神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「どうせなら笑って生きたい~『笑い』のツボの拡げかた~」



<第1部>

西さん:
今日はお会いできてうれしいです。どうぞよろしくお願いします。

西 加奈子のこども時代は?

フェリシモ:
まず、西さんのこども時代、学生時代のことから伺っていきたいと思います。西さんはテヘラン生まれで、小学校時代をエジプトで、中・高・大学生を大阪で過ごしたと伺っています。イラン時代、エジプト時代は楽しかったですか?

西さん:
イランでは、私は2歳。なので、全然覚えてないんです。1979年にイランでイスラム革命が起こったので、急きょ日本に帰ってきたんです。エジプトは、小学1年生から5年生までいたので、記憶には残っていて、すごい楽しかったっていうのはありますけど……。駐在員の娘として行ってて、まあ、向こうでは金持ち。まわりには、みすぼらしいエジプシャンのこどもたちがいて……。その子らとうちは遊ぶんですけど、どこかにずっと羞恥心というか、罪悪感があって。「なんでこの子らはみすぼらしいのに、うちは金持ちなんやろ?」と。うちは何にもしてないわけじゃないですか、親ががんばっただけ。「何やろな?」という違和感と、「恥ずかしいな」という恥の意識みたいなのがずっとありました。それはいまもありますね。

フェリシモ:
戒めるような思い?

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西さん:
うちもいやらしいこどもやったんです。「そういうみすぼらしい人たちとも平等やから一緒に遊ばな」という気持ちがあって……。エジプシャンの子と手繋いだりしながら「汚いな」と思ってるんです。それを「そんなん思ったらあかん」って小さいながらに、思いこもうとしていたんです。でも、みんなで遊んでいるときに、日本人のおとなが来て、そしたらエジプシャンのこどもたちがわーって寄っていったんです。そしたら、そのおとなが「汚い。あっちに行け」って言ったんです。それを聞いたときに「はっ」として、「この人、めっちゃ心きれいな」って思ったんです。ほんま思ったまま、言ってる。言ってることは最低なんだけど、でもこどもを前によう言えるなっていうか……。それを素直にできて、悪者になれる根性というものがすごいなって。うちはなんて姑息なんだろうって。ほんまの平等って何なんやろうなっていうか……。

(略)

フェリシモ:
大阪時代は、どんな学生だったんですか?

西さん:
普通の学生ですよ。反抗期もなかったし……。高校に入ったら、父はドバイに転勤、兄は東京の大学に行き、ずっと母と2人暮らしで楽しかったですね。本当に普通。私、それがコンプレックスなんですけど……。

フェリシモ:
普通が?

西さん:
作家になってから、いろんな作家の方にお会いしたりすると、エピソードのひとつひとつがかっこいいんですね。「文化祭はつまんないから行かなかった」「学校教育をおかしいと思ってたとか」みたいなのとか……。

(会場:笑)

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うちは、もう何の疑問も持たずに学校に通ってたんで、それが恥ずかしいから、そういう話になると、したり顔でうなずくっていう……(笑)。ちょっと特別な自分ではありたかったなと思いますね。

フェリシモ:
西さんは「普通」っておっしゃいますが、西さんの視点って磨かれていると思います。多分、こどものころからそうなんじゃないですか?
(中略)
西さんの著書に登場するいろいろな年代の人物に、西さん自身が盛り込まれていそうで……。

西さん:
『きりこについて』(角川書店)は、ぽっちゃりとした女の子が不機嫌な顔で黒猫を抱いてるっていう絵がぱっと浮かんで、この子らの話を書きたいなと思って書いていったら……。うちは、女として生まれてきたっていうことと、美醜だけじゃなくて価値観っていうのは、何が違うのかなっていうのが、結局ずっと書きたいことで、書き続けてますね。

フェリシモ:
美醜って、社会とかにも左右されますもんね。

西さん:
美醜なり、価値観なり、うーんそうですね。「自分はこれええ」って思ってることも、ほんまに自分が思ってるかどうかわからへん。「どっかに刷り込みあんのちゃうか」と、疑いたいなというのがある。反逆精神とかじゃないけど、調子乗って「めっちゃこの水おいしいんや」って言うたところで、ほんまに自分でわかってんのかなって。心から自分の意見として言えるかどうか、考えたいなって思う。それを一回、解体して、考え直したいなと思って、小説を書いてる気がします。

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西 加奈子の表現のおもしろさの源は?

フェリシモ:
西さんの作品の中には「あるある」「おるおる」っていうのがすごく多くて、そういうのの上手な見つけ方があったら教えていただけますか?

西さん:
いつも、意識せず、何にも考えずに書いてますね。ただやっぱり「こんなやつおったらおもろいやろな」という感じで書いてるかな。日常で見た人を、そのまま書こうとかはないですね。小さいころ、リカちゃん人形とゾイドとかを混ぜて遊んでたんです。リカちゃん家に急にゾイドが来るとか、リカちゃんの家の中が全部海っていう設定にして、ただただ泳がすとか……。そういう遊びをしていて、声に出さずに台詞を心の中で言いながら遊んどって、めっちゃ気味悪かったと思うんですけど……(笑)。そのときと、使ってる頭は全然変わらんくて、そのまま、それを小説にしてる感じ。ほんま、パソコン開いて勝手に自分の中で、急にここでこんな人が訪ねて来て……とか。これでお金いただいて、えらいことやと思いますよね。ほんまに。

フェリシモ:
それが才能なんじゃないですかね。

西さん:
楽しいです、本当に。つらいことは、もちろんあんねんけど、つらさよりも楽しいっていう方が勝る。あとは、自分の中の作家イメージっていうのがあって、女流作家って、恋愛に奔放やったり、歯に衣着せぬ物言いをしたりとか、ちょっと破綻した感じとか、あこがれて、結構パソコンの前で「書けない」みたいに自分に酔ったりしてみるんですけど、自分に自分でツッコんでて……(笑)。心から「しんどい、やめたい」みたいなのは一回もないし、まだ余裕がありますね。自分を俯瞰(ふかん)して見れる余裕がある。ゾイドとかリカちゃんの中に自分もいて、それを徹底的に俯瞰して見てる。ゾイドとリカちゃんの小説書いてる自分を見ている自分、みたいに、どんどんマトリョーシカみたいに……。自分のことをすっごい見てますね。

フェリシモ:
いまはどうですか? もうひとりの西さんは?

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西さん:
めっちゃえらそうやなって思います。あと、例えば昔の自分がその辺に座ってたら、どうかなとかそんなんは思います。

フェリシモ:
いまも、小説のストーリーを考えてたりしますか?

西さん:
ストーリーっていうか……。急に司会者さんが立ち上がってうちをぼっこぼこに殴ったらどうなるかな? とか、そういうのは考えてて楽しいですね(笑)。

(会場:笑)

だから、いつもちょっと俯瞰して見てます。

フェリシモ:
観察眼がすごくすぐれてる方だと思ってたんですけど、妄想力がありますね。

西さん:
いろいろ想像するの好き。散歩してるときに、人と会話する練習をするんですよ。

フェリシモ:
ひとりで?

西さん:
ひとりで。声出して。例えば、恋人がいて、言いたいことがあるんだけど言えないんですよ。「うまいこと言いたいな、練習をしよう」ということろから始まったんですけど、歩きながら「ちょっと話あんねんけど」から始まり、彼のレスポンスもあって……。おもしろいのは、2時間くらい歩くからその間に、一回大喧嘩して、仲直りするところまで終わってもうて、解決してるんです。でも、現実は何も変わってないの。でも、その彼に次会ったときに、うちは愛を深めたと勝手に思ってるから。すごい機嫌がよくて……。逆の場合もあって、結婚する予定の彼が浮気したと想像して勝手にマリッジブルーになったりもある(笑)。常にいろいろ考えて、ほんと退屈しないですね。

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西 加奈子の日常は?

フェリシモ:
西さんの作品の中の、普通の生活にとんでもなくひき込まれてしまうんです。普通の日常って、こんなにあたたかく、愛しいものなんだなって、あこがれみたいなものもあります。西さん自身、自分の日常って好きですか?

西さん:
常に、めっちゃええわ、好きやわってのはないけど。しんどいときとか泣きそうなとき、感情の波のあかんときに歩いてたりしてて、そこに親子がいて、お母さんが「早く来なさい」って怒ってて、こどもが背中を丸めてつくぼんで(しゃがんで)て……。だだこねて、怒られて泣いてるんやなと思って、すれ違いざまにそのこどもを見たら、そのこどもが大笑いしてたんですよ。

(会場:笑)

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笑いすぎて動かれへんみたいになっとって、お母さんが「もう、早く来なさい!」みたいに言ってるのを見たら、何に対してかわからんのやけど勝利感っていうのかな「勝ったぞ」って。うちは、それを「日常の勝利」って呼んでるんですけど。そんなんを見たら、「よっしゃ」てなって、がらっと気分が変わりますね。めっちゃ楽しくなる。
あと、すごい素敵な絵を見たときとか、自分が無敵になった気がします。「ヨーゼフ・ボイス展」を見に行ったんです。それは、本当におもしろくて……。例えば、彼はドイツの人なんやけど、東ドイツ製品に自分のサインをしてそれを作品やと……。それって皮肉やねん。自分のサインを入れただけで商品価値が高まるという「価値ってなんや?」に皮肉ったりしてるんです。でも、そういうメッセージ性はいらんねん、ただただ書いてる字がかわいかったりとか、色塗ってるのがおもしろくて元気出て、しあわせやったんです。最後にビデオがあって、ボイスが「コヨーテの霊を引き寄せて歌います」って言ってるんやけど、ピアノあるのにピアノに一回もふれんと「ウォ、ウォ」とか言いながら途中でむせとんやんか。それがめっちゃおもろくて、またそれを聞いてるしたり顔の観客がいて……。すっごくおもしろかった。やっぱり元気をもらうから、芸術家の人ってそういうことなんやと改めて思いました。ほんと、生きることはしあわせやと噛みしめました。

フェリシモ:
西さんのお仕事って、アウトプットするお仕事ですが、どのようにパワーを貯めるんですか?

西さん:
意図してたら、できない。貯めよ、貯めよって、滝に行って打たれたところで、痛いだけやしね。やっぱり、日常です。こうやってお話するのも、みなさんにお会いするのも無意識、絶対頭には貼りついて、自然に貯まっていってると思うんですよね。

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作家、西 加奈子とは?

フェリシモ:
西さんが作家になるって決めたきっかけは?

西さん:
大学を卒業してから、アルバイトで、雑誌のライターをしてたんですよ。書くのは好きやったんです。そのとき、友だちの店のお手伝いしてて、ひとりで店番しながら原稿を書いたりしてたんやけど、そのときになんか小説書きたいなって……。例えばこのお水、ライターやったら、どこ産の水で、どんな味がして、値段はなんぼで、どんなんかって書かなあかんねんけど、うちは、例えばこの水を持ってきたおっちゃんにとんでもない形のほくろがあったとか、そういうのんがおもしろいなって、それを書きたいなって思ったんです。それってやっぱり小説でしか書けない、雑誌には、おっちゃんのほくろなんてそんな情報いらんやん(笑)。

フェリシモ:
大阪にいるときに作家になるって決めて、何作か作品を?

西さん:
『あおい』(小学館)がデビュー作なんですけど、中に3作入ってて、それは大阪で書きました。

フェリシモ:
上京して初めて書いたのは?

西さん:
『さくら』(小学館)です。書いたものは、ほとんど本にしてもらっているので、すごいしあわせやなあと思います。

フェリシモ:
作家になるために、凄まじい努力をされたと……。そのころのことを西さんは「どぶ猫時代」と呼んでいたとお聞きしてるんですけど。

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西さん:
何の考えもなしに東京に出ていって……。出版社にツテもないし、ボロアパートなのに家賃も高くて、毎日何かが壊れるし、友だちもいなかったし、アルバイトも決まっていなくて、本当に孤独。「何で来たんやろ?」って。でもそれは、自分が望んだこと。大阪って友だちもいるし、慣れもあるから、小説なんて書けないんじゃないかなって思って。小説を書くしかない状況を自分でつくろうと思って、ひとりになろうと思って東京に出たんです。自分が望んでしたことやけど「それにしても寂しすぎるで」と思って毎日泣いてましたね。

フェリシモ:
諦めて、帰らなかったんですね。

西さん:
帰られへんよな。お母さんにも嘘ついて出て来て、メールではお母さんに「元気やで。楽しいで」って送って、泣くっていう……。本当つらかった。ただ、1ヵ月くらいでアルバイトが決まって、アルバイトに行きだしてからは楽しくなってきたけど、でもその時代の写真とか見たら、とんでもない顔してて……。痩せて肌も荒れて、根性半端なかったから、インドの犬みたいな……(笑)。女の子としてはあかん時期やったと思います。

フェリシモ:
なぜ、達成するまで、がんばれたんですか?

西さん:
小説が本当に好きやったんです。

フェリシモ:
相当の覚悟がある人が作家になれるんですかね?

西さん:
作家とかに限らず、何かをやりたい方って、きっと誰かに何かを「やりたいねん」と言う前にもうやってもうてると思うんですよ。「止められるかな? 相談してみようかな」とか言う前に、もうやってもうてるっていうのはあると思うんです。本当にそうでしたね。書いてて楽しかったし。で、30歳までがんばって、デビューできひんかったら帰ろうって。デビューできたときに、親に嘘をついていたことを話そうと決めてたんですよ。

フェリシモ:
めっちゃ、かっこいいじゃないですか。

西さん:
かっこええやろ。でも、当時の写真見たら「あかん」って思うよ。

(会場:笑)

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西 加奈子の作品について

フェリシモ:
そういう努力とか、覚悟をされて書いている作品「いままででいちばんようできた!」という作品は?

西さん:
それは、いつも最新刊ですよね。そうじゃないとあかんと思うし、前の方ががんばれたっていうのやったら、出す意味もないし、出すのも失礼やし。常に超えるものというか、これ以上あかんというのを超えていかないといけないなと思います。

フェリシモ:
すごいプレッシャーですよね。

西さん:
だからかわからんけど。作家の人って怖ない? 女性作家の方で、活躍されている方にたまにお会いするとみんなやさしくてかっこよくて人間として魅力的なんやけど、めっちゃ怖いねん。すごい腹すわってるし、怖い。そうなって行くんやろな。一作一作、特に自分のことを書いてる人はそんな気がしますね。

フェリシモ:
西さんも?

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西さん:
初期のころは自分の経験とかもあったけど、そんなにないですね。エッセイは自分のことやけど、エッセイと考えていることは違うかったりするんですよね。

フェリシモ:
エッセイって日記みたいなものかなと思ったんですけど。

西さん:
日記ではなく、エッセイという作品ですね。読んでもらう人がいるというのが前提で、書きます。読んでもらうものって感じなので、1文字の重さが日記とはまた変わってくると思います。嘘はないけれど、書き方を考えたりとか……。だからその時点でもうフィクションなんですよね。オチをどんだけ際立たせるかで、前ふりをどうするかとか、そういうことを考えながら書きます。

フェリシモ:
西さんの表現したいものは「読者の方が感じてくれることがいいんや」と、何かのインタビューで話されていて、例えば『通天閣』(筑摩書房)だったら、小学校時代の経験もありつつ、主人公たちがきれいごとじゃなく生きてて、でも光っててみたいな、世界を送ってほしいというメッセージを託しているのかなと、あたたかい気持ちになったんですけど、どういう思いを込められたんですか?

西さん:
書くときは、思いを込めるとかなくて、とにかく読まれるっていうことを大前提で書かないといけない。表現と言うか、何か書くときは完全に一方的な作業なんですよ。自分の思ってることを吐き出すっていうか……。自分がそのときに何に囚われているかとか、何を持ってしあわせやと思っているのかを確認する作業の気がします。それをわーっと箇条書きにする代わりに、小説にしていく感じです。

フェリシモ:
価値観をもう一度違う人間に歩んでもらった人生の中で確認していく作業ってことですか?

西さん:
それも書き終わってから思うんやけどな。書いているときは、何も考えんとわーっと書いてて……。本当、楽しい。けど、結局、書いてること全部共通してることがあるから「あ、そうなんやな、そのとき自分が囚われてたことなんやな」って、後々気づいておもしろいですね。

フェリシモ:
ストーリーはどうやって作っていきますか?

西さん:
おもろいなっていう場面がぱっと浮かんで……。例えば『通天閣』でいうと「通天閣の鉄柱におかまが張りついて叫んでるっていうのがなんかおもろいな」って思って「なんか書きたい。じゃあ、どうしよ」とか、そんな感じ。

フェリシモ:
それにいたるまでのストーリーを、どう伏線はっていこうってことですか?

西さん:
そう。それがまた楽しい。「この場面が書きたいな」って、1個浮かんでそこから考えていきますね。

フェリシモ:
じゃあ、一気に?

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西さん:
そう。最初と最後で全然変わってもうたりするから。連載できないですけどね。

フェリシモ:
登場人物って、どうやって決めてるんですか? おもしろい登場人物がたくさん出てくるなって思って、彼らに西さんのかけらもたくさん入っているような気がするんですけど。

西さん:
ほんまですか。それこそ、考えてなくて……。2冊目の『さくら』って、すごい売れたんですよ。で、すごいインタビューしてもらって。そのとき、ちょっと調子乗って「なんか、結構降りてきます」みたいなこと言ってたんですけど(笑)。でも、書いてて「なんでこの子急にこんなんなったんやろ?」って自分でもびっくりすることがあんねん。

フェリシモ:
登場人物が勝手に動き出す?

西さん:
それ言うと、めっちゃかっこええから、恥ずかしいんやけど(笑)。ほんまに自分でも思いがけない動きを、登場人物がしてくれることがある。その子がそういうことを言ったから、いままでのことがつじつまが合う、おさまるところにおさまる感じ。めっちゃ気持ちいい。次の日読んでみたら「あかんで」ってこともあるし、奇跡的に「これ書き直さんでもいいわ」っていうのもある。そういうのがおもしろいです。

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西 加奈子と読書

フェリシモ:
西さんにとっての読書ってどういう存在ですか? 西さんに与えた影響とか、読書の楽しみ方を伺いたいです。

西さん:
自分は、本を読んでいる方やと思ってたんですけど、作家の友だち、編集の友だちと会ったら、めっちゃ読んではんねん。小さいころから読んではって。恥ずかしいねんけど、その分うちはラッキーやなと思うのは、これからめっちゃ読む本がある。もともと、小学、中学校時代に映画が好きで『ニュー・ジャック・シティ』というギャング映画を見に行ったら、音楽がめっちゃかっこよくて、そこからCD買って聴いたりしててん。
小説は結構読んでいたんですけど「小説読んでまんねん、賢いでっしゃろ?」みたいなところがあって、高校のときにトリモリスンっていう黒人でも初めてやし女性でも初めてノーベル文学賞を取られた方がいらして、その人の『ブルーエストアイ~青い目がほしい~』っていう小説があるんですね。それをほんま何の気なしに手にとって、ぱって見たら、最初に不思議なエピソードがあって、第1章のはじまりに「秘密にしていたことだけれど」という一文があったんです。「1941年の秋、マリーゴールドは全然咲かなかった」そういう文章で、うちはそのときに「がーん」ってなったんです。「何でこんなに感動すんねやろ?」って。即効買って、読んだら、圧倒されて、本当に、それこそ自分がふれたことのないところが、わーっと持っていかれる感じ。びっくりしたんですよね。表現や物語は残酷なんですよ。それこそ、美醜の話で、黒人の中でも、すごく色の黒い人の方が差別されて、差別された女の子が最後父親にレイプされてこどもを産むっていうえげつない話なんだけど、なんやったらうちは、父親が娘をレイプするシーンもめっちゃきれいと思いながら読んだんですよね。

フェリシモ:
言葉がきれいなんですか?

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西さん:
きれいやった。まったく共感する部分なんかないはずやのに、モリスンって全部わかってるんや、私のこと、じゃないけど。遠く離れた人と一体感になれた。本当暗記するくらい読んで、ほんまに衝撃的な読書体験で、そこから本ってすごいんやって。映画ですごいシーンに圧倒されるのを簡単に越えてしまったんです。いまもモリスンを読むと胸が苦しくなるし……。

フェリシモ:
モリスンさんの文章が、西さんが自分でも気づかないところにふれていく? 作品ではなく作家自体が、投げかけてくるものがすごい?

西さん:
それも、うち思うけど、絵画なり、音楽なり、何でも、受け取る側の才能もいると思います。共同作業というか。でも音楽とか、特に耳に飛び込んで来てしまうっていう物理的にそういうのがある、絵も目に飛び込んで来る。赤い絵を見たら、赤をもう見てしまってるやん。文章に「赤い色」って書いてたら、読み手のいろんな赤があって、それによって話が変わってくるし…。「すごい痩せた女がステーキをがつがつ食べている」っていうシーンを書いたとして、それを「痩せの大食いなんや」で終わる人もいれば「めっちゃ気持ち悪いな、不気味やな」「その女は悲しいんやな」と思う人もいるし、そういうのんが読み手に委ねられる余地がすごく大きいから、楽しい。そういうところが好きですね。
でも、本って本当に、こうやってみたら(本を広げて)、黒いぶつぶつでしかないんですよね。大概一緒なんです。で、例えば、うちが50音もらってて、別の作家さんが800音もらってるとかでもなく、その作家さんが書いたやつだけめっちゃいいにおいするとかでもない、ほとんど一緒なんです。それをどこに感動するかっていうと、いろいろな芸術作品の中では、特に読み手に委ねられてると思うんですよね。そこが私はおもしろくて、だから何回も読んでたら、文章の表現そのものだけに感動する場合もあるし、ストーリーに寄り添うこともあるし、ほんまにそのときの自分の気分とかで全然変わるから。

フェリシモ:
西さんの本も読み手によって感想が違いますか?

西さん:
本当に恥ずかしいねんけど、書いてるとき興奮してるから書き尽くして、説明し尽くしてしまうねん。そこがあかんとこやねん。これからは削っていくこと。技術力を伸ばして、語彙力を増やして、でもどれだけシンプルにできるかっていうことが課題。読者に言いすぎる傾向があるから。説明せえへん勇気を持ちたいと思います。

フェリシモ:
いまでも十分潔いと思いますが。

西さん:
いま『anan』という雑誌で、短歌の連載をさせてもらってるんですけど、短歌って三十一文字に限られるでしょ。例えば、花を見てめっちゃ感動したっていうのを5文字で言わないといけない。それってすごい作業。凝縮するから。それを小説全部にやってたら気狂うけど、それくらいの気合いでいかななって。さらって書いてしまうけど「この言葉で合ってるかな?」っていちいち考えて書かんとあかんなって思いますね。

フェリシモ:
小説って文章ひとつひとつがすごく磨かれて出てきた言葉なんですね。

西さん:
文章読んでるだけで圧倒される人の本ってそうやと思いますね。一文字にかける情熱っていうのは、絶対出ると思います。

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西 加奈子のこれから

フェリシモ:
夢について伺ったときに、西さんが「夢は無理して持たんくていいねん」とおっしゃってて、すごく新鮮に感じました。25歳のころに「作家になりたい!」ってすごく熱い思いを持っていらしたのは、私から見ると夢だと思うんですけど、西さんには違う感覚だったのでしょうか?西さんの夢とはなんですか?

西さん:
さっきも話したけど、夢っていうか、やりたいことはやってまうと思うんですよ。語って安心してしまうような夢はいらんというか。ほんまに人に語る前にやってもうてると思う。夢を語るのは素晴らしいけど、すごい豊かな国の弊害で、ほんまは生きてるだけでええのに、何かクリエイティブなことをやらんとあかんのちゃうかっていう風潮があるやん。いまの自分は自分じゃないみたいな、いや、いまの自分もめっちゃ自分やし、そんな夢って大切なんかな。ほんと毎日誰かにやさしくできたら、そんな素晴らしいことはないと思うし、さっきのどぶ猫の話じゃないけれど、無理にしたいことを探してそんな顔になるよりは、毎日しあわせやなありがたいなって感謝して生きる方がうちは尊いと思います。無理に夢を持たなくてもいいと思います。
夢っていう言葉、うちはいま「何かをすること」ってとらえたんやけど。日本人の夢って「自分のやりたいことを何かしようよ」とかに聞こえる。うちはそれがいやで、もっと普通に「今日いまから会う友だちとめっちゃ仲よく飲みたいねん」とかでもいいと思う。夢っていうとものすごく大きなことを言わないといけない、みたいな。あまり拡大解釈してとらえんと、やりたいことがあったらやったらええやろうし、という感じです。

フェリシモ:
これから、どんな作品を書いていきたいですか? どういう西 加奈子になっていきたいですか?

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西さん:
ずっと作家ではいたいです。ずっと作品を書き続けていきたいですね。どういう自分でいたいか、ちょっとわからない。毎日結構必死です。

フェリシモ:
何年か前になりたかった自分にいまなっていますか?

西さん:
何年か前の自分も、いまみたいに「何になりたいんやろな?」って言ってたから、結局どんな自分になっても、納得できないと思う。目標設定してしまうとしんどいから。自分がずっと笑っていれたら……。感謝を忘れずに過ごしたい。

フェリシモ:
ついつい忘れてしまいがちですよね。

西さん:
うん。その後悔が大切ですよね。調子に乗ってしまったなーっていう、後悔や羞恥心をずっと持っていたいと思っています。もっとくさいことを言うと、思いやりさえ持っていたら世の中の道徳のおかしいのんが全部解決すると思うんですよね。だから、毎日生きてることがありがたいなと思えたらいいですね。

フェリシモ:
作家としてより、人間として生きていきたいという気持ちの方が強い?

西さん:
そう言うと、めっちゃかっこよくなりすぎる(笑)。でもほんまに生きれてるからありがたいです。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
親御さんから言われて、心に残っている言葉はありますか?

西さん:
まず父がいつも言っていたのは「お前は、『生んでくれ』って言って生まれたわけではなくて、わしらが勝手に生んだんや。だから好きに生きなさい」と言われました。言われた当時は寂しかったけど、すごくサポートもしてくれました。母には「もの喜びしなさい」って。「もの喜び」ってよくわからないねんけど「とにかく喜びすぎるくらい喜べ」っていつも言われてました。あと「『ありがとう』という言葉も、出し惜しみする言葉ではないから『ありがとう』って言いなさい」ってずっと言われてました。

お客さま:
作品の中で大切にされている「美醜」という言葉。「美」には「日常の勝利」とか「感謝」とか「おもしろい」いう言葉が当てはまるのかなと思いましたが「醜」にはそういったところを感じられますか?

西さん:
いまのテレビとか雑誌で決めている「美醜」があるんです。足の長いのがいい、顔が小さいのがいい、太ってるのはいけないとか。そういうことがまず単純にあって、さきほどの「日常の勝利」とかの対義語としたら「誰かが決めた価値観に囚われてがんじがらめになること」やと思います。「美」が開放やとしたら「醜」は囚われてることやと思います。醜さがあるために美しさもあるけれど、醜さから脱却するために美しさがあるんやろなと思います。

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お客さま:
平等という話がありました。西さんにとっての平等についての価値観を聞かせてください。

西さん:
私にとっては、平等っていうのは、絶対的に自分の価値判断で物事を決めること。自分の責任においてそれを貫けるかどうか。全部その価値観を「こういう価値観やからこれ言ったらあかん」「こうやからこう」っていう平等じゃなくて、なるべく自分の目線をフラットに持っていたい。自分がどう思うかをあとで糾弾されるかもしれないし、それによって問題が起こるかもしれないけれど。あと想像力。相手がこれ言われたらどう思うか、思いやりやと思うんですけど、それさえ持っていたら全部自分の価値判断で「あなたは美しい」「美しくない」っていうのを全部自分で決めていくことが、うちは平等やなと思うんです。それってすごいむずかしいし、ある程度戦い。小説の中にも身体障がい者やホームレスの人が出てくるんですけど、なるべく同じ温度で、自分がその人たちのことをどう思っているかを責任を持って書こうと思っています。

お客さま:
小さいころから絵を描くのが好きです。高校生くらいになって来たら、だんだんまわりの目が気になってきて、それが妨げになってきました。西さんの作品は、感情を出し惜しみしないというか、変なフィルターを通さない感じがしました。他人の目が気になって、自分の作品に影響したことはありますか? あるとしたら、その打開方法も教えてください。

西さん:
永遠のテーマですね。他人の目って、イコールそこに自意識が働くかどうかやから。うちも小さいころは、絵描くときに「大人はのびのび描いてるこどもが好きやろ」と思って、わざとのびのび描いたりとかしてたんですよね。それって、おもろないし、その影響もあって、特に絵はいま絶対好きなように描こうっていうのはあります。決めてたところで、さっきの「降りてくる」じゃないけど、止まらなくなるんです。どうしても、自意識が介入する隙がなくなります。ただ、小説に関しては、いろんな方から批評されたりとか、意見を聞くんですよね。だから、どうしても考えてしまうんです。「どう思われんのやろ?」って。そんなときは、とにかくあがきます。恥ずかしい、恥ずかしいという気持ちで書けないときは、あがいて、クタクタにあるまで歩いて、酒飲んで、自分がそのときできる最高まで自意識を取るようにします。でも、なかなか取れないんですよね。本当に目標として、デビュー作のころのてらいのなさを持って、なるべく無に近づいていきながら技術を上げたい、すごいむずかしいけど。自意識というのは一生つきまとっていくから、あがいていくしかないかなと思います。

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お客さま:
年齢を重ねれば重ねるほど、傷ついたあとの回復に時間がかかるようになった気がします。西さんは年齢を重ねることで「変わったな」と思うところはありますか?

西さん:
うちは逆で、立ち直りは早くなりました。それはいいことではなくて、経験が邪魔をしていると思うんです。作家デビューしたときに、すごくいやな奴に会って「最低やな」って思ったんですね。それから年月が経って、同じような人と会っても「あ、こういう人おるおる」って、怒らなくなったんです。それってあかんなって思ったんですよ。初めて傷つけられたぐらいのノリで、経験を全部とっぱらって、いちいち傷ついていちいち怒っていきたいなって。何でもそうですね、友だちと会っても、改めて「この子大切やな」と思いたい。傷ついたことをなかったことにする術に長けてきたから、それはそれでしょうもない。質問をくださった方は、傷ついてから立ち直る時間が長くなって弱くなってると思ってるかもしれないけれど、それだけ繊細さを持ってるってことやから、いいことやと思います。人間として人間らしい、真摯なことやと思います。

お客さま:
西さんが個人的に好きな作家さんとか、おすすめの作品を教えてください。

西さん:
私は英米文学が好き。翻訳家の柴田 元幸さんという方がいらっしゃって、外国人の作家の名前を知らんでも、柴田さんの訳やったら買うっていう買い方をしていて……。本当におもしろいんですよ。柴田さんご自身も小説を書かれています。

フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。「笑って生きれる生き方術」「こうやったら楽しく生きれるで」というメッセージをいただけますか。

西さん:
私、3年前まで生き物が亡くなっていく場面に遭遇したことがなかったんです。知人が亡くなったとき、行ったときには棺に入ってしまっていたから、状態としては死んでしまってたんですね。3年前に飼っていた猫が亡くなったとき、死んでいくところを初めて見ました。全然死にたがってない、生きたい、生きたいって思いながらすごい苦しんでて、それを見たときに「ほんま、なめとったらあかん」というか、生きていることに感謝しないかんと思いました。
大きい話するの恥ずかしいけど、世界中で謂れのないことで死んでしまったりする人がいます。そんなん考えたら「しんどい」とか「なんであんなやつに会わないかんねん」とか「何でこんな意地悪されんの?」とか思うけど、まず「生きてるな」っていうのを考えたら、礼儀として楽しい。どんなにしんどくても「生きてるのすごく楽しいです」って言っていくのは、本位でなく死んでいった人たちへの礼儀やと思う。だから、無理でもうちは笑います。脳って、どんだけ悲しくても口角をんーって上げとったら、なんか笑ってるって勘違いするねんて。ポジティブなことではないのかも知れへんのやけど、笑っとかんと失礼やなと思います。ポイントとかコツというよりは、礼儀だと思っています。

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Profile

西 加奈子(にし かなこ)さん<作家>

西 加奈子(にし かなこ)さん
<作家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1977年イラン・テヘラン生まれ、エジプト・カイロ、大阪府育ち。2004年「あおい」(小学館)でデビュー。2005年「さくら」(小学館)が26万部を超えるベストセラーとなる。その後、小説作品としては『きいろいゾウ』、『こうふく あかの』、『こうふく みどりの』(小学館)、『通天閣』(筑摩書房)、『しずく』(光文社)、『窓の魚』(新潮社)、『うつくしい人』(幻冬舎)、『きりこについて』(角川書店)を発表。エッセイ集に『ミッキーかしまし』『ミッキーたくまし』(筑摩書房)、絵本に『絵本きいろいゾウ』(小学館)がある。2007年『通天閣』で織田作之助賞受賞。東京在住。

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