神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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> 森田 雄三さん(演出家)レポート

「日常にある『笑い』について」



<第1部>

イッセー尾形さんの「ひとり芝居」はじめ
「4日間の稽古で、誰でも舞台で演じる」、
「方言によるラジオドラマ」など、
話題の演出をひもといて……

イッセー尾形という俳優と「ひとり芝居」の仕事をしてもう30何年、僕が26歳で彼が19歳の時、初めて出会ってから、その仕事をずっと続けております。実はね、これ普通の芝居と違って、役者がひとりしか出ないと、で、これもまあ違ってるんだけど、イッセーさんが台本書くわけ。それで、舞台装置がないのね。最近は照明を使うんだけど、昔はなかったんです。なんでこんな芝居をやりだしたかというと、若いころ演劇をやってたんだけど、お金がなくなったのね。芝居するには通常は1ヵ月の稽古がいるの、1ヵ月の稽古するということは1ヵ月アルバイトを休まなきゃいけないの。稽古場代がかかる。で、結婚してこどもができたりすると芝居ができなくなる。それでまあだいたいやめるんだけど……。
ちょっと立ち止まって考えると変だよね。なんで自分を芝居ってものに合わさなきゃならないのか、芝居を自分に合わせればいいんじゃないか、忙しくて仕事休めないなら、稽古を少なくすればいい。ひとりしか役者がいないならひとりの芝居でいいじゃないか、お金がないなら金かけなきゃいいじゃないか。
これ、実はなんでもないようなことなんだけど、当時は苦肉の策。でも、これが結構すごいこと。我々が生きていくって言ったら、だいたいなんかに合わせちゃう。このことに気がつくかどうかってことが僕の大きな仕事になってったかなと。
で、始めたのが4日間で芝居をつくろうと……。4日間の意味があるわけじゃないんだけれど、普通の人って4日以上休めないんだよね、会社、早く帰ったりできないの。で、4日にしたの。
役者やるためには才能がいるとか、特別なものがなくちゃいけないとか、そんなもんないんだ。だから「来た人全員出します」と。こんなこと言うとみんな「またいい加減なこと言ってる」と……。これまたお客から金を取るわけ、アマチュア演劇じゃないから。こういった普通ではないことを、ここ5、6年やってるわけね。これが公共から認められて、各地でやってくれっていうんで、本当にやったのよ。その映像があるので、見てください。
(新潟でのワークショップの映像)

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今年から始めたのが、富山と石川県でラジオ局から地元の人の方言によるラジオドラマをつくってくれないかと。ということで、もう30何本つくってますけど、それも聞いてください。
(放送)
これね、(役者さん)来たばっかなんですよ。ほとんど稽古しないわけ。まあ行きつ戻りつはあるけれど、両者とも即興でつくるわけね。うそうそしくないの。みなさんはテレビドラマとか見て、あれがドラマだと思っているけど、実はむちゃくちゃ嘘なのね。自分が生きていることと関係のないことがドラマにある、これがドラマだと思い込んでいる。これは実は結構怖いことだと僕は考えているわけ。
なぜ方言でドラマがつくれるか、特別才能があるわけではなくて、いま地方の人も「自分は方言はしゃべれない」と思ってる、確かにそうなんです。方言はひとりじゃしゃべれない。でも、不思議なことに方言をもうひとりしゃべれる人が来るとしゃべり出せるわけね。2人、人がいて初めて成立するのが方言と言えるわけ。そうすると、方言ってものをしゃべり出すと、今度は思い出す内容が変わってくるわけ。当然方言をしゃべってた時期がある。そのときの記憶が蘇ってくるわけね。これはしあわせの時期なのね。ばあちゃんがいてじいちゃんがいて、守られている時代の思い出なのね。だから多少の不幸も耐えうるわけ。やっぱり我々は方言を捨てて生きている、方言を捨てることによって会社に行っていると。てことは、こどものころの思い出、自分が豊かだった記憶を捨ててると思った方がいいわけ。そうするとテレビ、マスコミが提供する画一したイメージ、それを毎日毎日見せられる。「ああ、かあちゃん腹減った」が「お腹すいたわよ」になる。これを覚えちゃった、そうしたら、どんどん自分じゃないところにいっちゃうわけ。っていうふうに。やっぱり都会は怖いとこで、社会人になるのは怖いことで、人と人が離れていく……。それは致し方ないこと、そういうものね。だからもうひとつの軸として、たまに親戚の集まりがあった、あるいは帰省した、お父さんお母さんと会う、墓参りに行く、そのとき、実は一族の人が集まって方言を言い合うわけ。これがもう一方の軸にないと、失うものが大き過ぎるだろうと……。

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兵庫県下の現役中学校の先生による
「先生芝居」のお芝居を披露!

この辺から、いまの社会現象が非常に解けると思うんだけれど、その延長線上で、学校の先生たちとの出会いがあって芝居をしています。学校って、おもしろいのは、誰しも経験がある、それで、その時期が一種しあわせな時代だったと……。で、問題は、こどもたちであるからこそ学校で凝縮された問題、新しい事件が起こっていると……。というところで、芝居にできないだろうかと思い、現役の先生と組んで芝居をしています。これも、6、7年目かな。こちらも観てください。

(5組の先生のお芝居)

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うまく芝居してくれたらいいなっていうのと、うまく授業できたらいいなっていうのが、親心になってくるよね。こんな感じで、先生と生徒で起こる事柄を舞台で取り上げています。実はこれは、イッセー尾形が主にやっていること。イッセー尾形の芝居も普通の人が舞台に出るわけ。アンケートには「社員食堂のおじさんだ」とか「お父さんみたい」だとか「小学校の先生みたい」とか「イッセーさんの芝居を見ていろいろなことを思い出した」とか書かれてている。
今日の先生の芝居で「あんな先生いたな」とかいろいろなこと思い出す。だから、ここで特別なことが起こっているわけじゃないの。観客の頭の中で、思い出す行為があるんです。
むずかしく言うと、ポップアートという考え方があって、マリリン モンローのポスターにいろいろな色を塗っていたり、コカコーラのビンを美術館に飾ってみたり、ビールを粘土でこしらえてみたり、ミッキーマウスの絵が大きくしてツブツブで描いてみたり、お札を巨大に描いてみたり……。これは伝統的な絵とはまったく違い、簡単に言うと、世の中にあふれている大量工業製品を額に入れて美術館に飾ってみようという考え方。マルセル デュシャンという人がいちばん最初にやったことだけど、トイレの便器を美術館においたわけね、これがポップアートの最初となってるんだけど、これはどこが美術なんだ、というふうに言われるんだけど、コカコーラのビンを額に入れて美術館においてみたら意外ときれいだったと。ていうふうに通説としてはなってるわけね。これは何を意味してるかと言ったら、大量工業製品というのはあまりに量が多すぎて、用途がすめば、必要ないと……。
そのポップアートの原理をものすごく見事に、実証した人が赤瀬川 源平さん。この人はお札を描いたの。こんな会場で、ひとりひとりに紙を配って1万円札の絵を描いてくれと……。
だいたい描けないわけ。どっち側に肖像があるのか、福沢 諭吉なのか新渡戸 稲造なのか、ていうふうに。1万円札は見たことない人はいないわけね。1日に何回も見てるわけ。見てるけど記憶に残らないの。これは特徴があって、お金はモノと交換するためのものである。この用途が強すぎると目に入らない。だから美術館に大きく描いて貼る。そうすると、「あ! 1万円札ってこうだったんだ」というふうに、ポップアートっていうのは、自分はモノを見てなかった、ということを発見する行為だと理屈で言われているの。
イッセー尾形の芝居を「お父さんそっくりだった」「社員食堂のコックさんそっくりだった」こういう人は、社員食堂のコックさんを自分は見てなかったってことも発見してるわけ。イッセーさんを見ることによって発見した。お父さんてのは、おこづかいをくれる人、あるいは夜遅く帰ってきてうだうだ言う人、日曜日昼過ぎまで寝てる人、と機能で捉えて、お父さんそのものを見ていない。これを芝居を見ることによって、お父さんという人間像を改めて発見する、これがポップアートの考え方。というふうに、ここで物語は行われてるんじゃないんだ、これがイッセー尾形というか、ワークショップというか、この先生の芝居です。

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先生たちの芝居は、先生たちにとっては普通に学校で行われていることで、その題材を聞きながらやってるんだけど、途中で笑っちゃったり、芝居が下手とか、そんなのはどうでもいいわけ。先生たちが、自分たちが学校で何が起こってるかってことを舞台で取り上げることによって先生たちが再発見してるんです。「こういう日常送ってたんだ」「こんなことで神経使ってたんだ」……。これと逆で、学園ドラマは必ず問題児がいてそれをどう解決するか、あるいは解決しない、ここが問題になってくるわけね。言ってるのと、まったく違う、先生たちがどういう日常を過ごしているかの再発見。そうすると、お客さんも学校時代自分はどうだった、あるいはあのときこういう友だちがいた、悪いことしたやつがいた、思春期ですから必ずいいことも悪いこともある、そういうことが感知される。自分をもう1回発見してほしい。ということが、必要だし、おもしろいしね。そういうことを仕事にしております。

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先生たち、みんな出てきなよ。
なんで芝居を始めたのか教えてあげて。

・1人目の先生
ここに集まってるメンバー大半が演劇が好きとかじゃなくて、中学校の国語の研究会の出し物のようなものとして始まりました。5年前。研究会の1回で終わりだと思ってたら、そうしたら、いろいろな方から評価されたのか、もう一度高砂市の中学校の体育館でやったんですけど「おもしろかった。劇場でやってみたらどうか」と。いうことで、神戸のアートビレッジセンターでさせてもらいまして、それで終わりだと思ったら「またやってみようか」ということで、東京にお邪魔したり、西宮の芸術文化センターでさせていただいたり……。あと何年かしたら、ドイツの方に行くということで……。
自分自身は、今日も舞台の上で笑ってしまったり、非常に無責任な立場でさせてもらっています。

森田さん:
ドイツ公演ってのは、結構まじめに考えてたわけね。素人を舞台に上げるってのは、世界の一流演出家、変わった演出家ってのは、必ず試みてるのよね。新しいリアリティを追求して、必ず芝居は形骸化するから、靴屋さんを靴屋さんとして登場させる、これ結構してるわけ。で、ことごとく失敗してるわけ。それがいちばん盛んに行われていくのがドイツで、たまたまドイツとうちが縁があるもんだから、そこの劇場でやろうっていうんだけど、やっぱり先生のスケジュールの問題もあり、なかなか実現できずにいます。

・2人目の先生
もともとこれは、高砂の研究会のイベント。僕だけが神戸の人間です。たまたま、仕掛け人の校長先生に(とある会合で)別室で別のことをしていたところを見つかりまして「さぼってるのは大物だ」とひょんなことから選ばれ、参加することになりました。森田さんには最初から怒られっぱなしで、つらい思いもたくさんしたんですけど……。保護者会とか生徒の学年集会でしゃべるとか、人前でしゃべる機会はたくさんあって慣れてるはずなんですけど、なかなかうまくいかないところもあります。でも、何度もするうちにどんどん慣れていって、間の取り方とか……、いまも絶妙な間やったでしょ!
(会場:笑)

森田さん:
台本の話、してあげてよ。

さきほど4日間で芝居をするというのがありましたけれど、台本がないという意味が、僕だけ最後までわからなくて、ある程度芝居の段取りとか固まったときに森田オフィスからいままでの練習風景を台本に起こしたものが送られてきました。僕はようやくこれで台本が決まったと、明日、明後日というときにこんなに台詞を覚えなあかんのかと、マーカーで台本に印をつけて、寝る間も惜しんで練習して……。で、前日臨んだときに「何、学校の先生みたいなことをやってんだ」と森田さんにものすごく怒られました。
(会場:笑)

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・3人目の先生
参加するようになって、森田さんから「嫌いな人のマネをしろ」とか「人の悪口を言ってみろ」と言われるようになって、その指摘のおかげでだんだん、自分自身が心の中で持っているものについて考えるきっかけができました。例えば「人を言い負かそうとしてもいいんだ」とか考えるようになって、それが生徒と向き合うときに、いままで生徒っていうのは褒めて育てていいとこを認めて……って思ってたけれど、言い負かして、そのあとフォローすればいいんだとか、別の方法みたいなことを教えてもらったような気がします。

森田さん:
(この先生)かわいそうだと思わない? 品行方正だし顔もきれいだし、悪いことなんにもしたことないって……。僕はね、こういういい男を見るとかわいそうになっちゃうんだよね。造作がたまたまよかっただけで、悪いことできない、人の悪口言えないとかさ、それはかわいそうだなって。自ら求めてそっちに行くならまだ健康だけど、もともとそんなのが備わってるのは、本当に不自由。だから、悪口とか、いけないことだと思ってるから。人の悪口言うのを悪いと思ってたら、生きていけないよね(笑)。

・4人目の先生
初めて学校の先生になったときに、校長先生から行くように言われ行きはじめました。行っても森田さんに怒られてばっかりやし、3時間とか見てるだけの日もあって、嫌で嫌で……。でも校長先生に怒られるんで、がんばって行かなと思って、コツコツいまもさせてもらっています。いまは、楽しくやらせていただいています。

森田さん:
彼ね、斜視なの。あるときわかったのね。みなさん、こっちの方見ながら、あっちの方見てごらん。ほとんど見えないのね。彼はそういうふうに躾られたっていうか、親は当然愛情でもって、治したわけ。彼はおとなになって、ほぼ見えない状態で、相槌を打ってるわけ。そうしたら、不安だから、顔が笑ってくるわけ。斜視を治しちゃってるから。
これが人を教育するのにすごくいい例なんじゃないかなって……。こどものときから「勉強しなさい」って言われるのね。それは本人のためね。本人のためだってことが、本人も物心つくまでわかんないよ。ただがみがみ言われていると。うるさい、怖い、叩かれる、直される、後付けでそれは本人のためだと、これわかるけど、でも、あのがみがみは嫌だ、てことが言えないわけ。これが、教育熱心になった現代のテーマじゃないかなと思った。何をするか、こどもたちは裏表を持つわけ。親の言うことは、とにかく従っておこうと。斜視の目を戻そうと、自分の部屋で勉強をしてるふりをしようと、本当はエロ本読んでんだけどね。そうすると、親も「エロ本読んでるかもしれない、でも勉強してることにしよう」と。こういう裏表の了解が成立する。というふうに、彼の斜視でいろいろなことがわかった。
じゃ今度は「いいよ、そのまんまで、斜視のままでいなさいよ」というと、今度は僕が親の立場になるわけね。君のためを思って矯正してるという、ここにむずかしいところがあるわけで、物心つく以前に親はこどものことを考えたんだけど、物心つく以前に矯正してるわけね。ていうそういう時代に入っちゃったわけ。いい、悪いを言ってるわけじゃない、そうするといい面もある悪い面もある、愛情、その人を思うということ、苦しさ、これを若い人が抱えてる。
うちの子なんて、24歳だけど女とつきあわないの。「なんで?」って聞くと「怖い」って言うの。うちの子だけじゃなく、こういう子が増えてて、付き合ったら結婚しなくちゃいけないって。「どうしよう。だったらいいや、ひとりでいた方が」って。近所のこどもをかわいがったりするんだけど。昔の常識で見ると変だったりするんだけど、変じゃないわけ。さまざまな問題があるなと、学校の先生と芝居をやっているとわかります。

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<第2部>

演出家をしていて、
おもしろいことはなんですか?

フェリシモ:
ご著書にコミュニケーションの話を書かれていましたが、間の取り方とか現代のコミュニケーションのおかしさとかについてお伺いできますか。

森田さん:
『間の取れる人間抜けな人』(祥伝社)って、あの題のおかげか、結構売れてね。ま「コミュニケーションは黙ってとれ」と。僕は商売だからこんなにしゃべってるけど、黙ってる方がいいよ。これをみんな嫌がるのね。例えばエレベーターで偉い人と一緒になると、気まずいとか嫌だとか、そういう気持ちになるのは何かしゃべろうとするからなのね。打ち解けて世間話できると、なんかコミュニケーションとれているつもりになると。黙ってればいいじゃない。ほら「勉強できなくてもいいから友だちつくりなさい、って言われたことあるじゃない。「友だち大事にしなさい」とか「恋人つくりなさい」とか「好きな人がいた方がいい」とか、考えたら全部迷惑だよね。
(会場:笑)

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これが時代の要望というか親の要望になっちゃってる。
あなた方もお昼の時間は、職場を離れて公園とかレストランとか、定食屋とか行って、簡単に言うと気を使わないで弁当を食うとかさ、人がいないとこで弁当食いたいとかさ、そうなっちゃってんだよね。基本的に嫌なわけ。でもよく考えてごらん。ひとり暮らしの人は、ひとりでご飯食うじゃん、あんなまずいものはないね。人とごはんを食べるのがいいに決まってるわけね。なんでかって言うと、こどものときからそうしてるから、そうすると、本来は人と飯食った方がいいはずなのに、窮屈だと……。
この間ブログに書き込みがあってなるほどなと思ったのは、家族でごはんを食べると「楽しい話をしなさい」「学校であったことを話しなさい」とか言われ、それしないとお母さんが怒ったというのがあって……。それね、僕多かれ少なかれ思い当たったのね。無論、そんな言い方はしないよ。「学校どうだったの?」とかさ「うるさいな~」とか息子が言ってたりしたけど「友だちどうした?」とかフランクに聞いてるつもりなんだけど、これがもうとっても嫌だっていうふうに、こどもたちが思ってる可能性がある。そうしたら、もうしゃべること、コミュニケーションでもなんでもない、嫌がらせでしょ。

フェリシモ:
私もよく聞かれました。

森田さん:
何聞かれた?

フェリシモ:
「今日は何があったの?」って。で「特に何もないけど」と……。

森田さん:
ハハハ。だから、基本的に黙って飯食おうと……。そうしたら、ポツリポツリと出てくるかもしれない。そうしないと、人と知り合わなきゃいけないっていう強迫概念がありすぎちゃう。ってことを縁側に例えて、本で書いてたわけ。僕は田舎で、古い農家みたいなところで育っているから、縁側っていうのがあった。縁側って、雨戸を開けると庭の一部になる、天気のいい日は外にいるようなもんだと、寒いときは、閉めて室内になる。この外でもあり中でもある、このどっちつかずのものが、もっと大事にしてもいいんじゃないかなと……。

フェリシモ:
どっちつかずのもの……。

森田さん:
「あんたといると楽しいのか楽しくないのかわかんない」っていうのがいいんじゃないかって。どっちかに決めたがる。もっといい加減でいようよってだけの話なんだけど。我儘であり、いい加減であるというさ。

フェリシモ:
いろいろなところで聞かれる質問だと思いますが、演出家をされていて、いちばんおもしろく思うところはどんなところですか?

森田さん:
演出家って仕事じゃないからね。

(会場:笑)

森田さん:
本当にシンプルで。演出家ってお客さんなんだよね。

フェリシモ:
演出家はお客さま?

森田さん:
うん。お客さんの代表みたいなもんだから。映画とか芝居見てると「つまんないな」とか「ひどいな」とか「のろいな」とかいろいろ思うじゃない。「あの俳優、下手だな」とかさ。それを口に出す商売だから、おもしろくて楽でいいでしょ。

フェリシモ:
ずっとお客さまなんですね。

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森田さん:
イッセーさん、昔よく言ってたよ。「じゃあ、お前やってみろよ!」って(笑)。

フェリシモ:
確かに。

森田さん:
やんなくて、あたかもできるかのように言うのが演出家って商売。お客さんってそうじゃない?

フェリシモ:
なんだかびっくりしました。

森田さん:
何が?

フェリシモ:
演出家というのはずっとお芝居のことを考えていらっしゃるのかと思っていました。

森田さん:
あー、そっち側で答えればいいの?

フェリシモ:
いえ、どちら側でも大丈夫です(笑)。

(会場:笑)

森田さん:
だいたい、芝居するときは演出ノートって書くわけね。どのセリフをどの位置で言うかとかさ、ここの距離はどのくらいで言うかとかさ。芝居っておもしろいもので、読んだら1時間か2時間くらいでひとつの作品が読めるわけね。そうすると、それを何回も読んでるから設計図が頭の中に入ってるわけ。それをどう表現するかってことを趣味としてやっています。

フェリシモ:
趣味?

森田さん:
することがないときに。例えば、チェーホフの書いた「カモメ」。カモメっていうのは、女優さんの別荘に遊びに来たときに、女主人の愛人、この人作家なんだけど、その人が息子の恋人と恋愛しちゃうわけ。そのときに、息子がカモメを撃ち殺すわけ。それで撃ち殺したカモメを女の人のところに持って行って「これは、いまの自分だ」って言うわけね。「死んでもいい」っていうようなことを言ってるわけ。ただ、そのカモメを今度は娘が惚れてる愛人の男に「私はこれです」ってカモメを見せて言うわけ。それで、そうしたら、受け取ったカモメを愛人の男が「剥製にしてくれ」って作男に頼むわけ。それが最終幕で、作男が愛人である作家にカモメを「剥製です」って持ってくるわけ。そしたらその愛人は「覚えてないな」って言うわけ。
これを2回繰り返しているわけ、「覚えてないな」「覚えてないな」、なんでそんなふうに言ったのかと……。これ、いろいろなことを考えられるでしょ。

フェリシモ:
複雑な思いがあったのかなと考えてしまいます。

森田さん:
そうそう。嘘ついたのかな、とか、とぼけたのかなとか、本当に忘れちゃったのかなとかさ。どうでもいいから忘れちゃったのかなとか。いっぱい解釈が成立するわけ。これが、どう解釈するかってとこで、全体の本の読み方が決まってくるわけ。これを演出家の商売としては「なんで言ったんだろう?」って何回も考えるわけ。これ、電車に乗ってたりすると、ひらめくときがあるわけね。「あ、そっか。作家ってのは精神病だったんじゃないか」とか。あれ、有名な戯曲だから本屋行くとあるわけね。そこで、そのページをチェックしたり、その前になんて言ってただろうか、とか、そういうふうにひとつの芝居を何度も何度も考えるわけね。これが、演出のおもしろさ。
この作家である主人公、女優さんの愛人であるその人のために若い2人の運命が狂っちゃうわけね。田舎の恋人同士が。そこにかかってるセリフだから。息子は自殺しちゃうし、女の子は都会まで追いかけてって妊娠して女優さんになって捨てられちゃうっていう、最後の幕に訪ねて来てるんだけど、作家は会いもしないと……。というふうに、そのカモメによってふたりの運命が変わっていったと……という話だから、この解釈をどうするかってのが、すごくおもしろいこと。そういうことを考えているわけ。これがまじめに言うと演出家の仕事のおもしろいところ。

フェリシモ:
演出される方によって、ひとつのお話のやり方が違ってくるんですね。

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森田さん:
そうすると、どの辺まで勉強したか、とかさ、あれパくったなとかさ、そういうのがわかるわけ。そういう中で新しい演出って、どうやってやるかを各国の演出家が競ってるわけ。たまにびっくりするような演出をする人がいたりしますね。

フェリシモ:
そういう演出に出合うと、闘志が湧いたりしますか?

森田さん:
すごいと思うね! こんなことどっから思いついたんだろうとかさ。

フェリシモ:
素人芝居も私から考えれば「どうしてそんなことを思いつかれたんだろう?」というぐらいなんですけど。

森田さん:
将棋の一手みたいなの、あるじゃん。定跡全部知っててなおかつ新しいことやったってのさ。ちょっと、びっくりするじゃない?

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お客さまとのQ&A

お客さま:
今回もお話の中で、いろいろな人のキャラクターになりきって、ということがありましたが、いつもあまり思い浮かびません。少し思っても、すぐわからなくなって毎日顔を見ている家族、我が子を全然見ていないのだなあと思いました。早く早くと生きてきて、結局なんのために早くすることに意味があったのかと思います。

森田さん:
全然心配することないの。日常ってそういうもんなの。だから、病気があるわけ。だから借金があったりするわけ。で、こどもって必ず挫折するから。そのときに考えればいいだけの話。

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ドキュメンタリー番組で見たんだけれど、サリドマイド児のこどもがいて、その親がこどもを布団に倒してるわけ。受け身の練習をしておかないと、転ぶと大けがになると……。ていうふうに、この子のためを思って、将来の訓練を小さいころからする、という考え方もある。それともうひとつは、転んで怪我して覚えればいいじゃないかと……。僕は、後者を取るんだけど、そうすると普段はこどものこと見てないんだ。でも、こどもってのは必ず思春期に問題を起こしますから。部屋から出てこなくなったり、飯食わなくなったり、泣いてみたり、心配しなくても嫌っていうほどやって来るから。あるいは、逆に自分が弱ってくと……。金がなくなる、歳取る、病気になる、必ずそれが訪れて来る、それで最後は死ぬんだけど、こどもより先にね。それは幸福なことじゃない。そのときに必ず抱えるわけ。普段どうだったろう? あのときああだった。この子はこういう子だ。ああいう子だ。普段は楽観的に「いい子だ、いい子だ」って考えてるに決まってんじゃん。で、なんかあったときに、いろいろな検討をすると、こどもに対して愛情を持つ、こどもが親に対して愛情を持つ、そうに決まってるじゃない。そこにもう1回立ち戻ろうと……。そうしないと、サリドマイド児を投げちゃうような、普段から愛情あふれる関係になんて、そんなバカなと……。問題点がもうひとつあって、昔は平均寿命が短くて50、60歳で死んでたから、早めにこどもが親に孝行できたわけね。いまは年金もあるし、親の方が元気だから。なかなか愛情の形は見えてこないわけ。普段忙しさに追われて、こどもにかまえないなんて当たり前のことで、なんかある、家出しちゃったときに、そのときに心配すればいいだけで、そこに自信を持とうよってのが、僕の考え。
いろいろな人に芝居をすすめているのは、芝居って嘘だし、でも人前ですると結構緊張するのね。だから「シミュレーションをしなさい」と……。病気になる練習、こどもが不良になる練習、シミュレーションをすると愛情が持てるよ、と。というだけな話。年寄りが元気になったから、なかなかね……。

お客さま:
お芝居をされていたほかの先生のお話も聞いてみたいです。

女性の先生:
さきほど話された先生は、みなさん中学の国語の先生です。私は、保育園に勤務しています。職場でお母さん方に話しても「先生の話おもしろいわ」と言うてくれるし、ご近所でもこじゃれたお話上手なおばさんなんですよ。だのに、森田先生に「じゃあ、話して」と言われ、いろいろ話すと「君の話、おもしろくない、次」って、で、話題を変えても「違う」って言われ、ずっとダメだしで「くそっ」というのが内心でした。家で主人に偉そうに言われたこともなく、職場でもなかったのに、森田先生は「歳いった人はこれだから嫌なんだよね。ベテランと言われる先生は話を組みたてて、本当におもしろくないんだよ。そういう自分を捨てなさい」と言われて……。そう言われても55年かかったものが捨てられません。それで、練習に来ても、悔しくて悔しくて「ほんまに行くかい」と思いながら、また行ってしまう、これはなんなんだろう? という感じです。
中学校の先生たちとは、私が演じるのはちょっと授業風景とかも違うので大概私の役柄は給食の調理人の方だったり、学校にいちゃもんつけに行くモンスターの役であったり、朝から晩まで大丸で買い物してる買い物好きのおしゃべり好きの役柄が定着しています。黙ってたら、いいとこの奥さんふうかなと自分では思ってます(笑)。

お客さま:
自分のよく知ってる人たちのキャラクターを捉えて、その場でなりきるという、それを見てて思ったんですけど、普通の方、すごくよく普段まわりの方を観察していらっしゃるのでしょうね。自分に置き換えたときに、私のまわりにも家族や友だちがいるわけですけれどもそんなふうにキャラクターをまねて捉えて伝えるということがとてもできない。だから、あの方たちは普段から人間観察に長けてらっしゃる方なのかなと思いました。

森田さん:
これ、してるんだよね。人は。「課長が、昨日なんつったと思う? 私にさ……」、このあと必ずマネになるわけ、課長の。ここで人間観察してるわけ。自分が言われた悪口を人に伝えるときは、必ず口マネになってる。これが、人間観察と思うと、とても楽ですよ。人の話聞くとわかるじゃない。結構、みんな口マネ、やってるわけ。人間観察っていう言葉で言うと、なんか勉強のように思っちゃう。
悪口を言われる人格ね、これが大事なわけ。もうひとつ言うと、言われたこと、ひどいめにあったことを誰かに伝える、これが大事なわけ。そうするとこの人がイキイキできるから、こっちから聞いた嫌なことをこっちに言えちゃうわけ。ここで問題があるのは、人の悪口は誰も聞きたくないのね。「課長が私のところに来て『いいケツしてるなあ』って言うのよ。許せないわ」そんなの誰も聞きたくないじゃん。知りもしない課長の話をさ。てことは、話を聞き流してくれる人、聞かない人がいて初めて、自分の受けた悪口の話をできるわけ。みなさん、嘘だと思ってるかも知れないけど、これ本当。これがバーの原理ね。カウンターバーとかおでんやとか。「あんた、しっかりしなさいよ」「ぐちぐち言うんじゃないわよ」って。この人たちは聞き流してるから。でも励ます言葉は上手なわけ。「大変だったね」「よくあることさ」「がんばりなさい」って、これが上手なわけ。この人たちが必要ってことね。そこで初めて、ひどいめにあったってことを言えちゃうわけ。
でも、いまはストレスの持って行き場がないわけ。おでんやがなくなった、バーカウンターがなくなった、大家族がなくなって聞いてくれるじいちゃん、ばあちゃんがいないと……。最近は、じいちゃん、ばあちゃんに代わるものとして人気を博しているのがペットじゃない? ペットにしゃべりかけるじゃない? 大事なの、この聞いてない人が。そのときに悪口だけは正確に伝えないといけないわけ。
(会場:笑)
だって、同情を得られないから。そのときに必ずイメージは、言われたあのときのあのシーンのキャラクターは相当正確にやるわけ。

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Profile

森田 雄三(もりた ゆうぞう)さん<演出家>

森田 雄三(もりた ゆうぞう)さん
<演出家>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1946年生まれ。70年「自由劇場」で戯曲「ボクシング悲歌」を演出。自由劇場連続公演のラインナップに加わる。80年イッセー尾形の一人芝居を初公演。88年セゾン劇場で山崎努主演「マクベス」の演出。90年「イッセー尾形プラスワンシアター」を設立し、桃井かおり、小松政夫それぞれの二人芝居を演出。同年「イッセー尾形都市生活カタログ」のすべての地方公演演出開始。以降、毎年年間約120ステージを実施。93年海外公演演出開始。94年アメリカ、ヨーロッパと定期的に海外公演実施。NY・パリ・ロンドン・ベルリンを訪問する。96年神戸にて素人集団「アバンギャルズ」を設立。同年、金沢で小説を書くワークショップ「身体文学」を開始する。03年ドイツ人歌手メレットベッカー&アルス・ヴィタリス、イッセー尾形公演を演出。大晦日カウントダウンライブと題し、地元の方と4日間で芝居を創り上げるワークショップを全国8ヵ所で実施。06年兵庫県高砂市の教師とワークショップで芝居を創る。「イッセー尾形のつくり方」ワークショップを開始。4日間のワークショップを行い、週末その発表公演を行う。ワークショップ参加人数は延べ3000人を超える。08年篠原ともえ、アルス・ヴィタリス、その他ゲストを迎え、新しい形の音楽演劇の演出を行う。

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その他のゲスト

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