神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

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「生きていく私たちへ~伝えたいこと~」



<第1部>

映画人行定 勲さんと神戸の縁

行定さん:
こんにちは。本日はどうぞよろしくお願いします。

フェリシモ:
今日はみなさまの代表として、行定さんの魅力を引き出していきたいと思います。本日は4つのテーマでお話いただきたいと思います。まず、プロフィールと作品について、そして行定さんと神戸について、作品のテーマについて、そして今後の作品づくりについて伺っていきたいと思います。最初に、神戸でロケをされた作品について伺いたいと思います。行定さんの作品の中でもター二グポイントとなった「GO」、この作品は金城 一紀さんによる2000年に直木賞を受賞された小説が原作となっています。こちらの映画は日本国内でも数々の賞を受賞した作品ですが、まずは、映画「GO」の予告編の韓国バージョンをご覧いただきたいと思います。この作品は、実は、この映画、神戸でロケをされたということで、神戸の市営地下鉄のホームの様子が出てきますので、そのあたりを注目して見ていただけたらと思います。

(映像)

行定さん:
今初めて、韓国バージョンの予告編を見ました。これは、僕の最初の出世作になった映画です。金城 一紀さんが直木賞を受賞されて、彼自身の真実のストーリーではないけれど、自分が在日韓国人でいることの、日本で在日であることに対する人生のあらがい方、自分の中でなんとか道を切り開いていくっていうさま、思いを描いた迫力のある、それでいてポップな小説だったんです。この作品は、冒頭の部分からおもしろいわけです。グレートチキンレースというのがあって、電車の前を走るんです。で、ホームの端まで走りきったら勝ち、もちろん走りきらなければ電車にひかれるわけです。そういうレースをさせられているっていうシーンがあるんです。原作では、実際荒川の方で、彼は中学、高校時代を過ごしているんですけど、先輩たちが本当にやらかしてたらしいんです。何度も警察に捕まっているという……。俳優の山本 太郎さんが先輩役で、彼が鞄を投げるシーンは、重要なポイントだったと思うんですが、映画でこれをやるっていうと、非常に大変なんですよ。まず、線路を走るなんていうことは社会的にやっちゃいけない行為だし、普通は台本の段階で省くんです。でも、制作会社東映はもちろんやりたいということになるわけなんです。やるのはいいんですが「撮影する場所は?」となって、日本国中、鉄道に聞いて、もちろん断られるわけです。

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そんな電車の前を走るなんて……、まずホームに下りること自体無理なんです。で、探して探して、北海道から九州までいろいろなところ探したんですね。それで、神戸フィルムコミッションの田中 まこさんという方に「なんとかお願いできないか」とお話させていただいて、市営地下鉄の上沢駅を使って、撮影させていただけることになったんです。映画の中では、東京の中の地下鉄という設定ではあるんだけれど、上沢の駅を貸していただけるという話になったんです。普通フィルムコミッションは、もともとは観光を目的としていて、神戸にもっと来ていただくために映画を通して神戸のよさをPRするという主旨がある機関だと思うんです。ただ、それが地下鉄じゃないですか、しかも神戸ってうたわない、地下鉄の風景としては東京でも神戸でもそんなに変わらない中、まずよくさせていただけたっていう……。これは、日本の映画づくりが変わった瞬間なんですよ。神戸フィルムコミッションが立ち上がったのが国内で2番目くらいなんですが、立ち上がってこの「GO」という作品に「神戸をアピールできなくても協力する」って言ってくれたんです。やらせてもらえるんだ、神戸はそういうところなんだということを僕たち映画人は知り、みんな神戸を頼ってくるんですね。「神戸はいろいろなことをやらせてもらえるぞ」って、映画人たちは神戸にいろいろ持ちかけるようになっていったんです。
なおかつ「GO」は、たまたまその年の評価される作品になったことが、映画界にフィルムコミッションが観光を誘致するための一部分じゃなく、映画産業としても貢献する機関になるっていう、そういう部分を担えた、ある種歴史を変えた瞬間だと思います。オープニングで窪塚 洋介が、電車の前を走っていますが、なかなか迫力のあるシーンだし、やっぱり世界中で「彼は本当に走ったのか?」とか「彼はどのくらいのスピードで走っているのか?」とか真剣に聞かれるくらいのシーンが撮れたと思います。僕のターニングポイントになる「GO」の立役者は、実は神戸にあると言っても過言ではないなと思います。そういう意味でも、神戸はゆかりある土地だなって僕は思っています。

フェリシモ:
「GO」以外にも映画「恋のしくみ」で旧居留地のシーンが登場しますが、印象的だったエピソードはありますか?

行定さん:
「恋のしくみ」は、濱田 岳くんが主演のキューピッドの話。40分くらいの短編です。ほとんど神戸で撮影しました。「GO」の時は、地下鉄だから地下での撮影だったので、神戸の記憶が地下なんです。だから地上の神戸を撮りたいなってずっと思っていました。神戸は古い場所が街の中に点在しているんですね。撮影するとシックに映るし、なおかつキューピッドの話なのでロマンチックにしたいなあというのもあって……。神戸の風景にすごくマッチするんです。フィルムコミッションさんにご協力いただいて、いろいろな場所で撮影させていただいたので、ぜひ見ていただけたらと思います。

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行定 勲さんのプロフィール

フェリシモ:
行定さんは1968年生まれ、今年44歳です。助監督を経て、監督として作品を発表されたのが29歳のですよね。10代のころから映画に携わってておられ、以降著名な作品の数々を残していらっしゃいます。映画監督を志すようになられたきっかけは何ですか?

行定さん:
よく「どうやって映画監督になったんですか?」「どうしたら映画監督になれますか?」って聞かれるんです。一言で言うと「映画が好きだったから」としか言いようがないんですけど……。
僕にとって重要なポイントは、まず僕の父親です。父親は九州の、モノを売る仕事をしていました。それもバッタもん、微妙にバッタもんなんです。自分の家の車にあるキャラクターの絵が描かれているんです。でも微妙に本物と違うんですね。僕が「これ本物?」って言うと「そうだよ」って言うんです。「お前、本物を描いたら、版権というものがあって、怒られるんだよ。だから俺は本物のようで本物でないものを描いたんだ」って言いきるんです。「これは本物に見えるけど、お前は本物だと思っただろ? それでいいんだよ」って言うんです。そんな親父がバッタもんを売っていたんですね。「あれは6000円するのにこれは1500円で買えるんだよ」とか言って(笑)。田舎のおじさんとかは「こどもに買っていこう」って、買っていくんです。あとで「あんた! こどもに偽物だって言われたよ」とか言われながらなんですが、そういう仕事をしていました。ちょっと変わった親父なんですが、僕の友だちは「おもしろい」って言って、みんな親父のファンになるんです。僕としてはあまり尊敬できない人間ではあるんですけど。ただなんか、親父の行動がずっと心に残っているんです。

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そんな親父が、僕の最初のターニングポイントをつくってくれるんです。僕が11歳くらいの時に、黒澤 明監督の映画「影武者」のロケが、熊本城で行われたんです。親父に「黒澤 明見に行くぞ」って言われて、親父は僕を熊本城に連れて行くんです。僕は黒澤 明をよくわかっていないんですが「とにかくすごい監督がいるんだ、見に行くぞ」って。行くと、撮影中だから、熊本城の中は関係者以外立ち入り禁止。お堀の外からしか見れないんです。熊本城がライトアップされて、光がこうこうと照らされていて、中で撮影してるんだなっていう空気が伝わってくるんです。まわりにはいっぱい野次馬もいて……。そこで親父が「お前、中に入って見てこい。こどもだから大丈夫だろ」って僕に言うんです。僕は、背中を押されて行くんですね。意外とするっと入れて、暗い中、奥の方にライトが当たってるんですね。そこに、赤い甲冑をつけたサムライたちがいっぱいいるんですよ。今思うとエキストラなんですけど。みんなで鎧兜を泥とかで汚しているんです。休息をとっていた武田軍の兵士たちです。今考えるとその人たちは熊本大学の学生たち。でも、こどもから見ると本物に見えるんです。みんな赤い甲冑を着ていて、旗を振っていて、ここは戦場だと思ったんです。自分がまるでタイムスリップしてきたような感じですね。そしてジーパンをはいているスタッフの人たちの姿もすごいなあと思って……。「この人たちは何なんだろう?」と思いました。そしたら、「撮影開始するぞ。整列!」とか言って、スタッフの人に「だめだよ、君、入ってきちゃ」って、外に出されたんですけど。
撮影現場の戦場のだだならぬ空気を持ち帰って「黒澤 明の映画を見よう」と思って、名画座を見たりしていました。そして1年後に「影武者」が公開されますよね。土曜日に公開だから、親父は「学校を休んでいい」と言ってくれて、一緒に観に行きました。そしたら、熊本城が出てくるんです。武田 信玄が死んだお城の設定で、そこに僕が見た甲冑をつけた兵隊たちのシーンが出てくるんです。僕は「すごい」と思ったんです。リアリティがスクリーンの中にある、本当の戦国時代を彼らはつくってたんだ、と思った時に僕は真っ先に「あのスタッフになりたい」と思ったんですね。熊本城のロケの時、黒澤 明を見ていたら、僕は「黒澤 明になりたい」って思ったかもしれないんですよ。そしたら、僕はここにいないと思います。もっと早く挫折していると思います。ただ、あのスタッフ、ジーパンをはいたひげのおじさんたちが何十人といて、その中のひとりにならなれるんじゃないかって思ったんですよ。僕にとっては彼らがこの映画をつくったんだと……。僕は、最初から意味を感じました。
映画って最後のローリングテロップに名前がいっぱい出るんですね。あそこで席を立つ人がいますが、僕も若いころはそこでもう終わったと思っていたんです。あのテロップが上がっていく時に、彼らの名前が誇らしげにあるんだな、意味があるんだ、あそこに名前が載るってことはすごいことなんだと僕は最初から思っていたので、あまり映画監督になりたいと思っていなかったです。映画をつくる、はじっこにいるスタッフになれればいいや、あれくらいならできるんじゃないかと思っていたんです。
そこがスタートでした。変な父親なんですけど、今では僕が「GO」で受賞すると「あれは俺が熊本城に連れてったからだぞ」とか自慢してます(苦笑)。変な父親の元に生まれて、そうやってきて今の僕があると思います。

フェリシモ:
監督としてこういう作品をつくりたい、とかではなく、映画とはみんなで一緒につくるものなんですね。

行定さん:
監督ってエンドロールで最後に名前が出て来たりするんですけど、一部ですね。映画ってひとりでつくってるもんじゃないんですよ。例えば、役者が思いもしないことを動いた瞬間に全然違うイマジネーションがふくらんだりすることが多々あるんです。完全に自分を否定されてるんですよ、役者に。役者が自分で演出したことと違うことをやった瞬間に既に、今度は自分を否定したくなる、彼を肯定したくなるんですね。そうすると今までの自分のことは全部否定ですよね。捨ててもいい、彼のやったことに合わせていきたいと思ったりする瞬間もあります。
僕が助監督の時に中原 俊という監督が「櫻の園」を撮影していた時、監督が僕にふいに言った言葉が印象に残っています。ラストシーンを考えている時に「ヒキとヨリどっちで終わった方がいいと思う?」って問われるんですよ。そんなことを決められる立場ではないので、ちょっと気を抜いていたんですね。すぐに答えられなくて……。そしたら「いいよ。昼飯食べてからでいいよ。考えといて」と言われたんです。僕は飯も食えなくなっちゃって、ずっと考えて、それで「アップだと思います」と言うと「そう」って……。でも、実際撮影したのはヒキでした(苦笑)。ただ、これは僕にとってすごいことだと思ったんです。まったく自分に聞かれると思っていないことをスタッフに聞いてまわってるんですね。そうすると気を抜けないんですよね。何を言われるかわからないから。これは僕もマネしてやってます。例えば照明助手さんに聞いてみたりとか。一見、見ていないようで見ている人の意見がよかったりするんです。スタッフっていうのは、結局何か物事をやるってことは、誰かの評価なんですよね。みんなは「これがいちばんいい!」ってことを全部やってるんです。自分でもそうです。「こういうシナリオで、こういう台詞を言わせた方がいい」って思ってるんです。さんざん考えてるんだけど、結局映画館でそれを見せても、観客は響かなかったりするんです。
「ここは笑えるでしょう」と思っても笑わなかったり、意外なところで笑ったり「ここは泣けるでしょう」ってところで泣かなかったり、むしろ批判されたり……。結局、評価は他人がすることなんです。スタッフの中でも、評価しあっているんです。そこを僕は信じていて、だから僕の組のローリングテロップが流れている時は、誰かひとりが欠けてもこの映画はできなかった、という状態を常にもっていきたいと思っています。

フェリシモ:
それでは、これまでの行定作品の予告編を6点ご覧いただきたいと思います。

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(映像)

「ひまわり」
「きょうのできごと」
「世界の中心で、愛をさけぶ」
「春の雪」
「パレード」

フェリシモ:
6つご覧いただきました。ひとりの方が監督をされているとは思えないほど、多彩な作品ですね。原作があるものを手がける時「やってみたい」と思われる決め手とは何ですか?

行定さん:
映画は本来オリジナルであるべきだと思っています。海外の映画祭によく行き、海外の映画人と話す機会があるのですが「日本人はなぜ小説を元に映画化するのか?」って聞かれます。例えば小説を読んでインスパイアされて、こういうものをやりたいっていう中でも「結局行定の作品見ると小説とちょっと違うじゃないか」って。結局自分に寄せて、話を書き変えているんですね。原作がある映画っていうのは、日本特有なんですよ。まず小説で人にたくさん読まれている、発行部数が多い小説は興味があるから映画も見に来るだろうっていう、要するに保険なんですね。例えば、売れている漫画が映画化されているのも保険なんですよ。その漫画を実写でやるとどうなるかっていう……、結構おろかな結果になっていることがほとんどですよね。
小説であっても、結局書き換えることが前提である小説しか映画化してないんです。要するに「監督におまかせしますと」と作者から言われる言葉が得られなかった場合は、結局不幸な結果になってします。文字で書いている時に、映画化する前提で書かれていないわけです。例えば、僕らが映画化する、オリジナルでやる場合は、もう映像にするってことを前提につくっているので、それがおもしろいだろうっていう……。
結局、小説の中に、自分の死生観とか、特に生きているうちに自分が琴線に触れる部分、心が揺り動かされる部分がより多いものは、映画になるだろうというふうに思っています。なるべくそういうものだし、基本自分の原風景っていうものがあるんですね。なんとなく培ってきた、これまで生きてきた中に、この小説が合わさってきた時に化学変化していい形になって映像がつくれるかどうかというのは、やれるか、やれないか、自分の中でのひとつのラインになっていると思います。

フェリシモ:
科学変化とおっしゃいましたが、それは見ている人の中に起こるものでしょうか?

行定さん:
どちらかというと、僕に起こる感じですね。僕は基本的につくり手でもあるんだけれど、自分がいちばん見たい映画になるかどうか、この題材が嘘だったらいけないわけです。僕の中で真実としてこれが……、例えばこれが映画が公開される前のキャンペーンに行って、記者会見で、自分のものとして語れるかどうかですよ、その小説が。「小説に書いてあったからそうしただけです」では、話にならない。結局それは、映像にするだけの職人でしかないわけです。それは僕には興味のないこと。なおかつ、原作を題材にスタッフが、ある期間求心力を持ってそのことについて取り組めるかどうか、話し合えるかどうか、すごく重要な議題なんです。それが白熱すればするほど、クルーとしてはひとつにかたまり、ベクトルが決まる。違うことを言ったとしても核になる議題が強ければ強いほど、みんなそこに引き寄せられていくんです。原作との映画になっていくプロセスというのがきっちりしているという……、そういうものじゃないとやれないだろうなと思います。
例えば「世界の中心で、愛をさけぶ」という映画のエピソードでいうと、僕は最初小説を読んだ時点で断りました。なぜかというとあまりにもメランコリック。そして小説の中に核心の部分が書かれてなかったんですね。それは読んだ人がそれぞれ思えばいいと作者が思っていらっしゃるのか、作者がただ自分のこと、自分の思いで話を書いたのか? 自分の中で、琴線に触れる部分が少なかったんです。なぜなら映画「ひまわり」は僕の死生観を表している第1本目の映画だったんですね。何かというと、僕の友だちが死んだお葬式の帰りのことをすごく思ってた時期に書いたシナリオだったんです。
その友だちは小道具の仕事をしていて、撮影中にバイクの事故でトラックと正面衝突して亡くなってしまったんです。僕は最後に彼と語り合った人間として、彼がバイクで出て行く直前までスタッフルームで話していたんです。「寝不足だから気をつけろよ」とか、彼から「今度自主映画つくろうと思うんだけど、手伝ってくれないかな?」って言われて「手伝うよ、やろうやろう」って言って、彼は 交通事故で死んだんですよね。僕はその時に残された人間として、彼の言葉を自分が受け継いでいかないといけないという気持ちとか、お葬式の中でみんなで語りあったんです。「彼はこんなこと言ってたね」とか、お通夜が終わって翌日一回家に帰ろうってことになってみんな帰るんですが、始発間近、待っている間にプラプラ歩きながら「今日、告別式に行けないんだよね」と言う仲間もいて、それは「仕事があるからなんだ」と……。

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自分たちが生きて行く言葉を口にするたびに、なんか自分が罪悪感にとらわれるんです。亡くなった人間が目の前にいて、自分の思いがあって、これからの道を断たれたのに、翌日のことを考えている自分がやりきれない気持ちでいたんです。その時にひとつだけ思うことがあったんですね。シナリオにしてみようって思って、シナリオにした時に、結果は違ったんですよ。亡くなっていく人間を書こうと思ってたのに結局残された自分のことを書いていたんです。残された自分がどうやって生きていかなきゃいけないのか、きれいごとで言えば彼が亡くなった分、自分が引き受けて何かが生まれるそういうシナリオでもないんです。今の自分が残された人間がどうやって生きていかないといけないのかっていう悩むシナリオになってしまった、それが「ひまわり」だったんです。
それを書いた上で「世界の中心で、愛をさけぶ」をやろうとすると同じテーマになってしまったんです。同じものをもう一度するのはどうかなと思い、お断りしたんですが、プロデューサーが粘ってくれて「もう一度話をしたい」と、その時にたまたま僕の弟子にあたる伊藤 ちひろっていう当時19歳の脚本家志望の女の子を連れていってたんです。プロデューサーが「彼女いいじゃない。彼女に『世界の中心で、愛をさけぶ」書かせてみよう」っていうある種の交換条件を出して来たんです。「じゃあ、それを読んでみて決めます」と答えました。その時彼女が書いてきたものは「『ひまわり』を見て、行定さんお場合は、取り残された人間が動けないでいる。亡くなった人間に対する罪悪感ばかりがあって、どっちかというとネガティブ、もうちょっと前に進む力をこの主人公たちに与える『ひまわり』のもう一歩先を描くのが『世界の中心で、愛をさけぶ』じゃないですか?」って20歳の女子に言われたんですよ。その時になんか自分がやらなきゃいけないことはそういうことだな、ある種の自分の人生ですよね。映画をつくっていくプロセスも自分の人生にあるとしたら「世界の中心で、愛をさけぶ」はその一歩先を描くんだ、と他者に言われて「なるほど」と思いました。
こんなに自分が前に進めないで、死別した初恋の女の子のことを思っている主人公が、一歩だけ前に、今目の前にあることをちゃんときちんとやらなければいけないということは、これはすべてにつながっているんじゃないかと思ったんです。残された人間が受け止めながら前に進んでいかなければ、それは物語として進化しなかった、僕の人生の中では。そういう意味では「世界の中心で、愛をさけぶ」が世の中に大きく受け入れられたことも……。
「ひまわり」は観客動員が約1万人くらいでした。「世界の中心で、愛をさけぶ」は650万人。これぐらい差があるんですよ。大きな配給会社がするという差があるとはいえ、みんながどこかでたたずんでいるんじゃなくて、何か行動に移さなきゃいけない、それは小さな行動だったんですよね。「世界の中心で、愛をさけぶ」の主人公たちも。そういう問題を抱えながらも前に動けるかどうかっていうのは、非常に自分の中で、大きく、当時20歳の脚本家にある種影響を受けてやったという流れがあったんです。原作選びには、自分の人生がかかっているんですね。他社の小説を取り込んで取り込んで映画化するっていうことは、責任があるんですね。人の子を預かって、どう育てていくかどうか。そういう意味では、自分の人生に反映されていることはありますね。

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行定作品のふたつのテーマ。
「繰り返し」と「死生感」

フェリシモ:
作品によって、少しずつテーマが発展していくということですね。そのほかに、作品に共通していることはありますか?

行定さん:
ふたつあります。ひとつは「繰り返す」。「まわること好きですよね」って言われるんです、演出もそうなんです。「くるくるまわりますね」って。物語もくるくるまわっているんだけれど、まわりながら少し変化をしていく。それともうひとつは「死生観」。とにかく人が死にます。死ぬんだけど、取り残された人間側を描きます。この死んでいく人より、残された人を描いています。 まず、「死生観」から言うと、僕がひとつ捕われていることがあるんです。僕の映画は、あるひとつのできごとから生まれているんです。小学校のころに、すごく仲よしの友だちがいました。彼はとにかくクワガタ取りがうまい、釣りがうまいんです。僕にとってはヒーローだったんです。(中略)
僕はある約束を彼としていました。何かって言うと、 「湖にいる鴨をパチンコで打って、鴨を捕まえて、剥製にするために売ると高く売れるから、その売った得たお金で熊本を出よう」って彼が言うんです。その約束がものすごく冒険に思えて、彼が大人びて見えたんですね。結局その約束もなあなあになっていたんですが、ある時「パチンコつくったから、待ち合わせしよう」って言われるんです。でも、彼を嫌っていたクラスメイトが邪魔をするんです。「冬にもクワガタがいるから、家に見にこない?」って。僕が彼と約束をしているのを知っているから、邪魔をするんです。僕は「冬にクワガタがいるはずない」って言って見に行ったんです。越冬するクワガタがいて、その時噛まれて血まみれになって、2針縫うんです。結局僕はその約束の場所に行けなかったんです。雨も降って来たし家に帰ったら、彼がいないと捜索されていて、彼は湖で転覆事故に遭って死んでしまったんです。それが、僕の人生で初めて、すごく密接に過ごした人との別れでした。(中略)
それが巡り巡って、「GO」という映画を東映さんから「やりませんか」と声をかえていただいた時、僕は泣きました。「GO」を小説で読んだ時に金城君みたいな人が、主人公の杉原みたいな人間がそばにいたら絶対彼は死ぬことはなかったし、彼がそうなる力を持っていたらそうなってなかっただろうなと思いました。僕の中では「GO」は天国にいる彼に捧げる映画だって思ってつくりました。

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どこかで、死に別れたりする中で、残されていくことがほとんどなんですよ。だいたい、後ろ姿だったりするんです。どんな顔してたんだろう、思い浮かばない。「GO」の時も、それは意識しています。最後に去って行く姿、僕の映画の中で人が死ぬ時は必ず、後ろ姿だったりします。何を印象的に見るかと言ったら、そこに届かない思いがあるんですよね。生きている時に。自分が、日常で生きている時にどのくらいその人を真っ正面から受け止めていたか、自分の中で基本になっているので、小説を読んだ時に生と死みたいなものが……。「世界の中心で、愛をさけぶ」の時もプロデューサーが「泣ける映画にしてください」って言うわけですよ。でも僕は全面的に否定しています。「これは決して泣ける映画じゃない。そんな言葉で片付けられる映画じゃないんだ。切実な映画であるべきだ」とずっと言ってるんですね。(中略)小説では、「そんなアホな」って突っ込まれるところをどうすればリアリティを持って、映画にできるかなってことを考えた時に、あの時何もできなかった自分の感情と重ね合わせていると思います。すべての作品が、そうやってすべて自分の中でつながりを持っていくという……。テーマのひとつ「死生観」は、その小学校の時の話でしかないです。
もうひとつ。「繰り返す」の話をします。僕は小津 安次郎監督に継投しているわけではないのですが……。日本を代表する映画監督小津さんは、どちらかというと、いつも同じような話の繰り返し、娘が結婚するとかしないとか、結婚しました、寂しそうなお父さんが最後に残る……みたいなのがあるんですね。彼の映画で有名なのは、撮影スタイルはローアングル。絵の構図が特殊なんです。独特なんです。ただここにはからくりがあって「なんでそれをやったんだ」なんで、こんな繰り返すのかっていうと、僕が最近ずっと思っている意図は、人って、働いていたり、学校に行ったりしていますよね。例えば、働いているとすると、ほとんどの人が家から駅に行く、電車に乗る、会社に行って、仕事終わって、飲んで、また電車に乗って家に帰る……、循環してるんです。だいたい、人ってそうなんです。基本はちゃんとした合理的な道があって、繰り返しているんです。小津 安二郎ってきっとそういうことなんだろう。基本的に決められたもの、定点を映すと変化がわかるんです。1年、同じ場所から撮影すると意外とおもしろいんです。季節も変わっていく、多分人生を客観的に撮影すると必ずちょっとずつ違っておもしろいです。映画の基本はそこにあるんじゃないかっていうふうに思っています。その繰り返しするっていうのは、人生です。僕もそういうことをなるべく重んじて、なるべく同じようなところから撮るように心がけてしています。
その繰り返しの人生の中にたまに大きく、逸脱するできごとが2、3あるんです。例えば、恩師との同窓会がありましたとか、あと結婚式がある、お葬式とかがあるとか、でも小津さんの場合は結婚式自体は描かれていなくて、結婚式のあとその服のまま日常の中にいるっていう、それを繰り返すんですね。そうなった時に感情だけが変わっている、その繰り返しの美学というか、循環していく、日常を繰り返し。僕もすごく意識的に毎日歩いています。そうすると変わっているんです、昨日とは確かに違う。そういう日常を暮らすことが、日常の人生を豊かにするっていうふうに小津監督は言ってるんだろうと思います。僕は、そういうふうに受け止めていて、小津安次郎の映画がすごく好きなんです。日常の人生を意識して「死生観」と「繰り返し」を描いて書いるつもりです。

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今後の作品づくりについて

フェリシモ:
循環する美学に惹かれる理由は?

行定さん:
変化は簡単に訪れないとうことですかね。基本的にはやるべきことがあるんですよ。循環できなくなる瞬間はよくないです。とにかく忙しい人間は、繰り返さなきゃいけない。一見平凡に思えるけれど、これがいちばん豊かなんじゃないかなって僕が思っているんで、そこがあこがれですよね。
僕のような映画をつくっていると日々違うことがあるわけですよ。それでもなるべく循環させている何かを意識させると自分のリズムを取り戻せるという……。
1年前に東日本大震災が起こって「我々は映画をつくっていいのか?」と思いました。自分たちが繰り返している循環の中で、それをできなくなってしまうこと、神戸もそうですよね。でも、きっと取り戻そうとしていた方が……。昨日、ホテルの上階から街を見た時に生きていく人たちの力を上から俯瞰で見た時、胸が熱くなったんです。これだけ復活できるんだって。あの時僕らは何もできないでいました。東京で映画の撮影中だったし。今回も、実は映画の準備をしていたんだけれども、東日本大震災が起こった時には中止になったんですね。ただ、そんな時こそ、以前僕が死者を前に動けなくなった時と同じだ。ここで、一歩踏み出して自分たちが動いていかないと戻れるものも戻ってこないんだろうなって思いを強くしたんですよね。東北のことは気にかかっているんだけれど、まず自分たちがそれを取り戻して行く、いつか彼らがまた同じ循環する中に、僕らとともに歩けるようになるまで、僕らはやり続けなければならないと思います。

フェリシモ:
明日で東日本大震災から1年を迎えます。行定さんは被災地に出向かれたと思います。映画人としてどのようなことを考えられましたか?

行定さん:
実は、震災が起こった時、実際自分たちが今の時代に映画をつくっていくことに、重要なターニングポイントになるだろうけど、自分自身の作家性が変わるとか、影響が及ぼされるのかは、手に取るようにわかるわけではなかったんですね。まわりに集まった人たちは、まっぷたつに別れるわけです。「もう俺は作家性が変わってしましった」と明確に言う人もいて……。じゃあ、僕自身はどうなのかというと、戸惑いがあったんです。そのころ進めていた映画は、震災を機にだいぶなくなったんですよ。今こういう映画をやるべきではないとか、例えば人が殺される映画は誰もみたくないとか、僕の映画ももれなくつぶされていくわけです。実際我々は「ある距離感を持っていてもどうなのか。我々ができることは何なのか? 被災地に行ってみないとわからないよね」ってなって、どんな理由でもいいから、あるプロデューサーが「映画屋が集まって、とにかく自分たちがやりたいことをやろう。それが、受け入れられないこともあるでしょう。ただ、我々ができることは何なのかを知りたい」と思っていたので「じゃあ、行きましょう」となりました。僕は被災地に2回行かせてもらいましたが、最初に行ったのは5月でした。
僕らは映画屋という名前で行くので、みなさんが避難されている場所をお借りして映画をかけようっていう話になるんですが、まず「何をかければいいの?」というところから始まるんです。失意の中、日常を取り戻せないでいる人たちに「何を見せればいいんだろう」と僕ら映画人は考えるんです。せっかく映画監督が5人も6人もいて「誰かがその気持ちをかけてあげるのがいちばんいいよね」とそれぞれ吟味するんですよ。でもどの作品も、誰かが亡くなるシーンがあったりして、気分が落ち込むんじゃないかってなって、どうにもならない。いろいろ迷って、で、決まった映画は「男はつらいよ」です。

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(会場:笑)

先輩の映画に頼らないといけないのかってなって……。とりあえず僕らは、被災地の今の現状を知って、被災者との距離を縮めるためにまず上映したんです。ある集会場でさせてもらうことになり、チラシを配ったら「5、6人来ないよ」と言われていたところ、20人以上の人がいらしてくださいました。みなさん渥美 清の芝居に笑いました。上映会をやって、心から「ありがとうございました」と言われ「どういう映画が見たいですか?」と聞くと「昔の映画が見たいわ。懐かしい気持ちになれた」って言われたり「自分たちのことを気にかけてくれてありがとう」と言われて……。寅さんを見て、心から映画の中に一体化するというか「その時間だけでも自分たちの見えない未来の部分を忘れられた」っていう言葉を聞いた時に、小さな光が映画にはまださしていると思ったんです。
僕が得たことは、我々はどこまで行ってもどうしても距離、溝は埋められなかったなということです。ただ、また同じように僕らは僕らで、これが、のちに、10年後でもいいから見てもらえるような映画に切磋琢磨していくしかないんだなと感じる旅でした。
そして映画は無力だって、みんなが思った瞬間でもありました。音楽の仲間たちはその場に行って音楽を演奏して、一緒に歌って心を動かすことができたんですね。でも、映画は、彼らをすぐダイレクトに描くことはできない。我々がやらなきゃいけないことは、また別。ある種フィクションの世界で、今回起こった痛みを含めた上で、この影響を及ぼしたことを語り継がなきゃいけないと思った旅でした。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
今回、神戸学校に参加された経緯を教えてください。

行定さん:
ずいぶん前にお話をいただき、時期がずれたのでできるような気がします。神戸学校は長い期間続いていますねよ。持続されている中で、聞く側の人たちが長けているからだと思うんです。そこに集まっている人たちいるからこそ続いているんだろうなって思います。主催者側も来てくれる、受け止めてくれる人を信じてやっているという主旨が素晴らしい。こういう状況ってなかなかないんですよね。とにかく、何しゃべってもいいです的なところがあるでしょ。ただ、これだけ過去を語ってこられた、そうそうたるメンバーを見ても僕は、独自性のあることを話せることができるだろうかって問われている気もするんですね。
「この人の話聞いてみたかった」っていう方が何人いるか……。そこがいちばんの大きなポイントでした。井筒監督とか、亡くなった市川 準さんとかもいらしてましたね。意外に映画人が少ないですね、もっと呼ばれるようにならないとだめだなあと思ったし、束芋さんとか聞いてみたかったですね。気になる人たちが多かったていう、それが、いちばんの決め手ですね。
あと、僕は映画祭とか言ってもほとんどホテルから出ないんです。ホテルの喫茶店、ホテルのラウンジばかり。何をやっているかというと人と会ってるんです。ベルリン、ベネチアでも観光はほとんどしないんです。ホテル、映画祭の会場だけです。そこの風景の中に人がいる印象なんです。そこで話している内容しか覚えてないんです。場所にというより人に会いに行く感じなんです。神戸も、フィルムコミッションの田中さんに会うとか、ここに来ればこういう人がいるっていう印象があるんです。それで、街を覚えているんです。神戸学校のスタイルっていうのは、人が人をつなげているんじゃないかなと思います。僕らこうやって会ってるんですが、どこかの映画祭とかで「実は神戸学校で講演聞きました」とか話すと仲よくなったりするんですよね。人と出会うことが重要ですよね。

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好きな言葉があります、ポーランドのヴィスワヴァ シンボルスカという詩人が、「始まりはすべて続きにすぎない」です。「終わりと始まり」という詩集に入っています。その人の「ひとめぼれ」という詩があるんです。素晴らしい詩です。人と人は偶然でつながっていて、僕らは偶然に翻弄されて出会いがある、どっかの瞬間に会うということを言っていて、だから「始まりはすべて続きにすぎない」。なんか始まったと思っても、実はもっと前から続いていたんですよ、という詩です。それが僕にとっての人生とか、僕が生きている間に僕が思ったことが映画になってはいるんだけど、人と出会うとか原作と出合うとか、それはどこの時点で起こってもおかしくないことだと思うんです。神戸学校が続いていっていることに、人と人のつながりが見えるというか、そういう求心力があると思いました。

フェリシモ:
最後に神戸学校事務局からの質問です。「明日からがんばろう」と一歩前に進めるようなメッセージをお願いします。

行定さん:
たいしたことは言えないですが、僕もがんばりますので、みなさんもがんばってください。さっきも言ったように、神戸の街をホテルの窓から俯瞰で見ると、数年前にはこの街がああなっていたとは思えない、人間の力強さを感じます。地に足をつけて日々がんばろうと思える気持ちとか、神戸学校の主旨もあると思いますが、人と人とのつながりとか、力を合わせるすごさとか、まざまざと風景の中に見て取れるのは、人間の力を改めて信じられると思いました。神戸に来てよかったなと思いました。こういう世の中なので、それぞれ大変かと思います。僕自身も映画も不況の波が来ていて、ただ諦めずにやるってことは重要なんだなって改めて思ったので、日々を大切に生きていきたいなと改めて思いました。僕自身が映画で描くことは、多分みなさんの日常の一断片にちょっとでも触れるものなんですけど、そういうものが、少しでもポジティブなところに映画のテーマが向かっていけるように僕自身もみつけだそうと思っています。みなさんも日々、ここに来ている方は何かを受け止めている方だと思う人たちだと思うので、それぞれがそれぞれのことをやればいいと思っているんですけど、世の中がいい方向に向かうことを願って止みません。

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Profile

行定 勲(ゆきさだ いさお)さん<映画監督>

行定 勲(ゆきさだ いさお)さん
<映画監督>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
1968年生まれ。熊本県出身。映画監督。
『OPEN HOUSE』(1997)で長編劇場映画初監督。第2作『ひまわり』(2000)は第5回釜山国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞し、演出力のある新鋭として期待を集める。『GO』(2001)では日本アカデミー最優秀監督賞をはじめ数々の映画賞を総なめし、一躍脚光を浴びる。その後、『世界の中心で、愛をさけぶ』『北の零年』『春の雪』『クローズド・ノート』などの監督作品で不動のヒットメーカーとなった。
2006年に企画/プロデュースレーベル“セカンドサイト”を設立。劇場映画を含む、その他の映像制作の企画にも携わっている。
2010年公開の「パレード」は、第60回ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞。

Filmography
1997 『OPEN HOUSE』
2000 『ひまわり』『閉じる日』
2001 『贅沢な骨』『GO』『えんがわの犬』『カノン』(TV/WOWOW)
2002 『ロックンロールミシン』『Jam Films-JUSTICE-』『月に沈む』
   『タスクフォース』(TV/TBS)『私立探偵 濱マイク-サクラサクヒー』(TV/NTV)
2003 『Seventh Anniversary』『恋する日曜日』(TV/BSi)
2004 『きょうのできごと a day on the planet』『世界の中心で、愛をさけぶ』
2005 『北の零年』『春の雪』『髪からはじまる物語』
2006 『ユビサキから世界を』
2007 『遠くの空に消えた』『ショコラの見た世界』『クローズド・ノート』
2010 『今度は愛妻家』『パレード』『女たちは二度遊ぶ』(BeeTV)
2011 『パーティーは終わった』(BeeTV)『カメリア』

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