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  • 長谷川 眞理子さん(進化生物学者)
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「進化生物学から見る人間の道徳性」



<第1部>

長谷川 眞理子さんが生物の行動や進化に興味を持つようになったきっかけは?

長谷川さん:
小さいころから本当に生き物が大好きだったんです。東京に住んでいた私は、母の病気の都合で、1955年から1957年、2歳から5歳くらいのころ、和歌山県の田辺市の祖父母の所で過ごしました。紀伊田辺の川、海、山がなんと美しかったことか。護岸工事もしていない、本当に美しい日本古来の自然が残っていました。それと、祖父母の家にいたふたりの叔母が素朴でいい図鑑を持っていて、私は海で拾った貝殻を図鑑で見つけて「あ、これだ、これだ」とか言って過ごしていました。それから、なぜかうちの祖父が、南方 熊楠さんの娘さんの文江さんご夫妻と親交があり、私はそのころ南方 熊楠さんなんて知りませんけれど、そういう日本の博物学者として有名な方の家に、2、3歳の私が気軽に出入りしていたということもあとで聞きました。そのことが私の生物好きに関係はないんだろうけど、原点はこれだと思います。
大学は東京大学理学部生物学科に行きました。ここで霊長目の研究を始めたんですね。まず、千葉県の高宕山という山の奥で野生猿の研究を始めて、それから、長野県の地獄谷温泉というところに温泉に浸かるので有名な猿がいますが、その猿の研究をしました。それから博士課程のときにタンザニア共和国に行って、野生のチンパンジーの研究をしました。
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フェリシモ:
猿は群れでいると思うんですが、研究のとき、猿の顔は見分けられるものですか?

長谷川さん:
よく見ないとダメですが、この写真を見ても1匹1匹、顔が違うことはおわかりになると思います。一瞬ではなかなか覚えられないんですが、毎日見る機会があれば100匹は覚えられます。私は、ニホンザルは全部で250匹くらい個体識別したかな?

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フェリシモ:
人は顔で見分けていますが、猿同士も顔で見分けているのでしょうか?

長谷川さん:
実験室に連れていって、モニター画面にいろいろな顔を出すと彼らがわかっているっていうのは、見ることができます。次はタンザニアの写真です。

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タンザニアは1980年から2年間、ジャイカの国際派遣の仕事で、専門家という立場で、行っていました。マハレ山脈というタンガニーカ湖畔にある山の中です。アフリカの国立公園というと、みんなジープみたいな車に乗ってずっと行きますよね。そうではなくて、歩いてまわれるようなエコフレンドリーな国立公園をつくろうという計画がありました。2年間、電気なし、ガスなし、水道なしの生活でした。

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こういうふうに、泥を塗った泥壁の小屋にトタン板の屋根の家をつくってもらいました。食事は、右下の写真のウガリというもの。キャッサバを乾燥させて、粉にして、熱湯をかけて混ぜると蕎麦がきみたいになるんです。それをちぎり取って、おかずにつけながら食べます。おかずはタンガニーカ湖で獲れる魚にヤシ油を入れて煮たもの。(中略)左下の写真は、実は大変な写真なのです。男の人ふたりと私が一緒に食べています。この部族は、男女差別がものすごいので、女の人が男の人と一緒に同じテーブルで食事することはありえないんですね。私のことは、私が日本から働きにきているから、“名誉男”として現地の人たちが受け入れてくださったんです。彼らの文化のいろいろなことを破ってしまって……。そのことのすごさ、ありがたさは、当時は気がつかなかったのですが、帰ってきてしばらくしてから思い至った次第です。

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進化生物学とは?

フェリシモ:
進化生物学というとなじみのない言葉ですが、生物学とはどういった点で違いますか?

長谷川さん:
進化生物学は、生物学の中の分野です。生物学というと生物に関する学問全部で、進化生物学というのは、特にこういう生物の性質がどうしてできたのだろうかということを、ことさら、そのことを調べる学問が生物学のなかの進化生物学です。私たちはクジャクの研究をして『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊国屋書店発行)を書きました。雄のクジャクだけが、美しい羽を持っていて、雌は持っていない、雄のクジャクは羽を広げて、雌を呼ぶわけですが「どうしてクジャクは、こういうことをするんだろうか? どうして雄だけが美しい羽を持っているんだろうか?」ということを、長い進化の歴史、過程の中でいろいろと研究しました。
クジャクの雄が羽を広げるのに、雄のホルモンがどういうふうに働いているかとか、クジャクの雌の視覚は、雄の広げた羽をどういうふうに見ているのか、目の神経の研究とか、そういうのは生理学や内分泌学がやります。そういう細かい話じゃなく「そもそもなんでこういうことが起こるんだろう?」ということを研究するのが進化生物学です。

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この写真は日本の伊豆のシャボテン公園のクジャク。これについては10年くらい研究しました。そして最後に「やはり野生のクジャクも見なくちゃ」ということで、スリランカに行きました。ここにとまっている長い尻尾のが野生のクジャク。クジャクはインドとかスリランカ、ネパールなどで、そのへんの野原に普通にいる鳥で、繁殖期になるとよく羽を広げます。どうしてこういう求愛行動をするのか、こういうことをしてどういう機能を果たしているのか、こういう求愛行動に雌はどう反応をするのかとか、そういう研究をしました。

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ゾウについても研究しました。ゾウには、いろいろな感覚器官があります。超長波の音を聞くことができるんですね、あと地面の振動も足の裏で感じたり、鼻の先で感じたりすることができるらしいのです。「なぜゾウはそういう感覚器を持っていて、それを何に使うのか、どういう意味があるのか?」そういうことを研究するのが進化生物学です。

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私の主人のところの院生がゾウの能力の認知研究をしています。ゾウは計算ができるとか…。こっちのバケツにリンゴを3個入れて、こっちのバケツに2個入れて、こっちのバケツにもう1個入れて、こっちのバケツに3個入れて……。「さてどっちが多い?」とすると、ちゃんとゾウは多い方に行くんです。そういう研究をしています。

フェリシモ:
続いて、実際に先生が研究されてきた内容をご講演の形でお願いしたいと思います。

長谷川さん:
さきほどお話したように、進化生物学というのは、進化の研究なんですが、進化というのは生命の歴史です。進化というのは、親の世代がいて、生まれてこどもの世代になって、それからまた次が生まれて孫の世代になって……というふうに、世代を越えていく間に生物が時間とともに変わることを言います。ということは、いまいるいろいろな生物は、昔から同じだったわけじゃなく、その祖先を遡っていくと違うものになる……。そして祖先を遡っていくと、いま別の種であるものが、結局共通祖先から分かれて来たんだっていうことがわかります。例えば、人間は、ゴリラとかチンパンジーとか類人猿という共通祖先がいて、いまのチンパンジーになった生物と、いまの人間になった生物と、共通祖先から分かれて変化したわけです。いまはいろいろな生物がいるけれど、こういうのをたどっていくと……。

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こういうふうに近いもの同士を繋げていくとひとつになります。共通祖先をたどっていくと、38億年前に人間もバイ菌も含めて、地球上の生物が全部、ひとつの祖先から始まったことがわかります。そのひとつだったものが、大まかにまず3つに分かれます。バイ菌、古細菌と、私たちを含めた真核生物という3つに分れるんです。そしてそれぞれがまた何億年の間、時間が経つとともに、いろいろなものに分かれていくんですが、そういうのの中の真核生物が、動物と植物に分かれて、動物の中で無脊椎動物と脊椎動物に分かれて、哺乳類と何々に分かれて……、分かれて、分かれて、チンパンジーと人間に分かれて、我々がいる。進化生物学の仕事のひとつは、これがどういう関係で分かれてきたかを再現することです。

(画像:生物の多様性)
こんなにもいろいろ違う生物ですが、ある意味とても似ています。DNAという遺伝物質があって、そのDNAの配列でいろいろな性質が決まる。ジグソーパズルやレゴのピースのように、生物をつくる元のものは、みんな共通点がいっぱいあり、その組み合わせ方で、いろいろな生物が出てきます。

(画像:生物の系統関係)
この系統図を再現して、何億年前に、どういう生物とどういうのが分かれて、現在の姿になったのか、その再現をするのが進化生物学のひとつの仕事。これは、いまは遺伝子の情報が、ゲノムの本がたくさん読めるようになったので、ずいぶん進むようになりました。もうひとつの仕事は「どのように変わるのか、進化のプロセス(自然淘汰と適応、中立な変化)」ですね。実際、変わった結果、どういう枝になったかということとは別に、どうしてこれとこれが違うようになるのか、どうしてチンパンジーとヒトの系統が違うようになるのか、変わっていく仕組みを調べることです。その変わっていく仕組みには自然淘汰と中立があります。

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(画像:遺伝子頻度の世代を越えての変化)
変わるというのは、こどもが産まれたら、そのこどもの世代は親の世代とちょっと違う遺伝子の構成を持っているということ。こどもは正確な親のコピーじゃないということ。みなさんのお子さんもみなさんのコピーじゃないし、みなさんのお父さん、お母さんもみなさんと同じものだったわけじゃない。みんな違うっていうのは、世代を越えると、変化していくんですよ。すべての生物は生まれたら、一生の間、自分の遺伝子は変わらないけれど、こどもは生まれる段になるとちょっと違うものになりますよね。それが、ずっとずっと積み重なっていくと、2世代目、3世代目といくにつれて、違ってくる。違っていくのを何万年、何百万年とか、何億年とか経つと、こう別の種類がどこからから分かれていくという。この世代を越えるとなぜ遺伝子が変わるかという仕組みを研究するというのがまたふたつめの仕事。私はこちらに関わっています。

(画像:進化を引き起こすメカニズム)
自然淘汰というのは、うまくいくと子孫が増えたというプロセス。例えば、これだとAは最初14分の1だったのが第2世代目で14分の5になりました、Aが増えた。Bは14分の3あったのに最後なくなっちゃった、こういうことがなぜ起こるかということで、自然淘汰はAが生き残った方が、次世代に行くのにうまくいくので増えていくというのが自然淘汰です。そうすると、うまくいくんだから、増えていくと結果的に全員うまくいくでしょ。だからいまの生物は、どの生物もとてもよくできています。鳥の翼はきれいな流線形、飛ぶために、まるで工学的にデザインしたかのようによくできているし、目の見え方も、近視の方がいようと乱視の方がいようと、ここでこうやって世界を見ながら生きていくことができるということは、ものすごくうまくいっているわけです。そういう意味で自然淘汰が起こると、世代を越えてみんながうまくいくようになります。それで、うまくいっている性質が、なぜ生物に、こんなにきれいなうまくいっているものがあるかっていうのは、こうやってうまくいった遺伝子が広がってきた結果として考えることができます。だけど、それだけじゃなくて、こうなったのは、何もうまくいくもいかないもなくて、どれでもいいんだけど、たまたま偶然サイコロを転がすようにこうなったというのもあります。そちらを中立と呼びます。

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うまくいくっていうのはこういうことです。横1本が1世代、まず最初の世代でみんな青色の性質だった、青色でみんなよかったわけ。ところが黄色の突然変異が出てきて、これがなぜかなんらかの理由で青色よりもうまくいったと、そうすると最初1個しかなかったけどうまくいくもんだから、青でもいいんだけど、青よりも黄色の方がうまくいくので、だんだん黄色になってしまった。これが自然淘汰。中立っていうのは、青いのでみんなやっていた……、そこへ黄色い突然変異が出てきた。それは全然どうでもよくて、青よりもうまくいくってことは全然ないんですけど、青っていうのは、こどもを残すチャンスがたまたま少なかったとか、黄色と青のテントウムシがして、たまたま青い方ばかりが牛に踏みつぶされたり、そういうことがあると黄色になってしまった。黄色になった理由は、うまくいったからじゃなくて、偶然のこと。でもこういうこともたまに起こりうる。特に集団が小さいと、たまたま青は死んでしまったということも起こります。という意味で、うまくいったからという自然淘汰と、偶然そうなったという中立、このふたつのプロセスで進化は起こります。

(画像:適応)
非常にうまくいってること、これを適応と言いますが、適応は中立ではできないんですね。中立でできることはどうでもいいことなので、生物が中立進化によって素晴らしい形になったり、すごくうまくできた行動をできるわけじゃない。そこで、適応はこどもを産むとかそういう繁殖、生存の上で、何か有利な性質が出てきたということなわけです。例えば、クジャクは、長い羽と短い羽だと何が生存繁殖にうまくいったのかとか、視覚がいいことがよくないことより、何が生存繁殖で有利だったからそちらの方に流れたのか、そういう研究をしています。

(画像:擬態)
こういう擬態があります。これははじめから完成した形でいたわけじゃないです。もうちょっと違う、祖先の方はここまで完璧にできてるわけじゃなかった。それが突然変異が起きて、もっとよく似ているとか、もっとまわりに溶け込んで見えないというのが出てくると、そっちの方がよく残るので、そういうこどもが増えて、だんだんこっちに行くわけです。

(画像:進化の結果:枝分かれ)
そういうことが違う環境で起こると、それぞれうまくいくものが別の種類として枝分かれしてきます。カエルとヒトも遡れば共通祖先がいるんですけど、その共通祖先の暮らしから両性類に行った、両性類は水と陸を使う、そこにうまく行ける性質を持ったものはカエルの方にだんだん行って、そうじゃなくて陸上だけで住むことにしたものは、今度は陸上だけでうまくいく性質が広がるので爬虫類が出てきて、その中で、お腹の中でこどもを育てる、胎盤を持つ動物が出てきたときに、そっちに行ったのがうまくいくと哺乳類のマウスになって、共通祖先の哺乳類のときにマウスにならないで、木の上に登っていくような動物が霊長類になって、それが非常にうまくいく、両眼が立体視ができるとか、手が1対4でものをつかむことができるとか、こういう性質が木の上で暮らすのに非常にうまくいくからということで……。

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そういうのの中で、最後にチンパンジーの系統とヒトの系統は共通祖先がいたんだけど、600万年前ぐらいに分かれました。チンパンジーは森の中に住んでいるんだけど、人間は立ちあがって2本足で歩く。なぜうまくいって、何が有利だったから2本足で歩く生物が出てきたのか、これを研究するのは人類学という学問です。そういうふうに、進化の結果は枝分かれがあるんだけど、それは、なんで分かれていったかというのは、なんかそっちの方向にいったときに、非常にうまくいくことっていうのが広がった。それで、すごくそれぞれうまくいくようになった、でも環境が違うとうまくいくっていう意味が違うので、違う生物がうまくいく、で、違う生物がどんどん出てくる、そういうことの全体が進化生物学です。

フェリシモ:
我々ヒトについて進化生物学の視点でお話を伺います。ヒトは生物の一員であるというのが進化生物学の大前提であると思うんですが、ヒトとそれ以外の生物の違いはどんなところでしょうか?

(画像:人類とは、直立二足歩行する類人猿の仲間)

長谷川さん:
生物学的にいうと人間に近いのは類人猿です。類人猿というのは、ゴリラとかチンパンジーとかオラウータンとか大きな尻尾のない仲間です。

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ここにゴリラとヒトの骨がありますが、こうやって(前かがみ)で歩いていたのがこうなる(背筋が伸びる)とヒトになる、人類学とか生物学で定義すると直立二足歩行をするというのが人間の特長。猿の仲間で2本足で立って歩くというのを常習的にやっているものを人類といいます。ただし、それだけじゃありません。そのあとの脳の発達があります。

(画像:ヒトの脳:なぜ共同作業できるのか)
ヒトというホモ・サピエンスは、とても脳が大きいんですね。1400CCと書いてあるんですが、チンパンジーの脳の3倍あるんです。ではその大きな脳で何をしているのか。大きな脳で相対性理論を考えていることが意味があるのか、6ヵ国語も7ヵ国語もしゃべれるようになることが脳が大きいことの意味なのかというと、そうじゃない。これからの道徳の話に繋がるんですけど、380CCはチンパンジーの脳、その脳が1400CCになったのが人間なんですが、ただ全体的に膨らませて大きくなったのではありません。(略)

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(画像:チンパンジーとヒトの系統の前頭前野)
こう見るとチンパンジーはほとんどおでこがありません。ホモ・ハビリスという250万年前少しできてきて、ホモ・エレクトスという80万年前のはもっと出てきて、我々ホモ・サピエンスは、おでこが広くなって……。要するに前頭葉前野と言います、まあほかのところもありますが、ここが非常に大きくなったところ。で、前頭葉前野は何をしているんでしょう、というと、こういうことです。

(画像:自己と他者の合わせ鏡―内側先頭前野―Frith&Frith,2003)
自分というものをみつめ他者を理解すること。人間の脳が大きくなった基本的理由は、単に数学ができるとか、化学ができるとか、抽象的な学問ができるとか、そういうことじゃなくて……。そんなものがわかって生き残ったわけじゃない。誰が生き残って繁殖してうまくいったかって言ったら、人間のラインでは自分と他人を非常によくわかるという能力を備えた人。それがいまみんなに広がって全員そうなので、人間といえば、自分と他人がよくわかる生物なのです。その中に多少わかる人とわからない人がいても、ここまでうまくいってきたのはみんな、人という集団が全体として、他人と理解して共感してみんなで喜び、悲しみ、怒って、一緒に目的を共有して仕事をするっていうことができる生物として進化したということを研究は示していると思います。

フェリシモ:
他者の理解とあるんですが、例えばチンパンジーだとないのでしょうか?

長谷川さん:
みんなある程度あることはあるんですよ。むずかしいのは、すぐみなさん「我々はある、でもあいつらはない」と「0」か「1」で考えたがるんですけど、進化は必ず共通祖先から出てきて変化しているので、何にもないところから突然「1」っていうのはないわけです。だから、遡るとそれに近いようなものはチンパンジーも持ってるし、もっと遡れば猿だって近いようなものは持ってる、グレードがだんだん上がってきたという感じで、いまの人間があります。

(画像:三項関係の理解)
私がいちばん重要だと思うのは、これ。これがチンパンジーは非常に弱いんです。例えば赤ちゃんが、かわいい犬を見て手を伸ばしたりして「あーあー、ワンワン!」とか言って……。そのときに赤ちゃんって何するかというと必ずお母さんの顔を見て、犬を見て「お母さんもワンワン見てるかな?」ってするんですね。お母さんがそれを見ると、お母さんももちろん犬を見て「ああ、ここに犬がいる」っていうのがわかる、で赤ちゃんの顔を見る、で赤ちゃんがこっちを見てるのを見る。それでまたお互いに顔を見合わせる。これをやるでしょ。「そうね、ワンワンね、かわいいわね」ってうなずくわけです。お母さんと赤ちゃんとの間が双方向になっていることが重要です。ここが双方向ではなく一方通行だけなのが、チンパンジー。「あいつは、あれを見ていて喜んでんだな」「怖がってるんだな」ということがわかる、相手の方も一方向で見て「あいつもあれを見てるな」というのがわかる。しかしそこが双方向になってないので「うんうん、そうだね」っていうのをチンパンジーはしない。どういうわけか、チンパンジーはここが双方向になっていない。

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双方向になれるには、こうなんです。赤ちゃんの頭の中で何も赤ちゃんが意識して「お母さん、わかってるよな」みたいなことを思っちゃいないですけど、だけど、当然手を伸ばしながら「ワンワン!あーあー」と言いながらお母さんの顔を見てるときは「お母さんだってお母さんの頭の中にワンワンあるでしょ、っていうことを僕は知ってるよ」ということなんですよ。お母さんの方も犬を見て「あーあー」言ってる赤ちゃんの顔を見たとき、この赤ちゃんの頭の中には犬があって、それをお母さんも見ているという、二重の入れ子の「ワンワンがいるということをわかっているということをわかっているよね」というのがあるんです。それがこの「ワンワンがいるということをわかっているということをわかっているよ」という二重の入れ子がチンパンジーにはない。「ワンワンがいることは、わかってるよ」というのはあるんだけど、そこがないんですよ。それが、脳が大きくて前頭前野で自分と他人をわかるということの本質だと思います。
ここの双方向性こそが、人間の人間たる所以。人間は本質的に相手の心の中を入れ子構造でわかりながら、自分の心と対比してお互いに理解し合おうっていうことができるのが人間なんです。

フェリシモ:
それは、相手の心を理解する共感や、相手が何を思っているか想像する力にも置き換えられるのでしょうか?

長谷川さん:
ふたつあります。例えば「あなたが犬がそこにいることを知っていることを私は知っている」というのは、これは知識。知識というか推論、理性的推論。「あなたが何を知っているか、何を見ているか、いま何を考えているか、私はわかる」という意味です。これは認知的理解というのですが、それとあなたが感じていること、うれしいのか、悲しいのか、怒っているのか。それを私もうれしいと思い、悲しいと思い、一緒に怒ってあげたいと思うかという思いの点と知ってるか知らない違う話。共感というときには、単に相手が何を考えているか感じているかを知っているかだけでなくて、その感じ、思いを我がものとして「あなたが悲しいなら私も悲しい」とか「あなたがうれしいなら私もうれしい」というふうに感情を一緒に思うことが共感です。そこも、チンパンジーは低いんです。

フェリシモ:
それが人間だけに、特別に発達した理由というのはまだ研究段階なのでしょうか? 未知の部分が多いのでしょうか?

長谷川さん:
ひとつには共感するとか相手の考えている内容がよくわかる、その相手が思うなら私もそうしてあげようとか、そういうことの基本には、自分というもののはっきりとした認識があります。自分というものがはっきりわかって、他人があって「自分ならどういうふうに思うから他人もああいう顔してるなら、ああ思ってるんでしょ」とか「自分があの場に置かれたら、こうだろうから、他人もあれでああいうふうになるんじゃないか」っていうふうに深く推測するのは、自分っていうものを上から見る自分を見る目がないと、なかなかできません。ですから、他者をうんと深く理解する、慮ることには自分の状態の認識、自分というものの内省がすごく大事です。自分を他者との間の合わせ鏡のように、自己を理解するからその推測で他者も理解できると。他者がああいうことをするということから推測で「ああ、自分もきっと同じになったらそんなことするだろうな」っていう自己と他者の合わせ鏡的な深い理解がものすごく基本的に大事なところ。ここまで深い自己理解を持っているのは、人間だけと考えられます。

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進化生物学から見る人間の道徳性

フェリシモ:
本日のテーマ・道徳性について触れていきたいと思います。いま人の社会では、どの国でもそれぞれが道徳と呼ばれる規範を備えていると思います。進化生物学から見た道徳性の定義を教えていただけますか?

(画像:道徳の進化)

長谷川さん:
人間ってどんな社会でも何かの決まりがあります。いろいろな道徳の決まりがあるけれど、全部共通して言えることは他者に配慮する、他者の気持ち、立場を考えるっていうことは善である、自分の欲望を抑制すること、自分の欲望を全開にすることはよくなくて、抑制することは善であるというこういうふたつの軸を持っていると思います。道徳と呼ばれるものの細かい内容はいっぱいあって、道徳の決まり自体が文化なんですけど、だけど他者に配慮すること、と自分の欲望をある程度抑制すること、その何でも自分の好きなようにしてはいけない。それは、他者の配慮と非常に結びついてます。これが必ず道徳ということの文化の中にあると思いますが、私が興味があるのが、道徳の文化が生じる生物学的基礎があるかと……。道徳は非常に文化的、人間固有の社会の話なので、道徳を生物学で定義することはできません。
生物学はどういう性質を人間が持っているかっていうことなので「道徳の生物学的基礎はあるか?」という質問はできると思います。私もそういうことをちょっと考えていて、道徳性が進化する理由をいろいろ探究しているんですけど、やっぱり人間の道徳の文化が生じる基礎は、自己と他者の理解、自己の内省と他者の理解を深めることにより、人間は本当にわかるんですよ。他人がどういう立場にあり、どういう状態にあり、どういう感情を持っていて、どういう不満を持ったり怒りを持ったり、悲しみを持ったりしているかっていうことを人間はわかってしまうんです。それと同時に、人間は共感の感情が働いて悲しそう、不幸そうにしている人間に対しては、なんかしょぼんとしてしまう、うれしそうな人を見ているとうれしくなってしまう、という共感の基礎が必ず脳の中にある。そこに気づいていること、それを文化としてはっきり表したのが道徳だと思います。

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(中略)

フェリシモ:
現在、環境問題、犯罪、貧富の差など、社会を営む生物をして、人はたくさんの問題を抱えていると思います。それらを解決する鍵は、どこにあるのでしょうか?

長谷川さん:
いま、グローバルな問題、グローバルでなくても日本に広がる話って、結局自分の身近な問題として、心の底から一緒に悲しんだり一緒に怒ったりできないのが、大きな問題点だと思います。これがいちばん作動するのは身近な人なんです。身近な人の話だとすごくいけないこととか、いいこととか、そうしてあげようとか、一緒に阻止してあげようとか、気持ちの上でそうなるんですけど、地球の反対側のところで誰かが飢えているかもしれないとか、いまみんな楽しそうにしているけれど、もう2世代、3世代あとには生まれてきたこどもたちのころには地球がダメになっているかも知れないとかっていうのは、なかなか気持ちが湧かないわけ。結果悪いだろうとみんな理解はするんだけど……。
さきほど言ったように、理解するということと、共感して感情的にやってあげようという気になるということは別。みんな理解はするけれど、別に動かないっていうのを、理解して本気でやる気になるっていうのをどうやってさせるか、環境問題もそうだし、格差とか人種差別とか、全部そうです。
こういうことを小さいときから、気にかけないといけないんだよということを、いままでの人間の教育の中ではありませんでした。いままでの文化的に何千年前の哲学者だって、いろいろな道徳のことを考えてきたけれど、アリストテレスやカントの時代に環境問題はなかった。見知らぬ、全く遠い全然身近には考えられないような問題をどうやって道徳的に「ああ、それはいけない」とか「それは私もやらなくちゃ」という気持ちにさせるかということは、哲学者は伝統的には考える必要がなかったんです。それをいまはそういう問題が実は自分たちに跳ね返ってくるものであるはずなんだけど、やっぱりこの脳の組織はそこが自動的にはいかない、それをどうやってやるかはやはり教育。小さいころから考えなきゃいけない大事なことなんだということをどんどん教えていけば、大きな問題にまで人間の道徳感情は拡張することができるのではないでしょうか。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
クジャクは雄が美しく着飾っていますが、人間が女性の方が美しく着飾ることが多いように思います。この違いはどこから来ると思われますか?

長谷川さん:
クジャクに限らず、多くの動物は雄が飾っています、キレイです。特に鳥類のほとんどは雄がきれいで、雌が地味。それで雄がさえずります。きれいな声で歌を歌って、雌がそれを選ぶっていう……。クジャクに限らずそう。それはなぜかっていうと、鳥というのは、雄がとにかくアピールして、一所懸命求愛して、精根尽きるまでそれしかできないんですね。雌に挑みかかって、雌をとってくるっていうのはないんですよ。鳥は完全に雌が選ぶんです。雄としてできることはとにかくキレイに踊って歌って、見せるだけ。あとは雌が選ぶのみという、そういう生物。だから雄がきれいなんですね。じゃあ、人間は何かっていうと……。人間は哺乳類。哺乳類って、見てみると、美しい哺乳類の雄っていないでしょう。哺乳類って雄が「こっち見て」って雌を呼ぶんじゃないんですね。哺乳類は、雄同士が戦って、勝った方が雌を全部取っちゃう。で、雌は逆に言うと「あれがいいわ」っていうのができない。「あれがいいわ」って言ったって、その雄が負けちゃって、勝った雄がわーって来たら、それを拒むことができない。なぜなら、そうやって雄同士が戦って、勝った雄っていうのは大きいでしょ。それは、ほかの雄よりも勝てるほど強くて、勝ったわけだから、当然雌より大きい。だから、雌は、「この雄、やだわ」って言っても、負けちゃうんです。哺乳類って戦って勝った雄が、雌を乗っ取る。雌はチョイスできない、っていうのが哺乳類。まったく逆が鳥、ほとんどの鳥は雌が「ふんっ!」って言ったら、雄はどうしようもなくて、とにかく一所懸命やるしかない。

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じゃあ、人間は哺乳類なんだけど、何をしているのか? 人間にとって配偶相手の選び方は、男性が強ければ強いで勝ち残って全部取るなんてことはないのです。人間の男性は女性よりも多少大きいけれど、ツノも生やしてないし、犬歯が出てることもない。全然武器っていうものを発達させてないんです。それは、本当にそういう戦いが意味のあるものではないことを表しています。じゃあ、男性はアピールするだけで、全部女性が選ぶかって言ったらそんなことはないですよね。人間の繁殖システムって、とても変わっていて、男男の競争もあれば女女の競争もあり、女から男への選びもあれば、男から女への選びもある、複雑です。
きれいにしてるのは、女性の方が多いかもしれませんが、男もいろいろな意味でいろいろなものを見せびらかしています。自分の方があの男よりかっこいいとか、あの男よりも気のきいたことが言えるとか、もっと優しいことをしてあげられると、お金があるとか、いろいろな意味で男の人だっていろいろ見せびらかしてます。洋服とか化粧などで見ると女の方が飾っているように見える、でも男の飾り方、見せびらかし方は別のやり方をしていて、多分非常に同じくらい強くやってんじゃないかと……。その表し方が男と女でちょっと違う、そういうことだと思います。

お客さま:
シーラカンスのように太古から変わっていない生物は、進化が最大限に進んだ形なのでしょうか? それとも、これからまだ進化するのでしょうか? そうならば、現在の生物すべてが、まだ進化の余地があるのでしょうか?

長谷川さん:
カブトガニとかいくつか長い時間、地質学的な時間で何億年とか、ほとんど形が変わっていない生物はいくつかあります。形態、外見が変わっていってないということで、さきほどの中立の進化みたいに別に表に表れなくて何でもいい遺伝子というのは、結構ああいう生物の中では変化はしているので、まったく進化していないっていうのはないんです。ただ、形の上で大きな変化を起こさないで同じものがずっと続いたということはいくつかの種類であります。それは、環境との関係で何か新しいところに変化が起こると、形とかも変わらなきゃやっていけなくなることが多いのでそういうときに新しいものになります。そういうことが起こらなければ、同じような環境が続くとずっと形が変わらないでいることができる。シーラカンスはインドネシアからマダガスカルにかけての深い海の底にいて、あの辺の環境が何億年の間激変しなかった、そうすると、いったんその形になったあと、ずっとそのままでやってこれたということが、外見が変わらなかった原因。今後その海で変化が起これば、それで進化は起こります。現在の生物は、38億年前に生命が生まれてから現在までのいろいろな変化のあった、いまを見ているので、この先続いていって、いろいろなことが起こったら、過去に起こったことと同じように進化の余地はあります。ただ人間のいまの現状ができるのに38億年かかっているから、その先人間、何億なんて生き続けられないので、実際これから先に新しい種類の生物がどんどんできてということを目の当たりにすることは多分できないですよね。だけど、そのポテンシャル、余地は多いにあるし、生物は常に変わるものですから。遺伝子がコピーされていくときに必ず、同じコピーができないっていうのは、運命だから。だから生物は必ず変わります。

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フェリシモ:
最後に、今後の社会や身近なしあわせのために私たちひとりひとりが人だからこそできることについてメッセージをお願いします。

長谷川さん:
今後の社会がどうなるかはよくわかりません。技術がどういうふうに進歩していくのか、新しいイノベーションがどうなるのか、経済がどうなるのか、誰もわからない。環境破壊がどんどん進むし、そういうところで育ったこどもがどういうふうになるかもわからない。あまりにも変化が激しいので、過去の知恵が役に立たない社会になるかもしれない。
そういうときにでも、人としてできることは、私はふたつあると思います。ひとつは、今日の話でずっと言っていた他者への共感、みんなで共同作業することの大切さというのを忘れないこと。自己の内省と他者への理解が、他者への深い理解や共感を生むので、それによって人は一致協力ができ共同作業ができ、ほかの生物ができないことをする、そのことの大事さをわかってほしいのです。
それからもうひとつ、人でなければできない大事なことは、好奇心だと思います。好奇心というのが人間を前に進ませてきている。アフリカ大陸で生まれた人間が、人口が増え過ぎている場所がなくなったからじゃないのに、アフリカを出て世界に広がったのは、なぜか? 多分「あの山の向こうには何があるんだろう?」だったんだと思います。人間がアフリカを出たのは2回。一度目は、150万年前にホモ・エレクトスのときにアフリカを出てアジアとヨーロッパに広がりました。で、広がった先で結局全滅しました。二度目は9万年くらい前、アフリカから出てきたホモ・サピエンスが今度はアメリカ大陸も含めて、オーストラリアも含めて、全世界に広まりました。そのときだって人口密度が多すぎて、出されたわけではないと思うんです。それはやはり好奇心。「あの先には何があるんだろう?」と……。その延長で人は月まで行ったんだと思います。
自分の知らないことを知りたい、できないことをできるようになりたいということが、人間が何に対しても進んでいく原点。満足しきって「もういいや」ってなったらおしまいだと思います。好奇心っていうのは、人間の人間たる所以だし、人間を進ませていく原動力だと思います。共感と好奇心で、未来に生きましょう。

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Profile

長谷川 眞理子(はせがわ まりこ)さん<進化生物学者>

長谷川 眞理子(はせがわ まりこ)さん
<進化生物学者>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
総合研究大学院大学先導科学研究科教授。専攻分野は行動生態学・進化生物学。
昭和51年3月東京大学理学部生物学科卒。昭和58年3月東京大学大学院理学系研究科人類学専攻博士課程終了。昭和55年から2年間タンザニア野生動物局に勤務。昭和58年4月東京大学理学部人類学教室助手、専修大学助教授、教授、Yale大学人類学部客員準教授、早稲田大学政治経済学部教授を経て、平成18年より総合研究大学院大学教授。平成19年より先導科学研究科生命共生体進化学専攻長。平成20年から21年まで日本進化学会会長、平成21年から日本人間行動進化学会会長をつとめる。野生のチンパンジー、イギリスのダマジカ、野生ヒツジ、スリランカのクジャクなどの研究を行ってきた。最近は人間の進化と適応の研究を行なっている。著書に『クジャクの雄はなぜ美しい?』(紀伊国屋書店)、『進化とは何だろうか』(岩波ジュニア新書)、『ダーウィンの足跡を訪ねて』(集英社)など。『人間の進化と性淘汰Ⅰ,Ⅱ(チャールズ・ダーウィン著)』(文一総合出版)、『ダーウィンの種の起源』(ジャネット・ブラウン著)(ポプラ社)などの訳書がある。

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