神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • 松浦 弥太郎さん(『暮しの手帖』編集長・文筆家・書店店主)
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「自立すること~人生という旅に出よう~」





<第1部>

松浦 弥太郎さんが始めた
世界一おもしろくて楽しい本屋「カウブックス」

フェリシモ:
まず、経営されている本屋さん「カウブックス」ではどのような本を扱っていらっしゃいますか?

松浦さん:
雑誌とかメディアで紹介していただくときには、古書店とか古本屋さんとかわかりやすく説明していただいているんですけれども、僕の中では古書店でも古本屋でもなく普通の本屋と考えています。さらに言うと個人商店です。要するに街に八百屋さんとか魚屋さんとか肉屋さんがありますよね。そういうところはご主人が市場へ行って、自分が「これを売ろう」と思って仕入れをして、それを自分の手で売っていくあたりまえの商売です。個人商店というのは、例えば、八百屋さんだと、この野菜はどこで採れたもので「どういう料理にしたらいいですか」ってお客さんに聞かれたときに全て答えられる。「カウブックス」もできるだけそれと同じように、自分たちが読んで、感動して、そして理解したものだけを置く本屋さんを追求しています。なので、古い本もあれば新しい本もある、古本とか新刊とか意識していないですね。そして松浦 弥太郎というジャンルです。

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フェリシモ:
世の中には膨大な数の本がありますが、その中で「これだ」と見つけられるのはなぜですか?

松浦さん:
中目黒の「カウブックス」はすごい小さい店で、2000冊ぐらいしか本がありません。2000冊というと結構な量に思えるかと思うんですけど、古本屋とか本屋を始めるにはちょっと量が少ないんですよ。大体4000冊ぐらいないと、本屋っていうのはやっていけないって言われているんですが、なぜ2000冊にしているかというと、ひとりの人間が読んで把握できる量なんですよね。2000冊って数としてはすごいんですけど、例えば本棚に入れるとそんなに大変な量じゃないんですよ。
「カウブックス」以外にもたくさんいい本屋さんってありますよね。じゃあ、そのたくさんの本屋さんの中で自分たちが何で胸を張っていくかって考えたときに、置いてある本についてどんな質問をされても答えられる、それから少なくとも、自分たちが感動を得て選んだ本なので、その感動を正直に素直にお客さまと分かち合うことを目的に仕事をする。それだけは絶対的に自分たちのプライドです。
本ってものすごいジャンルがあって、まだまだ僕が目を通していない素晴らしい本がたくさんあると思うんです。だけど、それを僕は自分の範囲内で手にして読んだりして「これはおもしろいから伝えよう」とかいうことをコツコツ集めているだけなんです。僕はそれを本でやってるだけであって、お菓子や雑貨でやってもいいと思います。

フェリシモ:
どういう本を選ばれていますか?

松浦さん:
ある時期、とても自由に本がつくられていた時代っていうのがあるんです。それは1960年代から1980年代頭くらい。本とは、ひとつに売ることを目的につくっています。でも、それよりも、何か自分が得た感動とか自分が知ったことを純粋に伝えたいという目的でつくられている本があって……。その時代の本って、そういう気持ちが強いものが多いんですよね。それ以降は残念ながら、売ることを目的にした本が増えてきているんです。僕がおもしろいなって思うのは自由な時代につくられた本。本当に自由なんです。いまだったら「そんなテーマで本をつくったらダメでしょ」みたいな、とんでもない本とかいっぱいあるんです。でもそれだけ人間らしい面が表現されている。僕はそういうものが本来の本の楽しさだろうなと思ってます。なので、僕が選ぶ本は、自然とその時代の本が多くなってきますね。

フェリシモ:
おもしろい時代があったんですね。

松浦さん:
いまより手づくりされていた時代って言うんですかね。文字印刷にしても、金属活版で刷られていたりとか、そういうひとつひとつのプロセスに人の手が入っていたりするんです。いまって半年くらいで本1冊ができあがっちゃうんですよ。だけど、よい時代の本は、もっと長く時間をかけてつくっているっていうものが多いんですよね。そうするとおのずとその本の雰囲気というか、本が発する力みたいなものが強いんですね。本だけではなく、電化製品も車もそう。だんだん新しくなってくるとオートメーション化されて、人間の手でつくったぬくもりがだんだん薄れてきますよね。そういうものはどうしても魅力に欠けてしまうので、自分が選ぶことはないと思いますね。

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じゃあ、そういう時代のものの何がよいのか……、ずっと考えてたんですよ。そうしたら、ひとつ共通することがありました。それは、「変」なんですよ。どっかが「変」なんです。昔つくられた電化製品にしても車にしてもファッションでもどっかが「変」なんですよ。
そのどっかが「変」なことって、また考えてみると、人間でも魅力的な人ってやっぱりどっかが「変」でしょう。「変」というのは日本語で言うと、ちょっとマイナスイメージなんですけど、別の言い方をすると「ユニーク」とか、「ユーモラス」。つまり非常に人間らしいっていうことなんですよね。人間っていうのはおもしろいんです、で、「変」なんです。人それぞれ「変」なところってあるんですよね。みんなきちんとしている振りをしているだけ、一皮剥けば「変」なんです。
でも、そういう「変」なことっていうのが時間とともに、隠されていって見えなくなってきてる。でも人が関わって手づくりをしている時代っていうのは隠し切れないんですよね。だからその時代の物っていうのは、魅力がある、人間らしい、あたたかい。そういうことを「カウブックス」を通じて「人間らしい魅力っていうのはこういうことなんだ」、で、それはある意味自由っていうことでもあるので、それを伝えていきたいなって思っているんです。
気分的には自分の部屋に遊びに来てもらって、自分たちの話を聞いてもらい、自分たちがおもしろがっていることに見てもらうっていうような感じです。その中で何か感じていただけるようなものがあったら、買っていただければいいと思います。

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18歳で自由の国・アメリカへ
ひとり旅で得たものは……

フェリシモ:
松浦さんは、18歳の時に高校をフェードアウトして単身アメリカに渡られましたが、そのきっかけは?

松浦さん:
高校辞めてドロップアウトしてアメリカに行った、って言ったらすごくかっこいい話に聞こえますけど(苦笑)、当時の自分はそんなんじゃなくて……。自分が選んだ高校に行ったけれど、なかなかなじめなくて辞めちゃったんですよね。立派な理由なんてないんです。で、やりたいことやってるような、ぶらぶらしているような、遊んでるような状況で、おとなは心配したり、干渉したがる。それで、その状況から逃げたくなって……。とにかく「どっか遠くへ行っちゃおう」みたいなことだったんです。で「アメリカに行ったらいいんじゃないか」っていうすごく安直な気持ちですよ。なんか、かっこよく聞こえるじゃないですか。でも僕の中では、逃げちゃいたい、とにかく知ってる人のいないところに行きたいっていうだけ。それでアルバイトで旅費をつくって、おとなには「英語を勉強する」とか「向こうに知り合いがたくさんいる」とか言って安心させて行っちゃうんです。旅っていうよりも、逃避。本当は、英語もしゃべれないし、知り合いもいないし、お金もないし大変でした。

フェリシモ:
アメリカでの生活でいちばん印象に残ったことは何ですか?

松浦さん:
夢を抱いて行ったんだけれど、絶望感の毎日。毎日が暗い感じでした。英語がしゃべれないのでコミュニケーションは取れないし、お金もないから自由でもないし……。逃げて来たはいいけれど、どこにも自分の居場所はないし……。とにかくつらい思いしかないっていうのが、アメリカでの思い出です。
そのときに僕、生まれて初めて困ったんですよ、生きていくことに。どうやって生きてったらいいのかな。誰も助けてくれないし。初めて心底困ったんですね。「困ったなー。どうしよう」ってこういうことだなみたいな。初めて困ったことに頭を使ったっていう感じですね。で、そこで初めて、僕はこういうとこが強いんだとか、こういうとこが弱いんだとか、自分の内面性を知ることになるんです。それまでは誰かが手助けしてくれたり、声かけてくれたり、話を聞いてくれたりしてたので、自分の内面に気づかなかったんです。でもアメリカで、初めて自分の内面性に目を向けられたんです。自分という人間がどういう人間なのかをそこで初めて考えたんです。人間って困って初めていろいろなものが働くんですよ。困らないと、頭の中の回路も動かない。慌てたりとか、もうこれ以上放って置いたら大変なことが起きるっていったときに全身の細胞が働くんですよね。

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フェリシモ:
ひとりになる時間を大切にされていますか?

松浦さん:
ひとりになる時間というのは、考える時間ですね。大事なのは。まず自分で考えること。要するに興味を持ったり疑問に思ったときにどうするかですよね。本を読む、人に質問する、いまだったらインターネットを見るとか……。情報を知るっていうのは大事だけど、それよりも先にまずは自分で考えることが大切。自分の答えを探ってみるってことです。日々生活をしていて、とにかく考える時間をつくることが僕には大事。1日に1度2度そういう時間をあえてつくります。

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『暮しの手帖』編集長就任のきっかけ
「暮しの手帖」とのドラマチック!?な出会い

フェリシモ:
『暮しの手帖』の編集長に2006年に就任されました。改めて『暮しの手帖』とはどのような雑誌でしょうか。

松浦さん:
『暮しの手帖』、名前ぐらいは知ってる方は多いと思いますが、戦後間もない、昭和23年に花森 安治さんと大橋 鎮子さんがふたりで始めた雑誌です。当時からいままで変わらないのですが、生活、暮らしを美しくするためにどういうふうに自分たちが工夫したらよいのだろうか、それから自分たちが何を考えたり行動したらよいのだろうかということをコンセプトにした雑誌なんですね。
いまも僕たちがそれと同じ考えでつくっています。実際自分たちの暮らしを美しくするためには、どういうことを学んだらよいか、楽しくするためにはどういうことをしたらよいのか、そういうことを日々工夫をしていて、自分たちが発見したり出会ったり……。暮らしって、すごく普遍的な毎日なんですよね。何も変わらないような毎日なんですけれど、でもその暮らしにちょっと心を留めて、よく見てみると、小さな感動とかおもしろさとか、それから奇跡みたいなことっていうのがポツポツあるんですね。そういったものを『暮しの手帖』では拾い上げて、読者のみなさんに、そのうちの何かひとつは役に立つかもしれないという思いで企画して、1冊にまとめているんです。
『暮しの手帖』は生活実用雑誌なので、基本的には「役に立つことは何だろう」、それもむずかしいことではなく「誰にでもできるようなことは何だろう」ということをいつも考えてつくっています。だから料理もあり、手芸もあり、旅行もあり、読み物もあり、健康のこともあり、幕の内弁当みたいなものなんです。その中のどれかひとつはみなさんの栄養になるんじゃないかなと思ってつくっています。

フェリシモ:
編集長になられたときはどのような思いだったのでしょうか?

松浦さん:
2006年の2月に世田谷文学館で「花森 安治と『暮しの手帖』展」という展覧会がありました。それを企画したキュレーターの方が「『暮しの手帖』の世界を若い方に見ていただきたい、感じていただきたい」と考えておられて……。僕に「展覧会の構成とか印刷物とか宣伝とかを手伝っていただけないか」っていうお話をくださったのが最初なんです。『暮しの手帖』は祖母の家にもあったし、とても身近に感じていましたので、本屋をやりながらも『暮しの手帖』の素晴らしさをいろいろなところでエッセイに書いていたんです。それをキュレーターの方が読んでいて……。『暮しの手帖』は、おばあちゃんが読んでいるような雑誌のイメージだけではなく、新しい価値を伝えているっていうふうに見てくださり、それで声をかけてくださり、お手伝いをすることになったんです。なので、僕の役割は、若い方たちに展覧会を見に来てもらうことでした。

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その期間中に、トークショーをすることになりました。何を話したらいいのかわからなくて、いろいろ考えました。その『暮しの手帖』の名物は、商品テストのページ。昭和の成長期に電化製品の機種を比較調査して、どれがいちばんよいのかっていうことを誌面の中でテストして、発表していました。それはある種、社会現象になるくらいの影響力がある企画だったんですね。で、それに準じた何かができるといいなあと思い「『暮しの手帖』をテストするっていう企画はどうかな」と思いました。というのは、2006年ごろっていうのは、生活をテーマにした雑誌が軒並み創刊された時代で、それらはとてもおもしろかったんですよね。『暮しの手帖』もそういう生活系雑誌に分類されるだろうと思いました。それで、『暮しの手帖』がおもしろいのかおもしろくないのか、他の雑誌と比べる企画をしたんです。
聞いてなかったんですけど、会場の1番前の列と2番目の列は『暮しの手帖』の歴々のOBの方と会社役員の人たちがズラーッと並んでいたんです(笑)。最初から知っていたら僕はやらなかったんですけど(苦笑)、でも「『暮しの手帖』をテストする」ってでっかく書かれちゃってるんですよ(笑)。参ったなって……。  
結果として「『暮しの手帖』はよいものであったけれど、60年近く経ったいまはちょっとおもしろくない、楽しくない。誰がつくってるのかもわかんないし、何をしたいのかもわかんない」と、僕はエールを送るつもりで、自分が感じることをお話させていただきました。一所懸命話をしていたら、話の途中で、大橋 鎮子さんがパッと立ち上がったんですね。僕、マイクを落としそうになりました(笑)。90歳の大橋さんが、ジーッと僕を見ているんですね。で、バッと立って外へ出て行ってしまったんです。みんなもザワザワってなって……。
(会場:笑)
でももう仕方がない……。「別に批判をしているわけではないし、みんなの好きな雑誌だし……」とフォローになってないようなことを言いながら、終わりました(笑)。終わって、僕がしょんぼりしてたわけですよ、なんか申し訳ないなって……。そうしたら、後ろからポンポンって肩を叩かれてパッと見たら、大橋 鎮子さんなんですね。で「外部の者があれこれ言いまして、申し訳ありませんでした」って謝ったんです。そうしたら「私は、ただトイレに行きたかっだけなの」って。
(会場:笑)

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帰ってこなかったんですよ、最後まで。「私はおばあさんだから、我慢できないのよ」って言うんですよ。そうしたら歴々の方が集まってきて「いやあ、おもしろかった」って言ってくださって。「初めて知ったことが多い」みたいなことを仰っていただいて……。僕は恐縮して「ありがとうございました」ってただ頭をペコペコするだけでした。
それから数ヵ月後、6月後半くらいに横山泰子社長から電話がありました。「お会いしてちょっとごあいさつしたいんですけど」って。で、会って話をしたら「松浦さんの話は非常におもしろかった。今『暮しの手帖』は、 おっしゃる通りおもしろくないんです。そこをなんとか建て直したいのです」っておっしゃいました。僕が 「大変な仕事ですよね」と言ったら、「編集長をやっていただけませんか?」と。もうびっくりしちゃって。僕は雑誌編集の経験もないし、編集長がどんなことをするのかもわからない。「僕はいま自分の仕事がありますから。そんな大きな仕事はできません」って、ありがたいけれど、自分には無理だと話して、別れたんです。
でも、また電話をいただいて「この間の話の返事を聞かせていただきたい」って言うんです(苦笑)。だからまた「自信がないです」と断ったんですけど「松浦さんにやってもらいたい」の一点張りで全然聞いてくれないんです。
(中略)
ものすごい賭けをしてくるなあと(笑)。だけど、僕も腑に落ちないですよね。だから「何で僕なんですか?」と聞いたんですよね。そしたら「根拠は何もない」って言うんですよ(笑)。「何かないと返事できない」って言ったら「言っていいのか悪いのか……」と口ごもりながら「直感」って言われたんですよ(笑)。もう、これはいちばんの落とし文句ですよ。この方はすごい人だな と思いました。自分の人生の中で、そんなこと言われたの初めてだし、そんな殺し文句言われて逃げてたら、これから先の人生、僕ちょっと自信なくなる……。だから、もう怖いけど、引き受けるしかないっていうか、逃げられなくなっちゃいましたね。で「やるからには命かけてやります。自分の仕事を全部清算してやります」って引き受けました。
こんなはじまりがあったんです。そうやって、僕は41歳で初めて就職をして、今年で4年目。ほんの一歩前に進めたかなっていうような状況です。

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フェリシモ:
『暮しの手帖』の中で「ていねいに生きる」とか「ていねいな暮らし」っていうテーマが繰り返されていますね。その「ていねいに暮らす」とはどういうことですか?

松浦さん:
僕は「心を込める」ことだと思っています。ていねいにやるっていうのはゆっくりやればいいのかとか、念入りにやればいいのかっていうことではないんです。日々、その人なりの生活のスタイルがあるし、習慣もありますよね。だからそのスピードとか方法っていうのは、その人それぞれで僕はいいと思います。でもそういうひとつひとつに心を込めることが、僕にとっての「今日をていねいに」「暮らしをていねいに」という意味だなあと思います。
例えば、テーブルを拭くということは、心を込めなくても、手を動かせば拭けるんですよね。それで、テーブルを拭いたことになるんです。「ていねいに」というのは、テーブルを拭くことひとつをとっても、その先には人がいるということを、いつも考えてることだと思っているんです。たったひとりで何かやっていることですら、その先には誰かがいる。「じゃあどういうふうにする?」っていうことですよね。その誰かが、自分の家族であったり、こどもであったり、恋人であったり、友人であったらどうする?っていうことです。そしたらどういうふうに自分が、考え、行動するかっていうことですよね。
「カウブックス」でも『暮しの手帖』でも、全ての仕事の先には人がいるっていうことを必ず忘れない。そう考えれば自然と心がこもるわけです。
(中略)
常にどんな小さなことでもそれを受け取る人が必ずいるんだっていうことを忘れないように考えてつくっています。
『暮しの手帖』では、必ず最後に「この1ページは人をしあわせにするのか」ということを確認するんです。「この1ページで誰かが傷つくことはないのか」「なくてもいいものではないのか」と。『暮しの手帖』は広告が入ってないので、読者がスポンサーです。だからこの1ページを買ってもらうしかないんです。ということは、この1ページは読んでくれた人をしあわせにできなければだめなんです。だから、たった1行の言葉、1文字の単語であってもそれで本当にいいのかって、最後の最後まで検証します。

フェリシモ:
本当に「ていねいな思い」が『暮しの手帖』にはぎゅっと詰まっているんですね。

松浦さん:
『暮しの手帖』は、広告がないせいで読者とのコミュニケーションが密なんですよ。なので、本当に読者に役に立たないもの、つまらないようなものであったら、なくなっていくしかないんです。続けていくんだったらそこまで考えていかないと、それは読者には伝わらないものになりますよね。そういうことは、『暮しの手帖』を始めた当時は、きちんと理念としてあったと思います。でも長い年月が経ってしまうと、だんだん忘れられて行っちゃうんですね。僕が『暮しの手帖』でしている仕事っていうのは、そういった当たり前のことをもう一度自分たちの宝物として磨いていくことなんです。
『暮しの手帖』に入って「何を変えたんですか」ってよく聞かれます。僕にとっては「変えるというより、本来持ってるよいものを磨いていきましょう」ということでした。なぜかって言うと「相手が人だったらどうする?」っていうのがあるんです。要するにこの『暮しの手帖』が、もしひとりの人間だとしたらどうするかっていうことです。「こことこことここが欠点だからダメです。こういうふうに変えてください」なんて、人には言えないですよね。だったら、よいところを見つけてあげて、そこのよいところをもう1回磨こうよ、ピカピカにしようよっていうことです。そうすればいま欠点となっているところも自然と変わってきます。常に僕は、すごく単純な考えなんです。どんなものでもその先には人がいる。「それがもし人だとするとどうするの」っていうことをいつも考えてつくっています。

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それは『暮しの手帖』も、「カウブックス」の仕事も、自分の執筆活動も全部そうです。なぜそう思うかというと、文章を書き続けたり、何か表現し続けていると、それが自分ひとりの自己満足でやっていることじゃなく、必ずコミュニケーションの一環なんだってことに気がつくんです。どうして気がつくかっていうと「あなたが書いたこの1行のために傷つきました」「こんなこと書くなんてひどいじゃないか」とか「こんなものつくって世の中に出すなんて」っていう人が現れるわけです。
僕は自分がイメージしてる自分の友だちみたいな人たちに、自分の表現を投げていたつもりでいたけれども、それはなあなあの関係性の中で、ある程度失礼があっても許されるだろうっていう自分の甘えがあったんです。でも実はそうじゃない。自分の手から離れた以上は、いろいろな人がその表現に出合う可能性がある。だから、軽いものだと考えちゃいけないと気がつくんです。僕はいまそういうふうに思っていて、自分の過ちは繰り返したくないし、もしいままで自分が犯してきたのであれば、何らかの形でそれを償わなければいけないと思っています。

フェリシモ:
松浦さんは今後の人生をどのように? 夢は?

松浦さん:
夢はね、簡単。すごく明確。僕は、親孝行したいだけです。家を建てたいとか、会社を大きくしたいとか、自分の事業を起こしたいとか、自分の本が300万部売れるようにがんばりたいとか、そういうのはたまに思ったりするんですけど(笑)。本気に思うのは親孝行ですね。だから自分が何のためにがんばってるのかとか、何でこんなに苦労してやってんのかっていうところは、親孝行したいからがんばる、それだけです。実際、両親には心配かけているし、苦労かけてるし、全然親孝行できてないんですよ。だからもっともっと、楽にしてやりたいし、しあわせな思い、うれしい思いにさせてあげたい。

フェリシモ:
お話の中に、何度か「自由」というキーワードが出てきたんですが、松浦さんにとって自由に生きるというのはどういうことですか。

松浦さん:
むずかしいんですよね。僕も、ずいぶん長い間考えていることなんです。自由ってなんか言葉は簡単に耳から入ってきますが、じゃあ自由ってどういうことなのか、何でもしてもいいのかとか、とってもふわふわしてね、気持ちがいいような感じがします。でも本当の自由って、そういうものではないだろうな。僕の解釈では、自由っていうのは、きっと自分の良心と良識ってことかな。わかりやすくいうと、いち個人として、できるだけ正しく生きるっていうこと。それを自分で迷いながら悩みながら考えながら行くっていうことが、僕は自由ってことなんじゃないかなと思います。
よく「自由になろうよ」とか「自由に生きよう」って言うじゃないですか。それは言葉を反せば「正しく生きようよ」ってこと。「正しさを自分で見つけに行こうよ」っていうことだと思っているんですよ。だから、自由は何でもありって言うことじゃないんですよね。自由である自分でいようと決めたらすごく大変です。「正しいことって何だろう」って考えながら、その道を探して歩んでいくことだと思います。
前にもこんな話をしたことがあります。『暮しの手帖』が100万部以上売れていた時代があります。何で100万部も売れてるのか。何か正しいことが書いてあるだけだったら、100万部も売れないんです。「何でかなあ」と思って、そのころの雑誌を僕はよく見たんです。それで、はっと気がついたんです。やっぱり「変」なんです(笑)。ウケを狙って「変」にしてるんじゃないんですよ。真面目にやっているからこそ「変」なんですよ。だって、商品テストで、乳母車を30人ぐらいでひいて川原で「どこまで歩いたらタイヤが壊れるだろうか」みたいなのって、「変」でしょう。「トースターのテストで2万枚もパンを焼きました」って、その焼いたパンを山のように写真撮って……(笑)。「変」ですよね。でも、ウケを狙っているんじゃなく、一所懸命やってるんですよ。人間が一所懸命やっている姿って「変」じゃないですか。格好つけてない姿、それが魅力なんですよ。「次号はどんな「変」なことやってくれるんだろう」みたいな。どんなにユニークで、どんなに正直に人間らしさを読者にぶつけてくるんだろうっていうことに読者は魅かれていたのだと思う。それが、100万部以上売れていた理由じゃないかなって思います。

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よく「暮らしにいちばん役立つことってなんですか」って聞かれます。例えば、クギの打ち方と、目玉焼きのおいしい焼き方とかが知れればその本当に暮らしに役に立つってことなんでしょうかって思うじゃないですか。でも、この『暮しの手帖』の開いたところに書いてあります。「どれかひとつ役に立つことがあればいい」って。人にとって役に立つことっていろいろあるけれど、その究極はおもしろいことだと思います。やっぱりおもしろくないと、興味も引かないし、受け取れないですよね。でもおもしろくやるっていうことを先にやっちゃいけないですよ。結果としておもしろいことじゃないとだめなんですよ。
おもしろいことって、例えば何かを見て「プッ」っと笑っちゃう「ニコッ」としたり、顔に出さなくても心の中で「フフッ」って思うってことですよね、そんな素晴らしいことないじゃないじゃないですか。卵焼き上手に焼く方法とかより、そっちの方が僕は人生において役に立ってると思うんですよ。だから、卵焼きを焼くんだったら「まず最初に腕をまくりましょう」(笑)ってね。その方がおもしろいじゃないですか。「油敷きましょう」じゃなくって「腕をまくりましょう」って。極端な話ですけど「卵焼き焼くっておもしろいことなんだ」っていうことを伝えないと、本当に役に立つこととは思えないんですよね。でも、一瞬でも「フッ」って笑えると、自分の頭がポンと抜けられるでしょ。それがあって「よし! じゃあ次も気持ちを入れ替えてがんばろう」とか思えるわけじゃないですか。
どういうことで読者の役に立ちたいかというと、そういうことですよね。立派なシチューのつくり方とかどうでもいいんですよ(笑)。でも、それをやることで楽しい何かっていうのを知ってもらいたいし、そういうおもしろいことを積み重ねたら、きっと暮らしは美しいだろうし、楽しいだろうし、豊かでしょう。立派な家なんかに住まなくたって、いくらでも美しくなるんですよ。僕はそれを自分の『暮しの手帖』でやりたいし、それが僕のみなさんとのコミュニケーションの理念にしているんです。
でも、おもしろさを見つけるのって本当に大変なんですよね(笑)。方法を見つけるのは、なんとかなるんですよ、でもおもしろさを見つけるっていうのはなかなかむずかしい。だから暮らしとか仕事の中でおもしろさを見つけて、それを僕は記事にできたら、僕を拾ってくれた横山社長、大橋 鎮子さんに恩返しができるし、その先の親孝行にも繋がるかなって思ってやってるわけですよ。仕事の種類は違うけど、多分みんな一緒。そういうふうに変えられると思います。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
感銘を受けた本を教えてください。

松浦さん:
自分に影響を与えてくれたりとか、感銘を与えてくれた本はたくさんあります。どれか1冊と言われたら、ずっと昔から答えているのは高村 光太郎詩集です。その中には、自分が疑問に思っていたり、悩んだりしていたことの答えに近いことがいくつもあります。中でも「最低で最高の道」という詩があるんですけれども、それを読んだときは本当に自分が感動したというか、初めて「本当のことっていうのはこういうことなんだろうな」っていうふうに思ったことを、いまでも昨日のことのように思い出されます。どんなものでも最低であり、最高である。要するに最高のものっていうのは、最低でもあるし、最低のものっていうのは最高でもある。っていうことは、僕は何日も何日もそれはどういうことなのかっていうのを考えて、自分の中では「最低であってもいいんだ」「最高であってもいいんだ」っていうふうに思いました。だから、もし自分の人生が最低で最高の道であったらすごく理想だなって思いますし、松浦 弥太郎っていう人間自身が最低でもあり、最高であればいいなあと思っております。

お客さま:
ふたつ質問があります。ひとつ目は、自分が本当にやりたいことを見つけるのは並大抵のことではなく、特にそれを生計に結びつけると言うことは大変なことだと思います。そういうことをどうやって見つけることができたか、アドバイスをいただけますか? ふたつ目は、孤独に関して。孤独というのは決して他人を拒絶するのではなく、ひとりの人間として有機的に他人と結びついていたい、そういうものかなぁと、考えています。松浦さんはどう思われますか?

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松浦さん:
文章を書くこと、本屋をやっていること『暮しの手帖』をしていることを「自分の見つけたやりたいことなのか」って聞かれると、なかなか「はい」とは返事できないです。というのが「自分は何をやりたいんだろうとか、自分には何ができるんだろう」というのは、17歳で高校を辞めたときから44歳になったいままで、ずっと考え続けていて、いまでもわからないんです。
「じゃあ、いまやってる仕事は何なのか」って言われたら、やっぱり自分が必要とされたりとか、人の役に立てるとか、喜んでもらえたとか……、そういう小さな出会い、きっかけがあって、自分の存在理由をそこで確かめたいがために、藁をもつかむ思いでそれを繰り返している、というようなことに近いんですね。決して嫌々ではないんですけれど、いまの仕事が純粋にやりたいことなのかと言われたらわからない。ただ少なくとも、この世の中に生きているから、自分が何かチャンスをいただけるのであればやってみたいし、それを続けていくことでしか自分の生きていくモチベーションをキープできないんです。自分がやりたいことをやって、生計を立てて喜ぶ自分がひとりいる部分と、そんなにやりたくないかもしれないけれど100人くらいの人が自分がやったことを喜んでくれる仕事を続けるのは、どっちがうれしいかなって思うと僕は後者の方なんです。それは自分のいままでの経験の中での実感をしています。こんな仕事を俺、やってる自分も情けないし、こんなことやってていいのだろうかと思ったけれども、でもあるとき、それに対して感謝してくれたりとか、気がつかない自分の部分を認めてくれたときに本当うれしかったんです。それは人に本当に自慢できるような仕事じゃなくても、そのときはそれをもう一生やってもいいぐらいの気持ちにはなれたので、成り行きって言ったらすごく失礼だし、無責任な言い方だけれど、僕は自分を必要としてくれて、何かチャンスを与えてくれていることに対して自分ができることを必死になって続けているだけでなんです。
「本当に自分がやりたいことって何だろう。自分が好きなことって何だろう」って考えるけど、その答えは見つからないんですよね。ある本を読んでいたら、ちょっとヒントになるような言葉がありました。ドイツの詩人の言葉ですが「答えを見つけようとしたらいけない。人間が生きるって言うことは一生それをずーっと考え続けることだろう」って。それを読んだときに僕はちょっとホッとしました。「自分が一生悩み続けて考えいうことが生きるっていうことなんだなあ」って、そういう理解の仕方をしました。
なので、人それぞれだと思うんだけれど、自分がやりたくない仕事とか、不本意なことでも生計を立てられるっていうことは、誰かがそれに対してお金を払ってくれているってこと、そこには嘘がないわけです。少なからず役には立っていると、僕は信じたいんですよ。まだ悩める44歳です(笑)。

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もうひとつの孤独のこと。孤独って、寂しいようなマイナスイメージがあるけど、何か人間としてこう自立歩行するってことに近いんじゃないかなあって思っています。やっぱり無意識的に誰かと手が繋がっていないと歩きたくないし、何かあったときにすぐパッと掴まれるようなものがないと嫌だから、そういうところから遠くへ行かないっていうのかな。でも、ある一線を越えるともうどこにも掴まるところがないし、誰も自分が手を伸ばしても手を繋ぐ人がいない状況っていうのはあるんですよね。本当に一歩、線があってそこを越えることぐらいのことなんです。でも、その状況になって初めて僕は人の気持ちを知ることができたっていうのが正直なところです。人の気持ちを知るっていうのは、暮らしの中では忘れてはいけないことで、本当に大事だと思います。僕は旅行をしたり、ひとりきりになることでその一線を越えたときに、初めて他人の気持ちとかいろんなことへの感謝の気持ちが湧くことが、ある種の自立だと思っています。孤独である自分を受け入れることで、他人と関わるというか、初めて本当のコミュニケーションを取り合えるんじゃないかなあと思います。
本当のしあわせとは何かと考えたら、やっぱり誰かと深く繋がること。そのときのうれしい気持ちは何事にも変えられない。それを考えると人と関わりを持って、深く絆を結ぶことが僕らのしあわせのひとつの景色なんだろうな。その前にはやっぱりひとりで歩ける自分でありたいな、と思っています。

フェリシモ:
最後に神戸学校から質問させていただきます。将来この世の中が、こうあったらこうありたいという松浦さんの夢はなんでしょうか。

松浦さん:
さっき、自分の夢は親孝行って話しましたけど。なんかそういう世の中であればいいと思います。小さいとき、自分がうっかり悪いことをしたときに、お父さんとかお母さんの顔が浮かんだりとか、逆にお父さんとかお母さんの顔が浮かんで手を止めたりとかあったんですよね。世の中の人がいろいろな夢を持つのは自由で、夢を見て生きていくことはよいと思うんですけど、いろいろなことの夢のいちばんに親孝行って思えば、何かちょっと暮らしだけではなくて、仕事、それからこれから先自分の歩んでいく道が、もう少しあったかいものになるんじゃないかなと思うんです。例えばこどもが親孝行することっていうのは、もう当然だし、いまさら口に出すことではないけれど、でも忘れちゃうかもしれないんですよね。僕もいままで生きてきた中で、親のことを忘れちゃったことってあるんですよね。それは人間だったらみんなそういうときが来るかもしれないんですよ。でも親孝行するために自分は生きていたいし、仕事したいし、楽しく生きたいし、時間を過ごしていきたい。僕はひとりの人間として、やっぱり絆だったり、人との結ばれることっていうことが自分たちのしあわせであると思います。そして、それを守っていきたいし育てていきたい。なので、もし僕が世の中に対してひとつこうあってもらいたいってのを言うと、みんなで今日から親孝行しようって言いたいです。

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Profile

松浦 弥太郎(まつうら やたろう)さん<編集長・文筆家・書店店主>

松浦 弥太郎(まつうら やたろう)さん
<編集長・文筆家・書店店主>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1965年、東京都生まれ。18歳で渡米。アメリカの書店文化に関心を持ち、古書店「エムアンドカンパニーブックセラーズ」を開業。予約制セレクト古書店やトラックによる移動書店として話題を集める。2002年に、中目黒に「カウブックス」を開業。執筆や編集活動も行う。2006年『暮しの手帖』編集長に就任。『本業失格』(集英社文庫)、『松浦弥太郎随筆集くちぶえサンドイッチ』(ダイエックス出版)、『くちぶえカタログ』(ブルータス・インターアクションズ)などの著書の他、チェコの絵本作家M.サセックの旅絵本シリーズ『ジス・イズ・パリ』などの翻訳も手掛けている。

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