詞を見て、演歌に作曲することなんです。着任式で初めてこどもに挨拶するときは、「音楽の先生ですから1曲歌います。聞いてください」って言って、校歌を演歌に変えて歌います。明神小学校でも、7年前に朝会台で校歌を演歌に変えて歌いました。こどもたちが「うおーっ」て拍手をしてくれて、そこから音楽の授業をスタートするとこどもたちは楽しみにして音楽室に来てくれるかなと思っています。今度、転勤するときにはまた次の学校の校歌を演歌にしようと思っています。もとの曲がわからないと、どういうふうに変わっているのかわからないので、こどもたちに校歌を歌ってもらいます。

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(合唱団:校歌を歌う)
(臼井さん:校歌を演歌で歌う)
(会場:拍手)

ありがとうございます(笑)。これが明神小学校に来て、いちばん最初に作曲した、校歌を演歌に作曲したものです。こどもたちは退場しますので、拍手でお送りください。ありがとうございました。

(会場:拍手)

フェリシモ:
それでは、臼井先生、本日のご講演よろしくお願いします。

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自分がつくった歌をこどもたちが
歌ってくれるっていいな、
そんな気持ちから小学校の音楽の先生に……

まず、どうして小学校の先生になったかというお話からしたいと思います。正直に言いますと、大学を卒業した時点では、先生になろうとは思っていませんでした。いろいろな偶然が働いて、先生の道に進むことになりました。当時エレクトーンを習っていたので、音楽教室の先生になれたらいいかなと、大学を卒業してそういう道に進めたらと思っていたんですけど、教師の免許くらいは持っておこうかなと思って、教職課程も取っていました。それで、家のすぐ近くの本山中学校に教育実習に行きました。そのとき中学1年生を担当していたのですが、中学生が本当にかわいくて……。最後に歌も歌ってくれたり「早く本物の先生になって帰ってこいよー」とかいう手紙ももらったんです。けど、自分はすごく恥ずかしがりやで、人の前でしゃべるとか、歌うということが全然できなくて、誰かが見ていると震える、声もうわずるというようなタイプだったので、教師という仕事は絶対無理だなと思っていたんです。採用試験のときには、形だけでも試験を受けようということで行ったんですけど、そのとき、高校のときの先輩にたまたま会いました。その先輩は現役の小学校の先生をされていて「神戸の小学校のこどもたちはすごくかわいいよ」という話をしてくれました。それを聞いて、実技試験と初見(初めて楽譜を見て、練習なしで弾くこと)とか、歌のテスト、楽器の演奏とかあったんですけど、まじめにやりました。普通だったら緊張してしまって、震えたりするんですけど、どうせ最初から何も勉強してないし、というつもりで受けたところとんとん拍子にいきまして、一次試験合格して、二次試験もA採用。最後面接で小学校を希望したんですけど「多分中学になるやろなあ」とか言われて「中学校の先生になるんやったら、絶対無理やなあ。やめとこう」と思って……。そうしたら、たまたま長田区の志里池小学校から男の音楽の先生がほしいというお話をいただき、そこに行かせていただきました。

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そこで、出会ったこどもたちに「教師ってすばらしい仕事だな」っていうことを教えてもらい、のちに「天職だな」と思うようになりました。いちばん最初のきっかけは、当時教えていたときに、音楽会の前によく声が枯れてしまって出なくなっていたんですね。そんなときに、5年生の1人の男の子が、音楽会が終わったあとの作文に「臼井先生の声が出なくて、僕はとってもつらかった。僕の声をあげられるものなら、先生にあげたいとずっと思ってた」って作文に書いてくれていたんです。それを読んで、本当にやさしい子がいるんだなと思って……。すごく涙が出ました。こんな子がいる、こんなこどもたちを教えられることはすごくしあわせだなと思いました。そして、自分の声が枯れても一所懸命使える時間のすべてを使って目の前のこどもたちを教えていこうと思い、いままでやってきました。そんな中で、いろいろな曲をつくってきたんですけれども、絶対に忘れられない曲というか、これから先も大事にしていきたい曲があります。音楽会のエンディングの曲で『みえない翼』と言います。これは、震災から3年目の、25歳のときの夏休みに作詞作曲しました。いまでは、神戸市のたくさんの学校でこの曲を歌い継いでくれています。音楽会というひとつの行事でこどもたちが、見えない翼だけれど心の中の翼を強く持てば、時間の壁を越えて大人になったときに、小学校のときに演奏した曲を街中で聞いたとき、小学校のときにがんばったときの記憶とか、いろいろなことを思い出してほしいなと。忘れない忘れたくない音楽会にしてほしいなという、音楽の教師としての願いを曲にしました。一昨年の明親小学校の6年生が歌っているVTRを見ていただきたいと思います。

(映像)
ありがとうございました。いま、見ていただいたように、こどもたちが感動して涙が出るような音楽会にしたいなと思って、ずっとがんばってきました。心の中に貯金がなければ、こどもたちは感動して泣けることができないと思います。6年生については毎年5月から6ヵ月間夏休みを挟んで練習を続けています。毎朝練習のときには、自分と握手をしてがんばろうと言って続けています。100回200回練習していく中で、こどもはいろいろな思いを持ち、音楽会を迎えるとその思いから涙をこぼすことができる。そういうことが将来の強さにもなると思って、ずっとやってきました。
3年前に、がんばって音楽会をやりきった6年生に、先生たちから歌をプレゼントしようと思って『未来への希望の翼』という歌をつくりました。お客さんが帰られたあと、6年生を受け持っている先生と自分が、こどもたちに向かって歌いました。未来に希望を持って、つらいことを乗り越えたことを力に、時間の壁を乗り越えてほしいなという思いを曲にしました。『未来への希望の翼』を歌ってみたいと思います。

(臼井さん:歌う)
 いつまでも この瞬間が みんなの心の支えになり
 永遠に 希望の光を 放つ
 翼に なったね

 つらいことを 乗り越え やり遂げた あつい 思いが
 今 みんなの 未来への希望の
 翼を より 輝かせる

 忘れないで いつ いつまでも あきらめず 練習したこと
 そして同じ時を 過ごした ここにいる すべての人を
 忘れないで いつ いつまでも あきらめず 練習したこと
 そして 同じ時を 過ごした ここにいる すべての人を
 あつい思い 翼に乗せ みえない翼 はためかせ
 時間の壁を 越えてゆく
 時間の壁を 越えてゆく

(会場:拍手)

ちょっと歌詞が飛んでしまいました(苦笑)。すみません。これを6年生の担任の先生方と歌には歌で返そうと言って、こどもたちの前に立って歌います。その歌を聞いてこどもたちがもう一回涙をこぼしてくれます。やはり一緒に関わった時間が記憶に残っていくのかなと思います。

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『しあわせ運べるように』
自分の命が助かったのは、もしかしたら
この曲をつくるためだったのかもしれない

そういうことをしていて、勤めてから12年目に阪神淡路大震災が起こりました。いつも早朝練習で4時半には起きているので、あの日も4時半に起きて、自宅で被災しました。2階に上がったのがちょっと早かったので命は助かりましたが、1階はぺしゃんこになりました。『しあわせ運べるように』をつくったのは、親類宅に身を寄せて、学校が避難所という自分自身にとっては最悪の精神状態のときでした。つくろうと思ってつくった歌じゃなくて、瞬間的にできた歌なんです。三宮の街がテレビのニュースで画面に映ってるのを見て「三宮がこんなになってる」と……。神戸生まれ神戸育ちで、三宮にも思い出があったので、神戸の街が消えたような衝撃を受けました。そのときに親戚の家の机の上にたまたまあった紙に思いをぱっと走り書きして、作詞をし、その場で作曲をしました。その歌が、いま15年経って、こういうふうに広がったっていうのは、自分の人生に起こった奇跡かなとも思います。それまでつくっていた歌もすべて1曲にあのとき凝縮されて、形として出たのかなといまは思います。この歌は海外にも紹介されました。昨年の1月17日に、中国語に翻訳して明親小学校のこどもたちが歌った様子がNHKで流れましたので、映像を見てください。

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(映像)
ありがとうございます。「中国語の発音がとってもきれい、中国でも十分に通じるよ」と通訳の方に褒めていただいたので、こどもたちも1ヵ月練習した甲斐があったなと思っています。
自分は震災の直後に、長田区にある御蔵小学校、震災で校区の3分の1が全焼した学校に転勤しました。テントの中をくぐり抜けて着任した日のことはいまでも忘れられませんし、着任する前に、避難所でいちばんきびしい状況の学校でやっていけるかなと思って、本当に火の中に飛び込む気持ちで転勤しました。けれども、そこには素晴らしいこどもたちと先生方が待ってくれていました。明親小学校のこどもたちには授業でも見せましたが、同級生を亡くしながら、がんばってきた、いつも心は46人分の記録のニュースをみてください。

(映像)
地震直後に出会った6年生のあの姿は、何年経っても、いまのこどもたちにも伝えたいと思って、毎年1月にはこの授業をして話しています。「みんなの思いを先生が曲にしてつくったんだよ」って、初めてこの曲を音とりをしたときに40人のこどもたちがピアノのまわりで、涙をこぼして歌ってくれました。そのときの姿を見たときに、自分の命が助かったのは、もしかしたらこの曲をつくるためだったのかもしれないなと思えた、清らかな瞬間でした。
音楽の授業のラストは、それまではアーティストの曲を弾き語りして終わっていたんですが、震災の前の年に、最後の曲も自分でつくろうと思って『ラストソング 巣立ちゆく教え子へ』という曲をつくりました。それ以降、毎年6年生の最後の授業で歌っています。いつもひとりひとりに手紙を書いて握手をして、この曲の楽譜と一緒に渡しています。低学年から教えてきたこどもたちは、音楽室で自分と一緒に歌を歌ったり、ピアノの音を聞いたり、そんなことも最後かなと思ったら、涙を流してくれる子も多くて、音楽の教師としていちばんしあわせな瞬間かなあと思っています。最後にその曲を聞いてください。

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(臼井さん:歌)
1.
 何度 みんなと この部屋で 歌を 歌ったことだろう
 もう 二度とは くりかえすことのない なつかしい 思いでの中で
 いつか 大人になった時に 先生の顔は 忘れても 教えた音楽の 
 楽しさだけは 覚えていてほしい
  
 これから みんなが 歩いてゆく 長い長い人生 よろこび
 悲しみ いろんなことが 待っていると思うけど
 いつも 音楽を友達に 好きな歌を口ずさんで 誰にでも
 好かれる やさしい人に なってほしいな

2.
 何度 みんなと この部屋で 笑顔 交わしたことだろう
 もう二度とは くりかえすことのない なつかしい 思いでの中で
 いつか 大人になった時に 先生の声は 忘れても 教えた音楽の
 美しさだけは 覚えていてほしい

 これから みんなが 歩いてゆく 長い長い人生 よろこび
 悲しみ いろんなことが 待っていると思うけど
 いつも 音楽を友達に 好きな歌を口ずさんで 誰にでも
 好かれる やさしい人に なってほしいな

 さようなら ありがとう 6年間 みんなに 出会えて
 幸せだった 忘れられない 思いでを ありがとう さようなら
 卒業おめでとう

(会場:拍手)
ありがとうございました。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
歌の力をいろいろなところでたくさん感じて来られたと思いますが、その中でも思い出深いものがあれば教えてください。

臼井さん:
そうですね。『しあわせ運べるように』をいちばん最初に吾妻小学校の運動場で2月の終わりくらいに発表したとき、1人の方が目に涙をいっぱいためて近づいて来られたんです。それで「先生、この世に音楽の神さまがいるとしたら、そばにいてこの曲を聞いてくださっていますよ」と言ってくださったんですよね。15年経ったいま「本当にそうだったのかな」と、自分でも思えるようになりました。いろいろな人の心に歌が響いていったということで、15年間、1曲の歌でいろいろな出会いもありました。そういうことが歌の力かなと思います。

お客さま:
私はいま21歳です。震災のとき、私は小学1年生でした。家は、大阪で被害もほとんど受けず、いまとなってはほとんど記憶もありません。そんな私は震災とどう向き合えばいいのでしょう。また、震災で大きな被害を受けた方との、震災の話になったとき、どんなふうに接すればいいでしょうか。

臼井さん:
そうですね。こどもたちにもいつも言ってるんですけれど、震災の記憶とか直接なくても、やはり、あれだけの方が亡くなられて、ものすごいことが起こったということを若い世代の方々も知り、亡くなられた方の思いに心を寄せるということは、絶対に必要だと思います。また、震災から学んだいろいろな教訓を、我々が次の世代に伝えていかないと、亡くなられた方に申し訳ないなと思います。
最近「シンサイミライノハナ」という活動を大学生がしてくれていて、1月17日に震災記念公園で、その大学生の案で、震災に対するメッセージを書いた黄色い花びらの花に囲まれて、明神小学校のこどもたちは歌ってきました。若い方のアイデアで、っていうところがとってもうれしいなと思いました。そうやって、若い方の中でも思いを持って震災の日を迎えておられる方もいるので、震災の日には、ぜひ神戸に思いを寄せていただきたいなと思います。

お客さま:
臼井先生はどんなご両親に育てられたのでしょうか?

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臼井さん:
これはちょっと恥ずかしいですね(笑)。母は80歳になるんですけれど元気で、この間震災復興記念公園にぜひ来たいって言ってきてくれました。そして、自分が指揮してこどもたちが歌うのを見て、喜んでくれていました。歌碑も建ったので「うれしいな」と言ってくれていました。母は昭和4年生まれで、自分が少女のときに戦時中だったので、あまりいい少女時代を過ごしておらず、いまだにかわいいものが好きですね。あと、歳をとってからピアノを習い始めて……。これが自分にとっていちばんつらいんですけれども(苦笑)。夜遅く帰ったときに片手でポロンポロンとピアノを弾いて、学校でさんざんこどもを教えてるのに、家に帰ってからも「この音どう?」とか「ト音記号はどれくらいアレするの?」とか聞かれるのがすっごく苦痛なんですけれど……(笑)。親孝行としてやさしく教えるようにはしています。そうやって習い事もいまだにしてるんで、まあ前向きかな。あと、わりとやさしい、涙もろいところもあったりします。
父の方も同じ80歳で、元気です。父は、息子から言うのもなんですが、本当にできた人。痛みに強いというか……、絶対からだとか痛くても、痛いとかつらいとか言わなくて、自分の力で治すという感じです。歯が痛くても歯医者に行かずに、歯が全部抜けてしまい、それでも入れ歯にせずに自然になるがままで……(笑)。耳も聞こえなくなってきますよね、でも耳鼻科にも行かず、補聴器もつけなくても目が見えてるから字幕があればわかるっていうような、そんな感じ。ボウリングが趣味で、ボウリングのブームのころからずっと40年以上、月曜から金曜まで試合に行ってやっているという父です。本当にあったかくて、人助けをすごくしてるんですよ。若いころに海で溺れている人を3回くらい助けたりしていて、母親が「お父さんはいいことをしているから、病気もせずに長生きしてるんじゃないかな」と言っています。

お客さま:
僕も趣味で音楽をかじってはいるんですけど、臼井さんが影響を受けたアーティスト、好きなアーティストを教えてください。また普段どんなジャンルの音楽を聞いていらっしゃいますか。

臼井さん:
小さいころ、いちばん最初に歌ったのが『高校3年生』だそうです。3歳のころに、郵便局の方の鞄を持ちながら歌っていたそうで「それがうまかったよ」と母親が言ってました。歌が好きなこどもで、歌謡曲、あと懐メロ、おばあちゃんたちが歌っている古い歌も好きでした。あとフォークソングのメロディが好きだったので、好きなアーティストというよりもラジオとかテレビで流れてきたいい曲が好きになって、その人のLPを買ったりアルバムを買ったりして、やってきました。中学2年のころからエレクトーンを習っていたので、外国の曲をエレクトーンで弾いたりして、ポップスでもいい曲だなと思うのは聞いたり、あとは、大学のときはオペラとかクラシックの勉強をしていたので、オペラの中の美しいメロディの曲を何回も聞いたりとか。あとは、ミュージカルが好きなんですね。明神小学校の保護者の方は、ミュージカルの曲が音楽会でよく出てくるなと思われてると思うのですが……。『オペラ座の怪人』とか、今年も『ウエストサイドストーリー』をやりました。主人公が思いをのせて、台詞が歌になっていくというのがすごく好きなんです。
『サウンドオブミュージック』は、中学3年のとき、映画館ですごく感動して、ザルツブルグとか、舞台になっている所に行きたいなというのが夢で、実際行ってきました。そういうように影響を単純に受けてきたというか……。好きなジャンルというのは決められないですね。特にメロディが美しい曲が好きだなと思います。
音楽を教え始めて27年で、ずっと1日じゅう教えているので、ちょっと音に対して疲れてきていて、最近、音楽は車でも家でも一切聞かなくなってしまいました。いまは英語が趣味なんです。英語を聞いて、ヒアリングで何を言っているかがわかってきたら、解読できるっていうのが楽しいなと思って、家では英語を聞いています。

お客さま:
音楽好きのこどもに育てるにはどうしたらいいでしょうか。

臼井さん:
よくこどもたちから聞くのは「家で歌っとったら『もうあんた下手やから歌わんとって』とか、リコーダーを吹いてたら『うるさいから吹かんといて』とお母さんに言われた」とか。それがすごく悲しいなと思うんですよ。自分も母親に学生時代「あんたは声が悪いから」と言われて……(苦笑)。それって、すごく傷つくんですよね。
だから、褒めてあげることがいちばんだと思います。例え下手でも「味があった」とか、そういうような感じで、そうするとだんだんうまくなると思うんです。最初から、拒絶から入ってしまうとやっぱりこども心に「やめとこかな」と思うんで。やはり褒めて育ててあげるということがいちばんかなと思います。

お客さま:
いままででいちばんうれしかったことは何ですか?

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臼井さん:
『しあわせ運べるように』が広がったこともそうですけど、教師になってさきほど『ラストソング 巣立ちゆく教え子たちへ』を最後に歌いましたけれど、そのときに教えていたこどもたちっていうのは震災前に3~6年と4年間教えたこどもたちで、そのときの担任がいまの角校長先生だったんですね、吾妻小学校では。とってもいい担任の先生で、校長先生としても素晴らしいんです。こどもたちも本当にいいこどもたちで、さっきの曲を聞いてくれたときに涙をこぼして聞いてくれてたんです。こどもたち全員が握手をして去って行って、片づけをするためにもうひとつの音楽室に行ったときに、そこの黒板全面に「先生ありがとう」とか「音楽の先生が臼井先生でよかった」とか書いてあったんです。まるで映画の1シーンみたいで、なんてしあわせかなあと思ったことがありました。この経験、感動が、そこから先の教師としてがんばろうということにも繋がっているかなと思います。

フェリシモ:
最後に神戸学校より質問させていただきます。本年度の神戸学校のテーマである「しあわせ社会づくりの主人公」そのしあわせ社会づくりは将来世代へ受け継がれるものだと思います。そこで私たちが将来世代のために考え、できることはなんでしょうか。

臼井さん:
自分は、小学生のいちばん多感な心が育つ時期のこどもたちを教えさせていただいています。それで、いつも思っていることは目に見えないものの美しさがわかる子になってほしい、人の心の痛みがわかる、それからちょっとしたことで感動できる子になってほしいということです。そういう子じゃないと将来しあわせにはなれないんじゃないかなと思います。いまって、テレビゲームとか、本当に刺激的なそういうものしか、かっこいいとかいいなって思えなくなっている時代なんです。
音楽って目に見えないもの、人の心も目に見えないもの、それって、すごく繋がっていると思うんですよね。だから、そういうちょっとしたことにしあわせを感じる、花が咲いているのを見たらきれいだなと思う、美しい絵を見たらいいなとか、映画を見たら感動して涙をこぼせるとか、そんな心を育ててほしい。
自分が音楽を教えることによって、何か心を動かして涙をこぼせるような体験を小学校のうちにしていれば、大人になってもそういうことで感動できるような人になってくれるんじゃないかと思います。世の中のみんながそういう人だったら、事件とか悲しいことも起こらないと思います。
音楽というものを通してやさしさというものを伝えていく、教えていく、そういうふうにして見えない心というものを育てていくということが、しあわせにも繋がるんじゃないかなと思います。

臼井さん:
では、最後に合唱団のこどもたちが入ってきて『しあわせ運べるように』を会場のみなさまと歌いたいと思いますので、よろしくお願いします。
こどもたちにいつも言っているのは、歌詞のとおりに「負けない」のところは負けないようにしっかり「強い」のところは強く「亡くなった方々」のところは心に思って、普通の言葉じゃないんだという思いで「ひびきわたれ」はどんどん前に進んでいく感じで、最後の「しあわせ運べるように」のところは、自分自身がしあわせな顔をして、人にしあわせを運べるような顔をしてるかなって言っているので、みなさまもそういう気持ちで歌ってください。

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合唱団、会場のみなさまで『しあわせ運べるように』を合唱。

ありがとうございました。では、最後に明神小学校でもたくさんの歌をつくったんですけど、これから先も大事に神戸で歌っていきたいなと思っている、こういう、今日初めてお会いした人たちに贈る、短い時間でも同じ空気の中で過ごせた喜びをいつまでも感謝して、聞いてくださったあなたの心に届くようにという曲をつくりました。最後にこどもたちから歌のプレゼントということで『あなたの心に』という曲を聞いてください。

(合唱団:歌)
1.
 みじかい 時間でも 同じ 空気の中
 共に 過ごせた 喜びを 忘れず
 いつの日か この胸に よみがえる
 思い出は 心の宝物 きらめく メモリー
 あなたと 出会えて とっても しあわせ
 素敵な ひととき 忘れはしない
 届けよう この歌を 響かそう この声を
 今 目の間にいる あなたの心に

2.
 みじかい 時間でも 同じ 空気の中
 共に 過ごせた 喜びを 忘れず
 おとなに なった時 よみがえる
 思い出は 心の宝物 きらめく メモリー
 あなたと 出会えて とっても しあわせ
 やさしい 笑顔を 忘れはしない
 ありがとう 何度でも ありがとう 伝えたい
 今 目の前にいる あなたの心に
 ありがとう 何度でも ありがとう 伝えたい
 今 目の前にいる あなたの心に
 あなたの心に・・・・・

今日はありがとうございました。今年8月で50歳、半世紀生きてきたすごくいい思い出になりました。今日のこと、こどもたちの笑顔と一緒にいつまでも覚えていたいなと思います。今日は、こういう場を設定していただきまして、本当にありがとうございました。

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Profile

臼井 真(うすい まこと)さん<明親小学校教諭 「しあわせ運べるように」作者>

臼井 真(うすい まこと)さん
<明親小学校教諭 「しあわせ運べるように」作者>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1960年神戸市生まれ。震災時は神戸市立吾妻小学校(97年閉校)勤務。その後、長田区の御蔵小学校、灘区の六甲小学校を経て、現在、兵庫区の明親小学校勤務。音楽専科教諭。「しあわせ運べるように」は、神戸ルミナリエでも歌い継がれ、神戸から新潟へ、そして英語・台湾語・ペルシャ語にも訳され、海外でも広く歌われている。小学生のための自作のオリジナル曲は300曲以上。平成17年度、兵庫県教職員組合教育文化奨励賞受賞。平成18年国際ソロプチミスト神戸東第一回グローバル賞受賞。

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