神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「世界中から来てもらえる美術館をつくりたい!」



<第1部>

2年のつもりが30年
カナダ、アメリカでどっぶりと
美術館に情熱を注ぎ続けた蓑 豊さん

最近驚いているのは、「お金を出してあげるから外国行って留学して勉強して来い」と、会社、学校などでそういう話があっても、みなさん辞退しているってこと。「2年、3年留学している間に自分の将来に穴が開きそう、自分の将来が見えない、そんな2年間無駄にしたくない」という思いがあるのかも知れません。人生100年、そういうチャンスって本当に少ないと思うんですね。後から考えて「やっぱり留学しておけばよかったな」っていうのもあると思うんです。私は、そういうことは全然考えないで、アメリカ、カナダに約30年いました。チャンスは二度とないですから、チャンスをくれた人に対しての感謝とその人の顔に泥を塗りたくないという思いで行きました。
1968年の12月11日に、横浜港から船でアメリカへ、約2週間の船旅でした。私が尊敬する先生が「カナダ・トロントにあるロイヤルオンタリオミュージアムにたくさんの中国陶器があるから、それを全部調べてこい」と推薦してくださったんです。船の中にいるとき、その先生から電報が届きました。電報には「学者になるまで帰るな」と一言。「大変なことになったな」と思いました。私は2年間ゆっくり遊んでお金を貯めて、世界一周して帰ってこようと思っていたんです。でももう船に乗ってしまいました。帰ることはできません。「これはもう一生日本に帰れないな」という思いがありました。
そういうことで日本を離れ、英語も全然できなくて、最初に行ったのがミシガン大学。そこに英語の学校があり、3ヵ月ぐらい英語のコースELIへ通いました。ある日、トロントの「カナダ・ロイヤルオンタリオ博物館」の東洋部長から私に電話がありました。まだ英語が堪能でなかった私はしどろもどろ。満足に答えられなくて……。「『もう来なくていい』と言われるんじゃないか」と思ったんですけど「一度見にいらっしゃい」とおっしゃってもらい、トロントへ行きました。それがはじめです。

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みなさん、英語ができないとかそういうものよりも、大事なのはそのフィールドに対して自信を持つこと。絶対にこれは人に負けないというものをひとつ体につければこんなに強いことはないです。もちろん言葉も大事です。語学はひとつの道具ですから。でも、言葉よりもまず自分のフィールドに対しては自信を持つ。私の場合「中国陶器については誰にも負けない」と思って、行きました。
約2年。苦労もありましたが、初めて自分がやっていること、研究していることがこんなに楽しいものかと思いました。そこには素晴らしい図書館もありました。こんなに本に囲まれて勉強したことはなかった。いつも夜中2時、3時まで図書館にいました。自分のしていることの楽しさを教えてくれたのは、トロントだったんですね。その当時のボスが私に「せっかくここまでやったんだからアメリカでドクター(博士号)を取りなさい。ドクターがないと、アメリカではやっていけないよ。一生アシスタントで終わりだよ」と言いました。
その言葉のお陰で「モントリオール美術館」「インディアナポリス美術館」「シカゴ美術館」の部長をずっとできました。これはハーバード大学でPh.D.(博士号)を取ってなかったらできなかったと思います。アメリカというところは、しっかりと自分の仕事をする、残る仕事をすると、また自然にお呼びがかかるんです。野球選手と同じ。3軍から2軍に上がり、最後にメジャーに行ける。私にとっては「シカゴ美術館」がメジャー。トロントで2年間一所懸命勉強し、大学院へ行って自分の研究に対して楽しさを覚えたから、私は6年間続いたのだと思います。
そして、その後帰国。大阪、金沢、またアメリカへ行って、去年の4月から「兵庫県立美術館」の館長をしています。

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美術館が街を変える!
地域の人、街とともに
経済、文化を活性化。

今日は、美術館がいかに街にとって大事かということを知ってもらいたいと思います。大阪で約11年「大阪市立美術館」館長をしました。何とかして天王寺の街のイメージを変えたいと思い「フェルメール展」もやりました。フェルメールでたくさんの人が来てくれたこともあって、天王寺の街も変わりました。そういう経験があって、今度は金沢という自分が生まれた故郷で何か新しいことをしたいと思いました。金沢は古い伝統の街。そんな金沢の街を未来のある金沢にしたい……。そういうことができる最初の美術館でしたから、自分の思いが何でもできたわけです。でも、これは自治体の長の理解がないと、私ひとりではできなかったと思います。市長が、私に120%の権限をくれました。美術館にかける思いを注げば必ず成功すると言うことを市長が理解してくださった、これがすごく大きかった。そうでなかったら、金沢に「金沢21世紀美術館」はできなかったと思います。
アメリカに美術館ができたのは、約140年前。「メトロポリタン美術館」です。アメリカの美術館ができた形成と、日本の美術館はまったく違います。日本は「博覧会」「見せる場所」、しかしアメリカの場合は教育施設を連携しています。必ず美術大学があり、そこに美術館がある。私が10年近くいたシカゴは「The Art Institute Of Chicago」、訳せば「美術研究所」と言われるくらいです。「シカゴ美術館」には有名な古い美術大学が一緒にくっついている。「ボストン美術館」も美術大学が一緒になっている。美術館というものは、美術の本物を見ながら勉強できる、そういう場所。アメリカと日本では、美術館の位置づけが全然違うんですね。

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1959年、みんなが住んでいるニューヨークのど真ん中に「グッゲンハイム」という美術館ができました。ニューヨークの人はびっくりしました。「こんなものいらない」と「こんなもの全然合わない」と、いろいろ文句も出たようですが、いまはニューヨークには「グッゲンハイム」はなくてはならない存在になっています。「グッゲンハイム」は、フランク(・ロイド・)ライトという有名な建築家がつくりました。そして、なくてはならない存在になるには、時代の経過も必要です。おもしろいことにそのスパンは20年。20年後の1977年に、今度はパリに「ポンピドゥー・センター」という美術館ができました。工場みたいな訳のわからない建物です。それが、18世紀ぐらいの古い建物がいっぱいある街に突如現れたものだから、パリの人はすごいショック。「なんでこんなものつくった」と、大反対。それが20年後にやっとおさまり、いまでは、あれがなくてはならない建物になっているわけです。古い建物の中にあるそういう現代的な建物に年間何百万人という人が訪れ、それが街の中心になっていった……。
昔、建築家の夢というと、教会かお城を建てるぐらいでした。それがいま、建築家にとっての夢は美術館をつくることなんです。いま美術館は本当に有名な建築家が手がけています。
「ポンピドゥー・センター」が落ち着いて、また20年後に1997年にスペインのビルバオの街のど真ん中に「グッゲンハイム」の支店ができました。ビルバオは、古い造船で栄えた街。しかし、残念ながら日本、韓国、中国にやられて造船がだめになり、失業率約20%になってしまった。ビルバオの市長が「何とかして文化で街づくりをしたい」ということで支店をつくったんです。もうみんなびっくり。でも、それができてから毎年100万人以上の人がその街へ来てたくさんのお金を落としています。100億、200億円のお金が街に落ち、街は本当に大きくなっていきました。同じ時期にジャン・ポール・ゲティという石油王が、ロサンゼルスの街に山を買って、そこに美術館、修復センター、図書館をつくりました。これらをリチャード・マイヤーという建築家がつくっています。それで、ロサンゼルスが生き返ったわけです。
美術館ができることによって街が活性化していくことがだんだんわかってきたのです。
いままでは20年経たないとなかなか市民に伝わらなかった。それが今度は2000年にロンドンに、元火力発電所の建物を利用しながら、隣に近代的な建物をつくりました。テムズ川の本当に人が行かないところだったと思います。そこに「テート・モダン」という美術館をつくりました。つくったのは、スイス人の若い建築家・ヘルツォークという人とド・ムーロンという2人。美術館ができ、一気に街が変わって、そこでも何百万人が来るようになりました。
このように新しい建物にみんな集まるようになったんですね。

では、スライドを見ながらお話します。

<グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)>
1959年、グッゲンハイムができました。19世紀後半から20世紀の初めにできた高級マンションです。これがちょうど89から90丁目です。歩いてすぐのところに、5THアベニューにあります。これがないとニューヨークじゃないぐらいの建物になっています。

<ポンピドゥー・センター(パリ)>
レンゾ・ピアノのいちばん最初の名建築。

<グッゲンハイム美術館 (ビルバオ)>
スペインのビルバオ。フランク・ゲーリーです。彼の作品は神戸にもひとつあるんですよ。メリケンパークの魚の大きなオブジェ。ご存知ですか。

<ポール・ゲティ美術館(ロサンゼルス)>
1997年、ポール・ゲティがつくりました。この上に上ったらロサンゼルスがきれいに見える観光スポットです。

<テート・モダン美術館(ロンドン)>
2000年。これが火力発電所。これはミレニアムダム、世紀の橋と言われています。渡ったらセントポールという教会があります。

<ニューヨーク近代美術館 MOMA(ニューヨーク)>
2004年にリノベーション。谷口 吉生さんという日本を代表する建築家がされました。これができてから本当にもう人、人、人です、もうずっと並んでいます。

<デヤング美術館(サンフランシスコ)>
テート・モダンをつくったヘルツォークとド・ムーロン。彼は有名になったのはこの間の北京オリンピックの時の蜘蛛の巣みたいな競技場。これができる前は来館者は30~40万人しかいなかったと思うんですよ。しかしこの建物ができてから、年間100万人以上が来るようになりました。

<カルフォルニア科学アカデミー(カルフォルニア)>
美術館の向こうに今度は科学博物館ができました。2008年、レンゾ・ピアノです。

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<ニューヨーク新美術館(ニューヨーク)>
「金沢21世紀美術館」をつくった妹島さんが、ニューヨークのダウンタウン、チャイナタウンのすぐそばにつくりました。この辺にしゃれたレストランやギャラリーができてきたりしています。この美術館がひとつできたおかげで、フランク・ゲーリーも新しいビルもつくっていますから。自然にここに新しい街ができたように、若者が集まるようになった。

このように美術館が街を変えていっているわけですね。

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学校や教会、病院など……
センスある企業が
街づくりをサポートすることで
素晴らしい街が育つ。

いま、日本の学校、幼稚園から小中学高校までの校舎を建て替える時期に来ていると思います。地震対策、アスベスト、そしてこれから生徒も少なくなっていく……。どうせつくるなら、未来のこどもを育てる場所だから、例えば「金沢21世紀美術館」が学校の校舎になるとか、日本中の学校を素晴らしい建築物にすれば、こどもたちの感性が絶対変わると思います。これは100%間違いないです。日本の将来を考えて、たくさんの建築家に希望を与えながら、そういう建築物の中でこどもたちを勉強させたい。これが、私のこれから10年、20年の夢です。それをみなさんも一緒にサポートしてほしいなと思います。
成功している例をお見せします。人口3万8千人くらいの小さな街コロンバスにあるディーゼルエンジン会社「カミンズ」の創始者が「なんとかして素晴らしいエンジニア、いろいろな有名な大学の卒業生をうちの会社に連れてきたい」と考えました。彼が考えたのは、公共の建物に貢献しようということでした。もちろん工事は自治体がする、だけど会社が設計料を出す。その代わり設計は自分たちが選んだ建築家にさせるということでした。建築家に設計させれば、うちがお金を出します」ということを始めました。1942年(昭和17年)のことです。
彼は好きだったのは、フィンランドが生んだ近代建築の父・サーリネン。フィンランドにもたくさんいいものを残しましたけど、デトロイトにあるクランブルックというアートスクールの校舎を手掛けたりしていました。それでサーリネンに会って「ぜひうちの街を助けてくれ」とお願いしました。
最初につくったのは、街の中心にある教会。これから始まって、いまでも新しい素晴らしい物ができています。学校もできています。そういう素晴らしい校舎で勉強した人がたくさんの素晴らしい人間がこのコロンバスから誕生しています。「カミンズ」にもみんな勤めて、会社もアメリカ1のディーゼルの会社になったわけです。日本の「コマツ製作所」とも連携して「コマツカミング」という会社をつくっています。
先見の明のある社長がいたおかげですね。一例をご紹介します。

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<ファースト・クリスチャン教会(コロンバス)>
1942年、これが最初。本当に何もないところ。トウモロコシ畑のど真ん中にサーリネンの大変大事な教会ができました。目の前にあるのは、有名なヘンリー・ムーアのゲートという大きな巨大な彫刻。これは「カミンズ」の社長ミラさんがお金を出しました。

<ノース・クリスチャン教会(コロンバス)>
これがサーリネンの息子の最高傑作。1969年です。エーロ・サーリネン。この教会は祭壇が真ん中にあるんですけど、上が開いているんですね。だから光がさーっと真ん中に入るんです。

<「カミンズ」の工場(コロンバス)>
1950年です。自分の工場をこんな近代的な建物にしています。ハリー・ウィーズという、サーリネンの弟子だと思います。

<消防署(コロンバス)>
消防署もこうなんです。向こうの消防署は全部番号なんですね。これは4番。この消防署はロバート・ヴェンチューリーが設計。1967年ごろだと思います。

<銀行(コロンバス)>
1974年。これもちろん、ミラさんが持っている銀行。ハリー・ウィーズの系統です。

(中略)

<病院(コロンバス)>
病院。川が流れているんですよ、川の橋を利用して精神病関係の病院をつくっています。いわゆる病院らしいものをつくらないんです。こそういうところがこの街の素晴らしさ。「カミンズ」が設計料を払ってくれています。

<市役所(コロンバス)>
日本だと最初に県庁か、市庁舎をつくるかもしれない。ここは1981年にやっとcity hall、市役所をつくりました。超モダン。

<教育センター(コロンバス)>
いちばん最近、2006年です。州の教育センター。普通ならば首都につくるのをこのコロンバスにわざわざこういう近代建築の教育センターをつくった。そういう環境の街で育った子がどれだけすごい人になっていったか……。ミラさんは亡くなっていますけど、その伝統をいまでもこの街は継いでいます。

<錦城中学校(加賀市)>
日本もやればできます。これは安藤 忠雄さんがつくった中学校です。安藤さんの大ファンの加賀市長が、安藤さんにこの街に建物をつくってほしいと……。それで船形の建物ができました。いままではケンカばかりして、窓ガラスは常に割られていたし、落書きはされる。でも安藤さんがつくってから一切そういうことはなくなりました。安藤さんはメンテナンスが素晴らしい人。頼まれれば中学生に講演するんです。あの世界的な有名な安藤さんがつくった建物っていうことで、みんな大事にする。ここから素晴らしい生徒が生まれると思います。

<野間自由幼稚園(伊東市)>
木造の幼稚園です。これも安藤さん。講談社をつくった野間ファミリーの奥さまがお金を出して、自分の土地に、幼稚園をつくっています。こういう環境の中で、20年、30年後にノーベル賞をもらうくらいの知識があるこどもたちが育つのだと思います。

<野間自由幼稚園にある安田 侃の彫刻(伊東市)>
有名な安田 侃さんの彫刻。これ幼稚園の庭にポンと……。

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こどものころから美術館に親しんで
感性を磨いてほしい。

私は、本当にこどもたちが小さいころに感動してほしいと思っています。小さいころに覚えたその感動は一生忘れません。その子は必ず100%自分にこどもができたときに美術館、コンサートにこどもを連れて行っています。これはヨーロッパのデータで統計的にはっきり出ているんです。こどものときに美術館に行っていない人は、100%近く自分が大人になってこどもができても連れて来ていません。このデータは、日本でも同じだと思います。
私が大阪の美術館にいたときに、ある近所の学校に「連れて来てください」とお願いしました。100名近くの小学5年生が来てくれました。ただ、来たら先生は外で煙草を吸って「こどもたち何時にでてこい」それだけです。先生は行かない。先生はただ美術館連れて行きましたよ、というだけ。こどもたちは、美術館に入ったって何にもわかんないです。どうしたらいいか……、私は12種類の絵葉書を買って、ひとりずつ違う絵葉書をプレゼントしました。それで「絵葉書の作品を探しなさい。見つけたらその絵について学校に帰ったら1行でも2行でもいいから書いて私にください」とお願いしました。

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そうしたら目の色が変わる。もう一所懸命! 約70点の作品の中から1点を探すわけです。そうすることによって、普通じゃ見えないものが見えてくるわけです。「あそこに何人人がいた」「あそこに動物がいた」と、みんなはしゃいで探してくれました。で、私のところへ全員が送ってくれました。びっくりしたのが、小学校5年生のみんなは美術館へ初めて行ったと言うんです。すごい衝撃を受けました。これじゃだめだと、何とかしないと……。そしてフェルメールのときに、頭を100回以上下げて2ヵ月半のうちの月曜日の5回、こどもたちのために開けてもらいました。フェルメールの絵は小さいんです。1日1万人以上の来館でしたから、こどもは見たくても見えないんです。感動どころじゃないです、大人の人間の頭しか見えない。学生だけの月曜日の「フェルメール展」、見た人は一生忘れなかったと思います。頭を下げることくらい、未来を考え、こどものためならいい。そういうことがこれからの日本の感動、感性というものです。

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まずは地元・金沢のこどもたちに
美術館に親しんでもらうところから始めました。

「金沢21世紀美術館」は6年目を迎えます。人口45万人もいない街ですが、年間150万人が来てくださっています。
大阪での感動があったから、金沢のこどもたちにも感動を与えたいと思いました。最初に市長に言ったのは「館長は引き受けます。こどもと一緒に成長する美術館をやらせてくれ」ということでした。こどもが楽しい、そういう作品をいっぱい買う。こどもたちが見て楽しい、未来、21世紀です。「こんな九谷焼」「これは重文」「これは国宝」……、そんなものこどもたち全然興味ないですよ。もちろん将来いつかはそういうものに興味を持つと思います。だけど、小さなこどもたちには、いくら説明しても何がいいかわかんないですよ。
「ボストン美術館」のそばにガードナー美術館という小さなプライベート美術館があります。そこのエデュケイション、教育の人がフィルムをつくりました。ボストンだからいろいろな民族がいました。黒人、日本人、中国人、イタリア人もいました。そういう生徒が来て、絵を見ているんですね。で、先生が「どう思う?」と聞いています。こどもたち、みんな違います、もちろん。それでいいんです。日本だと先生が「これがゴッホですよ」「何年にできましたよ」としか言わない。それより自分が感じたことを先生が受けて、それを「ああ、いい質問をしてくれる」「これは素晴らしい」と誉めるんです。別に誰が描こうがいいじゃないですか。ここが素晴らしいんだから、それで十分。そういう教育をしてほしい。答えはひとつだけじゃないですよ。100とあります。美術館に来て、自分が感じたことを、真実を言えばいいんですよ。
そういうことで、金沢にもこどもたちが楽しめる作品をたくさん持ってくることにしました。

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私は「目玉になるような、モネ、ルノワール、誰もが知っている作品を1点買え、お金はいくらでも出す」と言われました。でも、私は「その予算で、金沢の学校のこどもたちを全員呼びたい」と言いました。それをすると5000万円かかります。もう大反対です。それでも「やらせてくれ」とお願いしました。で、こどもたちを全員呼ぶことを3ヵ月の間にやりました。それが、いまの来館数150万人。リピーターですよ!金沢市民が4~5回、少なくとも2~3回は来てくれているんですよ。もちろん外からもたくさん来てくださっています。だけどそれ以上に地元の人のサポートがなかったら、150万人なんてありえない。こどもたちが親を連れてきてくれたんだと思います。そのぐらい市民にとって、美術館はシンボルになるし誇りになっていると思います。
もうひとつ。大事なのはソフト。立派な館だけ建てて、ソフトを何も考えないでやってきた、それがいままでの美術館。建物がどんなものだっていいんです。その前に「どうしたら人が来るんだろう」を考える。これをしっかりとやった金沢の1年半。常に新しく仕かけたことが、いまの150万人に続いていると思います。

<美術館開館までのカウントダウンを知らせる大きな看板が金沢の街にある様子>
言葉のアーティスト・イチハラヒロコさんの何でもない言葉を毎月出して、オープン日まで、カウントダウンをしました。「恋する美術」とか「こんなの初めてですから」とか本当に何でもない言葉です。でも、これを見て「次はなんだろう」「あと何日?」とか、だんだんみなさん興奮してくるんですね。最後は市庁舎に移して、0日には「めでたしめでたし」。こういう何でもないと思うかもしれないことで、金沢市民に「何か起きるな」という気持ちを起こさせたことがよかったと思います。

<金沢市中心部、上空からみた金沢21世紀美術館>
街のど真ん中です。日本の美術館っていうのは郊外へ郊外へと行ってしまった。もうひとつ日本の大失敗は大学を街から離したこと。お金は使わないかもしれないけれど、若い人が街にいるということは大事なこと。それをみんな忘れていってしまった。だから文化が育たないんです。

<「金沢21世紀美術館」の外観>
いままで丸いなんて誰も考えない。屋根は、全部ギャラリーの家なんです。そして、フリーゾーンがすごく多い。中は全部コンクリートのフロアですからいろいろなことができるんです。こどもたちには、美術館ってこんなところなんて思ってもいなかった。
いま「兵庫県立美術館」には託児所もないですから、試験的に託児所もつくっていきたいです。こどもを連れて来ても、お母さんが美術館で楽しめる、そういうことも考えています。

<ミュージアム・クルーズ・プロジェクト>
これはこどもたちを美術館に4万人連れてきた、そのイベントの1コマ。全部海辺で拾ったゴミです。こどもたちが拾ったゴミを集めて、スイスのアーティストが枝を天井から吊るして……。それが花みたいにきれいに咲きました。

<ミュージアム・クルーズ・プロジェクト まるぴぃ冊子>
もう1回券っていうのも反響が大きかった。こどもは自分に券があるというのがうれしいみたい。自分に券があるから持ってくるんですよ。これを出すことによって自分は大人だと。こどもは常に大人になりたい。この心理をわかってもらいたい。大人になっている気分をこどもたちにさせてあげる、この金沢は成功している例だと思います。作品もこども用にわざわざ下げちゃだめ、普通でいいんです。背伸びをしながら、見せるんです。

<美術館の周りに朝顔を植えるプロジェクトの様子>
朝顔。中学生500名に植えさせました。

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<第2部>

スライドの残りをご紹介させていただきます。
去年4月から「兵庫県立美術館」館長として、いままでとは全然違う舞台で勝負しなきゃならない。まずこの安藤建築とどう戦ったかをご紹介します。

<兵庫県立美術館の外観>
2002年にできた安藤建築。美術館のまわりも全部安藤さんが設計。隣に、3on3ができるコートがあります。このコートで、トーナメントでもしたらどうかということになり、神戸が生んだオニツカシューズ「アシックス」にお世話になって実現しました。このように「兵庫県立美術館」にたくさんの人が来るように、いまいろいろ仕かけています。
例えば、まず最初4月に来たときには「ミュージアムロード」の企画があがりました。王子動物園から歩いて南へ20分降りると美術館なんですね。その道に楽しい、ちょっとしゃれた店、ここでしか買えないようなものがある店がどんどんできて、10年、20年後変わればいいなと……。そういう話を安藤さんにすると「神戸のコブシの花を寄贈します」と120本くださいました。しかも「10年間メンテナンス付きで」とのこと。この話を矢田市長にしましたら、早速実現。灘のいろいろな人達ともお話させていただいて、12月18日に命名式をしました。

<対岸にある倉庫>
美術館の対岸にある倉庫。安藤さんは早速自分でペンキを買って塗り直しちゃったんですね。私が来るからって、特別にやってくれたそうです。こういうことも本当に安藤さんと私がうまくいっている理由だと思います。

<ミュージアムロード上空から>
地図で見るとこういうふうになります。世界的なアーティスト村上 隆さんに頼んで、彼の中野の店をまずここでやってもらおうかと考えています。

<さまざまな来館者向けイベント 年間100回以上の開催の様子>
市民と直結する美術というのをがんばってやっています。外の客を呼ぶことも大事ですけど、それ以上に地元の人がリピーターにならないと入場者が増えません。年間100回毎週コンサートをしています。クラシックが無料で聴けます。こういうことはほかの美術館では考えられないことだと思います。

<大階段をステージに>
こういう階段ももっと使いたい。この間はニューヨークのダンスチームが来てくれました。彼らは階段を使ってくれて、こういうパフォーマンスをやってくれました。

<3on3 ストリートバスケットボール大会>
この間のイベント3on3。500名も来てくれました。

<ミュージアムシブラ>
エントランスが暗いので、明るくしようと……。プラズマさんに頼んで、円形のテレビスクリーンをつくり、常に新しい案内をしようと考えています。

<ロックフィールドの灯り(仮称)>
こういうライトで正面の入り口までを繋ぎたいなと考えています。「ロックフィールド」の岩田さんに「ロックフィールドの灯り」、ぜひやってくださいといま頼んでいます。実現したらこどもたちがこの自然に光に導かれて美術館の中に入ってくれると思っています。

<「兵庫県立美術館」の上にアヒルのオブジェが置かれている図>
こういうことも考えています。兵庫県立美術館の屋上が、王子動物園からちょうど見えるんですね。それで、こんな目立つものをやりたいと考えました。これは、中ノ島で浮かせてすごい人気があったオランダのアーティストのダックなんです。早速会いに行って「これを屋根の上に上げてくれませんか?」とお願いすると「ダックは水の上がいい」と……(笑)。なのでいま違うデザインを考えていただいています。できあがるのは夏ごろだと思います。

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「兵庫県立美術館」はを、これからますます賑わいのある美術館にしたいと思っています。

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お客さまとのQ&A

お客さま:
蓑さんの好きな美術館と作品は?

蓑さん:
<小学校(コロンバス)>
これは先ほどのコロンバスの残り。小学校です。この学校もおもしろい。学校らしくない、学校です。

<W.D.Richards小学校(コロンバス)>
これも小学校。1965年。全部木造です。何度も言いますが、こういうしゃれた建物でこどもたちを学ばせられたらいいなあと思っています。

<クラーク美術館(ウィリアムズタウン)>
ボストンから3時間ぐらい、ずっと西へ西へと向かえば、ウィリアムズタウン。そこは大学の街で、有名なウイリアムズカレッジがあるんです。その街に「クラーク美術館」があります。「シンガーミシン」っていう世界中に広まった大企業の方がこの美術館をコレクション。特にルノアールの絵は、世界でいちばん素晴らしいものを持っているんです。

<クラーク美術館の周りの様子>
このすぐそばに蓮池があって、みんなピクニックしたりしています。で、ちょうど建物が見えます。あそこに2014年に安藤さんが、新しい「クラークの美術館」をつくります。ですからその前に作品を借りようと、このクラークの作品が「兵庫県立美術館」に来ます。

<ゴッホの絵 オールブライト・ノックス美術館所蔵>
ナイアガラの滝で有名なバッファローという街にオールブライト・ノックスという美術館があります。

<ゴーギャンの絵>
これは有名なポール・ゴーギャンの初期の作品。

<スーラの絵>
スーラの作品。

<カンデンスキーの絵>
カンデンスキー、特にこの初期の作品が4月にたくさん来ます。

お客さま:
蓑さんのモチベーションを維持する方法、ツボがあれば教えてください。

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蓑さん:
常にこういうことをしたらおもしろいな、なにかこうやったらどうかな……と考えています。睡眠時間もあまりとっていなくて、寝ている時間も何か考えている感じ。常に走っています(笑)。何かを考えるということが私のモチベーションじゃないですかね。

お客さま:
次に新しく美術館を建てるなら誰に設計をお願いしたいですか。

蓑さん:
むずかしいですね。「金沢21世紀美術館」をつくっていただいた妹島さん、それから西沢さん。妹島さんの先生で伊東 豊雄さんという方もおもしろいかなと思います。もうひとりは、私が本当に好きな建物は高知の山のところに昔有名な植物学者の牧野さんっていましたよね。牧野さんの植物園、研究所みたいなとこがありまして。本当にいばってなくていいんです。そこは内藤 廣さんという建築家がつくられました。京都だと最近見たら「とらや」というお店も彼がやってると思います。そういう人につくってもらったらおもしろいなあと思っています。

お客さま:
蓑さんがご自身の感性を育てるためにこれまでしてきたこと、いましていることを教えてください。

蓑さん:
私の場合は、家が美術品に囲まれていました。それからお茶をずっと両親がやっていたので、大学から5年ほどお茶のけいこをやっていました。常にそういう世界に入っていたことが、いまの私に繋がっているがいると思います。
それと私が中学のときに、西洋美術館でクールベの絵を見た、あの衝撃がすごく大きかった。そのころから「将来こういうことができたらいいな」と思っていました。やはりそういう小さいときから本物に接するところから感性は磨かれます。でも誰もが私みたいな環境で育ってないですから、小さいときから親が美術館へ連れて行く、そういう習慣をつけることによって、いい感性が生まれるんじゃないかなと思います。

お客さま:
現代美術は敷居が高い印象です。現代美術を楽しむヒントを教えてください。

蓑さん:
むずかしく考えないこと、に尽きると思います。

フェリシモ:
最後に神戸学校からの質問です。文化や地域を支える当事者として、私たちひとりひとりができることは何でしょうか。

蓑さん:
何でもできますよ。いろいろなことをして、やったからには中途半端にやめないということ、すごく大事です。
学生を見てると「もう今学期は書けない。だから延期してくれ」というのがすごく多いんです。それはわかる。でも私は絶対にそれはしなかった。いますごいいろいろな原稿書かされて、本当につらいんですけど……。期限を守るために何が大事かというと、早く終えちゃうこと。いま朝日新聞から頼まれた連載書いているんですけど、書き出したら4回やってくれというと、4つのペーパーをその1週間でやっちゃうんですね。そうするともう安心。すると次頼まれるとまた書ける。延ばし延ばしすると絶対に終わらない。ひとつひとつをちゃんとやる。そうすると「この人に任せたら絶対やってくれる」となるでしょ。そういうことをやることがすごく大事だと思います。みなさんもやると言ったことは投げ出さないで、頼まれた仕事は早くやる。すると次の仕事がまたできるから。
また「兵庫県立美術館」を常に100万人が来るような美術館にしていきたいと思っています。がんばりますので、みなさんサポートをお願いいたします。

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Profile

蓑 豊(みの ゆたか)さん<兵庫県立美術館 館長>

蓑 豊(みの ゆたか)さん
<兵庫県立美術館 館長>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1941年、金沢市生まれ。65年、慶應義塾大学文学部卒業。69年~71年、カナダ・ロイヤルオンタリオ博物館(トロント市)東洋部学芸員。76年、ハーバード大学大学院美術史学部博士課程修了、翌年同大学文学博士号取得。76年~77年、カナダ・モントリオール美術館東洋部長。77~84年、アメリカ・インディアナポリス美術館東洋部長。85年よりシカゴ美術館に勤務し、中国・日本美術部長、東洋部長(94年まで)。95年に帰国後は大阪市立美術館長、全国美術館会議会長などを歴任。2004年4月「金沢21世紀美術館」館長に就任。同時に金沢市文化顧問を務め、05年4月より金沢市助役も務める。07年4月より「金沢21世紀美術館」特任館長、大阪市立美術館名誉館長となる。07年、歴史ある世界的なオークションハウスであるサザビーズ北米本社副社長就任。2010年4月より兵庫県立美術館館長に就任。

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その他のゲスト

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