神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「今自分にできること ~一歩踏み出すと見えてくるもの~」



<第1部>

土居 康宏さんのミュージシャンになられた
ユニークなきっかけをご紹介します。

土居さん:
みなさん、こんにちは。今日はよろしくお願いします。

フェリシモ:
さっそくですが、土居さんがミュージシャンになられたルーツ、きっかけを教えていただけますか?

土居さん:
きっかけは、いくつかあります。僕自身、自分の力では何もできない人間だと思ってました。高校を卒業後、大阪の会社に就職、サラリーマンになりました。神戸の実家を離れ、大阪での寮生活が始まりました。僕は、大阪の街をあまり知らなかったのですが、仕事を始めて1年くらいかな? 友だちが「おもしろい店があるから、ちょっと行かない?」って誘ってくれたんです。どういうお店だったかというと、今でいう複合施設で、ボーリング場や本屋さん、レストラン、CDショップなどがひとつにまとまったお店やったんです。しかも夜中までやっているんです。今では、CDショップには、音楽の視聴機がたくさん並んでいて自由に聞けますよね。でも17年前は、そういうシステムがほとんどなかったんです。でも、そのお店は、そういうシムテムがたくさんあったんです。お店の中には、DJブースがあったり、今いちおしのサウンドが流れていて「すごいなあ」と思って、それで僕はそこに通い出したんです。

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その店に行くたびに、毎回出会う60歳くらいのおじさんがいたんです。どんな人かというと、ラフな格好で、すごいなと思ったのが、靴がその時無茶苦茶はやってて中々手に入らないNIKEエアーマックスの黄色を履いていたんです。「なかなか手に入らへんのに、おっちゃん履いてるし! 若いな! すご!」と思って、しかも毎回会うし、行くたびに話すようになって。「やあ、土居くん」って会うたび言ってくれる感じで……。よく聞くと、そこのお店の社長さんやったんですね(笑)。会うたびにお話するようになって。そしたら「土居くん、いい声してるね。歌、歌わへんの?」って急に聞かれた時があって、で「好きですけど、カラオケで歌うくらいですね」って答えたら「じゃあ、ちょっとカラオケ行くか」って言われて、そのおっちゃんとカラオケに行くことになったんです。高級車のリンカーンに乗せられて連れて行かれたのが、道向かいにある昔ながらのカラオケボックス。そこで、自分の好きな歌を歌ったり、社長が歌うのを聞いたり、1~2時間歌い終わってから「じゃあ、ひこちゃん紹介しよ」って言われて(笑)。「ひこちゃんって誰やねん」って思ったら、おじさんの息子さんやったんです。店に戻ると、その息子さんはCDをリリースしていると教えてもらいました。1年くらい前に坂本 龍一さんにその才能を認められ、そのレーベルからCDを発売したと……。曲もかっこいいし……独特な世界観……。そのひこちゃん、カズヒコさんって言うんですが、カズヒコさんと会う機会がありました。お店で会い、少しお話をし、家に行こうって事になり、西宮の山の上の自宅に伺って、家のスタジオでセッションが始まったんです。セッションって言っても、そんな経験ないから、自分の好きな歌をカズヒコさんの即興ピアノ演奏で歌いました。確か、久保田 利伸さんの歌を歌ったと思ったと思います。「いいね」みたいに言われて「じゃあ、曲つくろ」って……。

フェリシモ:
いきなり?

土居さん:
はい! いきなり! 話の展開が早いですよね。でも、僕、曲もつくったことないし、どうしよう……。楽器もできないし……。でも何とか鼻歌でメロディを作り、歌詞を作って、2曲が完成したんです。でも、歌う場所、機会がないからライブはできなかったんです。そんな時、僕の仲間に、バンドやっている子がいて、仲間うちでライブイベントする時に「土居ちゃんも歌い」って、呼んでもらったんです。それで初めて、人前で歌を歌ったんです。お客さんは100人くらい。歌うって気持ちいいなと思いました。しかも、初めてのライブだったので、出番あと、ほっとしたんでしょうか。お酒を飲み過ぎ、初めて記憶をなくしました(笑)。長くなりましたがそんなきっかけがひとつ……。でも結局、仕事もしながらだし、自分で楽器もできないし、自分から行動を起こせない性格ということもあって、しばらく普通の日々が流れて行ったんです。

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それから、1年が経ち、2年サラリーマンを経験した後、友人の誘いもあって土木作業員へと転職しました。そんな中、僕の高校時代の友人が「すごいいい歌あんねん」って教えてくれました。聞かせてもらった曲が、しっとりした曲やったんですけど、僕の心にはすごく響いて……。ちょっとうるうるっと来たんです。で「これ歌いたい!」と強く思ったんです。でも、自分では歌う手段がない、楽器ができないから。そのころ、よく三宮とか、仕事終わりにふらふらと来てたんです。うろちょろしている時に、路上ライブをしている人に出会ったんです。その姿を見て「あ、これや!」と思って、見入ってしまったんです。ギターを自分で弾けるようになったらひとりでも歌えるなあと思ったんです。それで、急いでギターを買いに行ったんです。それが、1999年の12月末。12月末にギターを買って、初めてのライブが2000年の2月。ひとりではできないので、先輩に手伝ってもらって、オリジナルの曲をつくり、人の曲も歌いながら、仕事終わって、夜中練習して、寝ずに仕事に行って……という日々を繰り返して……。2月にライブをしたものの「まだまだやな」と。2ヵ月やそこらでギター上達するわけがないですよね。それからまたギターを練習をして、4月から路上ライブを始めたんです。その場所も、全然人気のないところを狙って、真っ暗なところで練習がてら……。それは、ハーバーランドのところなんですけど、まだ2曲すらうまく歌えないのに、座り込んで下向きながら歌っていました。基本的にカップルがよく通る、観覧車があるところから駅に向かう道ね。道路があって、歩道があって、花壇があって、その内側で歌ってたんです。そこで、しゃがんで下向いて歌っていたら、目の前に人が急に座り込んだんです。ぱっと見たら女性の方やって、めっちゃ泣いてるんです。「どうしたんですか?」って聞いたら「さっきふられたんです」って。「うわー、どうしよ、オレ。歌歌われへん」ってなったんですけど、とりあえず「自分が歌える歌を歌います」と言って、精一杯歌ったんです。喜んでくれはって、帰りはりましたけどね。

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きっかけって言うのは、さきほどのカズヒコさん、友だちが紹介してくれた楽曲、それは神戸出身のシンガーSAKURAっていう方の『君のために』という曲なんですけど、その曲ばかりをずっと歌っていたんです。で、ちょっと歌い慣れてきたら路上に出たりして、自分のオリジナルとSAKURAの歌をずっと歌っていたんです。
そして、ストリートライブをやり出して、3年になろうとした時、歌う場所を人気のないハーバーランドの花壇の内側から人通りの多い阪急三宮の西口に移って歌い始めたんです。調子にのってるでしょ(笑)。だんだん人のいるところで歌うようになって……。精一杯自分の歌える歌を歌っていたんです。
『君のために』という歌を歌っているSAKURAは、神戸出身の方なんですが、そこまでどわーって売れていなかったんですね。すごいいい歌なんですよ。だから歌っていても「いい歌ですね、誰の歌なんですか?」って、よく聞かれてました。僕は好きやからずっと歌っていたんです。歌っていたら、お客さんが携帯電話をずっと僕の方に向けているんですね。「誰かに聞かせてくれているんや、僕も精一杯がんばって歌うぞ」と歌っていたんです。いつも以上に力が入っていたかも知れません。歌い終わったら、その人がさささっと来て「じゃあ、代わるね」って、僕に電話を渡したんです。電話を受け取って「誰ですか?」って聞いたら「SAKURAです」って!!

(会場:笑)

「マジですか!?」って。それで「すごい歌よかったよ、ありがとう」って言ってくれて。SAKURAは、神戸出身だから神戸にお友だちもいらして、それで「あんたの歌うたってるよ」って、東京にいるSAKURAに電話してくれたんですね。で「ありがとうございました」で、終わったんですが、そこから僕の行動力は変わったような気がします。
その半年後くらいに、SAKURAのコンサートが大阪であったんです。バンドサウンドで賑やかなんですけど「あの時歌ってたのは僕やで」ってすごい伝えたかったんです。でも、人めっちゃおるし、いくら叫んだところで声届かへんし……。でも「絶対言いたい」と思いながら、ずっと曲を聴いていたんです。でも、本編が終わってしまい、言うタイミングなかったなと……。で、アンコールが始まって、その時一瞬静かな時があって、その時に、叫んでたんです。「神戸で歌っとったん、オレやぞ~!!!」……って。言った瞬間に800人くらいのお客さんが「誰やねん、お前」みたいになって「すんません」って感じやったんですけど、その声がSAKURAに届いて、しかもその時のことを覚えてくれていて、ステージ場でしゃべってくれたんです。「神戸にね、私の曲を歌ってくれている人がいてね」って。「うわ~っすごい!」って思いました。それで、ライブ会場を出た時に「どこで歌ってるんですか?」って声をかけてもらえて……。
それから、また数年が経ち、すごい偶然なのか、必然なのかわからないんですが、何年後かに、SAKURAが神戸に帰ってきたんです。僕がSAKURAが好きなのを知ってくれている友だちが「SAKURAがコーラス募集してるで」って教えてくれたんです。

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フェリシモ:
すごいチャンスですね。

土居さん:
すぐインターネットで調べました。募集内容は「国籍問わず、性別問わず、ソウル、R&B」……あかんわ。僕はジャンル的にはポップスだったので「ないな」って思ったんです。募集内容を読むにつれて気持ちが下がって……。オレじゃ無理やなと……。でも、せっかく用意してたものをせっかくやから出そうかと……、出しました。そうしたら、忘れたころメールが来て本文に「SAKURAです」と。最高にびっくりしました。あの時のことを覚えてくださっていて、長い文章の最後の方に「ぜひコーラスしませんか!」と書かれてあったんです。僕はあの時のことを、プロフィールには書かなかったんですが、わかってくれたんです。僕がSAKURAさんの曲を友だちに教えてもらってから、5、6年経って、なんとその人のバックでコーラスすることになって……。なんか繋がっていきました。ただ、のんびりと続けていただけなんですけど……。

フェリシモ:
そこに行くまでは、ミュージシャンになりたいと思っていなかったんですか?

土居さん:
ミュージシャンになりたいとは思っていたんですが楽器もできないし、友だちのようにロックが好きなわけでもないし……。

フェリシモ:
長い年月をかけて、SAKURAさんのバックコーラスをされるようになりましたが、そのころは土木作業員をされながら……? いつごろミュージシャン1本やってこいこうと?

土居さん:
今は音楽1本ですが、1本でやっていこうとは、別に今もそう思っていなくて……。ただ人に影響を与える事のできる人にはなりたいなと……。今みんなの気持ちに残るものがあればいいなと思って行動しています。

フェリシモ:
肩書きを聞かれたら何と答えてらっしゃるんですか?

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土居さん:
僕はいつも「普通の人です」と言っています。みんな得意なことあるじゃないですか。僕はたまたま音楽というだけで……。僕は、自分をつくるのが好きじゃないんです。だからそのまま。そのままをステージで歌うんです。ライブってその場その場で空気が違うじゃないですか? 歌う時もその場のノリで、その場の空気で、歌いまわしたりするライブ感が、歌のいいところなのかなと思っています。もしかしたら、昨日と今日と言ってることが違うかもしれないですし(笑)。歌をうまく歌おうと考えたことはあまりないです。最初のころは、勉強しようかなと思って、ヴォーカルレッスンとか受けましたけど。こう、人との出会いの回数が増えてからは、ライブ感を大切にしようと思いまいした。

フェリシモ:
路上ライブのどういうところが好きですか?

土居さん:
路上ライブはわかりやすいですね。気に入ってくれた人しか足を止めないじゃないですか。どうでもよかったら、通りすぎるやろし。すごい寒い時に聞いてくれる人とか……。わかりやすい。自分の歌に対して、はっきり答えが出る場所だなと思います。

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阪神・淡路大震災を経験し乗り越えた
土居さんだからこそできる支援「心の花プロジェクト」

フェリシモ:
昨年、3月に東日本大震災が起きたことで、活動をされてきた「心の花プロジェクト」の主旨を教えていただけますか?

土居さん:
「心の花プロジェクト」というのは、昨年3月に起こった東日本大震災がきっかけで立ち上がったプロジェクトです。
「被災された方たちのために何かをしてあげたい」って、誰もが思ったと思うんです。僕も思いました。で、ミュージシャンだったら音楽の力で……。僕は17年前に阪神・淡路大震災を経験しました。その時、高校3年生。神戸の須磨、長田のあたりにいました。幸い僕の家は軽傷だったんですが、僕の家のまわりは、火の手がまわっていた地域で……。東日本震災をテレビで見た時「何かしてあげられないかな」って思って……。
思ったこと、ひとつは、僕は震災を経験して、そして同じ所に住んでいるんです。自分で何か特別な事をしたわけではないんですが、いつのまにか乗り越えて、また同じ地に立っている自分がいるなということに気づいたんです。「それやな」と思いました。その姿を見てもらうだけでいいんじゃないかな……と。
それと音楽、歌の力で何かしてあげられるんじゃないかと思ったんです。僕はこうしてソロの活動のほかに「Unlimited tone」というボーカルグループで活動をさせてもらってるんですが、そのグループでも何かできないかと、考えていました。ある日、オフィシャルメールに1通のメールが届いたんです。その内容が「東北に住んでいる者ですが、以前からライブで歌われていた『心の花』という歌に勇気と希望をもらっています」と。僕たちの歌に感動してくれている人がいるんだと……。夏にリリース予定の1曲ですでにレコーディング済みだったんですが……。『心の花』ってどんな歌やったかな? と改めて、歌詞を見ながら聞き直してみたんです。「……なるほど!この曲なら助けることができるんじゃないか」と思いました。そして夜中、メンバー、関係者にすぐ相談しました。

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たくさんの人に聞いてもらうのに、一番早い方法は何かなと思って、いちばん早いのは無料で配ることだ!という結論になりました。そのころ出会ったCD制作会社に相談に行ったんです。そうしたら、すごく共感していただいて、ただ配るんじゃなく「何かちょっと残るものを添えたいね」ってなって、ひまわりの種を入れようってことになって……。「CD1枚ずつに種を1粒を入れよう。でも、咲かんかったらいややから2粒にしよう」って(笑)……。さまざまな方のご協力のもと、2万枚のCDをつくることになりました。
「心の花プロジェクト」はただ配るだけじゃなく、そして被災してる人だけに配るというものでもなかったんです。曲の内容というのは、今みんながんばっている姿は、知らないところで、誰かの力にきっとなっているというメッセージが込められているんです。「東北の人のために何かしてあげられることはないかな……、でも自分には何もしてあげる事ができないな……」って悩んで逆に沈んでしまう人も多いんです。でもそんな事ないんです。
いつものように仕事をしたり、楽しいことを話して笑ってる姿、遊んでる姿とか、それでいいねん。と、そういう方たちにも伝えたかったので……。で、よくお店に募金箱があるでしょ、その設置店の募金箱の横に置いてもらって、1円でも募金して頂いた方々に持って帰ってもらおうという事になり……、置いて頂ける所を募集したら全国からの応募があり、2万枚が1ヵ月くらいでなくなりました。

フェリシモ:
続きまして、東北の活動について写真を見ながらお話を伺いたいと思います。

(スライド)
昨年4月10、11、12日行くことができました。仙台のブランドーム1番町、震災の影響はそんなになかった場所です。ちょうど1ヵ月経ったころです。人が行き交うようになり、お店も再開し始めたところでした。

(スライド)
町では聖歌隊によるチャリティーコンサートが行われていました。

(スライド)
宮城県仙台。寄せられた救援物資が集まる場所にお邪魔しました。

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中はこんな感じで、お米とかいろいろなものがあるんですが、仕分けが大変だと言ってました。

(スライド)
学生のボランティアの方々が慌ただしく作業をされていました。

(スライド)
前日、東京でのライブで、義援金を寄付していただきました。

(スライド)
「がんばろう東北」、いろいろなところに貼ってありました。1歩でも2歩でも前に進もうよという気持ちが感じとれました。

(スライド)
お昼ごろ、東北へ来て初めて、商店街の中で歌わせてもらいました。みんなもざわざわと集まってくれて……。震災後、ライブっていうものがほとんど行われてなかったんですよね。この場所を提供してくれた方もとまどっていたみたいなんです。はたしてこのタイミングでこうしたライブを被災した人々が受け入れてくれるのか、と。でもこのライブの様子を見て「やってよかった」と言ってくました。歌ったあとに、若いカップルが涙しながら、寄って来てくれて、握手をしながら「ありがとうございます」と言ってくださったり……。

フェリシモ:
音楽って自己表現っていう部分もあるじゃないですか? 被災地でこの時に必要なことって、被災地の方に寄り添うということで、若干相反することのように思うんですが、そのあたりの抵抗はなかったですか?

土居さん:
どう思われるかは心配でした。被災地に行く道中、車を運転しながら『心の花』をずっと聞いていたんですが、けっこう沈黙もありました。東北がどんな状況かもわからないし、どんな人が聞いてくれるんやろうとか、本当にこのタイミングで歌っていいものか、いろいろ考えました。でも、「心の花」っていう曲に僕ら自身も力をもらって、あとは、さっき言ったみたいに、変な自信があったんでしょうね。乗り越えてきた自分を見てもらうだけでいい、同じ地に立っている自分を見てもらうだけで、絶対力になる。だから歌の合間はずっと「神戸から来ましたよ」と声をかけていました。歌ってみたら、反応してくれる人がたくさんいてくれてよかったなと思いました。ほっとしました。やっぱり、僕は自分にできることしかできないので……。

(スライド)
ライブのあと、募った物資を山積みにしているのを、整理して避難所に持っていこうかと……。で翌朝、どこか緊迫したおもむきで出発しようとしたら……。

(スライド)
この犬に出合って、気が安らいで……(笑)。

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次は女川の方に出発しようとしたんですが、道中の最後のコンビニ。何にも残っていないんです。

(スライド)
そして、ここから沿岸部に近づいていくんですけど……。
この奥の方に、ここから辺まで、津波が押し寄せていたんです。
みなさんテレビで見られたと思いますが、ビルが倒れていたり……。

フェリシモ:
どういう気持ちでしたか?

土居さん:
最初に行ったところが、あまり震災の影響の少なかったところだったんで、こういうところを見ると気持ちがぐっとしまって……。

(スライド)
この時何をしに行ったかというと、女川町の対策本部に行って、状況確認をしに行きました。避難されている方の状況とか……。ボランティアについてだとか。

(スライド)
こんな貼り紙がたくさんされていました。僕たちはすぐこの場を引き返しました。この墓所で、何もできない自分たちが歯がゆくて……、すごく悔しくて……。でもとりあえず自分が何かできるところへ行こうと、女川を離れました。

(映像)
映像もあるのでご覧ください。ちょうど1ヵ月後。言葉が出ないですね。ため息とか聞こえちゃたりしてますね。誰も想像できなかった状態だと思います。何もなくなっている状態ですね。

フェリシモ:
今、土居さんが思われる音楽の可能性は何だと思われますか?

土居さん:
何度か東北に通わせてもらって、いろいろなところで歌わせてもらって、仙台と石巻で人の反応が違うように思いました。やっぱり歌う場所、聞く環境、心境によって全然違うものに聞こえてくると思うんですね。歌を通じて、何かその人なりに感じると思うんですね。例えば僕が伝えたい気持ちとはまた違う意味で曲の意味をとらえて自分なりに解釈する事もあると思うんですよ。元々はそういう意図ではないのに……。なので、曲ってその人、その人の心で生きるものだと思っています。なので、歌い続けることでいろいろな人に自分なりに何か感じてもらえればいいかと思います。

フェリシモ:
そういうきかっけを音楽がつくってくれるんですね。

土居さん:
そうですね。あとは自分のやっていること、生き方だとかを見ていただいて……、決して大きなことはできないですが、規模は小さいですけど、伝わるものは絶対あると思うんです。ひとつひとつの行動にムダはないと思うんです。すぐには答えは出ませんが、絶対意味があると思うんです。自分を伝えることができたらなと思っています。

フェリシモ:
みなさん、お待ちかねの歌を歌っていただきたいと思います。「Unlimited tone」のルースさんにもお越しいただいています。みなさま拍手でお迎えください。

(会場:拍手)

ルースさん:
こんにちは。なんだかエレガントな感じが新鮮ですね(笑)。

土居さん:
ルーちゃんとは4月9、10、11日に東北に一緒に行きました。行く道中もお互い緊張してなかった?

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ルースさん:
土居くんも言っていたように、道中、自分の中でも、行ったところで果たして歌が必要とされているのか?って僕自身もすごく考えていました。僕の家族、友だちも「今は行くべきじゃない」と……。で、行くかどうかもギリギリまで悩んでいたんです。でも、東日本大震災が起きる前に、土居くんは、中越地震の時も行っていて、その時、僕も何かできないかなと思って「一緒に連れてってほしい」と言うかどうか迷ったんです。結局その時は言わずに、土居くんが言ってきた話を聞いて「行けばよかったな」と思ったんです。今回もそういう機会が来て「どうなるかわからないけどとりあえず行ってみよう。歌が歌えなくても行ってみよう」、それで「連れていってほしい」とお願いしました。

土居さん:
びっくりしたんですけど、その時、僕に声をかけてくれなかったら、ルーちゃんは東北に行ってなかったと思うし、そのあともすごく内気な僕たちのお手伝いをしてくれる学生のスタッフたちも……「連れてってくださいって」って言ってくれたんです。そこで得たものは本当大きかったみたいです。自分の一言で変わるんですよね。僕も「人のコーラスをしたい」と言ってたら、そういう仕事が入ってくるようになったり。

(書の説明)

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土居さん:
これは、10月、11月に、宮城県の仙台に行った時、商店街で歌わせてもらったんですけど、聞いていた方が書いてくれました。その方は趣味で書を習っている女性の方なんです。「今まで、いくら書いても先生に褒められた事なかったんですけど、土居さんの歌を聞いた後、帰って泣きながら書いたんです。それを先生に見せたら『これはすごい。力強い、素晴らしい』と言われたんです」と教えてくれて、送ってきてくださいました。これは、『心の花』のサビの部分の歌詞が書かれています。僕たちもこの曲に救われています。では、メンバー2人で歌いたいと思います。


YouTube: 土居康宏 心の花(神戸学校)

http://youtu.be/8aVaJFTje0w
当日の「心の花」をこちらからYou Tubeでご覧いただくことができます。

土居さん:
この曲は季節に関係なく歌い続けていきたいなって思っています。みなさんも聞いてそして歌って、メッセージを伝えていってほしいなと思います。あと1曲、歌わせていただきたいと思います。僕の好きな言葉に「始める事から始めよう」というのがあります。やっぱり何か始めてみないと1歩前に進んでみないと新しいものは見えてこないと思うんです。東北に行って、いろいろなところでいろいろな方に必ず言ってますが、その1歩というのは、自分のタイミングでいいと思うんです。ちょっとずつでいいから前に進んで行けたらいいんじゃないかと思います。たまには人に合わさないといけない時もあると思います。例えば、彼女が歩くの遅かったら手を引っ張ってあげたりするでしょ。それと同じ、助け合い。いろいろな人と手と手をつないで、そして前に進んで、笑顔がたくさん増えたらいいなと思います。僕の曲に『手をつないで』というのがあるんですが、人って、手をつなぐだけで、ストレスが下がったりするんですって。それは、あながち間違ってないなって思います。
いろいろなところに行きますが、今もお客さんの顔とか浮かぶんですよね。実際に手をつないでいなくても、心はつながっていると思います。みんなもこれから好きな人を思い浮かべたりするのもいいかなと思います。この曲の後半はみんなで歌うところがあるので、今のうちにのどの調子を整えておいてくださいね(笑)。テンポのいい曲なので手拍子をお願いします。

(歌)

土居さん:
今日はいつもよりテンポ早いけれど、ルーちゃんがのってるからやね。これがライブやね。神戸からもっと発信して行こ! いいね!! みんなで歌うとあったかくならへん? 自分の温度、まわりの温度が上がって空間が暖かくなるね! 声を出すことによってみんな気が楽になったんちゃう? みんなの未来にしあわせがありますように、今日はありがとうございました。

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<第2部>

フェリシモ:
本日、この会場にシンガーソングライターの平松 愛理さんにお越しいただいております。今日はありがとうございます。平松さん、第1部のご感想をお聞かせいただけますか?

平松さん:
いろいろなことを感じさせていただきました。私も、人が大変な時にお届けすることができるのは、歌とお花しかないんじゃないかなと思っていまして、土居さんとはまた違うプロジェクトですが「花咲かすプロジェクト」をやってきています。神戸市須磨区で生まれたので、須磨区のお花であるコスモスを何度か植えに行ったんですね。さきほども東北の映像を拝見することになったんですが、いつ見ても苦しくなってきて……、歌う場所も、行く場所によって、歌える場所、そうでない場所があるとおっしゃってましたけれど、それは私も感じていることです。最後に歌を歌ってらっしゃる時「神戸発信で声を出せ!」みたいなことをおっしゃってましたが……(笑)。

土居さん:
失礼しました(笑)。

平松さん:
東北をずっと支援していきたいという気持ち、これまでは収益金を神戸レインボーハウスに寄付させていただいていましたが、今年から東北レインボーハウスの設立にも役立てていただこうということで……。
私の活動もそうなんですが、神戸発信で東北に向けて、東北レインボーハウスのみなさんや東北の方々が、神戸が元気になっていくことで、勇気づけられるようなそういった活動を長く続けられるといいなと思っていたところだったので、土居さん、これからもよろしくお願いします。

土居さん:
こちらこそ、よろしくお願いします。

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お客さまとのQ&A

お客さま:
阪神・淡路大震災の時はどういうことに助けられましたか? 今後はどのような活動をされるか考えていらっしゃいますか?

土居さん:
そうですね。まあ、自分の生き方が変わったなということがあったんです。それは何かと言いますと、震災の後、気がついた時には、ベッドから全然離れたところで目が覚めて、これはただ事じゃないなと……。団地に住んでいる人たちがみんな外に出て来て……。テレビもつかないし、情報がないので、ちょっと明るくなってから、自分たちの足でちょっと様子を見に行こうと、弟と出かけたんです。木造の建物はくずれて火の手があがっている、そういうところに野次馬がいっぱいいる、僕も弟もその野次馬のひとりやったんです……。近くに川は流れていたけれど、火を消すほどの水は流れていなくてどうすることもできなくて……。そんな時に、ひとりのおじさんが僕に声をかけてきて「向こうのアパートに下敷きになっている人がいる、お兄ちゃん助けてくれ」と。いっぱい人がいた中、たまたま僕に声をかけたんです。そこへ行くと、2階が1階になっている状態。もう瓦礫がいっぱいなんです。素手でも仕方がない、精一杯、瓦礫をのけて、布団が見えたから、その布団ごと引っ張り出しました……。おっちゃんは無茶苦茶元気で「ありがとう、スタスタスタァ~」って帰っていったんです。元気に(笑)……。
その時は何も考えてなかったんですが、元々は僕の意思じゃないけど、僕発信じゃないけど、人を助けることができたと思ったんです。だからこれからは、それを自分発信でできたらいいんじゃないかって思ったんです。その経験がなかったら、人を助けるなんてことは考えられなかったかもしれない、そんなできごとがありました。

フェリシモ:
今後はどのような応援活動をお考えでしょうか?

土居さん:
4月に東北の応援活動を始めて出会った人たち、それから何回か足を運ばせてもらって、いろいろな方たちの涙を見たりお話をさせてもらったりして、その人たちがどういうふうに1歩2歩を歩いているのかを見たいです。1回だけで終わらせるのではなくて、できることなら、これからも行きたいです。

お客さま:
中越地震、東日本大震災の支援をされていらっしゃいますが、ひとりとふたりの差はありますか? 年月が経ったことも含めて手応え、大きくふくらんできたものを教えてください。

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土居さん:
実は中越地震の時、ひとりで行きたかったのですが、自分で演奏して歌うことに慣れていなかったので、サポートをお願いしていたミュージシャンの方にお願いしたんです。その時は、本当に無我夢中で、市役所とかに電話したんです。「ボランティアに行きたいんです」って、でも「今ボランティアは足りているので大丈夫です」と言われたんです。でも、その時に「僕は、神戸で震災を経験し乗り越えてきた者です」って言って、無理矢理行ったんです。どういう状況になるかわからないけれど行って、体育館や公園で歌ったんです。その時に、おばあちゃんや、ジャージ姿で聞いてくれた中学生の子とかがいて、その子が大学を卒業して、就職して、大人になってから僕のライブを見に来てくれたんです。その時に僕泣いてしまって……。地震を乗り越えて、神戸までライブに来てくれた……。その時に、行ってよかったなって改めて思いました。

お客さま:
東北の方々がいちばん音楽に求めているのはどんなことだと思いますか?

土居さん:
日常から離れたところでいやしを求めたいと思っていらっしゃるんじゃないでしょうか。日常にないことを取り入れることでストレスを発散できるのではないかと思います。ふだん、毎日働いて仮設住宅に帰って来て……の繰り返しで、すごくストレスだと思うんです。そんな中で、自分で行動して遊びに出かけてストレス発散できればいいですが、そういう人たちばかりじゃないので……。仮設住宅にこもって、なかなか外に出られない人もたくさんいるので、そういうところに行って、いつもと違うことを体験してもらうのは、いいのではないかと思います。音楽に限らずですが……。

お客さま:
土居さんのお話を伺っていると、よい意味での自分の限界を知っていらっしゃるような気がします。だからこそ、行動する時にすぐ動けたり、切り替えられたりできると思うのですが、土居さん自身は自分の守備範囲や限界をどう捉えていらっしゃいますか?

土居さん:
あんまり考えてないんですが「これは無理」って思うこともたくさんあります。例えば、今日みたいな、しゃべりがメインの講演会なんて初めてですし……。でも、実はひとつ弱点があるんです。僕は、断ることができない性格なんです。自分から行動できないくせに……。
例えば、100人で富士山に登るというのを友だちが企画していて「頂上で『1年生になったら』を歌ってほしいねん。ギター弾けるやろ?」って言われたんです。「歌うんええけど、登るんしんどい」って言ってずっと断っていたんですけど、期限も迫るにつれて友だちに迫られて……「もう、行くわ」って言って行ったんです。でも、行くと変わりましたね。うん。実は、初回、富士山の8合目で休憩するんです。まず、仮眠して夜中に出発して頂上でご来光を見るっていうスケジュールなんですけど、8合目で夜中起きると外が豪雨だったんです。それで、お昼まで待っても登れない状態だったので、頂上を目の前にして泣く泣く帰ることになったんです。その時、すごく悔しかったんです……。頂上目の前にして登れなくて悔しくて「来年も絶対登ってやるぞ」と思って、それを5年続けたんです。
その時、何が変わったかというと、最初富士山に登る事すら拒んでたんですが、でも次の年は頂上を目指して登りたいと思ったんです。その時に芽ばえたのが、山登りって、自然と人と人の助け合いがあるんですよね。例えば、対向する人と自然とあいさつをするんです。「こんにちは」とか。高山病で倒れている人がいたら「大丈夫ですか?」と声をかけたり、自分の酸素を与えたり……。これってすごいなって。それに、感動して。人の助け合いを自分の身を以て体感してほしいなと思って、3回目からはサポートする側にまわって登っていました。5年で6回登りました。

フェリシモ:
自分の限界を決めず……?

土居さん:
僕は、ひとりでなんでもやろうというタイプじゃないんです。僕は、自分ができることは自分でしますが、できないことは人に頼むタイプなんです。そうやって手を取り合って、やりたい派です。

フェリシモ:
最後に会場のみなさまに、思いを行動をつなげていく上で、みなさまの背中を後押しするようなメッセージをお願いできますか?

土居さん:
僕は、基本的に自分のできることを無理なくすることがまずいちばんだと思います。「できない、できない、どうしよ」って言う人、たくさんいますよね。自分が気が向いた時に自分のペースで一歩進むことがいちばんじゃないかと思います。そして協力し合って、今回の「心の花プロジェクト」じゃないですけど、いろいろな人が賛同してくださって、すごく大きなものになるのはすごいことだと思います。それを目の当たりにして……、人ってひとりじゃ何もできないですから、支え合ってやっと生きていけるんやなと思います。気持ちを寄せ合って前に進めたら、新しいものが見えてくると思います。そういうところを伝えたいですね。

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『心の花』
今あなたは 冬の途中の花
見えないけど
土の下で根を張っているから

悔し涙も過去も全て
きっと
後少しで雪解け
優しい花に

夢に焦がれた僕らは 何度でも
風の日も 雨の日も
頑張れるから

その姿 誰かをそう勇気づけて
いつのまに たくさんの花
ほら
咲かせていく

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Profile

土居 康宏(どい やすひろ)さん<ミュージシャン>

土居 康宏(どい やすひろ)さん
<ミュージシャン>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
神戸生まれ。高校3年生の時に阪神大震災を経験。卒業後、会社員を2年経験したのち、ガス工事土木作業員として5年勤める。2000年冬アコースティックギターを購入し、ガス工事の仕事をしながら路上ライブを開始し音楽活動をスタート。
バンド、アカペラ、ゴスペルなどで数々のイベントやライブを経験したのち、2005年よりソロ活動を開始。2006年2月、日本を代表するソウルシンガーSAKURAのバックコーラスに抜擢。
その歌唱力が広く認められ、数々のライブやイベント、ツアーに参加。2006年12月FNS歌謡祭にてSMAP、Kinki Kidsのコーラスを務める。ジャンルはポップス、R&Bに留まらず、演歌界では北島三郎、氷川きよし等のコーラスを経験。
2007年より、ヴォーカルチーム『Unlimited tone』を結成。2008年8月全国デビュー。歌だけではなくMCでの絶妙な掛け合いから注目を集め、新人では異例とも言える2時間生放送のラジオ関西でのラジオ番組のパーソナリティに抜擢。
現在は、グループでの活動だけでなく、ソロとしてもライブやコーラスサポート等を精力的に行っている。

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