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「がんばれることへの感謝」



<第1部>

阪神・淡路大震災で壮絶な経験をした古市 忠夫さん
自らの復興としてプロゴルファーに……

僕は、震災前まではただの写真屋のおっちゃんでした。ゴルフが好きで好きでたまらんかったおっちゃんが、震災ですべてを失いました。何もかも燃えたんです。それからプロゴルファーになる、講演をする、テレビに出る、7冊の本を出す、そして映画になる、タイガーウッズさんとゴルフする、プロになって8勝上げる。これ、みんな60歳になってからできたことなんです。
どう思いますか? 震災で何もかも失ってゴルフなんかする気にならないですよね。やっぱり収入があって家があって、初めてゴルフするん違いますか? 自分の住む所おまへんのやで。寝る所もなく、風呂に入ることもできない。そんなんでゴルフする気もないよね? なんでプロゴルファーになれるんですか? それが、35~40歳も違う2000人と戦ってプロゴルファーになれたんです。ありえないよね? 才能? 努力? 僕、ものすごい努力したんですかね? もうひとつ「運だ」ってよく言いますよね。ツキまくってるんですか、僕? 1995年1月17日以後、ツイてツイてツキまくってんの? そんなんありえないでしょう? 僕はツキという、運というものは公平に神様がつくってくれたと思っています。ツイてツイてツイてという人生もなかったら、ツかなくてツかなくてという人生もない。公平です。ですから僕は人生からもゴルフからもすべて運というものはのけて物事を考えます。
では、才能と努力? 35~40歳も違う若者と才能競えあえますかね? 2000人の若者と、それも13日間やるんですよ、13日間若い者と戦って、合格不合格を決めるんですよ。そんなんツイてツイてツイてって、そんなんばっかりじゃないと思うんですね。才能? 努力? 努力なんかしてまへん。プロゴルファーになる努力というのは1日300、500、700と打つんですよ。僕が1日500、毎日打ってみなはれ、肩上がりまへん。朝起きて走る、ゴルフする、そして終わってから球打つ、それが努力じゃないですか。そういうことをしてないんですよ。する気もないし、するお金も暇もないじゃないですか。さっき、映画(『ありがとう』の予告編)で見ていただいたように、みんなで街づくり「素晴らしい街をつくろう」って一所懸命やってるわけですよ。その中で自分だけが球打ちに行く? そんな気毛頭ないよね。

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才能、努力、運以外のものがあるんです。それを震災が教えてくれたんです。震災前は僕も、才能だ、努力だ、運だと思ってました。朝早うに起きて須磨の海岸に行って走ってバンカーショットしたり、昼間ちょこっと球打ったり、仕事終わってから11時、12時まで素振り、ランニングもやりました。1日7時間練習したこともあります。でも、これはアマチュアのうまくなるための努力。うまいだけじゃだめ、強くなければだめなんです。うまいと強いは違うんですよ。どのように違うか。それは心です。「心技一体」って言いますよね。相手に勝とうとする闘争心、克己心、向上心、探究心。不撓不屈の精神が心だと、みなさん思ってます。私も思ってました。でも震災で価値観が変わった。大事なものは何か。物やお金、名声や地位や、そういうものだと思って、それを取る、体の中に入れる。所得を上げるために商売したりしてましたよ。でも、すべてを失って価値観が変わった。そういうものは大事なのかもわからんけど、もっと大事なものがある。それは、人を思いやる心、いたわる心、感謝、友情、積極性、勇気。
あるとき、勇気について考えました。勇気とはなんぞや。何事にも屈しない人が勇気のある人やと思ってました。でも本当に勇気のあるという人は絶対なる積極性、そしてがんばれることへの感謝。これが真の勇気。がんばるだけの人間は怖いです。怖いから練習するんです。練習しても練習しても怖いんです。古市 忠夫は怖くないんです。練習をしようが、プロゴルファーになろうが、ならなくたっていいじゃないかと、手を離していたんですよ。がんばれることへの感謝がそうさせていった。たくさんの人に支えていただいた。みなさんのおかげだ、生かしてもらってる、ということを体の中に嫌というくらい震災後体験しましたね。「みなさんのおかげです」、「ありがとうございます」、そう思って人生歩いていくと、何も怖くない。

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感謝力がなかったら心豊かな人生はありえない

価値観も変わっていき「感謝力」という言葉にたどり着いていきました。感謝する力、これをアップさせるんですよ。感謝力は人生にとってすべてではない。でも感謝力がなかったら心豊かな人生はありえないと思えるようになってきましたね。心豊かに人生を歩む人が間違いなしに人生の勝利者だと。僕は、お金を持っている人とか、ええ家に住んでる人とか、あるいはモーターボートを持ってるとか、世界中を股にかけて遊んでいる人、そういう人が人生の勝利者だと思っていました。でも、そうではなく、人生の勝利者は、心豊かに歩む人。だんだんそう思えるようになっていったんですね。震災という地獄の中をさまよったときに、僕は人間の素晴らしさを目の前で見ました。人間の醜さも見ました。嫁はんが毎日毎日目の前で、泣いていました。

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ろうそく1本置いて、避難所から弁当を2人で食べながら毎晩泣いて……。そんな嫁はんに言ったことは「泣くな」と。「わしら家族なくしてないじゃないか。家なくして財産なくしただけや。こんなときやから、悔いのないように生きよう。こんなときやから正直に生きよう」。震災後、嫁はんとこう言って歩んでいきました。

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奇跡を起こす方程式は掛け算
才能×努力×感謝力

「素晴らしい街をつくろう。素晴らしい街をつくることが、亡くなった人への鎮魂だ、供養だ」といまもずっと思い続けています。おそらく死ぬまで思うでしょう。いまでも町内会長をして、ふれあい喫茶や消防訓練もしてます。小型動力ポンプ、エンジンかけてホース3本つないで、新記録53秒で水が出るようになりました。毎朝街頭に立って通学路で黄色の旗を振っています。そんなことしてるプロゴルファーおりませんわな。
さっき言った7つのこと。
プロゴルファー・本・講演・テレビ・映画・タイガーウッズさん、そして8勝上げられる。不思議ですね。才能、努力、運だと思ってるでしょう。もっとすごいものがあることに気がついていきましたね。奇跡というのは自分の力で起こせると、能力と努力で夢はかなえられるってほとんどの方はそうおっしゃいます。僕はそうではないですね。奇跡を起こすというのは、奇跡を起こす人が寄ってきてくれるんです。僕を担いでくれるんです。引っ張ってくれるんです。だからタイガーウッズさんとゴルフでき、映画になるんです。
京都の妙心寺という臨済宗の総本山のお坊さん350人の前でも講演しました。「人生の生き方はこないして生きるんや」ってお坊さんに僕が説教しますねんで。お坊さんが「うーん」と唸りながら聞いてまんねん。ありえないじゃないですか。
友だちは「お前がプロゴルファーになったからそれができるんや」って言うんですね。「ちょっと待ちいな。プロゴルファーになったからそういうことができる。ほんならプロゴルファーになったものが全部そうなるんか?」そうじゃないでしょう? 僕がプロゴルファーになってゴルフだけやってたら映画の話なんて来ないでしょう。テレビ番組のオファー、講演、そんなリクエストおまへんで。プロゴルファーなる前も、なってからも同じようにやってるから、ざーっとその風が吹いていくんじゃないですか。
三原 勇さんという方に香港、オーストラリア、タイ、ハワイに講演会で連れて行ってもらってます。その方が、あるとき言ってくれました。「古市さん、試されてるということだけ覚えときよ」って。試されてるんですって。「古市 忠夫プロゴルファーにさしたろ」「おっ、プロゴルファーなってもおまえいっこも変わらへんな。ほな次こないさしたろ」「タイガーウッズともゴルフさしたろ」「映画もつくれ」「テレビもレギュラー番組持たしたろ」……、ずーっと動いていくんですね。もし僕がプロゴルファーなった途端に「ごめん、町内会長頼むで。消防訓練頼むで」って言ったらそこで終わり。そんな人の映画をつくろうとしませんよね。だから、才能、努力じゃないんですよ。そういう人が寄って来て担いでくれるから、奇跡って起きていくんですよ。

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みなさん、才能と努力と運で奇跡を起こそうと思ってますよね。才能+努力+運、これが奇跡を起こす方程式と思ってません? 僕は違うんです。掛け算なんです。才能×努力×感謝力なんです。ここへ数字を入れましょう。才能、僕が(3)としましょう。一緒にプロテスト受けた2000人の才能は(10)。3倍以上あります。努力、僕が(3)。彼ら(10)。3×3は9、10×10は100。その次にかける感謝力、僕が(10)。彼らは(0、5)やね。かけたら90と50で逆転するじゃないですか。だから僕はプロゴルファーになれたんですよ。
僕の同期に、一緒にプロテスト通った同期に高山 忠洋くん、宮里 聖志くん、それから小田 孔明くんね。それから白 佳和くん。全員シード選手なんですよ。2000人の中で60人が、2000年9月15日プロゴルファーになったんです。新人戦60人でやって私3位ですよ、星野 英正くんにも勝ったんですよ。宮里 聖志くんにも勝ったんですよ。小田 孔明くんにも勝ったんですよ。どう思いますか? 2000人中の3番目じゃないですか。ありえない。まさに奇跡を起こす方程式は、才能×努力×感謝力なんです。
プロテストのとき、通るか落ちるか……、何でわかるか。それは積極性と感謝。このふたつのある人が真の勇者なんです。積極性は歩き方。1mのパッティングを外す。外した後、5cmを片手で入れて物も言わんと歩いていく。10年早い、出直して来い。通る人はどういう態度を取るか。同じように外した。でも10cm。「お先に行かせてもらいます」と、きっちりとあいさつして、きっちりと歩いたらいいんです。積極性がある人はきっちり歩きます。感謝のある人はきっちりあいさつします。これですよ。間違いなしに歩き方とあいさつです。どんなことにも屈しない、そのためにはきっちり歩いて、きっちりと感謝、あいさつです。

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3人の方の作文、絵手紙、詩。
真の勇気、真の勇者の姿が
古市さんの気持ちと重なって……

いまからある中学生の作文を読ませていただきます。彼は、山奥の過疎の全校生徒50人の学校の生徒の1人。その学校の先生が彼を含めた17人の生徒を修学旅行で私のところへ来てくれました。来る前に映画を見てくれてたんですね。僕はそこで、修学旅行生を相手に講演をしました。
彼はね、もうどないもでけんぐらいのワル。先生に怒られたらツバ吐く、親にもツバ吐くんですって。2年生のとき彼は、選ばれて野球部の部長なったんですが、校長先生が野球部を廃部にしようと思ってたんですって。なぜかというと、道具を片付けない。グラウンドにバットやボール、グローブもほったらかしで帰るんで「こんな部はもう認めん」となったんです。でも、修学旅行から帰ったら、このこどもがコロッと変わって……。先生に「おはようございます」、家では「いただきます」「ごちそうさま」と言うようになった。野球部もきちっと道具片付けるようになってた。こどもが変わったんですよ。
「感謝力」です。「奇跡を起こしたいやろ」「甲子園行きたい子おるやろ」「オリンピック行きたい子おるやろ」と。「自分の夢をかなえるにはどうしたらいいんや」と。「才能×努力×感謝力や」と。「朝起きてお父さんお母さんに『おはようございます』って言え」「学校行って先生に『おはようございます』って言え」と。「これを言うだけで、おまえら奇跡が起こせるんや」と。彼はやり出したんですよね。こどもが変わると、家庭が変わります。地域が変わります。学校が変わります。僕はそれまで、おとなを変え、先生を変えてこどもを変えようと思っていました。これはもうほんまに無理です。本に書いてました。「おとなの心は氷。こどもの心は水」って。おとなの心の氷、なんぼ水かけても流れるだけですよね。きれいな心のこどもに水をかけたら、水ですからきれいにどんどん変わっていきます。氷の心を水にしましょう。水にするためにはどうしたらいいんですか。熱湯かけるしかないよね。そんなん嫌やんね。僕は震災で熱湯浴びせられたんですよ。でも、震災のおかげで心を水にすることができた、そんな気がしてます。でも、ややもしたらその水がまた凍ろうとします。凍らないようにするためには、毎日「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」。感謝の言葉を発すれば凍らないんですよ。そんなことにも気がついてきましたね。奇跡を起こすには感謝ですね。

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―感謝の大切さ―(中学生の作文) 
「ありがとう」、みなさんはこの言葉を大切な人に伝えていますか。いま、生を受けて自分が生きていることに感謝を感じていますか。僕は小学校のころ、自分本位で仲間のことを考えない生活を送っていました。「うざい」「きもい」が口癖で、当たり前のように先生に暴言を吐き、誰かに何かをしてもらっても「ありがとう」と礼を言うことなんてほとんどありませんでした。ですから、両親は何度も学校に呼ばれ注意されたり、クラスのみんなにも嫌な思いをさせたり、学校中の人に迷惑を掛けていました。中学校に入学してもなかなか自分本位で、仲間のことを考えられない行動を変えられないでいました。そんな僕を仲間や先生方が支えてくれ、なんとか学校生活を送る中で、少しずつクラスのみんなと協力できるようになっていきました。
しかし、2年生になり3年生が引退後野球部の新部長に選ばれ、部員をまとめる立場になりました。部長として「部員をまとめなければ」という責任に押し潰され、疲れ、イライラすることが多くなり、そのせいで周りの人にきつい言い方をして、周りの大切な仲間を傷つけてしまっていました。いちばん周りに気遣わなくてはならない部長である僕が、全体を支えられなくなっていたのです。
そんなときに神戸の修学旅行がありました。そこである人たちに出会いました。それは阪神大震災でいちばん被害の大きかった長田・鷹取地区のみなさんと、還暦でプロゴルファーになった古市 忠夫さんです。大震災で、家、家族、友人を亡くされているのに、笑顔で元気よく、緊張している僕たちを温かく迎えてくださいました。僕は思いました。「あんなすごい震災に遭い、すべてを失ってもなんでこんな明るく元気なんだろう」と。その理由は古市さんや鷹取のみなさんの話から感じ取ることができました。
すべてを失ってどん底だったときに助けてくれ、物資を援助してくれたのは、仲間やボランティアの方々。「ありがとう」と何度言っても足りない。人間ちっぽけなもので、ひとりでは何もできない。苦しいときこそ、人と人とが支え合い励まし合い生きることが大切。こうしてみんなで支えられながら、いま生きていることに感謝し、勇気を持って積極的に生きることが、いきいきとした人生を送ることに繋がるんだ、と。大きな震災を乗り越えたみなさんの生き方や話。僕の心は大きく揺り動かされました。
さらに、古市さんは続けて「何よりもいまここに生きることに感謝する。つまり『感謝力』が困難を乗り切るために大切である」と僕たちに教えてくださいました。古市さんはすべてを失って58歳でプロゴルファーを目指し「感謝力」でプロゴルファーになられた方です。そして地域のみなさんとふれあい喫茶の活動をしながら「感謝力」でトーナメントに勝利し「感謝力」の大切さをこどもたちに伝えたいと、力強く語ってくださったのです。古市さんやみなさんの話を聞いた後、いつもと何かが違っているような気がしました。部活で野球をやっているとき、感謝の気持ちを行動で表そうと、あいさつを忘れず練習に励み、試合のときは野球を楽しむだけでなく、野球ができることに感謝。そして周りで支えてくれている保護者のみなさん、先生方、チームの仲間に感謝するように変わりました。そんな生活を送っていると勇気が湧いてきました。「僕はひとりじゃない。たくさんの人に支えられているんだ」と。バッターボックスに入っていると、いつも緊張でガチガチになっていた肩の力がすーっと抜けていきました。例え試合に負けても「ありがとうございました」と。感謝の気持ちを心から言うことが何よりも大切なんだと実感できるようになったのです。
古市さんや鷹取のみなさんに出会って、何かにイライラしていた僕が、少しずつですが周りを考えたり、人の話を聞いたり、前向きに物事を捉えらることができるようになってきたのです。仲間にも、家族にも「ありがとう」「おはよう」と相手の目を見て言えるようになってきました。すると周りからも「ありがとう」と言ってもらえるようになり、自分の心が穏やかになっていくのを感じました。古市さんから教わった「感謝力」が自分本位だった僕を変えてくれたんです。
いまの社会、人と人の助け合いや触れ合いがあるにも関わらず、昔の僕のように自分のことばかり考え、感謝することを忘れている人が多くなっていると思います。でも人は変わります。「ありがとう」「おはよう」という感謝の心を表に出す言葉を表現することによって、その人と人が繋がり合いを取り戻すことができると僕は思います。親子での殺人事件や、さまざまな凶悪犯罪といった悲しい事件が続くいまだからこそ、自分の隣にいる家族や仲間に「おはよう」のあいさつや、感謝の気持ちを伝える「ありがとう」の言葉を意識して伝える必要があるのです。
僕はこれからも古市さんや鷹取のみなさんから学んだ、感謝の気持ちを忘れずに、前向きに物事を捉え、感謝の気持ちを表現していきます。それが僕の心の扉を開く鍵になったのだから。

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どうですか。これだけひとりのこどもが変わるんですよ。私はこの手紙、この作文に感動しました。私はこの手紙をいただいてすぐに読売テレビのディレクターに電話しました。テレビ局は取材に行ってくれました。過疎の山奥の中学。カメラが入りました。町中がわーっと騒いだんですって。彼は、すごくうれしい顔をしていたって。あいさつをするだけで人生変わったんじゃないですか。感謝ですよ、がんばれることへの感謝。会社があるから自分はがんばれるんでしょう? コミュニティーがあるから自分はがんばれるんでしょう? その会社に感謝。コミュニティーに感謝。家族に感謝。健康であることに感謝。「ありがとうございます」です。感謝の心は人の心を、大きく、美しく、そして若く、そして強くする。それを彼はわかってくれたんです。ほんまに感動しました。

1枚の絵手紙を読みます。熊本で農業を営んでいるという方が書いたものです。この方、耕運機に手を挟まれ義手になったんです。義手になってから書道の勉強をしたんです。絵手紙の勉強をしたんです。
「人は壁にぶつかると強くなると思っていた。でも私はぶつかる度にやさしくなった気がする。それがうれしい。それがありがたい」
って言っているんです。義手になって感謝してるんですね。いま大きな会館をふたつこしらえて、絵手紙の塾を開いてはるんです。

「壁」っていう詩なんですけど、実は2005年福岡で試合がありました。試合に行きました。膝が痛い。全然打つ気がしない。当たらない。もうスランプだった。練習ラウンドそこそこにホテルへ帰りました。2時前だったと思います。テレビのスイッチを入れたら、この詩が流れてきました。松山市の職員をなさってた方が書いた詩なんです。「大学行って勉強しよう」と進学校に入ったとき、不治の病、筋肉がやせ細っていく病気に冒されたんですね。そして彼は養護学校へ転校です。そこで書いた詩です。

「-壁- 誰にだって大きな壁に当たってくじけそうになるときがあるだろう。でもそれは壁のように見えるけれども、もしかしたら扉なのかもしれない」
ドキッとしました。そうか、扉か。壁じゃないんや。彼の言葉を信じて、私はそれから扉を押した。開かない。押しても開かない。押しても開かない。1ヵ月2ヵ月経ちましたね。あるとき気がつきました。扉に鍵がかかってるんだって。その鍵は「ありがとう」という感謝の鍵だと。お前がいつも言ってる感謝の鍵だと、ガチャッと開きました。9月15日、16日、日本グランドシニアチャンピオンになれました。大きなタイトルが取れたんですよ。ビックタイトル、公式戦のタイトルです。60歳以上のチャンピオンになれたんです。
僕はすぐに彼に礼状書きましたよ。2ヵ月半近く経ったころ、たどたどしい文字で返ってきました。「古市さんの手紙で感動しました。最後に私の好きな言葉を贈ります。『生きているだけで十分しあわせ』」。25歳の青年が、生きてるだけで十分しあわせやって生きてる。教えられることすごくありますよね。

いまから読ませていただくのは、僕が震災後7年に書いた文章です。

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「-7年に思う- 私たちからすべてを奪ったあの日から7年が経った。多数の命を奪った。全財産を焼失した。目の前で私の生まれ育った街は一瞬にして死んだ。目の前には親友の墓標があった。親を亡くした、妻を亡くした、かわいいいこどもを亡くした親友たちがいた。目の前に絶望のみがあった。その見える絶望を見ないで、見えない希望を見た。見続けたら7年が経っていた。7年の歳月は絶望どん底の人の心をいやしてくれた。7年の歳月は失意の塊の人間の心に希望の灯りをともしてくれた。積極的な気持ちと感謝の心を持って、7年間走り続けた。すると目の前が開けてゆくのを感じた。みんなで手を繋ぎ、笑顔で素晴らしい街をつくっていきたい。ぬくもりのある、やさしさのある、そして災害に強い理想の街をつくりたい。希望の灯りをいついつまでも赤々と大きく燃やし続けていこう」。

どうですか? 3人の気持ちとピターッと合ったところありませんか? 真の勇気……「前向きに何事にもくじけないでがんばる人が勇気ある人と思っていた。でも本当に勇気ある人はがんばれることへの温かい感謝の気持ちを持った人であると思います。僕は真の勇者になりたい」。

みなさん阿闍梨さんってご存知ですか。お坊さんのいちばん位の高い方。死ぬか生きるかの1000日回峰。1000日間ものすごい難行苦行をやるんですね。その阿闍梨さんがおっしゃってることと僕が言ってるところが一緒のところがあるんです。「感謝」なんです。
いま仙台にお住まいの塩沼 亮潤さんという阿闍梨さん、一度お会いして喋りたいなと思ってるんですけど。その阿闍梨さんがおっしゃるには、修行できることへの感謝ですって。1000日間吉野の山から大峰山まで何十時間も歩くんですよ、10年かけて。そして、その後難行苦行。四無行と言うんですけど、寝ない、食べない、飲まない、横にならない、9日間やるんです。その四無行をする前に、自分の葬式を先にするんです。ひょっとしたら死ぬかもしれないから。
(中略)
いま、般若心経を毎日朝晩読んでますが、般若心経に書いてある276文字の意味がわかりませんでした。あるとき、新井 満さんが書いた解説書に出会いました。それに、276文字の中には3つのことが書いてあるとありました。ひとつは「こだわるな」。もうひとつ「生まれてきたことに感謝しなさい」そして「自分の役割を果たしなさい」。この3つがあの276文字に書いてあるんです。「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」。心に氷が張らない、水のままでいられるような気がしているんですね。
どうですか、みなさん? 言うだけではあかん。理論があって実践をして結果を残しましょう。理論、実践、結果。技術を向上さす、人格も向上させましょう。そうすると心豊かな人生が生まれる、って。これは本の受け売りでございます。大学の先生に聞いたことです。「しあわせ」「しあわせ」「ありがとう」「ありがとう」の何も怖くない人生が生まれてくるような気がします。

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阪神・淡路大震災の話をさせてください。

僕の住む鷹取地区は震災で全部燃えてしまいました。地震は怖いってみなさん百も承知でしょう。地震から出てくる人為的な災害、火災。生きた人間が目の前で死んでいく、これはもう地獄ですね。なぜ長田があんなダメージを受けたか。災害に弱い街だったんですよ。長屋続き、道が狭い。公園もない。だから火に飲まれてたくさんの家が燃え犠牲者が出たんです。区画整理で道を広げ、公園をつくり、災害に強いハードをこしらえ、そしてそこに住んでいる人間が、防災組織をつくり、触れ合い喫茶をし、人にやさしい街をつくっていく。それはすべて震災からの教訓だと思っているんですね。さっきも言いましたように「放水始め」「放水やめ」って、おばちゃんやおっちゃんでやってるんですよ。若い人は来てくれません。毎月毎月やって、先日16日は、100回目をやりました。そんなことをしてるコミュニティーは日本広しと言えどもないって、消防署の人は訓辞してくれました。

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3つの顔の話をします。人間があんなどん底に追いやられたとき、どんなふうな変わり方をするか。自分だけのことをした顔、家をなくし家族を失っても、一所懸命救助したり消防と火を消した顔。もうひとつ、これがたくさんありました。呆然とした顔です。この3つの顔が私の目の前にはありました。意外な人が意外な顔になります。普段偉そうに言うとった人は、どこ行ったかおりませんでした。あと物資が来たらひとり占めし、物資を売りに行った人もおりました。あるいは水を取って喫茶店をした人もおりました。焼き芋ひとつ3000円で売った人もおりましたね。でも、すべてを失っても街づくりを一所懸命した素晴らしい人もたくさんいました。映画の中にたくさん出てきます、ぜひとも映画『ありがとう』を見てください。災害に強い街をいまつくろうとしています。

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僕のプロテストの最後のシーンを
ご紹介したいと思います。

僕は運は公平にあると言いました。1999年に1回目のプロテスト受けたんです。そのときに2日間2日間2日間で、1次、2次、3次があり、この3次の1999年に行ったときに、もう信じられない、こんな不運があるのかっていうくらいのアンラッキーに出会ったんです。それは、打ったボールが見えてるのに行ったらないんです。フェアウェイの端に見えてるんですよ。でも行ったら、ない。戻って来て打ち直して、5のところ8叩きました。2日間で4オーバーでした。カットラインは無常にも3オーバー。1打足らずで帰らなあかんのです。もうだめなんです。嫁はんはプロテスト受けること、大反対。頼み込んで、頼み込んで「1回だけ受けさせてくれ。落ちたら間違いなしにガードマン行く」そういう約束で受けた。だから「もう1回受けさせてくれ」って僕は嫁はんに頼んだ。そしたら怒ったね。
(会場:笑)
「何考えてんの。約束したんちゃうの?」「俺はな、30年に1回のアンラッキーにおうたんや。30年に1回のアンラッキーのあとは、間違いなしに翌年30年に1回のラッキーが来る」って。
(会場:笑)
もう毎日毎日頼み込んだ。そして2000年にまたプロテストを受けた。2日間、2日間、2日間通っていきました。最後4日間、ここで50位以内に入ったらプロゴルファーなんです。9月の5、6、7、8日の最後の4日間、有馬カントリーの研修生、24歳の若者と一緒にやりました。5日、ラッキーが見えたんです。何だと思いますか? 暴風雨、台風なんです。「よっしゃあラッキーや!」。映画の中では傘差したりなんかしてますけど、実際は傘もさせない。雨でボットボト。打ったボールが木の葉のように飛んでいく。もしいい天気なら若い子に負けます。でも条件が悪くなればなるほど心の戦いです。心とはなんぞや。若い彼らはおどおどしてる。よう歩かへん。「ラッキー!」。6日も豪雨、7日は豪雨に落雷がつきましたね。
(会場:笑)
8日だけいい天気でした。4日間ともいい天気なら間違いなしに僕はプロゴルファーになれてません。彼らの飛距離と100ヤード違います。小田 孔明くん、星野くん、タイガーウッズさんと僕と(の差は)100ヤード。
それでタイガーウッズさんと僕とスコア一緒やもんね。あんまり変わらへん。若い子とプロテスト、変わりませんねん。5日豪雨の中で4オーバー。見たら28位。僕と行動を共にした子は、6オーバー120何位でした。4ストロークの間に100人おりまんねん。1打で25人違うんです。ラッキーですよ。6日豪雨、その中僕1アンダー。ですから(5日の)4オーバーが3オーバーね。7日、これ豪雨に落雷がついて、これパープレイ。だから3日目終わったところで3オーバー。47位タイだったと思います。50位に入ればプロゴルファーなんです。ラッキーですよね。
そして僕が通ったシーン。映画の中のラストシーン「苦しなったら顔上げて、奥歯折れるまで噛み締めて笑うんやで」って言うシーンがありますけど、信じられないシーンでした。最終日3オーバーでスタートし、午前中1アンダーで上がってましたから2オーバー。このまんま行きゃ、プロゴルファー誕生です。でも昼からの10番むずかしい。そこをパーやったんですよ。で、次パー、で12番のショートでバーディ取って1アンダーです。「よっしゃあ!」という気持ちですよね。でもね、バーディ来ても気持ちが高ぶらないと言うかね、スーッと歩けてるんです。もう初日からずっとそうです。雨が降ろうが台風であろうがスーッと歩けていました。そして13番で3メーターほどの上からのバーディパット外したんです。このときだけはいまでも覚えています。これを入れとったらパープレイでもうルンルンで通る可能性あります。でも外した。マイナスのことがピャーッと頭の中をよぎりました。

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ゴルフって、こういうチャンスの後って必ずピンチが来るんです。人生もそうだと思います。そこで次の14番、ていねいに打ったけど、バンカーに入って、出して木の下。4のところ5叩きました。そして、奇跡的な15番、信じられないシーン。映画では最終の18番になってますけど、実は15番ホール。15、16、17、18、あと4ホールパー、パー、パー、パーで上がればプロゴルファーじゃないですか。2オーバーで来てるんですからね。15番でパーンと打ったら最高のショットです。「カーン」、カート道に入ってボールは山の中に入りました。キャディーさんふたりがピャーッと走りました。「ハーッ」、絶体絶命の山の中。「やれやれ」。歩きながら、師匠である寺本 一郎プロの言葉を思い出しました。「苦しいときはニッコリ笑え」。映画では師匠の言葉ではなく、嫁はんの言葉になってました。「苦しなったら、顔上げて奥歯折れるまで噛み締めて笑うんやで」って。「笑え」「笑え」「笑え」って。そのような言葉になっています。
(ボールの元へ)行ったら膝まで……、「え? これ俺のボール?」という感じ。八方塞の松林。
僕がこっちの方へ出そうと思っていたら、いいじまみえこさんがお見えになりまして「古市さんこっち」と4本のクラブを持ってきてくれたんです。これが僕の人生を決めました。普通キャディーさんは「古市さん何番持ってきましょう?」って聞きます。でも、彼女は聞かなかった。ボールを見て戻って4本のクラブを持ってきてくれたことが、人生を決めたんですね。それで「こっちを打て」って言われた方向にやった。自分では選ばなかっただろう、まったく予期しない、9番アイアン。このクラブでガッと来るものがあって、パーンと打ちました。次の瞬間、向こうから悲鳴が聞こえました。「出た!出た!出たよ。花道!花道!」という声援。行ったらピンまで25ヤード。アプローチ「パーン」2段グリーンの上へ着きました。絶対絶命やね。もうちょっと触っただけでピャーッと(下がって)行くライン。でも心の中は、林の中と一緒でおどおどしてません。じっと順番が来るのを待っていました。構えて「ポン」打った途端にボール拾いに行きました。40何年ゴルフをしてますけど、あんなことは初めてです。もし外れてたらいまここにおりません。打った途端にボールを拾ったんですよ。そのとき、パートナーでした武くんと石井くんが言うてました。「古市さん、あの15番ホール、あれ外れる気がしなかった」って。パーです。次パー、次パー。最終ホールもパーです。2mぐらいのパッティング入れました。外した。「すいません。お先に行かしてもらいます」と5cm入れて、クワーッと震えて来ました。「プロゴルファーになれた!」涙がブワーッとあふれました。みんなが終わってからピンを抜いて礼をして、脱兎のごとく走ってスコアカードを出しました。「合格です!」「やったー!」プレスが来ました。「すいません。家に電話さしてください」と電話して、「通ったぞー!」と。嫁はんとワンワン泣きました。この辺は映画の中とちょっと違います。
(会場:笑)
震災ですっごく落ち込んでいた2月末、ある大学の先生が素晴らしいことおっしゃいました。「金銭を失うということは小さなことを失うことである。信頼信用を失うということは大きなことを失うことである。勇気を失うことはすべてを失うことである」と。積極的な気持ち、感謝の気持ち、真の勇気を持ってがんばりましょう。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
こどものときはどんなお子さんだったのですか。

古市さん:
外で友だちと遊ぶのが好きでしたね。特に運動が好きで、勉強は嫌いでしたね。海行ったり、山行ったり。野球、ドッジボールとかも好きでしたね。

お客さま:
男女とも韓国選手が賞金王を取りましたが、日本人との差はなんでしょうか。

古市さん:
よく聞かれるんやけど、最後は心ですからね。心っていうのは儒教。韓国には儒教、日本にはあんまり仏教は浸透してませんな。才能、努力ばっかり。韓国の人の若い人は、目上の人を立てますよね。儒教の教えが最後勝負するんちゃうかな。

お客さま:
「感謝力」という言葉に思い至られたのは、震災後何年ぐらい経たれてからですか。

古市さん:
そうですね。日増しに高まっていきました。自分の力はちっぽけだっていうことがだんだんわかってきましたし。震災から3ヵ月ぐらい経ったころ、ゴルフ仲間に気晴らしに誘われ、ゴルフに行きました。桜が満開でしたから4月の初めごろでしたかね。ゴルフできたことに感謝ですね。泣きながらゴルフしました。そのあたりから、どんどんゴルフできることへの感謝が高まっていき、いつしかフェアウェイに向かって礼するようになりました。終わってから18番振り返ってまたフェアウェイに向かって礼するようになっていきましたね。

お客さま:
ゴルフ場でスタートの前にお辞儀をされます。そのときの気持ちを教えてください。

古市さん:
ゴルフができるということはたくさんのものを充足せなあきませんね。もちろん健康であるということもそう。自分に心の余裕がなかったらゴルフなんかする気ないでしょう。「明日どないして食べるんや」って家族を養わなあかんこと考えとって、ゴルフなんか行く気もしませんよね。無理やり行ってもおもしろくないやないですか。健康であるということ、経済的に恵まれ、そして家族、パートナー、たくさんの人に恵まれ、いろいろなことを充足して初めてゴルフしようかという気持ちになると思います。

お客さま:
うれしいことがあったときにはなんぼでも感謝できるんですけれども、つらいこと、嫌なことがあったときにはなかなか感謝できない自分がいます。そういうとき古市さんが気をつけていることがあれば教えてください。

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古市さん:
人間っていうのはいいときっていうのはよく喋るねぇ。聞いてないのにひとり喋ってますね。ゴルフでもそうですよ。バーディ取ってええスコアやったら、ベラベラ喋って、食堂来ても肩で風切って上がってきてねぇ。
(会場:笑)
大事なのは、いいときもあんまり言わない。悪いときもぼやかない、言い訳しない。淡々とまわる。ぼやき、泣き言、言い訳、これは心に毒飲ましてる。毒飲ますと間違いなしに疲れますよ。心には栄養を入れるだけでいいんですよ。がんばるということ、あるいは本読む、勉強する、栄養入れてるんです。震災前は私も嫁はんにぼやいてばっかり。震災後は違うね。みんなそうだと思います。

お客さま:
スキー部の部長をやっているのですが、やる気を出す方法を教えてください。

古市さん:
何回も言ってるように、感謝だと思うんですけどね。心が肉体をつくるんですね。心が肉体を動かすんですね。心を青春に持っていく、すなわちがんばれることへの感謝を持ってください。

お客さま:
(現在67歳の零細企業のオーナー様より)あと3年でリタイヤ、第3の人生に突入しますが、いまだ何をしてよいか迷っています。ご助言ください。

古市さん:
70歳までがんばれた、それは奥さま、家族、地域のお陰だと思うんですね。そのことへのお返し、それを生き甲斐にしてほしいです。親父が言ってました。「お返しと仕返しは早よせえ」って。
(会場:笑)

フェリシモ:
映画『ありがとう』の見どころを教えてください。

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古市さん:
見てほしいところは、人間が変わっていくところ。街の区画整理の賛否を問うところがあるんですけど、私が司会をしていて、言葉悪いですけど、すっごいもうボンボンやられたんです。映画より、実際はもっとすごい戦いをしたんですけど。そういう中で復興していく、みんながお互いに手を繋いで上って行った……。神戸市ではいちばん早く区画整理を終えることができました。その辺のところをぜひ見てほしいです。

フェリシモ:
たくさんの方々に勇気と元気をわけてくださった古市さんの夢はなんですか?

古市さん:
3つあるんですけど。ひとつはこどもを変えたい。さっきも言ったように、こどもを変えると家庭、地域が変わります。美しい国日本はできると思っています。それから災害に強い街づくり。消防自動車がそこへ来たとき、我々が放水を先にしてる。消防自動車が来るまで、だいたい放水するまで8分。私たち地域が行ってやるとだいたい5分以内にはできます。この3分の差が大きい。そのためには消防訓練に参加する人100人ぐらい集まってもらわなあかんね。おばちゃんやおっちゃん、こども、全部でやっと災害に強い街はできると思っています。ゴルファーとしての夢は、年齢以下でまわるエイジシュート。いま僕は70歳、70のスコアでまわるとエイジシュート達成。それをまわるたびにしたい。この大きな3つの夢を追い求めて行きたいと思っています。

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Profile

古市 忠夫(ふるいち ただお)さん<PGA認定プロゴルファー>

古市 忠夫(ふるいち ただお)さん
<PGA認定プロゴルファー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1940年神戸市長田区生まれ。立命館大学経済学部卒。神戸市長田区鷹取商店街で、カメラ店を営みながら、30代で、ゴルフの魅力に目覚める。阪神淡路大震災で家財を一切失い、以後、地域の復興に奔走。街づくり協議会の副会長として、防災に強い街づくりに取り組み、神戸で震災後、最初に区画整理を終える。その後、自らの復興の為にプロゴルファーを目指す。還暦前となる2000年9月プロテスト合格。主な成績として、2002年関西プロゴルフグランドシニア選手権優勝を初め計、8勝。2004年・2005年には、シニアツアーシード権を獲得。著書・関連書籍多数。古市プロを題材にした「還暦ルーキー」という本をもとに映画化された作品「ありがとう」(主演 赤井英和 氏)は、大きな話題を呼んだ。現在も地元の消防の指導に取り組み、また、一人暮らしのお年よりが集う「ふれあい喫茶」を開くなど、プロゴルファーであることと、地域住民の一人であることを常に心がける。

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