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神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「心のすき間を笑いでうめたい~松本 修に学ぶアホの遺伝子学~」



<第1部>

松本さん:
すごく晴れがましいですね。私はふだん裏方の人間ですので、光を浴びたステージに上がると緊張しまして、申し訳ないような気持ちになってしまうんです。さきほど私がむずかしい話をするようなご紹介がありましたけれど、むずかしいことは何もわかりませんので、簡単な言葉で喋らせてもらいます。
私『探偵ナイトスクープ』を23年間ずっとやってきてるんですけど、この番組をつくるぐらいしか脳がないんですよ。あと『大改造!!劇的ビフォーアフター』などの番組も東京でもやりながら、大阪で『探偵!ナイトスクープ』をやらせていただいております。ここに来ていただいた方々の中には「見てるで」という方もいるんじゃないかと思いますので、私の安心のために挙手をいただけたら……。

(会場:ほとんどの方が手を上げる)

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ありがとうございます。

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本好きでお笑い番組もドラマも好きだった
幼少から大学時代。

フェリシモ:
ほぼ会場にいらっしゃるみなさまがご覧になっているといった感じですね。さすがですね。では、最初のご質問をさせていただきたいと思います。まず、松本さんはどんな幼少時代を過ごされたのでしょうか。

松本さん:
私の出身は滋賀県の現在は高島市マキノ町海津というところです。琵琶湖の西北の端です。昭和24年に生まれ育ち、去年の誕生日で還暦の60歳を迎えました。いま「えーっ」という声が聞こえましたが、私「君はどうみても60歳に見えんで」と言われるんです。「どうみても59歳くらいにしか見えない」って。

(会場:笑)

幼少時代は、滋賀の田舎の琵琶湖のほとりですから、本当に何もなくて、琵琶湖で水遊びをしたりとか……。そんな田舎で自然の中で育ちました。

フェリシモ:
外で鬼ごっことかそういった遊びを?

松本さん:
ただ、小学3、4、5年生になると、本好きの少年になりました。弟たちが野原を駆け巡っていたころに、私はひとりで本を読んでいたようなところもありました。

フェリシモ:
どのようなジャンルの本を読まれていたんでしょうか。

松本さん:
私らが小学校のときにはね、本屋さんなんかないんです。家にも本はなかったから、学校の図書館で借りて読んでいた程度ですね。『海の子ロマン』『ソロモンの洞窟』『宇宙島へ行く少年』とか、講談社が少年少女用の本をいっぱい出していて、それがシリーズで図書館にあって、そういうのを読んでました。

フェリシモ:
テレビはまったく?

松本さん:
いえ。テレビはもう大好き。テレビが入るまでは「テレビジプシー」と言って、近所のテレビのある家に見せてもらいに行ったりしてたんですけど、昭和33年、小学3年のときに、家にテレビが入ってからは毎日、父親、母親、弟たち、そしておばあちゃんと一緒にテレビを楽しんでました。

フェリシモ:
家族で見る番組はやっぱりバラエティ番組が多かったんですか。

松本さん:
こどものころは大阪から発信されるお笑い番組『てなもんや三度笠』『番頭はんと丁稚どん』とかね。東京の番組『シャボン玉ホリデー』とか、そういうのを見てました。もうひとつ、よく見てたのはアメリカのドラマ。いまだったらバラエティとかドラマをやってるゴールデンの時間に、アメリカのドラマの日本語吹き替え版をやってるんですよ。『名犬リンチンチン』とか『名犬ラッシー』とか……。犬ばっかりですね。

(会場:笑)

『ローハイド』とか。いろいろ見てましたよ。

フェリシモ:
こども時代に見たテレビ番組や、映画が、いまのテレビ製作に生きていることっていうのはあるんでしょうか。

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松本さん:
それはもう。それが、いまに繋がっていますね。私だけじゃなくて、こどもたちみんな『てなもんや三度笠』とか『番頭はんと丁稚どん』『シャボン玉ホリデー』とかを見てたんです。うちの家は平和な穏やかな家、例えばおばあちゃんと一緒に、番組を見てると、おもしろくて「カハハッ」と笑い出すんですよ。私の家庭での楽しかった思い出のひとつは一緒にお笑いのテレビを見て楽しんだという記憶。いまでもそのときのおばあちゃんや母親の笑い声が届いてきそう。目にも残っています。
そういうものが好きだっていうことがあって……。それから、中学校に進学しました。毎年秋に学芸会があるんですけれど、見たら2年生、3年生たちはテレビのお笑いを元にしたオリジナルな芝居をやっているんです。『てなもんや三度笠』にそっくりな芝居をやってたりとか。小学校では、先生がテキストをくれて、それに合わせて先生の演出でいろいろ固いお芝居をやってたんです。ところが、中学行ったら自由で……。「何やってもいいんだ」っていうことをそのとき感じて、中学2年、3年とお笑いの芝居を、私がシナリオを書いて、演出をして、私自身も端役で登場して……。自分らでお笑いの芝居をつくってたんです。

フェリシモ:
それは演劇部で?

松本さん:
私はテニス部でした。

(会場:笑)

秋になったら学園祭でお芝居つくったりして。自分としてはめちゃくちゃおもしろいものをつくったなあと思ってました。振り返ってみると本当におもしろかったのかどうかよくわかりませんが……。ただ馬鹿みたいにひっくり返ったり、走り回ったりしてたんで、お客さんには楽しんでいただけたと思います。そういう楽しい経験を積んだことがあったので、大学卒業した後テレビ局でお笑い、エンターテイメントをやろうという動機になったかもしれないですね。その後高校でも大学でも別に演劇をやっていたわけでもなく、落研部にいたわけでもないんですけども、そういう楽しかったときの記憶がいまの世界に向けさせたんだと思いますね。

フェリシモ:
その後、京都大学法学部に進学を?法学部に入ろうと思った理由はありますか?

松本さん:
自分は将来どういう仕事をしたいとか、そういうイメージが全くなかったんですね。何をやったらいいのかわからないので。とりあえずどっかに入っとかないと、と思って一所懸命にがんばりました。大学に入ってから自分のやりたいことが見つかれば、学部変わるということもできるし……と、わりと安易な考えでした。

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「動機は不純。テレビ局に入ったら、
働きながら小説を書いたりできるかもしれない(笑)。
そう思って受けてみたんです」

フェリシモ:
そして、朝日放送にご入社されるわけですが、最初から放送業界の会社を志望されてたんでしょうか。

松本さん:
いや、非常に動機不純でしてね。テレビ局へ行こうなんてことは思ってなかったです。いまでこそ、テレビ局ってすごく人気あるんです。わずか採用数15名から20名のところを、局によっては1万人くらいつめかけたりするんですよ。私たちのときはテレビ局って全然人気のない業種。何しろ給料が安かったんです。

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給料が高かったところは日本航空と全日空。あと大手商社と大手銀行。その下に新聞社、さらにその下にテレビ局。つまりテレビ局はあこがれの場所じゃなかったんです。それならなぜ応募しようかと思ったかというと、こどものときから本を読むのが大好きで、できたら将来は作家になりたいと思っていたんです。もしテレビ局に入ったら、働きながら物を書いたりできるかもしれない。自由な発想を生かせて仕事をして、そして将来作家になれるかもしれない。そう思って受けてみたんです。

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テレビ局に入社1年目にして、早くもディレクターに。
初めて携わったのは『笑って笑って30分! レッツゴー三匹』

フェリシモ:
いまや朝日放送を代表する看板番組のプロデューサーとしてご活躍されている松本さんですが、当初から希望してバラエティ番組に配属されたのですか。

松本さん:
うーん。むずかしい質問ですね。お笑い番組も好きでしたし、でもドラマも好きだったので、私自身は「バラエティに行きたい」とまでの積極的な気持ちはなかったですね。ドラマでもいいし、ドキュメンタリーでもいいし、とにかくものづくりに参加できればいいかなと。いろいろなことをやってみたいなあというつもりでしたから、ずっとバラエティをやるなんて夢にも思っていませんでした。

フェリシモ:
やはり最初はアシスタントディレクターとして?

松本さん:
そうです。テレビ局って、ある面で派手な部分もある世界ですよね。そんなところで私がなじめてやっていけるのかどうか、アシスタントディレクターとしてあるいはプロデューサーとしてやっていけるのかどうか、ものすごく不安で、とても孤独でした。

フェリシモ:
それからディレクターとなって番組制作をしていくわけですが、アシスタントディレクターからディレクターへ昇格となったきっかけは?

松本さん:
いまだったら、ディレクターになるのに2年かかるんです。演出とはどういうものかというのを傍で見て覚えていくんですけれど、僕は4月に入社していきなりテレビ制作に配属されて、翌年1月にはディレクターをさせられていました。そのころディレクターの数が足りなくて、もうとにかく早くディレクターになれと。わけがわからないままにやってましたね。

フェリシモ:
ディレクターになって初めて手がけた番組はなんですか?

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松本さん:
『笑って笑って30分! レッツゴー三匹』です。レッツゴー三匹という漫才師3人組を中心としたコント番組です。月曜日は笑福亭仁鶴、火曜日がレッツゴー三匹、金曜日がやすしきよしというふうに、月曜日から金曜日まで毎日違うタレントさんがお笑いをやるんです。ところが私担当の火曜日、レッツゴー三匹の日だけが視聴率がとても低かったので、部長に「好きなようにしてもええ」と言われたんです。それで私が中身を変えていったら、視聴率が上がったんですね。で、私はそのときに初めて、もしかしたら自分も多少この世界に向いているのかなあ、というかすかな自信を覚えました。

フェリシモ:
その後入社3年でバラエティ番組『ラブアタック!』を制作。恋愛とバラエティ、そして視聴者参加という展開、どういういきさつで思いつかれたんでしょうか。

松本さん:
『ラブアタック!』は私が25歳のとき、35年前につくった番組です。それまでいろいろとお笑いもやってきたけれど、上司から「松本、新しい番組1本つくれ」と言われて。で、プロデューサーが10人ぐらい集まって、で、「ディレクターはひとり。松本だ」と。「松本がとにかくつくりなさい。」と。で、どういう番組にするか、アイデアは10人のプロデューサー、これがみんなでアイデアを出し合おうと。その会議室に集まって。会議が始まったんですね。「さて、どんな番組をつくろうか」と、言うたときに、ひとりのプロデューサーは「毎回毎回、戦争の時の戦友が集まって戦友会を開こう」と。「そこでみんな宴会をする」とそんなアイデアを出しました。
「そんな年寄りくさい番組いややな。もっとほかにいいアイデアないかな」と思っていたら、またそのプロデューサーが「毎週毎週わんこそばの早食い競争とか。全く無意味な競争をする。そういう番組はどうや」と言ったので、私は「それに勝ち残った人が、かわいい女の子、『かぐや姫』にプロポーズする権利を得られるというのはどうですか」って言うたんですよね。そしたら上司たちが「おもしろいかもしれない」と言ってくれて、それで『ラブアタック!』という番組が始まったんです。最初大阪ローカルで始まったんですが、1年半やってるうちに人気が出て、日曜の朝10時から全国的に放送されるようになったんです。

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幅広い視聴者が一緒に笑えるような番組を……
それが『探偵!ナイトスクープ』

フェリシモ:
それから、松本さんが37歳のときに副社長から「若者向けの番組をつくってくれ」というところから『探偵!ナイトスクープ』が始まったそうですね。どういったいきさつで指名を受けたと思われますか。

松本さん:
さきほどお話した『ラブアタック!』という番組、これが全国ネットとしても大ヒットしたんですよ。出演するのは若者でしたけれど、こどもたちもお年寄りたちもみんな喜んで見てくれたんですね。
実は私が37歳のとき、一緒に『てなもんや三度笠』とか『番頭はんと丁稚どん』を見て一緒に笑ってたおばあちゃんが亡くなってしまったんですね。で、葬式のために会社を休んで2週間ぶりに会社に戻らせてもらったんです。そしたらいきなり制作部長が、「松本くん、『若者番組をつくれ』という副社長の命令が、君の休んでいる間に降りたんや。つくれるか?」と聞いてきたんです。副社長が「朝日放送は最近お年寄り向けの番組が多い。若者たちにアピールする番組が全然ないやないか。それをつくれ。それをつくるにあたって昔『ラブアタック!』でがんばっとった松本を登板させなさい」と……。「私が『ラブアタック!』をやったときはまだ20代。けどいま私は30代後半。だから同じような若い番組はつくりにくいかもしれませんけど、私と同じ30代後半とか40代前半、そういう中年の世代も楽しめて、同時に10代、20代の若者たちも楽しめるようなエネルギッシュな番組はつくれます。それでいいですか?」って聞いたら「それでいい」と言われたんです。で、野球中継とゴルフ中継しかしたことのないスポーツ部から異動になった石原くんと一緒に、2人で毎日毎日、喫茶店でお茶を飲みながら、どんな番組にしようかと一所懸命考えていたんですね。

フェリシモ:
そこから伝説が始まったということですね。

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松本さん:
毎日毎日テーマを決めて、番組を考えました。毎日毎日考えて2週間目に、「石原くん、画期的なアイデアなかなか見つからんな。もうこれからは違う発想の仕方でもの考えてみよう。今日は、上岡龍太郎ならどんな番組ができるかっちゅうのを考えてみよう」、「わかりました。僕も上岡さん大好きです。『ラブアタック!』でも上岡さんが司会してたし」。で、ぐーっと考えているとき、私は『わいわいサタデー』という番組で、司会をしていた上岡龍太郎さんを思い出しました。「あの人は今」というコーナーがありまして、例えば「昔フィンガーファイブというのが流行っていました。いまはどうしているんでしょう」とか視聴者からのはがきが来ます。そういう依頼を毎週1通だけ採用して、取材に行く。そのビデオを上岡さんが見て、いろいろな意見を言うんですけれど、上岡さんの目のつけ所、思いがけないコメント、その切り口がすごく新鮮だったのでそれだけを生かして番組をつくれないかなあと思ったんです。視聴者の依頼に基づいて人を探したり調査に行く。そして上岡さんに報告する。調査に行く、報告する、こんな形で番組を1本つくるとしたら、どんな形がいいんやろう……。「調べて報告、調べて報告……。さあ、石原くん、これでどんな番組ができるんや」と言うたら、石原くんが「調査して報告する仕事は探偵がする仕事です」って。「それや!探偵局つくろう!」。で、いまのセットとか人員配置とか全て何から何まで「ポン!」と思いついたんですね。セットは19世紀のヴィクトリア王朝時代のロンドンのベーカー街にあった、シャーロックホームズの居間をセットにしよう。だから、ナイトスクープのセットは、あれイギリス風なんです。そうは見えないかもしれませんけど。

(会場:笑)

で、シャーロックホームズにはワトソンという相棒がいるんです。じゃあそれを顧問という形で置こう。小説の中には秘書はいないけれど、番組では、はがきを読まないといけないから、秘書も置こう。探偵も何人も置こう。それができた途端に「あっ! これはすごい番組になりそう」と思ったんです。「石原くん、これはものすごい画期的な番組になるで。これはいけるで。探偵は誰にしよう」とか言ってね。
(中略)
で、すぐに部長のとこに行ったんです。「部長、アイデア思いつきました。こんなんです!」って、内容を言うたんです。それで「それはめちゃくちゃおもろい。よう思いついたな。早速企画案を書いて持ってきてくれ」って言わはったんです。で、家に帰って「この番組は上岡探偵局が探偵たちを野に放ち、公序良俗、徹底的に追求する番組である」っていうのを手書きで書いたんです。これはいま番組始まったときに(画面に)流れている、文章そのままなんです。

(会場:笑)

で、翌日それをいっぱいコピーして、部長のとこに持っていった。そしたら部長がそれを編成部などのいろんなセクションの人に配ってくれたんですね。その夕方、当時の制作局長山内久司さんが、「松本くん、企画案読んだで。私の勘はよう当たるんやけどね。この番組は絶対ヒットするで。テレビというのは1行で説明できるくらい、簡単な文章で説明できるくらいにわかりやすいものでないといけない。この番組はわかりやすい。しかも新鮮や。絶対ヒットする」と言うてくれたんです。それでゴーサインが出て、この番組を始めていったわけです。

フェリシモ:
開始当初は苦労がありましたか。

松本さん:
「視聴者からの依頼に基づいて、いろいろなものを調査して、報告する」と、頭の中でイメージはできてるんですけど、ビデオをどういうふうにおもしろくつくっていくかがわからなかった。しかもディレクターがいなかったんですね。石原くんはスポーツ中継は得意だけれど、もうひとつお笑いのことはわからないんですね。で、「石原くん、誰かいいディレクターいてないかなあ」「松本さん、いろいろなプロダクションが大阪にもありますけれども、優秀なディレクターいっぱい知ってますよ」「えっ!?」「冬の間いろいろな特番をつくったときに、ふだんはお笑いをつくってるディレクターと友だちになった。仕事をした後、一緒に酒を飲んで仲よくなった。そういう男たちを順繰りに呼びましょうか」って言うて、「じゃあ、ひとりひとりに会ってこの番組に入ってくれるかどうか、あるいは僕らが入れたいと思うかどうか判定しよう」っていうふうにして、集めていったんですね。みんな若手の20代のディレクター。能力はあるのにいまは不本意な仕事をしている人たちがこの番組をやったら開放されるに違いない。全く新しいいい番組をつくろうと一所懸命になってくれるに違いない、と考えたんです。
番組1回目始めるときにはまだ3名くらいしか集まりませんでしたけれど、5回、10回とやっていくうちに増えていって、7名ぐらいの若いディレクターが集まりました。それでみんなでさあ、おもしろい番組をつくろう。そして上岡さんにそれを見てもらって上岡さんに自由自在に評論する、斬っていく。場合によっては「すごいじゃないか」ということもある、場合によっては「こんなものはしょうもない」とかいうこともあるかもしれない。そういうハラハラドキドキの番組をつくろう、ということで一所懸命に切磋琢磨しあっていったんですね。

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ちなみに『探偵!ナイトスクープ』の新しさというのは、上岡さんという存在のあり方なんです。ビデオというのは権威者の側から出されるのが常だったんですね。例えばクイズ番組、「問題を見ていただきましょう」と言ってビデオを見せる。これは司会者の側からビデオが出るんですね。ニュース番組もそうです。アナウンサーがいて「今日はこんなニュースがありました。どういう事件がありました」と、ニュースビデオが出ます。つまり番組のメインからビデオが出るんです。でも『探偵!ナイトスクープ』は違うんです。番組のメインつまり上岡さんがビデオを出すんじゃないんですね。若手が「僕が取材をしてきました。見てください」とプレゼンテーションするんです。2種類の楽しみ方ができたんです。つまり、探偵がいろいろ調査してくるのを見るときには視聴者は探偵とか依頼者側に立って「がんばってね」とか「うまくいくように」と思いながら見ています。で、ビデオが終わると、「いまのは素晴らしかった」とか「あそこをもうちょっとこうしてくれたらなあ」とか、今度は司会者側から見るわけです。視聴者はふたつのポイントから見る、最初は探偵、その次は局長側。こういうスタイルの番組は当時はまだなかったんです。だからそれが新鮮だったんです。で、ビデオのつくり方も切磋琢磨しているうちに、少しずつ上手くなっていって……。最初は依頼者もあまり出演してなかったんですけど、依頼者を出すことがおもろい、依頼者とボケツッコミのトークをしながら「君が依頼したんだから最後まで付き合いなさい」って何でもさせる。そういうことがおもしろいんだと気づいて、それを生かすようになってから番組がおもしろくなり始めたんです。

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『探偵!ナイトスクープ』の
ネタ決め、演出の秘密、お教えします!

フェリシモ:
ではここで1本映像を見ていただきたいと思います。

(映像試聴「おじいちゃんはルー大柴」)

フェリシモ:
ディレクターは、松本さんの指示に基づいて制作するのですか。

松本さん:
どういうふうにネタを決めたり、ディレクターが演出をしたりするのか、その秘密をちょっとお教えしましょう。『探偵!ナイトスクープ』には全国から依頼文書が来ます。そのコピーを全ディレクター、全構成作家、私のようなプロデューサーも毎週もらいます。大体1週間に400通来ます。そのうち3通採用するんです。金曜日にもらい、土曜日と、日曜日の間に全員が読みます。これ全部読もうとしたら2、3時間かかります。で、月曜日昼から、ディレクター10名、構成作家10名、プロデューサー、あとディレクターとか合わせて25名ぐらいで会議します。みんなが順繰りに「何ページの何番目の依頼どうでしょうか」と、読み上げ、3時間の会議で約20ネタが上がるんですね。で、「これなかなかいいなあ」となると、ディレクターが「はい! これ行きます」と立候補するんです。

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私が「このネタいいから、君やってくれたまえ」とか言わないんです。ディレクター自らが「あ、僕これ行くから」って言うんですね。どのネタを選ぶかというのはディレクターが勝手にやるんです。トップダウンしない。私は何もしない。だから、ディレクターは自分が自信のあるネタのみ採用するんです。これを「ディレクター主義」と私は名づけてるんですけど、仕事をやらされるんじゃなく、本人がおもしろいと思ったからそのネタを取っていく。「本当はこれはおもしろいとは思ってなかったんです」とか「これは得意じゃなかったんです」とか言い逃れできない。本人が選んでやる、だから私は「あなたが選んだんやからもっとおもしろくしなくちゃあかんやんか」といつも強く言い続けてこられたんですよね。それでさっきみたいな(映像の)ビデオをつくってきてくれると、「君は天才や! すごい」と誉めたりして……。要するにネタ選びも、中身をどういうふうに詰めていくかも全部ディレクターが考えるわけです。全責任において、全人格的にディレクターのものであるということだから、言い逃れできない。そんな中でディレクターがそれぞれが真剣勝負やってくるわけです。で、本番が終わった後は30分間反省会、合評会やるんですね。そんなふうに緊張感ある中、切磋琢磨して番組づくりをしています。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
今日初めて直にお顔を拝見して思ったのですが、なんでそんなに若く見えるのですか? 若さの源はなんでしょう。

松本さん:
ええ~。私そんな若いことないですよ、還暦ですからね。私はね、実は非常にかわいそうだと思われると思うんですけども、独身なんですよ。

(会場:驚)

この歳になっても独身なので、ちょっと体の調子壊したりすると、このまま孤独死かなあと思ったりして……。今日参りましたら女性の方が非常にたくさんいらっしゃいますので、帰るときはひとり連れて帰りたいなあと思ってるんです。

(会場:笑)

私はそんなに若いというわけじゃないと思いますけど、やっぱり番組づくりとかやってると、スタッフたちがみんな若いですし、そういう若い感覚でないとものづくりができないものですから、気持ちだけは若くしようと思って努力しています。20代30代の人たちの友だちもたくさんいます。それがまあ多少の若さの秘密かもしれません。

お客さま:
『探偵!ナイトスクープ』で依頼が採用されるためのコツはなんですか。

松本さん:
どんな依頼でも心惹かれるものだったらいいんです。だからこれ表現するのはむずかしいですよね。「えっ。そんな依頼してくるの?」って。読んだだけで興味を引かれるのは何でも採用の対象になるんです。絶対採用しないのは「私は今度友だちの結婚式に出ます。そこで余興をするように言われています。何か芸を教えてください」確かにね、結婚式にタレントさんが行ったら、みんな喜ぶでしょう。でも番組としたらおもしろくないじゃないですか。あるいは単にタレントさんに会わせてくださいというのも多いんですよ。そういう本人が喜んでも、それを見ている視聴者の方が一緒に楽しめないというのはだめです。だから特にコツってないんですよね。本人自身の思い入れのあるネタだったらなんでもいいということです。

お客さま:
『探偵!ナイトスクープ』の歴代の探偵さんでいちばんおもしろい、また信頼ができたのは誰でしょうか。

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松本さん:
いちばん人気のある探偵は、桂小枝さん。桂小枝さんは探偵仲間からも「ミスター」と呼ばれていますね。ミスターと言うのはどういう意味かと言うと「ミスターナイトスクープ」と言う意味。桂小枝さんは他の探偵さんの中でもいかにも大阪的なタレントさん、ローカルタレントさんの趣がありますけど、桂小枝さんだけがうまくやってきたネタというのも結構あります。例えば「パラダイス」シリーズなんかは、桂小枝さんならではのネタなんですよね。おじさんがひとりでコツコツとつくったしょぼい、まがいもんみたいな施設を「ひょえ~」とか言いながら、興味いっぱいで見ていくわけです。つまり桂小枝さんはきわめてナイトスクープ的な独自のビデオつくりに貢献してきた人ですね。「小ネタ集」というのも桂小枝さんを中心にやってきたわけです。他の番組だったら取り上げても笑いにもならないようなものを新たな笑いで包んでいった、それが桂小枝と言う存在です。
あと、信頼の置けるような人は……、誰もいませんね。

(会場:笑)

みんなええ加減な人ばっかりです。探偵はどの人もみんなそれぞれの特徴を生かしてやってるんですね。それがそれぞれの魅力。だから信頼できると言えば誰も特に信頼できる人はいないとも言えるし、誰もみなお笑いとしては信用できると言えるかもしれないですね。

フェリシモ:
では、もう1本映像をみていただきます。

(映像試聴(震災から1年後に初めて神戸に足を踏み入れた作品「御影の写真の子どもたち」)

フェリシモ:
こちらの作品は震災から1年後に放送された作品とお聞きしましたが。

松本さん:
そうです。『探偵!ナイトスクープ』では震災直後から震災関係の依頼がたくさんありました。例えば「犬を見つけた。飼い主は誰か」とか。あるいは「潰れてしまったけれども、あのお店はどこに行った」とか。地元関西ですから震災関係の依頼がたくさんあったんですけれど、私たちは震災には一切触れませんでした。一介のお笑い番組が安易に震災に触れるなんてこと、こんな悲惨な現実を前に、私たちはその震災の場所に足を踏み入れることができなかったんですね。
『探偵!ナイトスクープ』はいつも月曜日に会議を行っています。震災は火曜日の未明だったんじゃないですか。私たちは月曜日に会議をしてロケにいくネタを決めたんですよね。で、決めた中にこんな依頼があったんです。神戸市長田区のおばあちゃんから「ハーモニカを練習したい。ハーモニカを教えに来てくれ」というので、長田区に行こうということを月曜日に決めたんですよね。また別の依頼で、「関西人はよく『家帰って屁こいて寝よう』と言いますけど本当に言うんでしょうか」と。これも取材しようと決めたんですね。で、翌朝震災が起きたんです。
(中略)
神戸市長田区なんか、もう潰れてしまっていて、おばあちゃんに会いに行けるわけないんです。また、街頭インタビューで「あなた方は家帰って屁こいて寝ますか」なんてしようかと思ったんですけど、帰る家がむちゃくちゃになってるんですよ。大阪市内や阪神間でお笑いのネタなんかやってる場合じゃない。でも、こんなときこそ元気のある笑いを提供しようと、みんなで結束し合って、関西ではなく九州や東北など地方に飛んでおもしろいネタをつくり続けたんですね。
で、1年経って復興の兆しが見え始めたころ、ようやくこの(映像の)依頼を採用したんです。なかなかさわやかな一遍だったと思うんです。実際にあの中にはまだ仮設住宅に暮らしていらっしゃる方もいらっしゃいました。みんな被害に遭ってる中、集まってくれたんですよね。『探偵!ナイトスクープ』が1年あまりかけて阪神間に入り、震災のことを取り上げたロケですね。

フェリシモ:
震災があったとき、他局では報道番組とかが連日連夜流れている中、朝日放送は通常通り『探偵!ナイトスクープ』の放送に踏み切られたとお聞きしましたが……。

松本さん:
火曜日の未明に震災がありまして、それからの放送は全部震災報道に切り替えられて通常の放送が全部なくなったんです。で、金曜日も実は『探偵!ナイトスクープ』の裏番組ではみんな震災報道だったんです。その日のトピックスはある階の部分が潰れてしまったマンションの、その隙間から女性が救出された日だったんです。裏でそういう報道番組をやっている中で、朝日放送だけが『探偵!ナイトスクープ』を放送したんです。「チャンチャンチャチャ♪」(オープニング曲)って軽快な音楽。裏では大変なニュースをやってるのに、私もこれでいいんだろうかとも思いました。翌週いろいろな反応がありました。「地震に遭って家の中の何もかもが無茶苦茶になって、心が荒んでいるときにナイトスクープの音楽が聞こえてきてホッとしました」「震災のニュースばかりで心が暗くなっているときに、『探偵!ナイトスクープ』を見れてとてもしあわせでした」とか……。「ああ、この放送でよかったのかな」とそのときは思いました。そういう困難なときほど笑いも必要なんじゃないかなあと思いました。

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で、最初にも申しあげましたように、私のこどものときの大切な記憶のうちのひとつに、おばあちゃんや親と一緒にテレビを見て笑い合ったというのがあるんですよね。いまはテレビはパーソナルな物と言われて、ひとりひとりの部屋でみんながテレビを見て、テレビによって分断されるような傾向もあるんですけれど、昔テレビは、居間で家族がそろって、父親と娘が一緒に見ても恥ずかしくない、母親と息子が一緒に見ても穏やかに楽しんで見られるものだったんです。そういうアットホームな番組を提供し続ける、それはテレビを見ている人にとって、単に心のいやしになるとかいうことだけではなく、家族の記憶になっていったりとか、人生のいい経験と記憶になっていったりする。そういう物であり続ける番組をつくり続けたいなあと思いますね。いい番組と言っても、穏やかな善良な番組というだけではなく、はちゃめちゃなところ、ナンセンスなところもあるけれど、親子で一緒に楽しめ、笑い合える番組づくりをこれからも続けていきたいと思います。

フェリシモ:
それが今日の講演タイトルである「笑いで心の隙間をうめたい」という松本さんのメッセージでもあるわけですね。

松本さん:
実はひとりの女性が、結婚まで考えていたある男性の突然の裏切りによってうつ病みたいになってしまったんですよ。もう長いこと笑いを忘れてしまった女性で、生きる意欲もなくしていたらしいです。僕の友人がその女性に、1本のビデオ(『探偵!ナイトスクープ』の)「爆発たまご」を持っていったんです。「じゃあこれでも見なさい」と言って、(ビデオを見せた)途端に彼女は大爆笑。それがきっかけで、彼女は元気になって、その元気にしてくれた友人と結婚したんです。笑いの力は大した力じゃないかもしれないけれども、心の空白をちょっと埋めてそのことによって快方に向かわすとか、気分を入れ替えて「元気でやっていこう!」という思いにさせるきっかけになるかもしれない。それを信じておもしろい番組をつくりつづけようと思います。

フェリシモ:
これからも視聴者の方たちに元気や勇気を与え続けていく番組制作を期待しております。

松本さん:
これからも『探偵!ナイトスクープ』をよろしくお願いいたします。よかったらはがきを送って、ぜひスタジオに見に来てください。それほど倍率高くないですから。

(会場:笑)

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Profile

松本 修(まつもと おさむ)さん<朝日放送プロデューサー>

松本 修(まつもと おさむ)さん
<朝日放送プロデューサー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1949年、滋賀県に生まれる。1972年、京都大学法学部卒業後、朝日放送入社。テレビ制作部で、バラエティー番組の制作に携わる。『霊感ヤマカン第六感』『ラブアタック!』『合コン!合宿!解放区』『食卓の大冒険』などを企画・制作する。1988年、プロデューサーとして「探偵!ナイトスクープ」を企画から立ち上げ、最高視聴率32.2%を記録する超人気番組へと成長させた。1991年、『探偵!ナイトスクープ』の「全国アホ・バカ分布図の完成」編で、日本民間放送連盟賞テレビ娯楽部門最優秀賞、ギャラクシー賞選奨、ATP賞グランプリを受賞。2001年、日本民間放送連盟賞エンタテインメント部門最優秀賞。
『大改造!! 劇的ビフォーアフター』『運命のダダダダーン!Z』など多数の番組に携わっている。著作に『全国アホ・バカ分布考 はるかなる言葉の旅路』(新潮社刊)『探偵ナイトスクープ アホの遺伝子』(ポプラ社)。

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