神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。
<第1部>
今日は、いままで生きてきた自分といま自分が描いてる未来を、みなさんに伝えられたらなと思います。
福井県生まれ、いま30歳です。さっきも紹介してもらったように、肩書きはいろいろな人が付けてくれています。「詩人」って言われたり「社長」と呼ばれたり……。最初、僕は自分がつくった作品を路上で売りました。自分で写真を撮って、詩を書いて、それをひとつの作品にして売りました。
先月の2月15日で、会社をつくって10周年を迎えました。最初は僕ひとり。いま、会社の仲間は社員60人。明後日になると11人の新入社員が入り71人になります。
これは、宮古島にみんなで社員旅行に行ったときの写真です。みんなで心をひとつにして撮りました。みんなの足がそろうまでだいたい2時間かかります。社員旅行に来てるのにみんな跳ばされて……(苦笑)。
2年前です。これで44人かな。これも2時間かかりました。
去年の10月。55人います。5人は会社で留守番でした。今年は社員も増えるので、またみんなでジャンプしたいなと思っています。最近は学校や学級でジャンプした写真を送ってきてくれるので「おー! いいなー」と思っております。ぜひみなさんも、会社とか家族でやってみてください。
うちの「いろは出版」という会社には5つのブランドがあります。1つ目は「キムカンパニー」。さっき紹介した僕の写真とか詩です。僕の夢は世界中を笑顔にすることなので、世界の笑顔がマークになっています。
(スライドにて作品の解説)
どきどきさせてますか?
これ僕の息子です。お風呂に入っているときです。生まれて1週間でこんなオッサンみたいな顔するんかと思ってびっくりしました。僕も負けずにグレートにならなあかんなと思ってつくりました。いまはもう9歳。小学校4年生になります。
どういうときに写真を撮るかというと「こういうポーズして」とかじゃなくて自然に……。これみんなで「さあ飲みに行くぞ」って駅で集まったとき、僕が「パシャパシャ」って撮るような感じです。
友だちカップルと僕が車に乗ってて、僕がお手洗いから帰ってきたら2人がチューしてたから窓越しにカシャカシャ、隠し撮り。気づいたときにはロフト、東急ハンズで売られています。
(会場:笑)
このカード、大ヒット。10万人ぐらいの方が持ってくれていると思います。「2人が別れたらどないしよ」と思ったんですけど、2年前に結婚しました。
失恋をした後輩を励ますように書かせてもらいました。みなさんが友だちとか、周りの人を励ますのと一緒です。
幼なじみがずっと甲子園を目指してがんばっていました。でも県大会の準決勝で敗れて、甲子園の夢は途絶えた。でも「先生になって甲子園へ行くんや」って次の目標をみつけて、大学で教育実習をしているときに「道徳の授業するから書いて」と頼まれ、つくりました。これで授業をしてくれました。
詩は全部僕が書いていますが、写真は相棒の矢谷君が撮っています。
これは最近出した本。父と母に書いた詩です。うちの親は心配性なんです。「心配する」って言葉、あまりいいイメージがなかったけど「心を配る」やったらいいなと思って……。感謝を込めて書きました。
「いくつになっても夢を追いたい
いい年してと言われるくらい
子供みたいに目をぎらぎらさして
元気に素直に力いっぱい夢を追いたい きむ」
これが初めて出させてもらった『想い描く世界に』という本です。
「どういうことが伝えたくて詩を書いているんですか」とよく聞かれます。「どきどきさせなくちゃ」と思ってるから「どきどきさせなくちゃ」と書いてるだけで、よくわからんなあと思っていたんですけど、ある日いままでつくってきた作品が足跡みたいに見えて、自分の歩きたい方向が見えたような感じになりました。「僕はあなたの生きる今日が素晴らしい」と伝えたくて、詩を書いてるんだんということに気づかせてもらって……。それで、この2作目をつくらせてもらいました。こうやっていろいろな本があります。これは、会社創設10年を記念して10年の感謝を詰め込ませてもらった本です。
いろいろなアスリートに会わせてもらって、詩を送らせてもらいました。
この本を作らせてもらったきっかけが、バレーボール選手の栗原 恵さんでした。北京オリンピック前にフジテレビの人が会社に訪ねてきてくれて「めぐちゃんが、きむさんの本が好きだというので、試合の前に励ましに来てくれませんか」と。それで行かせていただきました。詩を贈らせてもらったら、めぐちゃん、涙を流して喜んでくれました。その横で、フジテレビの人はもっと号泣してて……(笑)。
これがめぐちゃんに送らせてもらった詩です。
これは(陸上選手の)朝原 宣治さんが北京のオリンピックでメダルを獲られて、引退された4日後。光栄なときに会わせてもらって、詩を送らせてもらってうれしかったです。
(中略)
いろいろなアスリートに贈らせてもらった詩を作品にさせてもらいました。
(スライド:ダイヤモンドがプリントされているTシャツ)
ダイヤモンド付きのTシャツが2800円。
(スライド:マイクがプリントされているTシャツ)
どこでも歌えるTシャツが2800円。
これはHAPPY BIRTHDAY Tシャツ。自分が誕生日で、向こうからこのTシャツ着ている人が歩いてきたら知らん人に「おめでとう」って言われてる感じ?
かわいいバッジもあります。ひらがなで「り」と書いてあります。なぜ「り」と書いてあるのでしょうか。
会場のお客さま:
「ばっちり」
正解! 頭やわらかいですね。「バッチリバッジ」です。
(スライド)
似顔絵も描かせてもらっています。結婚式のウェルカムボードです。似てるでしょう。最初僕が路上でポストカードを売っている横で、(会場の)ここにいるきよりちゃんが、一緒にいて横で似顔絵を描いてくれていました。そのとき「似顔絵ってこんなに喜ばれるんや」と思って、それで、似顔絵とその結婚式という大事な日を結びつけるウェルカムボードをつくるようになりました。あと、家族の記念日、結婚記念日に贈らせてもらったり、イベントも開催しています。いま10人の作家が描いています。
「日本ドリームプロジェクト」として、7年前から「あなたの夢は何ですか」といろいろな人に聞いて、夢を書いてもらっています。最初の3年でつくらせてもらったのが『1歳から100歳の夢』。1歳の赤ちゃんから100歳のおじいちゃんおばあちゃんまで、ひとりずつ100人の方の夢が出てくる本です。
1歳、僕の息子です。親バカですが、ここからうちの息子の可能性を感じるわけです(笑)。
学校の授業でみんなに夢を書いてもらいました。次の日、先生が「お父さんに見せてあげた? 何て言ってた?」って聞いたら「おとうさん泣いてた」って。そりゃそうやろうなあ。こどもって、ちゃんと親の背中を見てくれてるんやなあ。改めてがんばろうという気持ちにもなる。家族に夢を伝えるということをやっていると元気が出てくるんやなあということも教えてもらいました。
それから、14歳、20歳、24歳、25歳、38歳、53歳、71歳。
71歳のおじいちゃん。68歳から自転車で日本を何周もされています。「日本を元気にすることがしたいなあ。自転車でよし日本を1周しよう」と思ったらしいです。「10周するのが夢」やと言ってはりました。初めてお会いしたときは5週目。7周目のとき、うちの会社にも寄ってくれました。「おじいちゃんの行くところは福が来る」って、自分で言ってはりました。
93歳。写真を撮りに伺ったとき「娘さんかな」と思ったら、この方でした。93歳に見えない、肌つやつや。
80代、90代の夢を書いてもらったおじいちゃん、おばあちゃんに共通していたことが全員日記を書いていたことでした。書きながら「明日こんなことしたいな」とか「今日こんなことがあって、こう思ったな」っていうことを知ることによって、未来が描けるんやなあと思いました。「書く」ことによって自分を見つめ直せる、日記っていうのはすごい大事なんやなあ。みなさんも、おじいちゃん、おばあちゃんに、長生きの秘訣=「日記」をすすめてください。
100歳。『1歳から100歳の夢』を締めるには素晴らしい夢を書いていただいたなあと思いました。夢に「自然と同じかと思う」という言葉があるんです。僕はその言葉を「人間も自然と同じかと思う」というふうに捉えさせてもらってます。最初、宇宙ができて、地球ができて、そこに海ができ、進化して僕らがいまいるんですけど、もともとは自然の一部で……。100年っていう年月を生きはったちとせさんが言うからこそ伝わる言葉やなあと思いました。
この『1歳から100歳の夢』で、いろいろな人に出会わせてもらって、いろいろな人生、いろいろな夢、可能性があるんやなって教えてもらいました。いろいろな人の夢を聞くことによって成長させてもらいました。この本をつくって、いろいろな人から言葉をもらいました。すごく印象に残っているのが「きむくん、この本は歳をとる度に、読み方が変わる本だね。1つ歳をとったときに、いままで、この人の夢に共感しなかったけど、いまは共感するとかあるんだよ」って言ってもらいました。いい言葉をもらったなあと思いました。
そこから派生して、まずこどもたちに夢を持ってもらおうと思って、日本ドリームプロジェクトメンバー6人が、47都道府県ひとりずつ1年中駆けずりまわって夢を集めさせてもらいました。16808人の小学生、中学生、高校生、先生に夢を書いてもらいました。そこで知ったのはいまの教育の現状。当時テレビで「いまのこどもは夢がない」とよく報道されていたんです。でも取材した16808人の約9割の子はちゃんと夢を書いてくれました。残念ながら、残りの1割の子は「夢がない」と書いてたんですが、でもその1割の子の、1600人の9割の子は「いま夢がないから夢を見つけることを夢にしたい」って書いてくれたんです。やっぱり、こどもはみんな「夢を持ちたい」「夢を探したい」と思って生きてるんですね。だから、もっともっとこどもたちが夢を見つけられるような環境、学校をつくっていくべき。「人生」という授業があってもいいし「道徳」の授業をもっと発展させてもいい。「夢」っていう授業でもいいかもしれません。人との出会いの中にあるコミュニケーションで夢も見つかっていくでしょう。人生というものの考え方を伝える授業が必要なんじゃないかと思いました。学校の先生、特に20代の先生は僕のことを知ってくれているので、若い先生方と協力して日本の未来がこどもたちのためになるような授業ができるといいなと思っています。
こうやって「ドリームプロジェクト」はいろいろな人の夢を聞いて、夢の本をつくることによって、夢を考えるきっかけづくりのお手伝いをしています。うちは「キムカンパニー」「AIUEO」「WORLD1」「ドリームプロジェクト」、でもうひとつデザイン部があって、企業さんからデザインの依頼をしてもらったりとか、こちらから「こんなおもしろいことしましょう」と提案してお仕事させてもらっています。この5つのブランドで「いろは出版」を運営しています。
僕の夢は世界中を笑顔にすること。詩人としても詩を書いたりはしているんですけど「いろは出版」っていう会社が僕が死んだ後もみんなを元気にしたり、笑顔にしたりすることをし続けてくれたら、何かを残せるものじゃないか、と思って会社づくりという夢に向かってがんばっております。いまはまだ小さい会社ですが、夢だけはいっぱいあるんで、世界中の人につながれるような会社にしていきたいなと思っています。
僕が、夢を持つようになったきっかけ、僕の夢履歴みたいなものをお話しします。小学生1年生のころは将棋棋士になりたかったんです。誕生日が羽生さんと同じだったから(笑)。小学校1年生の時に将棋の大会に出て、1回戦で負けて悔しくて、ひとりで練習して、おじいちゃんに練習相手になってもらって……。で、2年生のときには6年生を倒して優勝しました。「将来は将棋棋士や!」と思っていたんですけど、4年生のとき喘息になって、よく病院に運ばれていたんですね。そのときの先生が「喘息には水泳がええで」って言ってくれて、それでスイミング始めました。ちょうどバルセロナオリンピックで岩崎 恭子ちゃんが金メダルを獲ったころで「僕も水泳でオリンピック行って金メダル獲ろう」と思って(笑)。週3日スイミングをがんばっていました。6年生のとき、バスケットボール大会があって仲間で何かをすることの楽しさを覚えました。「よし、将来はNBAや」と中学校に入学。中学校の進路希望調査で「第1希望アメリカ、第2希望アメリカ、第3希望アメリカ」と書いて、先生苦笑い。で、僕はマイケル ジョーダンに手紙を書くわけです。「僕はあなたを超える逸材です。僕にバスケを教えてください」って日本語で、しかも50円葉書で(笑)。そんな僕は、中3の最後の大会、ユニフォームももらえずに、観客席で応援していました。そんなふうに中学校のバスケは終わりました。それで、また進路希望調査。僕は「第1希望アメリカ、第2希望アメリカ、第3希望アメリカ」と書き、先生に「ユニフォームもらえんやつが、バスケ選手になれると思うか」と言われました。それでも僕は「なれる!」「アメリカへ行く」って言って……。新任2年目の先生は「どうしたらいいんやろう」と泣いていたそうです。
ある日、若狭高校の前通ったら、あこがれの先輩がいて「木村君うちの高校のバスケ部入るんやろ」って声をかけてもらいました。舞い上がって「もちろんです!」って(笑)。それで、先生に「僕、若狭高校行くわ」って話すと「木村、アメリカもむずかしいけど、若狭高校も同じぐらいむずかしいぞ」って……。
(会場:笑)
「勉強がんばるわ」と本当にがんばって、若狭高校に行くことになりました。高校でも「将来バスケット選手になる」って豪語。でも、残念ながら高校でもレギュラーにはなれなくて……。僕、ほんまにNBAにデビューすると思って生きていたんですよ、中・高6年間。だから「これからどうやって生きてったらいいんやろう。アメリカ行く予定やったのにどうしたらいいんやろう」と途方に暮れて、1週間ぐらい泣いてたんです。
そんなときに、たまたま学校に先輩が遊びに来てくれたんです。僕が夢がなくなってしまったことを話すと「きむが夢に向かってがんばっとったことが大事なんやで。きむが夢に向かってがんばっとったことが金賞で、かなうかどうかの結果は銀賞やから。無駄な努力なんてないんやで。いつかわかる日が来るよ」と言ってくれました。そのとき、僕にこの言葉の意味はわかりませんでした。誰よりも練習したし、誰よりもバスケのことだけは考えたという自信はあった。それがすべて無駄になったと思ったんです。だから「無駄な努力なんてない」という言葉だけは、僕の真っ暗な心に光のように射しとって、すごく救われた。バスケットに打ちこんだ6年間をその一言で認めてもらえたんです。
その先輩が詩を書いていたから「僕も書いてみるわ」って書き始めたのが、詩を書くようになったきっかけです。そのころは、詩人になるとか、本を出すとかまったく思ってませんでした。国語も赤点やったし(苦笑)。でも、書くことが楽しくて、こんな感じで書いてました。
(スライド:高校時代に書いたイラストと詩)
「自分のまわりや
自分のなかで
あたりまえにあるほど
大切なものはないんだな」
「四億八千万才の地球にくらべたら
人の一生なんてあっというまだけど
そのあっとゆうまていう
その一瞬だからこそ光りたいんだな」
「ぶつぶつおもうと
ぶつぶつにきびがでるんだな」
そして、大学の進路を決めなあかんとき、インテリアに興味があったので「将来、家具職人になろう」と思って、友だちから「京都の芸大にインテリア科あるで」と言われて「京都造形芸術大学インテリア科」に自己推薦という枠で、入学しました。
大学に行きながらも、僕は、詩を書くことを形にしたいなと思ってポストカードをつくりました。友だちの家の押入れからプリントごっこを出してきて、つくって、できあがったら浜辺に行って水着のお姉さんに「買ってくれ」ってね(笑)。それから駅に行って女子高生とかに「買ってくれ」ってね(笑)。売れんかったけど、自分がつくったもの見てもらえるって楽しいなあと思ってやってました。
それから、写真の上に文字をのせてみたり、親父の一眼レフをもらって写真を撮ったり、友だちの矢谷君と写真を見せ合うのが楽しくて。毎日毎日写真を撮ってました。そして大学2回生夏、友だちが買ったパソコンで、初めて自分の詩と写真を合わせたポストカードをつくりました。
それがこれです。学校でみんなに見せたら「いいやん。感動した」と言ってくれて……。調子に乗った僕は「知らん人に見てもらってくるわ」って言って、路上販売を始めました。
懐かしいー。最初はなかなか人が立ち止まってくれなくて。種類も増やして、友だちにサクラをしてもらったりしているうちに、だんだん人が立ち止まってくれるようになりました。大学生の子が「感動した」って泣いてくれたり、おっちゃんが「忘れていた心、思い出したわ」って言ってくれたり、80歳ぐらいのおばあちゃんが「ええこと書いとるね」って言ってくれたり……。うれしくて、楽しくて、学校に行かずに路上でポストカードばかり売ってました。そして、その後、京都のお店に置いてもらうようになりました。路上で出会う人が僕のポストカード1枚1枚を見て笑顔になってくれるその笑顔を自信にさせてもらって、自分の会社を始めました。それが10年前、短大卒業間近の2月15日でした。卒業してすぐ、彼女が妊娠、結婚。こどもも生まれるし、家族のためにもっとがんばらねば……と九州1周営業の旅にでかけました。京都に帰ってきた日がたまたま9月11日、ニューヨークの同時多発テロがおこった日。僕はそれまで社会情勢、世界情勢とかまったくわからず生きてきて、でもこんなことが起こる地球に住んどんやということを教えてもらった。奥さんのお腹の中には、息子がいる……。たまらんなと思ったらもうどうしようもない気持ちになって、どうやったらこどもを守れるんやろうと考えさせられました。でも、すぐ世界を変えることはできなくて「僕はちっちゃいなあ」と思って、無力感に押し潰されそうでした。しばらく悶々としてたんですけど、自分なりに答えを見つけました。とりあえずいま自分でポストカードをつくっとるし、いままでどおりこれを届けるしかない。それで誰かが喜んでくれたらいい、ひとりひとりを笑顔にしていこうと思いました。そんなふうに考えていたら「世界中の人が目の前の人を笑顔にしようとしたら世界中笑顔やんけ」っていう謎の掛け算ができあがって……。「じゃあ、世界中を笑顔にしよう」と思いました。そしたら、どんどん仲間が集まってきてくれました。
(スライド)
これは最初に出させてもらった『想い描く世界に』っていう本のあとがきです。
「今、世界のどこかで誰かが泣いている
今、世界のどこかで誰か笑ってる
泣いている人より笑ってる人が多ければいいな
失望してる人より希望を持ってる人が増えたらいいな
少しでも 世界が良い方へ行ったらいいな
少しでも 想い描く世界になるといいな
みんなが手をとりあって楽しい世界になればいいな
我々kimcompanyそういうことをやれたらいいな
我々kimcompanyそういうことをやって行こう 」
『想い描く世界に』を出したときの初めてサイン会で、ひとりのお客さんが「きむさんって夢がありますね」って言ってくれました。僕は、バスケ選手が夢やったんやけど、詩を書いて、本を出して、会社をつくって……というのは夢やと思ってやってなかった。ただ、楽しいからやってた、いろいろな人が喜んでくれるからやってた。でも、お客さんからは、僕に夢があるようにみえるんやなあと驚いたんです。高校のときに「無駄な努力なんてないんやで。きむが夢に向かってがんばっとったことはいつか人生の役に立つんやで」という先輩の言葉は、こういうことやったんやと思って鳥肌が立ちました。「知らん間に夢見つけとったんやな。中学・高校ずっとバスケットという夢に向かってがんばっとったけども、知らん間に笑顔っていう新しい物と向き合って、そこに向かってがんばれとったんやな。ひとつのことをがんばる力というものをバスケットに育ててもらったんやな」と思いました。
僕が目の前の人を笑顔にしたいと思ってやってることが、人から見たら夢に見えるんですね。それを夢って言っていいんやって思ったら「みんな、夢あるやん」って思ったわけ。そこからいろいろな人に「夢は何ですか」って聞き始めました。
僕の相棒の矢谷君はお父さんに「夢を書いて」って頼みました。1時間後お父さんから届いたファックス見て矢谷君は「親父がこんな夢持っとるとは知らんかった。急に親父が身近に感じられてきて泣けてきたんじゃあ」と岡山弁で泣いていました。そうやって感動できるんだと思うと、夢を伝えるってすごく大事なんやなって思いました。それで「1歳から100歳の夢つくろう」ってなったわけです。
『1歳から100歳の夢』をつくらせてもらって学んだことがあります。1歳から100歳の方3000人に夢を書いてもらいました。その文章によく出てくる言葉があるんです。
(0歳~35歳)
若い世代には「夢」という言葉がたくさん出てきます。
(35歳~70歳)
この世代には「しあわせ」という言葉がたくさん出てきます。「いまこうやって家族でご飯が食べられることが幸せや。これからもこれを続けていきたい」とか。
(70歳~100歳)
この世代になると「感謝」という言葉がたくさん出てきます。「毎日毎日家族も優しくしてくれてありがたい」。「日々感謝」。「これからも感謝して生きていきたい」と。
「夢」、「しあわせ」、「感謝」。夢に向かって生きる中で、しあわせやなあと思って。で、やっぱり「ありがとう」って言えるんやなあと。そしたらまた新しい夢が見つかる。つながってる、そう感じました。
じゃあ、「しあわせ」って何やろうって思ったときがあります。「生活」という字があるんですね。例えば、僕やったら自分がつくった本が、誰かの心に届いた、うれしい。その本は僕が一所懸命生きるから生まれた。その本が、誰かの人生に生かされたときに、しあわせやなって感じられるんやなと思って……。「生きて活かされる」=「生活」という言葉はよくできとるなと思います。そして、一所懸命生きるためには夢が必要なんやと思いました。ただ「生きろ」と言われてもわからんし。「あそこに山がある。登れ」と言われても嫌、でも「あそこの山の頂上にはおいしい水がある、素晴らしい景色がある」そう思ったらがんばれる。やっぱり人生に夢は必要なんやなと思います。
夢に向かって生きるということは一所懸命生きるってこと。もちろん苦しいこともあります。でも、あまりがんばってないのに「ありがとう」って言われてもしあわせじゃない。苦しいこともある、悩みもある、けどがんばる、そんな中で出会う「ありがとう」だからこそ、しあわせを感じるんやろなと思います。
一所懸命夢に向かって生きること、ひとつ。しあわせを感じて生きること、ひとつ。「ありがとう」っていう言葉になるべく出会えるようにすること、ひとつ。この3つを大事にしとったらいい人生、いい生活っていうのはつくれていけるんじゃないかなと思いました。
夢の本では、本当にいろいろな発見があります。これは『アスリートの夢』で発見したことです。中学校に講演に行かせてもらうんですけど、こどもたちに「夢と目標って何が違うの」とよく言われていました。似てるようで違う。でも、この『アスリートの夢』で、いろいろなアスリートに出会わせてもらって、夢と目標の違いがはっきりわかりました。
(スライド:アスリートの写真)
これは水泳の入江君。阪神タイガースの新井さん。2人の夢がすごくわかりやすかったんで紹介させてもらいます。
最初に入江君に「目標は何ですか」って聞くと「ロンドンオリンピックで金メダルを獲ることです」って答えてくれました。新井さんに「目標は何ですか」って聞いたら「ペナントレースで優勝することです」とおっしゃいました。想像通りです。次に入江君に「夢は何ですか」って聞いたら「ロンドンオリンピックで金メダルを獲って、周りの人、お世話になった人を笑顔にさせたいです」って。新井さんに、「夢は何ですか」って聞いたら「ペナントレースで優勝して、みんなでビールかけがしたいです」って言いました。これが夢と目標の違いなんです。夢とか目標への道って険しいじゃないですか。普通に過ごしていて達成できるようなものは目標とは言わないですね。だから目標っていうのは自分の目指す山の頂に立てるようなもの、旗みたいなものです。その旗を獲ったか、獲ってないかは周りの人から見たらわかりますよね。特にアスリートは、優勝したかしてないか。金メダルを獲れたか獲れてないかです。でも夢は、目標を達成したときに見える頂上からの景色のことなんやなと思いました。目標と夢、目標は明確じゃないとどこに行ったらいいかわからんし迷う。で、夢がなかったらがんばれへん。アスリートの目標への道は苦しい。でも夢を描くからこそがんばれる。そこが大事なんやろなと思いました。夢と目標、苦しいのは目標が苦しいんです。夢はがんばるためにあるんです。
「夢に向かって生きよう」って言ってるんじゃなくって「人生を楽しむためには夢があったほうがいいよ」ということが言いたくて、日本ドリームプロジェクトをやっています。
「夢を書いてください」「夢は何ですか」とお聞きすると「この歳になったらないわ」とおっしゃる方がいます。特に中年の方……。でも「書いてみたらありますから」って言うと、「きむくん、書いてみたらあったわ」ってね。
夢って、大きい小さいとかではなくて、自分が描いて楽しかったらそれいいんですよ。いくつになっても人生の可能性はあるんで、みなさん毎日、人生の大切なとき、夢を描いて、出会いたい光景を描いて、人生をつくっていってほしいなあと思います。僕もこれからも僕の仲間たちと、出会う人たちと一緒にこの日本を盛り上げて、みんなの生活を応援して一緒に楽しく生きて行きたいなあと思います。
最後に、作品を読ませていただきます。このたびの東日本大震災は、僕にとっても生活の安定が揺らがされたような震災でした。その思いもあって作品を作らせてもらいました。
「大切な人を想うように
同じ大地で暮らす人を想い
時に悲しみの涙を
時に喜びの涙を流す愛が
僕らにはある。僕ら日本人にはある。
僕らは僕らの愛で
この途方もない悲しみを
このどうしようもない現実を
何とか何とか学びにして成長にして
明日への光りを見つけて
心に希望を灯すんだ
次の世代に渡す日本を
僕らが胸を張って渡せるように
今、僕らは一つになる
今、日本は一つになる
目に見えて世界は一つになる
この
ひとつなぎの空のように
きむ」
僕らでもこんだけ苦しいのに、被災された方は何百倍、何千倍の苦しさだと思います。僕らひとりひとりができることをして、亡くなられた方に対してできることは、僕らが毎日一所懸命生きて、少しでもいい日本をつくること。そこから何かを学ばせてもらって少しでもいい日本を僕らのこどもたちにちゃんとつないでいくことなんじゃないかなと、僕はすごくそう思いました。みなさんひとりひとりが、日本を背負っていると思うんで、胸を張ってそのバトンを自分のこどもに渡せるように毎日を一所懸命生きていきたいなあと思います。ひとりひとりがバトンをつないだら、日本中の人がつながります。
ぜひみなさんも、たくさんの笑顔に会えるように、たくさんの「ありがとう」に出会えるように、いい人生をつくっていってほしいなと思います。
<第2部>
お客さま:
ポストカードの文字は明朝体ですか。その書式を使っている理由はありますか。
きむさん:
昔よく使っていたのは超極太明朝体。太かったら伝わるやろうと思ってました(笑)。
お客さま:
きむさんも無力感でいっぱいになることや、やる気をなくされることはありますか。どうやって気持ちを切り替えられますか。立ち直りは早い方ですか。
きむさん:
いつの間にか立ち直っています。でもこのたびの東日本大震災が起こったとき、無力感に押し潰されました。しばらく悶々としていました。あの映像……、テレビで見る報道から書く言葉が思い浮かばないんですね。さっき、ようやく書かせてもらいました。ああいうことがあっても、空はいつも明日に向かって動いているわけです。だからいまできることをやるしかないと思ってやっています。いま自分にできることを尽くすという感じです。
お客さま:
例えばこんな詩人になりたいとか、人に対しての何かを与えたいとかそういう壮大なものをお持ちですか?
きむさん:
この10年自分にあんまり興味がなかったというか……。うちの社員たちがイキイキするにはどうしたらいいんだろうと思ってやってきました。で、だんだんそれが手を離れてきたので、ちょっと自分と向き合ってみようかなという感じです。
お客さま:
きむさんは社長の顔をお持ちですが、社員に願うこと、期待していることはありますか?
きむさん:
楽しむことじゃないですかね。「楽しかったらいいやん」っていうのが口癖なんです。もちろん楽しみのなかに苦しさもあるんですけど、楽するとかじゃなくて楽しいっていうのは苦しいことの向こう側にあったりすると思うんです。その結果いいものも生まれてくる。そしたら社員としての売り上げもついてくると思っています。だから楽しむことじゃないですかね。楽しくないのに売り上げが上がっても全然うれしくないですからね。
嫌なことも楽しめるようになったらいいんじゃないんですかね。そうしたら後輩に伝えていくこともできると思うし。何でも楽しくせんとね。
お客さま:
小学校の教師をやっています。さきほど教育について「なんとかしたい」っておっしゃられていましたが、具体的にどういうことを気をつけてやればいいでしょうか?
きむさん:
先生方は先生方で大変なことがおありだと思います。先生方は、自分の人生をこどもらは見ていると思って、向かい合い、ときには背中で語っていかないといけないと思います。
最近のこどもを取り巻く環境のことを考えると、やっぱり親の親としての教育が足りないですよね。僕も21歳で父親になりましたけど、基本的には何も知らない。自分の親にしてもらったことをそのままする、みたいな感じです。その親の教育において、よい悪いが一概には言えない。(親が)悪かったからそのこどもががんばれたっていうのもあるかもしれない。反面教師なんて言葉もあるんで……。
こどもって親に受けた愛を外に出すんやと思います。だから親から「愛しとる」って言われたら、親に返すんじゃなくて社会に返す。親の役割はこどもを愛すこと。それが社会に貢献することやなって思いました。こどもには愛のタンクみたいなものがあって、愛されれば愛されるほど社会に返すようにするんやなって思います。それは親だけじゃなく、おじいちゃん、おばあちゃん、まわりの人、学校の先生、みんなの愛だろうって本当に思います。
根本的に解決する方法、結構むずかしいですよね。自分はどういうお父さん、お母さんになりたいかっていうことを考える親の授業をつくってもいいんじゃないかと思います。
フェリシモ:
最後にみなさまへ、毎日をイキイキと過ごせる秘訣をお聞かせください。
きむさん:
まず、僕を今回呼んでくれるきっかけとなったのが司会の後藤さん。後藤さんが2年前から僕を呼びたいって言ってくれていたそうです。こうやってひとりひとりの思いが形になって、思いで人が動いて、今日のこの出会いがまた何かに生かされて、人生をつくって行くんやなあと思います。ひとりひとりが毎日生きる中で、毎日出会う人、ばったり出会う人、突然出会う人、会いたくて会う人、いろいろな出会いがあると思うんですけど、ひとつひとつの出会いを大切にしていき、相手の明日に、自分の明日につながるようにいい出会いをつくっていることが、いい日本をつくる、いい世界をつくるリレーになると思っています。それを全員がしていけば、多分絶対もっともっといい生活、いい毎日、いい日本、いい世界になっていくと思っています。いまは、この日本、とても大変なときです。みんなで心をひとつにして、みんなの笑顔が咲くような、いい国にしていきたいなと思います。
