神戸学校

神戸学校はフェリシモが主催する「神戸発 生活デザイン学校」です。

  • フレデリック クレスタン=ビエさん(「メゾン・サジュー」オーナー)
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「フランスの手仕事 復刻から学ぶ本当に豊かな文化継承について」



<第1部>

フランスの手仕事に魅せられて……
手芸への情熱から、好きなことを仕事に。

こんにちは。まず最初に、私がここにいることに大変驚いていて、しあわせな気持ちでいっぱいです。本当に本当に光栄です。

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8年前、「メゾン・サジュー」を立ち上げて、日本という国が地図の中で、どこにあるかもわからないくらいの感覚だったんですけれど、それ以外に日本という国とコンタクトをとるなんて思ってもみませんでした。恥ずかしながら、日本の主要都市がどこにあるかも、わからないくらいでした。

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いまスライドをご覧いただいているのですが、これは「サジュー」のオフィスにある日本とフランスの国旗です。知り合いに訳してもらって、「ようこそ。メゾン・サジューへいらっしゃいました」と日本語でも書いています。今日は、みなさんの素晴らしい国・日本を知っていることを自慢するわけではありませんが、多くの日本人の方が「サジュー」のアトリエに訪れてくれることを誇りに思っています。現在日本の旅行代理店は、「サジュー」のアトリエを訪問するコースをヴェルサイユ宮殿のあとに設けたりしていて、多くの日本人の方が団体でが「サジュー」のアトリエを訪れています。で、いまでは、日本の中の15の都市がどこにあるかわかるようになりました。サジューのお客さまの中でも日本人の方が大多数を占めているのです。去年の3月11日大きな地震の知らせを受けました。フランスでは早朝でしたが、この悲劇をすぐに理解することはできませんでした。何が起こったかを知ったのは数時間後でした。3月11日の朝、私たちの大事な日本人のお客さまのおひとりおひとりにメールで安否を確認したことはよく覚えています。

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これが3月11日の、フランスの新聞の表紙です。自分のお客さまのことは、よくわかっているつもりだったんですが、テレビで混沌とした映像が流れてくるにも関わらず、彼らのポジティブの思考というのには、日本人のお客さまのイメージを覆されました。それから、15日以内に私たちの東京のお客さまのひとりからまとまった数の刺しゅう糸の注文がメールでありました。これには本当に驚きました。なぜなら、電気が止まっているというのをニュースで知りまして、すべてが簡単ではない状況で近所の人たちとお互いを元気づけるために刺しゅうのワークショップを開くのだということが彼女のメールの中に書かれていたのです。

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この写真は、その時に送った刺しゅう糸です。「メゾン・サジュー」は、立ち上げ当初から日本の方々と仕事をしています。ほぼ毎日のように日本に商品を出荷しています。地震直後は出荷が止まって、数週間待たなければいといけないと覚悟していたんですけれど、まったくそのようななことはありませんでした。数日待っただけで、お客さまのもとにスムーズに届けることができました。この姿勢は驚くべきことです。もしフランスでこんな大きな地震が起こっていたら、もっともっと複雑で長い時間がかかる自体に陥ることは目に見えています。このような日本人のみなさまのふるまい方に敬意を表したいと思います、そういうみなさまの前でお話できることを光栄に思っています。

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物語はひとつの小さな箱から……。

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30年以上前に私が両親と姉と妹と一緒に住んでいたフランスの東部の骨董収集家の家でみつけたひとつの箱からこの物語はスタートします。何から始まったかと言うと、このひとつの箱です。「C」「B」と印刷されています。なぜ私が買ったかというと、私の名前のイニシャルだからおもしろいなと思ったからです。「C」「B」というのは後からわかったのですが、カルティエ ブレッソンという有名な写真家の家族がつくった、1960年代までフランスでたいへん有名だった糸のメーカーだということでした。

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このカルティエ ブレッソンの箱から始まって、どんどん箱が欲しくなり、そのうち箱だけではなく、箱入りのボビンとか手芸店の当時のカタログなども集めるようになりました。アンティークのものを集めるということは、魔法の世界を発見した! と思ってすごく興奮し、それが骨董品のコレクションのはじまりとなりました。ジュラというのは、私の出身地です。その中にモレという町があるのですが、モレはメガネの産業地として有名でした。父方の家族はメガネメーカーと関わりがあり、父は自身の工場も持っていました。その父のメガネの工場の関係もあり、若い時はおこづかいが欲しければ、ほかのところで苦労して働かなくてもお父さんの工場で働くことができたのですが、もちろん働きませんでした。なぜなら私はアルバイトをするなら、絶対手芸屋さんと決めていたので「ベベローズ」という町の手芸屋さんで働いていました。
「人生は予想どおりにはいかない、それが人生だ」というフレーズがフランスにあります。たくさんの予期せぬできごとのあとに、偶然にイラスト関係の出版、小説だけでなく、写真、イラストが入っているような本を出版する業界に入ることになります。その出版業界に20年間働きました。その中で、数多く執筆し、その中で、いろいろな興味を持たせてくれるような本を手がけました。フランスの民族衣装、手工芸品、それから古くから続く工業製品の多くのブランドの歴史に興味を持つようになりました。それらにふれることができたのも出版業界に20年間務めたことが大きかったです。

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いま、それらの文化的な遺産、フランスで伝統的に受け継がれているものたちに興味を持ち始めたということで、いまの写真があります。これは私がコレクションしている、フランスで続く大きなブランドのカタログや図案集です。こういうものに興味を抱くようになりました。これらの仕事の中でシャンパンの製造をしていたヴーヴ クリコさんのお話に2年間携わることになります。

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これが肖像画です。ヴーヴ クリコさんは19世紀にワイン生産業をはじめ、その発展に努めた女性です。そのお話を出版業界に務めていた時に、執筆しました。彼女は19世紀にこのワインの生産業を始めたのですが、19世紀というのはまだ女性が控えめだったので、この当時にしては、稀に見る大胆で尋常ではないやる気のある女性だったそうです。彼女の執筆をしたことで、私の人生になんらかの影響を与えられました。
これらの20年間の仕事あり、そして私にはふたりのこどもがいます。でも、それでもどんな状況に置かれても、手芸用品への情熱はありました。その仕事のかたわら、自分のコレクションもどんどん増やしていきました。
そしてついに出版社を辞めて独立することになります。本をつくって編集者に提案する自分の小さな会社を立ち上げることになります。私の友人と、フラマリオン社というフランスの有名な出版社のために、小さな本をつくって、その本のコレクション、シリーズ本をつくることになります。

※フラマリオン社から出した本をつくっていたとフレデリックさんはおっしゃっているのですが、アイデア、文章は、すべてフレデリックさんがし、フラマリオン社の名前を使って出版するというようなことを独立してされていたそうです。

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独立してつくったシリーズ本ですが、本の上に「La folie des」と書いています。日本語に訳すと「○○狂」とか「夢中」とか「おたく」、「マニアック」という意味になります。
これらの本ですと、
(左:ワインについているラベルのおたくの本)
(右:フランスの地域別の衣装、民芸人形のおたくの本)
となります。

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これは、ワインオープナーおたくの本です。そんな形でマニアックな本を出されたんですが、それが大きな成功をおさめて、それ以外にもミニナイフ、ミニカー、昔の軍隊の人形、小さな香水ビンなどを扱っていました。それがきっかけで、刺しゅう用のはさみ、指ぬきの本を書くことになります。

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これらの本の人気が出たこともあり、手芸に関する、いちばん最初の本を出版することになります。日本語で『サジューのお裁縫箱』(株式会社カラーフィールド発行)という本です。

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手芸用品のコレクターたちとの出会いが
起業のきっかけに!

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これは糸の本です。日本語版も出ています。これらの本の出版にあたって、たくさんの手芸用品のアンティークのコレクターに出会うことになります。骨董収集家の中でもたくさんの収穫がありました。もちろん私も知識はありましたが、コレクターたちとの交流でもっと知識が増え、コレクターたちがこんなに世界にたくさんいるのに、つまり需要はたくさんあるのに手芸用品を扱っている店、つまり供給が少ないこともわかりました。残念ながら、今日ではこれらの骨董品、手芸用品を扱うお店がないので、「復刻させたらどうかな」というアイデアが、ふと浮かびました。

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この写真を見てください。これが「サジュー」の図案アルバム、当時のものです。いまも大切に持っているのですが、こういう図案は私以外のコレクターたちが同じように集めています。ある日、私は1冊の図案集を大枚をはたいて購入しました。この出費のおかげで、ひらめきました。「『サジュー』というブランドの知的財産権はどうなっているのだろう?」と調べました。そして、その知的財産権は消滅していることがわかりました。

そこで、2004年11月6日にまだ自分のやるべきことは具体的には決まっていなかったのですが、この「サジュー」の知的財産権を購入しました。数週間後に刺しゅうのはさみのストックを手にする機会が偶然訪れて、「サジュー」という名前で商品化することを決定しました。

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それと同時に当時のアルバム(図案集)からインスピレーションを得て、ポストカードのシリーズも商品化しました。2005年5月15日にインターネットのサイトもオープンしました。

実は、立ち上げてから、一瞬にして成功したんです。それはインターネットのマジック。外国人、特に日本人の反響が大きかったです。今、日本にいるからというわけではないのですが、日本のみなさまに感謝を申しあげたいと思います。もし日本のみなさんの「サジュー」への情熱、信頼がなかったら、今日の「サジュー」は存在していないと思っています。当時の私の会社は、とても若くて、まだ反響も少なかったのですが、日本人のお客さまのおかげで自信を持つことができました。特にフェリシモの『クチュリエ』というカタログとは2007年10月から一緒にお仕事をさせていただいています。とはいえ、こんな熱狂的なお客さまがいらっしゃるということは、後戻りすることは許されず、常に新商品を開発しなければなりませんでした。
そして、急速に時代は変わり、最近は中国で安く生産されるようになったのですが、私は、フランス製の良質なものを生産したいと心の中で決めていました。最近でこそ、人々の間で生産国についてよく話題になります。ただ、「サジュー」を立ち上げた当時は多くの人は私のことを「そんなやり方をしてもうまくいかないよ。頭がおかしい」と言われたりもしました。特に私を信頼してくれる銀行を見つけるのも本当にむずかしかったです。

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さきほどお話した、出版社に務めていた経験上、私は既にものの生産地について、多くのことを知っていたということもあり、できる限り当時つくられていた地域でつくることを心がけようとしました。
これは、フランスのとある針の工場の写真です。こういう素晴らしい文化的遺産や工業があり、こういう工場を私が自らの手で「サジュー」というブランドを使ってこういう機械をよみがえらせたいと思いました。でも、それは簡単なことではなく、本当にいろいろな苦労が伴いました。よい関係で仕事をし、助け合える職人さん、メーカーさんがいる一方で、「わかってますか? この機械が動いていたのは、ずいぶん昔のことなんですよ。マダム。こんな機械、もう動きませんよ」と言われ、私の考えに賛同してくれない人もたくさんいました。

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残念ながら、ここ30年もの間、ヨーロッパの多くの国で、多くの工場がなくなりました。政治家たちは、「フランスはただ観光業やサービス業を発展させて、生産業はほかの国がやればいいよ」という考えを続けていました。でも、政府は最近、「この考え方は大きな間違いだったな」とじょじょに気づき始めています。この脱工業化のフランスは、フランスの各地域で目にしました。工場は閉鎖されて、昔動いていた機械も全部もうなくなっています。何度もメーカーの方たちに「あなたのコンセプトは素敵です。でも、それは昔やっていたことだし、今は機械すらありません」と言われてきました。でも、幸いなことに、まだ昔の技術や財産を残そうと戦ってがんばっているメーカーさん、職人さんもいます。じょじょにあちらこちらで、これらの方に出会って、「サジュー」の発展に貢献してもらいました。私は、はさみ工房の再開やレース編み職人の復活など、その工房にできる仕事を与えながら、そのいくつかの小さい工房の維持に貢献できたことを誇りに思っています。この写真は、はさみの工房の職人さん。ひとつひとつ手づくりで、ひとつひとつのパーツを何工程にも分けて、つくっていらっしゃいます。

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あこがれの糸ブランド「FIL AU CHINOIS」の復刻!
コレクターだったからこそ、実現しました。

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今から「FIL AU CHINOIS」という糸のブランドについてお話します。手芸用品のコレクターとして、「FIL AU CHINOIS」ははずせない糸のブランドです。常にこの「FIL AU CHINOIS」にあこがれがあります。この「FIL AU CHINOIS」というブランド、訳すと「中国の糸」という名前のメーカーです。この糸の由来を今から説明します。この由来を知らなければ、現在、「メイドインチャイナ」のものばかりあふれているので、ちょっとした皮肉にもなりますよね。この「FIL AU CHINOIS」という名前の由来は19世紀までさかのぼります。いろいろなことがきびしかったフランスで、オリエンタリズムという流行があったんですね。オリエンタリズムというのは、東洋の文化に興味を持つことです。補足しますと、東洋の諸国に関心を向けられるようになったのは、1798年にナポレオンがヨーロッパ諸国に遠征を行ったことから始まります。そういう背景があり、オリエンタルな響きのあるものがはやりました。

このオリエンタリズムのおかげで、私も含めて一般のコレクターの人たちからも、「FIL AU CHINOIS」はあこがれのブランドになっています。しかし、2008年に「FIL AU CHINOIS」は存続が経済的に危ぶまれることになります。ギリギリの状態でフランスの北部にある会社に買収されます。写真の方がブルーノ トゥールモンドさん、彼が2008年に買い取ることになりました。ブルーノさんがトゥールモンドという会社を経営していて、彼が買い取ることになります。

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「FIL AU CHINOIS」の再開までは数週間にも至りませんでした。「FIL AU CHINOIS」というのは、もともと糸は洋服に使う縫製の糸を生産していたんです。そこで、この「FIL AU CHINOIS」を糸巻きカードなど手芸用品に発展させようとしました。私は、「FIL AU CHINOIS」とのファンだったので、すぐにブルーノさんに会いに行き、数週間足らずで意気投合して、「サジュー」と同じエスプリを持っているということで、この手芸用品としての商品化が進みました。今販売されている「FIL AU CHINOIS」のラベル、包装は、全部私がデザインしたものです。このブランドへの愛情の大きさから、仕事の道のりは長かったけれど、きちんとした順序を踏んでいたので困難もありませんでした。もし自分がコレクター、骨董収集家でなかったら、もしこのブランドのコレクションを持っていなかったら、こんな復刻という道のりを経てたどり着くことはできませんでした。「FIL AU CHINOIS」の復刻されている全商品はすべてフランス製で、トゥールモンド社のアトリエで、修理された昔の機械によってつくられています。現在フランスの糸メーカーは5本の指に入るほどしかないのです。「サジュー」の刺しゅう糸であるブランドもトゥールモンド社がつくっています。フランス北部は昔から、糸、布づくりが有名だったんです。フランス北部はベルギーの近くです。ベルギーもテキスタイルが有名で、あとレースとか糸、布づくりが有名でした。

(映像)
今からフランスのお昼のニュースに「サジュー」を紹介された時のドキュメンタリーを紹介します。「サジュー」の誕生、ヴェルサイユのオフィス、卸しているパリのお店、「FIL AU CHINOIS」の再生を語る以前のお客さまなどを見てみましょう。

2010年からトゥールモンド社は「サジュー」に出資しています。この会社同士の協力は「サジュー」の発展にとって有益なものでした。

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正直に言うと、私たちのこの努力は未来に続いていって、国際的にも発展していくのですが、フランスの市場も大切にしないといけないと思っています。「サジュー」はフランスのブランドなのですが、海外にばかり目を向けていてはいけません。やはり自分たちの国でも支持されないわけがないと思っています。去年、パリの有名デパート「ボンマルシェ」の手芸フロアに大きな「サジュー」コーナーが持てました。歴史ある「ボンマルシェ」なのでとてもうれしかったです。フランス人にも「この国には素晴らしいブランドがあったんだよ」ということを知ってもらいたいと思います。このブランドの立ち上げによって、フランスという国にたくさんの財産があるということを伝えることができたと思っています。このフランスの技術や伝統への情熱というのは、幸いなことに、ほかの国の人たちとも共有できて、また日本のほかにもたくさんの国の人が興味を持ってくれました。

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これらの海外の人たちとの文化の共有もうれしいのですが、たくさんの国が「サジュー」に興味を持ってくださっています。アメリカ、オーストラリア、ドイツ、イタリア、そして最近ではイギリス、韓国、そしてごくごく最近、中国にも定期的に出荷しています。特に糸を北京や上海にもたくさん出荷しています。

ときどき、「サジュー」のカタログやサイトを見直すことがあるのですが、それとともに世界中のお客さまのリストを見ている時に、「これは夢を見ているのかな。これを私が立ち上げたのかな」と思うことがあります。でも、私ばかりががんばったわけではなく、設立当初からがんばってくれている尊敬している同僚や主人、家族の絶対的な応援がなければできなかったと思います。

この手芸業界は女性であることを行かせる仕事です。むずかしいのは、子育てや家事です。主人が家事をしてくれなかったら、サジューはこんな大きなブランドになってなかったと思います。
どこの国でも会社を設立するのは大変なことです。でも、自分の会社をつくるというのは、本当に素晴らしい体験であり、特にすべての女性にすすめたいです。すべてを得ることは簡単なことではないのですが、会社をおこすという気持ちと工程、やっていることのすべてが人生の集大成と言えます。
たった3つの商品でスタートした「サジュー」ですが、8年経って、商品の数は2500に拡大しました。フランスにはまだまだ未活用の素晴らしい過去の財産、技術が豊富にあります。「サジュー」は発展を続けていけると思います。私は、この経験を、工場の海外移転などで自信を失っているフランス人もいるので、もっともっとアイデア、財産を共有していきたいなと思っています。自信というのは、健康、経済の良薬だと思います。

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今、手仕事のマジックという言葉を使いましたが、刺しゅう、裁縫、レース編みなどの手仕事は、いつの時代も女性にとって手仕事以上の効果を併せ持っていると思います。19世紀には刺しゅうはブルジョワの女性のたしなみでしたが、そのため、しばし家からあまり出るべきではなかった女性が集って、社交の場が生まれて、またみんなで刺しゅうをすることで、アルファベットを覚える……、高等教育を求められない女性がたくさんいたのですが、そんな女性たちが文字を学ぶ方法でもありました。そもそも、ムッシュサジューが当時の図案アルバム、19世紀に今まで図案集が庶民の手に渡らなかった時代に、刺しゅうの図案アルバムを低価で、コンパクトで、手に入るようにした方なんですね。アンティークの刺しゅうの図案アルバムは、男性のサジューさんが女性に行き渡らせるようにした方なんです。ムッシュサジューは職のない庶民の女性たちに手に職を付けてもらうために刺しゅうを民主化させた人です。
講演のはじめに、震災直後にご近所の方と刺しゅうのワークショップをするために糸を注文があったお話をしましたが、手仕事には、不思議な効果があると思っています。自信を与えてくれます。その自信があれば、すべての道は開けていくと考えています。そして自信こそ、未来の世代への、我々の文化を伝えていくということにつながります。伝えて誇示して再生してコミュニケーションして共有すること、これらすべてが大切です。これはフランスの文化でも日本の文化でも同じことが言えると思います。
最後に私をお招きくださったフェリシモさん、耳を傾けてくださったみなさんに感謝しています。私のささやかな経験が、将来みなさんのお役に立てることがあれば幸いです。ありがとうございました。

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<第2部>

お客さまとのQ&A

お客さま:
フレデリックさんは、手芸屋さんでアルバイトをされていたということですが、手芸はお好きですか? またどんな手づくりをされますか?

フレデリックさん:
私がしている手づくりは主に刺しゅうです。特にクロスステッチをたくさんしてきました。「サジュー」の仕事に費やす時間が多いのですが、毎晩手を動かすことは今もやっています。「サジュー」の商品開発につながるモチーフだったり、最近は「サジュー」の仕事のために刺しゅうをさすことが増えてきているのですが、たまにはちょっとしたパッチワークをしたりします。でもやっぱり、刺しゅうがいちばん大好きです。

フェリシモ:
フレデリックさんの作品は、ショールームで拝見することができますか?

フレデリックさん:
「サジュー」のヴェルサイユのショールームでは、「サジュー」の全商品のほか、私がつくったものも、アレンジ作品例のような形でご覧いただくことができます。一般のお客さまにも来ていただくことができます。インターネットのサイトは、「サジュー」立ち上げから7年、今スタッフ一堂で力を合わせて新しいサイトをつくっています。そこで、私のアレンジ作品例もお見せできたらと思っています。

お客さま:
フランスの絹糸に「アルジェのシルク」という名前のものがあります。「アルジェ」の意味は何ですか?

フレデリックさん:
「アルジェ」とはアルジェリアのことです。「スワ」というのは、フランス語で「絹」のことです。「アルジェリアの絹」ということになりますが、本当は絹ではなかったんです。この呼び方は絹っぽいちょっと光ったような艶のあるような絹っぽい糸をつくる生産過程のことです。なぜ「アルジェリア」と名づけられたのかはわからないのですが、多分北アフリカのアルジェリアはフランスの植民地だったので、フランスと関わりがあり、またアルジェリアは刺しゅうの国でもあったので、そういう意味でつけたのではないでしょうか。ちなみに私は、アルジェリア生まれです。

フェリシモ:
これは「サジュー」の糸巻きなんですが、19世紀の女性もコレクションとして集められたりする文化もあったのですか?

フレデリックさん:
19世紀当時の糸巻きに巻かれていた糸の素材はリネンでした。なぜなら、当時はミシンがなかったので、手縫いの糸はリネンでした。当時、新聞、テレビもなかった時代なので、写真、イラストを目にすることがなかったので、糸巻きカードのメーカーは、フランスの過去の歴史を象徴する絵を取り上げて、つくっていたので、女性は非常に喜んだそうです。それは、糸メーカーの戦略でもありまして、その糸を使えば使うほど絵が出てくるわけです。その絵を早く見たいから、急いで糸を使う。そうするとメーカーも儲かる、という戦略的な部分もあったようです。

お客さま:
20年間務めていた会社を辞めて、会社を興そうと思った時、迷いはありませんでしたか? あった場合、迷いをぬぐい去った方法は?

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フレデリックさん:
独立した時、迷いはまったくなかったです。すぐに辞めて決めました。まず、刺しゅうが好きだったという情熱があったことと、それしか本格的にしていたことがなかった、またコレクターたちとの出会いによって、需要があっても供給がないということを知った時、自分でやろうと思いました。もうひとつは、第2の人生の区切りとして、本当に自分が好きなことを追い求めてみようという決心から、始めました。

お客さま:
友だちがフランスの南部アリエージュに住んでいます。アリエージュで生産されたものは、「サジュー」の商品にありますか?

フレデリックさん:
今のところはありません。のちのち見つけたら、可能性はあると思います。今、「サジュー」の商品を生産しているものの多い地域は北フランスです。レースや生地はだいたい北です。リボン、チロリアンテープなどは、サンテチエンヌ、リヨンの近くで生産しています。ポストカードなどの紙類はフランスの中心部、はさみはベルギーの近く、木製品は私の出身地のジュラ、サボワ、スイスの近くになります。金属類はプロヴァンスでつくっています。

お客さま:
今、ハーダンガー刺しゅうにハマっています。日本には情報が少ないので、もし何かご存知でしたら教えてください。

フレデリックさん:
友だちがハーダンガー刺しゅうのプロフェッショナルです。刺しゅう作家の友だちと接することで、のちのちの「サジュー」のプロジェクトとして、クロスステッチ以外の刺しゅうの技法を取り上げてみようということをみんなで話しています。その刺しゅう作家さんがすごいテクニックを持っていて、彼女と「サジュー」が組んで、いろいろな刺しゅうシリーズの本をつくろうと思っています。その中でハーダンガー刺しゅうも取り上げられたらいいなと思っています。

フェリシモ:
最後に神戸学校を代表して、古くから伝えられてきたものを次世代に継承していくには、ただ単に渡すだけではなく、同時に新しいものを生み出しながら育てて、その時代の色を加て、次の時代に伝えていく、そのような立場に私たちはあると思います。そんな新しい文化の担い手であるここにいるみなさんにメッセージをお願いします。

フレデリックさん:
もちろん、過去の歴史、伝統、技術などを勉強することは大事です。繰り返すことも、伝えることも大事です。そのためには、今生きている時代のつくり上げている伝統をよく知ることが大事です。ただ、今の時代を勉強してよくわかっているだけではいけなくて、この知識、ひとりひとりによる経験をすべて合わせて、次の世代に伝えていく、またその時に生きた自分たちの証をその前の時代のものにつけ加えていく、これが大事です。歴史は過去のものだけではありません。今つくり上げている私たちの時代をこれを過去のものにのせて、どんどんいい時代をつくっていくというのがポイントだと思います。人類が長く生きていけばいくほど、よりよいもの、よりよいものを、と階段状に、もっといい時代が生まれてくると私は考えています。

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Profile

フレデリック クレスタン=ビエさん<「メゾン・サジュー」オーナー>

フレデリック クレスタン=ビエさん
<「メゾン・サジュー」オーナー>
*プロフィールは、ご講演当時のものです。
刺しゅう用品や手芸材料の熱心なコレクターであり、クロスステッチについてはもちろんのこと、そのほかにも、『La Folie des ciseaoux』(はさみの本)や『La Folie des des a coudre』(指ぬきの本)なども執筆。また、刺しゅう業界では神話的な名称になっている、老舗ブランド「サジュー」商品を復刻。日本での出版物として『サジューのお裁縫箱~見ているだけでしあわせになれるフランスのアンティーク手芸用品』(2009)などがある。
*「メゾン・サジュー」について
ジャック・シモン・サジュー(1805~1882)によって1828年に創業された繊細な刺しゅうブランド。サジュー氏は、それまで貴族の間で愛用されていた刺しゅうの図案を一般庶民に普及させました。また、フランスで最初にカラーの図案集を出版したと言われています。メゾン・サジューは、1954年に閉鎖。図案は現在ではコレクターアイテムとなっています。

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